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八話

 ハッピーエンドの決意

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 ──ヒヒッ……ブルル……ヒヒン。

 ──ペロペロペロペロ。

(う……ん……。くすぐっ……たいなぁ~。誰だよ)

 頬をこねくり回す感覚で目を覚した光輝の視界には、馬が覗き込んでいた。

(……うわあっ⁉︎)

 思わず飛び上がり、光輝はすぐさま馬から離れる。

 顔をぺたぺた触りながら、目の前の馬を眺めた。

(顔中べちょべちょだ……なんで馬がいるんだ? ……僕は屋上から落ちて……)

「ブルル」と鳴き、馬はゆっくりと後退りしながら、光輝を見つめる。

「ヒヒン、ブルル」

 馬は光輝に、何かを伝えたいように見えた。

「えっ?」

 馬の口から言葉を聞いたような気がした光輝は、驚いて目を見張る。

(まさか……僕は、コイツの言葉がわかるのか?)

「お前は……マー?」

「ヒヒン」

 馬が頷いた。

 その動きを見て確信した。

 馬は光輝の言葉を理解し、意思疎通できるのだと。

「ブルルルルルル……ヒンヒンヒン」と、鳴きながら馬はゆっくりと光輝に近づき、頭を差し出す。

「……撫でればいいの?」

 そう光輝が呟くと、馬に手を伸ばす。

「わかったよ」

 何だか、光輝の鼓動が高鳴る。

(本当に言葉が通じてるのかな?)

 内心で考えつつも、優しく馬の頭に触れた。

「ヒンヒン」

 撫でる光輝の手から伝わる温もりを感じ取りながら、馬は嬉しそうに目を細めた。

「ブルルル……ブルル」と、鳴きながら顔を擦りつけるようにしてきた馬に、思わず笑みが溢れる光輝。

「はははっ! 可愛いなお前……じゃなくてっ⁉︎  マー? マー……!」

 馬に喋りかけた光輝だったが、そこで初めて自分の異変に気づく。

「ここは……馬小屋。目の前には馬のマー……嘘!」

 今、自分がいるであろう場所は馬小屋、そして自分の前には意思疎通ができる馬のマーがいる。

「えっえっえっ⁉︎ これって、真希が作った台本の中? 真希の書いた台本に取り込まれたってこと? そんなバカな話が……」

 困惑する光輝に、マーは「ヒン」と、鳴きながら足元の藁を鼻先で左右に掻き分けた。

「ここを掘れってこと?」

 光輝が恐る恐るマーに近づくと、再び鳴きながら頷く。

「……掘れば……いいの?」

 不安げに尋ねる光輝に、マーは再び「ヒン」と鳴いた。

「わ……わかったよ」

 おずおずと近づきながら藁を掻き分けると、そこには一冊のノートがあった。

「ノート? ……違う。これは『三五夜の愛演奇縁』の台本だ!」

 興奮した光輝は、勢いに任せて台本を捲り中を見た。

「やっぱり。じゃあ、僕の今の姿はどうなってんだ? ……鏡、鏡はどこに?」

 するとマーが鼻先で、水の入った桶の方向を示す。

「そっか、ありがとう! マー」

 そして光輝は、水に映った自分の姿を見て言葉を失った。

 水面に映っていたのは光輝の姿ではなく、肩まで伸び切ったボサボサの髪に、頬は痩せ細り青白く薄汚れた顔をした少年が映し出された。

 何よりも薄汚れた顔に、青みがかった黒い瞳がギラついてるのが印象的だった。

「これが……僕? 蘭丸か? そう言えば、声も幼い気がする」

 小さな両手を目の前に広げ、困惑した表情で呟く光輝。

「……骨と皮。これが、この世界で生きるの姿なんだ」

 光輝は、自分が置かれている状況を理解すると、絶望のあまり座り込んでしまった。

 その様子を見たマーは、何かを訴えるように鳴き始めた。

「どうした?」

 そして馬小屋の中を見回すと、隅の方に汚れた毛布を見つけた光輝は、フラフラとした足取りで近づくと座り込み、毛布をすっぽり被るとそのまま力なく横になってしまう。

(僕……死んだんじゃないの? 真希が作った話の世界にいるなんてどうなっちゃうんだよ……それとも夢を見てるのか?)

