[完]田舎からの贈り物

小葉石

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 山岸も不倫相手として静香からの責められる立場であるにも拘らず、どうしても九郎のやつれ具合が放っておけなかった。

 山岸は開けて見た冷蔵になにも入っていない事に当然の様に眉を顰めたが、冷凍庫から冷凍肉と冷凍ご飯を取り出して調理し始めた。


「ほら!九郎さん少し食べなくちゃ…」

 山岸は九郎の目の前に出来立てホヤホヤの肉丼を持ってきた。自分で箸を取ろうとしない九郎の為に山岸はスプーンを九郎の手に握らせる。

「さ、しっかり食べましょう?何をするにも体が元気でなくっちゃ!私も奥様にも謝って、ご挨拶しないといけませんし…」

「君も、謝るのかい?」

「えぇ…九郎さん奥様から離婚を迫られているんでしょ?」

「………」
 
 九郎は無言でうなづく…

「だったら余計にだわ!」

「………?」

「…九郎さん、私、お腹に九郎さんの子供がいます…!」

「……!?」

「……ここ数日体調が悪くて、昨日病院に行ってきたんです……」

「まさか……俺の?」

「ええ!そうですよ!だから九郎さんにはちゃんと奥様と別れて頂きたいんです…!この子の為にも……」

 山岸は、そっと自分の下腹部に手を当てる。
 九郎は不思議な気持ちだ。静香を愛しているから結婚して美沙が産まれた。嬉しくて、嬉しくてその場で踊り出したのを昨日の様に覚えている。だが、今は……九郎から出てくるのは、両目から流れ出てくる涙と、まさか、という気持ちだけだ……

 山岸はそんな九郎を見て何やら勘違いをしている。

「ほら、九郎さん!二人の赤ちゃんですよ?まだ小さくて分からないけれど、ちゃんとここに居ますからね?」

 やつれた九郎の顔を覗き込みながら、山岸はニッコリと微笑んだ。その顔からは九郎がこの妊娠を間違いなく喜んでいるものと確信している顔だ。

「産むのか…?」

「えぇ!勿論です…!ね?奥様と別れたら一緒にこの子を育てましょう?私はどんな事があっても九郎さんを一人になんてさせませんから……」

 まだ若いのに山岸は殊勝な事を言ってくる。

「さ、温かいうちに食べちゃってくださいね?」

 九郎がかつて美味いと言った肉丼だ。静香ならばこれの他に何種類かの副菜や汁物が付いてくる。いつもいつも苦手だという物をこれでもかと言うほどに工夫を凝らして出してくるのだ。

 九郎はそのまま頭を抱え込んでしまった。深いため息をついている九郎から山岸はそっと離れて自分の分の食事を用意し出す。

「さ、私もこの子の為にちゃんと食べなきゃですもんね!?パパが弱っている時はママと君でパパを守ってあげなきゃね?」

 山岸は九郎の気持ちなどお構いなしでお腹の子供に話しかけている。

 子供、九郎にとっては美沙は何者にも変え難い愛する子供だ。美沙が産まれてから今までそれは変わった事がないんだから。
もう会えない、その事実が九郎から自然に涙を流させている…泣きながらも飯を機械的に運んでいる九郎の姿に山岸は満足した様だ。山岸も自分の丼に手をつけ始めた。

 美味いと感じた丼の味がしない。欲しいと思った女が今は一番要らない物の様に見える…そんな自分の姿が余りにも醜悪で情けなくて九郎からは涙しか出てこない。

 機械的に流し込んだ丼は空になり、静香と美沙との唯一のつながりとなってしまった弁護士から受け取った手紙をぼうっと見つめた…九郎はダイニングから夫婦の寝室へと行く。山岸は着替えにでも行くのだろうと思っているのかそのまま食事を続けていた。




 [拝啓、私が愛した旦那様]

 静香の手紙はそんな見出しから始まっていた…

[これを読んでいる貴方は、話し合いのためにちゃんと先生の所に行ってくれたのだと思います。が、まず私達は美沙も含めてもう貴方の顔さえ見たくありません。

 どうしてだかちゃんと分かっているのでしょう?気が付かないとでも思ってました?ちゃんとお相手の事も調べがついていますから同じ様に慰謝料の請求をさせていただきます。

 どうして私が浮気に気がついたと思う?きっと貴方はそんな事にも気が付かないんだろうと思うけど…もうね、色々と分かりやすい様に証拠を残してくれて、こちらは調べる手間が省けたけれど…
 買った覚えのないシャツや女物の香水の匂いが、貴方が仕事だと言って帰って来た日にそれを着てたり、香ったりしたら嫌でも疑うというものなのに…何も気が付かなかったの? 
 異様に楽しそうにしているメッセージのやり取りも全部知っているからね?

 極め付けは、お相手の女のやりたい放題を貴方、そのまま許していた事かしら?本当はちゃんと会って言葉でこれらを伝えたかったけど、あの人の所為でもう顔を見るのも嫌になったわ…
 ねぇ?冷蔵庫のお惣菜美味しかった?冷凍庫のお惣菜は?あれだけ大量に作っておいたのに貴方、どれか一つでも味わって食べてくれた?私が最後のご奉仕にと心を込めて作ってみた物なんだけど?
 
 ねぇ、捨てられてしまった料理達のどれを貴方は気に入ってくれたのかしら?]

 ここまで読んで、九郎はもう耐えられずに嗚咽を噛み殺しながら泣き出してしまった……














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