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獅子王の決意
夜の帳が、獣人王国アストリアを深く包み込む頃。
王城は、月光を浴びて、巨大な生き物のように静かに佇んでいた。
その心臓部、国王の執務室は、荘厳な沈黙に支配されている。天井まで届く書架には、この国の歴史を綴った無数の書物が眠っていた。磨き上げられた黒檀の机の上には、未決済の書類が山と積まれている。壁に飾られた歴代獅子王の肖像画は、その黄金の瞳で、現在の主を厳かに見守っていた。
部屋の主、レオンハルト・アストリアは、玉座にはいなかった。
彼は、ゴシック様式の壮麗な窓辺に立ち、眼下に広がる王都の夜景を、ただ無言で見下ろしている。煌めく街の灯りは、まるで地上に撒かれた宝石のようだ。その無数の光の一つ一つに、彼の民の暮らしがある。
外套もフードも、ここにはない。
陽光を溶かして固めたような豪奢な金髪が、月明かりを反射してきらきらと輝いていた。国王の正装である豪奢な礼服は、彼の鍛え上げられた、鋼のような肉体を、完璧に引き立てている。圧倒的なカリスマ。揺るぎない威厳。彼こそが、この国の頂点に立つ、獅子王その人だった。
彼は、ゆっくりと、己の左手を持ち上げた。
その大きな手のひらと腕には、真新しい白い包帯が、痛々しく巻かれている。侍医が、考えうる限り最高級の薬草と魔法を施した治療。それでも、灼熱の鍋を素手で受け止めた火傷は、深い痕跡を残していた。
しかし、レオンハルトの表情に、苦痛の色はない。
彼は、その包帯を、まるで愛おしい宝物でも見るかのように、ごつごつとした指先で、そっと撫でた。
あの瞬間が、鮮やかに蘇る。
怯える彼女の小さな体。守らなければならないという、絶対的な衝動。そして、彼女が自分の手に触れた瞬間に迸った、あの奇跡の光。
――ミミ。
心の中で、その名を呼ぶ。
たった二文字の、素朴な響き。
しかし、今の彼にとって、それは、この世のどんな宝石よりも、どんな王冠よりも、価値のある響きだった。
数百年、この国の王族が探し求めてきた、魂の片割れ。
自分が、生まれる前から、探し続けていた、唯一無二の存在。
ようやく、見つけたのだ。
コン、コン。
控えめなノックの音が、彼の思索を中断させた。
「陛下、バルドゥスにございます。夜分遅くに、申し訳ございません」
「入れ」
短く、重い声で応じると、重厚な扉が、静かに開かれた。
入ってきたのは、白髪を綺麗に撫でつけた、小柄な老獣人だった。その背中には、甲羅のようなものが、かすかに見て取れる。賢明で知られる、亀族の長老、バルドゥス。レオンハルトが、まだ幼い王子だった頃からの側近であり、傅役でもあった。
「お休み中のところ、失礼いたします。明日の謁見に関する、最終確認の書類を…」
バルドゥスは、深々と頭を下げながら、書類の束を差し出そうとして、はっと、主君の手に巻かれた包帯に気づいた。彼の穏やかな顔に、さっと、緊張の色が走る。
「陛下!そのお手は、一体…!如何なされたのですか!?」
「案ずるな、バルドゥス。かすり傷だ」
「かすり傷なものですか!そのような大怪我を…!どこの不届き者が、陛下のお体に傷を!」
「俺が、自分でやったことだ。それより、お前に、報告がある」
レオンハルトは、バルドゥスの心配を、大きな手で制した。その声は、有無を言わせぬ、王の響きを持っていた。バルドゥスは、ぐっと言葉を呑み、主君の次の言葉を待つ。
レオンハルトは、ゆっくりと、窓辺から執務机の方へと歩を進めた。
そして、書類の山を、まるで小石でも払いのけるかのように、脇へと押しやると、その机の縁に、軽く腰を下ろした。
その黄金の瞳が、真っ直ぐに、忠実な老臣を射抜く。
「見つけた」
たった、一言。
しかし、その言葉に込められた重みと、歓喜に、バルドゥスは、息を呑んだ。
「…と、申されますと…?」
「長年、探させていたものだ」
バルドゥスは、瞬時に、その言葉の意味を理解した。
彼の顔から、血の気が引いていく。そして、次の瞬間、その顔は、信じられないという驚愕と、堰を切ったような歓喜で、くしゃくしゃに歪んだ。
「まさか…陛下…それは、まさか…」
震える声で尋ねる老臣に、レオンハルトは、静かに、しかし、はっきりと、頷いた。
「ああ。我が『運命の番』だ」
その言葉は、まるで、神の託宣のように、静まり返った執務室に響き渡った。
バルドゥスは、その場に、膝から崩れ落ちそうになるのを、かろうじて、机の角に手をついて堪えた。その皺だらけの目から、大粒の涙が、ぼろぼろと、とめどなく溢れ出す。
