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音のないプロポーズ 23
一方、斗南の到着を待ちわびていた春直は、その報せを目にして顔色が曇った。
――扇雅さんが同行しています。もう地下鉄です。
丁寧語なのは、すぐ隣に扇雅がいるからなのだろう。
春直は焦った。
仮にも会社の先輩だ、失礼な恰好もしていられなければ、友達を迎えるような気の抜けた態度でもいられない。居住まいを正す必要がある。
慌てて薄手の羽織の中から一番まともなものを被り、手ぐしで髪のハネをごまかし、茶くらいは出せるよう準備をした。すべて、ベッドの上でできる程度のことだが、室内を見渡してもこれ以上はもてなせる要素がない。
そしてあっという間にドアをノックする音がした。
「比野です。お見舞いに来ました」
斗南は同期だというのに、他人行儀だった。返事の代わりに机を小さくノックして応える。斗南がドアを静かに開け、そして目上に先を譲ったのだろう、入ってきたのは扇雅だった。
「やあ。久しぶりだな」
扇雅はネクタイを直しながら言った。続けて斗南が入室してきて、背後でこっそり手を合わせている。ごめん、と言っているようだった。春直は扇雅に頭を下げる。
「ふうん。思ったほど怪我してないね」
ジロジロと顔を覗き込んだかと思えば、喉に目を向けた。声のことは、無論、桃ノ木から聞いている。もっとあからさまな傷があると思ったのだろうか。それから適当に室内を見回し、ある物に目を止めたかと思えば、そのまま口に出した。
「お、松葉杖だ」
昨日からリハビリに導入されていた。まだ使うことはできない。支えに立つ練習だけだ。
「もう歩けるのか」
いいえ、と首を横に振ったが、扇雅にはそのニュアンスが伝わらないのか、無言の返事に微かに顔をしかめている。それから無遠慮に右足を見つめた。
「で、足はいつ治るんだ」
それにはジェスチャーだけで答えようがないのだが、春直が会釈とともにスマホを手にしたことに、扇雅はまた気を悪くした。
「いつもスマホで筆談してるんです」
斗南がとっさにフォローする。ふうん、と言うには言うが、目は春直の手元から離さなかった。確実に咎めている目だ。その中で春直はできるだけ素早く返事を書くと、また頭を下げながら扇雅に画面を向けた。
――右足は治らないそうです。杖で歩く練習が始まったばかりです。
「はあん」
答えさせておきながら、ろくに読んだのかもわからない間で、扇雅は興味をそらした。次は何を見咎めるつもりなのか。まるで抜き打ちの監査にでも入られた気分で、春直と斗南が肩をすくめた。
その頃、会社に居る氷影はやっと残業のキリが付きそうでほっとしていた。とはいえ、今すぐ病院へ行っても面会時間は五分もないだろう。残念だがさすがに諦めて、ストレッチをしながらスマホを見た。斗南からメッセージが来ている。さきほどの返事だろう。
――扇雅さんが一緒に来るこ
文は半端に切れていた。だが、その刹那、氷影の目の色が変わる。まずい、と即座に思った。時計を見る。メッセージが来てから三十分以上経っていた。
扇雅が許可もなく備え付けの棚を開ける。斗南は春直に目配せし、嫌なら止めようかと訊いた。しかしそれをすれば、斗南の立場が悪くなるだろう。あまり気分は良くないが、見られて困る物があるわけでもない、佳之も毎日綺麗に整頓してくれている。春直は大丈夫、と二度頷いた。
「安物の服ばかりだな。病院だからか? それにしても、こんなメーカーの服自体、僕なら持ってもいないけどね」
勝手に見ておきながら、不快だと表すように手元を叩いた。さすがに斗南がかちんと来て、一歩扇雅に近付く。
「あの、扇雅さん」
春直は慌てて斗南を呼ぶが、こちらを見てくれていなければ意思を伝えられない。ホッシー、いいから、ホッシー。口だけが動くが、斗南に届かない。
「人の物を勝手に――」
「ああ、そろそろ帰ろうか」
茫然となる斗南を通り越し、扇雅は自分の鞄を持った。それから斗南の鞄にも手を伸ばし、さも当たり前のように出口をあごで示す。
「あまり居ても迷惑だろう。さあ、僕たちはここで失礼しよう」
「いえ、私はまだ――」
――いいよ、ホッシー。俺は大丈夫だから。
今度は斗南が見てくれたお陰で言えた。文字にしなくとも、よく使う言葉をわかってくれるから助かる。今日は少し残念だったが、それで斗南が扇雅に睨まれるよりはずっといい。
「でも…」
ここに来て、まだ正味十分程度しか経っていない。その間、扇雅がただ物色していただけだ。春直と一言も話してもいない。斗南ははっきり不満だった。しかし、逆らって春直が悪く思われても困る。
「…わかりました。じゃあ…」
斗南は渋々頷くと、また春直に目配せした。
無理して笑顔を見せる。また明日、楽しみに待ってるから。そんな気配を送ると、斗南も頷いてくれた。
その時、春直のスマホがメールを受け取った。氷影だ。
(つづく)
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