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第3章
第47話「ノクスとグリオールの出会い」
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「う~む……。この資料でもないか。さすがに古いものは残っていないのでしょうかね?」
資料室ではノクスとレオンが、古びた資料の山を前に黙々と作業を続けていた。
紙の擦れる音が、静まり返った資料室に薄く滲む。
ノクスは手にしていた書物をぱたんと閉じ、指先についた埃を払う。
「ノクス様、ここの棚の上の箱も下ろしますか?」
棚の最上段を見上げて、レオンが静かに尋ねた。
「そうですね。じゃあお願いします」
頷くと、レオンは無言で脚立を運び、足場を確かめてからスッと登った。
「……しかし、こうしていると思い出しますね。初めてグリオールと会った時を」
何気なく零した言葉に、レオンの動きが、ほんの一瞬止まる。
「…………!」
棚の上に置かれた箱に触れかけていた指先が、かすかに強張るのが見えた。
「おや? やはり自分の主人の話となると興味がありますか?」
「す……スミマセン」
レオンは慌てて箱を両腕に抱えて降りてくる。
「実は、グリオールと初めて会ったのもこの資料室でした。あの頃、僕はまだ係官で、毎日仕事に追われていましてね」
視線を部屋の奥へ滑らせる。
狭い窓から差す細い光が、積もった埃を粒立てて見せる。
「その時、資料室から良い匂いが漂ってきたんです」
「匂い……ですか?」
レオンの瞳が、かすかに揺れた。
表情は崩さない。だが、声に柔らかい色が混じる。
「はい、紅茶の香りでした。あまりにも香りが強くて、つい誘われるように足を運んでしまったんです」
記憶の温度が、室内のひんやりとした空気に少しだけ熱を足す。
「資料室に入ると、グリオールが机に紅茶を置いて、のんびりしているんですよ。まるで仕事をサボっているみたいに。最初はちょっとイラっとしてしまいましたね」
ノクスが自嘲気味に笑うと、レオンもつられたのか口元がわずかに動く。
「……目に浮かびます」
「『何をしているんですか、こんなところで』と声をかけたら、彼はにやりと笑って、『紅茶を飲んで休憩しているだけよぉ~』と答えたんです」
その光景を思い出し、思わずクスッと笑ってしまう。
「最初は言い争いになりました。でも、喧嘩しているうちにふと紅茶の香りに気づいて、紅茶の話をするようになったんです。僕も紅茶には目が無くて」
「それで、紅茶で意気投合したと?」
レオンの声はいつになく穏やかだ。
主人の話となると、やはり興味を引かれてしまうのだろう。
「グリオールが淹れていた紅茶が本当に美味しくて、それがきっかけで少しずつ会話が弾んでいきました。今では紅茶の話で盛り上がることが多いんです」
「それで、今では親しい関係に……」
「そうですね。あの時の紅茶が、僕たちの絆を結ぶきっかけになりました」
箱を受け取り、中を改める。
レオンは少し身じろぎして、視線を落とした。
「……そう、なんですね」
声が、ほんのわずかに低い。
ノクスはそこで、ふと聞いてみることにした。
「レオン君は、どうなんです?」
「え……?」
「思えば、君とグリオールの出会いはあまり聞いたことがないなと思って」
レオンの手が止まる。
「……出会い、ですか」
しばしの沈黙の後、レオンは静かに口を開いた。
「俺は……あの方に出会ったとき、取り返しのつかないことをしてしまいました」
(取り返しのつかないこと……?)
「自分でも、どうしてあんな真似をしてしまったのか……。当時は、それほど追い詰められていたんだと思います」
レオンは深く息を吸い、呼吸を整えようとするように肩を上下させた。
一度、静かに目を閉じる。
そして、ゆっくりとまぶたを開くと――そこには、覚悟を宿した光が戻っていた。
「それでも俺を傍に置いてくれる。だから俺は……あの方にこの身を捧げ、一生をかけて罪滅ぼしをしていくと決めました」
ノクスは机の端に箱を置き、埃を手の甲で払いながら呟く。
「君が自分でそう決めたのですね」
「はい」
(罪滅ぼし、か。……何か、彼らの間に余程のことがあったのかもしれない)
ノクスは、言葉をそこまでに留めた。
これ以上は、今の彼にとって不要な重さを与えるだけだろう。
しばし、資料室には紙の匂いだけが漂っていた。
レオンは黙々と箱の中身を整えているが、その手つきにはどこか力がこもりすぎているように見える。
この空気を長く引きずるのは得策ではない――そう判断したノクスは、軽く肩の力を抜き、口元に笑みを乗せた。
「……さて、そろそろ次の棚に移りましょうか。上段は僕が索引を読みます。危ない足場は任せてばかりでは申し訳ないので」
意図的に調子を軽くした声に、レオンが小さく瞬きをしてこちらを見る。
「いえ、それは俺の仕事です」
「……では、半分こしましょうか」
「……了解」
ほんのわずかだが、先ほどまでの硬さが和らいだように思う。
レオンは脚立に手を掛け、軽く足場を確かめてから登っていく。
その動きに迷いはない。ノクスは、彼の足元が確かであることを確認し、そっと紙束に目を落とした。
「おや? これは……。もしかしてこれが管理簿でしょうか」
ノクスは紙束を両手でそっと持ち上げ、表紙に目を落とした。
文字を追っていたノクスの指先が、ある一点で止まる。
「……これは、一体……?」
