たゆたう恋

時和 シノブ

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――彼女が彼に出逢ったのは、誰もいない海だった。

お盆直前の夜の海。
今年は猛暑だった為、いつもよりクラゲの発生も早く、一般の海水浴客は殆ど見かけなくなっていた。

大海ひろみは仕事を終え、夜の海に一人、ふらっとサーフボードを持って現れた。
ナイトサーフィンは視界が悪く明かりは不可欠で、彼は満月の時にだけ、仲間や父親と訪れていた。

(今日、彼は一人きりなんだ)

彼女は、いつもこっそり水中からを大海ひろみを眺めていたので、今日は、いつもと何かが違うと感じていた。

大海ひろみがボードを上手くコントロールできずに水中に落ちてくる。
彼女が、こんなに真近に彼を見るのは初めてだった。

大海ひろみは波に抵抗することもなく、静かに目を閉じていた。

長い睫毛から小さな水泡が立ち昇っていく。

彼から生み出されたものは水泡さえ美しいのだと、彼女は目を奪われた。

波に抵抗することもなく静かに沈んでいく彼は、やはり不自然で、彼女は嫌われることも覚悟の上で、必死に触手で彼の手に触れた。

(起きて! 起きて!! お願いだから……)

彼女の願いが届いたのか、それとも触手で刺された痛みを感じたのか、大海ひろみ藻掻もがきながら水面に顔を出す。

――ゲホッゲホッ。


クラゲの彼女が手を貸せるのは、ここまで。
水中から出られない為、只々、彼の無事を祈るしかない。

彼女は必死に体を動かしてしまったせいか、自らの体力を使い果たしてしまっていた。

(ああ、またか)

彼女は今までに何度も同じサイクルを繰り返し、幾年も変わり映えのしない海を漂ってきた。

ずっと『老いては若返る』を繰り返すだけ……

薄れゆく意識の中で、彼女は、もう一度だけ彼に逢いたいと願っていた。




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