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値段がつくのは、生き残ったあとだ
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息が、遅れて戻ってきた。
境目を越えた瞬間、ようやく体が理解した。
空気の質が、変わっていたのだと。
冷たさが抜ける、というより、胸にまとわりついていた重さだけが、すっと薄れる。
音が戻り、少し離れた場所から、人の声や足音が混じって聞こえてくる。
明るい。
ダンジョンの淡い明度とは違う、外の、ちゃんとした明るさだ。
――外に出た。
頭では理解しているのに、体の感覚だけが、まだ少し遅れている。
胸の奥に、緊張の名残のような硬さが、そのまま残った。
息をひとつ、意識して深く吸う。
それでも足は止めず、そのまま前へ進む。
ここで立ち止まると、さっきまでの感覚に引き戻されそうだった。
数歩、歩いたところで。
「すみません。少し、確認させてください」
背中から、落ち着いた声がかかる。
反射的に、肩に力が入った。
咎められる。
そう思ってしまうのは、たぶん癖だ。
「お一人でしたか? それとも、誰かと一緒に?」
「……一人です」
「そうですか。初心者、という認識で合っていますか?」
一瞬だけ迷ってから、小さく頷く。
「登録は、まだですね。名前や所属は、後で確認します」
紙に何かを書き込む音がして、すぐに次の言葉が続く。
「今回の行動ですが……正直に言います。かなり危険でした」
言い訳は、浮かばなかった。
「このタイミングで、単独で入るのは勧められていません。
場所も、まだ整備が追いついていない。
分かっていて入ったなら、無謀です」
運が悪ければ。
そう考えると、それだけで終わっていた。
「……たまたまです」
「ええ。結果論です」
即座に、否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。
一拍、間があった。
「ですが」
一拍。
声の調子が、ほんの少しだけ上がる。
「それでも、生きて帰ってきた。そこは、ちゃんと受け取っていい」
言い聞かせるでも、持ち上げるでもない。
ただ、事実として置かれた言葉だった。
「無事に戻れなかった人も、少なくありません。だから……帰ってきたこと自体は、悪くない」
胸の奥に残っていた硬さが、わずかに形を変える。
生きて、戻ってきた。
その事実だけが、残った。
「このあと、少し時間はありますか」
断る理由は、思いつかなかった。
「大丈夫ですよ。 罰とか、そういう話ではありません。登録と、簡単な説明だけです」
言われなくても、連れていかれる流れなのは分かる。
それでも、言葉としてそう補われると、少しだけ身構えが解けた。
「……分かりました」
声は、自分でも驚くほど小さい。
「歩きながらで構いません。ここに長く立ち止まるのも、あまり良くないので」
そう言って、管理側の人は先に歩き出す。
俺は半歩遅れて、その後ろについていった。
ダンジョンの出口から離れるにつれて、周囲の音が、少しずつはっきりしてくる。
車の走る音。
誰かの笑い声。
スマホ越しの会話。
さっきまでの場所が、もう遠い。
「乗ってください。登録施設までは、少し距離があります」
言われるまま、後部座席に乗り込む。
走り出すと、窓の外の景色が、ゆっくりと流れ始めた。
街の音が、ガラス一枚分だけ遠ざかる。
ダンジョン探索は、思っているよりも疲労が蓄積していたのかもしれない。
安心できる空間のせいか、ギルドの敷地に入るまで、
すっかり眠ってしまっていた。
「次からは、無理をしないほうがいい」
前を向いたまま、声だけが飛んでくる。
「特に、一人なら。判断を誤ったとき、誰も止めてくれませんから」
「……はい」
それ以上、言葉は出なかった。
「単独で潜る人を、否定するつもりはありません。ただ、準備と登録は、最低限です」
歩調は一定で、急かす感じもない。
説教というより、確認に近い。
「登録しておけば、緊急時の連絡や、立ち入りの可否も分かりやすくなります」
「……迷惑、かけました」
一拍。
