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慈姑姫とニューエルサレム作戦
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■強襲揚陸艦 LCC-578【ニケ】
D・H・ローレンスの代表作「チャタレイ夫人の恋人」にこんな一節がある。
『いずれ人間は瓶の中で臨月を迎えるようになる。女は出産の苦しみから解放されて、無意味になった恋愛をモルヒネが駆逐するだろう。
政府が近隣の空中に希薄な麻酔を撒けば、大衆は平等な幸福が得られる。国家は週末をより楽しいものとするためにエーテルを配給するだろう』
第一次世界大戦が終わるか終わらないかくらいの時代に、イギリス社交界の老婦人がこのような感想を述べたのだ。その慧眼は中らずと雖も遠からず。
ハッシェが見守るクローン培養槽の中には天使がすくすくと育っている。ただ、シアが立案した作戦の要員確保は難航していた。どうして人間のために奪衣婆が負担を強いられるのか、納得のいく理由が求められている。
こんな時にシアがいてくれたら……どうして自分たちの運命を第三者に丸投げするのかとハッシェは不満と不安を募らせた。冥界と現世が衝突してすべてが壊滅すると説明を尽くしてみても、肉体喪失を直感的に理解できない同胞たち説得できそうにない。
そんないら立ちが頂点に達した。
「ちょっと! 定時報告の時間なのに、どうなってるのよ。シアと全然連絡がつかない!!」
柊真がイライラを爆発させた。
「スティックスと量子リンクが切れている。三連三乗三重冗長のバックアップ回線が全部シャットダウンってどういうこと?」
LCC-579【ビア】がネットワーク異常を訴えている。
「暁、こっちもよ。【エネンキ】の強制侵入攻撃が通じない」
柊真は禁じ手の友軍ハッキングを強襲揚陸艦に仕掛けた。が、反応がない。
「――嵌められたのよ!」
暁が金切り声を上げる。
「私たち、嵌められたのよ。絶対そうよ。あのババー!」
柊真も同調する。
「おちついて! 二人とも」
ハッシェが慌ててなだめるが、姉妹は聞く耳を持たない。二隻のフレイアスター級揚陸艦は奪衣婆の森から急上昇した。
「貴女も騙されたのよ。あの糞ババアはあたしたち奪衣婆を絶滅させようとした!」
強い口調で暁がなじる。
「シアがそんな愚かなことを企てるはずがないでしょう! 完全生命体を倒すためには……」
「私たちが犠牲になればいいの? あんたは仲間を平気で人間に売るの。そう」
逆上した暁がハッシェに対艦量子ミサイルを向ける。
「頭を冷やしなさい! 人の話を聞け!」
LCC-578ニケは高機動バーニャを起動、回避。流れ弾が奪衣婆の集落をけし飛ばす。
「冷静に考えたわよ。どう考えてもシアの論理がおかしい……って、迎撃しないのッ?!」
暁は集落を守ろうとしないハッシェを非難しかけて、口をつぐんだ。
「……そぉ?! 貴女、そういう女だったの? なるほどね……」
姉の気持ちを柊真が代弁する。
「通信を妨害したのもお前でしょ? 糞ババアと……ふぅ~~ん。なるほど。お熱いコトよねッ!!」
揚陸艦エネンキがビアを射撃統制。巻き添えなどお構いなしに誘導弾をまき散らす。合計二百発近い量子対艦誘導弾がニケの退路を塞ぐ。
ハッシェも黙っていない。ニケの個艦防空能力が動き始めた。AN/SLQ-32電波探知装置がざわめき、シルヴァーVLS、四連装キャニスターから近接迎撃個艦防空ミサイルが発射された。
三隻はシアの真意を巡って対立し、ついに砲火を交えた。
地獄大陸にパッパッと間断なく閃光が灯る。黒煙が冥府の空を闇よりも濃く染め、疾風が死の谷を駆け抜ける。
「わたしはシアを信じる。きっと何かあったのよ」
