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新しい名前
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それは、生まれて初めて、自分の意志で名乗った名前だった。
聖女リリアンナではない、ただの、リア。
そう口にした瞬間、長年肩にのしかかっていた重い鎧が、一枚、剥がれ落ちたような気がした。
「リア、さん。良き名じゃな」
エルマーさんは、にこやかに頷いた。
「して、リアさん。差し支えなければ、何か生きていくための術などはお持ちかな? この村では、皆が自分の役割を持って助け合って生きておるでの」
「術、ですか……」
私は考え込んだ。神殿では、祈ること以外何も教わってこなかった。刺繍や作法は習ったが、この村で役に立つとは思えない。唯一、実践的な知識として持っているのは、聖職者の嗜みとして学んだ、薬草学だけだった。
「……少し、薬草の知識があります。怪我の手当てや、病の時に役立つ薬草を見分けることなら、できるかもしれません」
それを聞いたエルマーさんの顔が、ぱっと明るくなった。
「薬師の知識が! おお、それはありがたい! 実は、この村には専門の薬師がおらず、皆が生半可な知識でやりくりしておったのじゃ。あなたのような方が来てくだされば、村人たちもどれほど心強いか」
エルマーさんの喜びように、私は少しだけ胸を撫で下ろした。どうやら、この村で厄介者扱いをされることはなさそうだ。
「ささ、立ち話もなんじゃ。村のはずれに、今は誰も使っておらん空き小屋がある。少し古いが、手入れをすれば十分に住めるはずじゃ。さあ、こちらへ」
エルマーさんはそう言うと、私とフェンを村の中へと案内してくれた。
その夜。
簡素なベッドに横になりながら、私は窓の外を眺めていた。
月明かりが、森の木々を銀色に照らし出している。
すると、森の縁、ちょうど光と闇の境界線に、巨大な影が静かに座っているのが見えた。
フェンだ。
彼は、私が眠りにつくのを、あの場所からずっと見守ってくれているのだ。
そのことに気づいた瞬間、また、涙が溢れてきた。
でも、それは悲しい涙ではなかった。
孤独ではない。
私は、もう一人ではないのだ。
その安心感が、温かい奔流となって私の心を洗い流していく。私は、声にならない声で、そっと夜空に問いかけた。
「私……ここに、いても、いいの……?」
それは、新しい世界への、不安と希望が入り混じった問いかけ。
フェンは答えない。ただ、月光を浴びた彼の金色の瞳が、遠くからでもわかるほど、優しく輝いた気がした。
新しい生活が始まって、数日が経った。
私は村の子供たちに頼まれて、森の浅い場所で薬草摘みを教えたり、村人たちの些細な切り傷や打撲の手当てをしたりして、少しずつ「薬師のリア」としての役割に慣れていった。
そんなある日の昼下がりだった。
「リアさん! 大変だ!」
私の小屋の扉が、勢いよく叩かれた。慌てて扉を開けると、そこに立っていたのは、村の若い母親であるサラさんだった。その顔は真っ青で、今にも泣き出しそうだった。
「どうしたんですか、サラさん。落ち着いて」
「娘のエマが……! 朝から熱が高くて、うなされているの! 体を冷やしても、何をしても全然良くならなくて……!」
私はサラさんに連れられて、急いで彼女の家へと向かった。
ベッドに寝かされていたのは、五歳になる娘のエマちゃんだった。真っ赤な顔で、ぜえぜえと苦しそうな呼吸を繰り返している。額に触れると、火のように熱かった。
(ひどい高熱……!)
このままでは、体力を消耗して危険な状態に陥るかもしれない。
その瞬間、私の脳裏を真っ先に過ったのは、聖女の持つ治癒の力だった。この力を使えば、エマちゃんの熱など一瞬で下げることができるだろう。
聖女リリアンナではない、ただの、リア。
そう口にした瞬間、長年肩にのしかかっていた重い鎧が、一枚、剥がれ落ちたような気がした。
「リア、さん。良き名じゃな」
エルマーさんは、にこやかに頷いた。
「して、リアさん。差し支えなければ、何か生きていくための術などはお持ちかな? この村では、皆が自分の役割を持って助け合って生きておるでの」
「術、ですか……」
私は考え込んだ。神殿では、祈ること以外何も教わってこなかった。刺繍や作法は習ったが、この村で役に立つとは思えない。唯一、実践的な知識として持っているのは、聖職者の嗜みとして学んだ、薬草学だけだった。
「……少し、薬草の知識があります。怪我の手当てや、病の時に役立つ薬草を見分けることなら、できるかもしれません」
それを聞いたエルマーさんの顔が、ぱっと明るくなった。
「薬師の知識が! おお、それはありがたい! 実は、この村には専門の薬師がおらず、皆が生半可な知識でやりくりしておったのじゃ。あなたのような方が来てくだされば、村人たちもどれほど心強いか」
エルマーさんの喜びように、私は少しだけ胸を撫で下ろした。どうやら、この村で厄介者扱いをされることはなさそうだ。
「ささ、立ち話もなんじゃ。村のはずれに、今は誰も使っておらん空き小屋がある。少し古いが、手入れをすれば十分に住めるはずじゃ。さあ、こちらへ」
エルマーさんはそう言うと、私とフェンを村の中へと案内してくれた。
その夜。
簡素なベッドに横になりながら、私は窓の外を眺めていた。
月明かりが、森の木々を銀色に照らし出している。
すると、森の縁、ちょうど光と闇の境界線に、巨大な影が静かに座っているのが見えた。
フェンだ。
彼は、私が眠りにつくのを、あの場所からずっと見守ってくれているのだ。
そのことに気づいた瞬間、また、涙が溢れてきた。
でも、それは悲しい涙ではなかった。
孤独ではない。
私は、もう一人ではないのだ。
その安心感が、温かい奔流となって私の心を洗い流していく。私は、声にならない声で、そっと夜空に問いかけた。
「私……ここに、いても、いいの……?」
それは、新しい世界への、不安と希望が入り混じった問いかけ。
フェンは答えない。ただ、月光を浴びた彼の金色の瞳が、遠くからでもわかるほど、優しく輝いた気がした。
新しい生活が始まって、数日が経った。
私は村の子供たちに頼まれて、森の浅い場所で薬草摘みを教えたり、村人たちの些細な切り傷や打撲の手当てをしたりして、少しずつ「薬師のリア」としての役割に慣れていった。
そんなある日の昼下がりだった。
「リアさん! 大変だ!」
私の小屋の扉が、勢いよく叩かれた。慌てて扉を開けると、そこに立っていたのは、村の若い母親であるサラさんだった。その顔は真っ青で、今にも泣き出しそうだった。
「どうしたんですか、サラさん。落ち着いて」
「娘のエマが……! 朝から熱が高くて、うなされているの! 体を冷やしても、何をしても全然良くならなくて……!」
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ベッドに寝かされていたのは、五歳になる娘のエマちゃんだった。真っ赤な顔で、ぜえぜえと苦しそうな呼吸を繰り返している。額に触れると、火のように熱かった。
(ひどい高熱……!)
このままでは、体力を消耗して危険な状態に陥るかもしれない。
その瞬間、私の脳裏を真っ先に過ったのは、聖女の持つ治癒の力だった。この力を使えば、エマちゃんの熱など一瞬で下げることができるだろう。
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