枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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元禄時空人(ヒューダルロード・サバイヴァー)(2) ジェーン・スー

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 ■ 台座分水嶺
『死は人間から希望と意欲を奪い取る見返りに行動を与えてくれる。それでもなお、人間は運命から逃れようとしたり、回避できないなら出来る限り先延ばししようと交渉を試みてきた。だが、未だに取引の成功例はない―― 比類なき連合の死生学者 ファントム・ジェーン・スー 2089年』
 そこまで入力して白魚のような指が停まった。数十秒間、液晶画面を行ったり来たりした後、こう書き加えた。
『あたしが最初の一歩を記す』

 ◇ ◇ ◇ ◇

 台形分水嶺は切り株のような奇岩台地が並ぶロストダッチマン山脈の中央にある。
 別名、スーパーステーション山、すなわち英語で迷信を意味する単語を冠せられている。SUPERSTITIONという言葉には「立つ」とか「不動」と同義のSTITONという綴りが含まれており、語源はスタンドつまり「立つ」に起因する。

 つまり、常識を超えて立つ確信と解釈できる。確かに一度成立した伝説を打ち破ることは困難だ。理屈も証明も歯が立たない。それが迷信なのだ。

 長々と説明した理由は住民たちの特色にある。この異世界では神が手を伸ばせば届くところにいると信じられており、薬草を使って意思疎通する。迷信や伝説はつかみどころのない雲のような存在ではなく、空気なのだ。大木をチェーンソーで切ったような頂上に数十人の女の子たちが集まっている。

原色の羽根飾りを被り、極彩色のペイントで化粧している。皮革製のカットソーにボヘミアン紐飾フリンジのスカート。顔立ちは堀が深くアフリカ系を思わせる。向かい風が浅黒い太ももからスカートの中へ吹きあがり、暗闇に三日月が浮かぶ。彼女たちの目は空ろだ。千鳥足で寄りかかるように佇んでいる。そのうちの一人が隣の娘に寄りかかり、弾みで数名が地面に倒れ込んだ。

「ヤダ、もう。貴女ったら」
「リタこそ、欲しいんでしょ」

 重なり合った女たちは嬌声をあげてじゃれ合った。その様子を若い科学者が岩場の陰から観察している。人間の究極目標である不老不死はどこにあるのか。彼女は人生の終着点である墓場にこそ実現可能な鍵があると考えている。終末期の心理状態を克明にモニタリングして脳神経活動の最大公約数を洗い出すことができれば死を理解する第一歩につながるのではないかと推測した。

その理論に着目した連合は彼女を破格で待遇した。評価試験中のアブロカーもそのひとつだ。他にも高価な核磁気共鳴測定器エムアールアイを惜しげもなく貸し与えた。頂上では若い娘たちが葬送の列をなしている。棺はない。彼女たちがこれから鬼籍に入る。トマホーク・コモディティアンは託宣と共に暮らしている。

絶大な権力をふるうシャーマンは神の代弁者だ。節目節目に生贄を山の神に捧げて神託を授かる。その方法は残酷で若い処女を薬草茶で酩酊させて断崖絶壁から投身自殺させる。虚空をもがく様子や飛び散った血肉を見て占断するという。もちろん喜んで犠牲になる者などいない。

シャーマンの目にかかった少女たちは物心がつくと僧院に預けられる。そこで年頃になるまで狂信を施されるのだ。彼女達は異性の興味をひかぬよう女同士で愛し合う術を学ぶ。誤って男に抱かれた時は体が張り裂けるような激痛にもがき苦しむ。また禁忌を犯した方も部族の男たちによって八つ裂きにされという。

 ■ スーパーステーション山頂 アブロカー
 ファントム・ジェーン・スーは儀式の始まりを見過ごすつもりはなかった。少女たちをアブロカーで回収し、最初のサンプルである小鳩や祥子のように髪をバリカンで綺麗に剃り上げたあと、MRIにかける。

 少女たちを囲い込むように火が放たれた。炎の内側には部族でも生え抜きの戦士たちが武装しており、しり込みする少女を矢で追い立てる。毎回、何名かは薬草茶に耐性を持ち、自分の運命を察して逃亡を企てる。それを羽交い絞めにして崖から投げ落とすのも彼らの役割だ。

 最初の矢が少女の首筋に刺さった。全身を燎原の火に似た痛覚が焼き尽す。堪らなくなった彼女は衣服を両手で引き裂いた。黄ばんだパンティのまま一目散に走り出す。ジェーン・スーはタイミングを見計らってアブロカーを現出させた。瞬きする間に裸体を受け止め、空間転移する。

この技術もフィラデルフィアで実験中の禁忌科学エクストリームだ。金に糸目を付けぬ研究助成に連合国の焦りが見える。リンドバーグの壁は彼らにとっても枢軸にとっても滅亡の恐怖に他ならない。

 この事件に先立つ数年前。世界の構造を解き明かそうと各国が激しい競争に明け暮れていた。熱力学の第二法則により宇宙の無秩序は拡大する。

十六歳の天才少女ジェーン・スーも情熱を燃やし、荒廃にあらがう枢軸の一助になろうと研究に励んだ。成果が伸び悩んでいる友人たちは経験則に頼りすぎるアカデミズムに逆らって実験結果から論理的に法則を導こうと躍起になっていた。だが、思考を飛躍的に推し進めるデータや観測事実が欠けており、焦慮していた。

いっぽう、ジェーン・スーは女性というハンディキャップを克服し、実験結果と客観的観察をていねいに積み上げていく実に女性的で地道なアプローチで世界衰亡の本質に迫っている。

 事あるごとに男性陣と衝突を繰り返していたジェーン・スーはとうとう濡れ衣を着せられる形で職場を追われた。彼女は優位な男性たちを妬むあまり、妨害行為を働いたというのだ。ジェーン・スーは大学長に異議を申し立てたが騒乱罪で告発される。死刑を執行直前に停止させ、亡命者として受け入れたのは連合の工作が奏功した成果だ。彼女はそう聞かされて粉骨砕身している。

「ソジャーナー候補者を狙ったのは他意はない。分かってるわよね。ハーベルト!」
 ジェーン・スーは憎々しげに貨物室の覗き穴から回収済み標本チューブを見やった。
 ■ アブロカー 下層部貨物室
「ひゃっ?!」

 小鳩は額に猛烈なかゆみを感じて目覚めた。数えきれないほどの虫が頭皮を噛んでいる。反射的に手を伸ばそうとするが身動きが取れない。首を振ると肩から長い毛が滑り落ちる。

「助けてあげられなくてゴメンよ。ボクが男だったら……」

 すぐ近くで女の子の声がする。痛みをこらえつつそちらを向くと透明な棺の中に翼を背負った生き物がうごめいていた。頭は僧侶のようにツルツルで何も身に着けていない。そこに小鳩は変わり果てた自分を見た。侍のように月代が青々としている。恐ろしい形相から顔を背けると、相手もそっぽを向く。

「じっとしている方が身のためだよ。あいつは同性に興味がないらしい」
 小鳩は羽根の生えた小僧に従うことにした。やがて剃髪が終わって二人とも解放された。

「おみなご?」※駐 古語で女の子の意。

 スッポンポンの小鳩に局部を凝視されて祥子は赤面した。「ボクは男子……外見は違うけど」

 二人は連れ去られた経緯や生い立ちを語り合った。その間にも祥子は脱出手段を手探りしていた。部屋は金属製の筐体で彼女たちを剥いたり剃ったりした器具以外は何もない。床も壁も平坦で一体化している。部屋はガタゴトと規則的に揺れていたが、やがて停止した。そこへ泥で汚れた少女たちがドサドサとなだれ込んできた。部屋はぐいっと体育館ほどに拡張され、二人は再び見えない力で拘束された。あれよあれよという間に少女たちはベルトコンベヤーに寝かされた。部屋の中央部にチューブがせり上がり、その中を順番にくぐる。

「男ならあの人たちをどうにかして」

 小鳩は祥子の力不足をなじった。馬鹿にされてなるものかと祥子は発奮した。
「ボクには混乱を招き寄せる能力があるんだ」
 ハーベルトが再三再四注意したあの潜在能力である

 彼女は運ばれていく少女たちと大広間から小学校時代に受けた身体測定を思い起こした。ポリエステルの紺色短パンを脱いでショーツ一枚で冷たい座高測定器に座らさせる。男性医師の目線が自分の足元に向いていて屈辱感を味わった。
 突然、世界が赤黒く染まった。薄闇に非常灯が点滅している。断末魔のごときブザー音が部屋中に鳴り響く。

 ■ メサ循環線
 モニターの折れ線グラフが右肩上がりにカーブした。

「リンドバーグの壁が動き出しました」

 ハーベルトはスーパーステーション駅に差し掛かる直前に留萌から連絡を受けた。メサ循環線内の信号所に保線区武装司令部員を非常呼集する。枢軸特急は大東京と倫敦を結ぶ定期便だ。その途中に異世界を経由している事が必ずしも地球人の往来を許しているわけではない。TWX666Ωは軍用列車だ。旅客でなく将校や特殊部隊を派兵し異世界の侵入を妨げる。

 分水嶺登山口信号所で武器弾薬と隊員を受領し、スーパーステーション登山鉄道に乗り入れる。エクリプス号の台車がギアを降ろした。線路にはもう一本。鈎状のレールが敷いてある。いわゆるアプト式だ。列車は歯車を噛み合せて急こう配を昇っていく。

「わたしはいつかあの子をこの手で……」

 銃を構えたまま浮かぬ顔をするハーベルト。望萌はハートレー総裁の言葉を借りて同僚を戒めた。妨害者は誰であろうと殺めねばならぬ。

「建前はそうかもしれないけど、同じ血を……」

 つい、感情的になってハーベルトは本音を漏らした。
「それ以上は言わないで。言えば貴女をここで射殺しなきゃいけない」

 望萌はヤバい発言を聞かれはしなかったかと周囲を警戒した。壁に耳あり障子に目あり。殺人光線が飛んでこないところをみると秘密警察の好意に感謝すべきだろう。ハーベルト以外に重責を担う者を探す暇はないのだから。

 ■ TWX666Ω号 兵員輸送車両

「今回の任務は前例を見ない戦いとなる。だが諸君は偉大なるドイチェラントの精鋭だ。期待以上の成果を確信している。ハーベルト閣下に敬礼ッ!」

 女隊長が檄を飛ばすと輸送車両が割鐘の様に響いた。ハーベルトは兵士たちの信頼を損なうまいと脳内で懸命に作戦計画を練り混ぜた。敵の正体がおぼろげに判明している。向こうもこちらの接近を薄々気づいている頃だろう。かつては共に学ぶ仲間だった。それだけに十二指腸がキリキリと痛んだ。

 急斜面をのぼる軌道にTWX666Ωは必死でしがみついている。山の中腹まで来た時、対空監視要員が敵影を捉えた。

「対空レーダーに感あり。大型飛行物体、距離20マイル。敵味方識別に応答なし」
 ハーベルトは歯を食いしばって対空ミサイル車両に迎撃を命じた。「ジェーン・スー。あなたとだけは……」
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