王城は、月光を浴びて、巨大な生き物のように静かに佇んでいた。
その心臓部、国王の執務室は、荘厳な沈黙に支配されている。天井まで届く書架には、この国の歴史を綴った無数の書物が眠っていた。磨き上げられた黒檀の机の上には、未決済の書類が山と積まれている。壁に飾られた歴代獅子王の肖像画は、その黄金の瞳で、現在の主を厳かに見守っていた。
部屋の主、レオンハルト・アストリアは、玉座にはいなかった。
彼は、ゴシック様式の壮麗な窓辺に立ち、眼下に広がる王都の夜景を、ただ無言で見下ろしている。煌めく街の灯りは、まるで地上に撒かれた宝石のようだ。その無数の光の一つ一つに、彼の民の暮らしがある。
外套もフードも、ここにはない。
陽光を溶かして固めたような豪奢な金髪が、月明かりを反射してきらきらと輝いていた。国王の正装である豪奢な礼服は、彼の鍛え上げられた、鋼のような肉体を、完璧に引き立てている。圧倒的なカリスマ。揺るぎない威厳。彼こそが、この国の頂点に立つ、獅子王その人だった。
彼は、ゆっくりと、己の左手を持ち上げた。
その大きな手のひらと腕には、真新しい白い包帯が、痛々しく巻かれている。侍医が、考えうる限り最高級の薬草と魔法を施した治療。それでも、灼熱の鍋を素手で受け止めた火傷は、深い痕跡を残していた。
しかし、レオンハルトの表情に、苦痛の色はない。
彼は、その包帯を、まるで愛おしい宝物でも見るかのように、ごつごつとした指先で、そっと撫でた。
あの瞬間が、鮮やかに蘇る。
怯える彼女の小さな体。守らなければならないという、絶対的な衝動。そして、彼女が自分の手に触れた瞬間に迸った、あの奇跡の光。
――ミミ。
心の中で、その名を呼ぶ。
たった二文字の、素朴な響き。
しかし、今の彼にとって、それは、この世のどんな宝石よりも、どんな王冠よりも、価値のある響きだった。
数百年、この国の王族が探し求めてきた、魂の片割れ。
自分が、生まれる前から、探し続けていた、唯一無二の存在。
ようやく、見つけたのだ。
コン、コン。
控えめなノックの音が、彼の思索を中断させた。
「陛下、バルドゥスにございます。夜分遅くに、申し訳ございません」
「入れ」
短く、重い声で応じると、重厚な扉が、静かに開かれた。
入ってきたのは、白髪を綺麗に撫でつけた、小柄な老獣人だった。その背中には、甲羅のようなものが、かすかに見て取れる。賢明で知られる、亀族の長老、バルドゥス。レオンハルトが、まだ幼い王子だった頃からの側近であり、傅役でもあった。
「お休み中のところ、失礼いたします。明日の謁見に関する、最終確認の書類を…」
バルドゥスは、深々と頭を下げながら、書類の束を差し出そうとして、はっと、主君の手に巻かれた包帯に気づいた。彼の穏やかな顔に、さっと、緊張の色が走る。
「陛下!そのお手は、一体…!如何なされたのですか!?」
「案ずるな、バルドゥス。かすり傷だ」
「かすり傷なものですか!そのような大怪我を…!どこの不届き者が、陛下のお体に傷を!」
「俺が、自分でやったことだ。それより、お前に、報告がある」
レオンハルトは、バルドゥスの心配を、大きな手で制した。その声は、有無を言わせぬ、王の響きを持っていた。バルドゥスは、ぐっと言葉を呑み、主君の次の言葉を待つ。
レオンハルトは、ゆっくりと、窓辺から執務机の方へと歩を進めた。
そして、書類の山を、まるで小石でも払いのけるかのように、脇へと押しやると、その机の縁に、軽く腰を下ろした。
その黄金の瞳が、真っ直ぐに、忠実な老臣を射抜く。
「見つけた」
たった、一言。
しかし、その言葉に込められた重みと、歓喜に、バルドゥスは、息を呑んだ。
「…と、申されますと…?」
「長年、探させていたものだ」
バルドゥスは、瞬時に、その言葉の意味を理解した。
彼の顔から、血の気が引いていく。そして、次の瞬間、その顔は、信じられないという驚愕と、堰を切ったような歓喜で、くしゃくしゃに歪んだ。
「まさか…陛下…それは、まさか…」
震える声で尋ねる老臣に、レオンハルトは、静かに、しかし、はっきりと、頷いた。
「ああ。我が『運命の番』だ」
その言葉は、まるで、神の託宣のように、静まり返った執務室に響き渡った。
バルドゥスは、その場に、膝から崩れ落ちそうになるのを、かろうじて、机の角に手をついて堪えた。その皺だらけの目から、大粒の涙が、ぼろぼろと、とめどなく溢れ出す。
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