「結果的に、生きて戻っています。そこは、今はそれでいい」
それ以上は、続かなかった。
ギルドの建物が見えてくる。
外からでも分かるほど、人の出入りが多い。
中に入ると、空気が一段、柔らかくなる。
ダンジョンとは違う、安全な場所の匂いがした。
「ここからは、事務の担当が対応します」
そう言われて、軽く頷く。
足は、自然と止まっていた。
ただ、まだ今日は終わっていないらしい。
中に入ると、空気がはっきり変わった。
明るい。
照らされている、という感覚がある。
ダンジョンとは違う。
影は影として存在していて、輪郭もはっきりしていた。
人の気配が多い。
話し声、紙の擦れる音、足音。
どれも、危険とは無関係な音だ。
「こちらです」
案内されて、受付の前に立つ。
椅子を勧められて、座る。
背もたれに体重を預けた瞬間、さっきまで意識していた力が、少し抜けた。
「名前と、生年月日だけお願いします」
端末の画面を見ながら、淡々とした声。
「……悠真です」
苗字を続けようとして、やめた。
それ以上を求められなかったので、そのまま黙る。
「学生さん?」
「……はい。今は、休学中で」
「分かりました」
それ以上、踏み込んでこない。
「本日の侵入は、単独ですね」
「……はい」
「武器の持ち込みは?」
「……なしです」
画面を操作する音が続く。
質問は必要最低限で、感情は乗らない。
特別扱いされていない。
それが、少しだけ楽だった。
「初心者登録になります。注意事項は、後ほどまとめて渡します」
紙が一枚、差し出される。
「危険区域への立ち入り制限。単独行動時の推奨ルート。緊急時の連絡先」
淡々と読み上げられる内容を、黙って聞く。
どれも、正しい。
今さら反論する気にもならなかった。
「今回の件について、追加の処分はありません」
その言葉で、ようやく息を吐いた。
「運が良かっただけ、とは思わないでください」
顔を上げる。
「ただし、次も同じとは限りません。それだけ、覚えておいてもらえれば」
「……はい」
「ではこれを。正式なものは、またあとで」
それで、ひとまず話は終わった。
登録証の仮カードを渡される。
薄いプラスチックの感触が、指に残った。
安全な場所にいる。
そう、体が理解し始めている。
今日は、それで十分だ。
手続きが終わると、空気が少しだけ緩んだ。
職員さんの手元から端末が消え、書類の山も、ひとまず脇に寄せられる。
「今日は、もう帰って大丈夫です」
その一言で、空気がさらに緩む。
「そういえば無事だったということは、
モンスターには遭遇しなかったんですね。
本当に、運が良かったです」
一瞬、言葉に詰まる。
否定する必要は、ない。
そう思えば、そのまま頷いて終わりでもよかった。
「……実は」
声が、自分でも分かるくらい小さい。
「遭遇、しました。戦闘に……なって」
職員さんの手が、止まる。
「倒した、というほどじゃないです。逃げて……そのあと、少し当たって」
説明になっていないのは、分かっている。
「それで、これを」
ポケットから、小さな欠片を取り出す。
黒っぽい外装の一部。
欠けていて、形も揃っていない。
机の上に置いた瞬間、職員さんの視線が、そこで止まった。
一拍。
「……少し、見せてもらっていいですか」
手袋をして、欠片を持ち上げる。
角度を変え、光にかざし、もう一度、静かに眺める。
「状態は……悪くないですね」
その言葉に、理由は続かなかった。
「欠け方が、少し珍しいです」
それだけ。
詳しい説明はない。
講義のような口調でもない。
「今は、この手の素材、流通が少なくて」
短い言葉が、淡々と積み重なる。
「大した量ではありませんが……。買い取りは、できます」
「……いくら、ですか」
数字を聞いても、実感はなかった。
思っていたより、高い。
そう感じたことだけは、分かる。
驚きはしたが、誇らしいという感覚は、なかった。
「運が良かっただけです」
反射的に、そう言っていた。
「そういうものです」
否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。
「生きて戻ってきた人にしか、ここまでは回ってきませんから」
封筒が、静かに差し出される。
