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旅立ちのストラット
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■ 蜂狩市立 鵜翔中学校
祥子の症状は重篤だ。執刀医の話では頭部全体に二度以上の火傷。外傷性クモ膜下出血に加えて骨盤複雑骨折もあり予後不良で出産は望めないという。良くて車椅子、悪ければ寝たきりだ。女装することなく寝巻のままで生涯を終える事に祥子は安堵した。
奇跡的に全快したとて禿頭の石女を誰が娶ろう。女なら悲嘆にくれるべき時に祥子は生きる意欲を沸々と燃やした。彼女の期待に反して状況は深刻で心拍数がどんどん落ちている。
あらゆる出口に管が刺さったまま酸素療法を施された。淡々と鳴る脈拍測定機が祥子に恐怖と戦慄を与え続けた。
その夜、祥子は遮断機の音で目が覚めた。単調な揺れと疾走感の中でまどろむ。病室の壁も窓も消え、いつの間にかベッドが線路を疾走している。
全身を縛る管も病衣も消えており、祥子は俯仰したまま宙に浮かんだ。清浄な空気と光を浴びて祥子は身軽に骸から這い出る。眼前には冥界らしからぬ光景が開けて、沿線住民と目が合った。
その女は祥子と同様に全身が無毛で痩せぎすだ。胸も洗濯板より平たい。違いは鵞鳥の翼を背負っている点。顔に法令線はなく、20代半ばと思われる。
彼女は一切の質問に答えず、ただただ祥子に決断を迫った。選択肢を示す度にベッドを分岐点に停め、祥子の未来を比較した。天国にいる自分は同一人物とは思えないほど美人で光り輝いている。
いっぽう地獄に落ちた自分は干からびた高齢男性そのものだ。骨格標本のように瘦せ衰え、目は窪み、割鐘の声で人生の失敗を悲嘆する。いくつもの将来像が口々に祥子を叱責した。
「念願かなって心身の性別が一致したが、合併症に苦しんでいる」
「姿形は男でも筋肉増強に失敗した。男社会は虚弱者を弾く」
「副作用で慢性鬱病を患った。女の姿で髭と低声は辛い」
極めつけは螺髪の自分に殺人鬼よばわりされ事だ。「乳癌が全身転移して激痛に苦しんでいる」
祥子は身につまされる思いだ。
「わかった! ボクが悪かった。女のままでいればいいんだろう!!」
やけくそ気味に叫ぶと、醜い自分達が消え去った。天使がニッコリと微笑んで言い残していく。「木曜日の電車に乗れ」と。
翌朝、検温に来た看護婦が祥子にバインダーを渡した。走り書きが添えてある。
「木曜日、午後四時九分 常園駅十三番ホーム。枢軸特急トワイライト・エクリプス六百六十六号 南怒涛いき」
彼女は意味不明なメモ用紙に目もくれず看護婦の後ろ姿を追った。白衣ごしに白いブラジャーと無地のパンティーが透けて見える。物欲しげな視線に気づいたナースに叱られた。
「ちょっと! 祥子ちゃん? 男の子みたいに鼻の下を長くするんじゃないのッ!」
振り返ったその顔は昨夜の天使と瓜二つだった。
その日から祥子は奇跡的に回復し水曜日の夕方には歩いて退院できた。実家は完膚なきまでに破壊され、両親が退院するまで彼女は親類宅に身を寄せることになった。迎えに来た叔母は祥子の無事を我が身同然に喜ぶ。反面、自分は商店街のカラフルで過激な喧騒に眩暈をおぼえた。街を歩けば差別的な意味合いの言葉が振って来る。
「帽子を持ってきて頂戴って言ったじゃない! それにズボンも!!」
祥子の抗議に叔母は叱咤で応じた。公立中学の規則に反する。来週から復学する気はあるのかと語気を荒げた。叔母はさらに続けた。女の正装はスカートだ。振り返れば街行く女性の七割はスカートを履いている。それが当然の時代だった。
祥子は議論する気力も失せて、その日は夕食を済ませて床に就いた。叔母が使っていた勉強部屋の壁に真新しいセーラー服が吊ってある。ハゲ女がこれを着たら格好の笑いものだ。新しい綽名が全校に轟くだろう。行きたくない。恨めし気に見上げているうちに祥子は眠りに落ちた。