ページの端をかすめる風が、かすかに埃を舞い上げる。
資料室に、ふたたび静寂が満ちた。
だがその静けさは、先ほどまでの穏やかなものではなかった。
資料室ではノクスとレオンが、古びた資料の山を前に黙々と作業を続けていた。
紙の擦れる音が、静まり返った資料室に薄く滲む。
ノクスは手にしていた書物をぱたんと閉じ、指先についた埃を払う。
「ノクス様、ここの棚の上の箱も下ろしますか?」
棚の最上段を見上げて、レオンが静かに尋ねた。
「そうですね。じゃあお願いします」
頷くと、レオンは無言で脚立を運び、足場を確かめてからスッと登った。
「……しかし、こうしていると思い出しますね。初めてグリオールと会った時を」
何気なく零した言葉に、レオンの動きが、ほんの一瞬止まる。
「…………!」
棚の上に置かれた箱に触れかけていた指先が、かすかに強張るのが見えた。
「おや? やはり自分の主人の話となると興味がありますか?」
「す……スミマセン」
レオンは慌てて箱を両腕に抱えて降りてくる。
「実は、グリオールと初めて会ったのもこの資料室でした。あの頃、僕はまだ係官で、毎日仕事に追われていましてね」
視線を部屋の奥へ滑らせる。
狭い窓から差す細い光が、積もった埃を粒立てて見せる。
「その時、資料室から良い匂いが漂ってきたんです」
「匂い……ですか?」
レオンの瞳が、かすかに揺れた。
表情は崩さない。だが、声に柔らかい色が混じる。
「はい、紅茶の香りでした。あまりにも香りが強くて、つい誘われるように足を運んでしまったんです」
記憶の温度が、室内のひんやりとした空気に少しだけ熱を足す。
「資料室に入ると、グリオールが机に紅茶を置いて、のんびりしているんですよ。まるで仕事をサボっているみたいに。最初はちょっとイラっとしてしまいましたね」
ノクスが自嘲気味に笑うと、レオンもつられたのか口元がわずかに動く。
「……目に浮かびます」
「『何をしているんですか、こんなところで』と声をかけたら、彼はにやりと笑って、『紅茶を飲んで休憩しているだけよぉ~』と答えたんです」
その光景を思い出し、思わずクスッと笑ってしまう。
「最初は言い争いになりました。でも、喧嘩しているうちにふと紅茶の香りに気づいて、紅茶の話をするようになったんです。僕も紅茶には目が無くて」
「それで、紅茶で意気投合したと?」
レオンの声はいつになく穏やかだ。
主人の話となると、やはり興味を引かれてしまうのだろう。
「グリオールが淹れていた紅茶が本当に美味しくて、それがきっかけで少しずつ会話が弾んでいきました。今では紅茶の話で盛り上がることが多いんです」
「それで、今では親しい関係に……」
「そうですね。あの時の紅茶が、僕たちの絆を結ぶきっかけになりました」
箱を受け取り、中を改める。
レオンは少し身じろぎして、視線を落とした。
「……そう、なんですね」
声が、ほんのわずかに低い。
ノクスはそこで、ふと聞いてみることにした。
「レオン君は、どうなんです?」
「え……?」
「思えば、君とグリオールの出会いはあまり聞いたことがないなと思って」
レオンの手が止まる。
「……出会い、ですか」
しばしの沈黙の後、レオンは静かに口を開いた。
「俺は……あの方に出会ったとき、取り返しのつかないことをしてしまいました」
(取り返しのつかないこと……?)
「自分でも、どうしてあんな真似をしてしまったのか……。当時は、それほど追い詰められていたんだと思います」
レオンは深く息を吸い、呼吸を整えようとするように肩を上下させた。
一度、静かに目を閉じる。
そして、ゆっくりとまぶたを開くと――そこには、覚悟を宿した光が戻っていた。
「それでも俺を傍に置いてくれる。だから俺は……あの方にこの身を捧げ、一生をかけて罪滅ぼしをしていくと決めました」
ノクスは机の端に箱を置き、埃を手の甲で払いながら呟く。
「君が自分でそう決めたのですね」
「はい」
(罪滅ぼし、か。……何か、彼らの間に余程のことがあったのかもしれない)
ノクスは、言葉をそこまでに留めた。
これ以上は、今の彼にとって不要な重さを与えるだけだろう。
しばし、資料室には紙の匂いだけが漂っていた。
レオンは黙々と箱の中身を整えているが、その手つきにはどこか力がこもりすぎているように見える。
この空気を長く引きずるのは得策ではない――そう判断したノクスは、軽く肩の力を抜き、口元に笑みを乗せた。
「……さて、そろそろ次の棚に移りましょうか。上段は僕が索引を読みます。危ない足場は任せてばかりでは申し訳ないので」
意図的に調子を軽くした声に、レオンが小さく瞬きをしてこちらを見る。
「いえ、それは俺の仕事です」
「……では、半分こしましょうか」
「……了解」
ほんのわずかだが、先ほどまでの硬さが和らいだように思う。
レオンは脚立に手を掛け、軽く足場を確かめてから登っていく。
その動きに迷いはない。ノクスは、彼の足元が確かであることを確認し、そっと紙束に目を落とした。
「おや? これは……。もしかしてこれが管理簿でしょうか」
ノクスは紙束を両手でそっと持ち上げ、表紙に目を落とした。
文字を追っていたノクスの指先が、ある一点で止まる。
「……これは、一体……?」
ページの端をかすめる風が、かすかに埃を舞い上げる。
資料室に、ふたたび静寂が満ちた。
だがその静けさは、先ほどまでの穏やかなものではなかった。
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