魔法学園の悪役令息ー替え玉を務めさせていただきます

オカメ颯記

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霧の中

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「行けないって?」
 俺の知らないうちにけがをしたのか、それとも病気?
「ちょっと休みましょう」

 魔獣が出るとずっと緊張していたから、体調が悪くなったのだろうか。俺は王子を岩陰に連れていく。
 どこかで毒でも吸ったか? ひょっとしてあの光る植物を食べてみたのかな?

「あの、どこか怪我でもされているとか。お腹が痛くなったとか……」
 王子はうなだれたまま首を振った。
「足をくじいたとか……では、ありませんよね」

 王子は青い顔をしたまま、首を振る。いつもの彼とは違う。俺は戸惑う。いつものアーサー王子ならば軽い笑みを浮かべながら、むしろ俺を鼓舞して山登りをするはずなのに。岩に腰を下ろした王子はその場に縫い付けられたように動かない。

「すまない。私は……」
 アーサーはそこまでいって口を結んだ。これ以上は、明かせない秘密があるかのように。

「いいですよ。急ぐわけでもないでしょう」俺は肩をすくめる。内心、心配だが仕様がない。

「荷物、お借りしますよ。先ほどの魔道具はどこに……ああ」

 俺は焚火を再現し、それから先ほどアーサー王子がしていたように湯を沸かそうとした。水筒の中の水は空だった。洞窟で汲んでくればよかった。俺はあたりを見回す。湖があるくらいだから、どこかに水場はないだろうか。

 そんなことをしながらも、王子の様子を窺った。彼は岩を背に座り込んで動かない。

 あの豪胆に見えるアーサー王子がこのような反応を見せるとは。俺は内心驚いていた。
 そんなに魔獣が怖かったのだろうか。
 アーサー王子は魔獣ごときで立ち直れなくなる弱い人間には見えないのだが。

 それとも、塔に登りたくないのだろうか。洞窟でアーサー王子が言っていたことを思い出す。彼は王位を受け取りたくないといっていた。フェリクス王子が皇太子になればいいとも、繰り返していた。彼はあの塔に登って儀式を行うことを、彼は拒絶している?

 俺は岩場を透かし見た。

 このまま岬まで行って岩場を登れば、塔に上ったことになるのだろう。そして最初に上ったものが精霊の恵みを受けて王になる。
 俺がアーサー王子の取り巻きたちだったら、背負ってでも王子を塔に連れて行ったかもしれない。
 だが、俺は無理強いしなかった。北の民である俺には誰が王位につくかなどどうでもいい話だからだ。

「すまない。やはり私には、無理だ」
 王子はうなだれたまま、頭を抱えている。

「無理をしなくてもいいですよ」
 俺はアーサーに優しく声をかけた。
「待っていてください、ちょっと水を汲んできますね」

「まて、君」

 慌てたように俺を止める声を振り切って、湖のほうへ向かう。
 上からのぞき込むと湖は深い緑色の水をたたえていた。息をのむような美しい水の色だ。ただ、この赤い岩山に囲まれた光景は、不気味だった。本当にこれは湖なのか。何か俺の知らない秘密があるように感じられる。どこかに水をくむことができる岸はないだろうか。
 湖に降りる道を探していると、鳥が水面をすべるように飛んでいるのに気が付く。白い鳥だ。

 まさか、あれが魔獣?王子の説明していた恐ろしい悪霊には見えない。どう見てもただの鳥なんだけどな。

 白い鳥は俺のほうに近づいてきて、そばの岩棚にふわりと止まった。見たこともない種類の大きな鳥だった。羽を広げると俺の手を広げたくらいの大きさはあるだろう。雪のように白い羽がつやつやと輝いて見える。大きな赤い目がこちらに向いている。その神秘的な目を見ていると吸い込まれそうな気がする。

「やぁ」俺は挨拶をしてみた。「水辺におりたいのだけど道を知らないか?」
 鳥はふわりと優雅に飛び立った。そして少し離れた場所に舞い降りる。

「ひょっとして案内してくれてる?」
 あの猫のように。

 俺は鳥の後を追う。
 鳥は湖と反対側の岩山の上に降りたった。

「そっちでいいのか?」半信半疑ながらも鳥の止まった岩の先を覗いた。

「お?」
 岩の間から水が湧いて、小さな池ができていた。水底の石の一つ一つが数えられるくらい透き通った水だった。俺の顔が鏡のように映し出される。

「この水は飲めるのか?」

 もちろん鳥は何も言わない。俺はそっと水に手を入れてみる。冷たい水が乾いた皮膚に潤いを与えてくれる。すくって一口飲んでみた。乾いた空気になれた喉に染み渡る。たぶん飲むことができる水だろう。俺は用心深く水を水筒にくんだ。

「お茶を沸かしてみよう。少しは元気が出るかな?」

 周りは静かだった。俺と鳥のほかに動くものは見当たらない。時々神経を集中して気配を探ってみたが、無意味な行為だった。とても平和で安全だった。こんな変な化け物が出るような場所にいるのに。俺の気分は落ち着いていた。
 本当にこのあたりに魔獣が出るのかな? 

