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Ch 7. 桜はハルになった

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・・・


11月上旬の朝



俺は社長室で

秘書の吉田が入れたコーヒーを飲みながら

数種類の新聞に目を通していた。



吉田徹



副社長の坂上の中学高校の後輩でもあり

俺たちの大学の後輩。


すごく優秀なヤツだから

坂上や専務の三木下とは

吉田を幹部に誘うことで話が決まっていた。


だけど、睡眠薬事件が起こって

自ら秘書を志願してきた。





あれから7年





「睡眠薬を盛られるのもわかりますよ。

その風貌なんですから、十分に気をつけていただかないと」

と言い続けて

吉田は俺に変なオンナが接触しないように協力してくれる。


でも、俺に近寄ってくるオンナを見る目があまりに怖いからたまに、

コイツ自身が女嫌いか、それともゲイか、と思うこともある。

いずれにしても、まぁ

俺を襲わない限りは、そばにいてくれるとありがたい。


ちなみにコイツ、仕事中は完全に俺を社長扱い。

二人きりの時はもっと普通にしゃべればいいと言ってるけど、全く聞く耳を持たない。




会社の方はかなり順調。

今は100人超の従業員を抱えている。


設立当初のような

気の狂うような忙しさはもうない。


自分で何もかもをしなくてはいけない時期をようやく越えた。



立ち上げメンバー坂上と三木下とも

相変わらず仲良く仕事をしている。


吉田を含めて

俺たちは家族みたいなものになった。



ふと新聞をめくると

俺の目に飛び込んでくる一つの絵。

「これ・・・」


有名な絵画コンクールに特選で選ばれた絵画の写真。

少しスタイルが違うけど、これはどう見てもあの絵。


美也が高校生の時に描いた・・・

「俺の絵」





「なんで・・・?」

一瞬、思考が止まる。


が、慌ててその新聞記事に食い入る・・・美也の名前を探して。

しかし、その絵についての詳細は載っていなかった。

ただ、その絵が展示されている場所がわかった。

幸いにも、ここからそれほど遠くない。



「吉田、今日の午前中の予定は?」



「本日は午後に2件の打ち合わせが入っております。社長に目を通していただきたい書類が溜まっておりますので、午前中はそちらの処理を優先させて頂ければと・・・」

「吉田行くぞ」

「どこへ」

「澤村美術館」




大正時代に建てられた洋館を利用したその美術館。

庭も綺麗に整備されていて、色とりどりのバラが咲き誇り、東京の雑踏の中のオアシス、といったところ。


「野崎さんが芸術に関心があるなんて知りませんでしたよ」

どうやら吉田は仕事モードじゃなくなったらしい。


「高校の時は一応美術部だったんだ」

「え?絵を描くんですか?」

「いや、全く。毎日トランプしてた」

俺は笑った。




俺は二人分の入場料を払って中に入った。

火曜日の朝ということもあって、人はまばら。

俺は緊張していた。


入り口に立っていた学芸員に、特選の作品がどこにあるか尋ねた。

「一番奥になります。このまままっすぐお進みください」

俺は他の作品には目もくれず、まっすぐに突き進んだ。




そして・・・




真正面に見えてきたものに、震えた。


高校時代に美也が描いた絵は、F8号(45.5×38.0㎝)。

でも、俺が今目にしているものは

F200号(259.0×194.0 cm)・・・


巨大な桜吹雪の絵。




「すごい・・・」

吉田も言葉を失っている。



