3 / 44
3
しおりを挟む恐る恐るチャイムを鳴らす。ピンポーン、という音が、夕方のアパートで妙に大きく響き渡った。
クリスマス当日、土曜の夕方だ。いないかもしれない。そう思いながら、和真はしばらく反応を待つ。
こんな日でもいつもと変わらず、アパートから見える景色は夕焼けに照らされ、橙色に染まっている。郊外の、一階に大家が住んでいるようなアパート。その4階からは、小高い丘や公園、道に沿って並ぶ住宅と、さらに向こうまで視線をやれば大通りの有る街が見える。いつも通りの光景に、少し心が和んだ。
『はい、どちらさまでしょう?』
インターフォンから、機械を隔てた薫の声がする。和真は視線を戻して、よそ行きの声で返事をした。
「あ、隣の七鳥です! 今、お時間大丈夫ですか?」
『ええ、大丈夫ですよ』
「パジャマをお返しに来ました!」
『ああ、いつでも良かったんですけど……ご親切にどうもありがとうございます。今、開けますね』
親切にしてくれたのは、薫のほうだ。和真が複雑な気持ちでいると、間も無く扉が開く。
改めて、素面で見ると薫はなかなか顔立ちのいい男だ。長く伸ばした亜麻色の髪を三つ編みにして、穏やかな表情を浮かべているのだから、黙っていれば誰かの母親のように見えるかもしれない。温かそうな部屋着のセーターに、ショールを肩にかけているのも猶更そのように思わせた。
年上、だろうと思う。背丈は少し、和真のほうが高い気がする。相変わらず、急に来たのに迷惑だなんて欠片も思っていなさそうな微笑みを浮かべていた。
こんな男、めちゃくちゃ女の子にモテそうな気がするのに、イヴも今もひとりなんだな、と和真は頭の隅で思った。
「お待たせしました、わざわざ来ていただいて助かります」
「いえいえ! これ、ありがとうございます。それと、……お世話になったお礼です」
「ああ、いえ、本当にお礼なんてよかったんですよ」
「いやいや、それじゃあこっちの気が収まらないというか。本当に、ありがたかったので! どうか受け取って下さい!」
パジャマの入った紙袋と、菓子折りの入った紙袋、二つを差し出す。薫は一瞬困った表情を浮かべたけれど、ややして「では、ありがたく頂きます」とそれらを受け取ってくれた。
「こんなに早くお返しをいただけるなんて。お加減も良さそうで、安心しました」
「いやー結構体、丈夫なほうなんで! それに、中に入れてくれた露峰さんのおかげで、風邪を引かずに済みましたし! ホントありがとうございました! また、そちらも困ったことがあったらいつでも言ってやってください! なんでもお手伝いしますよ!」
じゃ、これで! と、和真は元気よく立ち去ろうとした。
この後、街に繰り出して今夜の相手を探すつもりだった。薫に恩返しもできたし、スッキリした気分で男を漁れるというものだ。
ところが。
「……ああ、あの」
「は、はい!」
薫に声をかけられて、和真は出鼻を挫かれた。
「あの、もしよかったらなんですけど……あ、他にご用事が有れば別に断って頂いても結構なんです、でもその……よかったら、ピザパーティ、しませんか?」
「……はいィ?」
思いもよらない単語が出てきて、和真は素っ頓狂な声を出してしまった。それをどう思ったのやら、薫は僅かに頬を染めて、気恥ずかしそうに言う。
「じ、実は、クリスマスにピザでも取って贅沢をしようと決めていたんですけど……ひとりでは食べきれないと思っていたところでして……」
「……ひとりで、ピザを?」
和真の質問をまたどうとったのか。薫は苦笑して頷く。
「ええ、やっぱりひとりのクリスマスってなんだか寂しいから、せめて贅沢でもしようと思ったんですけど。余ったピザは冷えたら美味しくないだろうし、かといって冷凍したり、ましてや捨てるのもどうかと悩んでいたところなんです。なにぶん、年甲斐もなく初めてのことをしようとしたものだから、勝手がわかっていなくて……でも、今更止めるわけにもいかなくて。予約しちゃったから……」