ハッシェは奪衣婆固有のスキルを戦闘純文学に乗せて艦の舳先から放った。
「ヴァンネヴァヴル・バニッシャー!」
強烈な輝きが雨傘のように開く。純白の漏斗が虚空に広がって、ビアとエネンキの猛攻を削り取っていく。二隻の攻撃に空白が生じた。一瞬のうちにニケは虚実直交座標跳躍駆動に点火。永劫回帰惑星から遠ざかる。
「……残念」
「取り逃がしたことは阻害要因にならない。奪衣婆には奪衣婆の未来がある。カミュのところへ行くわよ。」
悔しがる姉に妹はやるべきことを告げた。地獄大陸――惑星プリリム・モビーレの極点にはカミュが父祖樹から奪った工場群がある。暁はいまいましいメイドサーバントの身体を捨てて元の姿を取り戻すため、カミュに取り入ろうと考えた。
「そうね。あんな人非人よりは同じヒト科でもよっぽど信頼できるわよ」
■地獄大陸 罪業精罪施設
カミュは奪衣婆の姉妹を「君たちが必要だ」だの「一緒に戦おう」などという陳腐な台詞で迎えたりはしなかった。かわりに、文豪らしく、こんな言葉を授けた。
「真実は、光と同様に目をくらます。虚偽は反対に美しいたそがれどきであって、すべてのものをたいしたものに見せる」
哲学的な表現で奪衣婆の潜在能力を高評価してみせた。二人はうっとりとして彼の手足となった
その様子をアンジェラはじっと見て考えた。
。男尊女卑が滅びた二十七世紀という世の中には、まだまだ権力と寝る女性が根強く生き残っている。永劫回帰惑星は違うところだと思っていたが……
「アンジェラ! ようやく惑星の加速力を手に入れたぞ!!」
カミュは喜色満面で奪衣婆たちを使役しはじめた。罪人ではなく地獄が生者の頭上に堕ちるという前代未聞の珍事を一目見ようと大勢の黎明市民が押し寄せた。
詰めかけた報道陣の一人がアンジェラに聞く。
「罪業の重さだけでは不十分なのですか?」
「人間は現世で幸福を追求します。絶対死という免れない悲劇があるにも関わらず。現世利益という浮力が存在することで、形而上の世界に逆転層が生じ、冥界を浮揚さしめているのです。奪衣婆の剥離力は人間の俗欲を強力に漂白します」
強襲揚陸艦ビアとエネンキはニケに倣って「ヴァンネヴァヴル・バニッシャー」をプリリム・モビーレの赤道上に展開した。パワーフィールドが地上の奪衣婆たちと同調する。彼女らは力を振り絞って惑星を取り巻く不可能性を剥落させていく。
来世と現世を分かつ『壁』を剥離力がみるみるうちに侵食していく。
やがて生死の境目がパチンと弾け、惑星が現実世界に向けてぐんぐんと落下し始めた。
一方、地上では煮えたぎる大洋が赤茶けた大地を洗い直し、もうもうたる噴煙が空の青さを奪い、火山は灼熱した溶岩弾で僅かな緑を焼き払った。
地球人類は度重なる災厄でとっくに滅びたものと思われていた。しかしながら、海底都市や海洋牧場、潜水艦隊、大深度シェルターといった極限世界にわずかながら生きながらえていた。
分厚い岩盤や深層水の保護下で世界の終末とは縁遠い平穏で文化的な生活が営まれている。このような安全は金だけでは買えない。地位や名誉はもちろんのこと人類への多大な貢献度が求められる。いわば、人類最後の富裕層だけに許された楽園である。
人工太陽が燦々と輝く、いつもと変わらない昼下がり。大草原に寝そべる若い男女たちの頭上に天使が降臨した。まぶしい光の中に一糸まとわぬ美女が鵞鳥のような翼を広げている。
突然のできごとに人々は出来の悪い演出だと思い込んだ。大切な逢瀬を邪魔されて声を荒げたり唾を吐きかける者もいた。天使は破滅の到来を予言し、助かりたければ有形無形の財産だけでなく身につけている物も全て捨てて箱舟に乗れと命じた。どこから入り込んだのか可変翼の宇宙船が大地に影を落としている。
