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二話

 三五夜の愛演奇縁

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 家に着いた光輝は冷房のリモコンを手に取り、ソファにドサっと腰掛ける。

 そこまで広くもないこの部屋には、最低限の物しかなく殺風景なものだった。

「バイトもあるのに芝居なんて……でも、工藤先輩が相手役だし迷惑かけたくないな。ざっと読むか」

 光輝はパラパラ台本を捲る。


『三五夜の愛演奇縁』

 配役

 主人公 月華一座げっかいちざ 旅芸人 女形 蘭丸らんまる 広沢光輝

 想い人 月華一座 旅芸人 男形 清河せいが 工藤裕介

 月華一座 旅芸人 座長 星大河せいたいが 木梨誠

 ────国王、姫、村人、馬役など、結構な人数が出演する。

(うわっ……マジか。こんなに人が出るの?)

 カフェテリアで台本を見たときは、自分と工藤先輩の部分しか見てなかった光輝は承諾したことを後悔した。

 早くも逃げだしたい気持ちでいっぱいだ。

(もっとちゃんと見てから返事すればよかった。本当に僕が主人公で大丈夫なわけ? 俳優志望の人にやらせればいいのに。最悪……真希が帰ってきたら……とりあえず、最後まで読んでみるか)

 主な舞台は、アジアの様々な国が絡みあって舞台が繰り広げられるようだった。

(真希の奴、全部ゴチャ混ぜだな。あいつ、歴史弱いからなあ。ファンタジーだから許されるけど、普通こういうことって調べたりするだろ?)

 光輝は鞄からノートパソコンを取り出し、ネットで簡単な舞台背景を調べることにした。

 ──二時間くらいして大まかなことが何となくわかると、少しホッとしたような、気落ちしたような、妙な気分になりそのまま彼は眠ってしまった。

「あ~ん! なんでこうなる? 配役と背景しか知らん! 二十時半……あっ、明日は休みだったっけ? ……腹減ったな。ご飯食べながら読むか。そういえば、真希は帰ってきたのかな?」

 ──ガラガラガラ。

 窓を開け顔を出して、隣に住む真希の部屋の窓を確認すると電気はついてない。

「……暗いままか。あいつ、今日は大学に泊まるのかな? メールもないし。ま、いっか」

 そして、冷蔵庫から朝の残りのすっかり固くなったサンドイッチをパクッと咥え、コーヒーを淹れた。

 食に興味がない光輝の食事はこんな感じだった。

 勿論、真希はそんな事は許さず母親のように週四ペースで、カレーやら、煮物やら、鍋ごと持って光輝の部屋に乗り込んでくるのが日常だ。

 マグカップを片手に、光輝はソファに戻り台本の続きを読み始めた。



 ──とある村で、貧しい生活を余儀なくされた幼い少年、蘭丸。

 彼は家もなく、親もいない。

 普段の生活といったら、残飯をあさり、眠るときは村長が所有する馬小屋。

 村長は、蘭丸が馬小屋に忍び込んでいるのを黙認していた。

 家に入れてやリたくても、蘭丸みたいな子供が村にはたくさんいるからだ。

 村全体がそこまで裕福ではなく、一人だけ特別な扱いをしてしまうと、妬まれてしまいその子が危険な目に遇ってしまう。

 実際、パンを貰った小さな子が、次の日には痛ましい姿でゴミ捨て場で見つかるなど、そんなのは日常茶飯事だった。

 悲しくも、貧富の差が激しい時代だ。

 それというのも新しい国王になってからだ。

 景色に恵まれた穏やかな村、心優しい村人たちは今では遠い昔のよう……すっかり、貧しさから村人の心も荒んでしまった。

 しかし、今でも村人たちが心一つに楽しみにしていることがある。

 それは毎年恒例の村祭り。

 国王はなぜか、そういう行事の資金は惜しまない。

 村にとっても稼ぎどきだった。

 村祭りには、旅芸人の各一座が集まり余興として武道や演劇を披露するのだが、他の村で見逃した人、他国の人々、そして一座の熱狂的なファンが、全ての演目を見ようと旅芸人の後を追って来る。

 荒んだ村は、一気に賑やかになりお祭りムードだ。

 幼い蘭丸にとっても、それだけが楽しみで生きている。

 特に蘭丸のお目当ての旅芸人、月華一座。

 その中でも花形と囁かれる若手である少年、清河だ。

 村でも絶大な人気を誇る清河、噂では国王のお気に入りとも言われている。

 だが、彼の素顔を村人たちは見たことがない。

 それというのも、清河は豪華な深紅の衣装を身に纏い、素顔がわからないほど派手な化粧をして舞台に上がるからだ。

 しかし、天女のように長い袖をなびかせて、両手に剣を持ち舞い踊り唄う姿は美しく、誰もが演技の上手い役者だと考え、美形に決まっていると思わせる。

 蘭丸が、清河に一目惚れするのは自然な流れだった。

 けれども、蘭丸は彼に近づくこともできない。

 毎年、遠目から見るのが精一杯。

 それに、幼いながらも蘭丸は自分の立場がわかっていた。

 たとえ、近づけたとしても絶対的なスターである清河が、蘭丸ごとき小物なぞ気にかけるはずがない。

 豪華な衣装を身に纏う清河と、ゴミ捨て場から拾ったボロ布を巻きつけているだけの蘭丸。

 ……近づけるわけなど……ないだろう?