描いたのは美也、だと思う。

確信はある。

でもきちんと確かめたい。





―――俺は作品に近寄った。






------------------
作品名:ハル

  MIYA
------------------





俺はその場に崩れ落ちた。





どのくらいそうしていたのかわからない。


吉田は俺の肩に手をあて、

何も言わずに待っていてくれた。






しばらくして落ち着いた俺は立ち上がり、出口に向かった。

「この作品を描いた方と連絡を取りたいのですが」

「こちらからは個人情報はお教えできませんが、お名刺をお預かりしてお渡しすることは出来ますよ」

「じゃあ、お願いします」

そう言うと、俺は吉田の名刺を渡した。


「ご連絡お待ちしております、とお伝えください」





「さっきは悪かった」

車中で、ようやく吉田に声をかけることができた。


「何か事情があるんですよね?僕で出来ることがあればなんでも言ってください」

「もし、菊川美也という人から連絡があったら、連絡先を聞いといてくれないか。でも、俺の名前は出さないでくれ」

「はい」



「それから・・・一度、話をしたいから会社の方に来てほしいと伝えてくれ。理由を聞かれたら、あの絵を会社のロビーに飾りたいと。出来れば、譲ってほしいと」

「はい」

「あと、聞けたらでいいけど・・・あの絵をどこで描いたのか知りたい」

「わかりました」






「・・・吉田」

「はい」


「あの絵のタイトル、見たか?」

「・・・「ハル」でしたよね。なんでカタカナなんだろうって不思議に思って」


「―――あの絵は、俺」

「え?」


「ハルは俺の名前。季節の春じゃない」

「MIYAってもしかして・・・あの時の・・・」



「あぁ。あの美也」





吉田も、坂上も、三木下も、

美也と離れて、ボロボロになった俺を知っている。


美也は最後まで

俺のことを好きだといってくれた。

一番大切だといってくれた。


俺にとっても

美也はかけがえのない存在で―――


美也も俺のことが好きで

俺も美也のことが好きなのに

なんで一緒にいられないのだろう。


そう思って、俺は苦しんだ。



大学も会社も、全てを捨てても、美也のそばにいたかった。

守ってやりたかった。

絶対に手放したくなかった。



坂上と三木下には全てを話した。



高校時代のこと

イギリスでのこと

そのあとの関係のこと



美也が描いた絵のこと

家族のこと

友達のこと



そして、美也のそばにいたいから、

会社を辞めさせてくれと土下座した。



すると三木下は言った。

「そんなことしても、今のお前は美也ちゃんのこと守れない。それくらい、美也ちゃんが抱えてるものは大きいよ。お前がまず、タフにならないとダメだ」


坂上も言った。

「美也ちゃんはお前が幸せになることを望んでるんだ。大学も会社も頑張ってって言ったんだろ?それが彼女の望んでたことだよ。俺らも協力するからさ。大丈夫、俺が保証する、美也ちゃんとお前はまた会える」


「なんでそんなこと言えるんだよ。もう一生会えないかもしれないのに。誰かに美也を奪われてしまうかもしれないのに」



坂上は続けた。

「お前に準備が出来た時、俺達が絶対に美也ちゃんに会わせてやる。どんな手段を使っても。でもその時、美也ちゃんがお前とまた一緒にいたいと思うかどうかはお前次第だ。だから頑張ってその時までにイイオトコになってろ」

「俺もそう思う・・・とりあえず今は、お前自身の道を歩むのが正しいと思う―――それで一時的に、美和ちゃんと離れることになったとしても。ここでお前が全てを捨てて美和ちゃんを支えても、美和ちゃんが苦しむだけだ」

