となりの露峰薫さん

なずとず

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第九話 お互いの気持ち

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 極ありふれた、チェーン展開の何処にでもある喫茶店。

 店内には静かなクラシックが流れていて、会社員と思わしきスーツ姿の人々や、学校帰りの学生、あるいは主婦など幅広い客が思い思いの時間を過ごしている。

 人々の話し声や、食器の音の満ちるその店に、シノの姿が有った。

 一杯のコーヒーを前にして、読書にふけるシノもまたスーツ姿だ。仕事帰りに来た彼は、待ち合わせの相手が送れるそうなので、先に店内へ入っていた。

 本を読み進めること、十数分。ふと顔を上げると、ちょうど喫茶店の中へ彼が入って来たところだった。シノが小さく手を振ると、気付いてこちらへと向かって来る。

「待たせてしまって、本当にごめんね。最後のお客さんが結構話し込んでて……」

「いえいえ。お客様に「用が有るから帰れ」とも言えませんしね。僕のほうは大丈夫です。おかげで落ち着いて読書する時間も取れましたよ。どうぞ、おかけになって」

 頭を下げる彼に、シノは優しく促す。それを受けて彼――薫は、「じゃあ」と向かいに腰かけた。

 薫もまた仕事帰りだから、先日初めて会った日よりも小綺麗な服を着ていた。ちらりと見える後ろ髪は丁寧に整えてある。確か、ボーンフィッシュという名だったような。シノは昔読んだ雑誌のことを思い出しつつ、本を鞄へとしまった。

「あの、今日はわざわざありがとう。私がお金を出すから、何でも好きなものを注文してもらえたら……」

「いえ、そういうわけには。先日のお詫び……とかでしたら、お気になさらず」

「それも無いわけじゃないけど、今日来てくれたお礼みたいなものだから。せめてご馳走ぐらいはさせて欲しいんだ。……ダメかな?」

 あまり意固地になってもよくないだろう。シノは「そういうことでしたら」と頷いた。

「少し小腹が空きましたので、軽食を食べましょうか……」

「いいね、私も何か頼もうっと」

 そうしてふたりで軽食を注文する。ウェイトレスが去って行くと、すぐに薫が口を開く。

「先日は急にごめんね。あの後リンちゃんと過ごしたって和真君から聞いてるけど……大丈夫だった? 初対面同士だけが残る形になってしまって、大変じゃなかったかと思って」

「ああ、大丈夫でしたよ。仕事柄、初対面の人と話す機会も有りますし、慣れているので」

 シノはそう答えながら、あの日のことを思い出す。

 和真が薫をタクシーに乗せ、その姿が消えた頃。リンとシノはどちらともなく顔を見合わせた。

 「これからどうする?」と尋ねたのはリンのほうだ。シノは「薫さんの無事を祈りつつ、せっかく来たのでお土産でも買って帰ろうかと」と答えた。休みの日に恋人を置いて出かけた埋め合わせである。

 それに対し、「ボクも一緒にいていい?」とリンが尋ねた。断る理由も無いので、ふたりは少しの間買い物を続けたのだった。

「それはよかった。リンちゃんもね、気にしないでよく休んでってメッセージをくれてたんだ。本当にみんな優くてありがたいよ」

 薫がほっとしたように呟く。そうこうするうちに、頼んでいた品がやってきた。きっと恋人が夕飯を用意しているだろうから、ホットサンドを一つ。薫のほうは、ここで夕飯も済ませるのか、大きなハンバーガーとサラダのセットを頼んでいた。

 しばらく、シノたちは食事をする。食事中も構わず喋る和真と違って、薫は美味しそうに頬張ってばかりであまり話さなかった。その幸せそうな食べっぷりにシノもなんとなく、和真が薫に惹かれていった理由のひとつを感じた。

