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闇堕ちなら超得意、っていうか元から闇しかないからどこからも堕ちてない

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 最近承認欲求と嫉妬がピークだった。
 何を見ても心の中で「私だってこれでも頑張っているんだ」とブツブツ呟き、人が努力して勝ち取った立場に嫉妬していた。

 努力していない人が努力する人に嫉妬するのは世の常だ。本当にたちが悪い。スポーツ選手のプレイとか映画のストーリーにケチを付ける人は、自分でもっとすごいプレイとかストーリー作りとかしてから言ってみろよと思う。そうしたらそれがどんなに大変なことか分かるだろうと。でも今は自分がケチを付けて回る人間になっている。

 どうも定期的にイライラし出し、そのうち静まっている。で、またイライラ期に入る。何だろう、体調的なものか?
 しかしコントロールできないようでは危ない。心に対してちゃんと説明のつくような筋道や対処法が欲しい。こう考えれば大丈夫という、お守り的なものが。

 私は低レベルな精神で生きているから、みんな承認欲求や嫉妬はあるものだと思っていたのだけれど、承認欲求で検索したら「自分の承認欲求に困っています」という発信より「人の承認欲求がウザい」という発信が多かった。ヤバい。「私今日承認欲求強くて辛いわー」とか笑って言っている場合じゃないのか。承認欲求の暴走は万死に値するのかもしれない。

 そういえば私は子どもの頃から気持ちが幼いまま変わっていないかも……。

 私は変人だから友達がいなかった。それは良いんだけど(良いのか?)、友達がいないと学校で目立つことをしても褒めてくれる人は少ないし、何かあったときにかばってくれる人も少ない。誰かが友達に褒められたり、「◯◯ちゃんは悪くないよ」などとかばわれたりしているのを横目に見つつ、「私もそれくらいできるし」「私だってそこまで悪くないでしょ?」と生意気な呟きを心の中で繰り返し、たまにひねくれた本心を吐き出して失敗しようと、仲直りするべき相手もいないから傾いたまま孤独に進んだ。
 そして現在に至る。今でも心の中の口癖は「だってしょうがないじゃん」「そんなに私が悪いのか?」だ。

 何か理由があってひねくれているなら、もう少し筋の通ったまともな人間になっただろう。しかし残念ながらひねくれ方がしょうもない。そして「私の作品を世界に認めてもらおう」というどうしようもないモチベーションにすがることになる。しかし書いても書いてもアクセス数はさほど上がらない。

 こうなると、人が他の誰かや作品を褒めているのを見ても「私もそれ好き~」とか「知らないなぁ。何それ気になる!」などと普通の反応をできない。「あれもこれもファンが付いて見守られているというのに私には何もなしかよ。私の人生ついてねーや」と嫉妬の炎を燃やすことになる。

 こんなんじゃいつ、口が滑って本音を漏らすか分からない。完全に危険人物だ。そして世の中の人は承認欲求が大嫌いだ。「分かりみ~」とは言ってもらえないだろう。ドン引きされるに違いない。
 嫉妬する前にもっと努力しろよと思われるだろうが、私はタチの悪いことに、嫉妬するくせに努力は大嫌いなのだ。うだつが上がらないのも当然である。

 これはまずい。一刻も早くこのイライラを静める方法を考えなければ。

 ということでまずは上記のような「承認欲求と嫉妬に対する仮説」を立てた。そして誰もいないところでワーッと感情を吐き出してストレス発散した(※叫んではいない)。

 次に対処法を考えてみる。

 思うに、最近「悪い意味で人のことばかり考えていた」のだ。人と自分を見比べたり。どう考えてもこちらの方が劣っているのだから比べる意味ないのに……。

 だから人のことを考えるのをやめた。頭の中の呟きを検閲のようにチェックし、「だって私だけじゃなくてあの人も悪くない?」「あーあ売れてるものは良いよな、羨ましいわ」などと言い始めたら「人のこと考えない! 考えるのは自分のことだけでいい」とツッコミを入れた。そして昔歩いた好きな道とか、旅行で行った思い出の場所とか、楽しいことを記憶の底から引っ張り出した。

 最近脳の「浅い」ところしか動かしていない気がするのだ。だから深層心理的な夢を見ていない。そこで意図して深層心理的な方へ心を引っ張ることにした。深層心理の意味が分かっているかどうかは分からないけど……心の中の懐かしい景色の方へ思考を引っ張った。もしかしたらそこが瞑想空間かもしれないじゃないか。

 そんなわけで、「夢を見ている」ような感覚がやや戻り、精神状態が落ち着いてきた。たぶんこの対処法で正解なんじゃないだろうか。「だってあの人が」「だって私も」などと「人ありき」の考えを持ち出す自分にはすかさずツッコミを入れ、あとは深呼吸をするようにボーッとしている。

 他の人は誰かから褒められているのに自分は褒められない……という場合は、自分の普段の言動から「短気・面倒くさい・扱いづらい・気難しい・空気読めない」などと思われて避けられている可能性もある。人から何か言われたとき、無意識に「でも」とか「えー」とか返しているのかもしれないし、普段からゴチャゴチャ語っているせいで「この人すぐ怒りそうだな」「いつもイライラしてるな」「何かあったら持論言ってきそうで嫌だな」「人の話聞かずに自分のことばっかりだよな」と思われているのかもしれない。

 日頃の行いが悪いならしょうがないな。いずれにせよおとなしくしていた方が良さそうだ。

 私はボーッとしていると街中で見ず知らずの人から声をかけられ、会話になることが多い。ボーッとして欲を持たずにいるとなぜだか話しかけてもらえるのだ。
 しかしギラギラしていると誰も寄って来ない。ナチュラルに人と交流したいなら、余計なことを考えないのが良いのかもしれない。精神状態が悪くなったら、ボーッと懐かしいことを思い出すように心がけたい。










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