きみをさがしてた

亨珈

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ラストワン 4 【完】

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 黙って思考するシャールの様子を眺めていた金の君だったが、流石にそれが数十分にも及ぶと口を開かずに入られなかった。邪魔をしてはいけないとローレンスと会話することすら遠慮していたからである。

「シャール。私から一つだけ」

 そっと差し出すように紡がれた言葉に、青年二人は視線を向けた。

「迷っているのなら、お行きなさい。行って納得いくまで経験してそれから帰りたくなったら〈銀〉に帰れば良いのです」

 勿論これは命令とかではなくてね、と微笑むその顔はまさに全ての母親である存在と納得せざるを得ないものだった。

「はっきり言わせてもらうけれど、あなたが迷っているだけでとても大勢の者が迷惑するの。認識してもらわないと困るのよ、あなたはもう普通の人間ではないということを」

「そ、それは僕だって解って」

 あまりにも率直な物言いに、シャールは蒼ざめローレンスですら息を呑んだ。但し表情には出さない辺りがトップに立つ者の社会的スキルである。

「いいえ解っていない。解ったような気になっているのでしょうけれど、きちんと自覚していない。あなたが暴走する度にどれだけ周りのものが翻弄されて、世界と次元の歪を修復するために労力と気力を費やしているのか知りもしないでしょう」

 有無を言わせぬ静かな言葉に、シャールはただ唇を噛み締めた。

「あなたは自分が直接関わりのある人に謝ればそれで済むと思っている。実際日常生活にはそれで十分。けれどね、ちからの影響はこの〈金〉にも〈狭間〉にも、そしてあなたたちが知らないだけで存在している他の世界にも出ているの。
 歪に一般人が落ちることもある、気象さえ変えてしまうことがある。統治者というのはそういうものなの。だから私たちは厳しく己を律してきた。ちからが感情に揺らされないように訓練もしてきた。
 成って間もないあなたにそこまで求めるのは過酷だと思いそっと手を貸してきたわ。それを恩に着る必要などないけれどもね──恋愛をしたいなら、彼の言うとおり〈狭間〉で生活したほうがいい。
 どちらにしろあなたの体はあと十年もすれば年を取らなくなる。同じ世界にいても周りだけがどんどん年を取りやがては死による別れがやってくる。
 だからあなたが〈狭間〉で一人の青年として恋をして、それがどういう結末を迎えても──それから元の界に戻り統治者として新たな生を歩めば良いのよ」

 ゆっくりと言い聞かせるように丁寧に話し終えた後、それでもしばらく考えてからシャールはおずおずと口を開いた。

「僕が、年を取らなくなる……?」

 ゆったりと金の君は頷いた。

「あなた、私が何歳だか判らないでしょう?」

 ちらりと笑みを向けられて、ローレンスも微かに頷いた。

「あなたの父君と同じように、この世界がここに生まれたその時から私はここに居るの。自分だって憶えていられない位昔からよ。
 そんな長い時をよぼよぼのおばあさんの姿で過ごしたくはないじゃない。勿論年配の人を軽視しているわけではないわ。その皺の一つ一つに尊敬するに足る知恵が刻まれている──それでも、気力体力共に一番充実している年齢の姿で過ごす方が精神衛生上も遥かに良いと思うわけ。だから私はこの姿で留めているの。
 あなたの父君は、男性形だからかしら、もう少し上の年齢だったわね。
 まあそういうのもあって、人間との混血であるあなたであっても唯一の〈ちから〉の持ち主になってしまった以上、本人の望むと望まざるとに関わらずいずれは成長が止まるわ。子を生していないから、恐らく壮年期まで成長しないでしょう」

 そのまま僅かな笑みを湛えてシャールと視線を絡ませる。言葉の意味をゆっくりと咀嚼しながら、シャールは呆然とした表情でその神秘的な深い瞳を見つめ返していた。

「──僕が、年を取らなくなる……? それは、つまり」

「そう。銀で伴侶を得るならば、子を生した時から老化が始まるの。〈ちから〉を分散させることにより肉体が老いていく。
 けれどそれまでは世界を維持しなければならないのですもの。恋愛をするにしても青年期が一番適しているのは自明の理。そこで止まってしまうわ。
 だからあの娘があなたと婚姻しない限り、どちらの世界にいたとしても二人の外見年齢は離れていくの」

