信長に死に装束を

宇治山 実

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信長に死に装束を

     一 北陸方面軍 柴田勝家の場合

 織田信長の家臣、柴田勝家は「甕割り柴田」とか「鬼の権六」と呼ばれ猛将の印象が強いが、実際は物事を合理的に考える人情味のある武将だった。人を殺すことに躊躇し、悩み反省もしていた。そこは戦国の世である。殺すか殺されるかの極限に立たされれば、当然攻めにでる。攻めるしか生き残れない時代である。その前向きな姿勢で戦場を駆け巡り、信長の一番家老の地位を得た。その鬼の柴田が人生で最大の悩みを抱いたのは、織田信長が本能寺で明智光秀に殺され、羽柴秀吉と戦って負けたではなかった。時
 その二年前の天正八年八月十二日、主人信長が宇治の大橋を観て機嫌よく大
阪に帰った翌日、佐久間右衛門(信盛)と甚九郎(正勝)親子に十九条の折檻状を突き付け、高野山に追放したときだった。その五日後、信長は、林佐渡守(通勝)、安藤伊賀守親子、丹羽右近を遠国に追放した。
 勝家は加賀で一向一揆衆と対峙していたが、この信長の折檻を聞いたとき、
(―――次は儂の番だ)
と、覚悟をした。
 尾張の一豪族でしかなかった織田信長を支え、激戦を重ねてきた老臣の佐久間右衛門と、林佐渡守の次は、順序から考えるとこの柴田勝家になる。ましてこの勝家は林佐渡守と結託して、信長を追放しょうと画策した過去がある。
 弘治二年(一五五六)八月、柴田勝家は林佐渡守、美作守の兄弟と謀って、信長の弟勘十郎(信行)を織田家の跡継ぎに担いで、信長追討の兵を起した。
 結果は信長に負け、数年後、信行は殺された。
 人生を織田家一筋に尽くしてきた佐久間右衛門や林佐渡守の無念な顔が浮かぶと、二人は勝家の心に、
「次は間違いなく、お前だ」
 剛毅な二人が泣き顔で忠告した。
 古代の中国で宿敵項羽を倒し、漢帝国を建国した劉邦は政権が安定し、敵がいなくなると、自分の天下取りに貢献した重臣たちを謀殺した。
 韓信、彭越、鯨布・・・。
 上様も同じことをするのかと考えると、
(こんな折檻だけは、されたくない)
 それならどんな負け戦であろうと、戦場で死ぬ方がよい。
「我らも戦場で、華々しく死にたかった」
 二人の顔が寂しく笑った。
「隙を突かれたー」
「隙を・・・・・」
「そうじゃー、まさかじゃー」
 勝家も信長が二人を折檻するとは予想もしなかった。
「儂らも予期できたら、闘った」
「上様とかー」
「もちろん信長とじゃ」
「上様は、逆らった一族を徹底して殺す」
 勝家が言うと、
「分かっている。勝てないのも分かっているが、こんな惨めな追放よりも意地がある」
 この後佐久間右衛門は、信長の命で高野山からも追い出された。そして浮浪者のように彷徨、十津川で野垂れ死にした。
 勝家は蝋燭の消えかけている部屋で、己を戒めるように考えていたが、いくら考えても納得できる答えは見つからなかった。
 信長の人間性を恐れているのは、この勝家だけではない。
 丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉、明智光秀・・・・・。
 勝家は織田家の武将ではないが、信長を信じていない人物を思い出した。
 三河と遠江の領主徳川家康である。
 天正七年の夏、信長は家康の嫡男岡崎三郎信康と、正室の築山御殿が甲斐の武田家に内通しているといって釈明を求めた。
 信長の要求に過剰に反応した家康は、実の妻子を殺した。
 妻子を殺させた上様も怖いが、当然のように実の妻と嫡男を殺した家康も怖い。
 勝家は落ち着くと、一人の忍び者を呼んだ。
 雲隠れ甚兵衛は伊賀者である。
 都に近い甲賀が早くから豪族の支配下に属して、集団で任務を果たしていたのに対し、四方を山に囲まれた伊賀は多国者の干渉を嫌い、己の技を売る一匹狼が多かった。特に腕に自信のある伊賀者は一人で仕えた。どの大名も情報を収集する専門の家臣意外に、陰で任務を果たす忍び者を数名抱えていた。その者たちは決して表に出ることはなかった。実際、忍び衆が表に現れてきたのは、徳川政権が安定して合戦がなくなってからである。
 雲隠れ甚兵衛は四十前後の百姓に見えたが、本当の年齢は誰も知らなかった。それも四十ぐらいというだけで、それすら定かではなかった。身体は大きく偉丈夫だったが、顔はこれといった特徴がない。一度見ても記憶に残らない静かな男だった。
 勝家は、主人にさえ本当の姿を見せない甚兵衛を信頼していた。
「伊勢の桑名まで走ってくれ」
 暗い庭の隅に控えている男に声をかけた。
「・・・・・」
「桑名城にいる滝川一益に、この書状を届けてくれ」
「桑名まで走ると・・・・・」
 聞き返した声が、庭の至る所から帰ってきた。
 伊勢長島城主の滝川一益は、信長の命令で桑名城を改築していた。
 甚兵衛は走る道筋を考えた。北ノ庄から木ノ芽峠を越えて近江に入り、北陸脇往還道から東山道で能登川まで行って、愛知川沿いに上って八風峠を越すと・・・・・。片道約六  
十里で往復百二十里を走る。
「切銀で二枚頂きます」
 切銀とはこの時代の貨幣で、天正時代は各大名が鉱山開発力を入れ、領内の鉱山を片っ端から掘っていた。特に金山、銀山には力を入れたので、金と銀の産出が急増していたときだった。掘りだした金銀を鋳造して、塊(インゴット)をつくった。その金塊を硬貨ほどの大きさに切って秤量したものが切り金であり、銀の塊を切ったものが切り銀で、切遣銀、丁銀、挺銀などとも呼ばれていた。
 勝家は後ろの文箱から二枚の切銀を取り出すと、甚兵衛に投げた。
 甚兵衛は暗い庭で、空中を飛ぶ虫を捕まえるように切銀を掴んだ。そして暗くても見えるのか、手に掴んだ切銀の色と重さを確かめると、一枚を勝家に投げ返した。
「一枚は今頂きますが、一枚は無事に帰ってから頂きます。返書は・・・・・」
「貰って欲しい」
「・・・・・」
 甚兵衛の気配が消えると、庭の虫が鳴きだした。
 勝家も甚兵衛もこの方法が好きだった。銭で命令をする者と、銭で命令を実行する者だけの世界だった。
 
 越前、北ノ庄城を飛び出した雲隠れ甚兵衛は、北近江を目指して走った。
 人が甚兵衛を雲隠れとか、逃げの甚兵衛と呼ぶのは、甚兵衛が敵を倒すことよりも目的達成を優先させるため、闘いを避けて逃げるからだ。技に長けた忍び同士が、全力で闘えば傷を負い、どちらかが死ぬ。死んだら任務は遂行できない。それを避けるには姿をくらまし逃げることだ。
 甚兵衛は半刻走ると、道の脇に身を隠した。
 もし北ノ庄の柴田勝家を監視している者がいれば、北ノ庄城から飛び出した甚兵衛をつける。忍び者は普通の人には悟られなくても、同じ忍び者には分かる。
 甚兵衛は用心深い性格だった。周りの草木に紛れると、呼吸を殺して待った。忍び者の走りは地面を叩かず風が流れるように走る。それでいて常人の倍の速さで駆け抜けていく。
 しばらく身を潜めていると、音もなく重い気配が近づいてきた。
(―――やはり、つけられていたかー)
 甚兵衛は迫ってくる気配との距離を計ると、腰の突き剣を抜いた。甚兵衛の突き剣は二尺六分の直刀である。日本刀のように反りがない。実戦だけを考え、叩たり払うよりも、突きが一番早いことから、甚兵衛が自ら鏨を打って造った刀だ。急所を一突きすることだけを求めたので、反りも太さも必要がなかった。その分軽く扱いやすい。
 闇の中で重い風が迫ってきた。
 甚兵衛は目を閉じると、重い風の動きに全神経を注いだ。
 忍び者を相手にするときは、目で姿を追うと幻像を掴まされる。
 甚兵衛の前を風が流れた。
 甚兵衛は素早く身を起すと、その風を追った。
 相手が甚兵衛に気が付いていないと分かると、一気に勝負にでた。
 風との差を詰めと同時に飛びかかった。
 背中に追い重なる瞬間、突き剣を思いきり突き刺した。
 跳躍や回転が得意な忍びを相手にするときは、間を与えないことだ。
「うっー」
 ちいさな声が漏れたが、突き刺した刀をもう一度差し込んだ。
 甚兵衛は突き剣が影の胸を確実に貫いたことを知ると、崩れる風の身体を道の横に突き落とした。そして慎重に降りた。
 甚兵衛は、木の根元に転がっている旅芸人風の男をしばらく眺めていた。
 その旅芸人が全く動かないことを確認しても、油断はしなかった。慎重に近づくと地面に伸びている手を踏んだ。それでも反応がないことを確かめてから、身体を貫いている突き剣を抜いた。
 そして背中に巻きつけていた荷物を探ると、僅かの日用品以外に二本の投げ剣と、油紙に包んだ薬があった。その薬の粉を指に付けると舌で味わった。
「うえっー」
 思わず吐き出した。
(毒薬だ、それも猛毒だ)
 残らず吐き出したのに、まだ舌がしびれていた。
 甚兵衛も毒薬を扱うが、これほどきつい毒薬を舐めたことがない。
 それに、この旅芸人風の男は、
(―――伊賀者でも甲賀者でもない)
 甚兵衛の頭の中に巨大な蜘蛛が現れると、その蜘蛛が笑った。
(―――いかん)
 甚兵衛は頭をふって、湧きかけた妄想を払いのけた。そして街道に戻ると、再び伊勢を目指したが、走っていても頭の中に生まれた巨大な蜘蛛は消えなかった。
(奴は間違いなく傀儡子だ)
 傀儡子(くぐつ)は奇術や、人形回しを観客に見せる旅芸人一座である。
 平安後期の漢学者で歌人だった大江匡衡の曾孫で、後三条、白河、堀河の三代天皇に仕えた大江匡房(まさふさ)は傀儡子の集団を『傀儡子記』に、
「くぐつまわしたちは、定まった住家もなく守る家もない。天幕と毛氈を張った家にすみ、水草を追って移動する。男たちはみな弓馬をよくし、狩猟で生活をたてているが、そのほかにも二本の剣を踊らせ、七つの玉をもてあそび、木製の人形をまわせ、桃の木でつくった人形に相撲をとらせたりする。これらの人形をまるで生きた人のように動かすことは大陸の魚竜蔓延の幻術みたいである。砂や石を金銭に変え、草木を鳥獣として、人目をたくみにごまかす・・・・・」と記録している。
 甚兵衛は、織田信長の配下に大きな傀儡子廻しの集団がいると聞いていた。
 
 織田信長は子供のころから、好奇心が人一倍旺盛だった。
 珍しいと飽きるまで見ていた。その信長が傀儡子の旅芸人と交流を深めたのは、まだ尾張統一以前の天文十五年(一五四六)、信長が十三歳のときだった。
 当時吉法師と呼ばれていた信長は、数十人の近習を引き連れて、城下を駆け回っては合戦の真似事をしていた。
 ある日、人形回しが人形を操っているのに出会った。
 胸の前に吊った箱の中で、二つの人形が生き物のように会話をしていた。
 信長は、その人形の動きに惹きつけられた。
(―――どうして木で作った人形が喋り、動くのか)
 真剣に原因を探った。
目を逆立てて興味津々で見ている信長に、関心を抱いた人形回しは箱の人形を動かし
た。観ている者には、人形がひとりで地面に降りたように見えた。
 地面に降りた人形は、信長に向かって歩いていくと、
「人形が、面白いか」
 挑発するように言った。
「に、人形が喋った」
「いや、この人形は本当に生きているのだ」
 近習たちは大袈裟に騒いでいたが、信長は睨むように人形の動作を見ていた。
 そして腰の刀を抜くと、人形の上を払った。
 同時に、生き物のように動いていた人形が、ばたっと倒れると動かなくなった。
「見事でございます」
 人形回しが笑いながら言った。
「どうして分かったのですか」
「木で作った人形がひとりで動くことはない」
「でー」
「なにかからくりがある。それを探した」
「なるほど。うつけの噂とは大違いでございますなー」
 人形回しの顔が、別人の顔に変わっていた。
「なにー、誰がうつけと申すのだ」
 先ほどまで人形に驚愕していた近習たちが刀に手をかけた。
「落ち着け。名は」
 信長は近習たちを抑えると、人形回しに聞いた。
「百大夫でございます。人形回しの百大夫でー」
 百太夫は応えながら、十三歳の子供が問う刃のような目に心が躍った。
「どこからきた」
「生国は摂津の国、西宮でございます」
「全国を浮浪しているのか」
 信長の細い目が光った。
「はい、風の吹くまま、気の向くままに・・・・・」
 百大夫は木偶を弄び、世稼ぎの糧として全国を彷徨っていた。これは百大夫だけではなく、傀儡子や散所法師と呼ばれた者たちは、西に東に放浪することで課役を免れていた。
 この組織に信長が目をつけた。
 放浪する傀儡子たちが持つ各国の生の情勢、住民の考えや道路網と流通知識が知りたかった。目を付けられた百大夫も、大うつけの噂とは違い、ぎらぎらと光る眼をむきだしにして、全力で時代を切り開く若者の将来に懸けてみる気になった。
 それ以来、信長の情報収集と暗殺戦略が功績をあげ、快進撃が始まった。
 信長は対抗しても勝てない相手は暗殺を選んだ。
 その役を百大夫が受けた。
「美濃の斉藤義龍を省けるか」
「時間さえ頂ければ・・・・・」
 百大夫の最初の大役は、信長が何度攻めても太刀打ちできなかった隣国美濃の領主斉藤義龍だった。大柄な義龍は見かけによらず名君で、足利幕府の官僚とも結ぶと、国内の結束も固く、信長につけ入る隙を与えなかった。
「時間がない」
「と、申されますと」
 百太夫が聞いた。信長の考えは空を飛ぶ。
「尾張統一に十年かかった」
「それが長いとー」
「上洛を果たすには美濃を通らねばならん」
「・・・・・」
「信長の行く手を遮る者は殺す。殺さなければ殺される」
「天下を取ると・・・・・」
 百太夫はこの男を信じたことが間違いでなかったと確信した。
「美濃攻略に十年かけることはできん」
 信長は大きな夢を掴もうとしている。
「尾張と美濃で百十万石、これだけあればまず足りる」
 両国で二万から三万の兵が動員できる。三万の軍勢を意のままに操れば、合戦に負けることはない。

 百大夫は稲葉山城に潜入すると、小さな人形を使って料理に毒を入れた。
 その料理を食べた義龍と、妻の一条氏に二人の子供は急激な腹痛に襲われた。腹を抱えて転げまわった後、痙攣を起して同じ日に死んだ。このとき百大夫が使用した毒は鳥兜(トリカブト)の根から採った毒汁だった。二十貫を越す巨体の義龍も、ほんの少し摂取しただけで致死させた猛毒である。
 全国を放浪する傀儡子は毒草を採取して、猛毒を作る技を持っている。
 青紫色の可憐な花は目立った。
 
 次の大きな暗殺は、天正元年、上洛を目指した甲斐の武田信玄であった。しかし、信玄はすでに重い労咳に侵されており、毒を盛るまでもなく上洛の途中で死んだ。
 その後は越後の上杉謙信だった。
 天正五年五月、加賀の湊川(手取川)で織田の大軍を撃破した上杉謙信は、その年の暮れに上洛を決意すると、翌年の三月十五日を出陣と定め、配下の武将たちに準備を命じた。
 信長は謙信暗殺を目論むと百大夫に命じた。
 百大夫は謙信の酒好きを調べると、酒に毒を混ぜた。
 女人を近づけない上杉謙信は将棋の駒を動かすように、合戦を想定して一人で酒を飲む。
 その毒酒を飲んだ謙信は、出撃前の三月九日、急死した。
 このとき百大夫が使った毒は、夾竹桃(きょうちくとう)の茎を折ったときに出る白い液だった。当時は濁り酒だったので、混ぜても分からなかった。その上、無類の酒好きな謙信は、普段から塩辛い肴を好んで食べていたので血圧が高く、度々医師から忠告されていた。毒は謙信の心臓を圧迫して命を絶ったが、酒の飲み過ぎによる脳卒中と診断された。

 甚兵衛は北近江から南に向かい、愛知川に沿って山に入った。
八風峠越えである。風が八方からくることから呼ばれた見晴らしの良い峠であったが、
道は細く険しかった。ただ伊勢に行くには最短距離だったので、中近江の四本商人が利
用する商業路に使われていた。
 雲隠れ甚兵衛は八風峠を駆け抜けると、伊勢に入った。
 伊勢は一向一揆衆の拠点長島があった。信長は徹底抗戦した一揆を大虐殺で鎮圧すると、北伊勢五郡を滝川一益に与え、その後の仕置きと片づけをさせていた。
 甚兵衛は桑名城に入ると、一益に会った。
「兄者は達者か」
 一益は勝家を兄のように慕っている。
「丈夫でございます」
「加賀の制圧は、順調に進んでおるのかー」
「そのようにで・・・・・」
「加賀はさておき、問題はその先におる越後の上杉じゃー」
「・・・・・」
 上杉家は謙信の跡目を甥の景勝が相続していたが、一族の結束が固くなかなか切り崩せなかった。
 一益は勝家からの書状を一度目はゆっくり、二度目は確認するように、そして三度目は一字一字を噛み下すようにして読んでいた。
 甚兵衛は書状がただならぬ文面であることを、一益の表情から読み取ったが、
(―――わしには関係のないことじゃ)
一切顔には出さなかった。
「ご苦労だった」
一益は元の顔に戻っていた。
「返書を書くから、待ってくれ」
「・・・・・」
 一益が隣の部屋に消えると、暫くしてかすかに煙の匂いがした。
(柴田さまの書を燃やしている)
 四半刻ほど待つと。一益が小さな書を持って現れた。
「秘密を要する。必ず兄者に直接渡してくれ」
 書状を甚兵衛に渡すと、切銀を二枚出した。
「駄賃は柴田さまから頂いております」
「分かっている。これはわしの気持ちじゃー。貰ってくれ」
 甚兵衛は一礼して切銀を受け取ると、小さな皮袋に収めた。
「甚兵衛、変わったことはなかったか」
「つけられました・・・・・」
「そうか。でー」
「仕留めました」
「さすが甚兵衛じゃ。兄者が頼りにするはずだ」
「・・・・・」
「相手はー」
「旅芸人でした」
 一益の顔が一瞬強張った。
 甲賀出身の滝川一益は、陰で活動する忍びの組織を熟知している。
「傀儡子か」
「そのように見えました」
 勇猛な性格で敵の大軍も恐れない一益でさえ、上様である織田信長の前に出ると、蛇に睨まれた蛙だった。これは一益だけでなく、信長の家臣は敵よりも信長を恐れていた。
 永禄十二年、イエズス教会の宣教師ルイス・フロイスが日本での布教の許可を得るため、岐阜城に織田信長を訪ねて行ったとき、信長がいかに家来たちに恐れられていたかを、
「信長がちょっと手を振っただけで、家来たちは凶暴な獅子の前から逃げるように、重なりあって消え去った」と記録している。
 一休みした甚兵衛は、夜を待って桑名城を抜け出すと、越前のある北ではなく、反対の南に向かった。城を抜け出すにあたり、甚兵衛は身につけている武器を丹念に点検した。
 傀儡子は集団で活動する。仲間がやられると、必ず組織をあげて仕返しにでる。まして織田信長が直接指揮している傀儡子集団は、信長の性格同様に相手を徹底して殺すか、壊滅させる。できるだけ闘いは避けるが、準備だけはしておくことだ。もし闘いになっても一人が相手なら逃げ切る忍び技を鍛錬しているが、数人に襲われると逃げ切る自信がない。
 用心して城を出たが、すぐに重い空気に囲まれた。
 甚兵衛は重く暗い気配を数えた。
 ひとつ、ふたつ、みーぃっつ、よーっつ。
(いかん、これは勝負にならん)
 甚兵衛は己の命などどうでもよかったが、銭を貰っている以上、一益から勝家に渡す書状だけは死守しなければならない。囲まれたら負ける。
 甚兵衛は全力で走った。
 最悪の状態に陥ったときに考えていた南の員弁川を目指して走った。
 敵は人数を動員していたが、北の越前に向かうと予想していた分、読みを間違った。
 その両者の差が、甚兵衛を包囲できなかった。
 甚兵衛は員弁川に辿り着くと、躊躇せずに川に飛び込んだ。
 川に飛び込む以外、逃げる道はなかった。書状は油紙で巻いて、蝋で封をしているので濡れることはない。
 後ろで数人が川に飛び込む音がしたが、夜の川中では見つかることはない
 
 柴田勝家は北ノ庄城で、加賀の一揆鎮圧後のことを考えていた。
 織田信長は越前の一向一揆を、伊勢長島につぐ大虐殺で鎮圧すると、越前八郡四十三万石と北ノ庄城を、北陸方面軍の司令官柴田勝家に与えた。
 初めて国持ち大名になった勝家は、
(これで、名実とも織田家一の領主になった)
 敵地を攻略しても、その後の仕置きが出来なければ、またひっくり返される。
 勝家は一揆衆が反抗する動機を調べた。
 その理由を探すと、それらの対策を一つひとつ実施していった。
 一向門徒の村には一揆に参加できないように、武器である刀さらえを行った。ただ武器を取り上げるだけでは、農民は米作りに専念しない。勝家は刀さらえで取り上げた刀や鑓を溶かして打ち直すと、鎌や鍬に作り直して農民に返した。さらに農民が納得できるように、納税は前例に従うように指示すると、役人が出かけて催促しても、食事は一汁二菜でよいと理不尽な要求を戒めた。
「甚」
 籠った声が湧いた。
「甚兵衛か、入れ」
 音もなく障子が動くと、人間の三倍ぐらいの黒い影が流れるように入ってきた。
 勝家がその影に驚いて腰の刀に手をかけると、影が消えた。
 消えた影を探して部屋の中を見回すと、甚兵衛が部屋の隅に壁を背にして座っていた。
「甚兵衛、驚かせるな」
「・・・・・」
「返書はー」
「ここにー」
 甚兵衛は衿を少し切り開くと、中から油紙に巻いて細い紐にした書を取り出した。
「ご苦労だった」
 勝家は甚兵衛の前で封を開くと一気に読んだ。そして暫く目を瞑って考えていた。
 考えがまとまったのか、目を開けると、文箱から切銀を一枚取り出して甚兵衛に渡した。
 その切銀を甚兵衛が小さな皮袋に収めるのを見届けてから、
「襲われたそうだな」
「・・・・・」
「傀儡子かー」
「そのように見えました」
「上様が、儂を見張っていたのだな」
「まちがいなくー」
「上様は儂も信用されていないのかー」
 甚兵衛は応えられなかった。
「甚兵衛、儂はお前が羨ましい」
 何万の軍勢を動かす勝家が、一人の忍び者に言った。
「・・・・・」
「仕事も主人も選べる」
 勝家が寂しく笑った。
 勝家に相槌をうてばよいのだが、敢えて応えなかった。 
 忍び者は言いつけられた用件を果たせばよい。忍び者が感情を持つと、極限で誤ることが多い。だから甚兵衛は自分を人間だと想わないことにしている。
 所詮は銭で雇う者と、銭で雇われる者だ。
「命懸けで上杉家を倒した後に、裸で追放されたのではたまらん」
 勝家は佐久間親子の折檻が忘れられない。
 石山本願寺を攻めていた佐久間右衛門(信盛)は、抗戦派だった顕如光佐の子教妙光寿が抵抗を止めて、本願寺を退出して紀伊雑賀に移動した十日後に追放された。
「右衛門は、上様の見張りに気が付かなかったのだ」
 信長の父、信秀の代から織田家に仕える右衛門は、石山本願寺を包囲する天王寺砦で、家来を家畜のようにこぎ使う信長の悪口をこぼしていた。
 これを部下にも心を許さず、行動を監視させていた信長の忍びが聞いた。
 結果は裸同然での追放だった。
「儂も腹を括らねばならんようだ」
 腹を括るとはー。
「甚兵衛、上様を殺せるか」
「技が届けば・・・」
「殺せー」
「見返りは」
「越前一国」
「柴田さまはー」
 越前は勝家の領地だ。
「京に行く」
 上様が死ねば京は空く。
「私に越前は大きすぎます」
「そうか」
「いつでも使える銭が手頃です」
「分かった」
 勝家は家臣に大量の金銀を運ばせると、
「上杉家が健在なうちは、儂の頸も胴から離れることはない」
「・・・・・」
「焦ることはないが動くには銭が要る。好きなだけ持って行くがよいわ」
 甚兵衛はそこから十枚の切銀を皮袋に入れると、残りを返した。
「重いと動きが鈍くなります」 

 一休みした甚兵衛は、翌朝出入り業者に交じって北ノ庄城を抜け出すと、人通りの多い木の芽峠を避け、若狭から山越えで今津にでて坂本に入った。
 坂本のある志賀五万石は明智光秀が信長から最初に貰った領土である。坂本は比叡山の門前町であり、山上の寺院を支える補給基地でもある。湖上から運搬された物資を京の都に運ぶ港町の役目もしている賑やかな町だった。
 光秀は坂本に腰を据えると、琵琶湖にせり出した城を築いた。黒い瓦を纏った地味な城だが、琵琶湖を運行する船が城の中まで収納できる機能的な構造になっていた。
 甚兵衛は坂本の町を歩きながら、光秀の武将としての人間性を思い浮かべた。
 そして目安を付けると、比叡山の峰続きにある大黒山の横を抜けて、八瀬の外れに下りた。そのまま高野川沿いに下ると、吉田神社を目指した。
 京の裏の動きは、公家を探ることから始まる。
 甚兵衛は公家という人種が理解できなかった。
 通常の人間は働いて糧を得る。しかし、この公家という生き物は働くこともないのに、厄介な問題が降りかかると、柳の枝のようにふわっとかわす。風が止まればまたもとの位置にぶら下がっている。
 吉田神道を継ぐ吉田兼和は(天正十四年兼見と改名)今年四十七歳になる。正四位下で神祗大副、右衛家督である。吉田神社の神官であるが、誠仁親王の側近も勤めれば、織田信長とも面識があったから安土城にもたびたびきていた。
 元亀二年、比叡山を焼き討ちする前、信長は兼和に問うた。
「お前の父兼右は興福寺が滅びるとき延暦寺も滅亡し、王城に災いがあると言ったそうだが、本当かー」
 信長は噂や迷信を信じない。
 兼和は信長の心に添うように応える。
「そのように言われておりますがー」
 兼和は背筋を伸ばすと、強い口調で言った。
「根拠はありません」
 比叡山は邪魔にこそなれ、兼和にとっても利はない。
「もう一つ、将軍(義昭)に対する天皇、公家などの評判はどうか」
「天皇、公家だけでなく、万民の評判もよくありません」
と、兼和は信長が望む答えで応じた。
 昔の吉田神社の敷地は、神楽岡を中心に現在の三倍もあった。広い敷地は隙だらけに見えたが、甚兵衛は忍び者の本能ですぐには行動しなかった。
 最初は隙だらけに見えた神社が、夜になると、所々に神官にも小者にも見えぬ荒々しい男たちが配置されていた。
 甚兵衛は夜の侵入を諦めると、昼間、出入り商人に銭を渡し、忍び込んだ。
 そのまま兼和の部屋に忍び込むと、狭い床の間の天井裏に潜んだ。
 そして天井に小さな穴をあけると、広く部屋が覗けるように工夫した。
 甚兵衛はじっと待った。待つのには慣れている。
 夜になって人の気配がすると、兼和が帰ってきた。
 一人ではなかった。
(連れがいる・・・・・)
 甚兵衛が心気を引き締めると、急に怒り声が湧いた。
「信長めー、奢るにもほどがある」
「仕方がありませんな。今の信長に正面から挑む勢力はおりませんからなー」
 二人が、のぶながと呼び捨てにしていた。
「ごめんー」
 外から声が入ると、小者が酒と肴を持って入ってきた。
 小者は酒と肴を置くと、直ぐに出ていった。
 二人は小者が出て行ったことを確認すると、
「無礼にも信長は日本国王のつもりでいる・・・・・」
「日本国王とは、大袈裟なことをー」
「安土城に作っている摠見寺の御神体は信長本人だというではないかー」
 甚兵衛は狭い空間で、体を自由に動かすこともできなかったが、口中で呪文を唱え、首と手足の指を動かすことで、体が硬直することを防いだ。その状態で全神経を二人の会話に注いでいた。
「今は信長がすることに、誰も逆らえませんぞ」
 兼和が咎める。
「分かっておる。分かっているから腹が立つのじゃ」
 武将は荒れていた。
「信長は自分の身分を弁えておらん」
「しかし、ここは慎重に行動せねば全てが台無しになります。根気よく隙を探し、罠を仕掛けて、一気に葬るしか策はありませんぞ」
 兼和が落ち着かそうとするが、
「近衛前久は、どう考えておるのじゃー」
「近衛の大御所は信長に入れ揚げておられる」
 諦めている口調で嘆いた。
「ただ大御所は我ら以上の古狸ですからー」
 前久は老獪だ。
「本心は読めません」
「ふん、古狸の我がままは一生治らんわー」
 五摂家中の嫡宗で世々摂政関白に至る近衛家の御曹司前久は弱冠十九歳で父近衛種家の跡を継いで関白に就いた。前久は、苦労知らずに育ったせいか、全国の名のある武将にかぶれると、その者に会いに行っては行動を共にしていた。
 越前の上杉謙信に憧れると、関東平定に従軍し、丹波の荻野直正が悪右衛門と名乗って暴れ回ると丹波に行った。要は金持ちの息子の気まぐれなのだ。
「今は、信長の分身のように振る舞っておられるがー」
 前久は悠長に構えているが、やっていることは権力者である。
「信長さえいなくなれば、全てが丸く収まるのです」
「それは誰もが望んでいることではないかー」
「望んでいることが簡単に実現したら、人間から悩みが消えます」
 兼和が神官らしく諭しても、
「儂の悩みは信長がいることじゃ」
 吐き捨てた。
「問題は十万の兵に囲まれ、命知らずの近習に守られておる信長をどうやって殺すのです」
「それも分っておるわ」
 武将が苦々しく言うと、
「分かっているなら、ここは慎重に行動してください。いつか必ず隙が生れ、殺せるときがきます」
 甚兵衛は、信長がこれほど嫌われ、敵がいるとは想像していなかった。
 しかし、考えてみれば納得できた。
 数々の虐殺と、容赦ない重臣たちの追放。敵にしても甘い言葉で誘い出すと、捕まえて平然と首を刎ねる。それらの殺し方も非道極まりなく、女子供とて容赦はしない。
 甚兵衛は二人の会話を聞いていて、改めて複雑な裏の社会を思い知らされた。
 そのとき、一気に外が騒がしくなった。
「曲者を捕らえました」
 外から慌ただしく声が飛び込んできた。
「なにー」
 兼和が刀を掴むと立ち上がった。
 日頃見せる軟弱な神官の姿ではなく、合戦に挑む武人の姿だった。
「わしは帰る」
 もう一人の男は勝手知っているのか一言残すと、素早く裏口から消えた。
 兼和は障子をあけて縁側にでると、三人の荒々しい男が一人の男を捕まえていた。
 兼和は捕まえられた男を見た。
 相当痛めつけられたのか、顔の形が腫れ上がって変形していた。
「誰の遣いじゃー」
 男は兼和の顔を睨むと、
「ふん」と嘲笑いをした。
 そして顎にぐっと力を入れると、また笑った。無理に作った笑いだ。
 体が小刻みに震えだすと、捕まえていた男たちが異変に気がついた。
 慌てて男の頭髪を引っ張ったが遅かった。
「くさい。毒じゃぁー」
「なにー」
「逃げ切れんと悟って、毒を噛んだのじゃー」
 男は苦しさが予想以上だったのか、両手で自分の首を強く掻きむしった。首に食い込んだ指が皮膚を破り、血を引き出した。そして兼和を見てにたっと笑うと、どっと血を吐いた。それが男の最後だった。
「宮ノ上童子、誰の手先じゃー」
 気を取り直した兼和が、頭領らしい男に聞いた。
「言葉は何一つ残さへんかったけど、恐らく織田信長の手の者と推察しています」
「やはり信長かー」
「はぁー、他には誰もー」
「顔を潰し浮浪者にみせて、賀茂川に流せ」
 兼和は命じると、
「一仕事が済んだら、部屋に来い」
 部屋に戻った兼和はどかっと席に座ると、残っている酒を一気に飲み干した。
 慌てて飲んだ酒がこぼれたのか、口周りを手で撫ぜると考えていた。
「ごめん」
 障子が開くと、先ほどの宮の上童子が入って来た。
「始末いたしました」
「ご苦労だった。信長の手先は公家衆にも張り付いておるようじゃな」
「それも用心深く」
「やられてからでは、間に合わんな」
 闘いは先手必勝だ。
「信長に張り付けております配下からの連絡では、近づくことも出来ないとー」
 兼和は宮の童子を睨むと、
「先に、我らが信長の気まぐれで殺されるかー」
「あり得ますな」
「簡単に言うな。宮の上童子、とにかく隙をついて信長を殺せ」
「家来どもにも、そのように命じておりますがー」
 気長に待つしかないが、信長が生きている限り命の保証はない。
「近衛の殿も陰で刃を砥いでおられるのだがー」
 前久の性格は、信長に家来同然に扱われるのは耐えられないのだが、
「信長の心も、大御所の考えることも読めん」
 本心を露わにすると、命が幾つあっても足りない。
「どうであろうと、信長を殺すのじゃ」
 兼和が声を荒立てて命じた。

