植物大学生と暴風魔法使い

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偶然重なる講義と履歴(中編)

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 二人の愚痴の濁流をせき止めたのは、アンのちょっとした一言だった。
「それにしてもさ、魔術院でもらえる“称号”って何なんだろうね! ほとんどの人はそれをもらって満足して、ほんと嫌になる! あんなの要らないもん!」
「称号?」
「そう! なんか知らないけど、授業をしっかり受けて、しっかりと修了したらもらえるもの。いろんなところに仕官するのに便利らしいけど、要らないよ! あんなの! みんな称号をもらうために頑張ってさ! あんなのあるからみんな変なことばっかりするんだもん!」
アンは怒っていた。といっても、微笑ましい雰囲気の怒り方だったが。それにしても“称号”か。聞くところによると、恐らく学位みたいなものだろう。
「修了したらもらえる“称号”か……。アンはそういう人たちを嫌ってるみたいだけど、俺は人のこと言えないな。俺だって、学位が欲しくて、大卒資格が欲しくてここにきてるんだから」
「学位? それって、この大学っていう施設でもらえる称号だと思っていいの?」
「ああ、たぶん似たようなものだろ」
「……で、優作は、その“学位”ってやつが欲しいの?」
アンの声が低くなった。優作はドキッとした。もしかしたら失望されたかもしれない。だって、自分はアンが嫌う人たちと同類なのだから。
「……そうだよ」
ばつが悪かった。優作にとっては当たり前のことではあるが、アンの前では言いたくなかった。何だか、自分がとっても惨めな感じがして。
「どうして、そういうものが欲しいの? 別に、称号があってもなくても実力は——」
「不安、なんだよ」
「……へ? どういうこと?」
「俺たちは、まだ何も持ってないんだよ。収入も、力も、実績も、価値も、何も持ってないんだよ。そのまま社会に放り込まれるなんて、不安だろ? だから保険をかけておくんだよ。20年間払い続ける借金背負ってまで、未来の安心を買うんだよ」
「だけど……」
「アン、お前みたいに強い奴は稀なんだよ」
「……ゆ、優作?」
アンは何か言いたげだったが、これ以上何も言わなかった。自由人には似合わない暗い顔をやや下へ向け、そのまま黙ってしまった。
 しまった。アンはいつも明るくて、何も気にしない。だから何を言ってもいいと思っていた。だが、そんなアンにも“触れちゃいけないところ”があった。流れのまま、優作はアンの“触れてはいけないところ”を刺激してしまったのだ。二人の間にどんよりとした雰囲気が充満していく。どうしよう。どうにか雰囲気を変えようと優作は辺りをきょろきょろと見回した。その時、彼の目に、驚愕の情報が飛び込んできた。

 なんと、昼休み終了まで、あと2分しかない。
「あ! まずい、もうそろそろ講義始まるじゃん! 俺急ぐから、話はあとでな!」
「ちょっと待って! 次の講義って、面白いの?」
「面白いわけねえだろ!」
「なら、この本読んで! もともとこれを渡しに来たの」
アンは袋から、朱色の地に、金色の細かい装飾がなされた重そうな魔導書を取り出した。
「たぶん、面白いよ!」
「わ、わかった」
優作はアンから本をさっと受け取り、講義が行われる部屋まで猛ダッシュした。