 マーは心配そうに鳴き続けながら、光輝に体を擦りつけた。

 少しずつ落ち着きを取り戻した光輝は、そっと毛布からひょっこり顔を出す。

 すると、心配そうな目をしたマーが覗き込んでいた。

「……お前は本当に優しいな。心配してくれてるんだね。聞いてくれる? 僕はさ、屋上から落ちたんだ。あの高さから落ちて生きてるはずがないよね。なのに、気がついたらここにいた。これからどうすればいい?」

 マーは答えているのか、

「ヒヒン、ブルル! ヒヒンヒヒッン? ヒ~ン!」

「……えっ? 僕がこの世界で生きているのは何か意味があるのか? 」

 光輝が質問すると、マーは小さく頷いた。

「えっ、あるの?」

 再び小さく頷く。

「それはどんな……」

 光輝が質問すると、マーは体を背ける。

(なんだ? 言いにくいことなのか?)と、察して質問を辞めた光輝に、マーは再び体を背ける。

(うう……なんか気まずい)

 ──何かに気づいたのか、マーは口に『三五夜の愛演奇縁』の台本を咥えていた。

 そして、そっと光輝の前に置く。

「ん……これは台本」

 首を傾げる光輝に、マーは首を縦に何度も振った。

「読めってことだね。わかったよ」

 内心、自分を追い詰めるキッカケになった『三五夜の愛演奇縁』の話にも、最期まで報われない愛を貫き通す主人公である蘭丸には、若干うんざりしていた。

 ……真希には感謝している。

 しかし、光輝の為と言いながら振り回すことも、嫌なのに何か期待して中途半端に首を突っ込む自分自身、知らない奴らに罵声を浴びせられることも、全てから逃げたくて屋上に駆け上がったというのに。

「ここに、僕が存在する意味があるのか……あれ? そう言えば、工藤先輩も一緒に落ちなかった?」

 肝心なことを思い出した光輝は、マーを見た。

「ヒヒン! ブルルルル‼︎」

 激しく鳴きながら首を縦に振る。

「それは本当? じゃあ、工藤先輩も僕と同じってこと? 工藤先輩も、月華一座の清河の姿になっている可能性があるってことか」

 さらに激しく頷くマーに、光輝は複雑な感情が胸の中で渦巻くのを感じた。

(もしも、僕と同じようにこの世界に飛ばされたのなら、ちょっと嬉しいな)

 僅かな希望を胸に抱く光輝だったが、すぐに考え直す。

(でも……それって、蘭丸の境遇と同じ? ちょっ……待って! 台本のシナリオ通りの人生を体感しなきゃいけないってこと?) 

「うわぁっ‼︎ 勘弁してくれよ……マジで最悪だ! この物語は悲恋じゃん。最期、清河は国王の娘と結婚して、蘭丸は城から飛び降りるんだよね? 真希の奴、せめてコメディにしてくれ! 現世でも屋上から落ちてんのに。何回、落ちればいいんだよっ!」

 思わず頭を抱えた光輝に、マーは励ますように擦り寄った。

「マ~、ありがとねぇ……見た目は蘭丸だけど、僕が別人の人間だってお前にはわかるのか?」

 マーは、小さく頷いた。

「そっか……お前は頭がいいね。本当の僕を知っていてくれる存在がいると心強いよ」

「ヒンヒン!」と鳴くマーに、光輝は目頭が熱くなるのを感じた。

(こんな不遇な人生を送った僕にも、コイツがいてくれるのかぁ)

「ねえ、マー。不安なんだよ。何回も聞いちゃうけど、僕はどうしたらいいの?」

 すると光輝が手にしていた台本のページを、マーは口で開いた。

「……村祭り。そっか! 旅芸人たちがこの村に来るんだった。もし、工藤先輩も清河になっているなら会えるはず」

 そして、マーは光輝を励ますように頷いた。

「よし! 僕は村祭りで蘭丸がした事をする!」

 マーは、慌てた様子で何度も鳴き声を上げた。

「なあに? 違うって……。そっか、ダメじゃん。蘭丸と同じ道を辿れば悲しい結末になってしまう。真希は僕の恋を応援するなら、ハッピーエンドにしてくれればいいのに。まあ、悲恋の方が名作って言われる作品多いけどさあ……」

 そして、台本を握り締めた光輝は「決めたぞ!」と、力強く立ち上がった。

「冗談じゃない! 二度も悲しい運命なんてバカらしい。僕は、ハッピーエンドにする道を探すよ!」

 すると、マーは嬉しそうに鳴いた。

(コイツは本当に可愛いな。人間みたい)

 マーを優しく撫でる光輝だったが、頭の中で別の事を考えていた。

(でも、その前に……この体って栄養失調で死ぬんじゃないの?)

 そんな心配を抱えながらも決意した光輝は、まずは自分が今できることを始めることにした。
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