 夜明け前に、人の気配が完全に消えたことを確認すると、そっと抜け出した。
 甚兵衛は追手がいないことを確認すると、二人が口にした一人の公家を思い出していた。
(古狸の近衛前久かー)
 神祗官を勤める卜部家の血を引く吉田家よりも格式が上は、摂家か清華になる。
 摂家は摂政となる家系で近衛、九条、一条、二条、鷹司の五家のことである。
 これを五摂家と呼んでいた。清華は華族とも呼ばれ、太政大臣に進む家筋で久我、三条、西園寺、徳大寺、花山院、大炊御門、今出川家である。
 やはり公家は得体が知れん化け物だと思う一方で、
(宮ノ上童子とは・・・・・)
 童子で思い出すのは八瀬童子だ。
 八瀬は洛北の地で天皇家はもちろん、近衛家とも深い縁がある。
 院政時代、近衛家は八瀬に荘園を持っていた。
 天下布武を目指す織田信長は、部下の武将たちの動向を探る一方で、天皇家と公家たちも見張っていた。監視されている公家たちも、信長の隙を狙い、反撃の機会を探っている。
 甚兵衛は、この構図は京の都と同じだとおもった。
 華やかな表面の裏に、どす黒い怨念が渦を巻いている。

 天正八年十一月、
 加賀を平定した勝家は北上すると、越中で上杉軍と対峙している佐々成政と合流した。
 対する越後の上杉景勝は越後と越中の境、能庄まで進軍して織田軍を牽制した。
 睨みあったまま天正八年が終わり、九年を迎えた。

 新年を安土城で迎えた織田信長は、朝廷対策を真剣に考えていた。
 信長の青白い額にたてじわが浮かんでも、喚き散らすことはなかった。
「難儀じゃわ」
 珍しく苦笑いした。
 武力には武力でねじ伏せれば解決してきたが、一切武力を持たずに、長年武家と対立しながらのらりくらりと生き延びてきた朝廷は、武家以上にしぶとく、畿内を力で制圧してきた信長も有効な手がなかった。
 天皇家を神だと信じている民の反感を考えると、武力で制圧することはできなかった。信長は子供の頃から、滅入った心境を晴らすために馬を走らせた。
「りゃー」
 馬は信長の心に従う。
「おりゃー」
 走り始めた時向かってきた風が、途中からついて走るようになる。
 信長は馬と一体となって、風を従え未来に向かって突き進む。
「これだ」
 この爽快な気分で、訳の分からぬ朝廷の理屈を突き破ってやる。
 信長は盛大に正月を祝う儀式を計画した。
「御爆竹用意致し、頭巾、装束結構に致し、思いおもいの井出たちにて、十五日まかり出づるべきの旨」と触れを回した。
「皆で無心に馬を駆けさせればよい」
 十五日は左義長の日で、当時の左義長は宮中で行う悪魔祓いの儀式だった。
 清涼殿の東庭に青竹を束ねて立て、上に扇子、短冊、天皇の吉書などを置き、陰陽師が謡い囃しながら悪霊を祓った。現代も各地でトンド焼きの名で親しまれていて、門松や注連縄、書始め、御札などを持ち寄って焼いている。
 当日は天気にも恵まれ、安土城下は数万の群集で溢れた。
「おりゃー、おりゃー」
「りゃー、りゃー」
 織田軍の騎馬隊が砂ぼこりの舞う馬場を駆け回る勇姿に、群集は酔い囃したてた。
 民衆の反応に手応えを感じた信長は、大いに満足すると、
 翌十六日、安土城の大広間で酒宴を開いた。
 参加した者の名が『信長公記』に、
三位中将信忠、北畠中将信雄、織田信益、信包の一門衆の他、近江衆を中心に平野土佐、多賀新左衛門、後藤喜三郎、蒲生忠三郎、京極小法師、山崎源太左衛門、山岡孫太郎、小河孫一郎、山岡対馬、池田孫次郎、久徳左近、永田刑部少輔、青地千代寿、阿閉淡路守、進藤山城守らが記載されている。
 その宴の途中、
「聞くがよい」
 信長が甲高い声をあげると、盛り上がっていた宴席が凍りついた。
「わしはこの国を一つに治め、静謐することで天子のために国をまとめることだがー」
 信長が静かに切り出した。
「私利私欲で天下を統一しょうとしているのではない」
「・・・・・」
「この国が一日も早く一つになって、ポルトガルやイスパニアに対抗できる武力をもたないと、いつか外国に征服される」
 信長はスペイン人のピサロやコルテスたちが少人数で、部族間の抗争を巧みに操って、対立する部族を順次消滅させて諸国を制圧し、乗っ取ったことを調べていた。
「奴等を少人数だと、侮ってはいかん」
 信長は真理を見抜くから、バテレンたちの目的を疑った。
 国々が戦争状態で混乱しているほど、バテレンの的になる。
「奴らはここに来るまでの国々を滅ぼし、奴隷にして富を略奪してきた」
 信長の話に家来衆だけでなく、広い大広間までが飲まれていた。
「バテレンどもはその国の民を救うために来たと言っているが、考えてみるがよい」
「・・・・・」
「何の利益もないのに、一年も荒波を乗り越えて命懸けで来るわけがない。一国を奴隷にすれば膨大な利益があり、見返りがあるからじゃー」
 信長が悔しそうに言った。
「琵琶湖を一気に走る大船も、所詮琵琶湖の中だけで、五間の荒波に狂う大海原を渡って、何千里も離れた異国には辿り着けん」
 我が国の船は風がないと走行できない。
 みんなは信長の話を真剣に聞いていたが、本当に理解していた者は少なかった。
「騙されてはならん」
 初めは好意的に応対していた信長も、彼らの目的が分かると追放することも考えたが、彼らの文明は信長にとって魅力があり、学ぶことが多くあった。それに難敵である一向宗と対立させるためには切り捨てることもできなかった。
 その信長と安土で会見したブァリニャーノは、「イエズス会日本年報」に、
「信長の慢心と所業を思えば、デウスの教えに服するのは不可能と考えられるが、また他方に、デウスが彼を選んで坊主の宗教を破壊し、わが教に対して常に好意を示し、来世及び霊魂の不滅につき数回注意して聴いたことを思えば、幾分の希望を抱くことができる」
と報告していることから、双方の利と、イエズス会の秘めた目的が分かる。
 
 数日後、信長は明智光秀を安土城に呼び出した。
「光秀―」
「はい」光秀は畳に額を擦り付けたまま答える。
 少しでも返事が遅いと、信長の機嫌が悪くなる。
「来月末、京で馬揃えを行う。その準備をせいー」
 一方的だったが、反論はできない。
「かしこまりました」
 即座に応じるしかなかった。
 簡単に馬揃えを行うというが、馬が駆け回れる場所探しから始めなければならない。
(またかー)
 命じるだけの者はよい。命じられる者の苦労を少しも理解しない。
(いつまでこんな奴隷のような生き方が続くのか・・・・・)
 信長に仕官したことは正解だった。
 信長だったから、家の格式よりも人物を評価して、近江志賀五万石と坂本城を賜った。今は丹波二十九万石を合わせ三十四万石の領主だが、領主らしくもなければ、ゆとりもない。信長の命令一つで、家畜のように死に物狂いで走らされている。
 この先、幾つかの国を攻略して、百万石の大大名になっても、信長の家来でいる限り、己の自由はない。いやいやその前に、いつ裸で追放されるか分からない。
 光秀も佐久間親子の無念さが痛いほど分かる。
 自由を手に入れるにはどうすればよいのかー。
(信長を殺すことだ)
 光秀は自分の心の中に悪魔が住み着いたと思った。
 邪心を切り捨てようと、馬揃えの計画を具体的に考えていたが、心に住み着いた悪魔は居心地がよいのか出て行かず、
(信長を殺す以外、自由はないぞ)
と何度も囁きかけた。


     二 浜松城主 徳川家康の場合

 どうして信長に刃向わなかった。
 家康は信長の忠告で、自分の跡継ぎである嫡男信康を自害させたことを悔やんでいた。
(信長は徳川家を潰そうとしている)
 天正七年七月、突然信長が牙を剥いたように、家康の正室築山御前と嫡男の信康が、敵である武田勝頼に内通して、織田家の滅亡を企てていると難ぐせをつけてきた。
 築山御前は今川家と織田家が戦った桶狭間の合戦で、信長に討ち取られた今川義元の姪である。御前は下尾張の一家老にすぎない織田家と、足利将軍家直系である今川家との出自の違いを忘れることが出来なかった。
「作法も知らぬ尾張の田舎者の家来になりますのかー」
「家来ではない。同盟を結ぶのじゃ」
 家康が細い目をいっぱいに広げて宥めても、
「信長の家来同然に、扱われておられるではないですか」
 御前は織田家との同盟に真っ向から反対した。築山御前に育てられた信康は、実母の気持ちが伝わっているのか、織田信長に反感を抱いて成長した。
 二人は生活のところどころに反信長が現れた。
 心は体に写る。
 二人の心の乱れを武田家の忍びが掴むと、武田勝頼に報告した。
 武田家の当主勝頼は、長年、三河と遠江で徳川家と地争いをしている。
 敵の内紛ほどおいしいものはない。反感をもつ勢力に手を差し伸べた。
 その筆頭が大賀弥四郎だった。
 弥四郎は仲間を親武田勢力に引き入れると、勝頼に内応した。
 岡崎城主である信康も、信長の下僕のように駆け回る父家康を、
(まるで信長の家来ではないか―)
と冷めた目で見ていたから、己独自の戦略を企てた。
(徳川家が武田家と組んで、織田信長に立ち向えばよい)
 この信康の大胆な思い上がりを、信長の忍びが掴んだ。
 佐久間信盛のときと同じだった。
 信長から徳川家に突き付けられた質問状は、武田家か織田家かの選択だった。
 家康は、徳川家を考えた。
 信長の家来同然に振る舞う家康に反感を抱く家臣が増えていた。この家臣たちが信康と一体になれば、徳川は分裂し、信長の思う壺になる。
八月二十九日、浜松城外の小藪村で御前を殺害すると、
九月十五日、信康を二俣城で自害させた。
「所詮は信康も愚昧だった」
 と、割り切っていたが、家康は夜が来るたびに、信長に何一つ抵抗できず、ひたすら我慢するだけの自分を攻めた。
 しかし、何度考えても、徳川一万の軍勢で、十数万の軍勢を意のままに動かす織田信長には太刀打ちできなかった。軍勢の数の差だけではない。
 家康は信長の戦巧者ぶりと、強運にも一目置いていた。
 武将なら、誰もが少数で何倍もの敵を打ち破ってみたいと考えている。
 それを織田信長は桶狭間で、たった三千の軍勢で二万五千の今川義元の大軍に勝ったことで天下に名を揚げた。
 家康も、信長の桶狭間の合戦に対抗して、浜松の北三方ガ原で八千の軍勢を率いて、三万の武田信玄に挑んだが、反対に蹴散らされて惨敗した。
 合戦になると平気で命を捨てる家康の家臣たちでさえ、信長の前では震えている。 
(―――これでは合戦にもならん)
 この現象は家康の家臣だけではない。
 信長の先陣を駆け回る猛獣のような柴田勝家や、滝川一益に、知将で知られている丹羽長秀や明智光秀でさえ、面と向かって信長の顔をみることもできない。
 家康は爪を噛む癖があった。
 自分が納得できないときや、理不尽なことに我慢するしかないときは自然に爪を噛んでいた。気が付いたら血が出ていることが多々あったが、今日は血が出ていることすら忘れていた。
(今はどんなことがあっても、生き残ることだ。生き残っていれば、いつか機会が回ってくる。そのとき信長に、武門を誇る徳川の意地を見せてやる)
「いや」
(信長を殺す)
 家康は腹を括っても、顔には出さなかった。
 家康の忍耐強い性格が、鳴くまで待とうホトトギスだった。

『信長公記』天正九年二月二十三日。
「きりしたん国より黒坊主参り候。年の齢二十六、七と見えたり。惣の身の黒き事、牛之如し。彼の男、健やかに、器量なり。しかも強力十の人に勝たり」
 二日後の二十五日。信長は本能寺でバテレンのヴァリニャーノから譲り受けた、その黒人の若者を相手に話をしていた。
 笑うと白い歯が際立って目立った。力も強く精悍な男だったので、好き嫌いの激しい信長も一目で気に入った。
 何事も真理を追究する信長は、皮膚の黒いことが信じられず、黒い墨を塗っていると考え、黒人の身体を洗わせた。洗っても皮膚が黒いことがわかると、一転して親しみを感じ、弥助と名付けると身近に置くことにした。
 この話で面白い余談がある。ヨーロッパ人がアフリカ大陸に進出していったとき、アフリカ人はヨーロッパ人の肌が白いのに驚いたそうだ。そして本当に白いのか確かめるために、ヨーロッパ人の身体を洗った。人間の好奇心とすることは、世界中どこも同じなのだ。

 強靭な肉体を持ち、アフリカから日本に連れてこられた弥助は、知識欲の旺盛な信長の話し相手に適していた。信長はバテレンが利に聡い商人で、最初から話して良いことと、絶対話さないことを決めていることを感付いていた。
「弥助、バテレンたちの本当の目的はなんだ」
「その国の征服です」
 弥助は日本語を理解し、片言だったが話せた。
「どの国も黙って支配されたのではあるまい」
「どの国も抵抗しましたが、武力に負けました」
「バテレンの大鉄砲かー」
 信長はヨーロッパの武器を気にしていた。
「そうです。城の大理石の塀を破壊します」
 弥助の知識は、信長を満足させた。
 一方、弥助も自分を家畜のように扱わず、人間として認めてくれた信長を尊敬していた。それに、
(この王は賢いー)と、思っていた。
 なにしろ理解が早い。
 実際、当時のヨーロッパと日本の文明の差は大きかった。
 船の走行一つにしても、その頃の日本の船は風で走行していたから、進行方向に風が吹かないときは、港で風が吹くまで待機していた。それをポルトガルやスペインなどヨーロッパの船は、日本の船と大きさは変わらなかったが、三本のメイン・マストに大きな横帆を張り、後部マストには大三角帆を付け、前部にも横帆を張っていた。さらにそれらの間にも三角帆を備え付け、帆の角度の組み合わせで逆風でも進むことができた。
 一四九九年に世界一周をしたヴァスコ・ダ・ガマの艦隊の船は、いずれも百トンから百二十トンでしかなかったが、操舵性と武器に雲泥の差があった。
 一五一五年(永正十二年)に進水したポルトガル艦隊の旗艦、サンタ・カタリナ・ド・モンテ・シナイ号は甲板六層にカノン砲(砲身が細く、弾玉が遠くまで飛ぶ大砲)を百四十門も備えていた。
 信長は二年前の天正七年十一月、大阪湾で毛利水軍を撃破した幅七間、長さ十二間の大型鉄甲船に大砲を三門積んでいたことを思い出した。
 その後、この大型鉄甲船は文献から消える。
 有効に働くのなら瀬戸内海を西に向かい、毛利家を海から攻めることが出来たはずだ。それがないのは琵琶湖で建造した大型船が、たった一回走っただけで、「琵琶湖に大型船は不要」と、判断した信長は小型船十二隻に作り替えた。
 
 初めて会ったルイス・フロイスを重用したのも、バテレンたちが持つ文明に憧れ、知識を得ようと心掛けたからだ。
 信長は何回もフロイスを呼び出すと、進んだ外国の文明を聞いた。
 始めはデウス(キリスト教の神)の話や、来日の目的を聞いていたが、途中から天体の動きに化学、物理と武器が話題になった。とくに信長は戦争の話を好んだ。
「どんな戦争をするのか・・・・・」
 ルイス・フロイスは聡明な信長の頭脳を知っていたので、用心深く応対していたが、信長が根ほり葉ほり聞くので、答えざるを得なかった。
 その中にスペインの指揮官ゴンサロ・フェルナンデス・デ・コルトバが、フランス軍の騎兵隊と闘った話があった。
 一四九五年(明応四年)に行われたセミナラでの合戦だったから、信長が生まれる三十九年も前の戦いだ。
 ゴンサロも六百の騎兵と千五百の歩兵を率いて、フランスの重騎兵に立ち向ったが、円錐形の兜と鉄の鎧で身を包んだ重騎兵は、ゴンサロの前線を切り崩すと、その割れ目に騎兵と歩兵が突入してきた。スペイン軍は戦線が分断され惨敗した。
(まるで武田の騎馬隊じゃー)
「その後、ゴンサロは敗戦の原因を研究しました」
「原因を探しただとー」
 信長の目が輝きだした。
「八年後の一五〇三年四月、今度はチュリニョーラでフランスの重騎兵と歩兵を撃破したのです」
「どうして勝ったのじゃー」
 信長の身体が前に傾く。
「フランスの騎兵隊を食い止める方法を考えたのです」
 甲斐武田の騎馬隊を恐れる信長が、一番知りたいことだった。
「ゴンサロは陣地の前に壕を掘り、その掘った土で土塀を築いたのです」
「陣の前に堀を造って、掘った土を盛り上げ、土塀を築くのはわが国でもやっておる」
「ゴンサロは、その土塀に二千名の射撃兵を四列に並べて配置したのです」
「四列に・・・・・。なぜじゃー」
「四列にすることで、交代しながら銃が撃てます」
 フロイスも信長の気迫に押され、仕方がなく答える。
「そうか、撃った最前列の兵が、後ろに回って玉込めをするのかー」
 信長の頭が素早く回転する。
「そうです。そうすれば切れ目なく銃が撃て、敵の騎兵に付け込まれません」
 肝心なことは答えないことにしていたフロイスも、権力者信長の熱の入った質問には正直に答えなければならなかった。
「フランスの重騎兵は前回と同じように、スペイン軍に向かって果敢に突撃していきましたが、壕が渡れず大混乱に陥りました。そこをゴンサロの兵が絶え間なく射撃したのです」
「・・・・・」
「この時の最大の問題はフランス重騎兵隊との距離でした」
「距離だとー」
「はい。遠すぎますと鉄砲の弾が重騎兵の鎧を貫通しません。反対に近すぎますと突入され白兵戦になります」
「そうかー。ゴンサロはどのくらいで効果があると判断した」
「三、四十メートル。この国の物差しですと二十間ぐらいです」
「二十間ぐらいに引き付けて、立ち往生させると効果があるのじゃーな」
 信長はこのとき、
(この方法で武田の騎馬隊を打ち破れる)
 と確信したが、誰にも言わなかった。
 そして天正三年五月、武田軍が奥三河の長篠城を包囲すると、武田の騎馬対策を考えていた信長は、鉄砲、弾薬を集められるだけ用意し、柵木と縄を足軽に持たすと迷わず出陣した。十四日岡崎、十六日牛久保城、十七日野田城と進み、十八日、事前に地形を調べていた設楽ケ原に着陣した。
 設楽ケ原は思ったより狭かったが、真ん中を連吾川が流れている。この川は幅二、三間ほどしかないが、同じぐらい深く、馬で一気に飛び越えるのは難しかった。そして足軽に持ってこさせた柵木を陣地の前に張り巡らせると、鉄砲隊を三列に配置した。
 信長本陣は武田の騎馬隊に備え、高台の極楽山に置いた。
 数年かけて対武田の騎馬隊作戦に自信を持って臨んだ信長は、合戦の始まる前日の二十日付けで長岡兵部(細川藤孝)宛ての書状に、
「此節根切眼前ニ候、猶追々吉左右可申送候」
(敵を全滅させることは目前である。追々吉報を送る)と送っている。
 敵を全滅させると自信満々なのは、スペイン軍の戦術を取り入れ、武田の騎馬隊を連吾川の壕と構築した柵で阻止して、鉄砲隊を三列に並べ連射できる段取りをしていたからだ。
 事実、この合戦は信長の想定どおりに運んだ。
 戦機に逸る武田軍は二十一日早朝、鉄壁に備える織田、徳川軍の陣地に総攻撃をかけた。 
 結果は無敵を誇ったフランス重騎兵隊と同じように、甲斐騎馬隊も惨敗した。
 この日を境に、武田家の威光に影が差し始めた。
 
 月日が経つにつれ、ルイス・フロイスたちイエズス会も、織田信長がキリスト教の布教に寛大だが、自らは入会しないと分かると、両者の間にさざ波が立ち始めた。
「信長がいる限り、この国をキリストの国にすることはできない」
 悟ると、信長以外に布教に協力する武将を探し始めた。
 
 その点、弥助は包み隠さずに答える。
「弥助、わしの軍勢は、ヨーロッパのバテレンどもに勝てるか」
「陸で闘えばわかりませんが、海では勝てません」
 はっきり答えた。信長は白か黒かを求める。
「陸では勝てるかー」
「この国で闘えばの話です。兵隊の数が違います」
 弥助は自分たちが負けて、奴隷にされた原因を分析して悔しそうに言った。
 事実、バテレンはその国に上陸すると、どうしたら占領できるかを調べ、軍事計画を作り、どこに要塞を築くのが適しているか、いつ兵隊を派遣するのがよいのかなど、具体的に細かく考えていた。そのうえ、大量の鉄砲を装備しても、この国には硝煙がないことを知っていたから強気だった。
 最初に日本に来たフランシスコ・ザビエルもポルトガルの友人への手紙に、
「・・・・・日本の近海をスペイン船が通るそうですが、スペイン国王に日本を占領する計画を立てないように言ってください」と送り、その理由として、
「日本の近海は座礁が多く、嵐が多いので危険な上に、日本人は非常に戦闘的な国民だから征服は出来ない」と分析している。
 信長の穏やかに喋っていた目が、輝き、凶暴性がますと、
「予の騎馬隊をバテレンどもに見せてやる」
 イタリア人のヴァリニャーノは、イエズス会の東インド管区の布教活動を監察、指導する巡察師であったから、彼の報告はイエズス会の本部、ヨーロッパに届く。
「それは良い作戦です。大砲がなくても強い軍隊を見せるべきです」
 弥助は、自分を売り飛ばしたイエズス会を憎んでいた。

 二月二十二日、
 信長は高槻に留まっていたアレシャンドレ・ヴァリニャーノとルイス・フロイスらのイエズス会士に、京での馬揃えを見学するように命じた。
 二月二十八日、
 上京の皇居東に東西八町に作られた馬場に、織田軍団の騎馬が勢揃いした。
 信長はこの馬揃えに二つの目的を抱いていた。
 一つは、己の権力の誇示で、この国の本当の王を民衆に印象づけることであった。そのため信長は、ヴァリニャーノがこの国の王に献上した洋風の椅子を四人がかりで馬場に運び込むと、当然のように堂々と座った。バテレンたちが、信長をこの国の王として認めていることを、馬場を取り巻いた五万の民衆に見せつけたのだ。
 ヴァリニャーノが国家元首である天皇に挨拶したいと望むと、信長は不愉快な顔で、
「予が王である」と、答え、天皇に紹介しなかった。
 もう一つは、イエズス会のヴァリニャーノ一行に、統制の取られた騎馬隊を見せることで、この国には強力な軍隊があるから侵略できないことを暗示したのだ。
 この群衆の中に商人姿の甚兵衛が紛れていた。
 甚兵衛は馬揃えが始まる辰の刻前に、馬場の出口横で見物人の一人として待機していた。
 入口より出口を選んだのは、馬揃えに登場する騎馬武者たちは色鮮やかな兜や装束に身を包んでいるので、顔を見分けるのが難しかった。
 馬で駆け回って退場すると、出口で汗に濡れた衣装を外す。
 そのとき初めて素顔を現わすからだ。
 当日の馬揃えは、丹羽長秀が率いた摂津、若狭衆の快走で幕を開けた。
続いて蜂屋頼隆の河内、和泉衆が駆け抜けると、馬場を取り囲んだ群衆は、早くも馬場にくぎ付けになった。
 信長は馬場を疾走する軍団に満足すると、自分の心も高揚しているのを知った。
 三番、明智光秀と大和、上山城衆。四番、村井貞勝の子貞成と根来衆と進んでいく。
 その後に信長の嫡男信忠が尾張、美濃衆を率いて駆け抜けると、対抗意識に燃えた二男信雄が伊勢衆と走った。一門の信孝、信兼、信澄が続く。
 公家たちも負けてはいない。合戦かぶれの近衛前久と嫡子の信基が凛々しく登場すると、正親町中納言、烏丸中納言、細川右馬頭たちが武家に負けぬと駆けて行った。
 その最高潮に信長が現れた。
 信長は観客の目を意識して踊る役者である。唐冠の頭巾に白梅を一輪差していた。人気役者の信長は馬の扱いが達者だったから、次々と馬を換え、服装を換えて西に東にと走り回った。
 群衆の目が、広い馬場を舞台上のように駆け回る信長に吸いつけられていたが、甚兵衛は舞台から出てくる武将たちをさりげなく見張っていた。
 どの武将も晴れ舞台が引けた後の役者顔で、満足感と安堵感に浸っていた。
 近衛前久と信基の親子が退場してきた。
(合戦かぶれかの公家かー)
 兼和が言った合戦かぶれの意味が分かった。
 前久は武将になりたいのだ。しかし本当になりたいのなら公家を捨てれば良いのだが、それもせず命も懸けず、勇ましい真似事だけをする気楽な男だと想えた。
 前久の後から、見覚えのある顔が出てきた。
(―――この男だ)
 甚兵衛は、吉田神社で兼和と話し込んでいた顔を思い出した。
 隣ではしゃいでいる商人風の男に聞いた。
「あの武将はどなたですかな」
 一瞬、男は怪訝な顔で、甚兵衛を田舎者と見下げると、
「長岡兵部大輔さまじゃー」
「―――ながおかさま」
「ほれ、前の公方さまの側近で、昨年明智さまと丹波国を制圧して、織田信長さまから丹後一国を賜ったお方ではないかー」
「それは細川藤孝さまのことですかな」
「そうじゃ。その細川さまがお子さま二人を連れて参加されておるのじゃー」
「お子様を連れて・・・・・」
 甚兵衛が大袈裟に驚くと、
「この馬揃えは、織田軍団が天子さまの前で勢揃いして、将軍家に代わって武家の天下一になったことを知らす大切な行事でな、そらー大掛かりなものになるのじゃー」
 男はまるで織田家の一員のように胸を張って言った。
 吉田神社で、兼和に信長暗殺を仄めかした相手が、
(―――細川藤孝だったとは・・・・・)
 藤孝の娘が兼和の息子兼冶に嫁いでいるから、藤孝は吉田神社を知っている。
 細川藤孝は足利十五代将軍義昭の側近だった。
 十三代将軍義輝が三好勢と松永久秀に襲われ殺害されたとき、敵兵に囲まれていた興福寺一条院から義輝の弟義昭を救出した男だ。その男が、義昭を見捨て、織田信長に鞍替えをした。家を存続させる最大の要因の一つは、仕える主人を間違わないことだ。その利に聡い藤孝が、今は信長を見捨てようとしている。
(絶対的君主、信長の世が消えかけているのかー)
 信じられないことだが、探ればさぐるほど信長は敵が多い。
 信長に生きていて欲しくない人物が至る所で目を光らせ、火縄に火をつけ機会を狙っていた。いや近習意外、信長の周り全員が敵だと言っても過言ではないのに、それを知らないのは信長だけかも知れない。藤孝だけでなく、人の心の裏表の激しさに驚く。
 
