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私は鈴木じゃない
公園の入口で園内を覗きながら、私はスマホで通話していた。
「えーっと……はい、いました」
木製の対面式ベンチに腰かけている老婆の姿が遠くに見えた。
「分かりました。今から始めます」
電話越しに会話をしている相手は会ったことも名前も知らない人物だ。私は指示通りに行動するのみ。通話を切ると、硬い表情で公園内に足を踏み入れた。
このスーツを着るのはいつ以来か。ブラックだった企業とはいえ、まだ真面目に派遣社員をしていた頃だ。契約を切られていなければ、今でも嫌々ながら働いていただろう。
「北島絹江さんでしょうか」
声をかける時には、私は明るい笑顔になっていた。かつて受付業務でマスターしたテクニックが、こんな時に役立つなんて。
老婆の年齢は七十八歳と、事前に聞かされていた。着古した服にふくよかな体、おっとりした表情に困惑をにじませながら見つめ返してきた。
「私、北島達也さんの部下で、鈴木といいます。北島さんが急用で来れなくなった代わりに受け取りに来ました」
「そうでしたか。暑い中、わざわざご足労を……」
重そうな体で立ち上がり、丁寧におじぎをしてくる。温和な顔つき、ゆっくりとした口調はその人柄を端的に現していた。朴訥で何も疑うことのない、お人好し。まさに我々の獲物にふさわしい。
「どうぞ」
老婆は向かいの席を勧めてくるが、私は立ったまま続けた。
「すぐに会社に戻らなければいけないので」
「じゃあ、これを。息子のために買ってきたんだけど、若い娘さんのお口に合うかしら」
ペットボトルのコーラを差し出してきた。私が受け取るべきものは、これじゃない。
息子はたしか四十九歳だ。いい大人がこんなものを飲むとは。いや、老婆にとっては、息子はまだ十代の感覚でいるのだろう。
「……ありがとうございます」
仕方なく受け取ろうと手を差し出すと、老婆は指差してきた。見ると、私のスーツの袖のボタンがほつれて落ちそうになっていた。
「今、つけてあげますからね」
老婆は裁縫セットを取り出してきた。
「いえ、大丈夫です」
「いいからいいから、遠慮しないで上着を脱いで」
「それよりも早く……」
ぐずぐずしている暇はない。早く用を済ませないと。けれども焦って、老婆に警戒されても困る。おとなしく従うことにして、上着を渡し、向かいに座った。
ボタンを縫い直してもらっている間、私は周囲を見回した。犬を散歩させている主婦、ジョギングしているおじさん、幼い子供を連れている母親……ごく普通の光景だ。誰も私たちを怪しむ者はいない。
「鈴木さん……お仕事、大変? 鈴木さん?」
「えっ?」
そうだ、私は鈴木なのだ。すぐに反応しなければ。
「息子は忙しい忙しいって、帰ってこないどころか連絡もよこさないのよ。こんな時だけ親を頼って」
そう言いながらも、老婆は何となく嬉しそうだった。
「鈴木さんの親御さんはご健在?」
「……私のところは母子家庭で、ずっと会ってないです」
「あら、うちと同じね」
「母に迷惑かけないよう、奨学金で大学に行ったんですけど、返済がきつくて……」
私は我に返った。何をペラペラと喋っているのだろう。
「はい、終わり」
老婆が上着を手渡してくれた。
「本当にありがとうございました」
「これもね」
分厚い封筒も差し出してきた。そう、これが目当てなのだ。なのに、私はなぜかすぐに手が伸びなかった。
「息子によろしくと伝えてね」
老婆は相変わらず笑顔のまま、無理やりに封筒を手の中に押し込んできた。
私は無言のまま一礼すると、背を向けて急いで歩きだした。
通りに出た瞬間、行く手を塞がれた。背広を着た二人組の男性である。
「警察の者ですが、ちょっとよろしいでしょうか?」
いつかこうなる運命と覚悟はしていたが、何とあっけないことか。抵抗する気力もなく、私は彼らの説明を黙って聞いていた。
「先日、とある詐欺事件がありましてね。防犯カメラをチェックしていたら……」
その時、後方から声が響いてきた。
「鈴木さん!」
老婆が後方から追いついてきた。大きな体を揺らし、息せき切って。
「忘れ物よ!」
ペットボトルのコーラを手渡してきた。こんなもののために、わざわざ。
「こちらの方とはどういうご関係ですか?」
刑事が老婆に尋ねた。
「息子の会社の人なの。鈴木さん、早く行きなさい。急いでいるんでしょう?」
私は何も答えられずにいた。刑事が割って入ろうとした。
「この人はですね……」
「鈴木さん、話し相手になってくれてありがとう。また来てね」
どこまで、いい人なんだ。これだから簡単に騙されるのよ。
「これ、お返しします」
封筒を突き出したが、老婆は拒んだ。
「これは鈴木さんのために……」
「刑事さん、行きましょう」
目を合わせられなかった。これ以上、一緒にいたら、私はこらえきれなくなってしまう。
「鈴木さん!」
お婆ちゃん、ごめんなさい! 私は鈴木じゃないんだってば!
(了)
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