そのような戯言が受け入れられる筈もなく、人々は逃げ惑う。果敢にも数名が護身用の武器を向けてきたが、雷に撃たれて斃れた。たちまち、民衆はひざまずき、神に許しを乞うた。天使は笑いながら否定した。
「わたしは滅びの天使紫亜」
「わたしは滅びの天使玲奈」
「わたしは滅びの天使真帆」
三人の天使がグルグルと人々の上を飛び回って、さらにもう一人が加わった。
「わたしは――」
コヨーテは忸怩たる思いで状況を見守った。カミュに勝手気ままに操られるがままに、人々を脅し、惑わせている自分が許せない。彼は自分と家族を捉えて【調教】の術式を施す直前に、こう言った。
「人間には、それぞれの運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。だが、お前はパウリ効果に甘んじてそれを乗り越える努力をしなかった」
コヨーテの眼前に白く長く尾を引く小さな星が出現した。見覚えがある。下積み作家として貧困生活を十年も送った。妻と二人の娘に恵まれた今となっては懐かしいどころか、忌まわしい過去だ。
「ニアー=ステイクローズ彗星?」
「そうだ」
カミュはコヨーテの黒歴史を次々と暴き立てた。段ボール箱一杯の持ち込み原稿を窓から投げ捨てられたこともある。売れないラノベ作家は酒におぼれて運命を呪っていた。
「失敗は自尊心の傷つくことで、それを乗り越えてこそ本当の成功があるのだが、現実に失敗が起きるとその原因を他に求めたくなる」
「お前がわたしに蓋然性攪乱因子を植え付けたのか?」
コヨーテは自分の運命を弄んだ男に殺意をおぼえた。
「そうだ。人間にしておくにはもったいないからな。だから、鍛錬した……特権者候補としてな!」
文豪はコヨーテの不運をあげつらい、なぜ、その様な運命をたどったのか明かした。コヨーテは要領の悪さにかけては天賦の才があった。勉学や遊び何かにつけて失敗を繰り返し、ついにはコヨーテに何もさせるなと周囲に言わしめた。ドジっ娘などというレベルを超えている。
就職に失敗したコヨーテは遂に酒浸りの売れない作家生活に甘んじてしまう。
「倦怠は機械的な生活のもろもろの行為の果てにある。しかし同時に、これは意識の運動に指導を与えるものである」
「わたしが自力で堕落を克服できなかった経験自体を、まだ、利用しようというのか!」
「そうだ。お前には特権者の資質がある。お前の記し、求めた、遠い呼び声に私が答えてやろう」
カミュはコヨーテの額に人差し指を突きつけた。
「今、私は来た!」
二人の周囲に確率変動の嵐が渦巻く。気づいたとき、コヨーテは変わり果てた家族と一緒にラストエリートたちを見下ろしていた。
忌まわしい記憶が薄れ、現実を取り戻した。平身低頭する人々の声が足元から聞こえてくる。
コヨーテは大きく息を吸うと、名乗った。
「――わたしは、特権者」
三隻の箱舟に三人の天使が降り立ち、富裕層に決断を迫った。
「嫌だ。俺は死にたくない」
「帰ってくれ」
「冥界が落ちてこようが、地球がどうなろうが関係ない」
「私たちはただ平和に暮らしたいのよ」
「贅沢が悪い? 頑張って勝ち取った成果だぞ?」
めいめいが当然の想いを口にした。
コヨーテは文豪の言葉を借りて人間どもに然るべき託宣を下した。
『労働なくしては、人生はことごとく腐ってしまう』
突然、人工太陽が爆散し、岩盤が崩落し、大草原に海水がなだれ込む。この程度のトラブルは想定済みだったらしく、警報が鳴り響き、自己修復機能が速やかに処置を講じた。残念ながら亡くなった人々の霊魂は回収され、クローン培養が開始される。大金持ちが惜しげもなく巨費を投じたシステムがみるみる日常を回復していく。
「いいぞ! その調子だ。倦怠は新たな意識の運動を想起する」
コヨーテが悦楽の声を震わせて、腕を右から左に振る。雷光が復旧したばかりのシェルターを再び切り裂く。人々はめいめいの緊急脱出用潜水艇に乗り込んだ。
