彼女だって恋がしたい完結編~はてしなき出発(たびだち)

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ホールドミー・スライトリー(私を優しく抱擁して)

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 ■ 私有惑星プライベートプラネット ホールドミー・スライトリー(私を優しく抱擁して)

 年間平均気温二十二度。海から適度に湿った南風が瀟洒なテラスに吹き付けている。

「シアさん、遅いですね……」

 名門大量兵器査察官モビックハンター フレイアスター家の台所を預かる主婦(夫?) コヨーテはぷぅっと頬を膨らませた。
 チューリップの蕾に似た群青色のハサミがぐつぐつと煮えている。
「バチョン蟹は水揚げしてから二時間が賞味期限だというのに!」
 サラサラの黒髪がヒヨコ柄のエプロンドレスにかかる。やかましいシアの言いつけ通り、初物のバチョン蟹を惑星わし座知性極から仕入れ、彼女の帰宅時間に間に合うようレシピ通りに味付けした。
 一分一秒でも遅れようものなら仕事のストレスをコヨーテに大声でぶちまけるのだ。
『同じ女でもあなたよりわたしの方が稼ぎ頭なんですからねっ! わたし、クタクタに疲れて帰って来たのに台所でウロウロしないでくれる? このクズ女』

「ひぃっ!」
 コヨーテはいつぞやの大爆発を思い出して首をすくめた。
「わたしだって軍神――軍司令官より偉いのよ。名誉職だけど……」
 ひとりごちる。
「閑職なのよね?」
 メイド姿の戦艦チャタヌーガが悪戯っぽくほほ笑む。
 ムッとしたコヨーテは一人分の皿を食器棚に戻した。
「貴女の晩御飯はありません」
「ええっ? ちょ、ちょっと……」
 淡々と片づけるコヨーテに戦艦が反論するが取り付く島もない。
「わぁっ、いい匂いです☆彡」
 戦艦マナサスギャップが真紅のスカートを翻して玄関から駈け込んで来た。
「軍~神。早くご飯にするです」
 明るい声で呼びかけるが、コヨーテは押し黙ったままだ。
 戦艦は、わたわたするチャタヌーガと軍神を見比べて状況を察した。
「また喧嘩? あんまりチャタをいじめると、マナ、軍神のことを嫌いになっちゃうかもよ」
 やんわりと圧力をかける。なおもコヨーテは俯いたままだ。
「軍神……いいかげんに……」
 言いかけた矢先に、悲壮な声でコヨーテが叫んだ。
「嫌な予感がします!」
 同時にリビングの壁面ディスプレイが灯った。『速報です。アムンゼン基地で大きな爆発がありました』



 大型のハリケーンのような渦が南極大陸をすっぽり覆い尽くしている。衛星軌道から撮影したものだという。

『現在、白夜大陸との通信が途絶しており、特権者の攻撃かどうか原因を含め詳細は判っていません。消息など続報が入り次第……』
『――とっぉおおっと?! いま、何やら光りました。連鎖しています。誘爆でしょうか? ああ、ロス氷海の方にも帯状の輝きが』
 ときおり起こる爆発と思しき閃光が蒼白した少女たちの顔を青く照らす。画面隅のLIVEというテロップが嘘であることをコヨーテは願った。

「シアおばさま達はまだ海王星のサラキアにいるはず……よね?」
 マナが軍神の袖をツンツンと引っ張る。
「ギルドによらず直行直帰って聞いてたから、多分そのはず」
 チャタは平手で壁の予定表を何度もスクロールして確かめている。その傍らでコヨーテは髪を手櫛する。何度も、苛立たしげに。

「量子リンクがつながらない! マナ、ヴィックスバーグを起こしてきて」

 彼女はまだ入渠中の艦を起こすよう艦嬢たちに命じた。
「チャタヌーガは先に軌道に上がって! ヤツが来るかも知れない」
「ヤツって?」
「特権者に決まってるじゃない」