 だが、今年は違った。

 いつもなら、月華一座は自分たちの出番が終わると、すぐに次の場所へ行ってしまうのだが今回、舞台終了後に雷が激しく鳴り響き、ザザァっと大雨が降りだした。

 その為、この村の宿に泊まるという。

 これ幸いと、単純な蘭丸は自分の立場を忘れ、その機を逃さず清河に会いに行くことを決意した。

 そうと決めた蘭丸は、勝手に世話になっている寝床の馬小屋へと走り出す。

「マー! その飲み水を僕にちょうだい! 雨がやんだら汲んでくるから」

 マーと呼ばれた馬は、言葉を理解しているかのように「ヒヒッ~ン」と、返事をした。

 蘭丸が水を欲しがっているとわかったのか首を下げ、鼻先でトントンと水が入った桶を押し出し蘭丸に譲る。

「ありがと、マー。ごめんね。このお礼は必ずするからね。もしかしたら今晩、清河さんに会えるかもしれないんだ。ちゃんとキレイにしとかないと嫌われちゃうかもでしょ?」

 そう言って、蘭丸は床に散らばった藁を掴み、桶の中の水にくぐらせる。

 そして、顔から爪先まで全身を必死に擦っていたが、ピタリと蘭丸の手が止まった。

 馬のマーは「どうしたの? 嬉しそうだったのに」とでも言いたげに、不思議そうに首を傾げる。

 蘭丸の視線の先には、べっとりと真っ黒に汚れた桶の水。

 その汚れた水をじっと見ていた、すると蘭丸の瞳からはじわりと涙が溢れだす。

 ──惨めだった。

「僕って汚いんだな……」

 そんな自分を、清河さんはどう思うのだろうか?

 嫌われてしまうかもしれない。

 でも、会いたい! 会って話をしたいな。

 蘭丸はそんなことを思いながらも、懸命に身体を擦り続けていたのだが自分の現実を目の当たりにして、今の自分の価値を突きつけられた気分になってしまったのだ。

 マーも静かに見ていた。

 馬のマーは言葉だけではなく、人の心も理解しているかのようだ……蘭丸だからなのかもしれない。

 蘭丸とマーの付き合いは十年になる。

 赤ん坊の頃、この村長の馬小屋で蘭丸は見つけられたのだ。

 すでに村は貧困に苦しんでいたせいか、表立って村長は助けることはしなかったが、赤ん坊の蘭丸が死なない程度にこっそりと手助けをしていた。

 それだけではなく真冬の寒い日は、人からの指示などなくともマーは自然と口で藁を寄せ集め、小さな赤ん坊の蘭丸を囲み、守るように自分の全身で包み込んだ。

 それを見ていた村長は、マーの耳元で「頼んだよ」と、囁いた。

 でなければ、何の力もない小さな赤ん坊の蘭丸はとっくにこの世を去っていただろう。

 ──それでも、まだまだ子供の蘭丸は座り込んで、わんわん泣きだした。

 愛や恋なんてよくわからないが今の自分が、清河とは住む世界が違うことだけは理解できる。

 自分は汚くて、清河は綺麗。

 ただ、泣くことしかできない蘭丸に、マーはそっと顔を近づけペロペロと、涙を舐めてやる。

「マー。ぼ、僕は汚いよ」

 そんな蘭丸に、マーは優しく頭突きをする。

「慰めてくれてるの? ……そうだね! マー! 僕、泣かない。清河さんに会いに行くよ」

 
 ──その頃。

 宿に着いた月華一座は旅装を解いた。

 夜、酒を振る舞いどんちゃん騒ぎをするところもあるが、月華一座はそんなことはしない。

 座長である星大河は、団員たちに声をかける。

「部屋は二人一組、清河は私と同じ部屋だ。食事はそれぞれのタイミングで、体調管理は自己責任だぞ。では、解散」

 団員たちは、それぞれの部屋へ。

 そんな時、雷が近くで落ちたのだろう、大きな音がして地響きが伝わってきた。


 ──ピンポン! ピンピンピンポン! ピンポーン!

「あー! うるさっ! 真希の奴、帰って来たんだな。今、開けるから静かにして」

 台本を読んでいた光輝は、真希のピンポン攻撃でハッとし、大きな溜息をつく。

(意外と夢中で読んでたのに……)
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