「・・・」


「大丈夫。俺たちを信頼しろ」

坂上も三木下も微笑んだ。



何を根拠にアイツらがそんなことを俺に言ったのか

未だにわからない。



ただ



「絶対に会わせてやる」

「どんな手段を使っても」

この二人の言葉で、俺はこの7年頑張ってこれた。



そして今、

美也の人生が、俺の人生と

再び交わろうとしている予感がする。





会社に戻った俺は、すぐに坂上と三木下を呼んだ。

吉田も一緒に。

そして、今日あったことを話した。



「いよいよだな」

三木下が感慨深そうに言う。


「今夜は作戦会議だな。吉田もだぞ」

坂上は仕事の時以上に真剣な眼をしている。


「勿論ですよ。今度こそ仲間はずれにされなくてよかったです」

吉田がニヤリと微笑んだ。



コイツ、7年前俺が土下座したとき居合わせなかったこと、まだ根に持ってるんだ。

あれは偶然。

仲間はずれにしたわけじゃなかったんだけど。




「でも三木下、俺らの出る幕なくなっちゃったな」

「本当だよなぁ。せっかくレーダー張ってたのに」

「何の話だよ?!」「何のことですか?!」


俺と吉田が、坂上と三木下に詰め寄ったけど、アイツらは

「まぁ、いいじゃないか。俺らが無駄足踏んだだけだ」

「まぁ、俺たちもそろそろだとは思ってたけどな」

と笑ってごまかした。



―――その日の夜。

俺らは予定通り、作戦会議を開いた。

「美也捕獲作戦」の大筋の流れは出来た。


あとは、美也からの電話を待つだけ。





そして一週間後の火曜日。


「あ!」


吉田が変な声を上げた。

いつも冷静な吉田が珍しいこともあるもんだ。


「どうした?」

「これ、美也さんからじゃないでしょうか?」

「え?」



吉田が俺にスマホを見せる。

てっきり電話がくると構えていたが、よく考えてみたら、名刺にはメアドも載っていた。

自分がどれだけ冷静さを欠いてるかがわかる・・・



「で、なんて?」

メッセージは・・・



::::::::::::::::::::

吉田様、


澤村美術館の方からご連絡を頂きました。

このメアドが私の連絡先になります。

何かございましたらこちらへご連絡ください。

折り返し致します。


MIYA

PS.現在海外にいるため、メールで失礼します。

::::::::::::::::::::




「美也だ」

「どうしましょう?」

「とりあえず、坂上と三木下を呼ぼう」

「はい」




「・・・と言う訳で、メールが来た」

「最初からこけてるな、俺達」

「でもメールの方がよかったぞ。野崎が美也ちゃんと直接やりとりできる」

「そうか」

「でもアカウントが吉田だ」

「そんなの田嶋に任せれば大丈夫」



三木下がすぐに田嶋を呼び、たった5分で設定を変えた。

つまり

美也のメールだけが俺のところに自動転送され、俺から返信してもアドレスは吉田のものになっている。

さすが、俺の部下。



「なんか面白そうなプロジェクトですね。僕も参加させてくださいよ」

田嶋が三木下に言った。


「まぁ考えとく。なんせこのプロジェクト、トップシークレットだから」

「よろしくお願いしますね」

田嶋は笑って社長室を去った。




「さてと次は、なんて返信するか、ですよね」

「2通目からは自分で考える」そう俺が言うと

「「俺たちの楽しみを奪うのか!」」

坂上と三木下が笑った。


相談の結果、返信はこうなった。




::::::::::::::::::::

MIYA様、


早速のメール、誠にありがとうございます。

median co. 秘書課の吉田と申します。


弊社は澤村美術館に展示してある、MIYA様の作品に大変興味を持ち、

可能であれば本社ロビーに飾らせていただけないかと考えております。


直接お会いして詳細をお話ししたいと考えておりますが、

いかがでしょうか?

次のご帰国の予定はいつでいらっしゃいますか?


海外での滞在先を教えていただければ、

弊社の担当がお伺いすることも可能です。

お知らせください。


以上よろしくお願い致します。


吉田

::::::::::::::::::::




「一通目としては完璧だろう」

「今後につながるメールだな」

「期待大、ですね」



「・・・じゃ、送信する」

俺の指がちょっと震えた。



美也からの返信を待つ間、ドキドキして死にそうだ。

もう30近いのに、

まるで中学生のような自分に笑った。



そして2日後―――ようやく俺のスマホに返信が来た。




::::::::::::::::::::

吉田様、


メールありがとうございます。


しばらく日本に帰っていないので

一時帰国してもいいかなと思っていますが

今、こちらで仕事を抱えているので

帰国は早くても1-2カ月後になるかと思います。

お急ぎでしょうか?


ロンドンまで来ていただけるのであれば

担当者の方と直接お話ししても構いません。

お知らせください。



ただあの絵を譲渡するつもりはありません。

貸与ということで、お話を伺います。

いかがでしょうか?


MIYA

PS. 会社名のmedianは統計学のmedianですか?

::::::::::::::::::::



ロンドン?

ロンドンに一人でいるのか?