 コヨーテはうかうかしてはいかれないという風に戸口に向かった。
「――むっ! 軍神、あぶ」

 ……ないです、という言葉が続く前にチャタヌーガはなぎ倒された。
 ベランダのゴリラガラスが瞬時に砕け、矢継ぎ早に高価な食器が砕ける。電光石火のつぶては殴りつけるように壁を等間隔でうがち、コヨーテの頭上をかすめる。

 冷蔵庫が爆散し、シアの大好物が宙に舞い散る。コヨーテはマホガニー材の食卓を蹴り上げ、遮蔽物がわりにしつつ裏口へ向かう。
 どさりと天井が落ち、間抜けた青空が丸見えになる。

 足止めを食った軍神はチッと舌打ちして見上げる。雲一つない蒼穹を一筋の噴煙がゆっくりと横切っていった。

「ヴィック、ヴィックが!」
 マナサスギャップは大きく目を見開いて、一目散に走りだす。邪魔なプリーツスカートをジッパーごと引き裂き、ブルマー姿で瓦礫の山を這い上がる。ベランダに転がり出て、エメラルドグリーンの海を見下ろす。
 急いで視線を這わせた、その先に、高速飛翔体を捕えた。マッハ2.5の超高速弾。水上高度二十二メートルを波しぶきをあげず、五カイリを三十秒たらすで走破する。
「あれは?」
 コヨーテが後ろから尋ねる。
「この音は固体ロケット・ラムジェット統合推進システムのインテグラル・ロケット・ラムジェットエンジン。固体燃料を使い切ったあとタンクを燃焼室に転用する超音速ミサイルです」
「カシスの首都を殺った奴か!」

 マナは答えず、両手を頬にあてて叫んだ。
「にげてーーーー。早く逃げてーーーーーっ!」
 もちろん、叫びが相手に届くはずもないが、通信帯域を経由して懸念はじゅうぶん伝わった。

 その間にも敵弾はヴィックスバーグが眠るドッグへにじり寄る。
 超音速ミサイルは一般艦船のレーダー視越し距離を数十秒で突破するため脅威だとされるが、実は言うほど怖くない。ミサイル自身の視野半径を足した距離から容易に発見できてしまう。


 フレイアスター家の私設宇宙港。新たに邸宅の沖合を浚渫しゅんせつしてモンタナ級戦艦三隻分の船渠が確保してある。
 けだるい午後の陽射しの中、黒いアンダーショーツ一枚だけを纏ったメイドサーバントが大の字で突っ伏している。
「ふァ?」
 ヴィックスバーグはのろのろと起き出して、電子的対抗手段ソフトキルを開始した。戦艦の動力をフルに活かした大出力高周波、電磁鋼板を用いた光電子迷彩、ありとあらゆる周波数でがなり立てる。

 ミサイルの前途は洋々だった。いくら妨害しようが相手は逃れられない。ドッグに自航能力は無い。高度を七メートルに下げ、海面レーダー反射波を隠れ蓑にして最終ブースターに点火した。
 侵入コース固定。液体水素を最後の一滴まで振り絞る。

 10Gの加速度でで突っ込んでくる物体を迎撃するすべはない。

「「ヴィック!!」」

 テラスには張り裂けそうな悲鳴、ドックには艦嬢の断末魔が同時に響いた。
 数秒前まで波静かだた埠頭にオレンジ色の火球が花咲く。頑丈なコンクリート造りが粉々に砕け、肋材をぶちまける。
 それを新たに開いた蕾が吹き飛ばす。黒煙が吹き荒れ、ボコボコになった建物を透明な巨人が踏み潰す。ぐしゃり。
 もうもうと灰色の土煙が残骸を包み込んでしまう。

