サリティスの混迷なる花

イナミ

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サリティスの混迷なる花

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週に行われていた王子の宮への集いは。
月に1回となった。

そのうち何ヵ月かに1回となり。
年に1回のお楽しみ会、と成り果て。
しまいには、年末行事の隣りに鎮座させられるんだろうなあと想うと。
愉快になり、笑いがこみ上げて来た。
やったー。って。
正教会の思惑がはずれたんだ。
こんなに嬉しい事はない。
おれは消されるけど。




おれを正教会が見つけたのは。
貧民街にあるお馴染みの粗末な部屋で、母親に殺されかけている時だった。
首を絞められていた。

母親は、涌き出る涙でグチャグチャになった顔を安い化粧と一緒に歪めながら、おれの首を、栄養失調の骨の棒の様な両手の指で、絞め上げていた。
自分の子供に対する殺意だけが純粋にあった。

抵抗、出来ず。
抵抗しよう、とも想わず。
このまま死ぬんだ。とあきらめていた。

大人の集団に長時間強姦されて殺されて、排水の臭い漂う路地裏にバラバラと捨てられるよりは、随分とマシな方の死体だな、と想った。


おれはまだ誰とも寝てはいなかった。が。
母親が近い日におれにも大人の相手をしろ、と言い出すのはわかっていた。
なんとか理由をこじつけて逃げ回っていたけれど。
この日は、とうとうマジギレした母親に首を絞め上げられていた。

ノック無しでのいきなりのドア開けは、正教会、としては如何なものかと。


結果的には助けられた形になった。
でも、素直に感謝は出来なかった。

正教会。
は、どことなく怪しい噂が、貧民街の古くからの伝説として囁かれている。

それは、消えかけては、また、広まり、消えそうになるのにまた、誰かが、噂をしはじめ、静かに音をたてない様、ゆうっくり、何気ない空気の衣を被ろうとたくらんでいるようだった。


子供を攫っている。
ある特徴の子供を。

甘味の血肉を持つ、指が11本の子供。







貧民街に生まれた。
、、、、しょうがない。
上を望んでしまうと、それは果てしもなくキリがなくなってしまう。
神様に祈っても、叶えてもらえるとは想っていない。
どうしておれは、この世界に生まれてしまったのだろう。
母親が大人と寝たから、おれが出来たのはわかるけど。
おれがおれの生まれる場所を選べるのなら、おれはどこの世界にも生まれたくない。
どんな人生も選びたくない。

人間は、生きる意味、が、あるもの。
なのだろうか。

動物の命を狩って肉を焼き。
植物の命をむしって茶の葉にする。

何かを犠牲にして、生きている。
何かを犠牲にしなければ、生きられない。なんて。そんなの、、、、。




学集所は、ひび割れた古い石畳が広がる、陽があまり入れない奥の方にあった。
道に落ちていた靴の足跡だらけだった紙を拾った時は、清掃の仕事かなと想ったけど無料で文字を学べる場所だった。
貧民街で手習いを教えてくれる所は数も少なく、お金も必要になる。
その日の食べ物を買おうか、明日の分にまわそうかと悩むのに。文字の為に、お腹が空いたままで字を書くのか、、、。



、、、文字の方を選んでしまったおれは
後悔はなかった。




母親に渡さないといけないお金に、手はつけられない。これ以上ない程の低い賃金で働かされる貧民街の人間は、仕事にありつけるだけでもマシだった。
仕事を斡旋をしてくれる場所は、いつも大人で混雑している。子供はいつも隅に追いやられる。
子供だからと、交渉前のお金より少なく渡されたりする時もある。

おれの背丈を越す大きなシーツを、何十枚も1日かけて洗ったり。
急に必要になってしまった花を、雇い主の住所とサインがあるカードを花屋の主人に渡して受け取り、また別の花屋にカードを渡し花を受け取るのを何往復もさせられたり。
好きな人への手紙のやり取りを、親にバレないように届けてあげたり。
街や貧民街の路地裏迷宮ツアーをしてあげたり。

上手くやっていけるって、想っていたのに。

母親が、おれにも大人と寝て、もっと金を稼げと、言い出さなければ、、、。


大人と寝て、お金をもらってる事をバカにしている訳じゃない。
そうしなければ、飢えて死ぬか、病気になっても薬のお金も払えない。
ちゃんとした食べ物も、買えず。
着古して破れが多い服ばかり、着ているし、住んでいる部屋のお金も払えない。
おれが探した仕事では、母親の1日分の食料にしかならない。だから、母親は、いつも違う大人と寝ているし、その間はおれは部屋から閉め出されていた。

部屋から閉め出されもしなくなったのは、いつ頃だったろう。
母親と知らない大人が寝てるのを、おれはどんな想いで、見てたんだろう。
母親は、その時泣いてたんだろうか。
それとも、おれが、泣いてたんだろうか。

