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7月

信じたくない事実 2

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うーん、良く寝たー!

目が覚めた時一瞬ここがどこだか分からなかったけど、保健室で寝たんだった、と思い出す。
良く寝たおかげで、完全復活である。体の怠さは消え去った。
上半身を起こして、腕を逸らせて伸びる。固まった体がほぐされ、気持ちいいー。

「おはよう。まあ、もう授業が終わって帰る時間だけどな」
「へ?」

聞き覚えのない低音の方へ首を回せば、窓際にあるイスに腰掛けている保健医の姿。
間抜けな一言を発した表情から一転。思いっきり顔が引きつって固まる。

腕組して偉そうに座った男は、私のそんな状態をせせら笑うように口元を歪めた。

「一年、橋本未希。素性が割れて助かったよ。全生徒から探すわけにいかないからなあ」
「どうして名前……」

と、自分で言っておいてすぐにその理由に行き着く。
千香ちゃんが私が眠る前に言っていたじゃないか。説明しておいてあげるって。
その時に、あの男が聞き出したに決まっていた。保健医なのだから、利用者の名前を聞くことなんて何の不自然もない。

「さて。何度も逃げやがって。知ってること洗いざらい吐いてもらうぞ」

嫌だ!話す気なんてない。
よし、逃げよう!
え?いつもいつも逃げてばっかりでワンパターン?
それでも結局逃げられてるからいいんだよ。そもそも私があれこれ色々と思いつくわけがない。

ベッドからそろりと足を下ろす。でも、ベッド脇にあるはずの上履きがない。
なんで?確かにここに脱いでから寝たのに。

「探してるのはコレか?」

保健医の足元には、私の上履きが置かれていた。
それを奴が足でつついて示す。

「あー!」

それないと逃げられないじゃん!

「返してほしけりゃ言え」
「あんたに言うことなんて、ない!」
「あんたって随分な言い様だな。一応オレは先生だぞ」
「生徒の上履きを盗む先生なんていてたまるかっ。……です、ございます!」

くっくっ、と笑う保健医。悪そうな笑顔である。一応先生だと主張するから敬語に直したのに。
私の知り合いにはこんな顔して笑う奴はいないから、何を考えているのか分からず一層恐ろしい。

それでも奴の前にある私の上履きを奪取してこないといけない。
簡単に返してくれるとも思えない。
それなら、隙を作るしかない。なにか会話をしてみよう。

「保健医は、なんでそんなに十年前のこと知りたがってるんですか?知ってどうするんですか?」
「関係ねえだろ」

私は保健室の中央あたりにあったイスまで移動して腰掛けた。あの男からの距離としては近すぎず遠すぎず丁度いいのだ。
私の上履きは私達の中央より少しだけ保健医寄りにある。でも隙さえできれば、奪うことは難なくできそうだ。
だって、あの男は足と腕を組み、偉そうに踏ん反り返ってイスに深く腰掛けている。すぐには動けないだろう。

「というかなんだよ、保健医って。そんな呼ばれ方したことねえよ」
「名前知らないですし」

興味がなかったし。だって男だし、可愛くないし。心底どうでもいいし……。

「はあ?あり得ねえだろ。学校の教師の名前くらい覚えとけよ」
「男の先生の名前なんて覚えといてもしょうがないし」
「本当にあり得ねえな、お前。ここに来る他の女子はちゃんとオレの名前知ってるぞ」

……。それは多分ちゃんとしているとかじゃなくて、下心があるからだと思うんだけど。

真ん前から対峙して改めて思ったけど、この男も攻略対象なだけあってイケメンなのである。切れ長の目が鋭く冷たい印象を与えるけど。多分三十歳前後だと思うけど、二十代前半と言われても通じると思う容姿をしている。
葵先輩と比べてみると、先輩はなんと言うかこう、the 正統派という雰囲気があるけど、この男は年上なだけあって纏っている雰囲気は大人で高校生とはやはり違う。そのくせ目元と口の悪さが相まって、ちょっとアブナイ感じもしてくる。

若い、カッコいい、そうくれば名前を覚えてアピールしようとする女子がいても不思議じゃない。

「オレは御堂 朔夜だ」
「ふーん」

覚える気ないから、私の頭では明日には忘れてるんだろうな。
私の脳細胞は可愛い女の子のためにある!男のために稼働する細胞はないのだ。

「ちゃんと覚えとけよ」
「多分無理だけど、善処はしましょう。それより先生、私よりも他に気にすることとかないんですか」

例えば美鈴ちゃんのこととか。
こんな機会この先ないだろうし、できる範囲で直接情報を集めてみよう。

「は?他ってなんだよ」
「例えば、よくここに来る子とか……」
「んな奴、たくさんいるからいちいち気にしてらんねえよ。あ、でも……」

あんまりストレートには聞けないから、ぼかしてみたんだけど伝わったかな?
一度、保健医が言葉を切った。奴の視線が少し上にいき、何もない天井に向かう。

あ、今の隙に上履き取れないかな?取れそうだよね。
そーっと足を伸ばして上履きを自分の方に持ってくる。

「三日に一度は来るやつが今月に入ってから来てねえな」

上履きを自分の側に寄せる私を捉えながら、保健医がそう言って、ニヤリと口の端を持ち上げた。
やば、バレた。急いで履いちゃえ私。

「だがな」

保健医がその場に立ち上がる。
ヤバい、ヤバい。捕まったら絶対逃げられない。急げ、私!

よし、両足とも履けた!
と思って私も立ち上がれば、その数瞬の間に距離を詰めていた保健医が目前に。
上を向けば、恐ろしいほど近くに奴の顔がある。

「そんな奴よりオレが今一番気になってる生徒は、お前だよ」

驚きすぎて息が止まる。
私?ワタシ?!わたしー?!!
目前の顔は、口を歪めて笑う。人ひとりくらいなら食べれそうな、悪い顔である。

私は目の前の保健医を突き飛ばして、保健室から飛び出す。
背中から聞こえていた声が、さらに私をどん底に突き落とす。

走る。廊下も階段も気にせずに走り抜ける。
帰宅しようと多くの生徒がいるけど、避けながら足を止めることなく考える。

「今日のところは、かえしてやるよ。橋本未希」

確かに出て行く時にそう聞こえた。あの男、何が何でも聞き出す気だ!
名前も学年も割れている。多分クラスだって知っているのだろう。どうしよう!逃げ場がないぞ。

美鈴ちゃんのことよりも気になる存在がいるのは良い。葵先輩以外との仲を邪魔しようとしている最中だし、私にとって大変都合が良い。
でも、でも、それが私だなんて!

あの男の十年前の出来事を知っている理由は、前世の記憶があるから。そんなこと言えるわけない!
言ったが最後、きっと病院送りである!
言えない理由はたくさんあるのだ。そう、色々と。
だから、だからこそ。

「どーしよー!!」

廊下で叫びながら、教室まで爆走した。
周りの生徒に冷たい目で見られたのは言うまでもない。


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