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フォロワーとしての需要はないが、一夜限りの需要はある可能性(言い方よ)
私の投稿の多く、特に小説はアクセス数が少ないが、けっこうアクセス数が入ってくる投稿もまれにある。それはおそらく、宣伝リンクからフォロワー様が来ているというより、検索から見知らぬ人が来ているのではないだろうか。
「四六時中ネガティブ投稿している人」と聞いたら、どう思うだろうか。そういう人をフォローはしたくない気がする。
だから私は、ネガティブ投稿をするのを多少躊躇する。「えっ? 躊躇しているのか……?(毎日ネガティブなことしか言ってないじゃん……)」と読者様は思うかもしれないが(あちこち覗いてくださっている読者様にはネガティブキャラが知られていそう)、これでも躊躇ったりはしているのだ。
なぜ躊躇うか。それは、「仕事で疲れた。やっと家事も終わったし、寝る前のくつろぎタイムにフォロワー様の投稿でも見るかー」とネットを開いた人に、毎日のようにネガティブ投稿を見せつけたりしたら、心に負担をかけてしまいそうで申し訳ないからである。
「今日嫌なことがあってね」「死にたい」などと書けば、優しいフォロワー様に「何か言わなくてはいけない」と思わせてしまう可能性もある。流石に死にたいとは言わないが。
投稿内容が嫌ならフォローも反応もしなければいい、と思うのだが、なぜか好みでないネガティブに付き合う羽目になることが現代人は多いのではないだろうか。SNSに疲れ、じわじわ気力を奪われていることに気づかないとか。「こっちからフォローしたんだし」とか「友達の友達だし」とか、気を使ってフォローを外せないとか。無理をしそうな人が多い気がする。それは大抵温厚そうな人であるから、そういう人に狙い撃ちのようにストレスを与えて、心身ともに追い込んだりしたら大変だ。
ネガティブ投稿を読む精神的負担が分かっているならネガティブをやめればいい?
いや、私が毎日「今日もハッピーでした」などと書けば嘘になる……わけではないが、こっちはストレス発散と収益化を兼ねる研究をしており、「好きに書くから、嫌ならフォローも反応もしなくていいよ」というつもりなのである。励まされても共感されても、現状が変わらない限り、ポジティブモードになることはほぼない。根はずっとネガティブモードである。ネガネガティブ。
しかし、「嫌なら見ないでください」……とスッパリ言いたい……のだが、付き合いのある人から「もう愛想尽きました。サヨナラ」と言われるのは怖い。
ただここで、「アクセスを集めることのみが目的」と考えた場合。「フォロワー様に負担をかけない、楽しい話題を心がける」か、「ネガティブの真骨頂を発揮する」か、どちらが良いのだろう?
合う・合わないで考えると、自分のキャラに合わないことを無理して書いたって、中身のある文章にはならないのではないだろうか。詳しくないことをテキトーに書くより、詳しいことや、自分に当てはまること、日々の素直な気持ちを書いた方が、中身があるものになるだろう。ならばネガティブ人間を極めるのも一つの手ではないだろうか。
ネガティブなんかに需要あるのか? 私はあると思う。なぜなら私は、ネガティブ投稿に救われるからだ。
私はネガティブな人を好んでフォローはしない。RADWIMPSとかセカオワとかは好きだし、彼らの歌詞(私の好きなヤツ)は見ようによってはネガティブだ。プロはこちらの気が向いたときに追うばかりで、追いかけてくることはないから、私はプロのアーティストならネガティブっぽくても好む場合があるが、話しかければ交流が始まるような一般人の投稿者の場合、毎日見ていて疲れる人はフォローしたくない。ネガティブな人と繋がって四六時中愚痴を聞くのは無理。
だが、ネガティブな気分のときに、ネガティブ検索をし、一般人のネガティブ投稿を見て癒されることは多くある。
それは毎日見たいわけではなく、「フォロワー様の投稿だから読まなきゃ」という、ノルマっぽい義務感もない。共感はするが、励ましコメントはしない。黙ってネガティブサーフィンして、読んで一喜一憂して、立ち去るのである。
誰の投稿であれ、ずーっと読んでいると、意見の合わない部分は出てくる。投稿を読み続けていれば多少、思考や趣味の範囲が分かってくる。だから、知らない人の投稿をフラッと見て、勝手解釈したい日もあるのだ。
初対面の人との会話に、やけに感動することってないだろうか。「この人すげぇ!!」と。
しばらく会って話しているとそのうち、「普通の人」になってしまう。慣れてくるからだ。
フォロワー様の投稿を色に例えると、「赤・青・赤・赤・青・黄・緑……」とか、大体こちらの巡回で見られるカラーが決まってくる。なので、それ以外の色を見たいときは、検索することになる。「今日は紫を見たい」と。ただ、四六時中見たいわけではないから別にフォローはしない、と。
無言のアクセスって、そういうものが多い気がする。繋がりたいとは思わない。反応はいらない。そういう需要もある。
誰かから反応を得たいときはSNSで人と繋がり、繋がりたくないときは、プロの作品を買って読んだり、反応が返ってこない投稿者様の作品を読んだり、検索で知らない人のページを見て回る。それもまた楽しいものだ。繋がっていないとは言いつつ、それもまた、一方通行とはいえ、ゆるやかな繋がりなのかもしれない。
私が一生懸命ポジティブキャラを演じたところで、たかが知れている。
この間も、力尽きかけたアブラゼミがアリにたかられている様子を見て、「一生懸命鳴いて、最期にはアリを振り払う力もなく、生きたまま解体されるのか……」と、憂鬱な気分になったところである。
これをポジティブ解釈するならどうする? 「アリもセミも過酷な自然界で一生懸命生きている。どっちも頑張れ! そして私たちも頑張ろう!!」か?
