獅子王の運命の番は、捨てられた猫獣人の私でした

天音ねる(旧:えんとっぷ)

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新しい居場所1

意識が、ゆっくりと浮上してくる。
それは、冷たく暗い水の底から、微かな光が差す水面へと、少しずつ引き上げられていくような、穏やかで、不思議な感覚だった。

最初に感じたのは、背中に当たる、少し硬いが、清潔なシーツの感触。
そして、体を優しく包み込む、温かい毛布の重みだった。
次に聞こえてきたのは、遠くで聞こえる、ざわざわとした人々の賑わい。
カチャン、コトン、という食器の触れ合う音と、誰かの楽しげな笑い声。
そして、鼻腔をくすぐったのは、食欲をそそる濃厚な煮込み料理の香り。
肉と、野菜と、様々なスパイスが溶け合った、優しくて、懐かしいような匂い。

(…ここは…どこ…?)

ミミは、重い瞼をゆっくりと持ち上げた。ぼやけた視界が、徐々に焦点を結んでいく。
目に映ったのは、見知らぬ木の天井だった。
太い梁が走り、屋根の傾斜がそのまま見える、こぢんまりとした部屋。
いわゆる、屋根裏部屋というものだろうか。
部屋は狭く、簡素な作りのベッドと、小さな木箱が一つ置かれているだけだったが、床はきれいに掃き清められ、不潔な感じは少しもしなかった。
小さな丸窓からは、茜色に染まった夕暮れの光が、筋となって差し込んでいる。その光の中で、小さな埃が、きらきらとダイヤモンドのように舞っていた。

(私…生きてる…?)

ぼんやりとした頭で、必死に記憶をたどる。
そうだ。裏路地で倒れて、もうだめだと思ったんだ。
そして、誰かに…山のように大きな、熊獣人の女性に、声をかけられて…。

ミミは、はっとして自分の体を見下ろした。
あれほど泥と雨で汚れていたはずの服は、いつの間にか、清潔で、少し大きいサイズの、柔らかな木綿の寝間着に着替えさせられていた。肌も、温かい布で拭いてもらったのだろうか、べたつく不快感がなく、さっぱりとしている。
誰かが、見ず知らずの、こんな汚れた自分を介抱してくれたのだ。

その事実に、ミミの胸に、戸惑いと、信じられないような温かい感情が、同時に込み上げてきた。

ギィ、と、すぐそばで、扉の軋む音がした。
ミミがびくりと体をこわばらせると、一人の女性が、大きな体を屈めるようにして、部屋の中へと入ってきた。
あの時の人だ、恰幅のいい、熊獣人の女性。

「おや、起きたのかい」

彼女は、ミミが目を覚ましていることに気づくと、少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに、その日に焼けた顔に、安堵の色を浮かべた。
その手には、湯気の立つ木の椀と、ふかふかのパンが乗ったお盆を持っている。

「気分はどうだい?丸一日、眠りこけてたんだよ、あんた」
「まる…一日…?」

ミミは、かすれた声でオウム返しに呟いた。
どうやら、あのまま気を失って、一日中眠り続けていたらしい。

「無理もないさね。ひどい熱を出してたし、体も衰弱しきってた。あたしが見つけなきゃ、あんた、今頃は本当にどうなってたか分からなかったよ」

ぶっきらぼうな口調で言いながらも、彼女はベッドの脇に腰を下ろすと、お盆をミミの膝の上へと、そっと置いた。
ふわり、と、先ほどから部屋に満ちていた、あの美味しそうな匂いが、より一層、強く香る。
椀の中身は、黄金色に輝く、具だくさんのスープだった。鶏肉と、じゃがいも、にんじん、玉ねぎが、ごろごろと入っているのが見える。パセリの緑が、彩りよく散らされていた。

「さ、食べな」と、女性は木の匙をミミの手に握らせようとする。
しかし、ミミは、おずおずと、その手を引っ込めてしまった。

「あ…あの…私は…」

どうして、こんなによくしてくれるのだろう。
身元も分からない、ただの薄汚い浮浪者のような自分に。何か、裏があるのではないか。あるいは、これは、死ぬ前に見ている、都合のいい夢なのではないか。
疑心と、遠慮と、そして、人の優しさに触れることへの恐怖が、ミミの心を縛り付けていた。

そんなミミの様子を、女性は見透かしたような目でじっと見ていたが、やがて、ふう、と一つ大きなため息をついた。

「…あんたが何を考えてるか、大体分かるよ。いきなり見ず知らずのあたしに、こんな風にされて、戸惑ってるんだろ。何か企んでるんじゃないか、ってね」
「そ、そんなことは…」
「いいんだよ、無理しなさんな。あんたみたいな若い娘が一人で、あんな目に遭ってりゃ、人を疑うのも無理はないさ」

そう言うと、彼女はごつごつとした大きな熊の手でミミの手を優しく、しかし有無を言わせぬ力でぐっと掴み、その手に匙をしっかりと握らせる。

「いいかい、お嬢ちゃん。難しい話は、後だ。今は、黙って、これを腹に入れな。話は、それからだ」

その力強い眼差しと、有無を言わせぬ口調に、ミミは、なぜか逆らうことができなかった。
彼女は、こくりと一度頷くと、震える手で匙をスープへと沈め、おそるおそるその黄金色の液体を一口、口へと運んだ。

その瞬間。
じゅわ、と。
凍てついていた体と心の、一番奥深くにある芯の部分まで、温かいものが、ゆっくりと、しかし、確実に、染み渡っていくのが分かった。
鶏肉の滋味深い出汁と、野菜の優しい甘みが、口の中に広がる。
強すぎない、絶妙な塩加減。そして、鼻に抜ける、ローズマリーの爽やかな香り。
それは、ただのスープではなく、作り手の愛情と温もりがたっぷりと溶け込んだ、命の味がした。
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