捨てられ聖女は、神獣様に溺愛される~もふもふな守護者と始める薬師スローライフ~

天音ねる(旧:えんとっぷ)

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銀の獣と目覚めの朝1

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意識は、深く温かい水底から、ゆっくりと水面へ向かって浮上していくようだった。
最後に感じたのは、すべてを諦めた心に染み渡る、途方もない安堵感と、冷え切った体を包み込む不思議な温もり。そして、魂の奥底まで見通すかのような、一対の金色の光。
私は、あのまま死んだのだと思っていた。森の冷たい土に還り、ようやく永い苦しみから解放されたのだと。

けれど、今私が感じているのは、死の静寂とは似て非なるものだった。
まず耳に届いたのは、しん、と澄み渡る静けさ。あれほど激しく世界を打ち付けていた雨音は、嘘のように消え去っている。代わりに、どこか遠くで、ポツリ、ポツリと雫が落ちるような微かな水音が響いていた。
次に感じたのは、温かさ。凍えていた手足の先に、じんわりと血が巡っていく感覚がある。まるで柔らかな陽だまりの中にいるような、穏やかな温もりが全身を包んでいた。
そして、香り。湿った土と、青々とした苔が混じり合った、生命力に満ちた森の香り。その清浄な空気を吸い込むと、傷ついた肺が少しだけ癒やされるような気がした。

重い瞼を、ゆっくりと持ち上げる。
最初に目に映ったのは、見慣れない木の天井だった。ごつごつとした木肌が、すぐ間近に迫っている。どうやら私は、木の洞のような場所に寝かされているらしかった。入り口らしき場所から差し込む柔らかな光が、洞の中をぼんやりと照らし出している。
体を起こそうとして、全身に走る鈍い痛みに小さく呻いた。
「う……っ」
だが、森を彷徨っていた時のような、肌を引き裂く鋭い痛みではない。傷という傷は、すべて丁寧に手当てが施されていた。泥だらけだったはずの体は綺麗に拭われ、破れて見るも無残だったシルクの寝間着の代わりに、ふかふかとした乾いた苔や枯れ葉が、肌触りの良い毛布のように私の上にかぶせられていた。
特に、枝で深く切ってしまった腕や足の傷には、念入りにすり潰された薬草が湿布のように塗られている。その緑がかった湿布から漂う独特の匂いに、私ははっと息を呑んだ。

(この匂いは……月見草の葉と、シモンの根……?)

どちらも、聖職者が薬学の基礎として学ぶ薬草だ。月見草には強力な止血と鎮静効果が、シモンの根には化膿止めと痛みを和らげる効能がある。しかも、ただ塗りたくっただけではない。それぞれの薬草が最も効果を発揮する配合で、丁寧にすり潰されているのが見て取れた。こんな的確な処置ができるのは、熟練の薬師か、あるいは神殿に仕える一部の者に限られる。

(誰が、私を……?)

混乱しながら、ゆっくりと視線を巡らせる。そして、私はそれを見つけた。
私のすぐ傍ら。私が寝かされている苔の寝床に寄り添うようにして、巨大な獣が穏やかな寝息を立てて眠っていた。
銀色。
洞の入り口から差し込む木漏れ日が、その獣の毛並みを照らし、まるで溶かした月光をそのまま固めたかのような、神々しいまでの輝きを放っていた。雪原に立つ針葉樹のようにしなやかで、それでいて鋼のような強靭さを秘めた四肢。緩やかに上下する胸元は、大陸を覆う冬の雲のように雄大だ。大きさは、おそらく大型の馬ほどもあるだろう。種別は、狼によく似ていた。
その姿を見た瞬間、途切れ途切れだった意識の最後の記憶が、鮮明に蘇る。
そうだ。私は森で力尽き、この獣に見下ろされていたのだ。

「食べられ、なかった……?」

声に出したつもりのない呟きが、乾いた唇から漏れた。
なぜ?
空腹の獣にとって、弱った人間など格好の獲物のはずだ。それなのに、この銀色の狼は私を傷つけるどころか、安全な巣穴へ運び、丁寧に手当てまでしてくれた。まるで、大切な宝物でも扱うかのように。
理解が追いつかない。けれど、不思議と恐怖は湧いてこなかった。
彼の穏やかな寝顔と、規則正しく聞こえてくる寝息が、この空間に絶対的な安心感を与えていた。永い、永い時間、ただ一人で世界を見つめてきたかのような、孤高で、どこか寂しげな気配。それと同時に、何者にも侵されることのない、絶対的な強者の風格が漂っていた。
私は、まるで赤子のように無防備なまま、その巨大な獣の隣で眠っていたのだ。

どれくらい、その寝顔を見つめていただろうか。
不意に、ぴくり、と彼の耳が動いた。そして、ゆっくりと金色の光を湛えた瞼が持ち上がる。
目が、合った。
夜の闇で見た時と同じ、月光を溶かし込んだような神秘的な金色の瞳。真正面から見つめ合うと、その奥に広がるあまりの深さに、魂ごと吸い込まれそうになる。
私は息を止め、身じろぎもできずに固まった。
目覚めた獣は、どうするだろうか。今度こそ、私を敵と見なして襲いかかってくるかもしれない。
だが、銀色の狼は、ただ静かに私を見つめるだけだった。威嚇するように喉を鳴らすことも、牙を剥くこともしない。その瞳に宿っているのは、やはり飢えや敵意ではなかった。
それは、深い安らぎと、慈しみにも似た穏やかな光。
そして、ようやく探しものを見つけたかのような、満ち足りた静けさ。
まるで、私の存在そのものを肯定し、受け入れてくれているかのようだった。
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