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裏切りのあの匂い
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世界から色が消えた。音が消えた。
ミミの足はまるで石の根が深く深く地面に伸びてしまったかのように動かない。目の前で繰り広げられる光景だけが毒々しいほどの色彩を放ち彼女の網膜に焼き付いて離れなかった。
ガロウ。イザベラ。
私の幸せだったすべてを奪い去った二人。
彼らはすぐそこにいた。高級宝飾店の前できらびやかな宝石を前にしている。
イザベラは満足げに甲高い声をあげて彼の頬にキスをする。
誰もが振り返る美しい一対の獣人。
祝福された光の中にいる二人。
その光はあまりにも眩しくてあまりにも残酷で、ミミの存在そのものを深い影の中に塗り潰していく。
ひゅっと喉の奥が凍る。呼吸ができない。
周囲の喧騒が急速に遠ざかっていく。
陽気な音楽も人々の楽しげな笑い声もまるで厚い氷壁の向こう側のように聞こえなくなった。
代わりに耳の奥でキーンという甲高い金属音が鳴り響き始める。視界がぐにゃりと歪み目の前の二人だけが異常なほど鮮明に切り取られていた。
『お前との時間は退屈だった』
日々の幸せで、忘れたはずだった。
心の奥底に固く蓋をして、もう二度と開かないように鍵をかけたはずだった。
なのにあの男の声は呪いのように、その鍵をこじ開けミミの意識を再びあの絶望の夜へと引きずり込んでいく。
冷たい雨が体を打ちつける感触。
ゴミのように突き飛ばされた石畳の鋭い痛み。
無情に閉ざされた分厚い扉。
カチリと鍵をかける冷たく無慈悲な金属音。
そして扉の向こう側から聞こえてきた二人の声。
裏切られた。
捨てられた。
私の信じた世界はあの夜完全に終わったのだ。
あの日の絶望と孤独が奔流となって蘇り、ミミの体を内側から支配していく。
ガタガタと全身の震えが止まらない。
寒い。
冬の柔らかな陽光が降り注いでいるはずなのに体の芯まで凍りついてしまいそうに寒い。これはあの夜の雨の冷たさだ。魂まで凍えさせた氷の雨の冷たさなのだ。
「ひっ…」
喉からか細い悲鳴が漏れた。
その音に気づく者は誰もいない。世界はミミ一人を置き去りにして何事もなかったかのように回り続けている。
やがてガロウとイザベラが腕を組むと、ミミがいることなど全く気付かずに大通りを歩き始めた。
こちらへ向かってくる。
だめ。
見られたくない。会いたくない。
逃げなければ。
そう思うのに足が動かない。意思に反して体は完全に硬直し地面に縫い付けられてしまっていた。
ミミの手から力が抜ける。
大きな買い物かごがガサリと重い音を立てて石畳の上に落ちた。
色とりどりの新鮮な野菜が彼女の足元に無残に転がり出た。
八百屋の親父さんが「頑張ってるお嬢ちゃんへのサービスだよ」と笑って籠に入れてくれた、丸々としたカボチャがゴトンと虚しい音を立ててミミのつま先でぴたりと止まった。
その物音にさえガロウたちは気づかない。
彼らはミミのすぐ数メートル横を何事もなく通り過ぎていく。
風が吹き、甘ったるいイザベラの香水の匂いがミミの鼻腔を突き刺した。
ああこの匂い。
私のささやかな幸せを根こそぎ奪い去った裏切りの匂いだ。
ガロウとイザベラは一度もミミに視線を向けることなくそのまま雑踏の中へと溶けるように消えていった。
「……ぁ……ぅ……」
意味のある言葉にならない声が凍える唇から漏れ落ちる。
涙さえ出なかった。
ただ砕け散った心の破片が鋭利な刃となって内側からミミをずたずたに切り刻んでいく。
彼女は石畳に散らばった野菜の真ん中でただひとり座り込んでいた。
その空色の瞳から輝きは完全に消え失せ深い絶望の色だけが淀んでいた。
かつて愛した男とのあまりにも突然な遭遇はミミがようやく見つけたまばゆい光さえも奪い去り、彼女を再び暗く冷たい孤独の深淵へと突き落とした。
その時だった。