 ホールドミー・スライトリーの衛星軌道上ではチャタヌーガが臨戦態勢に入っていた。アウトレンジからの攻撃にそなえて、艦載機を公転軌道にまで展開。惑星のラグランジュポイントに早期警戒機を配備し、蟻の子一匹入り込めない監視網を築いた。

 彼女は姉妹の轟沈を目の当たりにし、悲嘆するまもなく永劫回帰惑星プリリム・モビーレに問い合わせた。ヴィックスバーグの艦魂はそちらに届いていないか、と。
 霊魂不滅の完全復活が約束された現代。死んだ人間は往生特急オリエントエクスプレスに乗って冥界から舞い戻る。客室乗務員ワルキューレたちは「お気の毒ですが」と言葉を濁した。
 シア・フレイアスター。オーランティアカ姉妹の名前も渡航記録に無いと。

 チャタヌーガは感情を押し殺して、事実のみを軍神に伝えた。

 その直後、彼女は交信を絶った。

『メーデー、メーデー こちら航空戦艦チャタヌーガ。救援乞う。ベローゾフ・ジャボチンスキー溶液に反応あり! 撹拌パターンは……』





 マナサスギャップは大気圏外に多量のスペースデブリを検出した。断片の軌道要素を統計するとチャタヌーガの進路と合致する。砕け散った戦艦の魂は長い長い涙滴となって虚無に帰した。

 戦闘純文学と量子兵器で身を固めたモンタナ改級戦艦が瞬殺された。
 いったいどこから現れたのか? 刺客の数は一つや二つではない。宇宙に群れるピラニアのごとく、獰猛で俊敏な小型無人機が重厚な警戒網を突いて彼女を葬り去った。

 無人機ヒュプノス――漏斗状の機体にありったけの噴射装置バーニャと対艦兵装を積んでいる。そいつはマナサスギャップの内懐から湧いて出た。
 いったい誰が、どのような手段で索敵範囲内にこれら大量の兵器を運び入れたのかはわからない。
 ただ、彼女が気付いた時には舳先に大量のヒュプノスが待ち伏せしていた。



 爆発炎上するドック、そして虚空の流星群。

「……あは……あははは! 吹っ飛んだよ。綺麗さっぱり吹き飛んだよ!!」

 コヨーテはうつろな目で虚勢を張る。
「最低……」
 マナが殺意に満ちた目で睨み付けている。いくら当惑しているとはいえ、そんな言いぐさはないだろうと言いたげだ。
「だってさあ! もともとの設計が第二次大戦中のものじゃん!? シアさんが三日間戦争の時に『リアル地球』で手駒が足りなくて、やむなく造ったのよ。あっちの世界じゃ、計画倒れで終わった艦だし! 幻に戻っただけだよ! これでいーのよ!」

 ハイテンションでまくし立てるコヨーテにマナは本格的な殺意が湧いた。ヴィックスバーグは人間でもメイドサーバントでもない。しいていえば機械の魂を持ったアンドロイド。それでもシアが人類史上初めて創造した人工艦魂で、家族同然だった。
 マナがコヨーテの首を締めようとした刹那――。

「……って、そんなわけないでしょう!!!」

 コヨーテは天を仰いでくずおれた。

「わあああああああああああああああん!!」
「泣く女は嫌いよ」

 マナはあえて冷たく接した。コヨーテは軍神とまで言われた人だ。自力で立ち直ってほしいし、そうあるべきだ。
 女という動物はまことに便利な生き物である。ストレスを涙で洗い流してしまう。
 コヨーテは気の済むまで泣きはらすと、少し落ち着きを取り戻す。
 すっくと立ち上がり、こう叫んだ。

「ヴチコロス!!!!!!!!」

 ぐるっと視線を巡らし、全世界に宣戦布告した。

「皆、ぶち殺す!!!!!!!!!」

 査察機構名誉軍神コヨーテは惑星ホールドミー・スライトリーの空を透かして、星空の深奥に潜む仇敵に向けて渾身の怒りを注いだ。
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