「……はあー、なるほど……」
薫の言葉を噛み砕いて理解しながら、どう断るか考えていると。
「あ、もちろん、お代は私が持ちますので……いかがです?」
そう尋ねられて。和真は一瞬考えて、「じゃあ御馳走になります!」と元気いっぱい返事をしていた。
小さなちゃぶ台に、Lサイズのピザを2枚とジュースを並べて。こんな贅沢しちゃっていいんだろうか、と喜んでいる薫は、穏やかな大人の雰囲気も何処へやら、まるで子どものようだ。
和真は、宅配ピザならそれなりに注文したことがある。ひとりの時にだってもちろん。だから最初、ひとりピザぐらいでそんなにはしゃぐものかとも思った。
しかし嬉しそうな薫を見ていると、なんだか特別な場に招かれたような気がして、こちらまで心が躍る。チーズがたっぷり乗ったピザは湯気を上げていて実に美味しそうだ。
「冷えないうちに、いただきましょう」
「そっすね! 露峰さん、先に好きなところから食べちゃってください」
「じゃあ、遠慮なくこの、チーズがいっぱいのところを……わあーーー、見てください、すっごいチーズが伸びちゃう、あああ、どうしよう、どうしよう」
「そのまま、そのまま口で迎えちゃって!」
「む、迎えにいく……あ、あむ!」
見かけによらず大きく口を開けて、ばくりと頬張った瞬間、薫も顔をとろけさせた。んふふ、と笑顔でピザを楽しむ薫があんまり幸せそうで、不思議と和真も優しい気持ちになる。
「俺も、ご馳走になります! じゃあこっちの肉が乗ってる奴を……」
テリヤキチキンにマヨネーズのかかったピザを手に取ると、ふうふうしてから口に放り込む。猫舌にも優しい熱さで、口いっぱいに罪の味が広がる。
「……ああー、やっぱピザうめえーー」
「ね、美味しいですね、ふふ」
ふたりは笑い合いながら、次々とピザに手を伸ばした。
正直言って、薫とのピザパーティーは実に楽しいものだった。
そこに酒もセックスも睦言も無いけれど、不思議と退屈もしない。それは目の前の薫が、実に嬉しそうにピザを見て喜び、地球上で一番おいしいものでも食べているように、満面の笑みを浮かべて頬張っていたからかもしれない。
なんにせよ、楽しい時間はあっという間に過ぎていくものだ。
「はあ、美味しかったですね、お腹いっぱいです」
「いやあ、めちゃくちゃご馳走になっちゃってありがたいです」
テレビを見ながら、なんと言うこともない会話を楽しんで。いつの間にかテーブルの上には空のピザ箱が乗っている。
「周りを気にしないでピザを思いっきり楽しんだのは初めてです。お付き合いありがとうございました」
「い、いやいや! 俺はなんというか……タダ飯にがっついちゃっただけの奴なんで、ホント、ありがたいです。やっぱりお金出したほうが……」
「ふふ、じゃあ、私は「あちら」をタダ飯させてもらいますから、おあいこ、ということで」
薫が冷蔵庫をチラリと見て言う。ああ、それならまあ、彼がいいと言うなら、いいか。和真は納得して、「お言葉に甘えて」と頷いた。
「でも、少しお腹が落ち着くのを待ちましょうか」
「そっすね、まだ腹の中がピザでいっぱいっス……あ、そだ、露峰さん」
「はい、なんでしょう?」
空のピザ箱を軽く片付けていた薫に声をかける。
「あの、たぶん俺より年上のかただと思うから……タメ口で大丈夫ですよ」
「え、いいんです?」
「はい! 俺は……ちょっぴし丁寧に話しますけど」
丁寧といっても、その程度だ。まだ出会って間も無い、年上の恩人にタメ口をきけるような気はしなかったけれど、逆はいっこうに構わない。そう思って提案すると、薫はしばらく考えて、頷いた。
「じゃあ、お言葉に甘えて……名前は七鳥君でいいかな?」
「あー、なんか職場みたいだから、できたら和真でお願いしたいス……」
「ふふ、じゃあ、和真君と呼ばせてもらうね。私のことも薫と呼んでくれると嬉しいな」
