となりの露峰薫さん

なずとず

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「……あ、七鳥さん。もうひとつ聞きてぇことが有るんすけど」

「ん、なんだろ」

 しんみりとした空気の中、柾はぽりぽりと顔を掻いてから、控えめに切り出した。

「アニキの、浮いた話とか聞いてねえっすか?」

「……浮いた話っていうと……」

「その。お付き合いしてる人がいるとか、そういう」

「……ッ、な、な、い……」

 つい先日までお付き合いしているのが目の前の人物だと勘違いしていたような和真だ。浮いた話なんて聞いたこともない。けれど、何故だか胸がドッドッと鼓動を鳴らした。

 そうだ。柾は3年前まで薫と一緒に暮らしていたのだから。これまでどんな恋愛をしていたのかも、きっと知っているに違いない。善意のふりをして聞けば、何でも答えてくれるかも。

 そう考えて、頭の中でそれをかき消した。そんなのは、フェアじゃない、たぶん。

「そっすか……いや、都会って色々あるじゃねっすか。そういう店とか、やっぱ毎日遊んでるようなクソみたいなのとかも、いると思うんすよ」

「ひぇ」

「?」

「あ、いえ、なんでもないです、続けて……」

 そのクソみたいなのが俺でーす! と心の中で叫びつつ、続きを促す。背中を暑くもないのに汗が伝ったような気がした。

「いや、アニキって結構ヌけてるっていうか、お人好しの世間知らずじゃねえすか。実家にいる頃は俺たち家族が守ってあげられたけど、都会でひとりなんて……変なのに付けいられねえか心配で。アニキのことだから、クズにも良くしてやっちまうと思うんスよね」

「うぐ……」

「アニキ、自分が身体弱い分、役に立てるならってなんでも許しちゃいそうだし……心配なんすよ。平気で知らねえ女とか部屋に入れてそうで……」

「うぐぐ……」

 そうです君のお兄さんは平気で知らない隣の酔っ払いを部屋に入れてました。そいつは毎晩のように行きずりのセックスを楽しむクズ野郎でーーす! マジごめん。

 そう心の中で謝っていると、ふいに違和感に気付いた。

 知らない、女?

「あれ、薫さん、女の人とお付き合い……」

 和真の言葉をどう受け取ったのやら、柾は「ああ」と首を振った。

「いや、アニキはすげーモテるんすけど、俺の知ってる限り誰かと付き合ってたことはねえんすよ。ほら、アニキってすげえ、そういうのに鈍感だから」

「は、はあ」

「若い頃から周りの女に告白されても、「私も好きだよ、いつも友達でいてくれてありがとう」なんて、素で言うんす。すげえ数の女を泣かせてるのに、全然気付いてないんすよ、あの人」

「……ちょ、ちょっと待って。女の子と付き合ったことが……?」

「俺の知る限りねえっす。アニキ、まだ誰ともそういう関係じゃないと思うんすよね……」

「…………」

「だから心配なんすよ、都会にはロクでもねえのいるから、あの手この手でアニキを無理矢理落として既成事実作ったりする奴がいないか――」

 柾の言葉が途中から遠のいていく。和真は深く思案していた。

 柾は「女の子」の話しかしていない。ということは、薫が同性愛者だと知らないのではないか。なら、きっと薫は弟に、家族に何も話していない。

 知らない人間から見ると、女性と付き合ったことがないなら、つまり薫は誰ともお付き合いをしたことがないと思うだろう。女性をそういう対象として見ていないなら、そもそも鈍感とか以前に、付き合う理由が無いはずだ。

 しかし。

 薫はなんというか、男性に対しても鈍感のような気がする。

 和真は腕組みをして考え込んだ。

 もし。

 もし、本当に薫が、全く家族に浮いた話をしたことが無かったというのならそれは。

 薫が女性はおろか男性に対しても、未だ清純な身体ということなのでは――――。

「七鳥さん?」

「ハッ!」

 気付くと、柾が怪訝な眼差しで顔を覗き込んでいた。近くで見るとやっぱり怖い姿である。

「いや、ごめん、めっちゃ思い出してたんだけど、やっぱ薫さんの周りにそんな気配無かったなーーって、はは、ハハハハハ!」

 そう笑いながら、ふと考える。もし、薫に手を出したら。この見た目が怖い弟が、本当に怖いことになるのではないだろうか。

 やばい怖い。あ、でも弟も美容師だったっけ。ならこんな見た目だけど優しい人なのかも……。

 そう考えたところで、和真はふと思い出した。

「あ、深雪さん……」

 薫に近しい存在と言えば、第一に彼女だ。美容室のオーナーであり、薫の勤務体系にも理解を示している。見たところあの店にいるのは深雪と薫のふたりだけだし、きっと仲は良いのだろうけれど。

「あー、深雪さんは無いっすね」

「え、どうして? っていうか深雪さんのこと知ってるのか……」

「深雪さんは、アニキと美容師学校時代の同期っス。アニキと、深雪さんと、悠生さんは3人仲良しで、いつも一緒の悪友って感じだったから、……恋人になる、って感じじゃなさそうなんすよね」

「な、なるほど……? その、悠生さん、っていうのは……?」

 初めて聞く名前が出て来た。間違いなく、男の名前だ。

「悠生さんは、うちの隣の美容室の子で、アニキとは幼稚園時代からの同級生の人スね。悠生さんも美容師で、店を継いだんス。だから今は、俺の上司」

「ははあ……」

 関係図がだいぶ詳しくなってきた。頭の中で考えていると、柾が「あ」と声を出す。

「……そういえば、3年前だな……」

「ん? 何が?」

「ああ、いや。その悠生さんが、結婚したんスけど……そういえば、それより前にアニキは家を出ちゃってて。アニキ、悠生さんが結婚したこと知ってるのかな……いや流石に知ってるよな、あんなに仲良かったし、深雪さんも教えるだろうし……」

「…………」

 3年前。

 それまで実家暮らし、悠生の美容室で働いていた薫は、突如として一人暮らしを宣言し、実家を出た。弟にだけ連絡先を教え、それきり、地元に帰っていない。

 一方、悠生は薫がいなくなったすぐ後に結婚していることになる。

(そんなん)

 和真は胸の中がぐるぐる渦巻くような感覚を覚えた。

(その、悠生さんと薫さんの間で、なんかあったに決まってるじゃん!!!!!! え!? なんでわかんねえの!? 柾君、正真正銘、薫さんの弟だな、鈍感なの君も同じだよ!!??!!!!)

 叫びたい気持ちをぐっとこらえていると、ポケットのスマホがバイブレーションした。こんな時になんだ、と取り出して、画面を見て。

「……どぅわーーーーーっ!?」

 和真は今度こそ叫んだ。

 そこには話題の薫と元恋人のリンが、仲睦まじく自撮りしている写真が映っていたのだから。


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