 この馬揃えを『信長公記』は、「本朝の儀は申すに及ばず」の後に「異国にもかほどの様これあるべからず」と記して、外国勢力を意識していたことが分かる。
 
 この馬揃えに参加しなかった武将が二人いた。
 一人は中国で毛利勢と対峙している羽柴秀吉で、もう一人は浜松城の徳川家康である。
 貧乏性の家康は悪く考える。
 それは信長が本性を現し、徳川家を潰そうと狙っているからだ。
 所詮、戦国の世は騙し合いである。武士のウソを武略と表現した時代だ。
 遅れをとり、負けた者は煙のように跡形もなく消える運命に晒される。
 家康も時間が勝負だと心得ている。
「一つひとつ陣取るしかない」
 無駄な動きはしない。
 家康は東の北条家と誼を通じると、甲斐との緩衝地帯に手をつけていった。
 気がかりは敵よりも、家来衆をも見張っている信長の情報網だった。
「半蔵」
 家康は蔭働きの出来る伊賀者の服部半蔵を呼んだ。
「はい」
「伊賀に発て」
「伊賀でございますか」
「腕の立つ忍び衆を集めろ」
 半蔵も家康の考えを読んだ。
「多いほどよいが、内密じゃ」
「徳川家が抱えるのではないーと」
「徳川家には関係のないように集める」
 家康の顔はとぼけていたが、細い目は真剣だった。
「その者達はー」
「隙を突いて、信長を殺させるのじゃ」
「分かりました」
 情報の世界に生きる半蔵は、信長の危険性を感じていた。そして信長がいる限り徳川家の前途がないことも分かっていた。
 家康は銭で、信長を暗殺する伊賀者を雇うように命じた。
(信長を消すのは、一日でも早いほうがよい)
 ただ忍者が超人的な活躍をするのは延宝四年(一六七六)に編纂された秘伝書『万川集海』によるところが多く、この本は忍者を売り込むセールス本と考えた方がよい。
 実際、この本に書かれているような、超人的な走りや飛躍は出来ない。
 どうであれ、忍びの知識を持つ服部半蔵は、腕に自信のある伊賀者を集めにかかった。
 伊賀は山に囲まれた九里四方の狭い国である。

 安土城は信長が人を見下ろすように、近江平野を睥睨していた。
 その一室で、信長と百太夫が向かい合っていた。
 部屋の隅には信長が寵愛する森蘭丸が控えている。
「浜松の徳川家康が、しきりに動いています」
「何を目論んでいるのじゃ」
 信長は自信に溢れている。
「甲斐武田家との間の地稼ぎです」
「昔から家康は強欲な男じゃ」
「小田原の北条家に働きかけて、軍事同盟を結ぼうとしています」
「―――理由は」
「組んで武田領を攻めると申しておりますが、それは表面で、裏は上様対策と想われます」
「わしに対抗すると・・・・・」
 信長の額に青筋がくの字に浮かんだが、すぐに消えた。
「北条氏政はどう応じた」
 氏政は、時々信長に馬や鷹を貢いでくる。
 前年の三月にも、氏政から鷹が十三足に鶴、馬五疋を送ってきた。
 これに対し、信長が白鳥、煎海鼠、酒、太刀を送ると、再度氏政は使者に笠原越前守と、氏政の嫡男氏直の使者間宮若狭守等を遣わしてきた。
 信長は宿敵武田家を滅ぼすためには、誰でも利用する。
「確証がとれていませんが、どうやら応じたようです」
「そのほかにー」
「家臣の服部半蔵を伊賀に送りました」
「―――伊賀だと」
 信長の声が変わった。
 伊賀は化け物が住む国である。
 二年前の九月、二男信雄が独断で伊賀に攻め込んで大敗していた。
 伊勢北畠家に養子に入り込み、その跡に居座った信雄は、隣国の伊賀を狙った。
 伊賀の土豪たちには十一条からなる「惣国一揆掟之事」があった。
 その第一条に、他国より伊賀国に侵入する者があれば、惣国一味同心してこれを防ぐこと。さらに二条には、惣国の者どもがとりしきっているゆえ、要所々の物見から注進があれば、里々に鐘をならし、時を移さず陣におもむくこと。などを約束していた。
 その上伊賀の豪族たちは、昔から北畠家と親密な関係を保っていた。その北畠家を謀略で乗っ取った織田家に反感をいだいていたから、攻撃の矛先が鋭かった。
 出鼻をくじかれ、怒った信雄は力攻めに切り替えると、一万の軍勢で阿波(長野峠)、布引(鬼瘤峠)、伊勢地(青山峠)から攻め込んだが、寄せ集めの士豪たちに大敗した。
 合戦というよりも不意打ち、待ち伏せ、夜討ちに悩まされた。
 信雄も命からがら伊勢に逃げるだけで精一杯だった。布引峠から侵攻した重臣の柘植三郎左衛門を見殺しにした。
 この報告を聞いた信長は激怒した。
「伊賀で惨敗しただとー」
 破竹の勢いで侵略する織田軍の惨敗は、敵に勢いをつける。
「信雄を呼べ」
 信長は信雄を呼びつけると、次にこのような不始末をしでかしたら、親子の縁をきり、成敗すると脅した。信長は我が子にも容赦しない。
 信長は、側に控えている蘭丸に目を移すと、
「乱丸、家康に遣いを送れ。高天神城はどうなっているのかー。と」
 高天神城は武田勝頼に奪われて、七年になる。家康は弱い敵ばかり相手にして、手強い高天神城は七年もほったらかしている。
「直ぐ送ります」
 蘭丸が即座に応じた。
 それだけでよい。家康は暫くおとなしくなり、反対に高天神城を猛烈に攻撃する。
(甲斐の武田家が健在なうちは生かしておく・・・・・)
 信長の目が狡猾な光をおびて尖がっていた。
 
 浜松城で、織田信長の使者から口上を聞いた家康は、
(―――感付かれている)
と知ると、慌てて高天神城攻めを再開した。
 高天神城は武田勝頼が、三河と駿河の間に打ち込んだ要衝の城だった。
 武田信玄の時代から争奪戦を繰り返し、
「高天神城を制する者は、遠州を制する」
と言われていた。今は、武田方の岡部丹波守真幸が城将をしていた。
 家康は犠牲の多い力攻めを避け、周囲に六砦を築いて食糧攻めで城兵の士気を挫く作戦を用いていたが、尻に火がついたように猛攻撃をかけ陥落させた。
 
 伊賀から布引峠を超えて東に向かう山伏の集団がいた。
 山で荒行を行っているせいか、鞭のようにしなやかな身体の持ち主たちだった。
 あと少しで峠の頂上にでる細い山道の真ん中に、木の人形が置いてあった。
 山伏たちの足が止まった。
「どこへ いく」
 その人形が喋った。
 山伏の一人が素早く腕を振ると、投げ剣が人形の胸に付き刺さった。
「痛いー、痛いではないか」
 人形が本当に痛そうに言った。
 もう一人の山伏が高く舞い上がって刀を抜くと、着地と同時に人形の頭を切り落とした。
「―――ひどいことをする」
 それが合図だったのか、一斉に風が起きると周りから二、三十本の短い矢が山伏の集団に襲い掛かった。
「うっ」「ぐぅ」「・・」
 この襲撃に助かった山伏は一人もいなかった。
 絶命しなかった者も逃げる余力はなかった。
 周辺の木立の中から、三十人ほどの男が半弓を持って現れた。
 男たちは息のある山伏を見つけると、容赦なく首に刀を突きたてた。
 人形は気配を消す囮だった。
 数十人が隠れると、いくら気配を消しても鳥や風の流れで、同じ忍び者には悟られる。
「八人かー」
「はい、音羽の半兵衛宅を出た時も八人でしたから、この集団は全員仕留めました」
 音羽半兵衛は伊賀の有力国衆十二人の一人で、織田信雄が伊賀に攻め入った時、音羽庄
の下忍を率いて織田軍に反撃した。
「他の出口もぬかりはないな」
「伊賀の出口はすべて抑えています」
「よし、全ての持ち物を剥いで、死体を捨てろ」
 
 伊勢に通じる青山口も、百太夫配下の傀儡子たちの待ち伏せで、柏尾庄の柏尾兵次郎の下忍十人が討ち取られた。これ以外にも玉滝口、多羅尾口、笠間口、長谷口などで徹底した待ち伏せで、織田信雄軍を撃退したときの総大将百田藤兵衛、副将の森田浄雲入道が浜松に送った伊賀忍び五十八人全員が息絶えた。
 百太夫は忍び者を相手にする以上、腕の確かな傀儡子を二百人も動員していた。
 信長は昔から情報の重要性を知っていたから、織田家が巨大化するにつれ、百太夫の組織に惜しみなく銭を出した。初めは数人だった百太夫の組織も、今は千人近くが働く小大名並みの組織になっていた。
 ただ信長の情報網は一切表には出ない。
 忍びの上忍は「人ノ知ルコトナクシテ巧者ナルヲ上忍トスルナリ」と言われ、「音も匂いも名もなく。勇名もなく、功は天地造化の如し」で情報機関の存在が知られた時点で、その組織は負けているのだ。武田信玄の三つ又者や、北条の風魔一族などが相手に知られているのは、決して良いことではない。
 
 六月、徳川家康と同盟している北条氏政が、またも織田信長に駿馬三疋進上してきた。
 信長の威勢は、雪だるまが転がるようにどんどん大きく膨れていく。
 徳川と北条の軍事同盟など意にかけてもいない。
 戦国は弱肉強食がまかり通る時代だ。百の約束よりも実力が優先する。
 この北条氏政から織田信長への貢物を、苦々しく見ていたのが徳川家康だった。
(くそー)
 家康は、噛んだ爪から血が出ていることも気が付いていない。
(これではせっかく結んだ北条との軍事同盟も、当てにはできん)
(―――信長を殺す方法はないのか)
 分っていて、何も手を打たずに滅ぼされるのは武門の恥だった。
(どんな手を使っても、信長を殺さねばならんー)
 信長さえ殺してしまえば、頭上の刃が消え毎日悩むこともない。織田軍も信長がいなくなれば、大きくなり過ぎた風船のように一発で破れる。そうなれば徳川の天下がー。
 しかし、信長が生きている限り何一つできない。
 家康は更に深く爪を噛んで、
(痛いー)
 噛み過ぎて、血が出ていることに気がついた。
 家康の懸念に輪をかけるように、東国の豪族が入れ替わり立ち代わり、安土城に貢物を持って訪れていた。
 出羽大宝寺(鶴岡市)の大宝寺義興が鷹と馬を献上すれば、秋田の安東愛季は黄鷹五羽に、白鳥三羽を送ってきた。更に会津の蘆名盛隆から名馬が届いた。
 信長はこれらの使者に返礼を与えると、安土城を見学させた。

 一方、中国戦線では羽柴秀吉が包囲した鳥取城を東にある太閤ケ平の本陣から見下ろしていた。
「今日も煙が上がらんわ」
「ここ数日、全く煙が上がっておりません」
「炊く米も無いかー」
 秀吉は敵の食糧事情を炊く煙で判断する。 
「これで因幡も制圧したな」
「あとは城主の吉川経家がどうするか」
 経家は毛利家から派遣された城主であったが、羽柴軍の徹底した食糧攻めに合戦に持ち込むこともできず、ひたすら耐えるだけだった。
「小六、因幡のあとはどうなるのじゃ」
 秀吉は作戦を小六こと蜂須賀正勝と前野将右衛門に任せていた。この野盗上がりで、商才のある博徒みたいな二人がいたから、洟垂れ小僧だった小者が城持ち大名になり、天下を狙う織田軍の一翼を率いる大将になれた。
「一度姫路に帰り、軍団を整え備前から備中に進軍することになりますな」
 小六が進言すると、
「一度姫路に帰って垢を落とすかー」
 秀吉が鼻糞をほじりながら言うと、
「だが我らが備前から備中に進軍すると、毛利全軍が出てくる」
「どこで決戦になるか、ですな」
「備前の宇喜多は織田の軍門に加わったが、油断はできん」
 この頃の秀吉は慎重と言うより、自分の軍団以外信じていなかった。
「小一郎はどうみる」
 秀吉は弟の羽柴秀長にも聞いた。聞きながらその者達の触覚を探る。その部屋の隅で新しく羽柴軍に加わった黒田官兵衛が聞き耳を立てていた。
「備中が織田と毛利の決戦場になるな」
 秀長は余計なことは言わない性格で、的を射たことを飾らず口にする。
 蜂須賀小六、前野将右衛門、羽柴秀長と竹中半兵衛の四人が、風采の上がらない小男の秀吉を盛り立ててきた。
 秀吉も彼らの期待に応えた。四人が練り上げた作戦を的確に実行し成果をだした。机上の作戦はいくらでも立案できるがそれを実行し、成功させることは難しい。
 それを秀吉は迷わず実践して勝ってきた。
 自分たちが立てた作戦が計画以上に運ぶと、四人は秀吉の度胸と能力を買った。
 その功績で、早く死んだ竹中半兵衛以外の三人は城持ちになった。
 蜂須賀正勝、 播州龍野城主で四万一千石。
 前野将右衛門 播州三木城主で三万一千石。
 弟の小一郎こと秀長には但馬一国十一万二千石を与えた。
 秀吉は気前が良いと言うより、人に物を与えることが好きな性格だった。
「問題は、毛利家を倒したあとじゃ」
 小六が、秀吉の顔をちらっと見てから、独り言のように呟いた。
 小六だけでなく、誰もが信長の家来の使い捨てを恐れていた。
 信長は大敵を倒すと、力のある家来に難癖をつけて、追放する。
「毛利を倒したら、九州に攻め込むだけじゃー」
 秀吉も、独り言のように呟く。
「九州を平らげたら、どうする」
 今度は将右衛門のいかつい顔が、不似合いな笑顔で追っかけた。
 みんな信長の所業が分かっているから、秀吉の行末を心配していた。
「九州を成敗したら、海を渡って朝鮮からから明国を攻めれば良いではないか」
 秀吉も笑いながら、
(信長さまに隙を見せたらいかん)
 佐久間さまも林さまも隙を突かれたから、何一つ反撃できなかった。 
 信長の下で生き抜くには無欲に徹することだ。合戦に勝って、いくら手柄を立てようと、
「家来は、信長のために死ぬものだ」
と本当に思っているから、土壇場で躊躇しないことだ。
「まずは備中の情報からじゃー。備中は毛利も腰を据えて待ち構えているからなぁー」
 この頃、織田軍に加担した宇喜多軍と毛利軍とが、備前、備中の国境で死闘を繰り返していた。

 十月二十五日 鳥取城主の吉川経家が腹を切って降伏すると、秀吉は姫路に帰った。
 そして身体を休める一方で、本格的に備中侵攻の軍議を行った。
「播磨、但馬、因幡の兵を加えると二万から二万五千が整う」
「二万五千に備前宇喜多の兵約一万が加わる」
「三万五千なら、毛利軍に負けることはない」
 秀吉は、どう軍勢を有効に動かすかー、考えていた。
 兵隊は数も大事だが、数を過信すると空回りになる。大事なのは数に頼らず、一人一人が死に物狂いで戦うことだ。それには大軍をどう無駄なく動かすかー。どうして戦う軍団に仕上げるかー。
「無理攻めは犠牲が多いが、大ぬるま山もいかん」
 ぬるま山とは信長が良く使う言葉で、現状に甘んじて何もしていないことをいう。
「信長さまは大ぬるま山を嫌われる。佐久間さまがそうではないか。石山本願寺を悠長に攻めたと、折檻され裸で追放された」
 この仕置きは織田軍の武将たちを震え上がらせた。
「備中に侵略すれば、必ず毛利全軍が出てくる」
「その時は信長さまに出陣して頂き、先頭に立ってもらうのだが、昨日笑った顔が、今日は鬼になる人だから隙を作らないことだ」
 最近は特に物狂いが多くなっている。自分の思い通りの答えが返ってこないと、それだけで怒る。一言でも反論しようものなら罵倒し、刀に手を掛ける。これでは会話もできない。ますます一方通行になり、心の交流が途絶える。
 四人は二年前、
 播磨の別所三木城を攻める陣営で、竹中半兵衛が残した言葉を思い出していた。
 半兵衛は労咳で死にかけていた。秀吉が養生するように、京の名医曲直瀬道三のもとに預けていたのに、勝手に引き返してくると、青白い顔で、
「医者の家は暇でいかん。反って病気になる」
 みんなが心配すると、
「わしには戦場の匂いがなによりの薬になる」
 と、やせ細った体で笑った。そして、
「この先、家臣を恐怖で押さえつけるだけの信長さまの天下は続かない。きっと誰かが押さえつけられた頭を跳ね上げる」
 死を覚悟しているのか、大胆な予測をした。この予想は毛利家の外交僧の安国寺恵瓊が言ったことと同じだった。恵瓊は天正元年、都で信長に会ったあと、毛利家の重臣に、
「信長の代五年三年は持ちたるべき候、明年辺りは公家などに成らるべく候かと見及び申候、さ候て後、高ころびにあをのけにころばれ候ずると見え申候、藤吉郎さりとての者にて候」と書いた書状を送っている。
 半兵衛は苦しそうに息をつなぐと続けた。
「近年、信長さまは正常な判断が出来ないことが多い。これでは追い詰められた者は、窮鼠が猫を噛む如く思いがけない反撃にでる。この先天下を取るのは我らの大将以外いない」
と言って、秀吉に手を握られたまま息を引きとった。
 播磨は秀吉に運を与えた。その一つが生野銀山だった。産出量の記録は残っていないが、「銀の出ること恰も土砂の如し」と騒がれたほど銀が産出した。
 この莫大な銀資金を秀吉は一部を信長に献上すると、信長は代官生熊左兵ヱ尉を派遣したが、秀吉はその生熊を意のままに操り、予定以上に産出させた分は自分たちの力だと考え、倉庫に保管していた。
 秀吉は大袈裟に喜怒哀楽を現わしていたが、心中は少しも油断していなかった。
(信長さまの忍びがどこで聞いているか、分からん)
  
 その頃、安土城で信長の癇癪が破裂していた。
「なにー、高野山が織田家の遣いを切っただとー」
 久しぶりに信長の荒々しい怒鳴り声が響き渡った。
 ことの起こりは紀州高野山が、信長に謀反した摂津守護だった荒木村重の残党を匿ったことからだった。その追及に向かった堺奉行松井友閑の使者三十二人を皆殺しにした。
 激怒した信長は、畿内を遊行する高野聖千三百余人を束縛すると、首を跳ねた。
 信長は高野山の焼き討ちを計画したが、陸続きの伊賀の豪族たちが高野山に駆け参じていることを百太夫から知らされると、目障りな伊賀攻めを優先した。
 二年前、伊賀士豪は結束して、織田信雄の軍勢を翻弄させ惨敗させていた。

 信長は安土城に諸将を集め、伊賀攻めの評定を開くと軍配置を通告した。
「伊賀者は罠と待ち伏せ、夜襲を得意とする」
「心得ております」
「軽く言うなー。二年前の失態を想いだせ」
「はい」
「攻める前に、必ず敵の配置を探り、仕掛けに惑わされるな。鉄砲を放しまくれ」
 信長の気迫に総勢四万五千余人が従った。
 伊賀国侵入口を割り当てられた各武将は、信長の意気込みから恐怖を感じとると、伊賀国制圧に一段と力を入れた。
 伊勢から向かう青山峠口は北畠信雄と織田信澄が一万で侵攻すれば、
 甲賀から通じる玉滝口は、猛将の蒲生氏郷と脇坂安治が七千で攻め込んだ。
 多羅尾からは堀秀政が二千三百で地元勢を道案内に侵攻すると、
 柘植口は戦巧者の丹羽長秀と滝川一益が一万三千で攻めた。
 大和の笠間から入る岩屋街道からは、筒井順慶、定次の三千。
 初瀬街道の長谷口からは浅野長政と新庄駿河守が一万でなだれ込んだ。
「一軒の家も、女子供とて容赦致すな」
 と、厳命された織田軍は猛攻を加えた。
 その織田軍に対し、守る伊賀十二衆の地侍は老若男女合わせて九千人が迎え討った。
「死を惜しんで郷土が守れるか」
を合言葉に十七歳から五十歳までを動員し、火の玉になって反撃したが、大軍で鉄砲を撃ちまくる織田軍には歯が立たず、犠牲者だけが増えた。
 織田軍は信長の目を意識して、住民を見つけると迷わず首を跳ねた。
 伊勢長島と越前の一向一揆と同じ大虐殺が行われた。
 
 織田信雄から伊賀平定の報告を受けた信長は、この伊賀を信雄に与えた。
 信長が嫡男の信忠に与えた尾張と美濃に続いて、伊勢と伊賀の二国を子供たちに譲与したことは、織田軍内の諸将に暗い影を落とした。
(我々は命を懸けて、敵と戦うだけの猪武者に過ぎない)
 捨て場のない不安がこみ上げてきた。
 信長の子供は男だけで十一人いる。二、三国ずつ与えても三十ケ国近くになる。この者たちだけで畿内はおろか、全国の豊かな国をほぼ支配できる。
 武将の中でも、伊勢と伊賀攻略に一族で貢献した滝川一益の落胆は大きかった。
(失敗ばかりして、部下を死なすだけの信雄が二国を領有するとは・・・・・)
 一益はやり切れなかった。この時の心境を一益は、
「優雅に舞う鶴は美しいが、餌をついばんでいても、絶えず外敵から脅えている。自分たちもその鶴と同じだ。その点雀は美しくはないが、自由気ままに餌を食べている。出来ることなら鶴よりも雀になりたい」と漏らした。
 上様は実力優先主義だったが、それは合戦の主導権を与えるだけで、国を与えることはない。そういえば明智光秀の坂本城にしても近江志賀五万石に、丹波制圧でやっと二十九万石が加増されたが、それでも三十四万石だ。中国で大国毛利と対戦している羽柴秀吉の北近江の長浜城は十二万石しかない。今は播磨と但馬制圧の恩賞で両国を賜ったが、信忠が貰った尾張と美濃は百万石を優に超える。信雄の領土である伊勢と伊賀三郡も、粉骨砕身してやっと手に入れた光秀の領地より大きい。
 一益は信長に尻を叩かれ、牛や馬のように、夢中に働かされている己を見つめると悲しくなった。そしてやっと兄者、柴田勝家から来た手紙の意味が身に染みて分かった。

 この頃、信長の家来以上に追い詰められていたのは、甲斐の武田勝頼だった。
 高天神城が陥落し、遠江に築いていた橋頭堡が消え、西からは織田軍が、南からは徳川軍が、東からは北条軍が国境を脅かしている。
 勝頼が焦って積極的に動くほど、家来衆は勝頼と距離を置くようになっていった。

 武田家との国境、遠江と三河から、紙に水がしみ込むように攻め込んでいる徳川家康も、激しい行動は控えていたが、内心は勝頼と同じで、熱い鉄板の上で焼かれているような心境に焦っていた。
(今の武田家は怖れることはないが、織田信長は怖い)
 現に徳川家と軍事同盟を結んでいる北条家でさえ、織田信長のご機嫌伺いに安土詣でをしている。その北条氏政にしても、徳川と織田の二者択一を迫られたら、迷うことなく圧倒的に強い織田家をとる。
(信長を抹殺しない限り一年か二年先には、徳川家は間違いなく信長に潰される)
 家康はまた爪を噛みながら、
(その前に、どんなことをしても信長を殺さなければならん)


     三 足利十五代将軍 義昭の場合

 鞆之御所は毛利家領内にある。
 その鞆之御所で足利義昭は絵図を見ながら、織田信長の支配地と、毛利家の支配する領土を指で押さえながら比べていた。
 天正四年、初めて毛利家領内に入ったときは、尾張から畿内を制圧した信長の領土と、中国十ケ国を支配する毛利家の領土はほぼ同じだった。それが今は、
(毛利家の領土が信長に削り取られている)
 備前の宇喜多家も羽柴秀吉に調略され、備前と美作半国が織田の勢力圏に入った。
(―――撥ね返す策はないのか)
 義昭は絶えず信長を亡き者にする方法を考えていた。
 そして行きつくのは、
(予は天皇に宣下された足利十五代将軍ではないか)だった。
 義昭は都から追放されても、足利将軍の権威は離さなかった。
 むしろ島流しのような状態に追い込まれれば追い込まれるほど執着した。
 この鞆之浦に来ても、側近や奉公人に取り囲まれ、なんとか幕府機能を存続させることで足利将軍の面子を保っていた。その面子に箔をつけるために、
「予は織田信長を征伐するために、備後国鞆之浦に動座する」
と、ものものしく公言すると、毛利家当主輝元を副将軍に任命した。
 そして毛利家を中心とした上洛の軍勢を整え、織田信長を討伐するように命じた。
 しかし、義昭が何度命じても、毛利家首脳に上洛する意図はなかった。
 鞆の浦の片隅で潮風と戯れ、燻ぶっている限り状況は好転しない。
 義昭は絵図を睨みながら考えた。
 そしてある決断をすると、側近を集めた。
 紀州の興国寺からついてきた一色藤長、上野秀政、填木嶋照光、小林家孝、曽我晴助、六角義尭、畠山照賢、柳沢元政、高五郎次郎、武田信景たちが顔をそろえた。
 義昭は一人ひとりの顔を確認すると、
「織田信長に正面から立ち向っても勝てん」
 いつもの激しい口調を止め、静かに切り出した。
「上様の呼びかけで上杉、武田に、この毛利家が協力しょうとしております。この三家に四国の長宗我部家を加えれば、信長ごときに負けることはありませんぞ」
 相変わらず一色藤長が能天気なことを言う。
 義昭は藤長ののっぺり顔を睨みつけると、
「そちは言うばかりではないか」
 藤長は頭を下げながら、義昭の言葉をそのまま返したかった。
「残念だが、安芸の毛利と、越後の上杉に甲斐の武田は離れすぎている」
 広大な織田軍の占領地を見つからぬように通らなければならない。
「毛利家が手を握るのは、海一つ隔てた四国の長宗我部しかおらん」
 土佐の長宗我部家は四国探題細川家に仕える権門であった。
 いつの時代も栄枯盛衰が避けられない。
 一時本山氏が勢力を振るったが、長宗我部元親の父、国親は名主作人層を組織し、帰参してきた普代の家臣を中心においた軍事力を充実させて本山氏に反撃を開始した。
 国親は本山氏に属していた秦泉寺掃部を攻略すると、本山氏の支配地を侵害していった。
 永禄三年、国親が急死すると、その意思を引き継いだ嫡子元親は四国支配の野心を行動に移していった。元親は宿敵本山氏を滅亡させると、土佐国の支配者に躍り出た。
 土佐一国を完全支配した元親は、次の目的地の阿波に攻め込んだ。
 同時に、畿内を制圧している織田信長の天にも昇る龍のような威勢を聞くと、織田家の重臣である明智光秀に接近した。
 それは元親の妻が光秀の家来斉藤利三の義妹だったから、この縁を頼りに近づいていった。この頃、周囲を敵に囲まれていた信長は、一つでも味方になる豪族が欲しかったから、元親の四国統一を黙認していた。
 しかし天下布武を目指す信長は、武田信玄や上杉謙信などが死んで強敵が消えると、本性を露わにして、元親の支配地を土佐と阿波半国しか認めなかった。
 怒った元親は信長の要求を、
「四国は我が手で切り取ったもので、信長の助けを借りたことはない」
と、突き放した。
 信長はその回答を待っていたかのように、長宗我部征伐を計画すると、三男信孝に陣立てを命じた。
「毛利家と長宗我部家の同盟以外にー」
「同盟、意外にですかー」
 この辺のとぼけた間の入れ方は、こやつらの常套手段だ。と呆れながら義昭は、
「そうじゃ。信長を殺す方法じゃ」
「いかなる方法があるのです」
 側近たちが義昭の答えを聞きたがった。
「それは信長を密かに殺すことじゃ」
 場が一瞬に凍った。誰もが事の大きさ息を止めた。
「大軍で挑みたいが、その大軍が揃わん以上、どんな手を使っても良いから、信長を殺さなければならん。よいか殺さなければ、我らが殺されるだけじゃー」
「・・・・・」
 義昭は側近たちが岐路に立つと、黙ってしまうのが情けなかった。
 生き残るには、殺すか殺されるかしかないのに・・・・・。
 天正元年二条城に立て籠もって信長に叛旗を揚げたときも、こやつらは大軍に包囲されただけで仰天して降伏しおった。
「この先信長に殺されたくなかったら、その前に信長を殺すしかない」
 義昭が厳しく言い渡すと、
「用意周到に準備した甲賀の杉谷善住坊でさえ失敗した」
 たった二十間の距離を鉄砲の名手が外した。外した善住坊でさえ、なぜ外れたのか分からないと言った。
「そんなことは分かっておるわ」
 毎回同じことの繰り返しに、義昭が切れかけていた。
「それを探すためにおまえたちを集めたのではないかー」
 義昭は鞆の御所で、毎日、時間を潰すだけで、何一つ行動を起こさない近習たちの顔を見るたびに歯がゆかった。それを求める義昭自身に銭も兵もなかったから、具体的には何ら行動もできない。その虚しさを机上で練って晴らすしかなかった。
 毎日、覇気のない側近の顔を見るたびに、自分を見捨てて織田信長の家来になった明智光秀と細川藤孝を思い出していた。
「光秀―」
 義昭は言葉数の少ない、控えめな男を思い出していた。 
 今、この光秀と藤孝は信長の下で懸命に働いている。
 前年、二人は協力して丹波を制圧した。その恩賞に光秀は近江志賀郡に加え、新たに丹波一国二十九万石と亀山城を賜った。藤孝も丹後一国十一万石を与えられ、二人とも堂々たる国持ち大名になっている。
 これは二人の能力を引出し、思う存分に働かせた信長が偉いのだが、義昭にはそれが分からない。
 義昭は人を使う才能はなかったが、陰で組み立てる謀略は得意だった。
「噂ですが、信長の伊賀攻めに生き残った忍び衆が、復讐を誓い信長の頸を狙っています」
 六角義尭が貴重な情報をもたらした。
 義昭は忍び者の摩訶不思議な能力を聞いていた。
「義尭、その伊賀者を集めるのじゃー。すぐに手配をせいー」
 義昭の頭が素早く回転した。
(信長はあらゆる手で締め上げなければ、家来を置いて逃げよる)
 幾つもの作戦を同時に実行して、じりじりと包囲網を狭め、罠に誘い込んで絡め捕る以外に信長を討つ方法はない。