ふわりと。
パニックで凍り付いていたミミの肩がそっと大きな何かに抱き寄せられた。
ミミの足はまるで石の根が深く深く地面に伸びてしまったかのように動かない。目の前で繰り広げられる光景だけが毒々しいほどの色彩を放ち彼女の網膜に焼き付いて離れなかった。
ガロウ。イザベラ。
私の幸せだったすべてを奪い去った二人。
彼らはすぐそこにいた。高級宝飾店の前できらびやかな宝石を前にしている。
イザベラは満足げに甲高い声をあげて彼の頬にキスをする。
誰もが振り返る美しい一対の獣人。
祝福された光の中にいる二人。
その光はあまりにも眩しくてあまりにも残酷で、ミミの存在そのものを深い影の中に塗り潰していく。
ひゅっと喉の奥が凍る。呼吸ができない。
周囲の喧騒が急速に遠ざかっていく。
陽気な音楽も人々の楽しげな笑い声もまるで厚い氷壁の向こう側のように聞こえなくなった。
代わりに耳の奥でキーンという甲高い金属音が鳴り響き始める。視界がぐにゃりと歪み目の前の二人だけが異常なほど鮮明に切り取られていた。
『お前との時間は退屈だった』
日々の幸せで、忘れたはずだった。
心の奥底に固く蓋をして、もう二度と開かないように鍵をかけたはずだった。
なのにあの男の声は呪いのように、その鍵をこじ開けミミの意識を再びあの絶望の夜へと引きずり込んでいく。
冷たい雨が体を打ちつける感触。
ゴミのように突き飛ばされた石畳の鋭い痛み。
無情に閉ざされた分厚い扉。
カチリと鍵をかける冷たく無慈悲な金属音。
そして扉の向こう側から聞こえてきた二人の声。
裏切られた。
捨てられた。
私の信じた世界はあの夜完全に終わったのだ。
あの日の絶望と孤独が奔流となって蘇り、ミミの体を内側から支配していく。
ガタガタと全身の震えが止まらない。
寒い。
冬の柔らかな陽光が降り注いでいるはずなのに体の芯まで凍りついてしまいそうに寒い。これはあの夜の雨の冷たさだ。魂まで凍えさせた氷の雨の冷たさなのだ。
「ひっ…」
喉からか細い悲鳴が漏れた。
その音に気づく者は誰もいない。世界はミミ一人を置き去りにして何事もなかったかのように回り続けている。
やがてガロウとイザベラが腕を組むと、ミミがいることなど全く気付かずに大通りを歩き始めた。
こちらへ向かってくる。
だめ。
見られたくない。会いたくない。
逃げなければ。
そう思うのに足が動かない。意思に反して体は完全に硬直し地面に縫い付けられてしまっていた。
ミミの手から力が抜ける。
大きな買い物かごがガサリと重い音を立てて石畳の上に落ちた。
色とりどりの新鮮な野菜が彼女の足元に無残に転がり出た。
八百屋の親父さんが「頑張ってるお嬢ちゃんへのサービスだよ」と笑って籠に入れてくれた、丸々としたカボチャがゴトンと虚しい音を立ててミミのつま先でぴたりと止まった。
その物音にさえガロウたちは気づかない。
彼らはミミのすぐ数メートル横を何事もなく通り過ぎていく。
風が吹き、甘ったるいイザベラの香水の匂いがミミの鼻腔を突き刺した。
ああこの匂い。
私のささやかな幸せを根こそぎ奪い去った裏切りの匂いだ。
ガロウとイザベラは一度もミミに視線を向けることなくそのまま雑踏の中へと溶けるように消えていった。
「……ぁ……ぅ……」
意味のある言葉にならない声が凍える唇から漏れ落ちる。
涙さえ出なかった。
ただ砕け散った心の破片が鋭利な刃となって内側からミミをずたずたに切り刻んでいく。
彼女は石畳に散らばった野菜の真ん中でただひとり座り込んでいた。
その空色の瞳から輝きは完全に消え失せ深い絶望の色だけが淀んでいた。
かつて愛した男とのあまりにも突然な遭遇はミミがようやく見つけたまばゆい光さえも奪い去り、彼女を再び暗く冷たい孤独の深淵へと突き落とした。
その時だった。
ふわりと。
パニックで凍り付いていたミミの肩がそっと大きな何かに抱き寄せられた。
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