枢軸特急トルマリン=ソジャーナー 異世界逗留者のインクライン

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千億光年の夜景(ア・バード・ビューズ・ナイト)⑤

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 ■ 飛鳥山観光ホテル廃墟上空(承前)

 もう一度、祥子が口元をぬぐうと掌にどす黒い血がべっとりとついていた。激しく咳き込む。肩が上下するたびに胸が透明な有刺鉄線で締め付けられる。
 とても羽ばたいていられない。まるで肺に無数の釘がささっているようだ。彼女はやむなく手近な岩場に着地した。そこへ誘導弾が命中する。爆風に煽られ祥子は崖に叩きつけられた。
「――ッ!!」
 声をあげたくても気道がヒリヒリして叫びにならない。苦痛に支配された五感に共有感覚が割り込んだ。
「おとなしくそこで待ってて。コヨリはわたしが相手になるわ」
「だって、ハーベルトひとりじゃ。それにあいつは【安保条約】を跳ねのけるミサイ……」
「うるさい! 黙って休養してて。心の声も結構な負担になるのよ」
 ハーベルトは厳しく祥子をしかりつけると、月明かりの下へ消えていった。
 石礫いしつぶてのごとく、飛来する誘導弾は空対空ミサイルや高射砲の類ではなかった。ハーベルトは弾道を暗視して確信した。金属製の誘導弾であれば、摩擦熱で大気をイオン化させるはずだ。敵は空気中の水分を電気分解している。実弾でなく水素の塊を目標にぶつけているのだ。こんな真似が出来るのは水素二量体能力者ダイマーダンサーしかいない。
 検討している間にもホテル周辺がパッパッと明るくなる。誰かが通報したのだろうか。すでに摂津県警のパトカーや消防車が山道に列をなしている。赤い車体めがけて青白い火箭かせんが飛ぶ。
「そこかっ!」
 ハーベルトは暗闇の一点めがけて水素二量体を投射した。斜面の広葉樹が松明となり、バラバラになりながら落ちていく。
「ああら、誰かと思ったら【汚い移民の子】トロイメライさんじゃないの?」
 バカにしくさった声が足元から聞こえてきた。ハーベルトはバック転で直撃弾をかわす。同時に全方位索敵を終了。遮蔽物に利用できそうな地形の各所に重水素を撃ち込んだ。焼付いた岩が、樹木が溶岩流のごとく雪崩落ち、谷底に引火する。
「どこにいるの? コヨリの名を騙る卑怯者。こっちから追いつめてやろうか!」
 ハーベルトは頭上からの奇襲に備えた。案の定、急降下してきたコヨリと鉢合わせた。
「まぁ、すっかり馴染んじゃったのね。野蛮人の子がSSに成り下がるなんて卑屈の極みね。おまけに”閣下”だなんて、呼ばれて気持ちいい?」
 真面目で温厚だった竹馬の友は三白眼の狂人に成り下がってしまった。
「生まれが出世の足枷にならないことを実証しただけよ」
 ハーベルトがしれっと言い返すと沼田はますます挑発してきた。
「おーおー。ムキになっちゃってさ。相変わらずだね。プライドだけの偽善者!」
「おだまり!」
 偽善者が沼田の周囲を燃焼させる。しかし、炎が瞬時に水蒸気と化す。
「ついでにお前はヘマを隠すのが上手だったよねぇ。宿題とか忘れ物とか、詭弁で目上に取り入ってさ。総統府はヤンガードライアス彗星を国民に伏せている。お前は実力でのし上がったんじゃない。単にそういう素質を買われただけなのさ」
 コヨリはおもむろに夜空を見上げた。数多の星を背にして、薄く刷毛で履いたような光の帯がある。
「あなた、何を勘違いしているの。あれはハレー彗星よ。人畜無害。コード1910では未開ゆえに世界的な騒ぎになったけど……うぐわぁ!」
 ハーベルトの顔面にパンチがめり込んだ。
「独裁者の犬! お前、あの女としょっちゅう寝てるんだろ。どこまで堕落すれば気が済むのさ。あれもヤンガードライアスの片鱗だろうが! お前らはそうやって臭い物に蓋をする」
「知らない方が有益な事もある。総統閣下はちゃんと公益を考えておられるわ」
「フン。”公益と秩序に反しない限り”かい。お仕着せの自由なんか無い方がマシだよ」
「すばらしいわね! 連合には失業する自由も、餓死する自由もあるんだもの」
 二つの輝きがぶつかり合う。
 二人のやり取りを聞いているうちに祥子は疑心暗鬼を生じた。自分が生まれ育った世界はコード1986と呼ばれているらしいが、ハーベルトの属する枢軸は、言うなればコード1930――戦前戦中の抑圧的な社会ではないか。それならば、彼女に与することはコード1986に対する背任行為に他ならない。自由と平等が何よりも大事でかけがえのないものだと教えられて来た。
 ――自分はコヨリについていくべきだ。でも……。