「涙?」
ぐっしょりと濡れた枕に不快感を感じて目が覚めた。目覚まし時計は夜半を指している。どこからかカタカタと乾いた音がする。発生源は天井付近のようでもあり床下や壁の中にあるようにも思える。
「おばさんですか? あたし、大丈夫です」
戸板の向こうに人の気配を感じた。祥子の叔母は律義者の銀行員で夜更かしはしないタイプだ。もう一人、明治生まれの祖母が同居している。足腰はしっかりして徘徊するような人ではない。二人とも祥子に黙って他人を泊めるような性格ではない。床を踏みしめる音がゆっくりと接近する。祥子が不安を感じて布団に潜るとヘッドライトがパッと灯った。
「きゃああああああ!」
金切り声をあげて階段を転げ落ちる。その物音に遮断機や通過列車の騒音が重なった。
「祥子ちゃん。どうしたの? こんな夜中に」
叔母がネグリジェ姿で飛んできた。
祥子が不審な物音を訴えると寝ぼけ眼を擦りながら家中を捜索した。
「床下にイタチの巣でもあるのかしらねぇ?」
中腰になった叔母のヒップに水玉模様が透けている。
「あらっ? 祥子ちゃん? おばちゃんのパンツが気になった?」
叔母はネグリジェの裾をあげて見せびらかした。
「べ、別にボク……いや、あたし……」
「いいのよ~おばちゃん、祥子ちゃんに中学生らしい~パンツ買ってあるの♪」
有無を言わさず抱きつかれ叔母の寝室へ転がり込んだ。壁から天井からポスターだらけで隙間がない。アイドルたちは目が合った瞬間に甘い声で囁いた。
『明日の午後四時九分。常園駅……』
叔母の胸が祥子の目鼻口を塞いだ。
「むぎゅ☆」
最後に祥子は汽笛を聞いたが空耳だと思うことにした。
翌日、祥子は学校をサボった。叔母に付き添われて登校した後、面会室で担任を待つ間に窓から脱走した。フェンスをよじ登ろうとした所で校内放送が鳴り響いた。出頭命令を無視しして運動靴を金網にかける。初めて履いたスカートは足にまとわりついて鬱陶しい。学校指定のリュックサックが重荷だ。全科目の教科書と運動着でパンパンに膨れている。すべて記名して登校するよう担任に言われた。絡まったスカートを引きちぎる様にして路に降りる。春の風はまだ冷たい。祥子は剝き出しの太腿を摺り合わせた。
「藤野さん?」
「ふじのー!」
クラスメイトと体育教師がフェンス越しに呼んでいる。祥子は堰堤の土管に潜んだ。身の振り方は決めてある。スキンヘッドにセーラー服では目立ってしょうがない。最初は男子生徒に扮する事を考えた。課外授業で河原をランニングする男子は少なくない。リュックから体操着を取り出そうとして手が止まった。下は男子のような短パンではなく濃紺に白地の二重線が入ったブルマだ。ジャージなどいう甘ったれた服装は昭和のスパルタ式管理教育に存在しない。彼女は恨めしそうに自分の素足を眺め、次善策を実行した。
「やっぱり、死にます!」
■ 常園駅
常園駅は特急が止まる鵜翔駅から各駅停車で二つ目にある。二十一世紀の渋谷みたいに犬も歩けば女子高生に当たるという時代ではない。木曜日の午前11時という時間帯にセーラー服でうろつくと不良と見なされる。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? こんな時間に。それにその頭」
駅員に呼び止められて祥子は線路に降りた。ホームの避難濠に隠れて電車をやり過ごし、軌条脇をひた走る。ホッパ車の下をくぐって追っ手を巻いた。
吃驚したような警笛が鼻先を飛び去っていく。
「ひゃあ☆!」
黄檗行の直通特快が祥子のスカートをまくり上げる。叔母さんチョイスのデカパンを乗客に見られた。ブリーフに近いデザインは祥子の我慢できる範疇にある。目的地は常園駅の北側にある。シラサギ橋から飛び込めば確実に死ねる。
「あそこだ! ハゲ頭の女の子!!」
鉄道公安官が祥子を指さして騒いでいる。魔法の絨毯が欲しいと切に願った。