お金がなければ何も始まらないし、何も出来ない。
それなのに、おれはおれの体を、どうしても、お金に出来なかった。
母親の為に、おれの体を売ろうとするのに。
なぜだか、おれは、おれを売る事が出来ない。

それをしてしまえば。
神様を裏切ってしまう。

と、なぜだか、想ったんだ。
、、、、、。











売る事が出来ないとか言いながら、おれは正教会におれを売った。




母親から離してくれた正教会の教士達は、痩せているおれの体を気遣ってくれたのか。
食べ物と薬と服とお金を、散乱している古くて汚い部屋に置いて行った。
かわりに、ぐったりとしている母親を連れて行った。
おれは母親が連れて行かれるのを、ただ見ていた。
母親を手当してくれると想ったんだ。
時々苦しそうに咳込んでいるのを知ってたから。

母親は、何日たっても、帰って来なかった。






正教会への入り口は、何処なのか、わからなかった。
貧民街を探しても、街の方を探しても見つけられなかった。
いつもなら、わりと目に付く教士達の地味なマント姿も、貧民街や街から見なくなった。
おれが母親の行方と正教会の教士を探そうとした頃から、見かけなくなった。





学集所には、毎日朝から通っている。
前は、母親に気づかれない様にしていた。
今は、そんな必要もないのに、気が重い。
母親を探しながら、文字を教えてもらっている。
母親を探す事だけをしていればいいのに。な、おれ。

正教会の教士が勝手に置いて行った物に、、、、。
、、、、やっぱり、手を、つけてしまった、、、。
たまっていた部屋の代金を払う。
古着だが穴がなくて清潔な服を着る。
夜だけでなく、朝も、昼の分も食べ物を買える。
置いて行ったお金は、しばらくはおれが仕事をしなくても飢えて死なない物だった。、、、、、。







教士になるには、どうしたら良いのか。

学集所の人に聞いてみた。
その人の、目つきは非常に悪かった。
過去に必ず何かをやってるんだろうなあと、わかる。
一重の瞼の瞳は夜の色、髪は藍の色をしていた。
いつもいる講師が何かの用事で来れない時に来る人だ。
大人になって間もない様に見えるけど、もっと年数を生きている様にも見える。
学集所には、おれの他にも子供達がいたが、特に女の子達に人気がある。
始めは、あの目つきの悪さに恐怖し、びっくりし大泣きしそうになっているが、教え方がものすごく丁寧で、わかりやすい説明と優しく柔らかく低い声。
文字のスペルを何度も間違えても、怒ったり怒鳴ったり手を上げたりしない。
両腕の隆起している筋肉を触られても、自分も子供のような笑顔になって女の子達の相手をしている。
女の子達にせがまれて肩車をしてあげていた。



カル、と呼んでくれたら、教えてやる。
そう言われた。
臨時講師の名前は、カルムと言った。
学集所の子供達はみんな講師様とは呼ばずにカルム、と友達呼びをしていた。
なんでおれだけ、愛称呼びを強要するんだ。嫌がらせか。
おれだけが名前呼びをしてないからか。

呼びたくないけど、カルと、呼んだ。
もしかしたら学集所でも、カル、と呼ばなければならないのだろうか、、、。
女の子達の視線が、、、。
おれを突き刺すのか、、、。


カルムには学集所が終わる時間に声をかけた。
教士になるのには試験問題でもあるのかと。
夜の時間を指定され、学集所がある路地の入り口で待ち合わせた。

おれが小さな声で、カルと呼ぶのを聞いて満足そうな顔をする。
そんなに気にしてたのか。
懐かない動物みたいに見られていたかと想うと、なんか腹立つな。カルムより背がないからって下に見るなよ。
そしてカルムは、おれを学集所でも呼んでいるサリティスと言ってくれたけど、おれも、サリ、でいいと言った。
その方が対等な気がするし。


カルムは、人通りが少なくなった夜の貧民街を走る辻馬車を、片手を軽く振って止めるとおれを先に乗せた。
馬車は、通りではいつも見ているけど、おれは乗った事がなかった。
ドキドキと跳ねる心を、カルムに悟られたくはない。

おれ達を運ぶ1頭の馬は、おれの体を嗅ぎたいのかしきりにおれの方へ鼻を近づけようとしていた。
御者が声と鞭で正面を向かせていた。
おれに撫でて欲しかったのだろうか。









正教会へこのまま連れて行かれて、どんな試験があるのか教えてもらえるとは、さすがに今は想っていない。

夜の空気が、おれをなじっている様に感じた。
何をやっているんだと、引き返せ、と。





後悔した。
こなければ良かった。
教士に近づけば、母親がどうなってしまったのか。
わかると想った。
カルムが持っていたペンには、正教会の印が刻んであった。
四角形の中に、飛び立とうとする鳩の絵を入れた、紋様。