中身の重さより、それが現実になったという感触のほうが、少しだけ重かった。
値段がついたのは、ここまで生きて戻ったからだ。
これで、少しは余裕ができる。
それ以上の意味は、まだ、考えない。
ギルドを出ると、外の空気は思っていたより冷たかった。
建物の中にいた時間はそれほど長くなかったはずなのに、
体はすっかり楽なほうに慣れてしまっていたらしい。
一歩、外に出ただけで、現実の温度に引き戻される。
登録証と、封筒を確認する。
どちらも、薄い。
重さだけなら、さっきまでポケットに入れていた素材の欠片と、大して変わらない。
それでも、ポケットに入れると、ちゃんと「持っている」という実感があった。
形がある、というだけのことなのに。
歩きながら、頭の中を整理する。
結果だけ見れば、運が良かっただけだ。
逃げる方向を、たまたま間違えなかった。
距離の取り方も、偶然うまくいっただけ。
当たりどころが悪ければ、欠片なんて残らなかったはずだ。
次も同じとは限らない。
同じ状況なんて、二度と来ないかもしれない。
浮かれるには、まだ早い。
胸を張るほどのことでもない。
「次も同じだ」と思い込むほうが、ずっと危ない。
生きて、戻ってきた。
その事実だけが、あとに残る。
職員さんの言葉が、少し遅れて、頭の奥で反響した。
――受け取っていい。
ああいう言い方をされると、否定するのも、少しだけ面倒になる。
封筒の中身を、もう一度思い浮かべる。
金額としては、大きなものじゃない。
何かが劇的に変わるほどでもないし、これで安心して暮らせるわけでもない。
それでも。
食費を削りすぎなくて済む。
半額になる時間を、毎回、神経質に気にしなくてもいい。
おにぎりの具を、昆布から、たまに鮭に変えても、罪悪感を覚えずに済む。
それだけで、少しだけ、呼吸が楽になる。
強くなったわけじゃない。
分かったことが、増えたわけでもない。
判断が正しかった、なんて言うつもりもない。
ただ、生き延びた。
それだけの結果が、今は、ここにある。
今日は、それでいい。
明日のことは、また明日、考えればいい。
今は、ちゃんと帰って、何か温かいものを食べて、眠ろう。
空腹だけが、はっきりと残っていた。
境目を越えた瞬間、ようやく体が理解した。
空気の質が、変わっていたのだと。
冷たさが抜ける、というより、胸にまとわりついていた重さだけが、すっと薄れる。
音が戻り、少し離れた場所から、人の声や足音が混じって聞こえてくる。
明るい。
ダンジョンの淡い明度とは違う、外の、ちゃんとした明るさだ。
――外に出た。
頭では理解しているのに、体の感覚だけが、まだ少し遅れている。
胸の奥に、緊張の名残のような硬さが、そのまま残った。
息をひとつ、意識して深く吸う。
それでも足は止めず、そのまま前へ進む。
ここで立ち止まると、さっきまでの感覚に引き戻されそうだった。
数歩、歩いたところで。
「すみません。少し、確認させてください」
背中から、落ち着いた声がかかる。
反射的に、肩に力が入った。
咎められる。
そう思ってしまうのは、たぶん癖だ。
「お一人でしたか? それとも、誰かと一緒に?」
「……一人です」
「そうですか。初心者、という認識で合っていますか?」
一瞬だけ迷ってから、小さく頷く。
「登録は、まだですね。名前や所属は、後で確認します」
紙に何かを書き込む音がして、すぐに次の言葉が続く。
「今回の行動ですが……正直に言います。かなり危険でした」
言い訳は、浮かばなかった。
「このタイミングで、単独で入るのは勧められていません。
場所も、まだ整備が追いついていない。
分かっていて入ったなら、無謀です」
運が悪ければ。
そう考えると、それだけで終わっていた。
「……たまたまです」
「ええ。結果論です」
即座に、否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。
一拍、間があった。
「ですが」
一拍。
声の調子が、ほんの少しだけ上がる。
「それでも、生きて帰ってきた。そこは、ちゃんと受け取っていい」
言い聞かせるでも、持ち上げるでもない。
ただ、事実として置かれた言葉だった。
