上 下
28 / 33

27.塁②

しおりを挟む


 おれと妹との生活は夏休み中続いた。おれは毎日、廃屋に入り浸っていたが、両親はおろか、近所の人や友人ですら、おれを疑うものはいなかった。そうなるように仕向けているのだから当たり前ではあるのだが。

 ただ、催眠状態でいるのも、定期的に更新しないといけない為、ずっと廃屋にいるわけにもいかない。2日に一度ぐらいは実家に帰らないといけないし、頻繁に山に行くにも通りすがった人に怪しまれないように、目が合った瞬間に力を使わないといけない。

 おれに気づかれずに遠くから見ている人間には意識操作は出来ないので、そういった目撃が増えないように気を使って行動していた事もあって、知らず知らずのうちに、おれ自身にもかなり疲労が溜まっていた。

 妹もずっと同じ場所に監禁しているわけだが、これを永遠に続けていくわけにもいかない。2人が両思いであった事は偶然ではあったが、確認できていた。ある程度キリの良いタイミングで、山の中から家に戻らないといけない。戻る際にも、両親の意識操作をして、大ごとにならないようにうまいこと調する必要がある。

 さて、どうしたものかと考えていた矢先に、妹が体調を崩した。妹は小さい頃から元気だけが取り柄みたいなところがあったが、実は持病があり、通院していた。両親はおれに知られないようにしていたらしい。同じ屋根の下で生活していたのに、何故おれだけ知らなかったのか。不思議でならなかったが、体調が芳しくない妹はだんだんと衰弱していった。

 山の廃屋から市内の病院に連れて行く事はできなくはなかったが、すれ違う人間全てに不信感を与えずに病院へ行き、医師に対しても催眠をかけるとなると、相当な体力消耗になる。それについての対策を思案して、行動に移すのが遅れた。おれの落ち度もあり、最悪の事態を想定できてはいたはずなのに、やはりどこか保身に走ってやり方や判断を誤った事が原因で、妹の病状はどんどん悪化していった。

 そして夏休みも終わろうかという8月の26日。


 妹は死んでしまった。


 

「……塁?」


 静かに息を引き取った妹は、汚れ一つついていない、本当の人形のようだった。涙が出なかった。おれは息をしなくなっていた妹の姿を目の前にして、何も考えられず真っ白になった。

 自分の半身を失った気持ちだった。おれはこの先の自分の人生をどう生きていけば良いのか、全くわからなくなった。妹の亡骸の隣に座って、おれは目を閉じた。

 *

「おにいちゃん」

 おれは真っ白な世界で、塁に会った。2人とも宙に浮いていて、それが夢の世界であるとすぐ分かるぐらいに現実離れしていた。でも、夢だと気づくとすぐに目が覚めてしまうから、夢だと思わないようにした。

「おれを恨んでるよな?」

「……そうだねぇ、やり方は不味かったかなと思う」

「おまえが、他の奴に取られてしまいそうで怖かった」

「好きだったなら、もっと早く言ってくれれば良かったのに……」

「……気持ち悪いだろ、妹にマジで恋する兄貴とか」

「全然。だって、私もおにいちゃんが好きだから、同類だよね」

 しばらく無言で見つめ合っていた。

「これから、おれは1人で生きていく気持ちになれない」

「……なら、一緒に死ぬ?」

「……そうしようかな」

「うそうそ。間にうけないでよ、死んじゃダメだよ」

「塁のいない世界なんか、生きていても仕方ない」

「おにいちゃん、私とひとつになったじゃない?」

「あ、ああ。そうだな」

「……本当に一つになってよ」

「本当にひとつ?」



「……私を食べて、一つになって。そうすれば、私たちはずっと一緒だから、寂しくないよ」


「……そ、そんな、そんな事は出来ないよ」

 塁は寂しそうに俯いて、しばらく下を向いたままだったが、もう一度おれの方を見て、にっこりと微笑んだ。

 *

 目を覚ますと、おれは妹の骸を切り刻んで、食べていた。なぜ自分がこうなっているのかも、全く理解ができない。

「う、う、うわぁぁぁ……」

 妹の亡骸は原型を留めないぐらいにバラバラに解体されていた。これはおれがやったのか?嘘だ、おれは、人を食べたりなんて、ましてや最愛の妹をなんて、そんな事するはずがない。おれの目から、止めようにも止められないほどに涙が溢れ出ていた。

 意識がなかった間に、全てが終わってしまっていた。

 生まれて以降、物心がついてからは、おれは泣いた記憶がない。塁が目の前で死んでいる姿を見ても、涙が出てこなかった。この涙の意味は何だろう。妹を失った悲しみか?それとも、人である最低限のボーダーを超えてしまった、に自分が変わってしまったと思ったからなのか。

 どちらにしても、自分はもはや、。人で


 おれの周りの空間が歪んでいく。頭が割れるように痛む。自分の立ち位置すら、わからないぐらいに頭がグラグラと揺れている。自分を取り囲む廃屋の壁の風景が、次第にヒビが入って、まるで割れていくガラスのように、風景は崩れていった。


 *


「……塁」

「……もう、お前は独りぼっちだ」

 おれは目を覚ますと、先ほどまでいた廃屋ではなく、小綺麗なマンションの一室だった。自分と向かい合っている男に見覚えは一切なかった。自分が今、この男に仰向け体勢で両手を押さえつけられている事にも、全く記憶がない。

「……1人になった気分はどうだ?」

「1人とか、どうとか、意味がわからない」

「……完全に消えたみたいだな、お前の守護霊様は」

「なんでおれは押さえつけられているんだ?」

「それすらも分からないか」

 男はククク……と小さく笑った。吹き出しそうなのを我慢しているような、人を小馬鹿にするような含み笑いだった。

「これでもう、逃げられないな。から」

「……重いから、どいてくれないか」

 男は癇に障ったのか、おれを二、三発殴ると、おれの上着の首元を掴んで、無理やり立たせた。殴られたおれの鼻や口からは血が流れていた。

「なんなんだ、おまえは……まだ逃げているのか。それとも記憶を無くしたフリをしているのか?どちらにしてもイライラする」

「……」

「何だその目は……、生きてるのか死んでるのかどちらかはっきりしろ……」

「……」

「もう、いい」

 男はおれの目を凝視すると、興味のなくなった玩具を投げ捨てる子供のように、おれの首元から手を離すと、おれの体はそのまま床に崩れ落ちた。

「……どうやらはおまえのマンションにいるみたいだな」

「う、麗良……?」

 おれは急に体の中が熱く感じて、その場から離れようとする男の足を必死に掴んだ。振り返る男の表情は、さっきとは打って変わって、嬉しそうに引きつった笑みを浮かべていた。

「おれは麗良のなんだよ、麗良はおれの大事な大事ななんだ」

「……てめぇ」

「……なあんだ、やっぱり、覚えてるじゃないか!」

 男は足にしがみつくおれを何度も何度も虫ケラみたいに踏みつけて下卑た笑いを浮かべていた。

「麗良はおれの大事な大事なだからなぁ、返してもらわないと、ひゃひゃ……」

「……てめぇ、だな」

「このクソ大根役者が!どこからでどこからがなんだよ!」

 滅多撃ちにやられた。踵で何度も踏みつけられ、顔も目尻が裂けて血が出るまでぶん殴られた。体の自由が効かない理由も少しずつだが、わかってきた。

「……行かせない、!」

「だったら、ォ、この化物があッ!!」

 大きく振りかぶった右足で、頭を蹴り上げられて、おれは意識を失った。


 
しおりを挟む

処理中です...