<完結>音のないプロポーズ

神屋 青灯

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音のないプロポーズ 10

 
 だが、月曜日になっても、火曜日の朝を迎えても、春直は眠ったままだった。

 晴れない気持ちを持て余し、氷影と斗南は仕事前の早朝、何度も連絡を取り合った。今日も雨だねとか、時計の電池が切れたとか、何の脈絡もない、返答に困るようなことを互いに送る。
 だが、送信操作をした途端、雨は事故を、時計は止まった刻を示唆するかのように、どれもが勝手に意味を持ち始めた。どんなに無関係な話題をしようとしても、恐ろしいほどに春直と結びついてしまうのだ。洗濯かごが満杯だ、というメッセージに、へたり込むほど悲しみを覚える人間は、そうそういないだろう。
 こんな頻繁なやり取りは、入社一年目の時、氷影が初めてのプレゼンを任されて以来だった。その頃はまだ帰宅がバラバラで、居酒屋で語り明かすような習慣がなかったから、よくスマホでメッセージを飛ばし合った。やっぱり話していないと不安で、取り留めもなくあれこれ言って一晩明かしてしまった。当然、春直も一緒だった。彼は口ではあまり冗談を言わないけど、スマホになると思いがけないコメントや画像を送って来たりして、二人はよく自宅で笑い転げたものだ。
 このやり取りそのものが、混ざって来ない春直の不在を際立たせていたかもしれない。だが、二人が話していれば、そのうちひょこっと顔を出すのではないかとも思っていた。春直は朝がめっきり弱くて、出遅れた!と慌てて参入してきたりすることがよくあるのだ。
――来るなら、案外ふつーに「いま起きた」だろうな。
――あ、そんな感じする。「なんか病院にいた」とかって送ってくるの。
――そうそう。こっち、とっくに知ってるわ! ってね。
 思い切って春直の話題に触れてみれば、その方がずっと気持ちが落ち着いた。このやり取りは、春直のスマホにも履歴が残る。目を覚ましてから「勝手言い過ぎだろ!」と春直が怒るくらい書いてやろうと思うと、俄然気力が湧いてきた。こうしてる間は、彼がこれを読むことは必然だと感じられた。

  ◇
 
 仕事の合間も、隙を見ては短い一言を交換した。
 斗南は日に何度かお茶汲みをするので、沸騰を待つ間などは恰好のチャンスだ。昼食後の給湯室でスマホを出し、以前うんと苦いお茶を春直だけにイタズラして手渡した話を書いた。あの時の春直の神妙な顔は、未だに思い出すだけで笑えてくる。どう言えばその表情が氷影にも伝わるか、頭を捻っていると、不意に背後から声が掛かった。
「またスマホ見てるのかい」
 驚いて、思わずスマホを取り落しそうになった。覚えのある声に慎重に振り返ると、やはり扇雅せんがが、給湯室の入り口に腕を掛けている。
「そんなに気になるのか。実崎のことなんだろう」
「すみません」
 肩をすくめ、急いでスマホをしまった。だが扇雅はそのまま室内に入ってくる。狭い給湯室は、長身の扇雅で一気に暗くなった。斗南が湯沸かし器を確認する。沸騰にはまだ少し時間が掛かりそうだ。
「容体はどうなの。目は覚ましそう?」
 扇雅に問われ、斗南はあいまいに頷く。今日まで結局、容態の進展はほとんどない。目を覚ますに決まってる、とは思っていても、先輩社員に素人の希望を言うわけにもいかなかった。
「今度、俺も見舞いに行かなきゃな。なんといっても、同じ課で二人きりの大事な部下なんだから」
 言いながら、扇雅はカップのひとつにコーヒーの粉を大量投入した。急須に茶葉の用意はあるが、彼は緑茶を嫌う。斗南は居心地悪げに、狭い部屋の隅へと寄った。
「ああ、比野さん」
 その時、同僚の女性が給湯室に顔を見せた。扇雅の影でほとんど姿が見えないが、息が切れているところから、どうやら急いで走ってきたようだ。
「課長が呼んでるよ。至急来てくれって」
 彼女は可愛らしい声をハキハキ使って指示を届けてきた。見た目もオシャレで、ザ・可愛いを地でいくような女性だが、仕事に関しては男顔負けの段取りで猪突猛進していく。そのギャップのせいか、女性の少ないこの会社では、大多数の男性が彼女に好感を抱いている。
「お茶なんかいいから、早く早く」
 扇雅の脇から細い手が伸びてきて、斗南を廊下へと引っ張り出した。扇雅があからさまに不満の気配を醸す。まだ話は終わっていない、そういう圧が込められている。
「あの、私……」
「いいから。お茶なんて女が厚意で淹れてあげてるんだから、無い日があったって構やしないわよ」
 さあ、と背中を押され、斗南は会釈してフロアに戻った。取り残された扇雅が苦笑いをする。
「じゃあこれね、俺はコーヒー…」
「ご自分でどうぞ。大体、もう沸いてるじゃないですか。お湯くらい勝手に注いでください」
 彼女はにべもなく言い放つと、返事も聞かずに去って行った。


 斗南が小走りに戻ると、桃ノ木が手招きをしていた。部下を見渡せる課長デスクの後ろで、ブラインドを背に立っている。
 本当なら桃ノ木は今日、出張明けで代休の予定だったが、春直の事故による欠員と社員の動揺を考慮して、朝から出社している。斗南と氷影にも真っ先に「ちゃんと寝てるか」と声を掛けてくれた。深刻な顔で言いつつ、さりげなく手渡す出張土産がご当地キャラクターのほんわかしたおまんじゅうという、お茶目な一面を持った人でもある。
 斗南がデスクの後ろまで寄ると、桃ノ木は少し声を潜めた。

「重要な仕事があってね。頼まれてくれるかな」



 (つづく)
 
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