きみをさがしてた

亨珈

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図書館での邂逅

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 学園の敷地内には、学部という垣根を越えた共用部分もかなりある。その中でも一番の規模を誇るのが図書館であり、密かに連邦政府も一目置く品揃えだと言われているらしい。

 そもそも、電子情報で事足りる昨今、紙媒体でしか情報を入手できない特殊なもの以外では、図書館を利用する者は少ない。それでも、持ち出し禁止の書物も沢山あるのでこのような施設が成り立っているのだろう。しかし、それ以外にも気軽に借りられるような読み物も一通り揃えてあるところが変わっているかもしれない。スペースの無駄遣いだという者も多いが、「図書館」という特別な環境を好む人種も一定数存在するもので、常に蔵書は増え続けていて迷路のようになりつつある。

 週末に、ひょっこりとスティールはその図書館を訪れた。
 実はここでシャールの読みそうな本を物色しては、後で自宅に取り寄せているのだ。

 ついでにカラーページの多い料理本を眺めては、ほーっと感心の溜息を漏らしたり。児童書のコーナーに座り込んでは、幼い頃に読んだ絵本を眺めたりと、静かな時間を一人楽しんでいた。

 何しろ蔵書の量が半端ではないので、天井は遥か数十メートルも上、そして書物もそれと同じ高さだけある棚の中にぎっしりと詰め込まれている。それでも棚はどんどん増え続けて、通路は人がすれ違うだけの余裕しかない。けれど、ここを訪れる人が少ないから、ぶつかるどころか姿を見かけることすらまれだった。

 いつものようにIDをかざそうとして、入り口でスティールは足を止めた。

 あれ?と思う。

 誰かが急いで建物の陰に隠れたように見えたのだ。
 不審な行動だが、生徒がかくれんぼでもしているのだろうか?
 どちらかといえば大学部の敷地に近いここでそんな遊びをしている人がいるなんてちょっとおかしなことではあるけれど。

 校舎自体は一見レンガ造りに見える外観のちょっとレトロな雰囲気だけれど、学園のセキュリティーレベルは高く、部外者は建物の中には入れない。見学者もいるため構内の散策は許可されているが、それ以外は学生たちですら自分のIDを示さないと入館出来ないようになっている。

 スティールはそれ以上は気にしないことにして、中に入っていった。

 まずはシャールの分をと、機械工学の棚に向かう。そうしたら、見慣れた人影が目に入った。

「はにゃ~、珍しいこともあるもんだ」

 思わず声を漏らすと、相手も気付いて手元の書面から視線を上げる。

「んん? 俺が図書館に来ちゃわりいのかよ?」

 ざんばらな前髪を梳くようにかき上げ、じろりと睨まれて、スティールはぺろりと舌を出した。

 さほど気にしたわけではなかったらしく、スティングは本を棚に戻すとにやりと笑いながら寄ってきた。

「それよりさ、これこれ、試作品だけど」

 手を出すように言われ、手の平を差し出すと、そこに小さなシール上の物を載せられた。 爪の先程のICチップのようだ。

「なにこれ?」

 首を傾げて顔を寄せてまじまじと見つめるが、スティールにはさっぱり判らない。
 スティングは指でスティールを招くような動作をし、耳元で囁いた。

「位置情報を発信するチップ」

 言われても、ふーんそう……としか答えようがなかったが、何だか違法なものな雰囲気だ。精密機械をいじるのが趣味なことは知っているが、流石に違法行為は勘弁して欲しい。

「何に使うのよ、これ~」

 訝しげに眺めていると、突然上から声が降ってきた。

「下にいる人たち、急いでどいてー!」

 とっさにスティングはスティールを抱えて横に飛び、スティールは顔を上げて棚の上の方から急降下してくるリフターを、スローモーションのように眺めていた。

 天井まで棚があるという事は、当然普通の脚立などでは上部の本に手は届かない。指定した本を取って来てくれるロボットも配備されているのだが、自分でいろいろと背表紙を眺めて選びたい人用に、人一人が立ったまま浮遊昇降できるリフターも利用できるようになっているのだ。

 それがなんらかの要因で故障して落下しているのだ。それに乗った人間と共に!



 ガシャン! という大きな音を想像していた二人は、肩をちぢこませたままそっと目を開けた。

 リフターは床ギリギリのところで動作を停止し浮遊している。最低限の人命救助システムが働いたのだ。それでも、乗っていた人は衝撃で床に放り出されて倒れていた。

「あの、大丈夫ですか?!」

 スティールは体を起こし、膝をついたままその人の方ににじり寄る。スティールたちと同じ校章の入った制服。デザインと色の違いで、大学部の男性だと認識できた。

「ああ……なんとかね」

 呻きながら、横倒しに倒れていた男性は両手を床について体を起こした。

「すまないね、巻き込んで。全く、旧式なのはいいけど、制御不能になるなんて信じられないな」

 確かに聞き覚えのある声。そして、現れた端整な顔立ちを目にして、二人はそれぞれの理由で呆けたように動きを止めて見入ってしまった。

 濡れたように艶やかな黒髪を手櫛で整えながら、男性はゆったりと微笑んだ。紫がかった黒檀のような瞳が二人を映して……。

 スティールは、自分でも何をしているのか判らなくなった。

「ディーン! 見つけたっ」

 気が付いたときには、スティールはその男性の首に抱きついていた。

 抱きつかれた男性は勿論、スティングも口をあんぐりと開けて驚愕の表情だ。

「おおおい、スティール! 馬鹿お前何やってんだよ!」

 引き剥がそうと服を引いたのは、幼馴染が恥ずかしい行動をしているのを止めさせようということだけではなく、半分以上は嫉妬からだっただろう。
 スティングの動揺ぶりが、男性を我に返らせた。