 一か月後、顔や体に傷のある五人の伊賀者が鞆之御所にやってきた。
 待ちかねていた義昭は、さっそく会った。
(これが忍びかー)
 声を掛けなければ挨拶もしない。いつまでも岩のように黙っている得体の知れぬ男たちだった。
「織田信長を殺したいそうだな」
 焦っている義昭は言葉で切り込んだ。
「・・・・・」
「ここは毛利家の鞆之浦で、わしは足利十五代将軍の義昭じゃー」
と言っても、驚きもしなければ、畏まりもしない。
「・・・・・」
 五人は聞いているのか、聞いていないのか分からなかったが、義昭の誘いに乗って遠い鞆之御所まで来たのは、信長に恨みがあるからだ。
「ここの頭は誰じゃー」
「・・・・・」
「ふん、黙ったままか、この中に頭になる男はおらんのかー」
 怒った義昭が、言葉を荒立たせると、
「音羽の城戸弥左衛門です」
 一番後ろに座っていた、目立たない小柄な男が答えた。
「そうか、頭が後ろにいるのかー。忍び者は決して油断せんのじゃーな」
 義昭が感心して言うと、
「公方様の心中はよく分かりました。が、信長は簡単には殺せませんぞ」
「それをみんなで考えるのじゃ」
「昨年の伊賀の合戦以降、我々生き残った者は、信長の頸を刈ることだけを願って生き延びてきましたが、奴はなかなか隙を見せません」
「五人だけかー」
「いえ、生き延びた者はまだいますが、鞆之御所には我々五人が代表して来ました」
「信長の伊賀攻めは、激しかったのか」
 義昭が聞くと、
「初めから皆殺しを目的に攻め込んで来ました。たった数人しかいない家や寺にも大量の鉄砲で撃ちかかると、火をつけ、後は皆殺しにされました」
 淡々と喋る言葉の中に、悔しさが滲んでいた。
 その悲惨な闘いから生き延びた者が、お互いの血を舐め信長への復讐を誓った。
 今日来たのは音羽の城戸以外に、柳瀬村の増井次郎八、安部田村の竹延太郎、滝口村の百地新之丞、大屋戸村の大屋戸八助だった。
 彼らの多くは伊勢守護北畠家に、多かれ少なかれ縁のある者たちでもあった。
 主人北畠具教が信長に謀られて斬殺され、この度の伊賀の乱では家族が殺されていたから、城戸たちはその後の人生を信長暗殺だけに賭けていた。
「分かった。その方たちの気持ちも、予の心も信長を殺すことを生き甲斐にしている」
 固かった場が和みだした。
「同じ志を持つ者は同志でもある。これからは予にお前たちの特殊な力を貸して欲しい」
「御意にー」
「前回の織田軍の伊賀侵攻には工夫して勝ったのに、今回はなぜ完璧に負けたのじゃー」
 兵力の差が違い過ぎたのは知っているが、あまりにも簡単に負けた。
「信長が大軍を動員したことも一つですが、もう一つは伊賀国内の情報が敵に筒抜けになっていました」
 城戸が悔しそうに言った。
「裏切り者がいたのか」
「甲賀衆の何人かが織田軍の道案内をしておりました。その甲賀に近い伊賀の北部の忍び衆が甲賀衆と結託して、伊賀国内の仕掛けや、待ち伏せ場所に砦配置を調べ、その情報が織田全軍に行き渡っておったと考えています」
 城戸が殺めた武将は、伊賀国内の砦と、その砦に籠る人数まで書いた絵図を持っていた。
 少人数で大軍を撃退するには待ち伏せや、仕掛けを用いて奇襲する以外勝つことはない。
 この絵図を見た城戸弥左衛門は、負けたと思った。
 兵の差だけではない。情報戦においても信長には太刀打ちできないことを知った。
(一国の砦配置を調べるには、かなり大掛かりな組織でないと・・・・・)
 実際に柘植郷の郷土である福地伊予と河合村の耳須弥次郎なる者が、安土に行って、
「我々不肖なりともいえ、一方の御味方となりて、伊陽に引き入れ、処々の地理案内を仕り、凶従の族、討ちなびかせ、御属国とならすべし」
 案内を買って出たことが『伊乱記』にある。
 時代が権力者信長に吸い込まれていくのだ。
 城戸弥左衛門は、その信長に闘いを挑んだ愚かさを知ると、信長の本当の怖さを知らされた。これに似た苦い体験は足利義昭にもある。
 義昭が二条城や填島城で信長に叛旗を揚げ、紀州や河内、阿波の味方が駆け参じてくる前に、織田信長の大軍に包囲されていた。
 義昭側の情報が、信長に筒抜けに漏れていたのだ。
 弥左衛門は、伊賀を平定した信長が伊賀一之宮(敢国神社)に詣でたとき、原田木三と印ノ半官とで待ち伏せた。林の中から信長を長鉄砲で狙撃したがかすりもしなかった。
 忍者は精神と肉体とを切り離し、感情を押さえることを会得しているのに、極限まで待てず長鉄砲の引き金を引いた。その後、弥左衛門は、
(あのときの緊張感は今まで体験したことのないものだった)
 と、苦々しそうにこぼした。
 信長が近づいて来るにしたがって、訓練されているはずの精神が高揚して焦った。
 あと五間の距離が待てず、指よりも心が引き金を引いた。
 弥左衛門は己が失敗して、初めて鉄砲の名人杉谷善住坊が、信長狙撃に失敗した理由を知った。信長は忍者以上に精神修行を積んでいるのだ。
 いや生まれてからずっと生きるか死ぬか、殺すか殺されるかの極限を歩んで来たのだ。
 信長は実の母から憎まれ、兄弟と跡目を争った。一族で領地を巡って殺し合って育った。人を信じていたら、とっくに命はなかった。
 信長の死を卓越した不動の精神が気を放ち、相手を圧迫させ、引き金を引かせたのだ。
「信長は家来たちにも、信頼されていない噂が飛んでいます」
「それは信長が家臣を信頼していないから、家臣たちにもそれが伝わるのでしょう」
「信長は命知らずの近習と、陰の忍びに守られています」
 弥左衛門は信長を守るのは近習だけでなく、陰に多くの忍びが張り付いていることに気が付いた。
「なら一走りしてほしい」
 策を組み立てた義昭が嬉しそうに命じた。
「遣いですかー」
「そうじゃー。弥左衛門が言った大掛かりな仕掛けの段取りをするのじゃー」
 義昭がまた、にやっと笑った。

 明智光秀は多忙がたたり、体調を崩し、京の医師曲直瀬道三宅で養生していた。
 近年、光秀は体調が芳しくなかった。
 今年の一月、坂本城に吉田兼和が訪ねて来たときも、体調不良で会えなかった。
 全快しないうちに馬揃えの奉行を務め、その上に馬場を走り回ったから、更に体調を崩した。どんなに酷使されようと、自分の唇を噛みしめるしかなかった。
 光秀も妻の熈子も病になると曲直瀬道三に治療を受け、吉田兼和の祈祷を受けていた。
 道三は足利学校から帰国した翌年、医者として患者を診る一方で、門弟を養成する学校、啓迪(けいてき)院を開業した。
 光秀は、この御所の西にある啓迪院で養生していたのだが、横になって体を休めていても、頭は少しも休まることがなかった。
「どうですかな、少しはよくなられましたか」
 道三は光秀に容態を訊ねたあと、顔色を観察しながら、
「ここにおられるときぐらい合戦や仕置きを忘れて、のんびりされては如何ですかな」
 光秀は、庭の草花から目を上げると、
「もともとが貧乏性のせいか、ついあれもこれもと考えてしまいます」
 光秀は苦笑しながら言ったのだが、実際数年前よりも考えることが増えた。
 明智軍のことよりも、織田軍が制圧した国の治安や仕置きをも命じられている。その上、新しく織田軍に加わった一族の編成まで担当させられていた。
 この一年間でさえ、丹波を攻略すると、その片づけをしながら、光秀は滝川一益と大和に出向させられた。二人は大和国中を駆け回って、指出(さしだし)を徴収した。
 指出とはその土地の面積や収穫高、作人などを書きださせる検地同様のものである。
 後日、信長はこの指出をもとに大和の諸社寺に所領を安堵した。
 そして京都での苦心した馬揃えの奉行が終わると、地元丹波と丹後の検地だった。
 その他にも、因幡で毛利と対戦している羽柴秀吉の軍勢に兵糧を送らされた。
 光秀は先を考え、その対策を練ることで成功してきた。
 織田信長の目的である天下布武が目前に迫ると、
(上様の天下布武が、この国に実現されたらー)
 真剣に考えるようになった。
(上様はこの国を静謐するために、武力で国を制圧する)
と公言している。そうなると、
(―――朝廷はどうなるのか)
 上様が足利将軍に代わるのはよい。この国は天子様の下に武門の長がいて、武力を用いて不平を言うものや、反乱分子を成敗してきた。
 その武門の長に、古来の格式や仕来りを無視する上様が座るとどうなるのか。
 光秀は天子さまと信長の関係を考え出すと、決まって行き詰まった。
 悩んでいる光秀に、鞆之御所にいる義昭から密書が届いた。
 普段の光秀なら開封せずに、信長に届けるのだが、信長に対する小さな不信が封を開かせた。
「天下静謐は天子さまのもとにあってこそ太平になるのではないか。目を覚まして国家の安政と将来を考えて欲しい」
 以前の命令調から一転して国家を論じることで、光秀の心理を揺さぶる文面だった。
 光秀は二度読むと、火鉢の中で燃やし、燃え殻を丁寧に潰すと灰に混ぜた。
 しかし義昭の書状は煙になっても、文面は頭から消えなかった。

 甚兵衛は明智光秀を見張っている。
 信長が隙を見せるとしたら、光秀を通じてしかないと想った。
 その光秀を訪ねる客の多さに驚いた。
 武将だけでなく公家、連歌師に堺商人等多種にわたる。
(堺の商人が・・・・・)
 明智光秀は物事を正面から捉え、それをみんなが納得するように裁こうとする。そこには何ら駆け引きも、損得もなく、問題を平等に解決することだけに全力を注いでいたのだが、何倍も根気と努力のいることだった。 
 信長の下で働く武将は一癖も二癖もある。光秀は一枚の板のように表裏がないように見えた。無口と言うのか、喋る言葉を一つひとつ吟味してから口に出している。これでは会話は弾まないが、反面無駄口の少ない真剣なものになる。
 その光秀に書状が届いた。
 届けたのは医師道三が贔屓にしている薬問屋の手代だったが、甚兵衛の知っている伊賀者だった。
(柳瀬の次郎八じゃー)
 柳瀬は伊賀名張川右岸にある村で、次郎八は子供の頃から鮎掴みの名人だった。川に潜ると素手で鮎を捕まえた。
 甚兵衛が育った平尾村の隣村だったからよく知っていた。
 織田軍の伊賀征伐で伊賀者はことごとく討たれたと聞いていたから、顔見知りがいなくなったと思っていた。
(次郎八が生きていたとは・・・・・)
 忍び者は一人だけなら、地形とその時の気象を利用して逃げ切る技を身に付けている。 
 甚兵衛は商人に化けた次郎八の後ろ姿に、きな臭い企ての匂いを嗅ぐと後をつけた。
 寺の長い塀の横を歩いているときだった。
 突然黒い瓦が次郎八の頭に向かって飛んできた。
 次郎八は数寸の差で瓦をかわすと、大きく跳躍した。
 飛び上がった次郎八に、塀の上から若い軽業師の女子が襲いかかってきた。
(傀儡子だー)
 女子は両刃の直刀で次郎八の胸を狙った。
「カーキン」
 次郎八が隠し持っていた短剣でその刀を止めた。
 二人は空中で交差して、素早く着地すると、目に見えないほどの速さで腕を振った。
 同時に女子は地面を二間転がれば、次郎八は再び塀の上に飛んでいた。
 先ほど二人が着地したところに、互いに投げた投げ剣と棒手剣が突き刺さっていた。
 次郎八が塀の中に消えると、軽業師の女子も消えていた。
 一瞬の出来事だった。
 甚兵衛だから一つひとつの技が見えたが、通りかかった人には男が塀に飛び上がり、女子が塀から飛び降りたとしか見えない。
(さすが次郎八だ。斜め上からの攻撃を紙一重でかわしたわ)
 次郎八が消えた塀の上を眺めていると、
(じんべえかー)
 虫の声にも、鳥の羽ばたきにも聞こえる波動が伝わってきた。
(じろうはちかー)
 甚兵衛も同じ音で返した。
(このさきの、ふたつめの、かどでまっている)
(わかった)
 甚兵衛も商人の姿に化けている。
 ゆっくり歩いていくと、次郎八が仲間の商人を待つように立っていた。
「何年ぶりじゃー」
 次郎八が口元に笑いを浮かべ、懐かしそうに言った。
「そうだな、十年以上になるな。しかしよく分かったな」
「織田軍に追われる身じゃー。追手には気をつけているから分かったが、まさか甚兵衛とはなぁー」
「よく、あの瓦が躱せたものじゃー」
 普通の人には、塀の瓦が落ちてきて、運悪く通行人の頭に当たったとしか見えない。
「織田信長の忍び衆を侮ったらいかん」
「やはり信長の手かー」
「そうじゃー。非常に大きな組織で、我々にも実態が掴めておらん」
「となると次郎八は毛利か、武田の遣いをしているのかー」
 聞いたとたんに次郎八の腰が沈んだ。同時に危険を感じた甚兵衛は、
「ま、待て、敵ではない。次郎八と争っても銭にならん」
 と言いながら甚兵衛も若干腰を落して体制を整えながら、次郎八の殺気を散らした。
「甚兵衛は誰の仕事をしているのじゃ」
 反対に聞かれた。
「一人じゃー。一人で気ままに頼まれた仕事だけをしている」
 甚兵衛は儂も信長の頸を狙っているとは言わなかった。
「一人が良いわー」
「そう、一人が一番じゃー。仕事に追われるのはしんどいわ」
 出来るだけ相手の警戒心を解こうと考えた甚兵衛は、間を伸ばして喋った。
(銭にもならん殺し合いはせん)
「伊賀は滅んだ」
 次郎八の声に殺気と悔しさが混じっていた。
「全滅か」
「全て焼かれた。残ったわしらは信長暗殺だけに余命を賭けた」
「ぬいさんはどうした」
 ぬいは甚兵衛と同じ平尾村の生まれで幼馴染の女だったが、縁があって次郎八の嫁になった。幼馴染みのぬいが隣村の男と一緒になったと聞いたとき、心を殺すように訓練されてきた甚兵衛にも、かすかな嫉妬が芽生えたことを憶えている。
「あほな女じゃ」
「・・・・・」
「わしも伊賀の女子じゃとぬかしおって、織田の兵に飛びかかって行った」
 死を掻い潜ってきた忍び者次郎八の声が微妙に揺れていた。
 今もぬいが恋しいのだ。その悔しい心を断ち切るように、
「甚兵衛、おまえも伊賀者じゃ、手を貸せ」
 信長は巨大な壁の奥にいる。
「わしは伊賀を出た身じゃ、今は一人で生きていくのが精一杯でな。残念だが助けにはならん」
 次郎八はもともと期待していなかったのか、
「そうか、その生き方が正解かもしれん」
 未練のない言い方だった。
「わしらは生きている限り信長の首を狙う。次に会うときは敵かもしれん」
 死線を潜ったせいか、目に籠った殺気が消えない。
「成就を祈る」
と甚兵衛が言ったときだけ、殺気が消えた。

 足利義昭のもう一人の遣い、大屋戸八助は丹後の宮津城に来ていた。
 昨年の八月、織田信長から新しく丹後を賜った長岡藤孝の城である。
 藤孝は丹後の八幡山城に入ったが、標高百六十メートルの山城を捨て、信長に願い出て宮津浜に城を移す許可を貰うと、直ぐに城の普請を始めた。これは北近江を賜った羽柴秀吉が、山城の小谷城から琵琶湖岸の今浜(長浜)に移転させたのと同じ発想だ。
 藤孝も日本海の交易と、日常生活に便利な湊町を選択すると、本丸を中心に二の丸、三の丸を配置した輪郭式の海に面した平城を築いた。
 その藤孝に、義昭からの書状が届いた。
 藤孝は書状をじっと見ていたが、心は他にあった。明智光秀のように手紙を開封するかしないかではなく、細川家の将来についてだった。
(誰からも束縛されずに気ままに生きながら、細川家を盤石なものにする)
 その方法だったが、
(織田信長がいる限り、細い綱の上を渡るようなものだ)
 和歌、連歌、囲碁、有職故実、儒学、鞠、茶の湯、書、舞曲、猿楽だけでなく、弓や包丁も名人の域に達している四十九歳の藤孝は、この先は戦場を駆け回る武者働きから離れたいと思っていた。この宮津城でも留守を護ることが多く、戦陣は嫡子の忠興と、重臣の松井康之に任せていた。
 天下布武に邁進する信長から威圧を感じ、恐れる一方で、
(たかが刀のやり取りではないかー)
 覚めた目で見ながら、藤孝は心の自由を求めていた。
 和歌にしろ、舞にしても味わいが深く、広い。己の空間に入れば誰にも邪魔されない。この世界は無限で、己の心との葛藤になる。一つ極めれば、一つ先が見える。二つ極めれば三つ未熟を知る。それに比べれば戦場の戦いなど、殺すか殺されるかだけの単純なものでしかない。将軍や武将の頭は朝夕で変わっても、積み重ねてきた伝統と文化は簡単には消えない。いやこの国の文化は財宝にも優る。簡単に消してはいけない。受け継いだ者が次の世代に譲り渡す責務があるのだ。
 それを武力でしか解決できない、信長ごときに潰されてたまるものか。
 この無礼な振る舞いを止めるためにも、一日も早く信長に消えてもらいたい。
 藤孝は決断すると、松井康之を呼んだ。
「公方さまの遣いはどうしている」
「控えで休んでいます」
「斬れ」
「はっ・・・・・」
「遣いを斬れ」
 康之は藤孝の剣幕に驚いたが、意図を察すると、
「かしこまりました」
 藤孝は命じると、証拠は勿論、匂いすら残してはならんと自分に言い聞かせた。
 藤孝の用心深い性格と仕置きが、細川家を明治時代まで存続させた。
 熟練の忍び者も、城の狭い一室で何人もの武者に囲まれ抵抗もできず、闇に葬られた。
 
 瀬戸内の風は、春先と秋口に心地よい季節を運んでくる。
 夏は風が止まると、暑さだけがまとわりついて凌ぎにくい。反対に冬の風は寒くて痛い。
 その鞆之御所で義昭は、毛利輝元の叔父である小早川隆景を責めていた。
「毛利家は父元就の遺言で、他国を侵略しないが攻められれば倍の反撃をすると公言していたのに、備前と但馬が取られ、先日因幡が羽柴秀吉に制圧されてもまだ反撃せんのかー」
 機会がある度に、上洛を促していた義昭は、散々待たされているせいか口調が厳しい。
 義昭は二人の間に絵図を広げると、
「隆景、よく見るがいい。織田軍は播磨から丹波、但馬から因幡を制圧して備中に攻め込もうとしている。備前の宇喜多直家は織田家に鞍替えして、羽柴軍の一翼を担っている」
 言われなくても、毛利家の領地が侵害されていることは痛いほど分かっている。
「何度も言うが、なぜ毛利全軍で反撃せんのじゃー」
 義昭が大きな声で罵倒した。
「その反撃の準備をしているところでございます」
「因幡を攻略した羽柴軍と宇喜多軍が一つになって備中に攻め込むと防げんぞ」
 義昭は何一つ行動しないのに、憎らしいほど口が達者だった。現実に義昭が指摘したとおりに進行していたから反論できなかった。
 羽柴軍二万五千と宇喜多軍一万が連帯したら、難儀なことが目に見える。
 これに対し毛利軍は、隆景の下で幾多の戦功をあげていた猛将清水宗治の備中高松城を中心に、北から宮路山城、冠城、高松城、加茂城、日幡城、松島城、庭瀬城と並べて防衛線を築いて羽柴軍の侵略に備えていた。
 しかし、防衛線は守るもので、攻めるものではない。
 隆景も絵図をみた。
(残念だが、毛利家だけでは織田軍に対抗できん)
 数年前はそんな弱気なことは考えもしなかった。
 羽柴軍が播磨に攻め込んでからだ。
「隆景、備中がとられたら、毛利家は滅亡するぞ」
 今日は義昭の一言ひとことが心に響く。
 隆景もいろいろと情報を集め対策を立ててみたが、有効な答えはなかった。
「毛利家は四国の長宗我部家と組むことじゃ」
「土佐の長宗我部元親ですかー」
 中国を支配する毛利家は、四国の長宗我部家と伊予で抗争を続けていた。
 長宗我部元親の南伊予進出に脅威を感じた伊予湯川城(松山市)の河野氏は、毛利家に援軍を要請した。小早川隆景は八千の兵を渡航させ、河野通直と合同して大洲の菅田直之を攻撃すると、菅田直之は急遽長宗我部元親に援兵を求めた。どちらもより大きな勢力を頼ると、中国の雄毛利家と、四国支配を目論む長宗我部家との対立が露わになっていた。
「しかし・・・・・」
 隆景は迷った。長宗我部と同盟するのは願ってもないことだが、果たして敵対している長宗我部がどうでるかー。
「決断しかない。予が長宗我部に命じる。隆景はその書を届けるのじゃー」
 中国の覇者毛利家が、織田信長に対抗できないのが情けなかったが、義昭の指摘するように時間がない。一刻も早く織田軍の進撃を食い止め反撃しないと、備中も略奪され、毛利本国に織田の大軍が迫る。
「かしこまりました」
 隆景は使者を土佐岡豊(おこう)城の長宗我部元親に送った。

 義昭は隆景が退出すると、次の策を探した。
「主になって織田軍に反撃するのは、毛利家と長宗我部家で西から攻める。東からは甲斐の武田家と越後の上杉家が連合して攻める。挟むのじゃー」
 絵図の上で、駒を動かしながら信長を攻撃する段取りに夢中になっていた。
「伊賀者は信長暗殺だけに集中させる」
 子供の盤遊びに似ていた。
 机上の策は計画倒れに終わることが多いのだが、信長を憎む義昭の執念はダルマのように、失敗してもすぐに起き上がってまた始めた。
「予の手紙を光秀と藤孝は読んだはずだ」
 義昭は二人の顔を思い出すと、兄の義輝を崇拝している藤孝よりも、常に前向きに取り組む光秀の反応が知りたかった。
(やはり取り込むのは光秀じゃー)
 光秀は道理を求めるが、理に適えば行動する。納得できないと信長にも意見して、何度も頭を扇子で叩れたり、足蹴りにされたと聞いた。誰一人信長に意見する者などいない。それを命懸けで意見をするぐらいだから、正義を振りかざして説得すれば応じるかもしれん。
 光秀は信長の信頼も厚く、現在京周辺の総司令官的な任務に就いている。
 確実に信長を殺すには、条件に適う光秀をなんとしても口説き落とすことじゃー。
 誰もが同じように考えた。
 
 その光秀は京都、曲直瀬道三の啓迪院で養生をしていた。
 庭に面した縁側で、妻の熈子と秋の日差しを浴びてくつろいでいた。
「こんなにのんびりするのも久しぶりだなー」
「本当ですね。合戦から合戦に明け暮れてきましたから、たまにはこのような時間を神様が与えて下さったのでしょう」
 二人は、お互いに相手を尊敬していた。
 光秀は戦国武将の中で側室を置かなかった数少ない男だった。妻の熈子も光秀の友達をもてなすために、女の命ともいえる髪をばっさりと切って酒と肴に変えた。
 お互いが、自分よりも相手のために生きていた。
 熈子は光秀に茶を差出しながら、このまま時が永遠に止まれば良いのに、と考えていた。
「何を考えているのだ」
 光秀が聞いた。
「分かりましたか。私が何を考えているのかー」
 熈子が珍しく笑った。
 光秀は久しぶりに笑う妻を見た。笑った熈子も笑えたことが嬉しかった。
「分かるものだ。何年もいるとー」
「つくづく幸せだとー。欲を言えば、このままこの瞬間が永遠に続くと嬉しいのですが・・・・」
 熈子は普段口にしたこともない言葉を言った。今日はなんでも言えそうな気がした。
「本当に幸せだと思っているのか・・・・・」
 光秀も普段聞けないことを聞いてみたかった。
 そういえば結婚してから、夫婦らしい甘い言葉を交わしたことがない。
 夫は妻よりも合戦のことばかり考えていた。それを知っている妻は夫が手柄を立て、出世することだけを願ってきた。それ以外の会話は不要だった。言えばお互いの足を引っ張るような遠慮があった。
 今日は普段の控えめな気持ちよりも、二人だけの世界に合った会話がしたかった。
「何年ぶりかな。こうしてのんびりと空を眺めるのはー」
「季節は心を癒してくれます」
 熈子は表裏のある人間よりも、時の移り変わりを正直に映す草花が好きだった。
 主人の光秀も戦国の武将にしては表裏の少ない男だったし、上司よりも部下を大切にする人間だった。正直に言うと、熈子は信長のように、部下を犠牲にしてまで出世はして欲しくなかった。夫の光秀は悩みながらも、それを外すことはしなかった。
「本当に刻が止まって欲しいものだな」
 珍しく光秀が無駄口を叩いた。
「そうでしょう」
 熈子は、この先は言葉もいらなかった。
 このまま二人でいるだけで良かった。
「幸せは、案外そばに転がっているのかなー」
 また光秀が、笑った。
「そうかもしれませんね」
 熈子も心から笑って、光秀を見ると、光秀も嬉しそうに熈子を見つめていた。 
 二人の思惑とは逆に、世の中は忙しく流れ、織田信長も足利義昭も、明智光秀を必要としていた。

 雲隠れ甚兵衛は三ヶ月ぶりに北の庄に戻ると、勝家に目通りした。
「上方の様子はどうだった」
「平穏でございます」
「そうかー」
「ただ」
「ただ、なんだ」
「誰一人として、心から上様を信じている者はおりません」
「・・・・」
「誰もが、上様に死んでほしいとー」
「それは儂も同じじゃ」
 珍しく勝家が笑った。
「むしろ上様が死なないのなら、殺そうと考えている者が多くー」
「上様の心は強い。強すぎるが、それが欠点になった」
 勝家は、信長配下の武将の考えに大差がないことで安心した。相手の不信感は必ず何かで伝わる。信用されていないと分かると、どこかで食い違って気まずくなる。
「明智光秀は如何しておる」
「明智さまは曲直瀬道三宅で養生しておられます」
「上様にこぎ使われておったから、疲れがでたのであろう」
 勝家は、光秀が上様に体よく漕ぎ使われていると想っている。
「見舞客は多種に渡っております。明智様が見舞を断っても、次々と訪れておりました。よほど人望があるように見えました」
 確かに光秀は、人づきあいは悪いが、頼まれ引き受けたことは正確に果たす。どんなに忙しくてもきっちりと仕上げる。それが上様に見込まれたのだ。
「付き合いは広く、織田家の武将では長岡藤孝、筒井順慶、高山右近、中川清秀に、京都奉行の村井貞勝。神官の吉田兼和とは特に交際が深く、お互いに行ったり来たりしております」
「吉田神社の狐じゃな」
 武闘派の勝家は公家が嫌いだった。
「はい、その吉田神社はふたつの顔を持っておりました」
 甚兵衛は、その温和な神官が長岡藤孝と信長殺害を話していたこと、捕まえた男を殺し賀茂川に流したことを報告した。
 勝家は、藤孝と兼和が想像以上に懇意にしているのが意外だった。
 兼和は何かあると、直ぐに安土城にやってきて信長の機嫌をとっている。
 長岡藤孝はもともと足利義輝に仕えていた足利幕府の側近である。藤孝の「藤」も、義輝の幼名義藤から頂いた。そのあと義昭に仕え、信長に乗換えた男だ。
 言えるのは二人とも利に聡く、目先のきく人間である。
「それ以外では連歌師の里村紹巴、里村昌叱。意外な人物に堺商人の津田宗及が頻繁に顔を出しております」
「津田宗及もかー」
 堺商人の中でも大店で、堺の代表を務める商人だ。
「雇い主を突き止めることはできませんでしたが、伊賀者を遣って上様暗殺を企てている者がいます」
「みんなが同じことを考えておるわ」
 勝家は思い切って言うと、心が軽くなった。 
 信長が家来にも信用されていない理由は二つあると思った。
 一つは、佐久間盛政や林佐渡守のように、昔から仕えてきた重臣でさえ、子犬を捨てるように追放することだ。これでは真心と真心が通じることはない。誰もがいつか追放されるのではないかと、脅えだしている。
 もう一つは占領した国を、自分の子供たちに贈与しだしたことだ。これも命懸けで働いてきた家臣を不安にする。命懸けで敵と戦ってくれた家臣に報いるには土地が要る。
 こんな誠意のない信長の下で働くことに疑問を持つと、信長が目障りで邪魔になる。
「甚兵衛、上様の間に入れるか」
「今、その間を計っております」
「簡単にはいかんな」
 勝家は笑うと、
「なら上様は、誰かに殺されると想うか」
 闇に生きる忍びの本能が聞きたかった。
「上様に殺される前に反撃しょうと構える者、一人では信長さまに太刀打ちできないから、誰かと組んで対抗しょうと企てる者が現れるのでは・・・・・」
「でー」
「いつか、誰かに殺されると本能が騒いでおります」
「そうかー」 
 勝家は、それまでは、
(隙を見せてはならん)
 と下腹に力を入れた。

