25 / 61
音のないプロポーズ 25
――着いた!
氷影から一報が入った。斗南に目配せする。もう大丈夫と言ったがわかっただろうか。斗南は片づけを終わらせて、立ち上がった。
「じゃあ、またね。春ちゃん――」
名残惜しそうな目で改めて言うと、小さく手を振った。春直もそれに返す。するとバタバタと廊下を走る足音が聞こえてきた。
「ああ、ハル! 間に合ったあー」
「如月…?」
扇雅が眉をぴくりと動かした。氷影は二人を無視して、部屋に押し入る。
「あーもう、ギリギリ。どう、ハル。今日は元気だった」
言いつつ、ひそかに斗南にウインクを見せた。合わせて、の合図だ。
「ギ…ギリギリって、もう、面会終わりだよ。アウトだよ」
さすがにぎこちなくなったが、上司の手前という意味ではこんなものだろうか。扇雅に引っ掛かった様子はない。
「えっ、もうダメ? あ。僕の時計、時間遅れてるじゃん! なんだよ、せっかく来たってのになあ」
「だ、ダメダメ。時間過ぎたら、迷惑になるでしょう。さ、さあ…影ちゃんも、帰るよ!」
「なあんだあ。ちぇ。ハル、また明日来るよ」
氷影はわざわざいじった腕時計を、扇雅にも見えるように斗南に示した。それから春直に手を振り、扇雅と三人で廊下に出る。扇雅は氷影を見もしなかった。
「ホッシーは地下鉄で帰るよね。送るよ。扇雅さんはどうします?」
「ふん。…僕はここで失礼する」
「そうですかあ。お疲れ様でしたあ。あ、ホッシーの鞄、受け取ります」
「…比野くん。後悔しても知らないからな」
「お、お疲れさまです」
フン、と鼻を鳴らし、扇雅は横柄な足取りで去って行った。二人で目を合わせる。それからそっと病室に顔を出すと、春直にピースサインを送った。
――扇雅さんにプロポーズされたことがある!?
翌土曜日、午前から見舞いに訪れた氷影と斗南は、春直に寝耳に水の情報を運んだ。文字で書くのにおうむ返しをする必要もないが、あまりの驚きに確かめるようにそうつづった。
「そう。もうだいぶ前だけどね」
話しているのは氷影だ。斗南は居心地が悪そうに、洗ったコップを拭いたりしている。前々から斗南が扇雅に苦手意識を抱いているのは、何となく感じていたが、そんな事実は聞いたことがなかった。
――断った…んだよね?
斗南が頷く。春直はほっとした。それから、氷影に視線を送ると、彼だけに向けてメッセージを送る。
――何でカゲだけ知ってるの。
わざと嫉妬を込めた。そんな大事なことを独占されていたのはいささか悔しい。だが氷影は口頭で答えた。
「ハルがインフルエンザで休んでた時だったから。ホッシーにも口止めされたし、それ以降は特に何もなかったからねえ」
大したことではないとばかりに、氷影は見舞いに持ってきたチョコ菓子をぺろりとほおばる。春直が記憶をたどった。インフルエンザ?
――それって一年目の時じゃなかった?
春直が送ると、そう、と簡単な返事があった。ということは、二年半も前の冬か。入社一年目の女子社員にいきなり手を出したと、そういう意味か。
――ホッシー、何があったの?
大まかに聞くだけではわからず、春直は問うてみた。言いたくなければ深追いまでするつもりはない。
斗南は少しためらっていたが、やがてゆっくり口を開いた。
その日は扇雅が研修で、手の空いた斗南にも同行するよう命令が出た。毎日お茶汲みとデータ入力ばかりだった斗南としては、新しいことを学ぶチャンスだと張り切って応じる。提携会社の研修はわかりやすく、終わるまで何事もなく勉強に徹していた。
その後、外に出ると、食事に行こうかという誘いがやはり出た。その時は何も知らず、遠慮の意味でお断りをした。ならば送るよ、と扇雅は言う。だがそこは、会社からこそバスを乗り継いで一時間ほどの場所だったが、斗南の実家からはすぐ近くだった。素直にそう言って、歩いて帰る。斗南はそういうつもりだった。
しかし、実家と聞いて、扇雅の目の色が変わった。危ないから送ると強く言われ、食事を断った手前、無下にもできない。申し訳ないとは思ったが、お言葉に甘えることにした。それが大失敗だった。
「さてハル、その先に何があったでしょうか」
氷影が二個目の味違いの菓子を食べながら軽く訊いた。重くなりつつある空気を和まそうとしていたのかもしれない。
――何って…実家だよね。家にはお母さんがいたんでしょう。
書いてから、春直は先日の氷影の話を思い出した。結婚に積極的な母の存在と、それに耐えかねて独り暮らしを始めたという斗南。
つまりその発端に扇雅が?
(つづく)
あなたにおすすめの小説
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
【完結】婚約破棄はお受けいたしましょう~踏みにじられた恋を抱えて
ゆうぎり
恋愛
「この子がクラーラの婚約者になるんだよ」
お父様に連れられたお茶会で私は一つ年上のナディオ様に恋をした。
綺麗なお顔のナディオ様。優しく笑うナディオ様。
今はもう、私に微笑みかける事はありません。
貴方の笑顔は別の方のもの。
私には忌々しげな顔で、視線を向けても貰えません。
私は厭われ者の婚約者。社交界では評判ですよね。
ねぇナディオ様、恋は花と同じだと思いませんか?
―――水をやらなければ枯れてしまうのですよ。
※ゆるゆる設定です。
※名前変更しました。元「踏みにじられた恋ならば、婚約破棄はお受けいたしましょう」
※多分誰かの視点から見たらハッピーエンド
すべてはあなたの為だった~狂愛~
矢野りと
恋愛
膨大な魔力を有する魔術師アレクサンダーは政略結婚で娶った妻をいつしか愛するようになっていた。だが三年経っても子に恵まれない夫妻に周りは離縁するようにと圧力を掛けてくる。
愛しているのは君だけ…。
大切なのも君だけ…。
『何があってもどんなことをしても君だけは離さない』
※設定はゆるいです。
※お話が合わないときは、そっと閉じてくださいませ。
雪の日に
藤谷 郁
恋愛
私には許嫁がいる。
親同士の約束で、生まれる前から決まっていた結婚相手。
大学卒業を控えた冬。
私は彼に会うため、雪の金沢へと旅立つ――
※作品の初出は2014年(平成26年)。鉄道・駅などの描写は当時のものです。