「薫さん」
長い髪を三つ編みにした、穏やかな人を前にそう呼ぶと、なんだか本当に淑女と一緒にいるような気持ちにさえなった。
だから、かもしれない。和真はセックス依存症であり、その気配が有ったら初対面の男とでも寝れたものだが、薫にはそんな気持ちは少しも起こらなかった。これほど近くにいるのに、だ。
「……薫さん、昨日の夜の俺から聞いたかもしれないけど、俺、フラれちゃって」
「……うん、昨日そう言っていたね……辛かったね、和真君」
しんみりと言われたら困ってしまう。見ての通り、きれいサッパリどうでもよくなっているのだ。それほど軽薄な男だからフラれたのだろうし、実際すぐに立ち直るような男だからダメなのだ。
その事実はすっかり隠して、和真は頭を下げる。
「ホント、薫さんによくして貰って、元気になれました! ありがとうございます」
「ふふ、よかった。私もとっても楽しいよ。ありがとうね……でも、無理はしないでね」
薫はどうやら、空元気で言っていると認識したらしい。改めて己の薄情さが恥ずかしくなったが、和真は「はい」と素直に頷き頭を掻いた。
「でも、まだメインが残ってるよ。そろそろ頂こうか。和真君に貰った焼き菓子も有るし」
「そ、そっすね! いやまさか、こんなことになるとは思ってなかったんで、マジ俺いい仕事したなって気持ちッス」
「本当に、和真君には感謝しかないよ。クリスマスをこんなに楽しく過ごせるなんてね……ちょっと待ってて、冷蔵庫から取ってくるから。あ、温かい飲み物でもどう? コーヒーと紅茶が有るよ」
「じゃあコーヒーを……ブラックでお願いします!」
「和真君は大人だねえ、私はミルクティーに砂糖を入れないと飲めないんだよ」
「ええっ、なら俺もコーヒーに砂糖つけてもらえるとありがたいですっ」
和真が慌てて言い直すと、薫はまた微笑んで頷いた。
サンタやツリーの姿をした砂糖菓子が、白いホールケーキの上に佇んでいる。散りばめられた真っ赤なイチゴやベリーが、粉砂糖で雪化粧をしていて、小さな子どもでなくたって心が躍る。
恐る恐るナイフを入れてみると、断面のスポンジケーキにもイチゴが挟まれて、実に彩り鮮やかで美味しそうだ。口に運べば、甘すぎない生クリームと、優しい酸味のイチゴ、そしてしっとりした生地と合わさって口いっぱいに幸せが広がる。日本人はどうしてこんなにショートケーキに惹かれるのだろうか。もしかしたら、子どもの頃のことでも思い出すのかもしれない。
これまで数えてきた、幾度とないクリスマスの全てが重なって、深い味を出しているような。いやそれは考えすぎか。和真は焼き菓子やケーキ、コーヒーを楽しみながら、薫との時間を過ごした。
不思議と、とても安らいでいたのに楽しくて。もしかしたら、ここ数年で一番いいクリスマスかもしれない、とぼんやり感じた。
「今日はホント、ご馳走になりました!」
片付けも手伝って。すっかり夜も更けた頃、和真は部屋へ戻ることにした。
「こちらこそ、ケーキをありがとうね」
薫も笑顔で手を振っている。ピザは薫が、ケーキは和真がお金を出して、割りがあっているかはわからないけれど、それでクリスマス会の貸し借りは0ということになった。
「また機会が有ったら、是非、お話しようね」
「はいっ、是非!」
ふたりはそうして別れて、それで終わりだ。
また機会が有ったら、なんて社交辞令でしかないし、ふたりは同じアパートの隣同士でしかない。和真にとっては、セックスの対象にはならなかったし、普通は薫にとってもそうだろう。この関係はこれで終わり。
少なくとも、和真は本気でそう思っていた。この時点、では。
1
あなたにおすすめの小説
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
イケメン後輩のスマホを拾ったらロック画が俺でした
天埜鳩愛
BL
☆本編番外編 完結済✨ 感想嬉しいです!