 再び勝家の命を受けた甚兵衛は京に向かった。
 越前から北近江に抜ける木ノ芽峠を駆けるように歩いていた。
 左右から木の枝が迫る険しい山道が、山を巻くように続く難所で、日中でも薄暗い。
 普段は考え事をしない甚兵衛でさえ、今後の織田家の行末が気にかかった。
 信長の天下布武がどう展開するのか、信長は、次に誰を追放するのか、その信長の暴走を誰が止めるのか、本当に止められるのか、その時何が起きるのか・・・・・。
 甚兵衛は考えていた分、上からの気配に気が付くのが遅れた。
 左の木の上から、木の葉が舞い落ちるように男が降ってきた。
 甚兵衛はその一撃を辛うじて躱したところに、右側の木から蔦に乗ってきた二人目の男が襲った。甚兵衛は袖の下に鎖を巻いている左腕で防ぐと、跳躍して逃げようとした。
 その甚兵衛に最初に襲った男が体制を立て直すと、二人目の男が使った蔦に飛び移って空中にいる甚兵衛に切りかかった。
 甚兵衛は身体を回転させて攻撃を避けようとしたが、蔦に身体を乗せている男は、自由な右手で正確に甚兵衛の胸を突いてきた。甚兵衛は瞬時に躱せないと判断すると左腕を捨てた。男の突きを左腕で受けると、着地と同時に道路横の斜面に身体ごと飛び込んだ。
 その後の攻撃は防げないと本能が警告していた。それを避けるためには逃げるしかない。身体を丸くして斜面を転び落ちていく。雑草が容赦なく体を叩いた。
 強い刺激が全身を包んだが、そのまま滑り落ちた。転ぶのが止まると、もう一度下に向かって身を投げた。
 捕まったら確実に殺される。命さえあれば、いつか蘇える。
 甚兵衛は滑り転がりながら谷底に落ちていった。意識が消えそうになったが、逃げることだけ考えた。
(逃げろー、逃げるのだ)
 三回繰り返して身を斜面に投げると、窪地で止まった。
 甚兵衛はそのまま雑草の中で、追手の気配を探した。
 上の方で音が聞こえた。
 追手が来るまでの時間を計ると、周囲を見回した。そして大きな石を探すと、その石を谷底に転がした。
 石は勢いよく転がりだすと、大きな音をたてて谷底に落ちて行った。
 それを確認した甚兵衛は下ではなく、山の斜面を横に走った。暫く走って追手の気配を探し、束の間の安全を確認すると、出血の激しい左腕の傷口を見た。左腕に巻いている鎖が切れ、その間から血が噴き出していた。傷口に持ち歩いていたかたくり草で作った粉薬をふりかけた。そして残りの粉薬を傷口に刷り込むと、激痛で声が出そうになったが奥歯を噛んで耐えた。そのまま布で縛って血を止めた。この薬は切り傷を消毒し、化膿を防ぐ。
 そのあと風の通らない窪地を見つけると、その窪地に草を敷いて中に入って横になった。横たえた身体を集めた雑草や雑木で見えないようにすると、携帯している丸薬を一気に飲んで死んだように眠った。
(―――ここは一度死ぬことだ)
 傷を負った身体での体温の低下は、より体力を消耗する。
 甚兵衛は死んだように眠ることで、体力の消耗を防ぎ、全てを忘れようとした。
 その後のことは、生き返ってからだ。

 甚兵衛の意識が回復したのは三日後だった。
 窪地からそっと這い出ると、周囲の様子を探った後、改めて自分の身体を調べた。
 左腕の傷口が大きく化膿していた。
 甚兵衛は周りに人の気配がないことを確認すると、斜面を下りて、川にでると火を起した。その火に小刀を炙ると、焼けた小刀を傷口に差し込んで、膿を絞り出した。痛みが一直線に脳を突き抜け、身体を硬直させたが、気を持ちなおすと再び傷口を押さえ膿を絞り出した。その痛みに耐えながら、その行為を三回繰り返すと肩が軽くなった。
 気が落ち着くと、襲ってきた男たちのことを考えた。
 あの男たちが上から交互に襲撃する技は曲芸師が使う縄移りの術だ。二人が交互に相手が乗ってきた縄に飛び移って芸を見せる。交互に飛び移るタイミングが絶妙で何度も訓練しないとできない。
(―――傀儡子に間違いない)
 それに次郎八を襲った女子が使った投げ剣も、旅芸人が見せる投げ剣の技だ。一尺弱の両刃の剣で、六間離れた所から、的になった人間の周りに正確に投げる。
 そんな連中を相手に戦うには、体を元に戻してからだ。
(とにかく、すべてが生き返ってからじゃー)
 甚兵衛は諦めた。
  
 樹木が葉を落し始めると、朝夕の冷え込みが一段と厳しくなった。
 山を何周駆け回っても息が上がることもない。猪や狸、ウサギなどの野生の動物を捕らえる感覚が戻ったところで、甚兵衛は山を下りた。
 疋田から塩津浜にでると、長浜まで船で渡った。晩秋の琵琶湖を低い黒い雲が覆っていた。まもなく雪が舞い始める。
 羽柴秀吉の城下町、長浜の宿に三日泊まった。
 ここで情報を集めた。
 信長の命を受けた羽柴秀吉は因幡を制圧すると、姫路城で身体を休めながら備中侵攻の準備をしているという。
 織田信長は合戦を家来に任せ、安土城と京都を往復していると聞いた。
 その信長に各地の豪族たちが安土詣でをしていた。


     四 吉田神社宮司 吉田兼和の場合   
       
 吉田兼和は当番に当たっていたので、家従の鈴鹿兵庫助を共に二条御所に出仕した。
 この二条御所は天正七年、織田信長から誠仁新王に献上された二条御所のことで、もと従一位関白二条晴良の屋敷跡だった。天正四年に安土城の普請と同時に、信長は義昭に加担して、自分に反抗的な二条晴良を一条の報恩寺に追い払って、防御を意識した城に造り替えた。
 信長のごね押しが関白をも追い払ったのだ。
 京の住民は比叡山、伊勢長島、越前で信長がしでかした大虐殺を聞いていた。
 信長は京の住民が面と向かって反抗しないことを良いことに、天下の支配者の如く振る舞うから、吉田兼和たちは信長に振り回されどうしだった。
 その信長が牙を剥いて朝廷に襲い掛かった。
 天皇譲位である。
 今年六十五歳の正親町天皇が高齢であるから、二十九歳の誠仁新王に天皇を継がせるように求めた。高齢の天皇が若い誠仁新王に譲位することには何ら問題はないが、足利三代将軍義満の苦い例がある。足利義満は征夷大将軍と太政大臣の職を辞任すると、妻の康子を天皇の仮の母、准母につけ、自分も後小松天皇の准父に就いた。そして天皇の領域に土足で踏み込むと、天皇の権威を形骸化して上皇として振る舞った。
 信長は、煙のように掴まえところのない朝廷を相手にせず、義満がしたことと同じことを狙っている。それが分かっていたから、朝廷は新王に譲位できなかった。
 新王が天皇に即位すると、新王の五宮を猶子(養育の有無にかかわりなく形成された擬制的親子関係にある子)に取り込もうとする信長は、今まで以上に内裏に口を挟み、義満がしたように上皇として振る舞うのが見えている。
 信長の画策を恐れた朝廷は、最初は、
「御かえり事よろしくて。めてたしめてたし」
 と、受け入れる考えでいたが、信長の天下布武の裏に潜む脅威を察知すると、
「御譲位之事、当年金延引」と答え、譲位を延期した。
 金神は陰陽道でいう殺伐の神で、この神がいる方向は大凶方とされていた。
 それは誠仁新王の住む二条御所から内裏の方向にあたったが、金神はその年の十干によって所在方向が異なる。その上ときどき所在する方位から飛び出すことがある。
 朝廷はこじつけを理由に、信長の要請を拒否した。
 このぐらいのことで引き下がる信長ではない。
 朝廷を取り巻く公卿たちは、信長の次の手を読んで対策を講じなければ防げないことだ。

 兼和は二条御所で当番を務めた後は、春長軒(京都司所代村井貞勝が入道して号していた)に寄って将棋をさすのが日課になっていた。お互いの力が均衡していたので、世間話をしながら愉しんでいた。今日も二番指していたのだが、負けた方が「もう一番」と雪辱を要求するから、なかなか終わらなかった。
 ただ村井貞勝は、吉田兼和を人の好い、何事もてっとり早く対処してくれる神官と見ていたのに対し、兼和は秘めた目論みを抱いて貞勝に接していた。
 織田家の重臣で京都奉行を務める貞勝から、信長が考えていることと、次に行う作戦を聞き出すことだった。
「そろそろ甲斐の武田攻めですかなー」
 将棋盤を挟んで対峙していたが、両者の表情が対照的だった。
 笑っている兼和が貞勝の王を攻めていた。
 対戦が一勝一敗だったので、貞勝も引き下がれなかった。
「まだ負けたわけではない」
 貞勝が盤を睨みつけながら、しぶとく食い下がると、
「ほうー、まだ諦めませんかー」
 互角の相手に大差で勝つほど楽しいことはない。反対に負けた方は悔しさが倍になる。
「今日は私に憑きがあったようですな」
 兼和が控えめに言うと、貞勝も駒を置いたが、
「今日は憑きがないー」
と、素直に負けを認めなかった。
「先日は私がぼろ負けをしたではありませんか。勝ったり負けたりするから面白く、また指す気になるのです」
 兼和は、貞勝の空いた盃に酒を満たすと、
「明智さまの体調は回復されましたかー」
 話題をかえた。
「もう大丈夫なようです。ただ明智さまは我慢強い人ですから、自分の身体を犠牲にしても任務を遂行しょうとされます。それが良いのか、悪いのかー」
 貞勝も酒を注ぎ返す。
「今の織田家は明智さまの力なしでは、まとまらないのではありませんか」
 吉田兼和と村井貞勝は、明智光秀の控えめで誠実な性格が好きだった。
 この光秀の人柄に、武将たちよりも連歌師や商人が惹かれた。
 近年、光秀の連歌会には堺商人や博多商人が参加するようになっていた。その中でも堺商人を仕切る豪商天王寺屋の津田宗及が、子供のように恥じらいながら積極的に出席していた。津田宗及が一年で稼ぐ利益は、一国の大名の年貢を凌駕する噂があった。
 そのおごりが織田信長にも立ち向った。
 永禄十一年、上洛を果たした信長は、堺に平然と二万貫の矢銭を要求した。
「信長は野盗かー」
「脅かすと二万貫を払うと考えておるのか」
「堺衆を甘く見ておる」
 信長が武力で敵をなぎ倒せば、堺の会合衆は銭で圧倒してきた。
 都を牛耳った阿波の三好三人衆も、松永久秀さえも堺衆には逆らえなかった。
 石山本願寺や大和の法隆寺らは信長の要求を受け入れ、矢銭を払ったが、抗戦の準備をしていた堺の会合衆は拒否した。
「信長に堺の力を見せるしかないわ」
 堺商人を代表する津田宗及は、信長との争いに備えると、三好一党を頼り、堀を深くして櫓を組み、多数の浪人を雇い入れた。そして堺と同じ自由都市を維持する河内平野郷七門閥の一人、末吉一族と連携して信長に対抗しょうとした。
 上洛を果たしたとはいえ、周辺に多数の敵を持つ信長は直ぐには堺を攻撃しなかった。
 堺会合衆の中は反信長ばかりではなかった。信長の実力が三好や松永久秀たちを圧倒すると見抜いた会合衆の一人、納屋を営む今井宗久は信長との抗争を避け、和平する道を唱えた。今井宗久はしきりに納屋助左衛門や津田宗及等の反信長派を説得したが、応じる者はいなかった。
 永禄十二年正月、堺から攻め上がった三好軍が京都で織田軍に敗退すると、会合衆は一転して信長の実力を認め、二万貫を支払うことを承諾した。
 信長は堺を直轄地にすると、松井有閑を代官に任命して監督させた。そして堺会合衆の中で信長に友好的な今井宗久に、摂津五ケ荘一千石と、その他の土地を合わせ二千五百石の代官職に任命した。要はアメとムチを使い分けた。
 この処置に反感を抱いたのが、今井宗久に代表の立場を逆転された津田宗及である。
 津田宗及は、堺に入ってきた織田軍をもてなしていたが、己以外を人間と思わない信長を信じることは出来なかった。
 信長は堺のもつ豊かな経済力と、外国貿易が上げる巨大な利益を見逃さなかった。会合衆の代表であった津田宗及と塩屋宗悦、松江隆仙を京都妙覚寺に招き、茶を振る舞った。
 宗及は信長の自分たちを値踏みする氷のような目を見ると、
(―――この男には心を許してはいかん)
 宗及は信長の人間性を洞察すると、表面は笑っても真心は隠していた。
 天正二年秋、その津田宗及を、吉田兼和が初めて明智光秀の連歌会に誘った。
「一度明智さまに会ってみては如何です」
「歌など詠んだことがありません」
 堺商人の宗及は談合に用いた茶の世界には造詣があったが、連歌は馴染みが薄かった。
 それから数日後、兼和は宗及を光秀の坂本城に連れて行った。
 琵琶湖に張り出した坂本城は黒い瓦に覆われた地味な城であったが、光秀の性格のように見かけとは違って、内面は本丸に二の丸を配置した頑強な城構えになっていた。
「よく来て下さった」
 光秀が丁重に迎えた。
「厚かましく出向いて参りましたが、歌など齧ったことも、学んだこともありません」
「誰も初めは同じです」
 光秀が武将よりも商人に見えた。
 この連歌会は、長岡藤孝の、
「大船の雪にしずけき堀江かな」の発句に始まる山河百韻の興行だった。
 当時、第一と呼ばれていた連歌師の里村紹巴と昌叱が参加していた。
 宗及は光秀を観察していて、表裏のない人間性に驚いた。
 飛ぶ鳥さえも落とす織田軍の中でも、出世街道を邁進する武将の物腰の柔らかさに、閉じかけていた心が開いた。
 光秀は宗及だけでなく、誰に対しても丁寧に応対していた。
 商人も歌人も武将も分け隔てなく、一人の人間として向き合っていた。
 長年商いの世界で生きてきた宗及は、商人は口先で物を裁く詐欺師で、武人は人から平気で物を取り上げる山賊と割り切っていたが、光秀からは合戦に生きる武士の片鱗すら窺がえなかった。
 それ以来、津田宗及は機会があると明智光秀の連歌会に参加した。
 連歌は上達しなかったが、早朝、庭先に水をうったような新鮮な空気が漂う会の雰囲気に心が癒された。
 連歌に新参者の宗及は、よい句を詠もうと意識するせいか、余計に句が乱れまとまりのないものになって採用されることはなかったが、誰も批判しなかった。
 見かねた連歌師の里村紹巴が、
「古い言葉で、人の詠まない新しい素材や趣向を求めて詠むように・・・・・」
 と指導されると反ってまとまらなくなった。
 光秀は宗及の心境を悟ると、気取らずに情景を浮かべて表現すればよいのではー。
 分かりやすく教わると、委縮していた句が、大きく空に手を広げたようにありのまま詠めるようになった。言葉を自由に操る才能のあるものが羨ましかったが、自分なりに満足できると、徐々に自分から詠みたくなり、日常の合間にも詠むことが増え面白くなった。
 ある日、会が終わって宴席になったとき、宗及は光秀に尋ねた。
「明智さま、大和の今井郷の攻略を命じられたとお聞きしましたがー」
 光秀はゆっくり顔を宗久に向けると、今まで見せたことのない鋭い眼差しで宗久を睨んだ。宗及も光秀とは真心の付き合いを望んでいたから、ここで光秀の目を反らしたくなかった。光秀の目は、商人が合戦に口を挟むなと言っているのではなく、隠しているものが見られたような寂しい目だった。
 宗及は、ますます光秀の心の奥に秘めているものが知りたくなった。
「宗及―」
「はい」
「さすが堺を代表する商人、耳が早いな」
 光秀は、苦笑いしていったが、話を逸らしたように聞こえた。
「今井郷と堺は一体でございます」
「そうかー」
「で、武力で攻められるのですか」
「どうするか、正直迷っている」
 光秀が心の扉を少し開いた。
「できれば無駄な殺生を避けたいのだが―」
「今井郷を説得しましょうか」
 宗及は思い切って言った。
 光秀は、宗及をじっと見ていた。宗及の本心が分からないのだ。
「明智さまの本心を、今井兵部さまに伝えてみましょう」
「それができるなら、手間が省ける」
 織田信長は明智光秀と筒井順慶に、一向宗が立て籠もる今井郷の攻略を命じていた。
 堺と同じように周囲を幅三間の環濠に守られた武装都市であった今井郷は、浪人を集め、土嚢を積め上げて攻撃に備えていた。
 宗及は本願寺から送り込まれた今井兵部に、天下布武を目前にした織田信長の軍事力と、光秀の人間性を話して、平和的な解決を求めた。
 宗及の斡旋に応じた今井兵部は、今井郷を武装解除すると、身柄を光秀に預けた。
 光秀は信長に経過報告し、今井郷の安全を依頼した。
 光秀の申請を聞いた信長は、今井郷に放免状を下し攻撃を取りやめた。
 この光秀の処置に感激した今井兵部は、この後顕妙の跡を継いだ教妙の指示で門徒が蜂起しても、光秀との約束を守り反織田同盟に加わらなかった。
 宗及は、改めて光秀の約束を履行する律儀な性格に好感を抱いた。
 一方の光秀も、堺商人津田宗及のもつ幅の広い人脈と財力を知らされると、その情報力と物資調達力を積極的に頼るようになった。
 合戦に明け暮れる武将たちは、鉄砲と弾薬を咽喉から手が出るほど求めていたが、当時、国産の硝煙は全くなかった。その弾薬をつくる硝煙を堺商人は中国経由で輸入していた。
 宗及は、甲斐の武田家から注文を受けていた硝煙五十斤を光秀に送ると、
 光秀は、倍の金額を払って引き取った。
 それ以来、硝煙が入港すると、注文がなくても少しずつ坂本城に送ったが、光秀も宗及も一切口に出さなかった。この宗及と同じようなことを、新しく堺の代表になった納屋の今井宗久もしていた。
 津田宗及は忍びの心得のある手代に、
「あの船の行き先を探れ」
 手代は目で答えると、消えた。
 今井宗久の小舟は沖に出ると、陸沿いに大阪湾に沿って進んだ。大阪湾を更に西に向かい、須磨を超えると左の島影に向かった。手代の小舟は波に翻弄されたが、船影を見失わないよう離れて後を追った。今井の舟は狭い海峡を渡ると、淡路島の北にある小さな入り江に入った。手代も後を付けて入り江に入ったが、待ち構えていた海賊のような連中に捕まえられた。
 一瞬に囲まれ、海に飛び込んで逃げることもできなかった。
「誰に頼まれた」
 海賊の親玉が一言聞いた。
「・・・・・」
 そこで終わった。
 口を割らないと思った海賊の親玉は、後ろから手代の首に刀を差しこむと、手代に頼まれ、船をだした二人の船頭も殺した。
 何日たっても手代が帰ってこないことから、宗及は失敗したと悟った。同時に相手は用心深く手強いと感じた。となると、より突き止めたくなるのが人間の心理で、宗及は銭の力で調べようと考えた。
 宗及は今井宗久の舟の船頭に銭を渡して、聞いた。
 最初はとぼけていた船頭も宗及が銀貨を数枚見せると、簡単に口を割った。
「淡路島の北の入り江でございます」
「そこからは」
「そこからは先は知りません」
「荷は」
「荷はその入り江で他の船に積み替えます」
「その積み替えた船はどこに行く」
「さらに西に向かうようですが、その先は分かりません」
 これは大きな組織だ。多分淡路島からはもっと西に向かうのだと思った。西は毛利家の勢力圏であるが、毛利なら一旦淡路島で荷を積み替える必要はない。直接毛利領に運ぶ。となると、その手前の備前宇喜多家か、それとも四国かー。
 いやいや播磨がある。播磨は羽柴秀吉さまの支配地だ。毛利と直接対峙している羽柴さまは大量の硝煙がいる。しかしこんな手のこんだことをしなくても、堂々と硝煙を手に入れることができるはずだ。
(ではなんのためにー)
 宗及の追及もここまでだった。
 宗及は、この不可解な出来事を光秀には伝えておこうと思った。
 光秀が病で寝込んだ知らせを受けた宗及は、朝鮮人参を手に見舞に行った。
「朝鮮人参は精が付く」
と喜んだが、代金をきっちりと払った。
「これはお見舞いの品ではありませんかー」
 宗及が銭を返すと、
「気持ちだけで十分です」
 逆に、銭に小袖十枚を付けてくれた。
「明智さま、納屋の宗久が密かに硝煙を流しています」
「相手はー」
 日頃冷静な光秀の声が高かった。
「分かりません」
「淡路島からさらに西かー」
 光秀は暫く考えていたが、
「みんな、陰で刃を砥いでいるのじゃー」と小さく笑った。
「陰で、刃ですか・・・・・」
「そうじゃー。陰で砥がないと、上様に殺されるではないか」
「これからどうなるのでしょう」
「それは分からん。宗及の方が知っているのではないのかー」
 また光秀が笑って言ったが、笑いが大きくなった。
 光秀が何度も笑うことがなかっただけに、宗及は嬉しく、光秀が心の扉を少しずつ開いてくれると思った。
「商人の私などに分かる訳がありません」
 宗及も笑って返した。
「いやいやわし等武人は目の前の敵を倒すことしか考えんが、商人は十年、二十年先を見て商品を揃えると聞いているぞー」
 子供のような笑顔で言う。その笑顔が二人の間に残っていた垣根を取っ払った。
 宗及は光秀と交わるにつれ、光秀の人間性に惹かれていく自分を知った。
 この頃宗及は亀山城から愛宕山に嶺でつながる周山城にわざわざ光秀を訪ね、中秋の名月を眺めながら連歌を詠んでいる。
 光秀の「名は世にもたかみ山路秋の月」に、
 宗及は「宮古人月と酒とのこよいかな」
と、愉しいひと時をのびのびと表現している。
 
 堺の豪商津田宗及の行動が信長の耳に入った。
「天王寺屋の宗及か」
 感情がこもらないからか、信長の言葉は冷たく聞こえる。
「しきりに明智光秀さまに会いに行っています」
「歌詠みであろう」
 信長は茶を嗜むが、歌は詠まない。
「ただの連歌会にしては、集まる人々が多種に渡っています」
 百太夫は情報世界に生きる者の勘で、危険な臭いを嗅いでいた。
 連歌は五、七、五の上句と、七、七の下句との唱和を連続して詠んでいく文芸である。初めの上句を発句、次の七、七を脇、それに続く五、七、五を第三という。それを連続して百句続けて詠むのを百韻連歌といった。
「光秀は律義者ゆえ、心配はいらぬ」
 信長は全く気にかけていない。
「それは重々分かっておりますが・・・・・」
 百太夫の考えとは反対に、合戦に明け暮れてきた信長は自分なりに敵の作戦能力を分析し、実行できるか出来ないかを見極めていた。
(十数か国を支配し、十五万の兵を顎で動かすこの信長に、誰が挑むのじゃー)
 五年前なら西にも東にも互角の敵がいた。今の織田軍は雪の坂道を転がる雪だるまだ。合戦を重ねるほど、太く大きく勢いがつく。この勢いが北陸戦線、中国戦線で上杉家と毛利家を圧倒して更に大きく膨れていく。両戦線とも押されているのではない。どんどん押して敵の領土に侵攻しているのだから、一年か二年先には上杉家も毛利家も存在しない。
 空に目を据えていた信長の青白い顔が、百太夫に向くと、
「百太夫、一向一揆も組織立っての行動はできん」
「はいー」
「本願寺の坊主ども紀州に追い払ったではないか」
「それも知っております」
 百太夫にも今は見えないが、闇の向こうに何かがいるような気配が消えない。
「何を脅えているのじゃ」
 信長が聞いた。
「明智さまに、公家どもがしりに接近するのが気になります」 
 百太夫は不安を口にした。
「それは何事も光秀に頼むのが一番頼りになるからではないか」
「確かにそうですがー」
「光秀は仕来りのうるさい故実にも精通しているから、公家どもには無駄な言葉と時間が省け早いからではないのかー」
「・・・・・」
「柴田修理と滝川一益は攻める戦が得意だし、丹羽長秀は状況に合わせた戦の駆け引きと、城の普請がうまい。猿の筑前は調略じゃー。人間それぞれ得手不得手があるが、光秀は何事も卒なくこなす」
 信長は家来の性格と能力をよく見ている。
「京の仕置きは公正でなくては、口のうるさい公家どもが納得せん。それが出来るのは光秀だけなのだ」
 信長配下の武将は一つの戦線を任されるだけではない。常に西に東に駆り立てられている。一つの戦線に執着していても、それでも芳しい成果が上げられないと問答無用で佐久間信盛や、林佐渡守のように裸同然で追放される。
 信長の家臣の中でも、明智光秀ほどこぎ使われている武将はいない。虐使され、身体を壊して療養するが、完治しないうちに戦場に戻らされるから、身体が治ることがない。
 数年前は、羽柴秀吉と光秀の二人が信長にこぎ使われていたが、途中から秀吉は信長の目の届かないところでうまく立ち回りだした。その秀吉に比べ、光秀は何事にも真剣に取り組む性格だったし、信長のいる都周辺での任務が多かったから、全く手抜きは出来なかった。光秀の仕事ぶりに満足した信長は、
「光秀は稀にみる人材じゃ」
「それも分かっておりますがー」
 百太夫も、光秀の難関を一つひとつ崩していく粘り強い性格を知っていたが、なぜか一抹の不安が消えなかった。
「―――ほかに何かあるか」
 信長が百太夫の憂いを断ち切った。

 百太夫は都の外れにある芝居小屋に、配下の傀儡子の頭領たちを集めていた。
「明智光秀に公家、連歌師、商人が近づいている」
 百太夫が、いろいろな職業に身を変えた傀儡子を見渡して言った。
「安芸公方さまの遣いが、何度も明智さまを訪ねています」
「越前北ノ庄城の柴田さまの忍びが、明智さまを見張っていました」
 勝家に張り付いている傀儡子の親玉が報告した。
「この忍びは、腕が立ちます」
 伊勢では逃げられたし、木ノ芽峠では完全に仕留めたと思ったが、死体が見つからなかった。一瞬に左右から襲って逃げきった者はいない。奴は左腕を犠牲にして身を護った。
「二十太夫、これは何を語っているのだ」
 百太夫は昔からいる初老の傀儡子に聞いた。
「一連の動きから読めるのは、誰もが上様の死後に備えた行動だと想いますな」
「上様が死ぬだとー」
「正しくは殺されるです」
 二十太夫がはっきり言った。
「二十太夫は、本当に上様が殺されると思っているのかー」
 めったに感情を現わさない百太夫の形相が強張っていた。
「明智さまに伝手を求めるのは、信長さま亡き後、明智さまを頼る段取りをしているとしか考えられませんぞ」
 二十太夫は長年、賀茂川の河川敷で軽業師の興行をしているから、都の情報に詳しい。
 信長は嫌われている。
「三十太夫、お前はどう考える」
 百太夫は二十太夫の横に座っている年配の優男に尋ねた。
「上様が死ぬ死なぬは別にしても、明智さまを頼るのは、上様に対抗する手段とも考えられます」
「何のために、上様に対抗するのじゃー」
 百太夫が急かして聞いた。
「それは上様にむざむざ殺されたくないからです」
 三十太夫も強い口調で返した。三十太夫は百太夫ほど信長に心酔していないから、家来の武将たちの心境が分かる。三十太夫でさえ、
(信長の家来は蟻地獄に嵌った蟻だ)
 どんなにもがいても、死ぬまで抜け出すことはできない。
「信長さまは敵対した者を決して許さない。特に家来衆の反逆には徹底した虐待で応じる」
 三十太夫は百太夫を諭すように、
「これでは誰もが用心するようになり、その時に備え、構えるのではないか」
 三十太夫は織田と同盟していた北近江の浅井家と、石山本願寺と安芸の毛利家に鞍替えて、信長に立ち向った有岡城の荒木村重の一族に対する仕打ちを憶えている。
 浅井長政の嫡男万福丸は関ヶ原で串刺しにされたし、長政と父久政に、朝倉義景の頭は漆を塗られ酒の肴にされた。荒木一族は民衆の見守るなかで磔になれば、小屋に閉じ込められて焼き殺された。これは一方で、
(信長は家来の反逆を非常に恐れている)
 そのため、予に逆らうと、このようになるのだぞー、と見せつけて脅かしているのだ。
「それに明智さまは誠実な人柄です。この人間性に他の武将たちが惹かれるのだと想い
ますが・・・・・」
 百太夫も、信長が秀吉よりも光秀を信頼していることを知っている。
 光秀の信頼性に比べ、信長の残酷な人間性を家来が過剰に恐れ、信用していないとは考えなかった。信長への思いが薄れた分が、光秀に移ったのだ。
 信長は自分の後継者を嫡男の信忠と決めて教育していたが、その補佐に命令を確実に遂行する明智光秀を当てようと考えていた。
 ただ子供たちに大きな領土を与えても、信長が死ぬと同時に権力争いを始められてはたまらん。嫡男の信忠は素直に信長の気持ちを汲んで命令を実行しているが、信雄と信孝は仲が悪く直ぐ競い合う。それをなだめ、信忠を頭にした織田政権を補佐して結束させる人材が要る。それが出来るのは丹羽長秀と明智光秀しかいない。畿内の仕置きなら長秀もできるが、全国の政務となると光秀しかできない。
 信長の天下布武構想に、明智光秀は欠かすことのできない人間だった。
「天下は取ることよりも、取った後の仕置きが難しいのかー」
「支配する国が増えるほど困難になりますなぁー」
 百太夫は信長の実りかけた夢が、最後の一歩で崩れそうな予感がした。
 その不安を払いのけると、
「今は、陰の動きの全容を洗い出すのじゃー。何かが起ころうとしているのは事実だ。その何かを調べろ。探りだすのだ」
 信長を十三歳のときから盛り立ててきた百太夫にとって、信長の全国統一は百太夫の夢にもなっていた。信長の天下布武が日の目を見るまで、誰にも邪魔をさせん。
 百太夫は配下の傀儡子を、探索する武将に一座ずつ振り分けた。 