特権者がそれらを容赦なく鞭打つ。我先を争う潜水艇がポップコーンのように弾けていく。
それらがせめぎ合い、一つの大きな火球になる。
ラストエリートの膨満した傲慢と豊満が臨界に達し、爆発した。
沸き上がる欲望が成層圏を突き抜けて、遥かプリリム・モビーレを目指す。
現世と呼ばれた世界は溶けた。今はもうない。別の形で人々の手のひらにこぼれ落ちていくだろう。
「地球からの欲望渦動を検知しました」
アンジェラがニューエルサレム作戦の成功を確信した。
「永劫回帰の中心軸が砕ければ万物流転が無数のサイクルに分裂する。運命の民主化がなされる」
カミュが妻にうなづく。
「試練も禍福も誰にも強要されない自分で自分の運命を回せる世界。障害を乗り越えろとか戦えとかもう言わせない! もうすぐ誰もが平等なスタートラインに立てる。ハンディキャップのない世界が来るのよ。あなた!」
チキバード・ヴァレンシアがノーコス王のやせ細った身体を抱きしめる。
『……』
寝たきりの王者は残留思念を力強く震わせた。彼は自身の健康を取り戻そうと強く願っていた。干からびた四肢がみるみるうちに生気を取り戻していく。
「心配をかけたな。チキよ」
君主はしっかりとした足取りで妃に歩み寄ると、二の腕で抱え上げた。
「あなた♡」
チキバードはお姫様だっこされたまま、殺戮機械の搭乗口へ消えていった。
■惑星 露の都首都
「人類圏の知的生命体は宇宙船を持つべきではないと思うの!」
「また慈姑姫の故障が始まった、だ」
小町は姉の斜め上を行く発言をいつものように聞き流した。
姫お手製の乗り物は八割がた完成しており、二十世紀の超音速戦闘機に似たデザインに近づいている。
「ちょっと! 真面目に聞きなさいよ」
慈姑姫は作業の手を休めて妹に噛みついた。
「はいはい。食糧難や資源枯渇を解決できる妙案が浮かんだんですね。もっと笑えるネタを聞かせてくださいよ。こないだみたいに魔法陣で必需品を召喚するとか言わないでくださいよ」
慈姑小町は釘を刺した。
「聞き流さないで!」
強引に姉に連れられて、小町はシステムコンソールの前に座らされた。中央スクリーンに一連の数式が流れ出す。
「(v・∇)v……ナビエ・ストークス方程式の非線形一般項? 何のことはない流体の運動方程式じゃない」
小町がいぶかしむとおり、流体の挙動を解くことは非常に難しい。微分を求めるために流れの運動を細分化しようとすると乱流が発生する。つまり、つぶさに観察しようとすればするほど泥沼化するのである。
このナビエ・ストークス方程式の一般解――どんな流れにも通用する運動方程式を求めることが可能なら、いかなる流れも予想できる。森羅万象のいかなる流れも、未来すらも予測できる。
「一般解を見つけたのよ!」
「ふ~ん。で?」
ドヤ顔で迫る慈姑姫を小町は冷淡に受け止めた。
「資源の完全リサイクルと人口予測が可能になるわ!」
慈姑姫はどうだといわんばかりに試作機を見やる。
「人口政策は過去にうまくいった例ががないわ。何がしたいの?」
小町は厳しい目を向ける。
「これはビートラクティブを応用した一種のタイムマシンよ。資源の完全リサイクルと各時代への人口分散で宇宙植民は無意味になるわ」
慈姑姫が一気にまくしたてる。
「ちょっと待って。壮大過ぎてついていけないわ。つまりこういうこと? 他の惑星でなく、他の時代へ移民すると?」
「そうよ」
「タイムマシンで?」
「そういうこと」
「宇宙船じゃなく?」
「航空事象艇よ。時間軸の任意の点から点へ飛ぶ艇よ!」
白い流麗な機体に小町の驚く表情が映っている。
「でも、それは地球があっての物種でしょう? 父祖樹とカミュはどうするのよ」
