友達になる覚悟

月澄狸

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友達になる覚悟

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 私は上手く喋れなくて友達がいなかった。

 小学生の頃は気の合う友達がすごく欲しかった。けど結局、「友達とは何か?」を知れないまま現在に至る。


 でも友達になるのもきっと覚悟が必要なのだと知った。
 友達だって人間、あるいは動物だ。落ち込むことも苦しいことも大変なときもある。自分と一緒で。


 恋人が事故で重い怪我をしたからといって、去ってゆく人がいるといった話を何度か聞いた。
 飼いきれなくなったから、または看取るのが辛いからと、長年一緒に暮らした犬や猫を保健所に連れて行く人がいると聞いた。
 赤ちゃんが生まれる前に障がいを持っているかどうか調べることができ、命の選別をされる可能性があると聞いた。


「友達」とは、自然になるものだという。
 そしてその先で自分や友達に何か起こってくれば、時には相談したり一緒に悩んで気持ちを分かち合ったりするのだろう。
 困ったときには見捨てたりせず、自然に手を差し伸べることができるだろう。だって「友達」なのだから。


 ……でも、本当にそうなのか?

 人と関わるには器が必要だ。相手がどんな状態に陥ろうと、あるいは許せないような一面を見ようと。


 ブログやSNSを見ていても、色々な状況の人がいる。
 人間も動物も生きているのだから様々なことが起こる。

 それを画面の向こうで見聞きしている私。
 フォロワーという関係。
 ……それもなんだか不思議だけれど。


 ……もし現実に「友達」ができていたら。
 私は、時には友達を支えられるだけの器があったのだろうか?
 ちゃんと人間に寄り添い、共感できたのだろうか?
 友達を傷つけるような言動ばかりしなかっただろうか?

 そう思うと私には誰かと友達になれる器がなかったのかもしれない。
 友達がいないのはちょうど良いのかもしれない。


 逆に、その器を形成するために人は友達を作り、社会性を学ばなくてはならないんだろうとは思う。でも「犬を克服するために犬を飼う」みたいな発想で行動しても思い通りにいくとは限らないし、そういう発想で命を振り回すのも可哀想かもしれない。ある程度上手くいく確信とか向き合う姿勢がないと、命と関係を作ってはいけない気がする。


 だから申し訳ないけれど私はネットで勉強中だ。
 ある日フラッと姿を消したとしても、誰かに与える影響は小さい。またフラッと現れることもできる。その中で、「人間」や「生き物」を垣間見せていただいている。

























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