 その頃、浜松城で徳川家康が重臣を集めていた。
 最近出始めた腹が、座ると胃を圧迫する。
 体質なのか少々の食事療法では効果がなかった。窮屈に座っている家康を無視するように、本多正信が、
「上様は来年の初めには、武田家討伐の軍勢を発進させる」 
「・・・・・」
「その後じゃー」
 どう口実をつけて徳川家を潰しにくるかー。
 酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、石川数正たち重臣が徳川家の行く末に頭を抱えていた。
「武田家が滅ぶと、我ら徳川の役目は終わる」
 数正が唾を飛ばし、吐き捨てた。
「北条家が健在な間は、徳川を残すことはないか」
「北条氏政と氏直は家来に安土詣でをさしている」
 信長と闘って、勝つことはない。
 家康は家来たちの話を聞いていて、自分のことよりも、武田勝頼が哀れだと想った。
 勝頼は武田家の繁栄に全人生を懸けた。その熱意は信玄以上だった。
「殿―」
 忠次が呼んでいた。
「うんー」
「殿は如何考えておられます」
「今、考えても取越し苦労をするだけではないか」
「しかし・・・・・」
「何事も武田攻めが終わってからじゃー」
と言った家康が爪を噛み、毟ってした。 

 同じ頃、越中の柴田勝家も悩んでいた。
 越中の侵略も順調に進んでいる。東北の伊達輝宗が家臣の遠藤基信を遣いに、勝家に好を求めてきた。柴田勝家が上杉領に快進撃をしているからだ。進み過ぎるのが怖い。それは自分の命を縮めることに繋がる。越中を制圧すると、いよいよ越後の上杉家との戦いになる。上杉謙信が築き上げた強敵上杉家を命懸けで倒して、追放されたのでは・・・・・。

 四国の土佐岡豊城でも織田信長に悩む男がいた。
 長宗我部元親である。元親は信長の威勢に敬意を払い、嫡男の弥三郎に諱を求め、信長の「信」を賜り信親と名付けた。それを機に
「四国の儀は元親手柄次第に切取候へ」と認めさせた。
 その後も元親は信長に鷹や砂糖を送り、丁重に礼を尽くしていたのに、その約定を信長は簡単に反故し、元親に三好康長への補佐を依頼してきた。
「信長を信用したことか間違いじゃ」
 元親も信長に挑む無謀さを知っていたが、武人の意地だった。
「戦うだけじやー」
 開き直っていても、負けると分かっている戦ほど虚しいものはない。自分だけならよい。信長に負けると、一族の痕跡すら残らなくなる。
 信長対策に悩んでいた元親の岡豊城に、毛利家両川の一人小早川隆景から遣いがきた。使者は足利義昭の御教書を持参していた。
「伊予各地での抗争を停止し、両家が手を握り、賊軍織田信長を撲滅せよ」
 いつものように強い口調で命じていた。
 元親は義昭の忠告に即刻応じると、
 天正九年八月、小早川隆景の重臣乃美宗勝を仲介して毛利家と同盟した。
 さらに元親は毛利家との同盟を機に、伊予国新居郡の実力者金子元家とも軍事同盟を結び、四国と中国とが連携することで、織田信長の四国侵略に備えた
 
 みんなが織田信長を警戒し、その対策に頭を悩ませている中で、吉田兼和も浮草のようにふらふら揺れ、流されながらも朝廷の存続を願い、吉田神道の発展を願っていた。
「さて、どうしたらよいのじゃー」
 一段と祈祷に力を入れ、信長の命を削ろうとするのだが、効果はなかった。 
 この春の懺法講(天皇が天上の皇后らを祭る仏事)も信長の口出しで中止になった。
「朝廷の行事が、信長ごときに振り回されてはならん」
 とは言え、武家の長が親朝廷で節度を弁えていたら何ら問題はない。
「信長が途方もない武力を持っているから、いかんのじゃ」
 もし武家の長が明智光秀なら問題は起こらない。
 光秀は朝廷を重んじ、公家と武家の範囲を弁えている。
 ただその甘い期待も、信長が死なない限り可能性はない。

 丹波の宮津城でも長岡藤孝が、信長の細かすぎる指示に腹を立てていた。
 丹波と丹後を明智光秀と長岡藤孝に与えておきながら、
「様躰においては惟日(光秀)に申し聞かせ候いき。猶々心懸け専一に候」
 信長の指図がないときは、光秀の指図を受けろとはー。その後も、
「丹後の国一色知行の出来分の事、惟任日向守に預け置く、相ひ談ぜらるべし。猶追って申し出すべく候也」ときた。
 そのあとも、一色家の家老矢野藤一郎に四千五百石を渡せとか、一色義有の知行を指示してくる。
(もうよいー。いちいち指図はするな)
 そして、
(いつまでも己の意のままになると想うな)
 藤孝は喉まで出かかっていた言葉を飲み込んだ。
 

     五 中国方面軍 羽柴秀吉の場合
 
 羽柴秀吉は姫路城で、毛利家と、それに連なる備中の情報を集めていた。
 柴田勝家が上杉家の実力を測るように、秀吉も毛利家の戦闘力を探っていた。
「毛利家は大国じゃ。それに一族の結束が固い」
 秀吉は備中高松城を護る清水宗治を調略しようと、信長の誓紙に自分の手紙を添え、蜂須賀正勝と黒田官兵衛を使いにやった。信長の誓紙には「備中、備後を与えるから西国征伐の先鋒をするように」と書かれていたのに、宗治は、毛利家に忠誠を尽くし断った。
 秀吉は諦めず、再度調略を試みたが、宗治の心は変わらなかった。
 得意の調略も毛利家には役に立たない。
「しかし順調に毛利家制圧が進み過ぎると、反って上様に睨まれます」
 蜂須賀正勝が、いつものように顎を突き上げるようにして応じると、
「今、下手に動くと、毛利家に勝っても空回りになるだけじゃ」
 前野将右衛門も、後ろから落ち度を探す織田信長の視線を気にしている。
「上様は子供たちが成長すると、古くからの重臣が目障りになったのじゃー」
 弟の秀長も、これからは毛利家よりも、織田信長対策に全力を注ぐべきだと考えていた。
「何と言われようと、上様の忍びに悟られぬことだ」
「噂では、家臣の中にも紛れ込んでいると聞いた」
 用心深い正勝は、情報が最大の武器になると知っていたが、情報の怖さも弁えていた。
 信長は短気で、思いつきで喋るようにみえるが、それは違う。
 用意周到である。
 明智光秀の丹波攻めにしても、光秀に命じる前に、丹波の豪族北桑田郡美山の今宮城主川勝継氏に、「丹波に明智光秀を遣わすから、その際は忠勤に励め」と命じている。さらに船井郡園部の穴人城の小畠左馬助にも、事前に光秀の丹波攻略に協力するように書状を送っていた。毛利家相手の中国攻めに関しても、天正五年八月、羽柴秀吉に中国攻めの司令官を命じたが、信長はその二年前の天正三年三月、美作高山城主の草刈三郎左衛門景継に「羽柴筑前守を播州へ差下すから、そのとき協力すれば恩賞は望の如く宛行う」
と、朱印を押した書状を送っている。
 信長は百太夫の情報網を使って全国の豪族を調査して、その者たちの性格や考え、親族、上下関係から土地柄を調べあげていたのだ。特に重点を置いたのはその者たちが持っている不平、不満だった。これは敵方にとって大きな毒であり、爆弾になった。その者たちの目の前に餌をぶら下げ、丁重に誘って味方に引き入れれば戦力が倍になる。早い話が返り忠で敵の陣営を攪乱するのだ。
 
 羽柴秀吉も信長と同じように、敵だけでなく、至る所に忍びを放っていた。
 とくに中国制圧を命じられてからは、あらゆる情報を集め、利用した。
 その情報で得た備前の宇喜多直家はなかなかの人物だった。
 裸一つで宇喜多家を復活させ、備前一国と美作半国を支配した。
「なにしろ合戦に強い」
 戦は勝たなければ、滅び消える。
 秀吉は播磨と但馬を政略すると、備前の梟雄と呼ばれていた宇喜多直家に手を伸ばした。
 このときの調略にしても、相手の宇喜多家も必死になって東の織田家と、西の毛利家の軍事力、経済力に将来性を比べ、どちらと手を組むのがよいか真剣に考えた。
 宇喜多直家は重臣の長船紀伊守、戸川平右衛門、岡平内、花房助兵衛尉を呼び寄せて意見を聞いた。
「織田か毛利か」
「殿、どちらに加担しても命懸けで前線を務めなければなりませんわ」
 毛利に付けば、織田軍の攻撃を受け止めらされる。織田軍に付けば毛利攻略の前線に立たされる。どちらにしろ傷だらけになるし、下手をすれば家が滅ぶ。
「損な役回りしかないのか」
 直家が不機嫌に呟くと、岡平内が、
「同じ損な役目をするなら、人物で決めては如何ー」
「人物じゃとー」
 直家はその意味が分かる。主君で備前半国を支配していた浦上宗景の無能さが想いだされた。宗景は部下を使いこなす力も、将来に備える感覚もなかった。
「羽柴秀吉でござる」
「羽柴秀吉は播磨で苦戦しておるではないか」
 黒田官兵衛が播磨の豪族をまとめて織田家に味方すると聞いていたが、官兵衛の主家小寺家を始め、播磨の豪族たちは陰で毛利家と誼を通じていた。
「そうですが、蜂須賀、前野、竹中半兵衛などは信長の誘いを蹴って秀吉の家来になった者が多くいます」
「天下の信長を嫌って、秀吉の家来になったかー」
「それも秀吉が力もない足軽大将のときにー」
「なにー、足軽の時に家来になったとー」
 驚くより、信じられる話ではない。
 美濃攻略では、美濃の虎と恐れられた鵜沼城の大沢次郎左衛門も、自ら敵の城に乗り込んで説得している。
 直家は考えた。自分が足軽の家来になるとしたら、何を求め、何を見るか。その人間の魅力だが、よほどの魅力がないとー。
 四人の重臣は秀吉の合戦の進め方、占領地の仕置きと降参した敵を殺さず、自軍の武将に採用し、再び能力を発揮させることなどから将来性があると答えた。
「面白い男のようだな」
 この考えは直家の考えと一致した。
「死を覚悟している敵に、負けたと納得させるのは、皆殺しにするよりも難しい」
 直家自身、主君を殺したとか、義理の親を殺したと散々悪口を言われたが、殺さなければ宇喜多家が滅亡していた。
 直家は、宇喜多家の将来を考えると、重臣の推薦する男に会ってみようと思った。
 密かに行動を起した直家は、備前赤坂郡八幡山城で城主明石飛騨守と、敵将蜂須賀小六の手引きで秀吉に会った。
「これは宇喜多どの、よく来て下さった」
 直家は大柄な偉丈夫だった。
 その直家を小さな猿男の秀吉が、直家の手を取るようにして迎えた。
 一瞬、直家はどちらが勝者か忘れた。
 それほど秀吉は、直家を敗軍の将ではなく大切な客として扱った。
 秀吉は人が好きだった。
「実は東と西に挟まれて、困っていたのじゃ。東に三木城の別所がおれば、西は宇喜多どのと毛利家でな。正直に話すと、わしはどうしようか悩んでいたわ」
 この小男は自分の立場の弱さを洗いざらいに喋った。
 羽柴秀吉は小さいが、肝が大きく魅力があった。
 直家は先の読める蜂須賀や前野に、軍師として名のある竹中半兵衛がなぜこの男に懸けたのか、その気持ちが分った。
 直家も、この目の前の小男が醸し出す人間性に懸けてみる気になった。
 宇喜多家の調略が成功すると、秀吉は勇んで安土に駆け付けた。
「備前宇喜多家を調略しました」
 秀吉が猿眼を大きく開いて、得意げに言った。
「宇喜多の持つ備前と美作はどうした」
 信長は逆に目を細めて聞いた。
「はっ、それは宇喜多家に安堵しました」
「なにー、備前と美作半国をただで宇喜多に呉れてやったのかー」
 信長の顔が白く冷たく氷のように固まった。
 やばい、と信長の表情から危険を感じたが、
「はい、それしか宇喜多家を、織田側に引き込む策はありません」
 秀吉は、頭を痛いほど畳に擦り付けたまま答えた。
「わしに一言も相談せずに、四十万石を宇喜多にやっただとー」
 信長は結果で責める。
「申し訳ありません」
「帰れー。帰って毛利を攻め滅ぼせー」 
「はいー」
 秀吉は逃げた。
 この場は早く姿を消さないと、本当に殺される。
 安土城から出ると、待たせていた馬に飛び乗った。そしてそのまま播磨を目指して走った。走りながら、
「やはり、上様はおかしい・・・・・」
 そう思うと、秀吉は悲しかった。
 秀吉が織田家に仕官したころの信長は、冬の朝、裸で飛び出すように全身で寒さに立ち向っていく気迫があった。
「あほうー。それが分からぬか―」
 信長に叱られるのが嬉しく、励みになった。浮浪者同然の秀吉を取り立て、扶持をくれたのも信長だった。信長は秀吉に仕事を与えた。それに応えると、更に大きな任務を任せ、励ました。その度に秀吉は、いつか信長さまの考えに追いつこうと懸命に働いた。
 信長は羽柴秀吉だけでなく、明智光秀、滝川一益等、普代でも一族でも、家の格式のない者を、取り立て仕事をえた。
「結果じゃー。結果を出せ」
 信長は結果を求めた。
 その信長が、天下布武が目前に迫って来てから、おかしくなった。
 絶対的な権力を握ると、何もかも己の意のままにできる。初めは人の目を気にして、遠慮していても、その権力がさらに膨らむにつれ自己主張が激しくなり、他人が無能に見えだす。そうなると反対に、命を賭けてまで意見する者がいなくなる。
 特に信長は何もかも一人で決断し、ひとりでしようとする。一国か二国ならそれができるかも知れないが、数十ケ国の政治を一人でこなすことに無理があるのだ。
 しかし信長は人に任せることができない。
 羽柴軍は三木の別所と、中国の毛利の狭間で溺れていた。
 そのまま播磨で羽柴軍が敗退すると、備前、播磨は毛利軍の傘下に入る。その両国の影響をもろに受ける但馬と丹波も、当然毛利軍に飲みこまれる。
「上様は播磨が毛利家に制圧された場合の危機を考えないのかー」
 その勢いで毛利軍が東に進出すると、三木の別所長冶、摂津の荒木村重、河内の石山本願寺、紀州の門徒たちと一体になり、反織田勢力は長門、周防から但馬、丹波、播磨、摂津、河内、和泉、紀伊まで進出してくる。織田軍は北陸では上杉と対峙していたし、美濃と三河、駿河では甲斐の武田家と対面していたから、圧倒的に織田軍が不利な状況に追い込まれる。
 荒木村重の協力を得た毛利家の重臣吉川元春は、この状況を甲斐の武田勝頼に知らせた。
 喜んだ勝頼は、
「摂津の荒木村重が味方に付いたら信長に勝てる」と即返した。 
 こうなるといかに強気な織田信長も、首の皮一枚の危険な状態に陥る。
 それを救うには、備前の宇喜多家を織田陣内に引き込む以外なかった。
 それなのに信長は怒った。
 秀吉は馬の背中で、昔の信長を思えば思うほど悲しかった。
 播磨に戻った秀吉に、過去を振り返る余裕はない。 
 毛利家との闘いは命懸けになる。
 毛利家の情報を分析する一方で、後ろから目を光らせている信長も気になる。
「上様は鬱病に間違いない」
 秀吉は評定の場で口にした。
「上様が鬱だと言われますのか」
 家来たちが怪訝な顔で聞く。
「強気と弱気が波のようでな」
 信長の家臣は、日によって信長の考えが異なるから、どう接して良いのか分からなくなっていた。
「今までも難しいお方だったが、詳しく説明すれば分かって頂けた」
「それも出来ないと、本当に困りますなぁー」
「間を空ける」
 今までの秀吉は、誰もが怖がる信長の側に積極的に行った。それが距離を取ると言う。 
「殿、最近どこの手か分からぬ者が、紛れ込んでいます」
 蜂須賀正勝と前野将右衛門が同時に報告した。
 秀吉が赤ひげを撫ぜながら、猿眼で聞いた。
「どうせ旅回りの商人か、芸人だろう。ほっとけ」
「播磨の生野銀山周辺にも出没していると、報告がありましたが」
「そっちは困る。と言って殺すと、次が来るしなー」
「もう一つ、先日、今井宗久から硝煙を買っている船がつけられました」
「それも厄介じゃ。で、どうした」
「淡路島で荷を積み替えるとき、入り江に誘い込んで捕まえました」
「誰の手先だったー」
 猿眼が鋭く聞いた。
「口は割りませんでしたので、殺して海に沈めました」
「うーん、硝煙は当分漏れることはあるまいが、生野銀の蓄えが上様に知られると厄介なことになる」
 百太夫の情報組織は手強い。下手に手出しをすると反撃される。そのままにしておくと、何もかも筒抜けにされる。生野銀山の産出量を知られるのは、羽柴軍団の資金源を知られることになる。
「将右衛門、手はないか」
 情報戦には、蜂須賀正勝と前野将右衛門の情報網で対抗するしかない。この将右衛門に銀山の監督を命じると、将右衛門は銀山の開発を人足たちに任せ、賃金を倍にした。
やる気をだした金堀人足たちは銀の生産量を二倍から三倍に伸ばした。その増えた分を秀吉は隠した。
「信長の手先が金足人足に紛れて入っておった」
「どうした」
「人足は身内か縁故者で使っておりますから、余所者はなかなか入れんようにしていたのだがー。うまいこと入り込んだ」
「なぜ分った」
「よく働くし、喋らなんだ」
「目立たんようにしていたのか」
「それが反って怪しかった」
 目立たないのはよいが、荒くれ者の中では反対に目立った。
「上様の目は怖い。怪しい者は殺せ」
 川並衆の蜂須賀小六と前野将右衛門の情報網は全国の博徒たちだ。この博徒たちの団結力は当時、最強だった。人間の持つ義理と人情が金よりも協力を惜しまなかった。
「忍び者に山から入られることはないか」
「それからは各職場を分業制にして、他の現場のことは生野の金堀人足でも分からないように徹底させた。だから銀の産出量を知られることはない」
 前野将右衛門は木曽川で荒くれ者を束ねていたせいか、人足や職人を使うのに長けていた。理由を聞くと、
「ごちゃごちゃ言わず、その者達に任せることだ」と笑って言う。
 大柄で熊のように厳つい将右衛門は、見るだけで相手が怖がる。その顔で人懐こく笑って接するから、初めは警戒していた人足たちも、一度その笑顔につられると一気に心の垣根を外して接してくる。
 実際、職人たちの自主性に任せたのが良かった。特に鉱山などは知らないものが口を出すと余計混乱するだけだ。

 天正九年も残り少なくなると、『信長公記』は
「隣国遠国の大名、小名、御一門の御衆、安土に馳せ集まり、歳暮御祝言として金銀、唐物、御服、御紋織付、御結構大方ならず。我れ劣らじと、門前に市をなし、色々の重宝進上、其の数を知らず・・・・・」
 と、みんなが信長の機嫌伺いに、争って安土詣でをしていたことを記載している。
 そのようなことなら秀吉に勝るものはいない。
「ケチるな、上様は剛毅を好まれる」
 羽柴秀吉は播磨、但馬、因幡の名物を集めると、二十二日、台車数百台を引いて安土城に参上したから、さすがの信長も驚いた。 
 秀吉は信長だけでなく、奥方衆や城詰め者にまで品物を用意していた。
 喜んだ信長は、
「猿は日本一の大気者じゃー」
 と大袈裟に近習に伝えると、秀吉に鳥取城攻略の感状を渡し、褒美に御茶の湯道具十二種御名物を与えた。
 その小袖の一枚が百太夫に渡った。
 百太夫は、その小袖を睨みつけるように見ていた。
 
 甚兵衛は冬の海を見ていた。
 山国で生まれた甚兵衛はゆっくり海を見たことがなかった。
 黒い三角頭を持ち上げて来る波が、ひたひたと信長に押し寄せているように想えた。
 今、明智光秀は丹後に検地に来ていた。
 その光秀を付けてきたのだが、途中から自分も付けられていることに気がついた。同じ者でなかったので、気づくのが遅れたが、入れ替わり監視されていた。
 付きまとっている者が旅の商人だったり、曲芸師の女子だったり、修験者だったり姿を変えていたが、甚兵衛から離れず同じ間隔でつけていた。
 奴等も甚兵衛が柴田勝家の配下だと分かっていても、目的までは知らない。
 独りだと身軽で動きやすい。反面複数に襲われると、ひたすら逃げるしか手はない。
 海を見ている甚兵衛に若い女が近づいてきた。
「寒いのに風流じゃーなぁ」
 甚兵衛を探りに来たのだと分かっていたが、黙っていた。
「宮津にはよく来るのかのう」
 女子が笑って聞いた。
 綺麗な女子だったが、身体はしなやかだった。きっと跳躍力があるのだ。
「・・・・・」
「誰の遣いをしとるのかのぅ―」
 答えないと思ったのか、直接聞いてきた。
「明智光秀の何を探っているのじゃー」
 女子は笑っているが、先ほどよりも若干距離を開けている。
 甚兵衛の反撃に対処できる間をあけたのだ。
「傀儡子か」
「よく知っているなぁー」
 相変わらずとぼけている。
「お前は誰の遣いじゃー」
 もう一度聞いたが、先ほどののんびりした言い方ではなかった。
「無駄な殺し合いはせんー」
「・・・・・」
「銭にならん」
「おっほほほほー、銭にならんかー。それは愉快じゃ」
 女子は甚兵衛の横にくると、冷たい砂の上に座った。そして、
「たまには海をゆっくり見るのも良いなぁー」
 殺気が消えていた。
 甚兵衛もつられるように応じた。
「わしも久しぶりに海を見た。飽きん眺めになにもかも忘れていて見ていたわ」
 甚兵衛も気を外して言うと、女子が小さく笑った。
 その笑い顔が寂しく見えた。
 その後、甚兵衛も女子も黙って海を見ていた。
 四半刻ほど過ぎたとき、
「わしは行くが、良いかー」
「あぁ、行くが良い。今日は戦う気が消えてしまったわ」
 また笑った。
「またな」
「あぁ、もう会いたくないわ。今度会ったらどちらかが死ぬ」
 今度は尖がった声だったが、甚兵衛は女子の育った環境を見たように想った。
 甚兵衛も会いたくないと想いながら、海辺から離れると、宮津の町に入って行った。
 
 天正九年の晦日、
 百太夫は配下の頭領たちを集め、もう一度情報をまとめようと考えた。
「そうか、近習から上様に仕えている長秀の五郎左は除外してもよいか」
「はい」
「三十太夫、柴田勝家はどうじゃ」
「断言できません」
「その理由はー」
「勝家は上様に脅えています。やはり佐久間政盛と林佐渡守の追放が心に残っているのでしょう」
「勝家でも上様に脅えているのかー」
「当然でしょう。上様は結果だけで判断するから、部下はたまらん」
「三十太夫は、上様に厳しいな」
 百太夫が余裕を見せたが、
「儂は、まだまだ上様から反逆する者が増えると想っている」
 優男がはっきり言った。
「それは危険じゃー」
 百太夫は少しでも可能性のある者を探し、備えなければならない。
「次、四十太夫の明智光秀は」
「上様に重要されていますから、忙しすぎて体調を壊しています。身体もですが精神も疲れ切っているように見えます」
「疲れが、抜けないのかー」
「奥方も身体が弱く、交互に医師道三の世話になっています。その合間に読む連歌だけが楽しみのようで、暇があれば仲間を集めて連歌の会を開いています」
「そんな体で連歌会かー」
 百太夫が納得のいかない顔で聞いた。
「はい。最近の光秀は以前のような覇気がありません。それは光秀が合戦に明け暮れる生活に厭き、自由な生活を求めているようにも見えます」
「以外じゃ」
 百太夫は信長が光秀を信頼していることを知っている。
「いや心は正直ですぞ」
 その信長の気持ちが光秀に通じていない。
 これは両者に言えることだ。
「それに光秀は、何か、今の世の中の先を考えているような節があります」
「先の世の中とは」
「万民にとって住みやすい国とは、どんな世の中かー」
「それは上様も考えていることではないか。上様の天下布武は天下静謐のためではないか」
 みんなが百太夫を見た。
「なんだ、わしの考えが間違っているのか」
 百太夫が配下の太夫たちを納得のいかない顔でみた。
 その百太夫に、右腕とも言える五十太夫が、
「親方様の考えが間違っているとは言わんが、わしだけでなく、みんなも想っていることじゃー。この際親方にはっきり言った方が良い気がする」
 五十太夫は、百太夫とともに幼いころから兄弟同然に育った。二人は助け合いながら人形を回して全国を浮浪していた。
「聞こう」
 百太夫が受ける。
「上様の天下布武は、上様が天下人になるための道具にしか想えないのじゃー」
「天下布武が、方便だと言うのかー」
 百太夫はきつい言葉で聞き直したが、
「そうか、上様の唱える天下布武は、他の者たちには方便としか想っていないのか」
「その通り。三十太夫が言うように、配下の武将たちもそう考える者が多くいるのではないかと・・・・・」
「上様は一日も早く、六十六ケ国を統一しょうと考えておられる。悠著に構えていたら、何十年もかかるではないか」
「親方が言われる天下静謐の大切さも、バテレンとの技術格差の是正も重要じゃが、ここで急き過ぎると、織田家内だけでなく、今まで上様が築いたものが、楼上の家のように一見建物は立派に見えても、何かの刺激で瓦解してしまう気がする」
 みんなの目が五十太夫の意見に賛同していた。
「それにみんな、親方と信長様を信じて死に物狂いで働いてきた。信長様が尾張から京に進まれたときは嬉しかった」
「・・・・・」
「しかし、今の信長様は変わった。我らが信じた信長様ではない」
「儂には同じに見えるが‐」
「親方は信長様に側にいるから分からんのじゃー」
 みんなの顔が五十太夫に賛同している。
「そうかー」
 百太夫は初めて信長が敵だけでなく、家来衆の心からも離れている信長を知らされた。
 百太夫は悲しかったが、
「分かった。みんなの考えていることが分かった」
 百太夫は一呼吸外すと、
「だがな、上様がすることを止めることは出来ん。我々は上様を守ることだけを考えるのだ。誰かが反逆するのを事前に防ぐことだ。初めに戻って考える。羽柴秀吉はどうじゃー」
「いま姫路で軍団を整えています。来年早々には備中に攻め込むと思います」
「そうか、滝川一益はどうじゃー」
 一益を監視している六十太夫が応じる。
「一益は浪々の身から上様に取り立てられた恩を感じています。それに来年の甲斐武田攻めを命じられていますから、その準備におわれています」
「では徳川家康はー」
「これは大いにありますぞ」
 七十太夫が膝を前に進めると、溜まっていたものを吐き出すように喋りだした。
「家康は、次は自分が追放される番だと覚悟をしています」
 七十太夫は多くの配下を浜松城下に送り込んでいる。
「甲斐の武田勝頼が滅亡してからになりますがー。理由は毛利家と構える西への進出が目立っておりますが、天下布武は東の制圧も欠かすことはできません」
「六十六ケ国を制圧しなければならん」
「家康は浜松城を何度も拡張して修復しておれば、駿河で地稼ぎをして自力を付けようとしています。さらに北条、伊達らの東の勢力と同盟しょうと盛んに動いています」
「聞くところによると、武田勝頼にも働きかけている噂がある」
 百太夫が言った。
 溺れる者は敵対している者にも働きかける。
「信長に死んで欲しいと一番願っているのは、徳川家康とみています」
「家康は、以前、伊賀者を召し抱えようとしたなー」
 百太夫は、信長から家康のぼっとした顔に騙されるな、と命じられている。
「臭いのは鞆の公方も同じじゃー」
 百太夫の話に、商人姿の八十太夫が応じて喋った。
「信長に都から追い出された足利義昭は盛んに御教書を発行して、各地の豪族に送り、゛打倒信長゛を命じています」
 金も家来もいない義昭は、書で命じるしか策がない。
「公方様は執念深い性格じゃー。死ぬまで上様に祟り、取りついて殺そうとする」
 百太夫も義昭を見張らせているから、動きを掴んでいるが、報告を聞くたびに呆れる。
「公方様が雇った伊賀者はどうなったー」
「彼らの動きは不明のままです。うまく身を隠しています」
「それは伊賀の乱から逃げ延びた伊賀者じゃ。身を隠す技に長けている」
 しかし一人や二人では上様に近づくことも、危めることは出来ん
「堺商人の動きも商売を中心としたもので、上様を殺す理由はありません」
「誰かを巻き込み、焚き付けることもないか」
 百太夫はあらゆる可能性を探る。
「商人は店を守るぐらいの兵しか持っていません」
「そうか。では公家どもは如何じゃー」
「公家はいつの時代も、世の中を幽霊のようにうろついています」
 誰かが笑った。
 幽霊は黙って現れるだけで、邪魔はせん。
「しかし奴らは除外できん。平家でなけれは人であらず、と奢った平家でさえ滅び去ったのに・・・・・」
 公家は古代から刀に頼らず、のらりくらりと生き延びてきた。
「自分たちが生きることに精一杯では、上様を 殺すことはできないでしょう」
「となると、上様を一番殺したいのは徳川家康か」
「それは間違いないと想います」
「よし、徳川家康を徹底して監視するのじゃー。後の者も自分の任務に油断するな。鞆の公方に公家ども、羽柴秀吉、柴田勝家、滝川一益、丹羽五郎左、明智光秀にしても、上様が追放を言い渡すと必ず刃向かう。いつ何が起こるか分からん」
 