「ナビエ・ストークス方程式の敵ではないわ」
慈姑姫は小町の口撃をあっさりとかわした。
「どんな流れもこのわたしが正して見せる」
D・H・ローレンスの代表作「チャタレイ夫人の恋人」にこんな一節がある。
『いずれ人間は瓶の中で臨月を迎えるようになる。女は出産の苦しみから解放されて、無意味になった恋愛をモルヒネが駆逐するだろう。
政府が近隣の空中に希薄な麻酔を撒けば、大衆は平等な幸福が得られる。国家は週末をより楽しいものとするためにエーテルを配給するだろう』
第一次世界大戦が終わるか終わらないかくらいの時代に、イギリス社交界の老婦人がこのような感想を述べたのだ。その慧眼は中らずと雖も遠からず。
ハッシェが見守るクローン培養槽の中には天使がすくすくと育っている。ただ、シアが立案した作戦の要員確保は難航していた。どうして人間のために奪衣婆が負担を強いられるのか、納得のいく理由が求められている。
こんな時にシアがいてくれたら……どうして自分たちの運命を第三者に丸投げするのかとハッシェは不満と不安を募らせた。冥界と現世が衝突してすべてが壊滅すると説明を尽くしてみても、肉体喪失を直感的に理解できない同胞たち説得できそうにない。
そんないら立ちが頂点に達した。
「ちょっと! 定時報告の時間なのに、どうなってるのよ。シアと全然連絡がつかない!!」
柊真がイライラを爆発させた。
「スティックスと量子リンクが切れている。三連三乗三重冗長のバックアップ回線が全部シャットダウンってどういうこと?」
LCC-579【ビア】がネットワーク異常を訴えている。
「暁、こっちもよ。【エネンキ】の強制侵入攻撃が通じない」
柊真は禁じ手の友軍ハッキングを強襲揚陸艦に仕掛けた。が、反応がない。
「――嵌められたのよ!」
暁が金切り声を上げる。
「私たち、嵌められたのよ。絶対そうよ。あのババー!」
柊真も同調する。
「おちついて! 二人とも」
ハッシェが慌ててなだめるが、姉妹は聞く耳を持たない。二隻のフレイアスター級揚陸艦は奪衣婆の森から急上昇した。
「貴女も騙されたのよ。あの糞ババアはあたしたち奪衣婆を絶滅させようとした!」
強い口調で暁がなじる。
「シアがそんな愚かなことを企てるはずがないでしょう! 完全生命体を倒すためには……」
「私たちが犠牲になればいいの? あんたは仲間を平気で人間に売るの。そう」
逆上した暁がハッシェに対艦量子ミサイルを向ける。
「頭を冷やしなさい! 人の話を聞け!」
LCC-578ニケは高機動バーニャを起動、回避。流れ弾が奪衣婆の集落をけし飛ばす。
「冷静に考えたわよ。どう考えてもシアの論理がおかしい……って、迎撃しないのッ?!」
暁は集落を守ろうとしないハッシェを非難しかけて、口をつぐんだ。
「……そぉ?! 貴女、そういう女だったの? なるほどね……」
姉の気持ちを柊真が代弁する。
「通信を妨害したのもお前でしょ? 糞ババアと……ふぅ~~ん。なるほど。お熱いコトよねッ!!」
揚陸艦エネンキがビアを射撃統制。巻き添えなどお構いなしに誘導弾をまき散らす。合計二百発近い量子対艦誘導弾がニケの退路を塞ぐ。
ハッシェも黙っていない。ニケの個艦防空能力が動き始めた。AN/SLQ-32電波探知装置がざわめき、シルヴァーVLS、四連装キャニスターから近接迎撃個艦防空ミサイルが発射された。
三隻はシアの真意を巡って対立し、ついに砲火を交えた。
地獄大陸にパッパッと間断なく閃光が灯る。黒煙が冥府の空を闇よりも濃く染め、疾風が死の谷を駆け抜ける。
「わたしはシアを信じる。きっと何かあったのよ」
ハッシェは奪衣婆固有のスキルを戦闘純文学に乗せて艦の舳先から放った。
「ヴァンネヴァヴル・バニッシャー!」