 スティールを引こうとするスティングをやんわりと制止して、男性はぽんぽんとスティールの背を叩いた。

「可愛い女性に抱擁されて嬉しいんだけれどね、僕は君とは初対面だよ?」

 涙を浮かべて、頬を染めたスティールは体を離した。

 おい、もっと離れろ、と後ろではこっそりとスティングがまた服を引いている。

「誰と間違えてんのかしらねーけどさ、この人はローレンス・シュバルツさんだろ」

「ロ、ローレンス??」

「SSCのだよ、まさか知らないわけねぇだろ?」

 眉を寄せて、スティールはしばし考えた。そういえば、自宅のコンピュータなどにそんなロゴが入っていたような気がしないでもないような……。

「あ」

 開発会社の名前だと、大分考えてからようやく気付いたらしい。

 呆れたようにスティングは肩をすくめ、ローレンス青年はくすくすと笑っていた。

「ごめんなさい、あたし、顔は知らなくって」

 わたわたと恥ずかしそうに手を振るスティールに、更にローレンスは笑みを深めた。

「凄い、僕はもっと自分のこと有名人だと思っていたよ。でもなんか嬉しいかも」

「いえっ、こいつは本当に世間知らずっつーか、そういうの疎くって、普通は知ってますっっ」

 少女の背後から、スティングが割って入る。

「すげー本物だよ~。あぁあ、サインもらいたいのに何も持ってねぇよ~」

 ポケットを探りながら、スティングは溜め息。

「うん、じゃあ握手」

 ローレンスの方から手が差し出され、スティングは両手でしっかりと握るとぶんぶんと振った。

「光栄ですっ! 俺も電子部門の開発に興味あるんでっ」

「そうなの、じゃあ卒業前には是非我が社も受けてみて」

「はいっ」

 そんな興奮気味のやり取りの後、ローレンスはスティールにも手を差し出した。

「きみも、よろしくね」

「え……と。はい」

 おずおずと手を差し出すと、大きな手がしっかりと握り返してきた。

「あたし、スティールです。スティール・デ・ドール。高等部一年。あの、ローレンス……さん、は……ずっとここに? 全然知らなかった、です」

 どう口にしたら良いものか、スティールはたどたどしい喋り方になってしまう。
 間近でじっくりと見るだにディーンと瓜二つ、本人そのものだとしか思えない。

――私は〈狭間〉の時間軸を遡り、きっときみの居るところに転生する。だから、お願い――
 自分を見つけてと願ったディーンの言葉が実現したなら、この人はディーンだと確信している。姿だけではない。その深紫の瞳の奥に、同じ何かを感じる。
 だからこそ、自分を憶えていないローレンスに、どう接してよいのか判らなかった。

「新学期に編入してきたばかりだよ。本当は三年だったけど、大学部一年からやり直しさ。少なくとも四年間は同じ学園で生活するわけだね」

 にっこりと笑みを浮かべて、ローレンスは説明した。その語尾にかぶせるように、

「あ、オレはスティング・レスター、同じく高等部一年です」

 と会話に横入りするスティング。
 いつもと違う様子のスティールがどうにも気になって仕方ない。

 学園は初等部五~十一歳、中等部十二~十六歳でここまでが義務教育。高等部十七~十九歳、大学部二十~二十三歳の構成になっている。スキップも可能だけれど、それぞれの学年でかなり専門的な選択もできるため、スキップの逆に下の学年をやり直すケースも稀にある。ローレンスはそれを選択したようだ。

 その胸ポケットで、携帯端末が振動する気配がした。

「あ、ごめん。そろそろ行かなくちゃ」

 ローレンスは、ぐいと手を引いて、スティールも一緒に立ち上がらせると、パタパタと制服を払った。そうしていると足音が聞こえ、作業着姿の男性二人がローレンスに声を掛けた。

「申し訳ありません、整備不良でご迷惑をお掛けしたようで。念の為健康状態のチェックをしたいので同行していただけますか」

「不要ですよ、精々打ち身くらいです」

「そういうわけには参りませんので」

 断ろうとするローレンスの両脇を固めるようにして、二人は通常の入り口ではなく、用務員用の通路らしき方へ向かって行く。
 その二人の声音から、ローレンスを気遣うさまが感じ取れず、スティールは訝しげに凝視した。
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