 戻ってみると、王子は目を閉じていた。俺といる間は気をはっていたのだろう。休息の邪魔をしないように、こっそりと湯を沸かしてお茶を作る。鳥は俺についてきて、面白そうに作業を見ている。先ほどのネズミといいこの鳥といい、ここの動物は人を恐れていない。

「あまり警戒心がないと、食べられるぞ。おまえ」
 俺は鳥の目を覗き込んだ。鳥はこちらの言葉が分かるかのように首をひねる。

「ラーク」
 呼びかけに振り向くと、王子がこちらに目を向けていた。

「……はい、なんですか?」

 王子のぼんやりした視線が定まった。
「ああ、君か?」

「お茶を入れてきましたよ」

 振り返ると鳥はいなかった。どこかへ行ってしまったようだ。

「ここの水は飲めるのかわかりませんけどね」
 毒見をしてみたけれど、俺の体調には変化はない。

「危ないかもしれないですが、どうします?」

「いただこうか」
 王子はお茶を手に取って飲んだ。

 王子はしばらく黙っていた。長い沈黙の後、王子はやっと口を開いた。

「無理だ。ここから先に進むことはできない。やはり、私には資格がないのだ。どうしてもここから先、進む気がおこらない」
 王子は小さな声で告白した。

「体調が悪いのでしょう? 余計なことを考えないほうがいいと思いますよ。あの洞窟変でしたからね。また、機会がありますよ」
 俺はあえて明るくそう答えた。

「君は、本当に君自身は塔に上ろうと思わないのか?」
 王子は俺を凝視している。
「上れと言われていないのか」

 登ってどうなるのだ? 俺が王になる? ランドルフ様、万歳といわれて俺はうれしいだろうか? 背筋がぞっとしたので想像するのはやめた。誰も得をしない展開だな。

「デリン家は君にそういう命を与えていないのか?」

「まさか」

 彼らが望んでいるのはローレンスを見つけ出すことだけだ。俺が王になることはだれも望んでいない。デリン公もデリン夫人も、見ているのはローレンスで、俺ではない。俺は彼らにとっては死んだものであり、ローレンスの陰だから。

「やはり、君は……すまなかった」
 王子は俺と目を合わさずに下を向いている。何に謝るというのか。俺は肩をすくめる。

「気分が悪いのでしょう。変な穴の中にいたから。なんとかして、帰りましょう。結界はどうやって抜ければいいのですか?前回は?」
 前に来たというのだから、帰る道を知っているのだろう。俺の期待に反して王子は首を振る。

「実はよく覚えていないのだ。気がついたら、学園にいた。私は、前のときには逃げてしまったから」
 王子は感情をこらえるように口を結んだ。

「おかしいだろう? 私は彼の救いになるつもりだったのだ。なのに、結局……」

 俺は息をついた。いまなら、王子に質問することができるかもしれない。

 ローレンスは、どこに行ったのですか?

 どこかで声がした。大勢の人の声だ。風に乗って、誰かが話しているのが聞こえる。

 俺たちははっとして、顔を上げた。

「誰でしょう?」

「待て、出るな」王子は低い声で俺を制した。

「……なんでだ……」「おかしいだろ」
 霧が立ち込めてきた。濃いあたりを覆い隠すような霧だ。自分の手すら見えなくなるほどの霧に、俺は慌てて魔道具を回収する。

「王子?」

 空気が湿り気を帯びていた。手で触れた大地に草が生えている。俺はあたりを見回した。第一王子と目が合う。王子は冷静だった。先ほどまでの苦悩と狼狽は消え、いつもの落ち着いた王子に戻っていた。

「結界が解けた」
 彼は一言で説明して、音を立てるなと手で合図をした。俺は姿勢を低くする。

 俺たちがいるのは塔に通じる道の脇にある遺跡の陰だった。このあたりは探索していたから、よく知っている。古い建物の残骸の陰で、草が生い茂っていてちょっと見には人がいるとはわからないような場所だった。
 やがて、怒鳴り声、弁解する言葉。きれぎれに不愉快な音が聞こえてきた。

「ありえないだろう」「あんなに苦労したのに……」
 何者かが不平不満をあらわにして俺たちの脇を通っていった。そのあとに、足を引きずるような足音。

「いったい何なんだよ……」
 王子がそっと通り過ぎる相手を観察している。

「なんですか? 彼らは?」

「……儀式の参加者だ。君の友達もいたぞ」
 イーサンのことだろうか。王子は立ち上がって、服の埃を払った。

「そろそろいいだろう。ここで、わかれよう」
 王子は手を差し伸べてきた。
「世話になった」

「いえ、こちらこそ」俺は手を借りて立ち上がる。

「私たちが一緒にいたことは秘密にしておいてくれ」
 手をつないだまま王子はいう。
「弟に知られると、厄介だ。ラークは彼のお気に入りだったから」

「僕は違いますよ」
 俺が言うと、王子は笑った。

「今回は世話になった。恩に着る」
 王子はその言葉を残すと、ゆっくりと背を向けて立ち去った。霧の名残消える彼の背中は、孤独で、重荷を背負うには小さく見えた。

 王子が立ち去った後、俺はもう一度草むらに座り込んだ。湿り気を含んだ大地の冷たさが這いあがってくる。俺は記憶石を服の上から握りしめたままだった。

 一体、ローレンスと第一王子の間に何があったのだろう。彼らのことを考えると胸が騒いだ。
 機会を逃してしまった。そう、俺は思う。
 今、第一王子にそのことを聞いても絶対に答えてくれない。奇妙な確信がある。

 ローレンスの記憶をのぞけば、その謎が解けるのだろうか。俺はもう一度強く石を握ってみた。石はいつもと変わらず何の反応も起こさなかった。

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