テンプレ勇者にあこがれて

昼神誠

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結社崩壊編Ⅰ

カペラ⑩

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 涙が次々と溢れ出てきます。
 何も見えない真っ暗闇の大地を無心に走り、気がつくと深い森の中のいました。
 どの方向から入ってきたのかも分かりません。
 どうやら迷ってしまったようです。
 
「……もう、どうでも良い。拙は……拙は……う、ううう、うわぁぁぁん!」

 傍の倒れた朽木に腰をかけ拙は再び泣涕しました。
 どれほど泣き叫んだのでしょう。
 夜が明け周囲が明るくなっていました。
 いつまでも森の中に留まるわけにはいきません。
 ですが、拙には目的地があるわけでもありません。
 函館には戻りたくない……例え、お義母様直々の勅命であっても。
 それに拙はもはや聖器の持ち主ではありません。
 単に柄だけ残った残り滓です。
 こんな拙をお義母様が必要として下さるとは到底思えませんでした。

 ガサッ

 笹が生い茂った森の一部から何かが来ます。
 ヒグマ?
 それとも狐?
 どちらにしても食料は必要です。
 拙は陰陽術を放つ姿勢をして待ち構えます。
 いつもなら短刀を隠し持っているのですが、昨晩は下着姿で飛び出してしまったので武器など持ってはいません。
 
「おんやぁ? こんなところに子ども?」

 茂みから出てきたのは1人の人間でした。
 アイヌの衣装では無い?
 あれは……狩衣?
 どちらにしても悪い人には見えません。
 胸も拙と同じでぺたんこなので安心できます。

「どうして1人で?」

「え……ええと……くちゅん!」

「下着だけで……なるほど、余程恐ろしい目にあったんだね?」

 この方は色々と勘が鋭いようです。
 上着を拙に貸してくださり一緒に森を出てくれました。
 
「ここから1人で帰れるかい?」

 周りを見渡すと全く見た覚えの無い大地が広がります。
 それに拙は比奈音様の居る場所へ戻ることが怖いです。
 
「帰りたく……ない」

 拙は首を横に振り答えました。

「そっか……ま、そういう時もあるよね。近くにコタンがあるけれど一緒に行く?」

 拙は頷き、その人と一緒にアイヌの集落へ行きました。

「どちらさま?」

「私は安倍明晴と申す者。陰陽術師です。近頃、巨大なヒグマが人肉を求めてコタンを襲っていると噂を聞きつけ参上した次第」

「ああ、陰陽術師さんじゃったか。先日も3人襲われたよ。あのウェンカムイは只者では無い……陰陽術師さん頼めるかい?」

 集落の中に入り村長の家で休ませてもらいました。
 安倍明晴と言ったあの方はもしかしてお義母様のお師匠様でしょうか?
 叡智の書ではなくお義母様の自伝小説の登場人物と同じ名前です。

「服を借りてきたよ。これを着て」

 アイヌの民族衣装で身を包みます。
 
「うんうん、似合ってる。さて、お互い自己紹介がまだだったね? 私は安倍明晴。君はどうやら日本人のようだし知っているかな?」

「もしかして……お義母様のお師匠様?」

「お母様? ええっと……誰かな? 覚えがありすぎて……ははは」

「春夏秋冬美心……」

「えええっ!? 美心っちの!? あれれ? でも、美心っちの息子さんって今は30代だったような? もしかして……2人目?」

 明晴様は勘違いしているようです。
 拙はお義母様に救われた36番目の子だと説明しようと口を開きます。

「違うでありんす。拙は36番目の……」

「んなっ!? 36番目の子ども? 美心っち……ハッスルしすぎでしょ!? でも、旦那さんがあの方だしなぁ。うんうん、ラブラブなようで私も嬉しいよ」

 ハッスルの意味は分かりませんが明晴様は理解してくれたようです。
 やはり、この方は色々と鋭くて助かります。
 さすがはお義母様のお師匠様なだけあります。
 
「それで君の名前は?」

「えっと……カペラ」

「カペラ君かぁ。なるほど、ぎょしゃ座の中で最も明るい恒星から取ったんだね。すると、34人のお兄さんお姉さんはみんな星の名前とか……あはは、んな訳無いよね。長男だけ普通の名前なんだし……」

「シリウスちゃんやリゲルちゃんのこと知っているでありんすか?」

「えっ……冗談だったのにまさかみんな星の名前を!? 美心っち、いい趣味してんじゃん、ウケる―――。キラキラネームだけに星って、あははは」

 明晴様はとても明るい方で近くに居るだけで傷付いた拙の心の傷が癒やされていきます。
 それも当然でしょう。
 天女であらせられるお義母様のお師匠様ということは神様以外に有り得ないのですから。
 