 先に食べ終わったので、コーヒーをおかわりする。ようやく薫が食事を終えると、シノはおもむろに切り出した。

「ところで。今日呼び出した理由はそれだけですか?」

「えっ?」

「あの日、何があったのかの確認だけで呼び出したりはしないと思いまして。なにか、お話ししたいことがあるのかな、と」

 薫はその言葉に、俯いてしまった。ウェイトレスが食器を下げるのを見送ってから、彼はおずおずと口を開く。

「あの、こんなこと聞いていいかわからないんだけど……」

「はい?」

「その……シノさんと、和真君は……お付き合いとか、しているの?」

「リンさんと同じことを聞くんですね」

 なんだかおもしろくなって、シノは笑いながら首を振った。

「僕は他に相手がいますから、全くそんなことはないですよ。というか彼、今お付き合いしている人はいないと思いますし」

「ああ、よかった……! ……あ、でも、良くないか……」

 薫は一瞬嬉しそうな声を出した後で、表情を曇らせた。そのことにシノが首を傾げると「ああいや」と薫は首を振る。

「その、なんていうか。どこから話したらいいか、わからないんだけど……」

「どうぞ、時間はお気になさらず」

「う、うん。その、あのね? たぶんなんだけど……」

 薫はそれでもしばらく悩んでから、口を開いた。

「和真君……私のことを、その。好き、なんじゃないかと、思って……」

 シノは一瞬目を丸めた。

 薫がどういう人物であるかは、シノも聞き及んでいる。知っている限り、少しも和真の好意に気付いている様子は無かった。

 しかし、現実には。薫は、和真の気持ちにどうやら気付いているようだ。

「前からそんな感じがしてて、だからそれとなく誤魔化してたんだけど……きっとまだそうなんだと思ってね」

「……それについて、僕からは何も言えませんが……」

「ああ、うん。それで大丈夫。だけど、その。和真君には、私のことを諦めてもらいたくて……」

「それはまた、どうして? 他に好きな方がいらっしゃるから、とか?」

「いや、そういうわけじゃないんだけど……」

「ふむ……? では和真さんのことを好きではないから?」

「ええと、……ううん、そういうんじゃなくて、その」

 薫は散々口ごもってから、小さな声で呟いた。

「和真君みたいないい子には、もっと相応しい相手がいると思うし……」

「……」

「私のようなのには、そういう気持ちにならないほうがいいというか。その、……だから、ね? 和真君には他の……良い人とお付き合いをして欲しいって、思っていて……。だから、もしよかったら、シノさんからそれとなく伝えてもらえないかなって……」

「ふむ。大切な話ですし、ご自分でそう伝えたほうが良いのでは?」

「……っ、そ、それは……そうなんだけど……」

 薫が俯く。シノは顎に手を当てて思案した。

 仮に、今の発言が全て真実だとしたら。いくつかの矛盾が生じる。もう少し情報が欲しかった。

「どうしてあなたは自分が和真さんに相応しくないと思うんです?」

「そ、それは。歳も離れているし、私は……君も知っての通り、身体が弱いし……」

「それは和真さんもとっくに承知の上でしょう」

「う、……そ、それに、和真君は知らないけど、私は……私は本当は、嫌な人間だから……」

「嫌な人間?」

「…………」

 薫はそれには答えたくないらしく、黙ってしまった。シノは今の言葉を踏まえて、情報を整理する。

 薫は、和真に諦めてほしいと思っている。それは恐らく「嫌な人間だから」なのだろう。けれど、それを自分で伝えたくない。そして薫は、和真をいい子だと心から思っている――。

「……和真さんのことが、お好きなんですか?」

「! な、なんでそうなるんだい!?」

 びくりと跳ねる勢いで、薫が声を上げる。その頬がみるみる赤くなるのを見ながら、シノは確信した。

 真実は、そこにあるのだと。

「あなたは先程、和真さんと僕がお付き合いしていないと聞いた時、「良かった」と言われました。でも、おかしいじゃないですか。あなたは、和真さんが諦めることを望んでいる。なら、僕と和真さんがお付き合いしていないことを、残念がるはずでしょう?」

「うぅ……」

「そしてあなたは、自分で伝えられない。本当は、諦めてほしくないんじゃありませんか? 願わくば、そういう関係になりたいのでは……」

「そ、それは、そんな、だって私は本当に、……嫌な人間だから。和真君には、釣り合わないから……」

 薫は次第に声を小さくして、俯いた。シノは自分の発言を振り返って、少々踏み込み過ぎたと反省する。

 物事には順序と、適切な距離が有る。下手に切り込めば、信頼関係を失う。そうしてしまえば、もう何もできなくなってしまうのだ。

 そう。まさに、和真が薫に、薫が和真に踏み込むタイミングと、距離を見失っているように。一度壊れてしまうと、もう取り戻せないもの。それが信頼である。

「……すいません。差し出がましいことを言いました。ただ、薫さん。僕は立場として中立です。和真さんの気持ちを代弁することも、またあなたの言葉を和真さんに伝えるのも、お互いにとって不誠実なことですから、僕にはできません。逆に言えば、ここでのことは必ず秘密にします。もしよければ、何が有って、和真さんのことをどう思ったのか。そして、どうして自分を嫌な人間だと思うのか。教えていただけませんか?」

 もちろん、無理にとは言いません。そう付け足して、シノは待つ。薫は思い悩むように、テーブルの上を見つめていた。

 喫茶店の店内は、他の客で賑わっている。長い沈黙の間、他人の話し声や食器の音、人の歩く音が妙に大きく響いて聞こえた。テーブルの上では、カップに残ったコーヒーが冷えていく。

 そして、薫がようやく口を開いた。

「すごく長い話になっちゃうけど、大丈夫……?」

 シノは小さく頷いた。

 

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