封印してたロンドンでの美也との思い出が

一瞬でよみがえって、机にひれ伏した。


会いたい・・・美也に。



「社長、どうしました?」

「美也からメールが来た」

「見せていただいていいですか?」

「あぁ」

そしてまた、坂上と三木下を呼んだ。




「悪い・・・俺、しばらくロンドンに行っていいか?」

「もちろんだよ。行って来い」

「俺を誰だと思ってんだ。こういうときの副社長だぞ」

「有給休暇が5年分くらい溜まってるはずですよ」

真面目なんだか、遊んでんだかわからないけど、いい仲間を持ったと思う。


そして美也に返信した。



::::::::::::::::::::

MIYA様、


では、ロンドンにて担当者が直接、詳細をお話しさせていただきたいと思います。


1週間後の11月24日以降でしたら

いつでも結構です。

MIYA様のご都合をお知らせください。


担当者は桜井と申します。


吉田

PS. ご想像通り、弊社名medianは統計学から来ております。

::::::::::::::::::::



そのあとすぐ田嶋に

「桜井」名義のメールアカウントを作らせた。

桜井はもちろん偽名だ。

美也の絵に合わせてみた。


ロンドンで俺の姿を見たら、美也はどうするだろう。

逃げるのかな?


でも、逃げても絶対捕まえる。

今度こそ離さない、絶対に。


今の俺なら―――大丈夫だと思うから。




会社を興したばかりの頃

まだ、美也と一緒にいる頃

この会社は別の名前を持っていた。


3人で、すごく適当に付けた名称だったから

全く愛着がなかった。


だからそのあと、

株式上場をするのを機に、名称を変更しようという話になった。



俺は大学で社会統計学という講義を取った。

社会学のどの講義もなかなかおもしろかったけど、社会統計学は一番好きだった。


統計学を社会学に応用する。

世論をデータで証明し、何かに変化を与える。

美也は大学でこういうことを勉強してるのか、そんなことを想いながら講義を受けていた。



統計学を勉強していると頻繁に見かける用語

median -メディアン/中央値 -

平たく言うと、普通の人のデータ。


例えば

ある年齢の身長のmedianが170cmだったら

その年齢の普通の身長がそれ、ということ。


俺はその言葉が気に入った。

何が「普通」なのかはわからないけど、「普通の人」っていう、その言葉の響きが好きだった。


そしてなにより

統計を勉強している美也に、いつも繋がっていられる気がしたから。



そう坂上と三木下に言ったら

いいね、と快諾された。

すぐに会社名はmedianに変更した。



俺は桜井アカウントで、美也にメールを送った。



::::::::::::::::::::

MIYA様


吉田から申し付かりました、担当の桜井と申します。

この度はお忙しいところ、いろいろお心遣い頂きまして、誠にありがとうございます。


ロンドンでの打ち合わせ日時の詳細は

こちらのメールに頂けると助かります。


お会いできるのを楽しみにしております。


桜井

::::::::::::::::::::



すると、すぐに返事がきた。




::::::::::::::::::::


桜井様、


桜井様のご都合の良い日時を2、3お知らせください。

折り返し致します。


MIYA

::::::::::::::::::::




吉田がすぐにチケットを手配してくれて、俺は24日午前にロンドンに着く便に乗った。

坂上と三木下は

「骨は拾ってやるから、頑張ってこい」


吉田は

「お仕事の方はご心配なく。社長が留守の間、本気モードで全てうまくさばいて見せますから」

と言った。


今まで本気じゃなかったのか?!と突っ込みたかったけど、アイツの優しさは痛いほど伝わってきたから何も言わなかった。





フライトは約12時間。

吉田はファーストクラスを押さえてくれたけど、美也にもうすぐ会えることを考えると眠れそうにない。

だから俺は、美也を美術室で初めて見てから今までのことを思い返した。



不思議だけど

美也の顔を思い浮かべると

暖かい気持ちになる。


一緒にいられなくて

辛いはずなのに

思い出すとホッとするんだ。





慌ただしい日常の中で

大変なことはたくさんある。

逃げ出したい時もある。

―――自分を見失いそうになる時も。



でも、そんなとき

美也の顔を思い浮かべると

勇気が出る。



大丈夫、俺はまだやれるって思う。

それはたぶん。



美也が俺のことを、理屈抜きで

本当に好きでいてくれたから。


世界中の人が俺を笑っても

美也だけは味方でいてくれる。


そんな気がするんだ。

そしてそれが、俺のエネルギーになってる。




美也は、俺を初めて見た時から、

俺のことが好きだったと言っていた。


俺はいつからだったんだろう?