「無事に戻れなかった人も、少なくありません。だから……帰ってきたこと自体は、悪くない」
胸の奥に残っていた硬さが、わずかに形を変える。
生きて、戻ってきた。
その事実だけが、残った。
「このあと、少し時間はありますか」
断る理由は、思いつかなかった。
「大丈夫ですよ。 罰とか、そういう話ではありません。登録と、簡単な説明だけです」
言われなくても、連れていかれる流れなのは分かる。
それでも、言葉としてそう補われると、少しだけ身構えが解けた。
「……分かりました」
声は、自分でも驚くほど小さい。
「歩きながらで構いません。ここに長く立ち止まるのも、あまり良くないので」
そう言って、管理側の人は先に歩き出す。
俺は半歩遅れて、その後ろについていった。
ダンジョンの出口から離れるにつれて、周囲の音が、少しずつはっきりしてくる。
車の走る音。
誰かの笑い声。
スマホ越しの会話。
さっきまでの場所が、もう遠い。
「乗ってください。登録施設までは、少し距離があります」
言われるまま、後部座席に乗り込む。
走り出すと、窓の外の景色が、ゆっくりと流れ始めた。
街の音が、ガラス一枚分だけ遠ざかる。
ダンジョン探索は、思っているよりも疲労が蓄積していたのかもしれない。
安心できる空間のせいか、ギルドの敷地に入るまで、
すっかり眠ってしまっていた。
「次からは、無理をしないほうがいい」
前を向いたまま、声だけが飛んでくる。
「特に、一人なら。判断を誤ったとき、誰も止めてくれませんから」
「……はい」
それ以上、言葉は出なかった。
「単独で潜る人を、否定するつもりはありません。ただ、準備と登録は、最低限です」
歩調は一定で、急かす感じもない。
説教というより、確認に近い。
「登録しておけば、緊急時の連絡や、立ち入りの可否も分かりやすくなります」
「……迷惑、かけました」
一拍。
「結果的に、生きて戻っています。そこは、今はそれでいい」
それ以上は、続かなかった。
ギルドの建物が見えてくる。
外からでも分かるほど、人の出入りが多い。
中に入ると、空気が一段、柔らかくなる。
ダンジョンとは違う、安全な場所の匂いがした。
「ここからは、事務の担当が対応します」
そう言われて、軽く頷く。
足は、自然と止まっていた。
ただ、まだ今日は終わっていないらしい。
中に入ると、空気がはっきり変わった。
明るい。
照らされている、という感覚がある。
ダンジョンとは違う。
影は影として存在していて、輪郭もはっきりしていた。
人の気配が多い。
話し声、紙の擦れる音、足音。
どれも、危険とは無関係な音だ。
「こちらです」
案内されて、受付の前に立つ。
椅子を勧められて、座る。
背もたれに体重を預けた瞬間、さっきまで意識していた力が、少し抜けた。
「名前と、生年月日だけお願いします」
端末の画面を見ながら、淡々とした声。
「……悠真です」
苗字を続けようとして、やめた。
それ以上を求められなかったので、そのまま黙る。
「学生さん?」
「……はい。今は、休学中で」
「分かりました」
それ以上、踏み込んでこない。
「本日の侵入は、単独ですね」
「……はい」
「武器の持ち込みは?」
「……なしです」
画面を操作する音が続く。
質問は必要最低限で、感情は乗らない。
特別扱いされていない。
それが、少しだけ楽だった。
「初心者登録になります。注意事項は、後ほどまとめて渡します」
紙が一枚、差し出される。
「危険区域への立ち入り制限。単独行動時の推奨ルート。緊急時の連絡先」
淡々と読み上げられる内容を、黙って聞く。
どれも、正しい。
今さら反論する気にもならなかった。
「今回の件について、追加の処分はありません」
その言葉で、ようやく息を吐いた。
「運が良かっただけ、とは思わないでください」
顔を上げる。
「ただし、次も同じとは限りません。それだけ、覚えておいてもらえれば」
「……はい」
「ではこれを。正式なものは、またあとで」
それで、ひとまず話は終わった。
登録証の仮カードを渡される。
薄いプラスチックの感触が、指に残った。
安全な場所にいる。
そう、体が理解し始めている。
今日は、それで十分だ。