カルムに、戻りたいと伝えるのを分かっていたのか、街のお金持ちの門の前に、辻馬車は着いていた。
話しは既に聞いているのか、門番は怪しい夜の訪問者を屋敷に入れた。

屋敷の内情を知っているのだろう。
カルムは、来客用の部屋に案内しようとする側使いを下がらせ、おれを高そうな装飾のあるソファーで待つようにと言った。
カルムの顔は、学集所で子供達の相手をしている時とは別人のようで、どこかの貴族の令息にも、狡猾な教士にも、人買い商人のようにもみえた。


おれは、売られたのか。
正教会を探ろうとして、厄介だから殺そうとなったのか。
手足を切り離され、深い土の中に放り込まれるのだろうか。

カルムに声をかけたのは、カルムにはいつも会えるわけじゃないからだ。
臨時講師としても、カルムが必ず来るとは限らない。
今夜しかない、と想った。




ソファーの前にある派手な色の高そうなテーブルに、華奢な1輪挿しの花瓶があった。
そこには、夜の色をしたユリが、活けられていた。

おれは。その夜の色のユリを、想わず手に取っていた。茎から滴る水を気にする事もなく。
毛足の長い高そうな絨毯が水を弾くのをそのままに。

夜の色のユリの香りを、おれの体にうつしたかった。

ごめんなさい。夜の神様。
おれはあなた様を裏切った、、、、。












おれは2神様を信仰している。

けれど、おれは夜の神様が好きだ。
夜の神様には陽の神様と言う伴侶がいらっしゃるが。
ちいさな人間の恋心に、陽の神様は嫉妬なんてしないと想う。

おれは、陽の神様の加護を授けられて生まれた。
なのにおれは、夜の神様に魅かれた。


小さい頃、近所の子供とケンカをして、悔しくて眠れなかった時、夜の空に流星を観せてくれた事。
母親が、月が綺麗な真夜中に酔って帰って来た時、おれを見て、初めて、愛してるって抱きしめてくれた事。
おれに父親はいるのだろうか、もしいたら、優しくしてくれるだろうか。と、日中は少しでもお金が多い仕事が欲しいから、子供でも出来るのをと焦っていて、もの想いに浸る時間も無い。

夜の神様の時間は、おれの生きる糧だった。

だからこの体も、夜の神様の物だと想っていた。
人間と交わってはいけない。
おれの体を捧げるのは、夜の神様だけだ。と。

それなのに、おれは、夜の神様に告げた誓いを、おれの都合で破っている。

捧げるどころか、生け贄にもなれずに殺される。
、、、母親も、殺されたのだろうか。








何処か遠くで、カルムの、おれを呼ぶ、声がしている。













分かってるよ、うるさいな。
王子の宮へ行く日なんだろ。
曜花なんて何でもいいだろ。
間違って別なのを挿してても、誰も何も言えないだろ。
せっかくいい夢を、見ていた気がするのに。
カルムの声で起こされてしまった。
朝だけど、まだ寝ていたい。
王子の宮の集いなんてくだらない。
どうせご機嫌伺いの延長なんだから。
王子の側使い達の苦労が伝わってくるよ。


カルムが話しかけてくるけど、ムシしてやった。
言われなくても分かってるよ。
要するに愛想を良くしてろって事なんだろ。
笑顔の練習なら鏡を見なくても、もう出来る。



おれは、カルムと一緒にあの屋敷で生活している。
期限付きで。
正教会の出す条件を成し遂げたら、母親がどうなったのか教えてくれるそうだ。

教える気なんて元からないくせに。

おれは、もう、どうでも良くなっていた。

どうせ最後は殺すんだろ。
口封じとか言いながら。

なんなら今から殺してもらっても、まったく別に構わないよ。

おれはすでに罪人だ。
夜の神様を裏切った。
陽の神様の加護も、きっともうない。


この世界に生まれた人間は、必ず神様の加護を授けられる。

2つの加護持ちは、果報者とか言うらしいけど。
加護なしは、罪人だ。

神様がこの世界に施された秩序を破った人間は、加護を剥奪される。

剥奪されると、天の国には入れない。
地の国に入れられ、罪の償いが終わるまで罰せられる。



加護を剥奪された人間は、すぐには気付けないらしい。
加護を持っていても不幸はあったりするから、自分がどんな罪を犯したのかさえ理解出来ず、後継ぎの世代になってようやく判明したりする。