強烈な輝きが雨傘のように開く。純白の漏斗が虚空に広がって、ビアとエネンキの猛攻を削り取っていく。二隻の攻撃に空白が生じた。一瞬のうちにニケは虚実直交座標跳躍駆動に点火。永劫回帰惑星から遠ざかる。
「……残念」
「取り逃がしたことは阻害要因にならない。奪衣婆には奪衣婆の未来がある。カミュのところへ行くわよ。」
悔しがる姉に妹はやるべきことを告げた。地獄大陸――惑星プリリム・モビーレの極点にはカミュが父祖樹から奪った工場群がある。暁はいまいましいメイドサーバントの身体を捨てて元の姿を取り戻すため、カミュに取り入ろうと考えた。
「そうね。あんな人非人よりは同じヒト科でもよっぽど信頼できるわよ」
■地獄大陸 罪業精罪施設
カミュは奪衣婆の姉妹を「君たちが必要だ」だの「一緒に戦おう」などという陳腐な台詞で迎えたりはしなかった。かわりに、文豪らしく、こんな言葉を授けた。
「真実は、光と同様に目をくらます。虚偽は反対に美しいたそがれどきであって、すべてのものをたいしたものに見せる」
哲学的な表現で奪衣婆の潜在能力を高評価してみせた。二人はうっとりとして彼の手足となった
その様子をアンジェラはじっと見て考えた。
。男尊女卑が滅びた二十七世紀という世の中には、まだまだ権力と寝る女性が根強く生き残っている。永劫回帰惑星は違うところだと思っていたが……
「アンジェラ! ようやく惑星の加速力を手に入れたぞ!!」
カミュは喜色満面で奪衣婆たちを使役しはじめた。罪人ではなく地獄が生者の頭上に堕ちるという前代未聞の珍事を一目見ようと大勢の黎明市民が押し寄せた。
詰めかけた報道陣の一人がアンジェラに聞く。
「罪業の重さだけでは不十分なのですか?」
「人間は現世で幸福を追求します。絶対死という免れない悲劇があるにも関わらず。現世利益という浮力が存在することで、形而上の世界に逆転層が生じ、冥界を浮揚さしめているのです。奪衣婆の剥離力は人間の俗欲を強力に漂白します」
強襲揚陸艦ビアとエネンキはニケに倣って「ヴァンネヴァヴル・バニッシャー」をプリリム・モビーレの赤道上に展開した。パワーフィールドが地上の奪衣婆たちと同調する。彼女らは力を振り絞って惑星を取り巻く不可能性を剥落させていく。
来世と現世を分かつ『壁』を剥離力がみるみるうちに侵食していく。
やがて生死の境目がパチンと弾け、惑星が現実世界に向けてぐんぐんと落下し始めた。
一方、地上では煮えたぎる大洋が赤茶けた大地を洗い直し、もうもうたる噴煙が空の青さを奪い、火山は灼熱した溶岩弾で僅かな緑を焼き払った。
地球人類は度重なる災厄でとっくに滅びたものと思われていた。しかしながら、海底都市や海洋牧場、潜水艦隊、大深度シェルターといった極限世界にわずかながら生きながらえていた。
分厚い岩盤や深層水の保護下で世界の終末とは縁遠い平穏で文化的な生活が営まれている。このような安全は金だけでは買えない。地位や名誉はもちろんのこと人類への多大な貢献度が求められる。いわば、人類最後の富裕層だけに許された楽園である。
人工太陽が燦々と輝く、いつもと変わらない昼下がり。大草原に寝そべる若い男女たちの頭上に天使が降臨した。まぶしい光の中に一糸まとわぬ美女が鵞鳥のような翼を広げている。
突然のできごとに人々は出来の悪い演出だと思い込んだ。大切な逢瀬を邪魔されて声を荒げたり唾を吐きかける者もいた。天使は破滅の到来を予言し、助かりたければ有形無形の財産だけでなく身につけている物も全て捨てて箱舟に乗れと命じた。どこから入り込んだのか可変翼の宇宙船が大地に影を落としている。
そのような戯言が受け入れられる筈もなく、人々は逃げ惑う。果敢にも数名が護身用の武器を向けてきたが、雷に撃たれて斃れた。たちまち、民衆はひざまずき、神に許しを乞うた。天使は笑いながら否定した。
「わたしは滅びの天使紫亜」
