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音のないプロポーズ 57
◇
メールでの報告、ごめんなさい。
先ほど、比野斗南さんにプロポーズしました。
やっぱりどうしても、彼女と一緒に生きていきたいです。
心配ばかりかけてごめんなさい。
月曜日にはそちらに帰ります。
お母さん。
今、心から幸せだと、ちゃんと言えます。 春直
溜め息を漏らした佳之を見て、直永が手を止める。
「どうした。また何か値上がりでもするのか?」
終日アイロンの蒸気で乾いた喉を潤そうと、ビールに腕を伸ばしたところだった。
「春直、あの子にプロポーズしたんですって。はっきり書いてないけど、たぶんオーケーもらったみたいよ」
ええっ、と直永から歓声が上がる。今日一日、外にやった息子が無事か否か、それはもう、やきもきと連絡を待ったものだが、まさかそんな吉報が舞い込むとは思ってもみなかった。
「良かったじゃないか! そうか、あの子が娘になるのか。といってもあれだな、入院の時にしょっちゅう顔を合わせていたし、長い時間同じ病室内で過ごしていたから、あまり違和感がないな。いやあ、そうかあ」
誰にともなく拍手を送る直永とは裏腹に、佳之はうつむき気味だ。直永は冷蔵庫を開けて缶ビールを二本取り出す。
「なに、大丈夫さ。あいつは優柔不断だが、それだけよく物事を考えているんだ。後悔するようなことになりはせんさ」
缶を机に置くと、佳之を座らせた。
「…なあ、事故の報せを聞いた時も、こんな風にお前とビールを飲んでいたよな。あの日は、珍しくお客さんが多くて、夜までしみ抜きをやってた。やっと乗り切って、やれやれと思った矢先に、電話が鳴ったんだったよなあ」
悪い報せに、施錠も忘れて家を飛び出した。電車もないからタクシーを拾って、会社に知らせた方がいいことを教えてくれたのは、そういえば運転手だったっけ。二人して初めての病院に駆け込んで、案内された処置室の前に、心細げに女の子が一人立っていた。
震える手で息子の無事を祈っていてくれたその子が、これから家族になる。
「考えてみれば、一人息子の良い報せも悪い報せも、こうしてお前と一緒に聞いてきた。あいつの将来の夢も、進路も、今の会社に決まった報告も、全部この場所で知ったんだよな。その息子が、一番一緒にいたい人を見つけて、その人に想いを告げることができたんだ。こんなに嬉しいことは――こんなに誇らしいことは、ないよな」
佳之が俯いたまま、三度、頷く。わずかに嗚咽が漏れた。直永の目頭も、何だか熱くなっていく。
「あいつも俺たちみたいに……いい夫婦になるといいなあ」
佳之がまた頷く。
何度も、何度も頷いた。直永も佳之の隣に座った。佳之の肩に触れると、佳之が唇を震わせた。
「よかったわ……。ほんとうに、よかった……っ」
迷惑をかけ、心配をかけたと息子は言った。けれど、ちゃんと幸せになってくれた。
一番の親孝行をしたのだと、帰ってきたら言ってやろう。
お前は俺たちの、自慢の息子だ、と。
◇
八月のうだるような暑さの中を、斗南は体をカチコチにしながら歩いていた。
隣で少しだけ正装した春直は、もうかなりの距離を一人で歩けるようになっていて、ぎこちない斗南の方が取り残され気味だ。春直は立ち止まると、すぐ後ろの斗南に向けてメールを送った。
――早く来ないと、置いてっちゃうよ。
着信に気付いた斗南は文を読み、苦い顔をする。
「そんなこと言ってもね…。ねえ、やっぱりやめない? 来月にしよう。そうだ、うん。秋にしよう」
――ダメ。
きっぱり拒否し、春直はきびすを返した。先に行かれては、斗南も追わないわけにはいかない。渋々足を早めるのだが、五分もするとまた減速して、同じことの繰り返しだった。
二人は斗南の母、晶子の元へと向かっている。結婚の挨拶に行くのだ。だが散々婚活させておきながら、結局それを無下に断った手前、斗南は晶子に会いたがらなかった。
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しかし、それを晶子には言っていない。
玉井か、その両親経由で知っているかもしれないが、知らないかもしれない。そこへ別の男性を連れて結婚の挨拶に行くなど、無神経もいいところではないだろうか。
「やっぱりやめよう。ね、春ちゃん、急すぎるから」
(つづく)
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