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針鼠の恋愛事情(グリーパス・スタン・アマルガムハート) ⑮
しおりを挟むグリーバスにやってきた異世界人たちがカラボラック地区に見出したもの。
それは、シベリア抑留者たちの残留思念に他ならなかった。もともと、ここはエーデルヴァイス海賊団が本初始祖世界から別世界へ逃亡する際に派生したクラスの一つだ。よって、ソースの時間軸を継承していてもおかしくない。
ソースでは第二次世界大戦後、ソ連政府が武装解除した関東軍数百万人を捕虜扱いせず、開拓者として移送隔離した。日本人たちは厳しい寒さのもとで満足な食事も与えられず、苛烈な苦役を長期間にわたって強要した。そのため。多くの死者が出た。しばらくして、生存者は帰国を許されたが、病床で故郷に思いをはせながら息絶えた拘留者は少なくない。
その無念の思いが積年の怨恨を燃料にしながら、カラボラック地区の収容所跡でくすぶっていた。シュルルフたち偵察隊はその怨霊に遭遇し恐慌状態に陥った。
彼らの多くは自分の死を理解できず地縛霊と化したり、ただ闇雲に浮遊していたのであるが、沼田コヨリのQCDによって熱力学第二法則のどん底から救済された。地獄から脱するためには何かを捨てねばならない。ペンローズ過程が代償として求めたものは彼らが愛する女たちであった。幸いなことに残留思念となった段階で彼らの知能は形骸化しており、祖国に残してきた妻や許嫁に微塵の未練もない。
コヨリは拘留者達を復員させると偽って発掘現場まで連れてきた。
『女はどうした?』
シホテリアニ隕石が必要十分条件を再確認すると、コヨリは「抜かりないわ」と自信たっぷりに答えた。すると、断続的に銃声が聞こえてきた。
その音でマドレーヌがガバッと跳ね起きた。素早く蹴り上げて、コヨリのカロリーメーターをはたきおとす。だが、彼女の抵抗もそこで終わった。周囲からニョキニョキと短銃が生えてきてた。血と処女に飢えたソ連兵が機関銃を構えている。
「……――!?」
何か言いかけた彼女を威嚇射撃が黙らせる。男たちの背後が揺らめいて異様な風体の日本人集団が出現した。全員が青々と頭をそり上げている。手足や顔は泥だらけで、胸元は裂け、下には何も身につけていない。窪んだ箇所を見てマドレーヌは群衆の性別を把握した。
「この子達は軍属だよ。ソ連に嬲られてご覧のあり様さ。箱舟にうってつけだろう」
欲深い女は亡者の意向などまるで無視して自身の陰謀をまくしたてる。
「【マランツ】へ連れて行こうというの? 高次知能集団が許すと思う?」
マドレーヌに見透かされたコヨリは一瞬だけムッとしたものの、毅然と言い返した。
「そういうお前こそ、フラウンホーファー財団の力にものを言わせて隕石を独占する腹づもりでしょう」
「野盗あがりのお前がいう資格はないわ」
「運命量子色力学は恒久平和を実現するカント哲学の最たるものよ。エイリアンどもの強欲に負けるもんですか!」
「フン、どっちが……キャア!」
マドレーヌの足元で火球が膨らむ。スカートが激しく煽られ、三段フリルのアンダースコートがオレンジ色に染まる。彼女は風に飛ばされ、どさりと地面に尻もちをついた。もうもうとした黒煙が晴れ、紫色の残像が消えるころには、シホテリアニ隕石が薄明の中に小さく輝いていた。
■ TWX1369
制御を回復したトワイライトエクリプスは次に異世界逗留者を取り戻すべく悪戦苦闘していた。ブレーズの亡骸はシーツが被せてあり、荒井吹雪が機関士席に座っている。副操縦席のコンソールパネルは消灯したままだ。ポツポツと液晶画面に水滴が落ちる。
「留萌! 前に進みなさい」
列車長が発破をかけるが、留萌はじっと項垂れたままだ。
「私が進めましょう」
かわりに吹雪が席を立とうとする。「余計なことはしないで」と、ハウゼルが制止した。
機関士席のデスクトップに大きなウインドウが重なった。枢軸特急は機関部の定格出力試験を行う際に機関士が列車を操作する場合がある。ハウゼルは副操縦席をスキップして必要最小限の権限を吹雪に与えた。
「ありがとうございます。これで藤野さんやハーベルト閣下を救出できます」
吹雪が明るい声で謝辞を述べた。
「先生、あてはあるんですか?」
荒井はいちおう異世界逗留者であるが、列車の運用経験は皆無に等しい。ましてや実戦となると、その能力は未知数だ。ハウゼルが不安げに尋ねると、吹雪は大丈夫ですと答えた。