それは私の思うこととは微妙に違う。やはり私は常に命に疲れ、絶望に浸る考えの方がしっくりくるのである。「何もかもおかしい、私の望む世界ではない」と。
それを読んで疲れる、面倒なことを考える暗いヤツは嫌いだ、あるいは「コイツはどうすれば前を向くのだろう」と考えてしまうような方は私の投稿を読むのに向かないのかもしれない。弱肉強食、命の期限、すべてが腑に落ちない私が前を向くことはないからである。
私は生き物が好きだったが、生き物好きとは気が合わない気がしてきた。いや、決めつけることはないが、解釈や趣味が合わない場合があるのだ。人それぞれ受け取るものは自由でいい。何が正解とかはない。なら私は私のネガティブを突き詰めようか。
私は何をするのも遅い。交流も遅い。何人もの人と交流して回るやり方はできない。というかバテた。以前あるアカウントで、タイムライン回りをしまくり、フォロワー様もいいねもかなり増えたが、今あのときのように活動するのは無理だ。交流できるのは数人。
そうなると、交流でアクセスを得る場合、一桁を越えないかもしれない。しかし検索から無言のアクセスを得られれば、交流は関係ない。毎日10人と交流して10アクセスではなく、誰とも交流せずに1日1000アクセスも可能かもしれない。まぁ本気で収益化するなら、1日1000アクセスでも足りないが……。繋がりたいとは思われなくても需要はある、そういう投稿を増やしたい。
「四六時中ネガティブ投稿している人」と聞いたら、どう思うだろうか。そういう人をフォローはしたくない気がする。
だから私は、ネガティブ投稿をするのを多少躊躇する。「えっ? 躊躇しているのか……?(毎日ネガティブなことしか言ってないじゃん……)」と読者様は思うかもしれないが(あちこち覗いてくださっている読者様にはネガティブキャラが知られていそう)、これでも躊躇ったりはしているのだ。
なぜ躊躇うか。それは、「仕事で疲れた。やっと家事も終わったし、寝る前のくつろぎタイムにフォロワー様の投稿でも見るかー」とネットを開いた人に、毎日のようにネガティブ投稿を見せつけたりしたら、心に負担をかけてしまいそうで申し訳ないからである。
「今日嫌なことがあってね」「死にたい」などと書けば、優しいフォロワー様に「何か言わなくてはいけない」と思わせてしまう可能性もある。流石に死にたいとは言わないが。
投稿内容が嫌ならフォローも反応もしなければいい、と思うのだが、なぜか好みでないネガティブに付き合う羽目になることが現代人は多いのではないだろうか。SNSに疲れ、じわじわ気力を奪われていることに気づかないとか。「こっちからフォローしたんだし」とか「友達の友達だし」とか、気を使ってフォローを外せないとか。無理をしそうな人が多い気がする。それは大抵温厚そうな人であるから、そういう人に狙い撃ちのようにストレスを与えて、心身ともに追い込んだりしたら大変だ。
ネガティブ投稿を読む精神的負担が分かっているならネガティブをやめればいい?
いや、私が毎日「今日もハッピーでした」などと書けば嘘になる……わけではないが、こっちはストレス発散と収益化を兼ねる研究をしており、「好きに書くから、嫌ならフォローも反応もしなくていいよ」というつもりなのである。励まされても共感されても、現状が変わらない限り、ポジティブモードになることはほぼない。根はずっとネガティブモードである。ネガネガティブ。
しかし、「嫌なら見ないでください」……とスッパリ言いたい……のだが、付き合いのある人から「もう愛想尽きました。サヨナラ」と言われるのは怖い。
ただここで、「アクセスを集めることのみが目的」と考えた場合。「フォロワー様に負担をかけない、楽しい話題を心がける」か、「ネガティブの真骨頂を発揮する」か、どちらが良いのだろう?