「そこの女の子! 止まりなさい!!」
線路の反対側から保線区作業員が駆けてくる。
「もう。女の子オンナノコって五月蠅いよ! ボクは……」
進退窮まった祥子は線路上に寝転がった。真っ逆さまに急行列車が迫りくる。心臓が高鳴り、ミュージックホーンが狂ったようにヴィヴァルディをがなり立てる。
断末魔の急ブレーキ。世界が暗転した。
……
…………
■ 枢軸特急
『……の列車は枢軸特急トワイライト・エクリプス六百六十六号。南怒涛港行きです』
ざらついた触感が気持ち悪い。祥子は後頭部に激しいかゆみをおぼえて目が覚めた。うんっと背伸して周囲を見回す。豪華な作りの車両だ。天井にはシャンデリアが輝き、床に赤い絨毯が敷いてある。彼女はセーラー服姿でリクライニングシートに腰を掛けている。ガタガタという台車の音に聞き覚えがある。叔母の部屋に響いていた怪音だ。
「藤田祥子さんね?」
病室の全裸ハゲ天使が隣に座っている。
「あ、あんたはあの時のッ!」
祥子は驚いて後ずさった。
「あの時は驚かせてごめんなさいね。有資格者審査を急いでいたの。私はハーベルト。異世界逗留者よ」「何を言ってるのかさっぱりわからない。それよりも、ぱんつくらい履けば?」
見かねた祥子がリュックをおろした。体操服とブルマを取り出してハゲ天使に手渡す。
「私には個室に着替えがあるから。それよりも研修を始めましょう」
ハーベルトはブルマの受け取りを拒み、祥子の胸元に指を這わせた。
「えっ、えっ、ちょっと?!」
セーラー服が散り散りになった。叔母推薦のぱんつも糸屑と化す。
「ちょっと~困るよ。ボクの制服。返してください。叔母さんに怒られる~」
祥子は紺色の端切れを握りしめたまま涙ながらに訴える。ハーベルトは興奮状態の祥子に唇を重ねた。
「え、ちょっと、むぎゅ……」
祥子は一糸纏わぬ姿のまま、隣の車両に連れ込まれた。異世界逗留者というのは客室乗務員の事らしい。彼女はわけのわからない組織にリクルートされロッカーをあてがわれた。更衣室の大きな鏡に背中の翼が映っている。
「え、いつの間にか生えてる。どうなってんのコレ? 何が何だかボクには?!」
当惑する祥子にハーベルトは着替えを促した。
「後ろを向いて。羽根を縛らないと制服が着れないわ」
ハーベルトがビキニブラを着せようとすると、祥子は猛反発した。
「やだよ! 返してくれよ!!」
祥子はバサバサと狭い室内を飛び回った。ロッカーの扉が曲がり天板がへこむ。
「貴女は女の子でしょう? 少しはしおらしく……」
ハーベルトが出入り口に立ちはだかる。
「ボクは男だ。女、女、うぜーよ!!」
怒りは限界に達した祥子はこぶしを挙げた。ハーベルトは蝶のようにかわし、蠅を叩くように殴打する。
「――!?」
荒ぶるハゲ天使はへなへなと床に突っ伏した。
「男だったら戦いなさい!」
ハーベストが頭ごなしに叱り飛ばす。
「戦いなさい! 貴女のご両親、貴女のおうち、あなたの身体。すべてを破壊した張本人と!」
「張本人?」
「敵よ! 己の信念に基づいて、仇敵、天敵、仮想敵、ありとあらゆる敵対関係に徹底抗戦するの!!」
言われてみればハーベルトの主張はもっともだ。改めて腹が立つ。自分をこんな醜い身体に変えたのはトラックの運転手だ。反面、死に場所と大義名分を与えてくれたことになり、感謝したい気分だ。祥子は複雑な表情で問いかける。
「あなたたちはこの乗り物で戦争をしているの?」
「イエス。枢軸特急はそういうオンナが乗る列車よ」
ハーベルトの横顔が漆黒の窓辺に映える。心なしか涙を浮かべているようだ。
汽笛が鳴った。
『次の停車駅は南怒涛港。南怒涛港。到着予定時刻は8時8分 枢軸特急トワイライトエクリプス』
祥子の症状は重篤だ。執刀医の話では頭部全体に二度以上の火傷。外傷性クモ膜下出血に加えて骨盤複雑骨折もあり予後不良で出産は望めないという。良くて車椅子、悪ければ寝たきりだ。女装することなく寝巻のままで生涯を終える事に祥子は安堵した。