 揺れ動く心に呼応するように祥子の周囲が揺らめき始めた。まぶしい光の中に黒い影が浮かぶ。それがみるみるうちに膨張して流線型のシルエットを成した。
 連合軍司令部列車アライドリミテッドが一騎打ちに水を差す。隙を突いてハーベルトが畳みかける。車両はコヨリを庇った。
「そうとうお困りの様ですね。コヨリさん」
 ALX427ψは純色の声で救済を申し出る。もちろん断る。ちゃっかり代償を要求してくるだろう。蜂狩山系のハイパー核を渡すわけにはいかない。
「うるさい。帰れ。業突く張り!」
 コヨリが言い捨てると、火球が回り込んできた。とっさに回避する。その先にハーベルトが待ち構えていた。
 ふたたび、ALX427ψが盾になる。
「そうとうお困りの様ですね?」
「しつこい!」
 ハーベルトとコヨリは列車の上で格闘している。ハーベルトは車両の中央に氷の壁をめぐらせ、コヨリの打撃をすべて弾く。そればかりか、壁がのしかかってきた。
「そーーーとーーーお困りのよーーですねぇ?」
 純色が親切をごり押しする。
「わかった。わかったよ。わかりました。助けてください」
 とうとうコヨリが折れた。ALX427ψのドアが開き、彼女を招き入れる。
 だが、乗車する直前、ピタリと閉じた。コヨリが狐につままれた。
「やっぱりこの女は蝙蝠よ。簡単に日和ひよる。”懐疑派”のかがみだわ!」
 純色が突き放すように言う。
「敵の敵は味方というわ。ねぇ。ハーベルト。一時休戦といかない?」
 いきなり共闘を持ち掛けられてハーベルトは戸惑った。確かに懐疑派は厄介な不満分子だ。熱力学の第二法則に真逆の方向から挑む二大陣営そのものの姿勢に不信感を募らせている。「リンドバーグの壁を屈服させるよりも利口で美しい方法がある」と信じて模索している連中だ。彼らは独自の資金源や活動拠点を構え、両者を脅かす存在感を持っている。
「……そうね。わたしも正直、二正面作戦は辛いわ」
 ハーベルトは最悪と絶望を天秤にかけた。彼女は枢軸特急を呼び寄せてコヨリの退路を塞いだ。枢軸特急が容赦なく機銃を向ける。コヨリはダイマー能力で窮地を脱する能力が十分にあると思われたが、疲れた顔でこう言った。
「そうかいそうかい。巨悪が必要悪を踏み潰す。それが人類の選んだ道というんなら、一足先に滅ぶも僥倖ってもんさ」
 ――許してあげようよ!
 祥子が岩場から飛び出した。広げた翼がコヨリに影を落とす。
「もう充分だろ。おばさんはよく戦った。ボクが男なら鞘を納めて武士の情けをかけるよ。ボクは大人の事情はよくわかない。けど、男のマネをしなくてもいいじゃない。ハイパー核の取り分で揉めているなら殺し合うより話し合いで解決すれば?」
「忘れたの? 祥子、異世界で生き延びるためには、たとえ新生児であろうと……」
 ハーベルトが冷酷な鉄則を唱えると、ALX427ψが大きくかしいだ。続いてTWX666Ωの客車が爆散した。
「「――?!」」
 純色、ハーベルト。同時に対空レーダーを見やる。無数の飛行物体が大阪湾上に現れた。民間機だ。八尾国際空港には個人所有の機体が数多く駐機してある。それらが次々と離陸している。
 先発した数機から火球が放たれた。さらに地平線の陰から大型の機体が続々と飛来する。
「ダイマー能力者? そんなことって……」
 ハーベルトは驚きと落胆で顔面蒼白した。
「あーはっは! バカが引っ掛かったわ。懐疑派は私一人じゃないってことさ」
 水を得た魚のようにコヨリが叫ぶ。それにしてもこの数は異常だ。
「関西一円に潜伏していたとしても、海の向こうから短時間で動員できっこない」
 コード1986の通信手段は立ち遅れている。ことに海外との連絡手段は。パソコン通信は限られたマニアのものだし、国際電信電話は高嶺の花だ。144MHZ帯のアマチュア無線は見通し距離しか届かない。
 ハーベルトが否定要素を並べていると、純色が横槍を入れる。
「いや、方法が一つだけあるわ。流星散乱通信よ」
 成層圏で燃え尽きてしまう流星群に電波を反射させて到達距離を稼ぐ方法がある。
「ご名答。ハーベルト。お前の暴露は遥か海を越えてL5ソサエティーに福音をもたらしたのさ。ざまあ」
 コヨリの勝利宣言を裏付けるようにTWX666Ωの射撃統制装置はグアム発のチャーター便を識別した。情報システムはフライトプランを収集し、状況証拠を補強する。
「列車はいただくよ」
 コヨリは形勢不利を一気に逆転した。いくら枢軸特急とて、数で押されてはひとたまりもない。
「この糞ババア。そこまで計算ずくめだったの?!」
 ハーベルトはキリキリと歯噛みした。
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