 束の間息をすることさえ忘れてしまったかのように青くなり、それからサッと白さを取り戻して物問いた気にローレンスを見遣った。何を確認したいのか悟った青年は、こくりと頷いた。

「提供したい体は、丁度今の君と大差ない年齢のものだよ。培養液の中に居ても外に出たとしても、ごく普通の人間として体は年をとる。そして寿命がくれば生命活動出来なくなる。これだけはどれほど科学が発達してもどうにも出来ないことだ」

 知りたかったこと、そしてそうであって欲しいと願う内容の言葉をもらい、シャールの頬に赤みが戻った。
 もう迷うまでもなく、誰が考えてもなるべく早く〈狭間〉に行くべきだろう。
 このまま自分が〈銀〉で悶々としている間に二人の親密さが増し──或いは他の男性に心変わりするかもしれない。そしていずれはあの少女は大人の女性になり誰かと結婚し母親になってしまう。
 それを異なる世界からただぼんやりと眺めているのと、同じ世界で彼女に好かれるように努力するのとでは天と地ほどもの開きがあるではないか。

「──行きたい、です。本当にそれが許されるのなら」

 膝の上の拳と瞼をぎゅっと閉じて、ゆっくりと開いた。俯いていた面を上げると、表情を引き締めたローレンスと柔らかな笑みを浮かべた金の君が頷いた。

「理には背いていないわ。だから安心してお行きなさい。〈狭間〉でのことには私は関与できないけれど──」
「私が責任を持って彼の生活を保証します」

 よろしくね、と差し出された自分より大きな手を握り返しながら、シャールはようやくまともにローレンスの顔を見ることが出来た。
 確かに義兄と同じ顔なのに、表情が違う。あの時と状況も何もかも異なっていることは解っている。それでも、全く別の人格を持って二十数年生きてきた人なのであると初めて理解できた。

 ──もう、血の繋がった者は居ない……。
 何故だか、すとんとその事実が胸に落ちてきたのだ。
 実際は、本人が知らないだけで実母の親類が生存しているのだが、彼がその事実を知るのはまだ先の話である。

「よろしくお願いします」

 互いに力を込めた後ゆっくりと離しながら、ローレンスは説明する。住民登録の件、住処の件、移住するまでに必ず勉強しておいて欲しいことなど数点。そして、登録する名前のこと。
 ずっと使っていない名前だった。今となっては、自分のこの体とその名前だけが母との繋がりを示すものだった。

「では……シャール・ハイウォンズ・スピア。これが僕の本名です。出来れば、このままで使いたいのだけど」

 小さく口の中で復唱し、ローレンスは頷いた。

「大丈夫だよ。向こうでも取り立てて珍しい名前ではないし、そのまま使っていいだろう」

 ほっと笑みを零し、礼を言う。ふふ、とくすぐったそうに笑い返す青年に、不思議そうに首を傾げた。

「いや、なんて言っていいのかな……不思議な関係だよね、僕たち。勿論恋敵として正々堂々勝負するわけだけど、それを含めても僕は君の事も可愛くて仕方ないよ」
「か、可愛いって言われてもっ」

 実は〈銀の界〉で生計を得るために食堂を手伝っている時にも度々客に言われているのだが、それでも若干抵抗がある。男だから可愛いと言われるより格好良いと言われたいのは勿論のこと、更にローレンスの場合だと確実に格下に見られているようで更に納得がいかないのだ。
 ふふふ、と金の君も破顔した。

「確かに、可愛いわ。ごめんなさいね、男性に対して。でもね、愛されているってことよ?」
「そうですね。なんというか……そう、頭をくしゃくしゃと撫でたくなるというか、そういう類の」
「ああ、解るわ。ぎゅってしたくなるわね」

 ころころと笑みを転がす金の君とローレンスにからかわれたり宥められたりしながら、それでもしばらくしてようやくシャールは打ち解けていった。そうして長いようで短い逢瀬の時間は談笑で終わり、青年たちはそれぞれの待ち人のいる己の世界へと帰っていったのだった。





 往路と同じように視界がぼやけ、はっきりと周囲が像を結ぶより先にローレンスの胸元に飛び込むものがあった。

「お、おかえりっ、ローレンスっ」

 紅茶色の長い髪は、別れしなには綺麗に結ってあったのに、何故だかあちこち乱れて飛び出ている。それでも愛しくて堪らないその存在を胸の中に抱き込むようにして「ただいま」とローレンスは囁いた。