 それから凶暴なヒグマを退治するまでの数週間、この集落でお世話になりました。
 その間、明晴様と行動を共にし様々なことを学びました。

「カペラ君、最近レイラちゃんと良い感じじゃない。あの方の息子さんだけあってやり手だねぇ」

「レイラちゃんは良い子でありんす。おっぱいも小さいし拙を襲うおそれが無いので……」

「あはは、面白いこと言うねぇ。もしかして貧乳好き? でも、女の子が好きな人を襲う時はね、すごく勇気がいることなんだよ。絶対に逃げちゃ駄目。しっかりと相手の目を見て愛してあげなきゃ」

 なるほど、拙の聖器を奪おうとするのにも勇気がいる。
 誰だって好んで人を傷付けようとは思わない……さすがは明晴様です。
 お義母様と同等の……いいえ、それ以上の慈愛に満ちていらっしゃる。
 襲ってきた事を受け入れ逆に愛せだなんて……拙を襲った比奈音様もそんな気持ちだったのでしょうか?
 拙が比奈音様を受け入れて愛して……いいえ、絶対に無理です。
 あのたわわなおっぱいを思い出すとどうしても身震いし逃げ出したくなってしまいます。
 でも、明晴様のようながっしりしたお胸なら安心して飛び込めそうです。

「さて、今日も行ってくるよ。カペラくんは集落に居てね」
 
 そう言い明晴様は集落を離れました。
 ここに来て1週間、ヒグマはまだ退治できていません。
 そして、その日の夜。

「うわぁぁぁ……ぎゃっ!」

「ぐはぁ!」

「いやぁぁぁ!」

 集落が何やら騒がしいです。
 明晴様はまだ戻ってきていない。
 
「村長様……」

「カペラくん、君は隠れていたまえ。例のウェンカムイだ」

 拙は大人しく従い軒下に身を隠しました。
 本当は熊程度、拙の敵にはならない。
 ですが、拙は弱者を演じる必要がある……お義母様との約束です。
 
「ぐわぁぁぁ!」

「きゃぁぁぁ!」

 本当にこれで良いのだろうか?
 拙は悩みつつも集落に響く悲鳴が聞こえぬよう耳を塞ぎ目を閉じました。
 そして、数時間後……。
 拙は軒下から這い出し、その惨状を目にし後悔しました。

「レイ……ラ……ちゃん? 村長さん……それに集落のみんな……う、うわぁぁぁ! 拙は……拙は……なんてことを!」

 集落の全員が食い殺されていたのです。
 拙は彼らの遺体を見て思い出しました。
 お義母様のあの言葉、拙が生死を操れる力の持ち主だということを。
 今まで亡骸に出くわしたことが無かったため、試すことが出来なかった術を展開してみます。

「グガァァァ!」

 例のヒグマが拙に気が付き背後から襲ってきます。
 ですが、術を展開してしまった以上、後には引けません。

「術式展開!」

 パァン
 ドサッ……

 両手を合掌した瞬間、何故かヒグマが泡を吹き倒れています。

「う……ううん……あれ、私?」

 術は一応、成功しました。
 レイラちゃんだけ蘇生したのです。
 ですが、彼女は下半身不随でした。
 術が失敗した?
 熊が突然死したのは何故?
 その後、戻ってきた明晴様に訪ねたところ、この術は生を代償に死を生に変える術だそうです。
 人間1人に付き人間10人の犠牲。
 人を襲う元気の有り余る巨体な例のヒグマは人間で数えると約8人分。
 レイラちゃんはまだ幼いため生と死の瀬戸際で運良く息を吹き返したのです。
 ですが、術が不十分のため熊に傷付けられた神経はそのまま残り下半身が動かないようです。
 
「カペラくん、その術はあまり多様しないこと。愛する者のためだけに使いなさい。あまり乱用すると君自身の命も奪われることになる」

「分かり……ました」

「それと君はもう帰りなさい。函館に建ったカカシマヤで働いているんだって? 比奈音さんから聞いたよ。彼女のしたこともね。私が罰を与えておいたから君に手を出すことは無いよ」

 拙は明晴様の言葉に従い比奈音様の下に戻りました。
 比奈音様はどうやらショタ食いの常連で函館の子ども達に手を出していることが発覚。
 岡っ引きに逮捕されましたが、その後は一切お咎め無し。
 今もカカシマヤの運営の全てを請け負っています。
 それからは賢者の石騒動などありましたが、比較的穏やかな日々が続きました。
 拙の研究も捗り5年が経ちました。

「カペラ、お前の女性恐怖症を治すためエゲレスに行ってもらう」

 拙はあの件以来、おっぱい恐怖症を患っていました。
 お義母様のたわわなお胸でさえ直視できないほど重症です。
 女性恐怖症では無いと何度も説明していますが、お義母様はそれも女性恐怖症だと言います。

「どうして、おっぱい恐怖症を治すためエゲレスに行く必要がありんす?」

「いいから行くのだ! そうしないと……俺が……俺がレグルスに叱られてしまう! あいつは最近、たくましくなりすぎて俺のサボりを一切許してくれないんだ。き、昨日だって……」

 何故かは分かりませんがお義母様の勅命なら逆らえません。
 そして、拙は今エゲレスに向かう船の中に居ます。
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