奇跡的に全快したとて禿頭の石女を誰が娶ろう。女なら悲嘆にくれるべき時に祥子は生きる意欲を沸々と燃やした。彼女の期待に反して状況は深刻で心拍数がどんどん落ちている。
あらゆる出口に管が刺さったまま酸素療法を施された。淡々と鳴る脈拍測定機が祥子に恐怖と戦慄を与え続けた。
その夜、祥子は遮断機の音で目が覚めた。単調な揺れと疾走感の中でまどろむ。病室の壁も窓も消え、いつの間にかベッドが線路を疾走している。
全身を縛る管も病衣も消えており、祥子は俯仰したまま宙に浮かんだ。清浄な空気と光を浴びて祥子は身軽に骸から這い出る。眼前には冥界らしからぬ光景が開けて、沿線住民と目が合った。
その女は祥子と同様に全身が無毛で痩せぎすだ。胸も洗濯板より平たい。違いは鵞鳥の翼を背負っている点。顔に法令線はなく、20代半ばと思われる。
彼女は一切の質問に答えず、ただただ祥子に決断を迫った。選択肢を示す度にベッドを分岐点に停め、祥子の未来を比較した。天国にいる自分は同一人物とは思えないほど美人で光り輝いている。
いっぽう地獄に落ちた自分は干からびた高齢男性そのものだ。骨格標本のように瘦せ衰え、目は窪み、割鐘の声で人生の失敗を悲嘆する。いくつもの将来像が口々に祥子を叱責した。
「念願かなって心身の性別が一致したが、合併症に苦しんでいる」
「姿形は男でも筋肉増強に失敗した。男社会は虚弱者を弾く」
「副作用で慢性鬱病を患った。女の姿で髭と低声は辛い」
極めつけは螺髪の自分に殺人鬼よばわりされ事だ。「乳癌が全身転移して激痛に苦しんでいる」
祥子は身につまされる思いだ。
「わかった! ボクが悪かった。女のままでいればいいんだろう!!」
やけくそ気味に叫ぶと、醜い自分達が消え去った。天使がニッコリと微笑んで言い残していく。「木曜日の電車に乗れ」と。
翌朝、検温に来た看護婦が祥子にバインダーを渡した。走り書きが添えてある。
「木曜日、午後四時九分 常園駅十三番ホーム。枢軸特急トワイライト・エクリプス六百六十六号 南怒涛いき」
彼女は意味不明なメモ用紙に目もくれず看護婦の後ろ姿を追った。白衣ごしに白いブラジャーと無地のパンティーが透けて見える。物欲しげな視線に気づいたナースに叱られた。
「ちょっと! 祥子ちゃん? 男の子みたいに鼻の下を長くするんじゃないのッ!」
振り返ったその顔は昨夜の天使と瓜二つだった。
その日から祥子は奇跡的に回復し水曜日の夕方には歩いて退院できた。実家は完膚なきまでに破壊され、両親が退院するまで彼女は親類宅に身を寄せることになった。迎えに来た叔母は祥子の無事を我が身同然に喜ぶ。反面、自分は商店街のカラフルで過激な喧騒に眩暈をおぼえた。街を歩けば差別的な意味合いの言葉が振って来る。
「帽子を持ってきて頂戴って言ったじゃない! それにズボンも!!」
祥子の抗議に叔母は叱咤で応じた。公立中学の規則に反する。来週から復学する気はあるのかと語気を荒げた。叔母はさらに続けた。女の正装はスカートだ。振り返れば街行く女性の七割はスカートを履いている。それが当然の時代だった。
祥子は議論する気力も失せて、その日は夕食を済ませて床に就いた。叔母が使っていた勉強部屋の壁に真新しいセーラー服が吊ってある。ハゲ女がこれを着たら格好の笑いものだ。新しい綽名が全校に轟くだろう。行きたくない。恨めし気に見上げているうちに祥子は眠りに落ちた。
「涙?」
ぐっしょりと濡れた枕に不快感を感じて目が覚めた。目覚まし時計は夜半を指している。どこからかカタカタと乾いた音がする。発生源は天井付近のようでもあり床下や壁の中にあるようにも思える。
「おばさんですか? あたし、大丈夫です」