「ずっとここで待っていたの?」

 自分の感覚では少なくとも二時間は経過している筈だった。こちらとあちらではどうだろうと、少なからず疑問には思っていたが。

「うん。だって心配で……」

 見上げてくる大きな瞳には涙が滲んでいる。

「何処も怪我とかしてないよね? 痛いとこはないよね?」

 確認するようにあちこちまさぐられて、されるがままになって周囲を確認すると、鳥の姿のリルフィとジルファが近くの木の梢から申し訳なさそうな視線を向けていた。鳥の表情は分かり難いが、人間ならば苦笑しているのだろうと思う。
 以前にもこんなことがあったようなと既視感に襲われながら暫くそのまま立っていると、ようやく安心したのかスティールの腕が頬に伸びてきた。

「でも、時間はそんなに経ってないよ? 本当にお礼だけで帰ってきちゃったの?」

 そっと手の平で頬を撫でながら、首を傾げている。

「え? おかしいな、そんな筈は──」

 癖でいつも嵌めたままの腕時計を見ると、帰路に着いたときには夕刻に近かったものが、何故か出立して二十分ほどの時刻を示している。驚いて鳥達の方を見ると、言いたいことが伝わったのか二羽揃って肩を竦める仕草をしてみせた。

『御方様が空間ごと時間も切り取っていたんでしょうね』

 女性の声のようなものが頭の中に響いてきた。リルフィと視線が絡み、くすりと笑むような表情をされる。

『ゆったり構えていても実は忙しい人だから、今回みたいに予測のつかない事態の時にはそういうことをするくらいわけないわ。あの御方には大した労力じゃないから気にしなくても大丈夫よ』

 スティールから聞いてはいたが、実際に頭の中に直接話し掛けられるというのはおかしな気分だった。返答はどうすれば良いのだろうと一瞬考えたが、考えるまでもなかったなと苦笑して「有難いな。またよろしく伝えておいてもらえるかな」と口にした。

『わかったわ』

 それ以上口を挟む気はないらしく、リルフィはもっと高い枝まで飛んでいってしまい、それを追うようにしてジルファも舞い上がった。ここで青年に事の顛末を問い質さなくとも二人は金の君と直接会話できるから良いのだろう。
 金と蒼の残像を暫し目で追った後、ローレンスは胸の中の少女と一緒に土手の草の上に腰を下ろした。

 念の為時間にはゆとりを取って仕事を抜けてきてはいるのだが、帰ったら挨拶程度に少女と会話してすぐに帰宅する予定だった。秘書のアンジェラはここまで送ってきた後一旦帰社してまた夕刻に迎えに来ることになっていた。この様子だと少しはゆっくり出来そうだ。

 君になんといって報告しよう──。

 川面にきらきらと反射する光を眺めながら、乱れた髪をそっと撫で付ける。

 近い内に君を驚かせるとびきりの贈り物があるんだよ。
 言葉はまた胸の中でだけ呟いた。

 これは、僕が示すことの出来る最高の愛の形。愛しているなんて言葉では表現できないほどに、大切な大切なただ一人の存在として魂に刻み込まれているきみへの。

 きみのためなら何もかも投げ出してしまいたいと思う反面、誰にも判らない場所に隠して僕一人だけのものにしてしまいたいという欲求がある。なんと愚かしい感情があったものか。この年になるまで知らずにいた。

 全てを打ち明けた有能な秘書は、僅かに苦笑した後に頼もしそうに艶然と微笑んだものだ。

 ──それでこそ私のお育てしたローレンスさまね。
 ──誰にも負けない、世界一の男になりなさいな。

 だから、負けるわけには行かないし、負ける筈はないと確信している。



 さあ、最愛のきみよ……最初で最後の、素晴らしい恋をしよう。





Fin.


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ご愛読ありがとうございました。
長期間かけて書き上げた2つの作品を1つにまとめながら改稿しています。
一作目がスティールとシャールメインなため、恋愛要素が少なく殆どカットしております。
その為、説明不足な部分も多々あるかと思われますが、ローレンスとスティールの恋愛ということで、このような形におさまりました。
1ヶ月ほどの連載でしたが、お付き合い感謝です。
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

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