 百太夫が配下の頭領たちと対策を練るように、今は廃城になっている観音寺城の山中では、音羽の城戸弥左衛門が配下の伊賀忍びを集め、信長暗殺の策を練っていた。
「大屋戸八助は消えたままか」
「はい、誰一人八助を見た者はいません。八助からの繋ぎもまったく・・・・・」
「細川藤孝に殺されたかー」
「たぶん。宮津城に入ってから繋ぎが途絶えましたからー」
「藤孝がどうして公方の遣いを殺すー」
「それは信長の目が怖いからです」
 滝口村の百地新之丞が答えた。
「次郎八、お前は明智光秀に遣いに行ったが、どうだった」
「帰り、傀儡子に襲われました」
 次郎八が静かに答える。
「信長の手かー」
「間違いなく信長の配下の者でしょう。京で甚兵衛に会いました」
「雲隠れ甚兵衛が、生きているのかー」
 弥左衛門はいつも寝ているような甚兵衛が懐かしかった。
「達者でした。誰かに雇われているようでしたが、敵ではないようです」
「敵ではなければよい」
「今の信長は襲撃すらできん。安土の城も屋根すら上れません」
 信長には竹延太郎と新之丞が交代で張り付いている。
「守りが薄いのはどこじゃー」
「ないな」
 新之丞がはっきり言った。
「信長は隙を見せん。どんどん手の届かない処に入っていく」
 弥左衛門が声を絞りだした。
 信長が奥へ奥へと入っていくのは慎重と言うよりも、何かに恐れている気がする。
 遠くから見張っていて、信長は絶えず何かに脅えているように感じる。そのせいか、警備の兵を増やすだけでなく、陰の忍びに周辺を守らせている。
 その中に年配の優男がいる。六十は越しているようにも、四十に届かないようにも見える。たしか百太夫とか呼ばれていた。
「その百太夫が、信長の忍びを束ねているのか」
「そのように見ています。目立たないように控えておりますが、あの身体と目の配り方は忍び者に間違いないと想います」
 新之丞は、武将でも申し送りを通さないと入れない警備の厳しい安土城にも、自由に出入りしている百太夫を怪しいと睨んだ。笑顔を絶やさない物腰の柔らかい男だ。その男は常に信長の側に控えている。信長が京に上るときも、必ず行列の中に紛れ込んでいた。その百太夫に誰かがそっと接触して、二、三の言葉を交わすと離れていく。新之丞は距離を開けているので、相手には悟られていないと思っていたが、
「甘かった」
 五郎八と同じように襲撃された。何気なく近づいてきた女子が急に舞うように手を広げると、新之丞の首を細い剣で貫こうとした。新之丞は辛うじてよけると、一目散に逃げた。 
 忍び者の本能が戦う不利を知らせたのだ。
 それ以来、信長に近づくこともできない。
「どうする」
 弥左衛門が苦りきった顔で問う。
「織田軍の武将の配下に紛れ込んで、信長に近づくしか道はないのではー」
「信長が信を置く家臣の中に入るのかー」
「そうするしか信長には、近寄れん」
 新之丞の答えに、次郎八が反論した。
「簡単にはいかん。第一、警戒の厳しい武将の配下に紛れ込むことができん。できても下の、その下の足軽がせいぜいで、名のある武将の側にもいけん」
「そのときだけでいい。信長と目通しが適う武将のー、その時だけその武将の警護の家来とすり替わるのだ」
「可能性は低いが、出来るとすれば誰じゃー」
「明智光秀の将兵に紛れ込むのが一番かとー」
「理由は」
「今、京周辺で信長の側にいるのは明智光秀だけです」
「そうだな」
「羽柴秀吉は中国、柴田勝家は北陸。丹羽長秀は堺で四国侵攻の準備をしています。これは滝川一益も同じで、来年の甲斐征伐の情報収集と、その準備をしていますから信長の側にはおりません」
 じっくり考えた城戸弥左衛門は、新之丞の策を採用した。
 一段と警戒を厳しくしている信長を襲うには、それしか方法がないと思った。
「なんとしても光秀の家臣に紛れ込むのじゃー。紛れ込んでいると、いつかどこかで機会がくる。それまでじっと耐え忍ぶのじゃ」
「はっー」
「お前たちだけでなく、信長に恨みを持つ伊賀の生き残りにも命じる。信長の首が狙えるとき、各々の忍び技を存分に使って信長を仕留めるのじゃー。機会は必ずくる。生きて帰ろうとは想うな」


     六 近畿管領 明智光秀の場合

 天正十年正月の『信長公記』は「御出仕の事」の書き出しで、
「正月朔日、隣国の大名・御連枝の御衆、各安土にあり候て、御出仕あり。百々の橋より惣見寺へ御上りなされ、生便敷群衆にて、高山へ積み上げたる築垣を踏みくづし、石と人と一ツになりて、くづれ落ちて、死人もあり。手負は人員を知らず、力持ちの若党どもは、刀を失ひ、迷惑したる者多し」
 山を切り開いて造った城の石垣が、多くの人が乗ったぐらいで崩れることはない。やはり普請奉行丹羽長秀と大工頭領岡部又右衛門を悩ませた無理難題の城だったのだろう。
 信長は懲りない。
 その城内にある惣見寺通りで御礼銭百文を取って、自分を拝ませた。
 五日、明智光秀は安土城で信長への挨拶を終えると、一人、信長に呼び出された。
「光秀、今年はどこから手をつけるのじゃー」
 信長が光秀の考えを聞いた。細い目が心持開いていた。
 こんなときは信長の機嫌が良い。
「まずは甲斐の武田攻めに手を付けるべきと・・・・・」
「それは考えている。その次は」
 信長の本当の問いが始まった。
「武田家の次は、一転して中国の毛利家攻めが良いと考えますがー」
「甘い、光秀ー」
 信長は、誰もが言う真面な意見を嫌う。
「十人に聞いても、十人が甲斐の武田の次は毛利攻めと言うわ」
 皆が考えることは相手に読まれる。
 信長は子供の頃から、人に読まれぬように行動してきた。
「お前がわしの立場ならどこの誰を攻める」
 今日の信長は鋭い。
「浜松の徳川どのですかー」
 言いたくなかったが、信長の気持ちを正直に代弁すると、将来徳川家が邪魔になる。
「しかし徳川どのは、律儀に織田に協力してこられましたが・・・・・」
「家康が協力したのは、己の領地を増やすことができるからじゃー」
「・・・・・」
 信長は光秀を諭すように、
「織田家と同盟したのも、義元のいない今川家と、義元の大軍を破ったこの信長とを比べ、わしの方が強いと判断したからだ」
 生き残るためには強い方に付く。
「それまでの今川家の恩義を忘れ、いとも簡単に乗換えた。見てみろ、今川領はほとんど家康が横取りしているではないか」
 織田軍が畿内で血みどろの戦い繰り広げている間に、家康は合戦らしい戦もせず、今川家の領土をかすめ取っている。
「浜松城を何度も修復と増築を繰り返しているのは何のためだ」
 実際、浜松城は天正六年二月、翌七年は二月と十月、そして前年の九年九月にも修復工事を行っていた。弱体した武田家対策と言うよりも、その時の気分で難癖をつけて刃を向ける織田信長に対しての防御と見るべきだろう。
「それにじゃー」
「・・・・・」
「嫡男信康の詰め腹を、家康はこの信長のせいにして、家中を結束させている」
 天正八年九月十五日、信康は天竜川横の二俣城で切腹した。
 その前の八月三日、家康は信康のいた岡崎城を訪れ、二人は話し合っている。
「これは家康のいる浜松派と、信康のいた岡崎派の権力争いだった」
 信長の情報網に驚くより、怖い。
「その処置について家康の使者酒井忠次がわしに相談にきた」
 光秀は、徳川の使者酒井忠次が安土城に来たのは、軍事同盟の強化についての話だと想っていた。
「わしは家中の争いは親子と言えども、根は早めに潰すのが良い、と言ってやった」
 当時は親子だけでなく、兄弟でも権力争いで殺し合っていた。
「父と子の権力争いは珍しいことではない。甲斐の武田信玄も父親信虎を追放して武田家の頭領になった。その後も嫡子義信を意見の対立から幽閉し、自刃させている」
「武田義信が、父信玄公と対立していたとはー」
「この対立は徳川家の対立と同じで、家中を二分するほど危険な状態だった。しかしその謀反も事前に発覚したから未然に防げたが、息子と言え、敵になることがある。油断した方が消される」
 珍しく信長が饒舌だった。
「わしが家康に不信を抱いたのは、徳姫からの季節の挨拶を、信康への不満の手紙にすり替えよった」
 これを機会にして、信長は徳川家康の性根に危機感を抱いた。
「手紙の中に、夫信康に対する不満が多少書いてあった。しかしな、そんなものはどこにでもある痴話げんかじゃー。わしは捨てておいた」
「・・・・・」
「それを家康と家臣は、篤姫から、わしへの糾弾にして家中の結束を図りだした」
 光秀は初めて聞く話だった。
「それだけではすまず、家康の家来どもは、信康の器量が、わしの嫡男信忠より優れているから、信長は信康を切腹させたなどと、もっともらしく言いよる」
 親子の権力争いで実の子を殺したとは言いにくい。
「家康はわしの性格を利用して、この信長に悪人役を押し付けることで、家中を収めた」
 聞けば聞くほど家康の細い瞼が狸に見えた。
「それに家康はわしよりも武田信玄に憧れておった。信玄が嫡子の義信を幽閉し自害させると、その真似をして信玄と同じような人間になろうと考えた」
 信長が苦々しそうに言った。
「わしが生きているうちは、家康も反抗することはない。しかし、わしが死んだら家康は必ず織田家に対し戦端を開く」
 それはありうる。 
「だからわしが生きているうちに、徳川家を潰さなければならんのじゃ」
 冷血な信長も、我が子信忠が可愛いのだ。
「信忠は真面目に学んでいる。しかし若い」
 確かに家康に負けなくても勝てないだろう。
「もしわしが死んだとき、信忠の若さでは大軍を率いても、家康の老獪さに振り回され、負ける危険がある」
「・・・・・」
「光秀、家康を殺せ」
 
 更に一刻、軍略について意見を交わしたが、光秀は信長の政策に相槌を打つだけだった。会見が終わり、安土城から出ると、深酒したように疲れが全身に回っていた。
重く暗い会見だった。
 光秀は早船で琵琶湖を横切って坂本城に戻った。
 船の上で静かな湖面を眺めていると、一人でいるのが一番落ち着くと、改めて感じた。
 いや最近は、信長といるだけで疲れる。
 坂本城には茶会を開くため山上宗二、津田宗及を招いていた。 
「如何されました」
 光秀の沈んだ顔を見た宗二が聞いた。そして気を遣うように、
「上様はご機嫌麗しゅうございましたか」
 笑いながら尋ねた。
 宗及と宗二は宗薫、今井宗久、千宗易と、正月朔日、安土城に参上して信長に年賀の挨拶をしていたが、近年、信長は日によって機嫌が大きく変るから、その日の状態が気になるのだ。家臣は信長の顔を見て、その日の状態を探りだしてから、話すようになっていた。  
 その診断が医者のようにうまいのが羽柴秀吉で、反対に下手なのが明智光秀だったが、最近は秀吉でさえ、信長の診断が出来なくなっている。
 光秀は宗二が気を遣ったと分かったが、いつものようにすぐ反応できなかった。
 信長の機嫌は良かったが、信長との会見が心の隅に重いしこりになって残っていた。
 まして、
「德川家康を殺せー」
と、命じられたとは言えなかった。
「光秀さまー」
 二度目の声で、現実に帰った。
「ああー、よく来てくれた。今日は上様から頂いた八角釜を使う」
 光秀は天正六年の元旦に信長から頂いた茶釜をかけると、床にも信長拝領の椿絵を掛けた。茶入れも茶碗も名のあるものだったが、主人の光秀がときどき陰のある顔を見せるせいか、新年の茶会も盛り上がりに欠けたまま終わった。

 一月二十一日 羽柴秀吉が、調略した備前宇喜多直家の遺領相続について重臣たちを引き連れて安土城にきた。
 岡平内たち宇喜多家の重臣は信長に脅えていた。
と言うのも、前年七月、越中木船城主石黒左近一族に、゛褒賞をあたえるからー゛と安土に呼びつけておきながら、途中の長浜で斬殺した。
 更に十一日後、越中願海寺城主の寺崎民部左衛門と子息喜六郎を、石黒一族と同じように呼び出し、佐和山城で切腹させている。
 宇喜多家の重臣たちは、昨年死んだ宇喜多直家の遺品吉光の脇差と、黄金千両を用意していたが、信長のいる安土城に入れば、所詮、まな板の鯉である。
 それを羽柴秀吉が上手に信長に仲介した。
「この者どもは、毛利の大軍を相手に一歩も引かずに闘う猛者でございます」
「美作領内でも奮戦していると、聞いておる」
 信長だけでなく、この頃の武将は合戦話が好きだった。
「はい、直家どのに鍛えられた彼らは、毛利家が支配する美作西部に侵入して合戦を挑めば、小早川隆景が率いた一万五千の大軍が、瀬戸内から岡山城に攻め込んできたとき、隆景の陽動作戦にも振り回されず、状況を的確に見定めて、毛利軍を撃破しました」
「聞いておる。辛川表の合戦であろう」 
 信長が身体を乗り出してきた。
「そうでございます。毛利両川の一人隆景は岡山への進軍に合わせ、奇襲部隊を備前と備中の境にある長野から間道を侵攻させたのでございます」
「もっともな作戦じゃー。で、平内、宇喜多はどう対応したのじゃー」
 信長が宇喜多家の重臣に直接声をかけ、聞いた。
「は、はい、わが軍は一部を裂いて長野方面に備え、残りを隆景の主力に合わせました」
 平内が深々と頭を下げて答えるが、合戦の話しになると平内の身体も、自然に前に乗り出していた。
「なるほど、奇襲隊は主力部隊の補助に過ぎん。でー」
 信長のもつ闘争心に、宇喜多家の善戦が絡んだ。
「我が軍は小早川の大軍に突入し、暴れ回って撃退しました」
「見事じゃー」
 信長が上機嫌と見た秀吉も、身体を傾けて続ける。
「その後もでございます。隆景は敗戦を挽回しょうと、翌年も大軍を率いて侵入してきたのです。今度は逆に岡山城の海の玄関にある常山城に総攻撃をかけると見せかけて、直接岡山城を攻めようとしたのです。ところが常山城の城主、戸川平右衛門は、宇喜多本家に援軍を要請するどころかー」
 常山城は児島半島にあって、岡山平野を望む要所である。
 秀吉が平内の横にいた平右衛門を紹介しながら、講談師のように喋る。
それを信長が身体を乗り出して聞く。
「平右衛門は、゛御加勢無用゛と使者を送り、我らより小早川勢の岡山攻撃に備えるようにと、反対に準備をさせたのです」
「戸川、なぜ毛利軍が囮と分かった」
「はー」
 平右衛門の屈んでいた背筋が急に起きて、目がらんらんと輝くと、
「常山城が要所とはいえ、半島の小さな城でございます。毛利軍は攻めると見せかけて、なかなか攻めませんでした。それは違う目的があると推察したのです」
「これも見事じゃー」
 信長は己を犠牲にして、本家、本軍を守る話が好きだった。
 合戦話で気分を良くした信長は、宇喜多家の領土を直家の世継ぎである八郎(後の秀家)に安堵するだけでなく、播州の一部である佐用郡と赤穂郡に、備中の一部まで加えた。
 信長にしては、珍しく寛大な処置だった。
 この仕置きに、一番安心したのは宇喜多家の重臣たちだった。
 安土城に来るまでは、殺されるかもー、と脅えていた。それが正反対になって備前、美作半国の領土が横にも大きく広がった。
 
 中国戦線の羽柴秀吉に対し、北陸でも柴田勝家が上杉家を相手に善戦をしていた。
 柴田勝家は加賀から越中に侵攻すると、上杉方の拠点を一つずつ攻略していった。
 その勝家の陣営に、甚兵衛が訪れた。
 もちろん、手間のかかる申し送りを通すことはない。暗闇に紛れ、誰にも気づかれずに勝家の前に現れた。
「甚兵衛かー」
 勝家は気配がそっと控えていることから、甚兵衛だと分かった。
「はい」
「上方の動きは、如何じゃー」
「安土が賑やかでございます」
「年賀かー」
「はい」
 勝家も、安土城に新年の挨拶に参上したかった。しかし、前年の馬揃えに与力を引き連れて上洛すると、手空きになった越中で上杉軍は反撃にでた。
 上杉景勝は越後から進出すると、越中の要衝小井手城を包囲した。このままではせっかく制圧した越中が上杉軍に奪い返される、と恐れた信長は、勝家、前田利家、佐々成政、不破光冶等を急遽越中に戻した。
 今も上杉方の魚津、松倉城を攻めているとはいえ、一進一退の状態だ。少しでも油断すると押し返される。
「上様の次の標的が分かったかー」
「徳川家康」
 徳川家康は織田家に誠心誠意尽くしてきた。意外だったが、じっくり考えると上様の意図が読めた。
「武田家を滅ぼしてからになります」
「分かっている。上様は信忠様のことを考えておられる」
 甚兵衛との会話は本音だけで喋れる。
「と、なると武田攻めが近いなー」
「はい、春先とー」
「武田家を滅ぼすと、家康は無用になる」
「・・・・・」
 甚兵衛は黙っていた。
 忍びは探り調べるだけで、聞かれない限り、自分の意見を言うことはない。
「明智光秀は、どうしている」
「明智さまは、度々安土城に呼び出されています」
「やはり、上様の話し相手になっているのかー」
「そのようです」
 甚兵衛の声はいつも同じ調子で、物と喋っているような気がする。
「さて上様の武田攻めが、どうなるかー」
  
 天正十年二月三日、信長は甲斐武田攻めを発令した。
 先鋒は嫡男の三位中将信忠である。
 二月二十二日、武田家攻略を命じられた信忠が、美濃、尾張の大軍を率いて岐阜を発った。信長が安土城でどっしり構えていても、織田軍の猛威が武田軍を震撼させ、武田家配下の武将たちの間に浸透していった。その重圧に堪えきれなくなった滝沢城(下伊那郡平谷)が戦いもせずに開城すると、信濃松尾城主小笠原信嶺も信忠に投降した。飯田城の坂西織部と保科正直は敗走する。
 三月五日、信長は明智光秀、筒井順慶、長岡忠興等を引き連れ、安土城を出発すると、甲斐を目指した。この信長の軍に合戦かぶれの公家近衛前久が家人を引き連れて、まるで武将のように胸を張って加わっていた。
 大軍が地ならしした後である。
 余裕綽々の信長は、敵のいない伊那路の山河を愛でながら進んだ。
 
 一方、駿河口から侵入した徳川家康は、二月二十二日、家臣を江尻城に遣わし、内応していた城主穴山梅雪を武田家攻略の先陣に加えた。この江尻城が徳川の手に墜ちると、周辺の久能山城、清水城も徳川の軍門に下った。
 こうも簡単に武田の城が次々に陥落すると、武田勝頼も防ぐ手立てがなかった。
 追い詰められた勝頼は新府の城を捨て、小山田信茂を頼ったが、信茂にも裏切られ、
 三月十一日、見知らぬ山中で腹を切って果てた。
 
 三月十五日、姫路城で武田家滅亡を聞いた羽柴秀吉は、播磨、但馬、因幡の兵二万五千を率いると、養子に貰った信長の四男於次丸を大将に、ゆっくり備中を目指して発った。
 翌十六日 備前福岡に入った。
 十九日、岡山の手前の沼城に入ると動かなかった。沼城から宇喜多家の岡山城まで半日の距離だ。宇喜多家の重臣たちの信頼を得ているのに秀吉は動かなかった。
 宇喜多家全員が秀吉に加担しているのではない。戦国の世だ。毛利家に誼を通じている者もいる。秀吉は徹底して安全が確保されるまで動かなかった。そしてやっと、
 四月四日、岡山城に入った。
 この秀吉の行為は宇喜多家にも圧力をかけた。
 宇喜多家は秀吉の信頼を取り戻そうと、備中で死に物狂いの奮戦することになった。
 
 信長は二十三日、勝頼を追い詰めた滝川一益に上野及び信濃の二郡を与えると、関東管領に任命した。二十九日、信長は残りの武田領を功績のあった武将に分け与えた。甲斐は河尻秀隆、駿河は徳川家康、信濃の高井、水内、更科、埴科四郡は森長可、美濃岩村城は團景春、金山城は森長定と分配した。
 甲斐武田家を鎧袖一触に滅亡させた、織田信長の実力を再確認した小田原の北条氏政はしきりに貢物を届けて来る。信長は北条氏政が武田討伐に姿勢を見せただけで、積極的に協力しなかったことを知っている。信長は北条家も滅亡させると決意すると、氏政が送ってきた馬十三頭と鷹三羽を突き返した。
 
 四月三日、武田の残党を猟犬のように探す信忠は、近江で父信長の上洛を妨害した六角承禎の子六角次郎と、足利義昭の側近を匿った恵林寺を包囲した。
「脅しで言っているのではない」
 織田軍の使者は残党の引き渡しを迫った。
「何度言われても、当山に救いを求めてきた者を渡すことはできん」
「断っておくが、渡さなければ、寺諸共焼き払う」
 恵林寺は武田家の菩提寺であり、長老の快川和尚は織田軍の三度の引き渡し要求を拒否すると、
「一寺滅ぶとも、一度保護した者は渡さん」
 凛として撥ね返すと、密かに逃がした。
 快川は前年正親町天皇より大通智勝国師の号を与えられた臨済の禅僧だった。天皇から国師の号を頂いた僧に対し、乱暴者の織田信長だろうと礼節を重んじると考えていたのか、信長を知らなさすぎた。織田軍は快川和尚をはじめ寺中の老若百五十人余りを山門に閉じ込めると、周りに藁を積み上げ焼き殺した。
 その火を明智光秀が見ていた。
 炎が柱を舐めるように上っていく。
 元亀二年の比叡山延暦寺を炎上させたのと同じ炎だった。
 勢いを得た炎が、ゲラゲラ笑っているように思えた。
 炎に包まれていた山門が、音を立てて崩れた。炎が一層大きく吠えた。
 光秀の迷いが更に大きくなった。
 
 十日、甲府を出発した信長は、徳川家康の待つ浜松に向かった。
 その信長を百太夫が止めた。
「浜松は危険です」
 浜松の家康も、武田の次に成敗されるのは徳川家ではないかー。と悟っている。
「だから面白い」
 信長は武田攻めで、信忠の統制力を試した。高遠城攻めで自ら堀際まで攻め込む無茶をしたが、それ以外は及第点だった。信忠の指揮官としての能力を評価すると、梨地蒔絵の腰刀を与えた。信長の後は、信忠が引き継ぐと判断すると、より大胆になった。
「行くのなら、信忠さま以下大軍を率いて行って下さい」
 百太夫は、徳川配下の忍びたちが待ち構えていることを知っている。
「家康の心試しよ」
 用心深い信長にしては考えられないことだ。
 近年、信長は周りに敵がいないと分かっているのか、それとも自分に刃を向ける者がいないと信じているのか、無茶をする。
 百太夫の忠告を無視して、信長は供回りだけを連れて徳川の本拠地、浜松城に向かった。
 百太夫は信長を守るため、陰の警護に集められるだけの忍び、傀儡子を動員したが、手配する時間がなかった。それでも熟練の忍び技をもつ者百四、五十人が陰で信長の前後を囲んだが、数千の軍勢に襲われたら防ぎようがない。
 
 当の浜松城では信長の接待に追われる一方で、
「殿、信長をー」
「うーん」
 家康は家臣が何を言うか分かっていたが、自分から言いたくなかったのでとぼけた。
「殿、上様を思い切って殺すべきです」
 酒井忠次、石川数正、榊原康政、本多忠勝、大久保忠世、鳥井元忠等重臣が、口を揃えて家康に献策した。
「殺して、どうなる」
 家康が、細い目で聞き直した。
(信長を一番殺したいのは、わしだー)
と心の中で叫んでいたが、口には出さず、顔だけ忠次に向けた。
「いま信長どのを殺さなければ、徳川家が反対に潰されますぞー」
「信長を殺しても、織田軍には勝てぬ」
 家康が爪を噛むと、のぶなが、と呼び捨てた。
 家康が一番、信長の心中を見抜いているのだ。 
「信長一人は殺せるかもしれん。だが、信長一人を殺しても徳川の天下にはならん。今、信長を殺せば、信忠が率いる数十万の軍勢が、信長の敵討ちと、徳川に戦意を剥き出しにして襲い掛かってくる。浅井、朝倉家に荒木村重や恵林寺の二の舞になるだけじゃ。一族の女子、子供までが根こそぎ虐殺されるー」
「・・・・・」
「徳川の将来を考えると、今、上様さまを殺すことは、自分で自分たちの首を絞めることになる。今は笑って歯を噛め。噛んで信長さまを迎えるのじゃ。銭はいる。銭はいっても信長さまの接待には惜しんではならん」
 信長が、信長さまに戻った。
 家康は、銭は惜しむな、と大口をたたいたが、実際に想像すると、あそこにもここにも橋を架け、山を崩し、道を広げなければならない。その上、休憩する建物も新築する。泊まるとなれば贅を尽くした建物になる。信長だけではない。何十人分の宿泊施設がいる。  
 それもたった一回使うだけで、何年分かの貯えが消えると考えると、悔しかった。
 爪を噛む回数が増えていた。
 
 信長は家康が誠心を込めて整備し、新築した休憩所で休みながら、道中を楽しんだ。
「この橋も真っ新ではないか、三河殿は富貴な男じゃわ」
 信長は、自分のために銭を惜しみなく使った家康の接待にご機嫌だった。
 四月十六日、信長は更に大胆になる。浜松に着くと、お小姓衆とお馬廻り衆の全員を帰国させた。残った少人数の弓衆と鉄砲衆だけが、信長を警護することになった。
 この処置に百太夫が苦りきっていた。
 信長は百太夫よりも、当惑する家康に挑戦しているように見えた。
「殺すなら、殺せ」と。
 信長の心境が分かっているだけに、家康は耐えた。
が酒井忠次は、大久保忠世に、
「浜松城に入ったら、わし等だけで、信長を襲おう」
と持ちかけたが、
「殿が言われたように、信長一人を殺して、徳川の一族が根こそぎ焼き殺され、女子供が串裂きにされる」
と諌止されると、反論できなかった。
 ここでは信長が行った数々の大虐殺が、効果を発揮し抑止力になっていた。 

 家康の歓迎に、喜んだ信長は、
「今度はわしが、浜松どのを安土に招待する」
と誘った。信長に誘われたら断ることはできない。
 徳川家の行く末を悩み、信長を殺そうと献策した酒井忠次は、もっと悩むことになった。
 攻める立場が、守る立場になった。
 家康も少人数で安土にいくしかない。
 死に行くようなものだ。
 忠次は、浜松に少人数で入った信長の意図が読めた。
「これは織田と徳川の合戦だ」
 心の死闘が始まっているのだ。
 家康を交えた会議が行われた。
「安土に行くことは、まず殺されると考えて行動することだ」
「しかし、信長さまの誘いを断ることはできない。裸で乗り込むしかない」
「その裸のお方様をどう守るか、それじゃー」
 忠次は、信長の手の中に入れば、守りようがないと知っていた。信長が手で払うだけで、家康の命は蝋燭の火を消すようにきえる。
 道中での襲撃は相手の人数にもよるが、なんとか防ぐとして、問題は安土城内での守りになる。安土城内で殺そうとすると、一番に考えられるのは料理に毒を盛ることだ。
 それ以外は闇討ちになる。
「なるようにしかならん」
 家康が目を細めたまま言った。
「それに駿河一国を賜った御礼かたがた、上方を見物するのも一興ではないか」
 当の家康は割り切っていたが、貧乏ゆすりが激しくなっていた。
「影武者を使ってみるか」
「愚かなことを言うな」
 忠次は信長の恐ろしい嗅覚を見ている。
「殿は何回も信長と直に会って話をしている。猜疑心の強い信長を騙せる訳がない」
「なら、毒味はできるか」
「信長の前で、出されたものを隣から毒味などできるかー」
 家康が爪を噛みながら、吐き捨てるように言う。
「しかし、一番考えられるのは、毒ですぞ」
「分かっておるわ。わしは、信長の前では毒味は出来ん、と言うておるのじゃー」
 また、信長と呼び捨てだした。家康の苦々しい心境が分かる。
「賄い方に忍びを侵入させ、毒を盛られないよいにすることじゃ」
「それしか、対策はない」
 酒井忠次は伊賀出身の服部半蔵を呼び出すと、料理のできる忍びを数人、安土城に潜入させた。そして家康の警護をする者には、解毒剤を渡し、素早く服用できるように指示をだした。

 浜松で至り尽くせりの歓迎を受けた信長は、帰国の道中でも配下の武将たちに大歓迎された。美濃では稲葉一鉄が御座船を飾って待っていた。垂井では織田勝長が屋形を建て、酒肴を用意していたし、関ヶ原では不破直光が休憩所を新築して、酒肴の接待をすれば、柏原では菅屋長頼、佐和山では丹羽長秀、彦根の山崎では山崎秀家が競うようにして、信長を迎えた。
 独裁者信長は、予想以上に拡大している己の権力に満足すると、自分を人間以上の存在に想えた。