よくわからない。



でも、美也のことはすごくよく覚えている。

美也は最初の頃、部室に来ていた。


俺はいつも仲間とトランプをしてて、他のヤツらも美術部とは全く関係のない好き勝手なことをしてた。

あそこはただのたまり場だった。



でも、美也だけが一生懸命、油絵を描いていた。

一人で、黙々と。


だんだん出来あがっていくそれは、本当に美しくて

絵ごころのない俺にもそれが素晴らしいものだとすぐにわかった。


そしてそれが完成してから

美也は部室に来なくなった。


今日は来るかな、と

毎日期待して待ってた。


でもそのうち

もう来ないな、と感じた。


ココロにぽっかり穴があいたみたいで

すこし寂しかったのを覚えている。




ずっと部室にくるもんだと思ってたから、

そのうち自然に話すようになるだろうと思ってたから、

積極的に話そうとはしなかった。


だから俺は

美也と友達になる機会を失った。



それから何度も廊下で

美也のことを見かけたけど


なんかいまさら声かけるのも

ぎこちなくて

ただ眺めてるだけだった。



でも一回だけ話す機会があった。



3年になったばかりの時

美術部の窓から桜の樹を眺めていたら

美也がそこに佇んでいた。


何か

夢の中にいるような

そんな表情をしていた。


俺は走ってお気に入りの水色のチャリを取りに行き、偶然の通りすがりを装って声をかけた。



今、思い返すと。



俺はやっぱり最初から

美也のことが好きだったのかな、と思う。



もし俺に勇気があって

美也が部室に来ている間に友達になってたら

美也のお兄さんが亡くなったときに

近くで支えてあげられたのに・・・

そう思った。



あの時

俺は何をしていたんだろう?

俺は何を見ていたんだろう?



美也はいつだって

一人で頑張っていたんだ。



―――そう思うと、泣けてきた。





俺と離れてから

美也を支えてくれた人はいたのだろうか?


きっと

美也の大学のあの3人は

今も美也の友達だろう。



もしかしたら

あの渡辺とか言うヤツは

美也の彼氏に昇格してるかもしれない。



そういえば

大学の教授から仕事をもらってるって言ってたな。

もしかしたらその教授、若いのかな?

美也のこと狙ってたのかな?


今頃気がついた。

もっと聞いとけばよかった。



おまけに、こんなことに今頃気がつくなんて、俺は相当バカだけど・・・

もしかしたら、美也はもう結婚してるかもしれない。

まぁ、その時はその時に考えるしかないな。



それにアイツ、あのとき

生活費とか学費はどうしていたんだろう?


母親は入院してたし

美也の話からすると

ちゃんと仕送りをしてくれるようなまともな父親には聞こえなかった。


父親が仕事をしてるのかも聞かなかった。


そういえば、お兄さんがなくなってから、父親は一人で暮らしていると言っていた。

お兄さんが亡くなったのは高1の秋・・・

それじゃ、美也はどこから二葉に通ってたんだ?


大学時代だって、俺が知る限り

実家には一度も帰ってなかった。



美也はいつも一人だった。



―――今わかった。



だからいつも旅に出てたんだ。

一人だって、周りにわからないように、

一人だからって、周りに気を使われないように。



みんなが誰かといるのに

自分だけ一人だったら

寂しくて耐えられない。



でも

最初から一人だったら

寂しくない。



・・・美也が同じこと言ってた、俺と離れる時。




俺はちゃんと

あの時の美也の気持ちをわかってたのだろうか?




―――わかってなかったと思う。




美也の抱えているものの大きさが

ちゃんとわかってなかったと思う。




―――誰でもいい。




俺と離れてる間

誰かが美也を支えてくれていたなら



それで美也の悲しみや寂しさが少しでも癒されたのなら

俺はソイツに感謝する。




あの時、俺は美也を守れなかった。




でも今は違う。



俺は美也に会いに行く。

美也を迎えに行く。


美也を

孤独な運命から奪いに行く。



今度こそ、俺は美也を守りたい。

俺は美也と一緒に生きて行きたい。



神様

どうか、もう一度

俺にチャンスをください。






ヒースロー空港は相変わらず人でごった返していた。

懐かしい。

俺はタクシーを拾って、親父の家に向かった。



親父はあの後

転勤で一度ロンドンを離れたけど

去年からまたロンドンにいる。



偶然なのか


必然なのか




「あ、もしもし親父?今、着いた。しばらくまた世話になる」

「家の手伝いの人たちには言ってあるから勝手に使え・・・あ、そういえば」

「なに?」

「美也ちゃん・・・今、ロンドンにいるのか?」



なんで親父が知ってるんだ?