「わたしは滅びの天使玲奈」
「わたしは滅びの天使真帆」
三人の天使がグルグルと人々の上を飛び回って、さらにもう一人が加わった。
「わたしは――」
コヨーテは忸怩たる思いで状況を見守った。カミュに勝手気ままに操られるがままに、人々を脅し、惑わせている自分が許せない。彼は自分と家族を捉えて【調教】の術式を施す直前に、こう言った。
「人間には、それぞれの運命があるにしても、人間を超越した運命というものはない。だが、お前はパウリ効果に甘んじてそれを乗り越える努力をしなかった」
コヨーテの眼前に白く長く尾を引く小さな星が出現した。見覚えがある。下積み作家として貧困生活を十年も送った。妻と二人の娘に恵まれた今となっては懐かしいどころか、忌まわしい過去だ。
「ニアー=ステイクローズ彗星?」
「そうだ」
カミュはコヨーテの黒歴史を次々と暴き立てた。段ボール箱一杯の持ち込み原稿を窓から投げ捨てられたこともある。売れないラノベ作家は酒におぼれて運命を呪っていた。
「失敗は自尊心の傷つくことで、それを乗り越えてこそ本当の成功があるのだが、現実に失敗が起きるとその原因を他に求めたくなる」
「お前がわたしに蓋然性攪乱因子を植え付けたのか?」
コヨーテは自分の運命を弄んだ男に殺意をおぼえた。
「そうだ。人間にしておくにはもったいないからな。だから、鍛錬した……特権者候補としてな!」
文豪はコヨーテの不運をあげつらい、なぜ、その様な運命をたどったのか明かした。コヨーテは要領の悪さにかけては天賦の才があった。勉学や遊び何かにつけて失敗を繰り返し、ついにはコヨーテに何もさせるなと周囲に言わしめた。ドジっ娘などというレベルを超えている。
就職に失敗したコヨーテは遂に酒浸りの売れない作家生活に甘んじてしまう。
「倦怠は機械的な生活のもろもろの行為の果てにある。しかし同時に、これは意識の運動に指導を与えるものである」
「わたしが自力で堕落を克服できなかった経験自体を、まだ、利用しようというのか!」
「そうだ。お前には特権者の資質がある。お前の記し、求めた、遠い呼び声に私が答えてやろう」
カミュはコヨーテの額に人差し指を突きつけた。
「今、私は来た!」
二人の周囲に確率変動の嵐が渦巻く。気づいたとき、コヨーテは変わり果てた家族と一緒にラストエリートたちを見下ろしていた。
忌まわしい記憶が薄れ、現実を取り戻した。平身低頭する人々の声が足元から聞こえてくる。
コヨーテは大きく息を吸うと、名乗った。
「――わたしは、特権者」
三隻の箱舟に三人の天使が降り立ち、富裕層に決断を迫った。
「嫌だ。俺は死にたくない」
「帰ってくれ」
「冥界が落ちてこようが、地球がどうなろうが関係ない」
「私たちはただ平和に暮らしたいのよ」
「贅沢が悪い? 頑張って勝ち取った成果だぞ?」
めいめいが当然の想いを口にした。
コヨーテは文豪の言葉を借りて人間どもに然るべき託宣を下した。
『労働なくしては、人生はことごとく腐ってしまう』
突然、人工太陽が爆散し、岩盤が崩落し、大草原に海水がなだれ込む。この程度のトラブルは想定済みだったらしく、警報が鳴り響き、自己修復機能が速やかに処置を講じた。残念ながら亡くなった人々の霊魂は回収され、クローン培養が開始される。大金持ちが惜しげもなく巨費を投じたシステムがみるみる日常を回復していく。
「いいぞ! その調子だ。倦怠は新たな意識の運動を想起する」
コヨーテが悦楽の声を震わせて、腕を右から左に振る。雷光が復旧したばかりのシェルターを再び切り裂く。人々はめいめいの緊急脱出用潜水艇に乗り込んだ。
特権者がそれらを容赦なく鞭打つ。我先を争う潜水艇がポップコーンのように弾けていく。
それらがせめぎ合い、一つの大きな火球になる。