その自信はどこから来るのか。彼女の弁によると、先ほど外部干渉を受けて計器類が音楽を奏でた際に「バーベルト」という歌詞が聞こえたという。
「ちょっと待って」
ハウゼルがTWX1369のドライブレコーダーにアクセスした。列車長権限を用いて車内のモニター記録を再生する。万一の場合、事故防止委員会に提出するため、車両内外の視聴覚記録はもちろんのこと車内の会話まで網羅している。プレイバックすると勇ましい旋律に朗々たる歌声が乗っている。イスラム教のアザーン――モスクから定時の参拝を呼びかける詠唱――に似ている。
「これはユダヤ教の詩篇よ。聖書原典を読んで疑問を感じ、自らに問題提起するの」
何とも不思議な慣習だ。悟りを得る修行に似ているが、お題を聖典から頂戴する点と回答ではなく疑問を得る点が違う。
そして、三千世界を股にかけた列車長はこの歌い方に聞き覚えがあった。
「ハーベルトはユダヤ人なんですか? 名前は聖書にあやかっているとか」
「いいえ。ハーベルトじゃなくて、ハベル。ヘブライ語で『空』とか『息』という意味よ。もっと意訳すれば諸行無常」
「諸行無常? 熱力学第二法則のことでしょうか」
「っていうか、これはソロモンの言葉。旧約聖書の伝道の書を謳っている。”空の空。伝道者は言う。空の空。すべては空。日の下で、どんなに労苦しても、それが人に何の益になろう?”という疑問が『答え』なの」
列車長はゲルマニア大学民俗学部のデータベースを引用した。
「なんだかあまり関係なさそうですね」
あてが外れたのか吹雪はしょんぼりした。
「いいえ。これは強力な武器になります。さすがは荒井先生」
ハウゼルは大仰に褒めたたえ、キーボード操作を始めた。メイン画面に旧約聖書がクローズアップし、数式が駆け巡る。
「ソロモンは人生の意味を探求して、伝道の書の最終章で結論を出したの」
列車長はバシッと送信キーを押した。
ものの数秒も経たないうちに、ゲルマニアがハウゼルの仮説を立証した。
その答えは『Христос』(イエス・キリスト)
壁の光学ディスクドライブが量子ディスクを吐き出す。
「望萌、これを持ってノーザンプトンへ飛んで頂戴」
ハウゼルはダウンロードしたばかりのプログラムファイルを託した。TWX1369がハバロフスクの空に鎌首をもたげる。曲がりくねった蛇に無人の雀蜂が急速接近。
「はーぁ。また脱がなきゃだわ」
望萌はうんざりした様子でセーラー服のスカーフを緩める。
「しょうがないでしょう。学園の生徒たちなんか、チャイムが鳴るたびに脱いだり着たりしているんですよ」
吹雪のつま先が床におちたスカートを車外に蹴り飛ばす。紺色の内側に純白。二枚重ねのプリーツスカートが風に舞い、タバコの煙のようにぷかぷかと広がっていく。
「さっきの結論って何なんです?」
気になった望萌は教師にたずねた・
「ボケてヨボヨボになる前に人生を好きなよ~~に謳歌しなさいってこと」
しかし、そのことがどうして祥子やハーベルトの奪還につながるのだ。望萌が釈然としないまま翼を開いた。
託し込んだシャツがブルマごと裂け、ピンク色のレオタードと濃紺の肩ひもが飛んでいく。
■ ビロビジャン中央駅コンコース
増水した川がプラットフォームをすっかり水浸しにしている。そこに蝋人形が流れ着いた。
いや、ハーベルト・トロイメライ中佐だ。じっと目を閉じ、両腕を胸の前で祈るように組んでいる。すっかり血の気を失い、微動だにしない。彼女は心肺停止状態にあった。
だが、その意識は一万と数千年前の地表にあった。ちょうど、最後の氷河が解け始めた頃、地球に彗星が激突し、寒冷がぶりかえした。
地質学ではヤンガードリアス小氷期と呼ばれている。彗星は北大西洋上で大きくバウンドし、いずこかへ飛び去った。
「ええっ? シホテリアニ隕石が持ち逃げされたですって?」
川端エリスの意識体が赤々と燃え上がる。
「そうなんですよ。集団の力を貸してください」
蚊が鳴くような嘆願にエリスは殺意を抱いた。だが、気を取り直して対応策を授けた。
「まだ、遠くへ行ってないはず。第三宇宙速度に達して太陽引力を振り切る前に、何としてでも捕まえなさい。後はないわ」
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