 四月二十一日、信長は安土に凱旋した。
 ここでも五畿内から駆け参じて来た者が、大袈裟に祝いの言葉を贈る。
 信長は適当にあしらうと、すぐに信孝に四国攻めの準備を命じた。
 続いて信長は、家康の接待係に明智光秀を任命した。
「家康が重臣どもを引き連れ、安土にくる」
「・・・・・」
「光秀、お前が接待係りを務めるのじゃ。甲斐攻めでは家康と接触できなかったが、今度はこの安土じゃー。どこかで隙をみて殺せ。方法は任せる」
「・・・・・」
「それにもう一人、北条氏政も目障りな男じゃ。」
 信長は敵を嗅ぎ分ける本能が備わっている。
「北条氏政の使者が何度も安土にきていましたがー」
「奴は、わしの様子を探りに来るだけで、心から織田の先陣を駆ける気持ちはない。名門の血が騒ぐのか、人の下に入ることが耐えられんのじゃー」
「北条早雲の血ですか」
「かも知れん。それに固執するようでは先が知れている」
「・・・・・」
「わしは人を信用しなかったが、人に信用して欲しいとも思わなかった」
 信長は孤高だ。
「家康は五月十五日、安土城に入る」
「五月十五日ですか」
 どうであれ、対策を煉らねばならない。
「安土には数日滞在する。その後も京、堺を見物する予定じゃー」
 いつも命じるだけだ。
「家康の好物は鯛じゃー」
 急に話が飛んだ。
「上方の豪華な料理で驚かせてやれ。その後どんな方法でもよい家康を殺せ」
 再度、信長は光秀に厳命した。
「必ずー」
と頭を下げて聞いたが、自分のどこかが狂い始めているように思えた。
 近年、したいことが出来ず、したくないことばかりさせられている気がする。これでは武将になった意味も、人間としての喜びもない。
 いやいや上様の家来は、黙って行動すれば良いのだ。考えると悩みが大きくなる。
 ただ家康を殺すにしても、毒殺や闇討ちはしたくなかった。
 野戦に強いと聞いている。
 光秀の武人の血が騒ぐのか、なら野戦で戦って勝ちたかった。

 二十三日、信長の帰国を待っていたかのように、朝廷からの使者庭田重保、甘露寺経元、白川雅朝が安土城にきた。
「おめでとうございますー」
 武田家討伐の戦勝祝いが口実だったが、暗に官位推任を仄めかした。
 太政大臣、関白、征夷大将軍のどれかを与える、と勿体付けてほざいた。
「官位を貰うとどうなる」
 わざと信長は聞いた。
「それはそれは最高の地位になりあそばしまするー」
「最高の地位に着くと、空が飛べるのか」
「いやいや、それはそれはー」
「なら空手形で、なんの意味もないではないか」 
 今の信長には敵を圧倒する力と、理に適う現実だけでよい。

 武田家討伐が終わると、時期を計っていたように、中国の羽柴秀吉から援軍要請が連日届いた。備中に攻め込んだ秀吉は、毛利軍の防衛線である備中高松城を中心に、南北に七つの城を数珠つなぎにした敵方の城に攻撃をかけている。
 宮路山城、冠山城、加茂城、日畑城、亀山城を攻略した羽柴軍は、高松城を囲むと実際に泥沼に足を入れた。足だけでなく、身体が腰下まで飲み込まれると、強硬策を諦めた。
 地元の地頭に聞くと、
「足守川は当今川幅十間余りだが、出水時は川幅が三倍、四倍になります」
 それを聞いた秀吉と蜂須賀、前野は、
「敵が水を防御に使っているのなら、儂らは水を攻撃に使うかー」
「まもなく梅雨に入る」
 大河木曽川で育ち、そこで商売をしていた川並衆は水の性格を知り尽くしている。
 川は水の量で表情を変える。
「水が難儀なら、逆に水を入れ溜めるのじゃー」
 泥沼地獄に嵌るのをさけると、木曽川で知った水の性質を読んで土手を築いた。
 水は流れを失うと、直ぐに溜まる。
 秀吉は実行に移すと、足守川を堰止め高松城を水攻めにした。
 何度も清水宗治から援軍要請を受けていた小早川隆景は、毛利家当主の輝元に、水攻めにされ反撃したくてもできない宗治の苦しい現状を報告した。
 高松城の防衛線が破られると、備後に侵入され、毛利本国に織田の手が迫る。
 羽柴軍の攻勢を撥ね返したい毛利軍は、全軍で反撃にでた。
 毛利輝元が一万を率いて備中に入れば、山陰から吉川元春が一万数千を率いて岩崎山に陣を構えた。二万の大軍を率いた小早川隆景は日差山に着陣すると三方から羽柴軍を睨んだ。
 敵の城を攻めている最中に、大軍相手の合戦はできない。
 秀吉は慌てて信長本人の出陣を要請した。

 五月三日、朝廷は再び使者を安土に派遣した。
 今度は伝奏の勧修寺晴豊と、二人の女官、上臈の局と大御乳人だった。
 朝廷はあの手この手で信長の心を探る。
「帰せー」
「それが上様に会うまで、帰らぬと居座っております」
 仕方なく会見に応じた信長は、用件だけ聞くと、手配した船に三人を乗せた。見た目には丁重に送り届けたようだが、実際は目障りな三人を送り返したのだ。
 それに石や木や金の彫像に神や仏が宿るのなら、
(この信長が神を作ってやる)
 信長は「ぼんさん」と名付けたすわり心地の良い石ころを神の遣いに見立てた。
 朝廷が理の通らない格式にこだわるのなら、信長も石ころで神を作る。
 信長は、神に見立てた石を摠見寺に設置すると、民衆に拝ませた。

 五月十三日、岡崎城を発った徳川家康は、十四日、近江の番場宿に到着し、丹羽長秀の歓迎を受けた。
 この家康に随行したのは穴山梅雪と酒井忠次、石川数正、鳥居元忠、本多忠勝、榊原康政はじめとする重臣と旗本に小姓たちだった。
 そして翌日の十五日八ツ半(午後三時) 家康一行は安土の大宝院に入った。
 玄関に明智光秀が待っていた。
 二人が堅苦しい挨拶をするのを、林の中から甚兵衛が見ていた。
 同時に甚兵衛は、光秀と家康に多くの視線が注がれているのを感じていた。
 恐らく家康を陰から守る伊賀忍びたちだが、信長の御膝下の安土では、家康に身の危険が迫らない限り手は出さないと考えると、光秀と家康を追って忍んでいた。
 甚兵衛は光秀と家康を警備する、明智家の警備兵の中に見覚えのある顔を見つけた。
「柳瀬の次郎八」
 その次郎八から二人離れた警備兵の顔も知っている。
「伊賀者・・・・・」
 名前は知らないが、顔は伊賀で何度か見ている。
 甚兵衛は、この様子では何人かの伊賀者が明智軍に入り込んでいると想った。
 次郎八は明智家の番人に紛れ込んで、織田信長に接触する機会を待っているのだ。
 信長に近づいた瞬間、鍛錬した最高の忍び技を発揮して信長を襲う。
 もちろん逃げる考えはない。己の命と引き換えに信長を殺せばよい。
「まてー」
 甚兵衛は大宝院の玄関横に控えている待女にも見覚えがあった。
「傀儡子」
 丹後の海岸で近づいてきた傀儡子だ。
 家康と光秀を巻き込んで、何かが起ころうとしている。
「先ほど備中より急使が参り、上様は応対されております」
 光秀が腰を屈めて謝意を表す。
「今夜の宴席は出られぬが、徳川様にはくれぐれも宜しくお伝えするように受け賜っております」
「宴席よりも戦場大事は我ら武士の信条。家康、気にはしておりません」
「徳川さまのお気持ち、上様にお伝えします」
 光秀は家康の人格を探りながら、言上する。
「明日か、明後日には上様にお会いできます」
 いつも眠っているような目が、気味悪く光っている。
「それに我ら三河の田舎者は、華やかな上方の雰囲気に慣れるのに数日かかりますゆえ、丁度間が入って助かります。気になさらないでください」
 家康は慎重に言葉を選んで、のんびり応じていたが隙はなかった。
 光秀が家康を案内すると、大宝院の中に消えた。
 その後に徳川の重臣たちが、周囲に目を配りながら続いて入っていった。
 中は光秀が手配りして京都、奈良、堺より集めた珍貴な調度品が並び、織田家が徳川家を頼みにしていることを十分に窺がわせるものであった。本膳はたこ、家康の好きな鯛の焼き物、菜汁、なます、香の物、鮒のすし、ご飯、うるかで飾れていた。その左右に二膳と三膳、二膳の前に与膳、三膳の前に五膳、この間にデザートであるお菓子が置かれる豪華な料理が並んでいた。
「これはまた目の覚めるようなものばかりで・・・・・。我ら三河の田舎者には眩しすぎます」
 家康が ゛田舎者゛を何度も使って大袈裟に反応する。
「何を言われます。上様より粗相があってはならんと、厳しく命じられております」
 光秀が丁重に返した。
 返しながら光秀の心は複雑だった。戦場でなら心を鬼にも変えることができるが、このような接客の場で家康を殺すことに戸惑いがあった。それに、光秀の一挙一動に家康の家臣が粘りつくような目で食らいついていた。
 徳川の重臣どもは、信長の心を知っているのだ。
(―――ここでは、家康を殺せん)
 この者ども以外に、陰にも家康を守る者がいる。
 饗宴は丁寧な言葉の応酬で、一見華やかに流れたが、漂う空気は張りつめていた。
 上座に並んだ家康と元関白の古狸近衛前久が言葉を交わす。
 その二人に光秀が酒を注ぎ、料理を薦める。
 家康の料理を配膳したのは若い女子、傀儡子だった。
 女傀儡子は百太夫から家康の毒殺を命じられていた。
 百太夫は信長の代役である。
 光秀の律儀な性格は毒殺には不向きと考えた百太夫は、傀儡子の黒百合を安土城に呼び寄せると、家康接客の待女に忍び込ませた。
 黒百合は配膳室で、数名背中に目のある者がいるのを感じると、その部屋で毒を盛るのを止めた。忍びは前を向いていても、身体全体に目がある。
 用心した黒百合は、家康の料理を運ぶ途中、廊下の角を曲がるなり、そっと口から毒を吐くと、鮒ずしに混ぜた。
 鮒ずしは琵琶湖の名物料理である。独特の触感があり酸味と臭味がきついので、初めて食べる者は毒に気が付くことはない。それに気が付いたときには毒が身体の内部に入り、手遅れである。
 家康は目の前の料理を順に見た後、鮒ずしに目を向けた。
 それを察した光秀が、
「これは鮒ずしと申しまして、琵琶湖で獲れたニゴロ鮒を塩漬けにして、飯と交互に漬け自然発酵させたこの地の名物でございましてー」
「これが鮒ずしかー、一度は食べてみたいと願っていたわ」
 家康は味の薄い料理よりも、田舎味のするものが好きだった。
「おおー、なんともいえん酸味じゃー」
 鼻で匂いを嗅いだ家康が口に入れようとしたとき、
 酒井忠次が、家康に声を掛けた。
「殿、鮒ずしは口の中でも匂いが広がりますぞー」
 その言葉に家康の箸が止まった。
「上方の料理は美味しいと評判じゃー。今夜は大いに頂きまする」
 家康は喜んで言ったが、その後、一切鮒ずしには手を付けなかった。
 服部半蔵は侵入させていた忍びから、家康の鮒ずしに若い女子が何かを入れたと聞いていた。それを家康の近くにいる酒井忠次に伝えていた。
 宴は夜中に御開きになったが、この頃の歓迎の御座は長かった。途中で引き出物を交換したりして、翌日まで続くこともあった。
 
 宴の後、光秀は信長から呼び出された。
「光秀、出陣じゃー」
「出陣とは」
「猿が呼んでおる。中国で毛利と合戦が始まったわ」
「徳川どの接待役はー」
「後は長谷川の竹に接待をさせる」
 長谷川秀一、古くから信長に仕える男だ。
「安土で能や舞を見せ誰かに殺させる。お前は坂本に帰り、中国に向かう軍勢の手配をせいー」
「備中高松城ですか」
 光秀は浮いているようで、信長の命令が素直に入らない。
「毛利全軍が出てきた以上、全面対決になる」
 中国に派遣される理由は分かるが、心が受け入れられない。
 毛利家は武田家のような冬に向かう柿ではない。
 一族の結束が固い。今も高松城が水攻めにされていても、城主の清水宗治は毛利家に忠義を尽くし、降参勧告を拒否して立て籠もっている。
「せっかく備中まで攻め込んで、撥ね返えされたのでは毛利に勢いを与える」
「かしこまりました」
 頭を下げて答えたが、自分の心ではない。
「光秀は池田恒興、高山右近、中川清秀、長岡忠興らを率いて中国に出陣して、猿と合力して毛利を攻め滅ぼすのじゃ」
「はいー」
 信長の命令に逆らうことは勿論、異議を唱えることもできない。
 しかし光秀は何もかもが中途半端に終わっていたせいか、すっきりしなかった。
 武田攻めも終わった後を見て回っただけだったし、今回の接待係りも、走り回って準備だけをさせられた。いざ本番が始まると他の者に譲らされた。
 信長が部下の心を考えないのは、今に始まったことではない。
 五月十七日、光秀は安土を早々に発つと、坂本城に帰った。
 坂本で備中に向ける軍勢の手配をすると、改めて信長に漕ぎ使われる自分を見つめ直していた。
 自分は信長の手のひらで踊らされているだけではないのか。
 恵林寺の笑う炎を思い出した。
 それは信長の意のままに動く、光秀の不甲斐ない姿を笑ったのではないのか。
 どこかで狂い、大きく外れて行く気がする。
 いや、光秀は狂っていない。狂っているのは上様だ。
 恵林寺の炎は光秀を笑ったのではない。信長の所業を笑ったのだ。
 こんな笑う炎は見たくない。
 光秀は初めて信長が鬼に想えた。
 上様さえいなければ・・・・・。
 そう考えると不思議なことに、何もかもがすっきり割り切れた。
 光秀は坂本城の一室で、普段考えもしない発想を楽しんでいた。
(信長さえいなければ・・・・・・)
 考えるのは自由だ。誰も止めることはできない。
 光秀は、さらに発想を進めると、具体的に考えてみた。
 信長を殺せるかー。
 信長と近習だけなら、大軍で襲えば簡単に殺せる。
(殺せないとすると、誰が邪魔をするのか・・・・・)
  少数の近習たちではない。
 他の武将たちだ。それは誰かー。
(それは・・・・・。いない、ではないかー)
  一の家老、柴田勝家は越中で上杉と対峙している。二の家老の丹羽長秀は堺で四国攻めの船を手配している。滝川一益は関東で地固めをしている。羽柴秀吉は備中で毛利と睨みあっている。嫡男の信忠はいま安土にいるが、大軍を率いてはいない。二男の信雄は伊勢松ケ島(三重の松阪市)にいるし、三男信孝は丹羽長秀と四国征伐の準備に追われている。
(信長を守る軍勢はいない)
 光秀自身、信じられなかった。信長は慢心しているのだ。
 光秀は想像を進めた。
(本能寺は小さな寺だ)
 堀の幅は三間ほどあるが浅い。大軍で襲撃すれは、一刻も持たない寺だ。
 光秀は愉しかった。
 久しぶりに腕を思いきり広げ、琵琶湖の空を飛び回っている気がした。
(織田信長を弑虐する計画がこんなに愉しいとは・・・・・)
 なら、本当に信長を殺せたらどんなに愉快なことかー
 それを考えると、
 又、本当に信長が殺せるのかー、に戻った。
 本能寺に入ったら殺せるが、反対に本能寺以外は殺せないと分かった。
 最近の信長は大胆と言うか、無防備だ。
 きっと本能寺も少人数で入る。
 問題は陰で信長を守る情報網だ。
 この情報網は怖い。徳川家の内部でさえ、徳川家の家臣たちよりも知っている。
 それは織田家の家臣たちの中にも、信長の情報網が蜘蛛の巣のように張り巡らされているのだ。その情報網に佐久間右衛門と林佐渡守が絡め取られた。
(隠密にことが運べるかー)
 それに対抗するには、この光秀も信長の周辺を徹底して探り、先手に回ることだ。
 光秀は備中に派遣する忍び集団を安土城に送ると、信長の動きを逐一知らせるように命じた。
 迷う光秀を、吉田兼和が訪ねてきた。
 兼和は御所にも安土城にも、京都奉行所にも、この坂本城にも気軽に顔を出す。
「いよいよ備中出陣ですか」
 相変わらず耳が早い。
「毛利家全軍が高松城に出てきた」
 光秀が真面目に応対すると、
「上様も備中に行かれるのですか」
「後から来られると、聞いている」
「京都は物騒ですな」
「物騒とはー」
「織田軍がいないと、夜盗に荒らされますがなー」
 光秀は、兼和を睨むと、
「織田軍がいないとは、どういうことだ」
「京都奉行の村井さまが悩んでおられました。上様が上洛されるのに、京を守る織田の武将が誰もいないとー」
「・・・・・」
「村井さまの話では、上様は二十九日に上洛して本能寺に入られるのに、京には織田軍がいなくて物騒だと嘆いておられましたな」
「上様は二十九日に上洛されるのかー」
「村井さまから、そのように聞いております」
(兼和の心が読めんー)
「私たちは上様を山科まで迎えに出るつもりで準備しています」
「二十九日にかー」
 光秀は慎重に、確かめる。
「そのつもりです」
「ご苦労なことだ。もし上様が上洛されるなら教えて欲しい」
 光秀ははっきりした時間が知りたかった。
「畏まりました。上様が本能寺に入られましたらお知らせします」
 兼和は平然と言ったが、意味ありの言葉だった。
 光秀は上洛の日を聞いただけなのに、兼和は
゛本能寺に入ったら知らせる゛と言った。
 それは信長が本当に本能寺に入るのか、入らないのかを気にしている光秀の心に誘いかける言葉でもあった。
 吉田兼和の日記、後日の名前兼見から『兼見卿記』は日々の出来事を詳しく記録されているのに、なぜかこの十七日から二十日までの四日間だけが空白になっている。
 
 その後、光秀は娘婿で丹波福知山城主の弥平次を呼びだすと、
「この先の上様が怖い」
と投げかけた。
 弥平次は、一瞬光秀の目を覗き込むと、
「怖いとはー」
「弱気と強気が交互に現れる」
「噂は耳に入っております」
 弥平次も信長の激しすぎる喜怒哀楽が気になっていた。
「いつまでも上様の気ままに振り回される己が嫌になった」
 危険な言葉だった。
「・・・・・」
 弥平次は応えなかった。
「近年、上様は理に合わぬ無理難題を押し付けられる」
「二、三年以内に六十六ケ国が上様の配下に入ります」
「それが怖い」
「怖いー」
 弥平次には意外だった。
「ああ怖い。上様の気持ちひとつで、この国が振り回されるのが怖い」
「・・・・・」
「甲斐の恵林寺で笑う炎を見た」
「笑う炎ですか・・・・・」
「人を焼く炎が、人間の所業を笑った」
 光秀が信長の話を聞きたくないように、弥平次も迷う光秀の話を聞きたくなかった。 
(殿が迷っている)
 迷いから直ぐに這い出せばよいが、性格が誠実なだけにより深く潜り込んで、自分で自分を動けなくする危険がある。
「もう考えないことです。過ぎたことは忘れ、明智家の為にも前を向いて下さい」
「考えるなと、言うのかー」
 光秀にはできないことだ。
「はい、このまま上様に従い、殿の力で理想の国を作って下さい」
「理想の国を、なー」
 それには信長が邪魔になる。
「毛利家を倒し、そのまま九州に攻め込むのです」
「そうだな」
 光秀が小さく笑って答えたが、弥平次はまだ迷いから抜け切れていないと感じると話題を変えた。
「ところで、斉藤利三殿の話を聞かれましたか」
「利三がどうした」
 光秀が怪訝な顔を向けた。
「稲葉一徹どのの家臣に戻す話です」
「その話は終わっている。上様に説明して、利三は返さんとはっきり言った」
「はい、その答えを稲葉どのが納得せず、再度上様に迫ったのです」
 斉藤内蔵助利三は美濃の人で稲葉家に仕えていた。元亀元年近江守山で稲葉軍と一揆勢とが戦った時、利三たちは奮戦して一揆勢の頸千二百余りを獲った。これに喜んだ織田信長は稲葉親子に感状を与えたが、稲葉一徹、貞通父子は、利三と、ともに大活躍した那波直治に報いなかった。
 利三と直治は稲葉家を見切ると、家臣を丁重に扱う明智家に奉公した。
 織田家が勢力を伸ばすと、家臣たちも大きく膨らみ、有能な家来が必要になる。
 稲葉家は有能な斉藤利三と那波直治を返すように光秀に嘆願した。
 光秀は、稲葉家の要請を二人に尋ねた。
 二人は即座に拒否した。
 その答えを稲葉家に伝えると、稲葉家は納得せず信長に訴えた。
 信長も光秀に尋ね、光秀が二人の気持ちを伝え了解を得ていた。
 その処置に稲葉家が収まらず、またまた信長に泣きついた。
「噂では上様は堀さまに、二人を稲葉家に返すように言われたと聞いております」
 堀久太郎は信長の信頼する側近である。
「返さん」
 珍しく光秀が怒鳴った。
「現に利三は明智家の一員として働いておる」
 丹波攻略は多難だった。その攻略に弥平次と斉藤利三の働きが大きかったので、光秀は弥平次と利三の功績を評価し、福知山城を弥平次に、攻略に難儀した荻野悪衛門の黒井城を利三に預けた。
 光秀は武将として理不尽なことを多々行ってきたが、斉藤利三に関しては人間性を貫きたかった。信長と利三の選択を迫られたら、己が滅亡しょうとも利三を採る。
「利三どのが喜びますな」
 弥平次はそんな光秀を尊敬していた。

 織田信長の情報網の傀儡子たちは家康を追って京に向かったが、甚兵衛は坂本城に戻った明智光秀を見張っていた。
 忍びの本能が、何かが爆発すると騒いでいた。
 日に日に空気が膨らみ熱くなっている。
 五月十七日に坂本城に帰って一週間が過ぎるのに、光秀が姿を現さないことが不思議だった。二、三日は備中出陣の準備で追われても、仕置きや手配に長けた光秀が一週間も城に籠っている。
 数日前、明智家の忍び衆が目立たぬように、間を開けて出て行った。
「・・・・・」
 五月二十六日、光秀は坂本城を発つと、出陣の準備をさせている亀山城に向かった。
 五月二十七日、その光秀を追いかけるように、信長からの使者、今度は重臣の堀久太郎が送られてきた。
 それは稲葉家の貞通と、那波直治宛てに出されたもので、信長の「上意」により、那波直治を稲葉家に返還させ、直治の当面の扶持を信長が扶助するものだった。
 もう一人の利三に対しては、
「公 光秀に命じ、和泉(直治)を一鉄に返し、内蔵助は自殺させよ」
と厳しく咎めていた。
 信長は自分の命令に従わない者は殺す。因って利三は殺せだった。
「殺されても稲葉家に帰らん」
 と、明智家に忠義を貫いた利三に腹を切らせることはできない。
「またも信長―」
 光秀は永遠に埋まらない信長との距離を知った。
 猪子兵助が取り直していなかったら、利三は切腹させられていた。
 信長にどんなに尽くしても、結局は空回りしている。
 信長はその時の気持ち一つで、本人たちが大切に守ってきたものを平然と壊す。
 これからも信長の無礼は繰り返し、死ぬまで家臣の気持ちを踏みにじる。
 なら、死んでもらうしかない。

 光秀は霊峰愛宕山に嫡子光慶を連れて登ると、宿坊に泊まった。
 冷気に身を任せ、もう一度自分の心を見つめ直した。
 その宿坊に、信長に張り付けていた忍び者が闇の中から現れた。
「信長さまは、明日か明後日、京に向かい四条坊門通西洞院本能寺に入ります」
「手勢は」
「小姓衆が総勢百人足らず」
「他は」
「信忠さまも上洛し、信長さまを迎える様子」
「信忠の宿泊先は」
「恐らく衣棚押小路の妙覚寺」
 妙覚寺は本能寺から六、七町しか離れていない。
「信忠の手勢は」
「一千足らず」
「分かった。明日の晩も繋ぎを寄越すように」
「・・・・・」
 光秀は信長を殺せると確信したが、この信長の無防備な状態がどこまで続くか。
(本当に本能寺に入るのかー)
 行動を起して、襲った先に信長がいなかったら・・・・・。
(慌てるな、信長が本能寺に入るまで、慌ててはならん)
 光秀は恐ろしいことを考えている自分を知っていたが、止まらなかった。

 五月二十八日、光秀は愛宕山に腰を据えたまま、里村紹巴等九人で連歌会を開いた。
 これが有名な愛宕百韻である。全神経を信長の動向に向けている光秀は、ここで、
「ときは今 あめがした知る五月哉」と思わず詠んだ。
 やはり信長を殺す以外、一生己の心が晴れることはないと想っていたのだ。

 その夜も忍び者が、人目を避けて忍んできた。
「信長は明日、本能寺に入ります」
「手勢は」
「そのままの総勢百人足らず」
「信忠は」
「妙覚寺に入りました」
「分かった」
 
 甚兵衛は愛宕山威徳院の裏山に身を潜め、毎晩忍び者が光秀を訪ねて来るのを見ていた。
「・・・・・」
 光秀が何かを企てているように想ったが、昼間の光秀は普段通りの穏やかな表情だった。
 五月二十九日(この五月は小の月で二十九日までだった)
 光秀は愛宕山を下りると、軍勢を揃えている亀山城に戻った。
 亀山城で重臣の明智弥平次、斉藤利三、藤田伝五、溝尾勝兵衛、明智次右衛門を集めると、一呼吸を置いてから、
「上様は上洛すると本能寺に入る」
「・・・・・」
 みんなは光秀に纏わりつく重い空気から何かを感じていた。
「信長が本能寺に入ったら、襲うー」
 信長と呼び捨てたが、咎める者はいない。
「上様を襲うーと・・・・・」
「そうじゃ。本能寺に入ったら逃がさず、取り囲んで討ち取る」
 光秀は自分の心に言い聞かせるように、信長を殺すことを伝えた。
 一瞬、その場が凍った。
 誰もが思いがけない計画に息を詰まらせた。
「恐れることはない」
 いつもの静かな自信に溢れた言い方だった。
「信長とて百人ほどの手勢に守られているだけではないか。本能寺に入れば、罠にかかった獣と同じじゃ。暴れても逃げることはできん」
 しかし信長の怖さを全員が知っている。
「信長が生きている限り、明智家の明日はない」
 暗い過去を振り切ったのか、爽快に聞こえる。
「信長の思い一つで我々は死ぬまで、命を懸けて働かなければならん」
「・・・・・」
「こんな地獄のような生活はもう良い。わしは天下に賭けた」
「気持ちは分かりますが、殿、考えは変わりませんか」
 弥平次が聞いた。
 弥平次は己独りでも光秀と共にする覚悟だったが、この先は光秀の迷いが邪魔になると考えていた。
「変わらん」
 光秀が力強く言い切った。
「願ってもないことではないかー。信長を殺すだけではない。これを機に明智家が天下を取り、殿の望む国を作ればよい」
 信長に振り回されていた斉藤利三が真っ先に同意すると、全員が信長殺害に賛同した。
「殿、先陣はこの斉藤利三に任せて下され。必ず本能寺を襲い信長の頸を獲ってみせます」
「分かった。先陣は利三と弥平次に任す」
 二人なら確実に実行する。
「次右衛門は妙覚寺の信忠に向かえ」
 光秀は信頼する老臣に命じた。
「畏まりました」
「行動を起すのは、信長が本能寺に入ってからだ」
 信長配下の忍びの目がある。
「それまでは素振りも見せてはならん。信長の手先は家臣の中にもいる」
「はっー」
 全員が心強く応じた。
「上様に遣いを送る。大軍の移動は怪しまれる。備中出陣の軍勢で徳川どのを襲ってから、中国に向かうとー」
 光秀は信長に徳川家康襲撃の遣いを放つと、入れ替わりに信長に張り付けていた忍び者が、信長が安土城を出たことを知らせた。

 翌日の六月一日、
 吉田兼和は山科で雨の中、安土から上洛する織田信長を待っていた。
 その兼和に騎馬武者が駆け寄った。信長が贔屓にしている森乱丸だった。
「お迎えは無用」
 馬上から乱丸が叫んだ。
「上様はー」
 兼和が尋ねた。
「上洛されるが、堅苦しい迎えは無用に願いたい」
 乱丸が手綱を絞って馬を鎮めると、兼和を見下ろして言った。
「今夜、公家衆仲間で挨拶に参上したいと話しております」
「なら本能寺に来られるがよい。但し土産も無用」
「畏まりました」
 若武者は仰々しく一礼すると、凛々しく雨の中を走り去った。
 兼和は素早く手紙を書くと、宮ノ上童子の配下者を亀山城の光秀に送った。
 兼和は吉田神社に戻ると、夜になっても行くと言っていた本能寺に行かなかった。

 光秀は亀山城外で軍勢を整えながら、信長に付けている忍び者と、兼和からの連絡を待っていた。そして信長が予定通り僅かな手勢で本能寺に入ったことを確かめると、
「信長が本能寺に入った」
 光秀には珍しく大きな声だった。
 後は迅速に行動するだけだ。間を置いてはいかん。
 光秀は一万三千の軍勢を三隊に分け京に向けた。
 明け方桂川に到着すると、戦闘態勢を整え一気に本能寺を襲わせた。
 明智軍の先頭を足の速い兵が駆けていた。
 伊賀の乱に生き延びた音羽の城戸弥左衛門が率いる忍びたちだった。
 増井次郎八、竹延太郎、百地新之丞たちは本能寺の塀を軽々と飛び越えると、大きく門を開けて明智軍を引き入れた。
 伊賀者はお互いに顔を見合すと、信長を目指して本能寺の中に入って行った。

 戦う本能に目覚めた一万余りの軍勢が走り出すと、光秀も軍団の渦に飲まれ見失った。
 甚兵衛は調べていた本能寺の裏口に回った。
 もし信長が逃げるとすればここだ。ここなら確実に信長を仕留められる。
 甚兵衛は待った。
 しかし信長も百太夫も現れなかった。
 その後、本能寺は焼け落ち、信長の消息が消えた。

     
              了
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