ラストエリートの膨満した傲慢と豊満が臨界に達し、爆発した。
沸き上がる欲望が成層圏を突き抜けて、遥かプリリム・モビーレを目指す。
現世と呼ばれた世界は溶けた。今はもうない。別の形で人々の手のひらにこぼれ落ちていくだろう。
「地球からの欲望渦動を検知しました」
アンジェラがニューエルサレム作戦の成功を確信した。
「永劫回帰の中心軸が砕ければ万物流転が無数のサイクルに分裂する。運命の民主化がなされる」
カミュが妻にうなづく。
「試練も禍福も誰にも強要されない自分で自分の運命を回せる世界。障害を乗り越えろとか戦えとかもう言わせない! もうすぐ誰もが平等なスタートラインに立てる。ハンディキャップのない世界が来るのよ。あなた!」
チキバード・ヴァレンシアがノーコス王のやせ細った身体を抱きしめる。
『……』
寝たきりの王者は残留思念を力強く震わせた。彼は自身の健康を取り戻そうと強く願っていた。干からびた四肢がみるみるうちに生気を取り戻していく。
「心配をかけたな。チキよ」
君主はしっかりとした足取りで妃に歩み寄ると、二の腕で抱え上げた。
「あなた♡」
チキバードはお姫様だっこされたまま、殺戮機械の搭乗口へ消えていった。
■惑星 露の都首都
「人類圏の知的生命体は宇宙船を持つべきではないと思うの!」
「また慈姑姫の故障が始まった、だ」
小町は姉の斜め上を行く発言をいつものように聞き流した。
姫お手製の乗り物は八割がた完成しており、二十世紀の超音速戦闘機に似たデザインに近づいている。
「ちょっと! 真面目に聞きなさいよ」
慈姑姫は作業の手を休めて妹に噛みついた。
「はいはい。食糧難や資源枯渇を解決できる妙案が浮かんだんですね。もっと笑えるネタを聞かせてくださいよ。こないだみたいに魔法陣で必需品を召喚するとか言わないでくださいよ」
慈姑小町は釘を刺した。
「聞き流さないで!」
強引に姉に連れられて、小町はシステムコンソールの前に座らされた。中央スクリーンに一連の数式が流れ出す。
「(v・∇)v……ナビエ・ストークス方程式の非線形一般項? 何のことはない流体の運動方程式じゃない」
小町がいぶかしむとおり、流体の挙動を解くことは非常に難しい。微分を求めるために流れの運動を細分化しようとすると乱流が発生する。つまり、つぶさに観察しようとすればするほど泥沼化するのである。
このナビエ・ストークス方程式の一般解――どんな流れにも通用する運動方程式を求めることが可能なら、いかなる流れも予想できる。森羅万象のいかなる流れも、未来すらも予測できる。
「一般解を見つけたのよ!」
「ふ~ん。で?」
ドヤ顔で迫る慈姑姫を小町は冷淡に受け止めた。
「資源の完全リサイクルと人口予測が可能になるわ!」
慈姑姫はどうだといわんばかりに試作機を見やる。
「人口政策は過去にうまくいった例ががないわ。何がしたいの?」
小町は厳しい目を向ける。
「これはビートラクティブを応用した一種のタイムマシンよ。資源の完全リサイクルと各時代への人口分散で宇宙植民は無意味になるわ」
慈姑姫が一気にまくしたてる。
「ちょっと待って。壮大過ぎてついていけないわ。つまりこういうこと? 他の惑星でなく、他の時代へ移民すると?」
「そうよ」
「タイムマシンで?」
「そういうこと」
「宇宙船じゃなく?」
「航空事象艇よ。時間軸の任意の点から点へ飛ぶ艇よ!」
白い流麗な機体に小町の驚く表情が映っている。
「でも、それは地球があっての物種でしょう? 父祖樹とカミュはどうするのよ」
「ナビエ・ストークス方程式の敵ではないわ」
慈姑姫は小町の口撃をあっさりとかわした。
「どんな流れもこのわたしが正して見せる」
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