合う・合わないで考えると、自分のキャラに合わないことを無理して書いたって、中身のある文章にはならないのではないだろうか。詳しくないことをテキトーに書くより、詳しいことや、自分に当てはまること、日々の素直な気持ちを書いた方が、中身があるものになるだろう。ならばネガティブ人間を極めるのも一つの手ではないだろうか。
ネガティブなんかに需要あるのか? 私はあると思う。なぜなら私は、ネガティブ投稿に救われるからだ。
私はネガティブな人を好んでフォローはしない。RADWIMPSとかセカオワとかは好きだし、彼らの歌詞(私の好きなヤツ)は見ようによってはネガティブだ。プロはこちらの気が向いたときに追うばかりで、追いかけてくることはないから、私はプロのアーティストならネガティブっぽくても好む場合があるが、話しかければ交流が始まるような一般人の投稿者の場合、毎日見ていて疲れる人はフォローしたくない。ネガティブな人と繋がって四六時中愚痴を聞くのは無理。
だが、ネガティブな気分のときに、ネガティブ検索をし、一般人のネガティブ投稿を見て癒されることは多くある。
それは毎日見たいわけではなく、「フォロワー様の投稿だから読まなきゃ」という、ノルマっぽい義務感もない。共感はするが、励ましコメントはしない。黙ってネガティブサーフィンして、読んで一喜一憂して、立ち去るのである。
誰の投稿であれ、ずーっと読んでいると、意見の合わない部分は出てくる。投稿を読み続けていれば多少、思考や趣味の範囲が分かってくる。だから、知らない人の投稿をフラッと見て、勝手解釈したい日もあるのだ。
初対面の人との会話に、やけに感動することってないだろうか。「この人すげぇ!!」と。
しばらく会って話しているとそのうち、「普通の人」になってしまう。慣れてくるからだ。
フォロワー様の投稿を色に例えると、「赤・青・赤・赤・青・黄・緑……」とか、大体こちらの巡回で見られるカラーが決まってくる。なので、それ以外の色を見たいときは、検索することになる。「今日は紫を見たい」と。ただ、四六時中見たいわけではないから別にフォローはしない、と。
無言のアクセスって、そういうものが多い気がする。繋がりたいとは思わない。反応はいらない。そういう需要もある。
誰かから反応を得たいときはSNSで人と繋がり、繋がりたくないときは、プロの作品を買って読んだり、反応が返ってこない投稿者様の作品を読んだり、検索で知らない人のページを見て回る。それもまた楽しいものだ。繋がっていないとは言いつつ、それもまた、一方通行とはいえ、ゆるやかな繋がりなのかもしれない。
私が一生懸命ポジティブキャラを演じたところで、たかが知れている。
この間も、力尽きかけたアブラゼミがアリにたかられている様子を見て、「一生懸命鳴いて、最期にはアリを振り払う力もなく、生きたまま解体されるのか……」と、憂鬱な気分になったところである。
これをポジティブ解釈するならどうする? 「アリもセミも過酷な自然界で一生懸命生きている。どっちも頑張れ! そして私たちも頑張ろう!!」か?
それは私の思うこととは微妙に違う。やはり私は常に命に疲れ、絶望に浸る考えの方がしっくりくるのである。「何もかもおかしい、私の望む世界ではない」と。
それを読んで疲れる、面倒なことを考える暗いヤツは嫌いだ、あるいは「コイツはどうすれば前を向くのだろう」と考えてしまうような方は私の投稿を読むのに向かないのかもしれない。弱肉強食、命の期限、すべてが腑に落ちない私が前を向くことはないからである。
私は生き物が好きだったが、生き物好きとは気が合わない気がしてきた。いや、決めつけることはないが、解釈や趣味が合わない場合があるのだ。人それぞれ受け取るものは自由でいい。何が正解とかはない。なら私は私のネガティブを突き詰めようか。
私は何をするのも遅い。交流も遅い。何人もの人と交流して回るやり方はできない。というかバテた。以前あるアカウントで、タイムライン回りをしまくり、フォロワー様もいいねもかなり増えたが、今あのときのように活動するのは無理だ。交流できるのは数人。
そうなると、交流でアクセスを得る場合、一桁を越えないかもしれない。しかし検索から無言のアクセスを得られれば、交流は関係ない。毎日10人と交流して10アクセスではなく、誰とも交流せずに1日1000アクセスも可能かもしれない。まぁ本気で収益化するなら、1日1000アクセスでも足りないが……。繋がりたいとは思われなくても需要はある、そういう投稿を増やしたい。
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(検索してもパイの意味がよく分かっていなくてすみません😅)