 『世界を直接的に動かしているのはエネルギーである。正確に言うと、エネルギーの偏りと変換によって世界は動いている。そして、エネルギーの変換を左右するのがチャームである。魔術とは、チャームを操る術のこと。本系鑑では魔力のことを“チャームを操り、魔術を使用することができる能力。または魔術を使用し、エネルギーを変換する能力”として扱う。以上の文は、ロイラン式魔術系鑑の一部を引用、改変したものである。系鑑にはチャームについて詳しく書かれているが、本書では省略する』
ふむふむ。一度経験してしまえば、ずいぶんと楽だと思う。初めて頭の中に言葉が流れてきた時は怖かったが、慣れてしまえばこっちのほうがいい。こんなことなら、はじめから魔導書を読めばよかった。大学の講義も、全部こんな感じで出来たらいいのに。てか、アンの世界はこんな本が普通なのに、どういう講義をやってたんだろう。優作は頭の中に、ただただ学ぶことのない、考えを押し付けるような講義を想像した。そんな講義なら、自分でも部屋を飛び出して自習するかもしれない。アンは、ずいぶんとひどい環境を耐えてきたんだな、と思わず同情してしまう。
 『空を飛ぶメリットは極めて大きい。高い移動力、優れた視界、挙げるときりがない。そのため、長いこと空を飛ぶ方法が研究されてきた。しかし、人が空を飛ぶ一番の方法は、最初期から行われていた“空を飛ぶ精霊の力を借りる”である。本書では、それをするための最も簡単な方法を、詳しく記していく。更に詳しく学びたい者は他の書も同時に参照してほしい』
そういえば、この本のタイトルは『飛行術入門』だった。下手な講義を聴くよりよっぽど面白い。優作は講義の間、冷たい顔の大学生に似合わないキラキラした目を分厚い本に向けていた。

 ゴーン。

 知らないうちに講義が終わった。ここまで集中したのは久しぶりな気がする。すんなりと理解できたのも熱中した理由の一つだと思うが、何より面白かった。なんと、講義中に二周もしてしまった。
 ……って、こんなことしていていいのだろうか? こんな時間があれば、資格の参考書数十ページは進んだだろう。それに、今魔術に手を突っ込んだら、本当に足を踏み外すかもしれない。別に今が順風満帆なわけじゃない。むしろ、そうなるための道にたどり着きたい。だが、今魔術なんかやってしまったら、確実に遠のいてしまう。優作は魔導書をリュックにしまい、一直線に帰ろうとする。
「優作! 帰るの?」
部屋の外で、背の高い美人が壁に寄りかかりながら声をかけてきた。その時、優作の頭に昼休み終了前のことが蘇ってきた。暗い顔をしたアン。どんよりとした雰囲気。だが、アンはいつも通りの自由な魔法使いに戻っていた。あの時の出来事が全くなかったかのように。むやみにぶり返させてはいけない。優作もまたいつもの雰囲気を取り戻し、いつも通りに話しかけることにした。
「アン、待っててくれたのか?」
「うん。せっかく絨毯で飛んできたから、優作も乗せて帰ろうと思ってね」
今日はあの電車に揺られなくていいのか……。ぼけっと明るい想像をしていたが、優作はある一言が引っかかった。
「………………絨毯?」
「うん。絨毯」
アンがいつも空中散歩をしているのは知っている。絨毯に乗って、空をぷかぷかと浮いているのも知っている。だが、それに乗る? 想像できない。あんな薄っぺらいものに、自分が乗って空を飛ぶ?
「優作? あの本読んだ?」
アンが大きな瞳を覗かせながら口を開いた。
「……うん。二周したよ」
「二周⁉ あの時間で? 私のほかにそんなことができる人がいるなんて!」
アンが大きな体で飛び跳ねている。
「そんなに読んだなら、絨毯が一番飛ぶのに適してるって、分かってるでしょ?」
確かに、さっきの本には書いていた。絨毯は飛ぶのに最も適している。魔術もかけやすく、精霊にも好かれやすく、乗り心地もよくて、スピードも出しやすい。だが、自分が乗ることなんて何も考えてなかった。ただ、『向こうの世界にあるすごい乗り物』程度にしか考えてなかった。
「“頭で理解する”のと“体で理解する”のは違うだろ?」
「なら、これから体で理解しよう!」
暴風を止める手段は存在しない。一度発生すれば、通過するか、収まるのを待つだけだ。優作はアンに腕をガシッと掴まれ、建物の外へ強引に連れて行かれた。
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