手続きが終わると、空気が少しだけ緩んだ。
職員さんの手元から端末が消え、書類の山も、ひとまず脇に寄せられる。
「今日は、もう帰って大丈夫です」
その一言で、空気がさらに緩む。
「そういえば無事だったということは、
モンスターには遭遇しなかったんですね。
本当に、運が良かったです」
一瞬、言葉に詰まる。
否定する必要は、ない。
そう思えば、そのまま頷いて終わりでもよかった。
「……実は」
声が、自分でも分かるくらい小さい。
「遭遇、しました。戦闘に……なって」
職員さんの手が、止まる。
「倒した、というほどじゃないです。逃げて……そのあと、少し当たって」
説明になっていないのは、分かっている。
「それで、これを」
ポケットから、小さな欠片を取り出す。
黒っぽい外装の一部。
欠けていて、形も揃っていない。
机の上に置いた瞬間、職員さんの視線が、そこで止まった。
一拍。
「……少し、見せてもらっていいですか」
手袋をして、欠片を持ち上げる。
角度を変え、光にかざし、もう一度、静かに眺める。
「状態は……悪くないですね」
その言葉に、理由は続かなかった。
「欠け方が、少し珍しいです」
それだけ。
詳しい説明はない。
講義のような口調でもない。
「今は、この手の素材、流通が少なくて」
短い言葉が、淡々と積み重なる。
「大した量ではありませんが……。買い取りは、できます」
「……いくら、ですか」
数字を聞いても、実感はなかった。
思っていたより、高い。
そう感じたことだけは、分かる。
驚きはしたが、誇らしいという感覚は、なかった。
「運が良かっただけです」
反射的に、そう言っていた。
「そういうものです」
否定も肯定もせず、言葉だけが返ってくる。
「生きて戻ってきた人にしか、ここまでは回ってきませんから」
封筒が、静かに差し出される。
中身の重さより、それが現実になったという感触のほうが、少しだけ重かった。
値段がついたのは、ここまで生きて戻ったからだ。
これで、少しは余裕ができる。
それ以上の意味は、まだ、考えない。
ギルドを出ると、外の空気は思っていたより冷たかった。
建物の中にいた時間はそれほど長くなかったはずなのに、
体はすっかり楽なほうに慣れてしまっていたらしい。
一歩、外に出ただけで、現実の温度に引き戻される。
登録証と、封筒を確認する。
どちらも、薄い。
重さだけなら、さっきまでポケットに入れていた素材の欠片と、大して変わらない。
それでも、ポケットに入れると、ちゃんと「持っている」という実感があった。
形がある、というだけのことなのに。
歩きながら、頭の中を整理する。
結果だけ見れば、運が良かっただけだ。
逃げる方向を、たまたま間違えなかった。
距離の取り方も、偶然うまくいっただけ。
当たりどころが悪ければ、欠片なんて残らなかったはずだ。
次も同じとは限らない。
同じ状況なんて、二度と来ないかもしれない。
浮かれるには、まだ早い。
胸を張るほどのことでもない。
「次も同じだ」と思い込むほうが、ずっと危ない。
生きて、戻ってきた。
その事実だけが、あとに残る。
職員さんの言葉が、少し遅れて、頭の奥で反響した。
――受け取っていい。
ああいう言い方をされると、否定するのも、少しだけ面倒になる。
封筒の中身を、もう一度思い浮かべる。
金額としては、大きなものじゃない。
何かが劇的に変わるほどでもないし、これで安心して暮らせるわけでもない。
それでも。
食費を削りすぎなくて済む。
半額になる時間を、毎回、神経質に気にしなくてもいい。
おにぎりの具を、昆布から、たまに鮭に変えても、罪悪感を覚えずに済む。
それだけで、少しだけ、呼吸が楽になる。
強くなったわけじゃない。
分かったことが、増えたわけでもない。
判断が正しかった、なんて言うつもりもない。
ただ、生き延びた。
それだけの結果が、今は、ここにある。
今日は、それでいい。
明日のことは、また明日、考えればいい。
今は、ちゃんと帰って、何か温かいものを食べて、眠ろう。
空腹だけが、はっきりと残っていた。
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