戸板の向こうに人の気配を感じた。祥子の叔母は律義者の銀行員で夜更かしはしないタイプだ。もう一人、明治生まれの祖母が同居している。足腰はしっかりして徘徊するような人ではない。二人とも祥子に黙って他人を泊めるような性格ではない。床を踏みしめる音がゆっくりと接近する。祥子が不安を感じて布団に潜るとヘッドライトがパッと灯った。
「きゃああああああ!」
金切り声をあげて階段を転げ落ちる。その物音に遮断機や通過列車の騒音が重なった。
「祥子ちゃん。どうしたの? こんな夜中に」
叔母がネグリジェ姿で飛んできた。
祥子が不審な物音を訴えると寝ぼけ眼を擦りながら家中を捜索した。
「床下にイタチの巣でもあるのかしらねぇ?」
中腰になった叔母のヒップに水玉模様が透けている。
「あらっ? 祥子ちゃん? おばちゃんのパンツが気になった?」
叔母はネグリジェの裾をあげて見せびらかした。
「べ、別にボク……いや、あたし……」
「いいのよ~おばちゃん、祥子ちゃんに中学生らしい~パンツ買ってあるの♪」
有無を言わさず抱きつかれ叔母の寝室へ転がり込んだ。壁から天井からポスターだらけで隙間がない。アイドルたちは目が合った瞬間に甘い声で囁いた。
『明日の午後四時九分。常園駅……』
叔母の胸が祥子の目鼻口を塞いだ。
「むぎゅ☆」
最後に祥子は汽笛を聞いたが空耳だと思うことにした。
翌日、祥子は学校をサボった。叔母に付き添われて登校した後、面会室で担任を待つ間に窓から脱走した。フェンスをよじ登ろうとした所で校内放送が鳴り響いた。出頭命令を無視しして運動靴を金網にかける。初めて履いたスカートは足にまとわりついて鬱陶しい。学校指定のリュックサックが重荷だ。全科目の教科書と運動着でパンパンに膨れている。すべて記名して登校するよう担任に言われた。絡まったスカートを引きちぎる様にして路に降りる。春の風はまだ冷たい。祥子は剝き出しの太腿を摺り合わせた。
「藤野さん?」
「ふじのー!」
クラスメイトと体育教師がフェンス越しに呼んでいる。祥子は堰堤の土管に潜んだ。身の振り方は決めてある。スキンヘッドにセーラー服では目立ってしょうがない。最初は男子生徒に扮する事を考えた。課外授業で河原をランニングする男子は少なくない。リュックから体操着を取り出そうとして手が止まった。下は男子のような短パンではなく濃紺に白地の二重線が入ったブルマだ。ジャージなどいう甘ったれた服装は昭和のスパルタ式管理教育に存在しない。彼女は恨めしそうに自分の素足を眺め、次善策を実行した。
「やっぱり、死にます!」
■ 常園駅
常園駅は特急が止まる鵜翔駅から各駅停車で二つ目にある。二十一世紀の渋谷みたいに犬も歩けば女子高生に当たるという時代ではない。木曜日の午前11時という時間帯にセーラー服でうろつくと不良と見なされる。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい? こんな時間に。それにその頭」
駅員に呼び止められて祥子は線路に降りた。ホームの避難濠に隠れて電車をやり過ごし、軌条脇をひた走る。ホッパ車の下をくぐって追っ手を巻いた。
吃驚したような警笛が鼻先を飛び去っていく。
「ひゃあ☆!」
黄檗行の直通特快が祥子のスカートをまくり上げる。叔母さんチョイスのデカパンを乗客に見られた。ブリーフに近いデザインは祥子の我慢できる範疇にある。目的地は常園駅の北側にある。シラサギ橋から飛び込めば確実に死ねる。
「あそこだ! ハゲ頭の女の子!!」
鉄道公安官が祥子を指さして騒いでいる。魔法の絨毯が欲しいと切に願った。
「そこの女の子! 止まりなさい!!」
線路の反対側から保線区作業員が駆けてくる。
「もう。女の子オンナノコって五月蠅いよ! ボクは……」
進退窮まった祥子は線路上に寝転がった。真っ逆さまに急行列車が迫りくる。心臓が高鳴り、ミュージックホーンが狂ったようにヴィヴァルディをがなり立てる。
断末魔の急ブレーキ。世界が暗転した。
……
…………
■ 枢軸特急