元バスケ部の俺が拾ったスマホのロック画は、ユニフォーム姿の“俺”。
持ち主は、顔面国宝の一年生。
なんで俺の写真? なんでロック画?
問い詰める間もなく「この人が最優先なんで」って宣言されて、女子の悲鳴の中、肩を掴まれて連行された。……俺、ただスマホ届けに来ただけなんだけど。
頼られたら嫌とは言えない南澤燈真は高校二年生。クールなイケメン後輩、北門唯が置き忘れたスマホを手に取ってみると、ロック画が何故か中学時代の燈真だった! 北門はモテ男ゆえに女子からしつこくされ、燈真が助けることに。その日から学年を越え急激に仲良くなる二人。燈真は誰にも言えなかった悩みを北門にだけ打ち明けて……。一途なメロ後輩 × 絆され男前先輩の、救いすくわれ・持ちつ持たれつラブ!
☆ノベマ!の青春BLコンテスト最終選考作品に加筆&新エピソードを加えたアルファポリス版です。
【完結】君を上手に振る方法
社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」
「………はいっ?」
ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。
スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。
お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが――
「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」
偽物の恋人から始まった不思議な関係。
デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。
この関係って、一体なに?
「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」
年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。
✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧
✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧
クリスマスには✖✖✖のプレゼントを♡
濃子
BL
ぼくの初恋はいつまでたっても終わらないーー。
瀬戸実律(みのり)、大学1年生の冬……。ぼくにはずっと恋をしているひとがいる。そのひとは、生まれたときから家が隣りで、家族ぐるみの付き合いをしてきた4つ年上の成瀬景(けい)君。
景君や家族を失望させたくないから、ぼくの気持ちは隠しておくって決めている……。
でも、ある日、ぼくの気持ちが景君の弟の光(ひかる)にバレてしまって、黙っている代わりに、光がある条件をだしてきたんだーー。
※※✖✖✖には何が入るのかーー?季節に合うようなしっとりしたお話が書きたかったのですが、どうでしょうか?感想をいただけたら、超うれしいです。
※挿絵にAI画像を使用していますが、あくまでイメージです。
【第一部完結】カフェと雪の女王と、多分、恋の話
凍星
BL
親の店を継ぎ、運河沿いのカフェで見習店長をつとめる高槻泉水には、人に言えない悩みがあった。
誰かを好きになっても、踏み込んだ関係になれない。つまり、SEXが苦手で体の関係にまで進めないこと。
それは過去の手酷い失恋によるものなのだが、それをどうしたら解消できるのか分からなくて……
呪いのような心の傷と、二人の男性との出会い。自分を変えたい泉水の葛藤と、彼を好きになった年下ホスト蓮のもだもだした両片想いの物語。BLです。
「*」マーク付きの話は、性的描写ありです。閲覧にご注意ください。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
【完結】抱っこからはじまる恋
* ゆるゆ
BL
満員電車で、立ったまま寄りかかるように寝てしまった高校生の愛希を抱っこしてくれたのは、かっこいい社会人の真紀でした。接点なんて、まるでないふたりの、抱っこからはじまる、しあわせな恋のお話です。
ふたりの動画をつくりました!
インスタ @yuruyu0 絵もあがります。
YouTube @BL小説動画 アカウントがなくても、どなたでもご覧になれます。
プロフのwebサイトから飛べるので、もしよかったら!
完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
BLoveさまのコンテストに応募するお話に、真紀ちゃん(攻)視点を追加して、倍以上の字数増量でお送りする、アルファポリスさま限定版です!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
完結|好きから一番遠いはずだった
七角@書籍化進行中!
BL
大学生の石田陽は、石ころみたいな自分に自信がない。酒の力を借りて恋愛のきっかけをつかもうと意気込む。
しかしサークル歴代最高イケメン・星川叶斗が邪魔してくる。恋愛なんて簡単そうなこの後輩、ずるいし、好きじゃない。
なのにあれこれ世話を焼かれる。いや利用されてるだけだ。恋愛相手として最も遠い後輩に、勘違いしない。
…はずだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる