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蛍光色の方程式(ブライトリング・ファイアスターター) (3) X-33 ベンチャースター
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■
「それでは、テープカットを御願いします」
さわやかな女性のエコーとともに真赤なリボンが断ち切られた。鋏を入れた少女の笑顔がまたたく。ガシャガシャとフィルムがせわしなく巻き上げられ、記者たちが中腰で思い思いの被写体をレンズで狙う。舞い散る紙吹雪。紅白幕に居並ぶ迎賓たち。
拍手が巻き起こり、いよいよ儀式がここ一番の盛り上がりを見せる。
「山城鉄道弘学館 ただいまオープンしました」
ウグイス嬢が言い終えぬうちに、待ちくたびれた人々が覚醒した。人だかりが決壊し、黒い頭をした濁流が自動ドアを押し開いてエントランスホールにまでなだれ込む。
見学者はそれぞれお目当ての展示物めがけてダッシュする。弘学館の一番人気は運転シミュレーターだ。現役引退したばかりの列車を特設ステージに陳列し、スクリーンに映った沿線の景色をバックに本物の運転手を疑似体験できる。
老婆は子供達の大騒ぎにめもくれず、管理棟の最深部をめざした。緑色の非常灯が冷たい闇をうっすらと照らしている。光が届かぬ先に目的地があった。
「いったい、どういう要件ですの?」
武鳥明菜はノックもせず、ドアを開けるやいなや、山城館長に詰め寄った。小脇に抱えた茶封筒から札束をぶちまける。と、
思いきや、それは日本銀行券ではなく、白人女性の肖像が入った外貨だった。さらに折りたたんだパンフレットのようなものが挟まっている。広げてみるとB5判の小冊子でカラフルな電車の写真や少女のイラストで彩られている。ただ、そこに記載されている文字はアルファベットではない。よく似ているが例えばNの文字がひっくり返っていたり、カタカナのヨがイーの代わりだったりする。
「明菜おばさん。親しき中にも礼儀なしにも程がありますよ」
還暦をとうに過ぎたであろう館長はいい年をして青ざめている。何か弱みを握られているか、借りがあって頭があがらないのだろうか。
「だまらっしゃい! 買収がうまくいかないからって女の子をかどわかすとはなにごとですか! 挙句の果てにこんな如何にも子供が飛びつきそうな旅行パンフレットで釣ろうなんて」
明菜は高齢者とは思えないほどしっかりした声で甥を叱り飛ばした。山城にとっては寝耳に水のようで、驚きを隠せない。
「待ってください。何のことやら」
「聞きたいのはこっちさ」
食い違う二人の間に警備室から駆け付けたガードマンが割って入った。どうにか落ち着かせる。
明菜は口角泡を飛ばしてわめきたてた。
祥子の部屋から洗濯物を回収しようとしたところ、とても年頃の娘が着そうにない衣装が出てきた。明菜は大きめの巾着袋からローレグのビーチバレーショーツや平成の陸上女子が着るレーシングブルマを取り出した。異世界逗留者が翼を縛り隠すために使う補正下着とは想像だにできないだろう。時代錯誤物なのだから。
明菜が問題にしているのはそれではない。スカートのポケットに外国のお金と冊子が入っていた。中学生とは縁遠いものだ。彼女は「蛍叛電車には猫の額たりとも売りません」と憤った。
「ちょっと待った。おばさんちは土地買収に引っかかってない筈だ。それにうちと蛍叛とは直接の関係はありませんよ」
「じゃあ、裏でつながってるのかい! 祥子を誑かしたり、夜中に妙な工事をやったり、黙ってりゃ好き放題じゃないか!」
「何の話ですか? 八尾国際空港線は青写真も出来てないんですよ!」
「ばっくれるんじゃねーよ!」
マホガニーの机にどっかりと大根脚が降ろされた。ワンストップのゴムサンダル。マキシ丈ワンピースがめくりあがりベージュのフルバックショーツが見え隠れする。はずみで落ちた冊子を警備員が拾い上げた。定年退職者は学があるらしく、「ほう。これはソ連の文字ですな」と見事に言い当てた。それを聞いて山城がポンと膝を打った。
「こんな電車は見たこともない。しかし、共産主義の国なら奇抜なデザインもありうるでしょうな」
彼は資料棚から万国列車図鑑を取り出した。チェコスロバキアか共産圏の優等生と言われているルーマニア辺りのページを繰る。だが、トワイライトエクリプスに似た流線型でなく武骨な車両ばかりだった。
「あんたらはソ連のスパイかい?」
明菜は汚いものを見るような目で男どもを睨む。
「わっはっは。まさか。私は丸紅に務めてました」 警備員はプラハに家族と二十年暮らしていたという。
「キューバかモザンビークの鉄道にもこんな電車は無い」
山城は知識を総動員して調べつくしたが正体を解明できなかった。列車の構造からみても不必要なエアブレーキや翼型のパンタグラフなど現行技術の数十年先を行っている。
「まさか、祥子がソ連のスパイと……」
本気で心配する叔母を山城は笑い飛ばす。「あはは。まさか、おばさん! これは、きっと、祥子ちゃんの作品ですよ」
「そうですな。十四、五といえば夢見がちな頃だ。そういえば二十四時間テレビでやってましたな。手塚治虫の海底列車とか何とか。あれの影響でしょう。孫が見てました」
彼は日曜の朝に放映していたアニメ特番を挙げた。総合判断するに大人達は「漫画の読みすぎ」で不可解を理解した。
「でも、夜中の振動は何なの? あの子のロマンチックじゃ説明がつかないわ」
明菜はラップ音が工事用車両の通過ではないかと疑っている。
「暴走族のバイクじゃないですか? 祥子ちゃんは電車や車に興味があるようだし、その派手なパンツもひょっとしたら……」
きわどい運動着は不純異性交遊の物的証拠だと山城が人聞きの悪いことをいうのだ。明菜は反射的に引っぱたいた。しかし、単車という語句に青ざめた様子だ。
「バイク……って、いけない。今日はアズサの月命日じゃないの! これは、あの子のパンツだよ!!」
武鳥アズサは暴走事故で死んだ孫娘だ。ノーヘルで二人乗りして遮断機の降りた踏切内で転げた。明菜の手には淫靡なレース柄の下着がある。旅人の外套が劣化したとは想像もつかないだろう。
「祥子ちゃんはアズサちゃんに憧れて箪笥から引っ張り出したんでしょう」
山城は事情を知っている。明菜は孫娘が忘れられず勉強部屋をそのままにしてある。
「そうさね。アズサ、おばあちゃんが悪かった。ごめんね」
老婆はバタバタと来た道を帰り急いだ。その足音に汽笛が重なった。
「あ、奥さん! 忘れものですよ!!」
警備員が小冊子を片手に追い掛ける。「待て!」 何を思ったか、山城は彼を制止した。裏表紙が館長としての琴線に触れたのだ。
「リニア新幹線 2047年春、いよいよ八尾南へ? 何じゃそりゃ?」
彼は遥か未来の広告に目を白黒させた。
■ 聖イライサニス学園中等部 体育倉庫裏
「宇宙人か未来人か超能力者か異次元人か、とにかく誰でも良かったんだ。入学式をぶっ壊してくれれば」
祥子はエリスにトラックが突入した夜のいきさつを語った。
「『集団』は、わたしじゃなくて詩人を送るべきだったわ。こんなにも自虐美あふれる世界だったとは」
異性の客は地上と違う価値基準で祥子の愚行を礼賛した。ざっくばらんに言うとエリスは高度先進文明が遣わした救世主だった。
「君なんか呼ばなくても恐怖の大王が滅ぼしに来るよ」
「何で1999年まで待てなかったの?」
「ボクはスカートなんか履きたくなかったんだ。男になりたかった」
祥子は繰り返されてきた質問にげんなりした表情で答えた。
「でも、嬉々として履いてるじゃん。ぴらっ♪」
「きゃあ。ぶ、ブルマー履いてるから、まだ恥ずかしくないもん」
プリーツスカートを抑えて恥じらう祥子。エリスの目的は侵略ではないという。祥子の能力を見込んでお願いがあるという。
「確かにボクはリンドバーグの壁を呼ぶ力があるんだ。それの良し悪しはまだわからない。けれど役立てないといけないんだ」
祥子はこれまで自分の資質を私利私欲に用いた。その結果、台座分水嶺で痛い目にあった。だから、「集団」の権益確保には力を貸せない。
「いいえ、これは人のためにとても有益なことよ。ことによっては全人類の命運がかかっていると言い切れる!」
異文明の先兵はえらく大上段に構えた。
「君の集団に利益があるんじゃないの? 利己的な超能力者なら他をあたってよ!」
祥子は侵略者の手先になるのはごめんだと突き放した。
「四の五の言ってる場合じゃないのよ!」
エリスは祥子に覆いかぶさるようにして壁にドンと手を着いた。
「ど、どういう……?」
オズマ計画の申し子は厳かな口調で告げた。
「だって、あした世界が滅びるんだもの――」
■ X-33 ベンチャースター
栄華を極めた存在が滅ぶときはたいてい自分で破滅の道を開くものだ。その不恰好な機体は醜く膨満した腹をのたりのたりと揺らして社会の木鐸に痴態をさらした。
不知火高美は山より大きな獅子すらも魅了できると信じ込んでいる女性の表情で言った。
「ご来場のみなさん! 私どものスターX社はこのたびアメリカ航空宇宙局と主契約を締結いたしました」
実験航空機X-33はスペースシャトルの商用化を目指してNASAが開発を進めている大気圏往還機だ。液体水素を過冷却して得られる量子状態のスラッシュ水素と呼ばれる固体を燃料にしている。この、握り飯を巨人が踏みつぶした姿のどこに先見性があると聞かれたら大部分の人は首を横に振るだろう。リフティングボディであるがゆえに機体全体”だけ”で揚力を稼ぎ、二枚の垂直尾翼とV字尾翼二枚で舵取りをする。だが、重量過多で着陸時にギアに負担がかか、液体水素燃料タンクもアルミから複合素材製に切り替えて軽減化を図ったものの、今度は貯蔵性の課題を抱えていた。
有機高分子材料であるプラスチック繊維は水素分子を簡単に透過してしまうのだ。そして複合素材は炭素繊維やグラスファイバーを接着剤で練り固めたような代物で、こんなものに揮発性の高い爆発物を詰めて大気摩擦に耐えろというなど狂人の妄想に等しい。
冒険者の星はその名の通り大博打だ。その汚点を弁舌でさらっと包み隠すのも投資家の才能だと高美は嘯く。慧眼の専門家は具体的な懸念を論っているが、彼女は広告代理店に莫大な資金を投じて雑音をかき消している。
ラスベガスの五つ星ホテル ベラージオを借りきって大掛かりなお披露目会が続いている。噴水広場の照り返しが往還機に花を添えた。
「こんな張りぼてによくもまあ投資できるもんだわ」
大理石の専用バスルームが付くエレガントな客室で専用のトリートメントを受けながら斎藤夏希が冷やかした。「計画は先が見えてる。複合材がネックになって頓挫する。その頃にはとっくに売り逃げてる」
不知火高美は持ち株の一部を軍人共済に変えていた。還付金は歳費で賄われるから彼女が損をすることはない。軍人の老後が破たんするだけだ。
「猿ヶ森の土地、売ったわよ」
夏希は湯船に首まで浸かって安穏としている相手に冷水をあびせた。
「正気なの?!」
ざあっとぬるま湯が胸の間から落ちる。ブラも。高美は胸を隠そうともせず呆気に取られている。
「ざっと17億がた。ヤンソンの爺ったら湿気てるわよねぇ。そこのあなた。これ、どぅお?」
マッサージ嬢は夏希のダイヤモンドピアスを見せつけられて言葉を失っている。
「あ・げ・る」
「わぁっ! いいんですかぁ?」
ライムグリーンのビキニ娘は夏希の切符の良さに顔を輝かせた。
「ちょっと、うちの子に餌付けしないでッ」
高美は不意打ちを食らった動揺から苛立ちを隠せない。嬢の手からピアスを取り上げるつもりが、手が滑った。
「何すんの。クソババー!」
見事な紅葉が夏希の頬に張り付いている。
「それはこっちの台詞だわよ。切羽詰まって先祖伝来の禁忌を破るなんて、タコの自給自足じゃあるまいし! バカなの?」
言い捨てて高美は一糸まとわぬ姿のままリビングに向かう。純金製の受話器を取ってフロントを呼び出す。「外線をおねがい」
かなり焦った様子で電話の相手と早口でやり取りしている。
夏希はその慌てぶりを滑稽に思いながら部屋を後にした。
「ハリボテ詐欺なんかよりよっぽど有意義だわ」
電話口の高美は手のひらで受話器を遮って、捨て台詞に反応した。
「ハッ! 滅亡のきっかけ作りが? お前が死ぬ方が為になるわ!」
■
『トワイライトエクリプス のぼりTWX666Ω 軌道上に侵入者あり。減速徐行せよ! 注意して減速運転せよ!』
保線区武装司令部は常園駅に入線する定時列車をすべて臨時停車させた。原因は監視センサーが侵入者を検知したからだ。
「侵入者? ヒト、人ですか?」
ハウゼル列車長は長い乗務の間に、たった一度だけ歩行者を発見したことがある。恐山付近を通る枢軸特急・韃靼海峡線の地下トンネルだ。正確に言えば生霊だ。死に際の人間は距離を超越したり分身したり量子力学的にふるまう。彼らは異世界クラスが定義できないため、排除しづらい。もちろん保線区の有能ぶりが安全運航を支えている。それでも紛れ込んでしまう者はいる。
『人だ。ワールドクラスが判明している。ユーロ・パメリカ資本主義自由連合国』
運転指令所は明確に敵兵が侵入したと警告してきた。
「どうやって? そういえば小鳩が枢軸特急の技術を……」
留萌が台座分水嶺の苦々しい失態を思い出した。連合側にトルマリンの建設技術が漏れている。
『運転指令所、ダイヤ変更の許可を! 予定勤務者を回収します!! 聖イライサニス学園下駅』
ハーベルトが臨時停車を提言し、すぐさま受け入れられた。臨時駅は校舎をつなぐ幅広い陸橋上に設けられている。もちろん一般人の肉眼では見えない。
「ちょっと! 祥子はどうしたの? また現地採用?」
望萌はシフト変更の予定を聞いていない。大総統に事前申告する規則がある。てっきり、祥子が何の前触れもなく喪失したのだと思って、また新人教育をやり直すのかとゲンナリした。
「違うわ。現地世界の事情よ。祥子には鈴をつけとかなくちゃ」
「もしかしたら、例の担任?」
「そうよ。留萌。念のために荒井先生を推薦しておいてちょうだい」
異世界逗留者は先任者二名以上の意見を添えて上伸すれば運輸総局が採用判断する。鉄道連隊の工事車両がTWX666Ωを追い抜いて行った。学園まで引き込み線を敷設するためだ。
■ 聖イライサニス学園 部活棟「カルチェラタン」
煤けたコンクリートの半地下階。差し込む光が埃を照らしている。誰もいない校舎に島崎藤村の「遠き島より」が響いている。ガタガタっと骨格標本が震え、祥子は縮んだ。
「今の、地震?」
「ラップ音でも、念動波でもないわ。そういえば、貴女、今日はお仕事じゃないの?」
エリスが壁の時計を見上げると十六時四十四分を指していた。
「枢軸とっきゅ……」
「祥子!」
バタンとロッカーが開いてハーベルトが飛び出した。
「……う?」
渡り廊下にTWX666Ωが停車している。
「あなた、どっから湧いてるのよ?!」
エリスの誰何に「こんにちわ。宇宙人さん。あたしを探してたんでしょ」と返す。
「ハーベルト! どういう事だってばよ? 知り合いなの?」
戸惑う祥子とエリスの手を取ってハーベルトは乗車を促した。「急いで! 凡人の中には霊感の鋭い人もいるわ!」
三人が列車に転がり込むと、車窓から顔面蒼白した女生徒が見えた。忘れ物を取りに来たらしく、こちらを見て歯を鳴らしている。
ガタンと車両が揺れ、すぐ世界が闇に沈んだ。
ファーストコンタクトはダイナーアンブロシアで行われた。宇宙人と異世界逗留者がハムサンドを頬張りながら地球の運命を協議するのも滑稽だが。彼女、川端エリスは高次知識集団が派遣した後見人だと自己紹介した。
「驚いた! 宇宙人っていうのはてっきり……」
「グレイやレチクル星人は創作よ。標準的な知性は道具を扱う五本指の炭素生命体に集約されるわ」
エリスは望萌の先入観をあっさり打ち砕いた。
「枢軸の時間軸は譲れないわ。わたしが許しても総統閣下が却下する」
剣呑なハーベルトに異性の客は噛みついた。「だから、侵略しに来たんじゃないってば!」
高次知識集団は宇宙を駆け巡る慈善団体だ。末期のろうそくに似た文明の陰りを看取っている。エリス達はそれを地球に感じたという。
「つまり、紳士的な火事場泥棒」
「わあ! ハーベルト。身もふたもないこと言うなあ」
「それで泥棒さん。悪いけど、枢軸は第二法則と戦争の真っ最中。異星人だろうと容赦しない」
ハーベルトの凄みは本物だ。背後からエルフリーデ大総統の覇気が滲み出る。エリスは手をひらひらさせて「とんでもない。遺品を相続するだけです」と言い放った。
「どのみち窃盗は窃盗よ。10数える内に帰るか、ゲルマニアに通報するか」
有無を言わさずハーベルトは二択を迫った。するとエリスはプッと吹き出した。「誰が枢軸国と言いましたか。死出の旅路を歩むのは異世界ですよ」
■ 異世界・豊穣の時代
猿ヶ森の砂丘にブルドーザーが這い回り、浚渫船が海底を掘り下げている。上奈良先端大学の能動的異文化探査研究室は多周波広帯域アンテナを高台に仮設した。送信内容は、アレシボメッセージに乗っ取ってビットマップ画像を素数の積で表現している。
現場を見下ろす丘には赤々とキャンプファイヤーが燃え、テーブルの上にはキャビアやフォアグラ、但馬牛のユッケ、ロブスターなど贅を尽くした献立が並んでいる。夏希がボジョレーヌーボーの封を切った。汗だくのグラスに新酒が満たされる。彼女はスタッフの労をねぎらうと、来るべき時代を祝して乾杯した。
■ TWX666Ω 戦闘指揮車両
「今度の停車駅は怖いもの知らずの世界。もう一度いうけど、肝に銘じてちょうだい」
ハーベルトは枢軸初の大攻勢をこう総括した。異世界「ブライトリング・ファイアスターター」は爛熟した人類経済の中心部であり、二大陣営が目指す終着点でもある。資本主義が絶頂をきわめ、一人当たりの名目GDPが百万ドルを軽く超える。労働はもはや生活費の獲得でなく、自己実現の手段へ変化した。行き過ぎた競争を適度な規制が縛り、貧困が根絶されている。
その世界は産業革命直後から翳りを帯びていたが、夏希という女の近視眼が幕を引いた。
「天に呼びかけるようじゃ、お終いよ」とは客人の談である。死に瀕した文明は無意識に空を仰ぐという。モルヒネを神に求めるのだ。
「祥子とわたしはダイマー能力を駆使して哨戒にあたるわ。集団のみなさんは遺品収集を。望萌!」
ハーベルトがハンディートーキーに呼びかけると、遅れて返事が来た。
■ ブライトリング・ファイアスターター 高度先進首都謄京上空 二万メートル
銀翼が超高層の気流を貫いている。「こちら、ジルバーフォーゲル。エンジンの噴き上がりは上々♪」
望萌はドイッチェラントの最新ロケット兵器オイゲン・ゼンガーから元気な声を送ってきた。スティックを小指で突けば、連合のTR-3Bオーロラに負けない機動をこなす。
「楽しそうね。その調子で連合軍を迎撃してちょうだい」
ハーベルトは頭上の護りに太鼓判を押した。まもなくトキオ駅に到着する。GDP世界一の首都に崩壊が迫っている。ドイッチェラント軍は希望者の疎開を支援する。金に目が眩んだ連中に現実が見えるかどうか不明だが。
「少なくとも、虎の子にしがみつく人々は前を見てない」
ハーベルトが祥子を戒めていると、急ブレーキが掛かった。
『急停車します。ご注意下さい』
留萌が緊急停止信号を受信した。丸の内線の線路上に人がたむろしている。
「リンドバーグの壁が動きだしたわ」
ハーベルトは量子アサルトライフルを担いだ。
「それでは、テープカットを御願いします」
さわやかな女性のエコーとともに真赤なリボンが断ち切られた。鋏を入れた少女の笑顔がまたたく。ガシャガシャとフィルムがせわしなく巻き上げられ、記者たちが中腰で思い思いの被写体をレンズで狙う。舞い散る紙吹雪。紅白幕に居並ぶ迎賓たち。
拍手が巻き起こり、いよいよ儀式がここ一番の盛り上がりを見せる。
「山城鉄道弘学館 ただいまオープンしました」
ウグイス嬢が言い終えぬうちに、待ちくたびれた人々が覚醒した。人だかりが決壊し、黒い頭をした濁流が自動ドアを押し開いてエントランスホールにまでなだれ込む。
見学者はそれぞれお目当ての展示物めがけてダッシュする。弘学館の一番人気は運転シミュレーターだ。現役引退したばかりの列車を特設ステージに陳列し、スクリーンに映った沿線の景色をバックに本物の運転手を疑似体験できる。
老婆は子供達の大騒ぎにめもくれず、管理棟の最深部をめざした。緑色の非常灯が冷たい闇をうっすらと照らしている。光が届かぬ先に目的地があった。
「いったい、どういう要件ですの?」
武鳥明菜はノックもせず、ドアを開けるやいなや、山城館長に詰め寄った。小脇に抱えた茶封筒から札束をぶちまける。と、
思いきや、それは日本銀行券ではなく、白人女性の肖像が入った外貨だった。さらに折りたたんだパンフレットのようなものが挟まっている。広げてみるとB5判の小冊子でカラフルな電車の写真や少女のイラストで彩られている。ただ、そこに記載されている文字はアルファベットではない。よく似ているが例えばNの文字がひっくり返っていたり、カタカナのヨがイーの代わりだったりする。
「明菜おばさん。親しき中にも礼儀なしにも程がありますよ」
還暦をとうに過ぎたであろう館長はいい年をして青ざめている。何か弱みを握られているか、借りがあって頭があがらないのだろうか。
「だまらっしゃい! 買収がうまくいかないからって女の子をかどわかすとはなにごとですか! 挙句の果てにこんな如何にも子供が飛びつきそうな旅行パンフレットで釣ろうなんて」
明菜は高齢者とは思えないほどしっかりした声で甥を叱り飛ばした。山城にとっては寝耳に水のようで、驚きを隠せない。
「待ってください。何のことやら」
「聞きたいのはこっちさ」
食い違う二人の間に警備室から駆け付けたガードマンが割って入った。どうにか落ち着かせる。
明菜は口角泡を飛ばしてわめきたてた。
祥子の部屋から洗濯物を回収しようとしたところ、とても年頃の娘が着そうにない衣装が出てきた。明菜は大きめの巾着袋からローレグのビーチバレーショーツや平成の陸上女子が着るレーシングブルマを取り出した。異世界逗留者が翼を縛り隠すために使う補正下着とは想像だにできないだろう。時代錯誤物なのだから。
明菜が問題にしているのはそれではない。スカートのポケットに外国のお金と冊子が入っていた。中学生とは縁遠いものだ。彼女は「蛍叛電車には猫の額たりとも売りません」と憤った。
「ちょっと待った。おばさんちは土地買収に引っかかってない筈だ。それにうちと蛍叛とは直接の関係はありませんよ」
「じゃあ、裏でつながってるのかい! 祥子を誑かしたり、夜中に妙な工事をやったり、黙ってりゃ好き放題じゃないか!」
「何の話ですか? 八尾国際空港線は青写真も出来てないんですよ!」
「ばっくれるんじゃねーよ!」
マホガニーの机にどっかりと大根脚が降ろされた。ワンストップのゴムサンダル。マキシ丈ワンピースがめくりあがりベージュのフルバックショーツが見え隠れする。はずみで落ちた冊子を警備員が拾い上げた。定年退職者は学があるらしく、「ほう。これはソ連の文字ですな」と見事に言い当てた。それを聞いて山城がポンと膝を打った。
「こんな電車は見たこともない。しかし、共産主義の国なら奇抜なデザインもありうるでしょうな」
彼は資料棚から万国列車図鑑を取り出した。チェコスロバキアか共産圏の優等生と言われているルーマニア辺りのページを繰る。だが、トワイライトエクリプスに似た流線型でなく武骨な車両ばかりだった。
「あんたらはソ連のスパイかい?」
明菜は汚いものを見るような目で男どもを睨む。
「わっはっは。まさか。私は丸紅に務めてました」 警備員はプラハに家族と二十年暮らしていたという。
「キューバかモザンビークの鉄道にもこんな電車は無い」
山城は知識を総動員して調べつくしたが正体を解明できなかった。列車の構造からみても不必要なエアブレーキや翼型のパンタグラフなど現行技術の数十年先を行っている。
「まさか、祥子がソ連のスパイと……」
本気で心配する叔母を山城は笑い飛ばす。「あはは。まさか、おばさん! これは、きっと、祥子ちゃんの作品ですよ」
「そうですな。十四、五といえば夢見がちな頃だ。そういえば二十四時間テレビでやってましたな。手塚治虫の海底列車とか何とか。あれの影響でしょう。孫が見てました」
彼は日曜の朝に放映していたアニメ特番を挙げた。総合判断するに大人達は「漫画の読みすぎ」で不可解を理解した。
「でも、夜中の振動は何なの? あの子のロマンチックじゃ説明がつかないわ」
明菜はラップ音が工事用車両の通過ではないかと疑っている。
「暴走族のバイクじゃないですか? 祥子ちゃんは電車や車に興味があるようだし、その派手なパンツもひょっとしたら……」
きわどい運動着は不純異性交遊の物的証拠だと山城が人聞きの悪いことをいうのだ。明菜は反射的に引っぱたいた。しかし、単車という語句に青ざめた様子だ。
「バイク……って、いけない。今日はアズサの月命日じゃないの! これは、あの子のパンツだよ!!」
武鳥アズサは暴走事故で死んだ孫娘だ。ノーヘルで二人乗りして遮断機の降りた踏切内で転げた。明菜の手には淫靡なレース柄の下着がある。旅人の外套が劣化したとは想像もつかないだろう。
「祥子ちゃんはアズサちゃんに憧れて箪笥から引っ張り出したんでしょう」
山城は事情を知っている。明菜は孫娘が忘れられず勉強部屋をそのままにしてある。
「そうさね。アズサ、おばあちゃんが悪かった。ごめんね」
老婆はバタバタと来た道を帰り急いだ。その足音に汽笛が重なった。
「あ、奥さん! 忘れものですよ!!」
警備員が小冊子を片手に追い掛ける。「待て!」 何を思ったか、山城は彼を制止した。裏表紙が館長としての琴線に触れたのだ。
「リニア新幹線 2047年春、いよいよ八尾南へ? 何じゃそりゃ?」
彼は遥か未来の広告に目を白黒させた。
■ 聖イライサニス学園中等部 体育倉庫裏
「宇宙人か未来人か超能力者か異次元人か、とにかく誰でも良かったんだ。入学式をぶっ壊してくれれば」
祥子はエリスにトラックが突入した夜のいきさつを語った。
「『集団』は、わたしじゃなくて詩人を送るべきだったわ。こんなにも自虐美あふれる世界だったとは」
異性の客は地上と違う価値基準で祥子の愚行を礼賛した。ざっくばらんに言うとエリスは高度先進文明が遣わした救世主だった。
「君なんか呼ばなくても恐怖の大王が滅ぼしに来るよ」
「何で1999年まで待てなかったの?」
「ボクはスカートなんか履きたくなかったんだ。男になりたかった」
祥子は繰り返されてきた質問にげんなりした表情で答えた。
「でも、嬉々として履いてるじゃん。ぴらっ♪」
「きゃあ。ぶ、ブルマー履いてるから、まだ恥ずかしくないもん」
プリーツスカートを抑えて恥じらう祥子。エリスの目的は侵略ではないという。祥子の能力を見込んでお願いがあるという。
「確かにボクはリンドバーグの壁を呼ぶ力があるんだ。それの良し悪しはまだわからない。けれど役立てないといけないんだ」
祥子はこれまで自分の資質を私利私欲に用いた。その結果、台座分水嶺で痛い目にあった。だから、「集団」の権益確保には力を貸せない。
「いいえ、これは人のためにとても有益なことよ。ことによっては全人類の命運がかかっていると言い切れる!」
異文明の先兵はえらく大上段に構えた。
「君の集団に利益があるんじゃないの? 利己的な超能力者なら他をあたってよ!」
祥子は侵略者の手先になるのはごめんだと突き放した。
「四の五の言ってる場合じゃないのよ!」
エリスは祥子に覆いかぶさるようにして壁にドンと手を着いた。
「ど、どういう……?」
オズマ計画の申し子は厳かな口調で告げた。
「だって、あした世界が滅びるんだもの――」
■ X-33 ベンチャースター
栄華を極めた存在が滅ぶときはたいてい自分で破滅の道を開くものだ。その不恰好な機体は醜く膨満した腹をのたりのたりと揺らして社会の木鐸に痴態をさらした。
不知火高美は山より大きな獅子すらも魅了できると信じ込んでいる女性の表情で言った。
「ご来場のみなさん! 私どものスターX社はこのたびアメリカ航空宇宙局と主契約を締結いたしました」
実験航空機X-33はスペースシャトルの商用化を目指してNASAが開発を進めている大気圏往還機だ。液体水素を過冷却して得られる量子状態のスラッシュ水素と呼ばれる固体を燃料にしている。この、握り飯を巨人が踏みつぶした姿のどこに先見性があると聞かれたら大部分の人は首を横に振るだろう。リフティングボディであるがゆえに機体全体”だけ”で揚力を稼ぎ、二枚の垂直尾翼とV字尾翼二枚で舵取りをする。だが、重量過多で着陸時にギアに負担がかか、液体水素燃料タンクもアルミから複合素材製に切り替えて軽減化を図ったものの、今度は貯蔵性の課題を抱えていた。
有機高分子材料であるプラスチック繊維は水素分子を簡単に透過してしまうのだ。そして複合素材は炭素繊維やグラスファイバーを接着剤で練り固めたような代物で、こんなものに揮発性の高い爆発物を詰めて大気摩擦に耐えろというなど狂人の妄想に等しい。
冒険者の星はその名の通り大博打だ。その汚点を弁舌でさらっと包み隠すのも投資家の才能だと高美は嘯く。慧眼の専門家は具体的な懸念を論っているが、彼女は広告代理店に莫大な資金を投じて雑音をかき消している。
ラスベガスの五つ星ホテル ベラージオを借りきって大掛かりなお披露目会が続いている。噴水広場の照り返しが往還機に花を添えた。
「こんな張りぼてによくもまあ投資できるもんだわ」
大理石の専用バスルームが付くエレガントな客室で専用のトリートメントを受けながら斎藤夏希が冷やかした。「計画は先が見えてる。複合材がネックになって頓挫する。その頃にはとっくに売り逃げてる」
不知火高美は持ち株の一部を軍人共済に変えていた。還付金は歳費で賄われるから彼女が損をすることはない。軍人の老後が破たんするだけだ。
「猿ヶ森の土地、売ったわよ」
夏希は湯船に首まで浸かって安穏としている相手に冷水をあびせた。
「正気なの?!」
ざあっとぬるま湯が胸の間から落ちる。ブラも。高美は胸を隠そうともせず呆気に取られている。
「ざっと17億がた。ヤンソンの爺ったら湿気てるわよねぇ。そこのあなた。これ、どぅお?」
マッサージ嬢は夏希のダイヤモンドピアスを見せつけられて言葉を失っている。
「あ・げ・る」
「わぁっ! いいんですかぁ?」
ライムグリーンのビキニ娘は夏希の切符の良さに顔を輝かせた。
「ちょっと、うちの子に餌付けしないでッ」
高美は不意打ちを食らった動揺から苛立ちを隠せない。嬢の手からピアスを取り上げるつもりが、手が滑った。
「何すんの。クソババー!」
見事な紅葉が夏希の頬に張り付いている。
「それはこっちの台詞だわよ。切羽詰まって先祖伝来の禁忌を破るなんて、タコの自給自足じゃあるまいし! バカなの?」
言い捨てて高美は一糸まとわぬ姿のままリビングに向かう。純金製の受話器を取ってフロントを呼び出す。「外線をおねがい」
かなり焦った様子で電話の相手と早口でやり取りしている。
夏希はその慌てぶりを滑稽に思いながら部屋を後にした。
「ハリボテ詐欺なんかよりよっぽど有意義だわ」
電話口の高美は手のひらで受話器を遮って、捨て台詞に反応した。
「ハッ! 滅亡のきっかけ作りが? お前が死ぬ方が為になるわ!」
■
『トワイライトエクリプス のぼりTWX666Ω 軌道上に侵入者あり。減速徐行せよ! 注意して減速運転せよ!』
保線区武装司令部は常園駅に入線する定時列車をすべて臨時停車させた。原因は監視センサーが侵入者を検知したからだ。
「侵入者? ヒト、人ですか?」
ハウゼル列車長は長い乗務の間に、たった一度だけ歩行者を発見したことがある。恐山付近を通る枢軸特急・韃靼海峡線の地下トンネルだ。正確に言えば生霊だ。死に際の人間は距離を超越したり分身したり量子力学的にふるまう。彼らは異世界クラスが定義できないため、排除しづらい。もちろん保線区の有能ぶりが安全運航を支えている。それでも紛れ込んでしまう者はいる。
『人だ。ワールドクラスが判明している。ユーロ・パメリカ資本主義自由連合国』
運転指令所は明確に敵兵が侵入したと警告してきた。
「どうやって? そういえば小鳩が枢軸特急の技術を……」
留萌が台座分水嶺の苦々しい失態を思い出した。連合側にトルマリンの建設技術が漏れている。
『運転指令所、ダイヤ変更の許可を! 予定勤務者を回収します!! 聖イライサニス学園下駅』
ハーベルトが臨時停車を提言し、すぐさま受け入れられた。臨時駅は校舎をつなぐ幅広い陸橋上に設けられている。もちろん一般人の肉眼では見えない。
「ちょっと! 祥子はどうしたの? また現地採用?」
望萌はシフト変更の予定を聞いていない。大総統に事前申告する規則がある。てっきり、祥子が何の前触れもなく喪失したのだと思って、また新人教育をやり直すのかとゲンナリした。
「違うわ。現地世界の事情よ。祥子には鈴をつけとかなくちゃ」
「もしかしたら、例の担任?」
「そうよ。留萌。念のために荒井先生を推薦しておいてちょうだい」
異世界逗留者は先任者二名以上の意見を添えて上伸すれば運輸総局が採用判断する。鉄道連隊の工事車両がTWX666Ωを追い抜いて行った。学園まで引き込み線を敷設するためだ。
■ 聖イライサニス学園 部活棟「カルチェラタン」
煤けたコンクリートの半地下階。差し込む光が埃を照らしている。誰もいない校舎に島崎藤村の「遠き島より」が響いている。ガタガタっと骨格標本が震え、祥子は縮んだ。
「今の、地震?」
「ラップ音でも、念動波でもないわ。そういえば、貴女、今日はお仕事じゃないの?」
エリスが壁の時計を見上げると十六時四十四分を指していた。
「枢軸とっきゅ……」
「祥子!」
バタンとロッカーが開いてハーベルトが飛び出した。
「……う?」
渡り廊下にTWX666Ωが停車している。
「あなた、どっから湧いてるのよ?!」
エリスの誰何に「こんにちわ。宇宙人さん。あたしを探してたんでしょ」と返す。
「ハーベルト! どういう事だってばよ? 知り合いなの?」
戸惑う祥子とエリスの手を取ってハーベルトは乗車を促した。「急いで! 凡人の中には霊感の鋭い人もいるわ!」
三人が列車に転がり込むと、車窓から顔面蒼白した女生徒が見えた。忘れ物を取りに来たらしく、こちらを見て歯を鳴らしている。
ガタンと車両が揺れ、すぐ世界が闇に沈んだ。
ファーストコンタクトはダイナーアンブロシアで行われた。宇宙人と異世界逗留者がハムサンドを頬張りながら地球の運命を協議するのも滑稽だが。彼女、川端エリスは高次知識集団が派遣した後見人だと自己紹介した。
「驚いた! 宇宙人っていうのはてっきり……」
「グレイやレチクル星人は創作よ。標準的な知性は道具を扱う五本指の炭素生命体に集約されるわ」
エリスは望萌の先入観をあっさり打ち砕いた。
「枢軸の時間軸は譲れないわ。わたしが許しても総統閣下が却下する」
剣呑なハーベルトに異性の客は噛みついた。「だから、侵略しに来たんじゃないってば!」
高次知識集団は宇宙を駆け巡る慈善団体だ。末期のろうそくに似た文明の陰りを看取っている。エリス達はそれを地球に感じたという。
「つまり、紳士的な火事場泥棒」
「わあ! ハーベルト。身もふたもないこと言うなあ」
「それで泥棒さん。悪いけど、枢軸は第二法則と戦争の真っ最中。異星人だろうと容赦しない」
ハーベルトの凄みは本物だ。背後からエルフリーデ大総統の覇気が滲み出る。エリスは手をひらひらさせて「とんでもない。遺品を相続するだけです」と言い放った。
「どのみち窃盗は窃盗よ。10数える内に帰るか、ゲルマニアに通報するか」
有無を言わさずハーベルトは二択を迫った。するとエリスはプッと吹き出した。「誰が枢軸国と言いましたか。死出の旅路を歩むのは異世界ですよ」
■ 異世界・豊穣の時代
猿ヶ森の砂丘にブルドーザーが這い回り、浚渫船が海底を掘り下げている。上奈良先端大学の能動的異文化探査研究室は多周波広帯域アンテナを高台に仮設した。送信内容は、アレシボメッセージに乗っ取ってビットマップ画像を素数の積で表現している。
現場を見下ろす丘には赤々とキャンプファイヤーが燃え、テーブルの上にはキャビアやフォアグラ、但馬牛のユッケ、ロブスターなど贅を尽くした献立が並んでいる。夏希がボジョレーヌーボーの封を切った。汗だくのグラスに新酒が満たされる。彼女はスタッフの労をねぎらうと、来るべき時代を祝して乾杯した。
■ TWX666Ω 戦闘指揮車両
「今度の停車駅は怖いもの知らずの世界。もう一度いうけど、肝に銘じてちょうだい」
ハーベルトは枢軸初の大攻勢をこう総括した。異世界「ブライトリング・ファイアスターター」は爛熟した人類経済の中心部であり、二大陣営が目指す終着点でもある。資本主義が絶頂をきわめ、一人当たりの名目GDPが百万ドルを軽く超える。労働はもはや生活費の獲得でなく、自己実現の手段へ変化した。行き過ぎた競争を適度な規制が縛り、貧困が根絶されている。
その世界は産業革命直後から翳りを帯びていたが、夏希という女の近視眼が幕を引いた。
「天に呼びかけるようじゃ、お終いよ」とは客人の談である。死に瀕した文明は無意識に空を仰ぐという。モルヒネを神に求めるのだ。
「祥子とわたしはダイマー能力を駆使して哨戒にあたるわ。集団のみなさんは遺品収集を。望萌!」
ハーベルトがハンディートーキーに呼びかけると、遅れて返事が来た。
■ ブライトリング・ファイアスターター 高度先進首都謄京上空 二万メートル
銀翼が超高層の気流を貫いている。「こちら、ジルバーフォーゲル。エンジンの噴き上がりは上々♪」
望萌はドイッチェラントの最新ロケット兵器オイゲン・ゼンガーから元気な声を送ってきた。スティックを小指で突けば、連合のTR-3Bオーロラに負けない機動をこなす。
「楽しそうね。その調子で連合軍を迎撃してちょうだい」
ハーベルトは頭上の護りに太鼓判を押した。まもなくトキオ駅に到着する。GDP世界一の首都に崩壊が迫っている。ドイッチェラント軍は希望者の疎開を支援する。金に目が眩んだ連中に現実が見えるかどうか不明だが。
「少なくとも、虎の子にしがみつく人々は前を見てない」
ハーベルトが祥子を戒めていると、急ブレーキが掛かった。
『急停車します。ご注意下さい』
留萌が緊急停止信号を受信した。丸の内線の線路上に人がたむろしている。
「リンドバーグの壁が動きだしたわ」
ハーベルトは量子アサルトライフルを担いだ。
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