『……の列車は枢軸特急トワイライト・エクリプス六百六十六号。南怒涛港行きです』
ざらついた触感が気持ち悪い。祥子は後頭部に激しいかゆみをおぼえて目が覚めた。うんっと背伸して周囲を見回す。豪華な作りの車両だ。天井にはシャンデリアが輝き、床に赤い絨毯が敷いてある。彼女はセーラー服姿でリクライニングシートに腰を掛けている。ガタガタという台車の音に聞き覚えがある。叔母の部屋に響いていた怪音だ。
「藤田祥子さんね?」
病室の全裸ハゲ天使が隣に座っている。
「あ、あんたはあの時のッ!」
祥子は驚いて後ずさった。
「あの時は驚かせてごめんなさいね。有資格者審査を急いでいたの。私はハーベルト。異世界逗留者よ」「何を言ってるのかさっぱりわからない。それよりも、ぱんつくらい履けば?」
見かねた祥子がリュックをおろした。体操服とブルマを取り出してハゲ天使に手渡す。
「私には個室に着替えがあるから。それよりも研修を始めましょう」
ハーベルトはブルマの受け取りを拒み、祥子の胸元に指を這わせた。
「えっ、えっ、ちょっと?!」
セーラー服が散り散りになった。叔母推薦のぱんつも糸屑と化す。
「ちょっと~困るよ。ボクの制服。返してください。叔母さんに怒られる~」
祥子は紺色の端切れを握りしめたまま涙ながらに訴える。ハーベルトは興奮状態の祥子に唇を重ねた。
「え、ちょっと、むぎゅ……」
祥子は一糸纏わぬ姿のまま、隣の車両に連れ込まれた。異世界逗留者というのは客室乗務員の事らしい。彼女はわけのわからない組織にリクルートされロッカーをあてがわれた。更衣室の大きな鏡に背中の翼が映っている。
「え、いつの間にか生えてる。どうなってんのコレ? 何が何だかボクには?!」
当惑する祥子にハーベルトは着替えを促した。
「後ろを向いて。羽根を縛らないと制服が着れないわ」
ハーベルトがビキニブラを着せようとすると、祥子は猛反発した。
「やだよ! 返してくれよ!!」
祥子はバサバサと狭い室内を飛び回った。ロッカーの扉が曲がり天板がへこむ。
「貴女は女の子でしょう? 少しはしおらしく……」
ハーベルトが出入り口に立ちはだかる。
「ボクは男だ。女、女、うぜーよ!!」
怒りは限界に達した祥子はこぶしを挙げた。ハーベルトは蝶のようにかわし、蠅を叩くように殴打する。
「――!?」
荒ぶるハゲ天使はへなへなと床に突っ伏した。
「男だったら戦いなさい!」
ハーベストが頭ごなしに叱り飛ばす。
「戦いなさい! 貴女のご両親、貴女のおうち、あなたの身体。すべてを破壊した張本人と!」
「張本人?」
「敵よ! 己の信念に基づいて、仇敵、天敵、仮想敵、ありとあらゆる敵対関係に徹底抗戦するの!!」
言われてみればハーベルトの主張はもっともだ。改めて腹が立つ。自分をこんな醜い身体に変えたのはトラックの運転手だ。反面、死に場所と大義名分を与えてくれたことになり、感謝したい気分だ。祥子は複雑な表情で問いかける。
「あなたたちはこの乗り物で戦争をしているの?」
「イエス。枢軸特急はそういうオンナが乗る列車よ」
ハーベルトの横顔が漆黒の窓辺に映える。心なしか涙を浮かべているようだ。
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山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。
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誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。
心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。
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