知ってたなら早く教えてくれよ。

俺はたった一週間前に知ったばかりだっていうのに。



「なんでそんなこと聞くんだよ?」

「いや、まぁ、仕事のことだから詳細は言えないんだが・・・美也ちゃん、結構有名人みたいだな。某国の知り合いが美也ちゃんに仕事を頼みたいらくして、日本人の俺に間に入ってくれないかってさっき連絡があった」

「は?」

「それも、美也ちゃんと俺が知り合いだって知らずに」

「なんだそれ?」

「最初同名の別人かとも思ったんだが、仕事が仕事だけに調べてみたら、やっぱりあの美也ちゃんだったから驚いたよ―――話すの何年ぶりだろう?楽しみだなぁ」



「・・・親父」

「なんだ?」

「1‐2日でいいから、美也に連絡するの、待ってもらえないか?」

「どうしてだ?」


「これから―――俺、美也に会いに行くから」

「・・・」

「親父に先、越されたくない」


ははは。

耳元で、親父が笑った。


「それは構わないが―――ハルお前、美和ちゃんにずっと会ってなかったんだろう?」

「・・・そうだけど」

「くく。美和ちゃん人気者みたいだから、ちゃんと捕まえておけよ?」

そう言って親父は電話を切った。




美也との待ち合わせの時間までは

あと4時間ある。


美也と会うのは

明日にしようかとも一瞬思ったけど

もう待てなかった。


俺は15時に起こしてくれるように

手伝いの人に頼み、

軽くシャワーを浴びて

少し、横になることにした。

―――フライト中、全く休めなかったから。



待ち合わせはCホテルのロビー、16時。



15時になり、俺はもう一度シャワーを浴びて

気を落ち着かせ

シャツにチノパンというカジュアルな格好で出かけた。




親父の家からはタクシーで5分。


Cホテルのロビーにはカフェがあって

待ち合わせ場所のロビーを見渡せる。


20分前についた俺は

そこで待ち伏せをすることにした。



すると「桜井」あてにメールが一通入ってきた。

キャンセルか、と少しビビったけど

吉田からだった。



「無事に着きましたか?」

図ったようなタイミングのメール。


「今、ロビーのカフェで待ってるところ」

「ここで坂上さんと三木下さんも待機中ですよ」

俺は笑った。



「そこでずっと張ってろ」

「ずっと待機してます。何かあったら、すぐに連絡を」


こいつらは本当によくわからない。

どうも面白がってるようにしか見えない。



するともう一通メールが来た。



「5分前です」



俺はロビーを見渡した。

するとちょうど、ホテルのメインエントランスに



―――美也。



28歳の美也は・・・


基本、変わってなかった。

すぐに美也だってわかった。


でも

栗色のくせ毛だった髪が

漆黒のロングストレートになっていた。


そして


上品なラベンダー色ののベルベッド・ワンピースを着こなし・・・

おいそれ、丈が短すぎじゃないか?



更にちょっと高めのヒールでロビーを颯爽と歩き

ビーズのあしらわれた白のストールが

美也をより上品に見せる。


ロビーにいる人たちの注目を

一斉に美也が浴びている。


ちくしょう・・・知らない間に

なんであんないいオンナになってるんだよ。


でも、あのヒールだったら

俺からは逃げられないな、と

ちょっと疾しいことを考えてしまう俺もいた。




捕まえる。


俺は立ち上がり、真っすぐに美也を見た。


すると―――



いきなり瞳が合ってしまった。

美也と。



―――ヤバい



まだ美也までかなり距離がある。

50mくらい。


俺だって気がついただろうか?

気づいたよな、絶対。


美也の瞳は全く動いていなかった。

ただ

俺の瞳だけを見つめていた。


もしここで俺が瞳をそらしたら、逃げられる―――


そんな予感がして

俺は美也を見つめたまま、向かっていった。




・・・あと30m



・・・あと10m



・・・あと5m




・・・というところで俺は走った。



「つかまえた」




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