加護は、生まれた時に印が額にうかぶ。
3日目には消えてしまうが、加護がなくなったわけじゃない。
近くの正教会で、無料で自分の加護印を確認できる。

罪を犯したと自覚した人間は、誰にも分からない様に、神様の加護がない事を知られないように、ただ静かに、日々を生きるのだろう。

いくら無料でも、正教会の教士と一緒に自分の加護印はまだあるのかなんて、確認したくないだろう。


カルムは、どちらの加護を授かっていたのか。
加護はもう神様から剥奪済みなはず。
あの兇悪そうな顔とオレ様な態度。

なぜこの屋敷の、大人の女性の側使い達から人気があるのか、分からない。


どちらの加護を持っているかは、その人の髪の色や瞳の色。性格や持ち物の好みで、だいたいの見当をつける。

聞かないのが暗黙の了解となっていて、自分の加護を言いふらしたり、相手の加護を聞いたりするのは礼儀に反するとされている。



この屋敷の持ち主には、まだ会っていない。
他にも屋敷を持っていて、そこで生活しているのだろうか。
カルムは、屋敷の側使い達全員の名前を知っていたし、屋敷の持ち主の代わりの作業もこなしていて、おれの側使いも兼任している。

見張り役か。
鬱陶しい。

逃げたりしないよ。
今は。
約束は守ってやる。

王子への貢ぎ物の小姓として、華麗に振る舞えばいいんだろ。

どうして貢ぎ物になるのか。
どうしておれが貢ぎ物になれるのか。
聞きたくないから、理由を聞くのをやめた。
理解出来ると想えないし、分かりたくもない。

さも上品な、気品あふれるいかにもな上級国民であるのを演出し、人を人間とも想わない想定をし、自分が1番エライと考え、自分以外はゴミと想い、相手が立ち上がれない言葉を優しく笑顔で投げ掛けて上げる。そして、正教会の印象操作をより良い方向に持っていければ、条件を成し遂げた事になるんだろ。

貧民街で仕事あさりをしていれば、見たくなくても出会ってしまうイヤなお金持ち。
ああいうのを参考にしたけど。
合ってるだろ。

食事の行儀作法とか、あれは何なんだ、ナイフとフォークで両手首の筋肉を鍛える直す鍛練か特訓なのか。
食べ物をすぐ口にしちゃダメとか、お貴族様のルールは複雑だ。







貧民街から城は見えるが、白い城壁のほんの少しの部分だけだ。
後はお金持ちの家屋敷に阻まれる。

いつだったか。
貧民街の長寿の占いおばあが。

サリ、お城にご招待される日が来る。
それまで、夜の神様の良い子供でありなさい。
と、おれに言った。

占いおばあは、おれが夜の神様が好きなのを知っていた。
陽の神様の加護を持っている事も、知ってるんだろう。
それ以上は何も言わずに。
占いおばあは、自分が食べるはずだった物を、おれにくれた。


占いおばあ。
夜の神様は、もうおれの事、嫌いになってるよ。











お城に行く前の腕鳴らしとして、貴族のお茶会に出席する事になった。
正教会の預かり子は、評判が悪いらしい。
カルムが側使いとしておれの周囲を更に威嚇するから、おれに近づこうと努力してくれたのは、お茶会を主催した貴族だけだった。

毎日。昼、夜と開催されるお茶会や夜会は、場所が違うだけで、やってる事はいつも同じ。
他の人間をどうやって蹴落とすか。

屋敷に戻ると、側使い達がおれの体を心配してくれる。
貧民街で仕事の斡旋を大人と競い合っていたおれとしては、優雅すぎて体力は削られてもいない。
むしろ余っている。

この後、湯浴みをして食事となるけど、おれはいつも湯浴みの途中で寝てしまうらしい。
気がつくと高級寝具に包まれたベットの中にいる。

それもあるからか、側使い達が心配そうにおれを見ている。
そういう視線は今まで体験した事がないから何だかこそばゆい。
心配されるって、こういう感覚になるんだな。





王子の宮の集いは、正教会も知らない事だったらしく。カルムの慌て振りは意表をついた物で。
楽しめた。



貢ぎ物としてのおれは後回しにされ。

王子の宮の集いに参加するのが目的となった。










城から招待状が届いた。
王子の宮の集いを観覧する、招待客として。


おれは特技なんてない。

口笛でカラスを呼べる事くらいか。
、、、、、。
それももう出来ない。
カラスは夜の神様の眷属だから。
夜の神様を裏切ったおれは、呼べない。


そのカラスは左の羽をケガしていた。
空から、おれがこれから踏もうとしていた貧民街の汚ない石畳に落ちて来た。
まだ息があったし、おれは夜の色の両羽を触りたいよこしまな気持ちで、カラスを助けた。

母親はこの時、泊まりの仕事があるからと、何日かいなかった。

夜の色のカラスに夢中になった。
指と手からエサを啄ばむくちばしは、おれの指や手の平をキズつけたりせずに軽く突いてくれる。
くすぐったい。
頭を撫でると、さらにおれの手の平に気持ち良さそうに包まれてくれた。
可愛くってずっと飼っていたかった。


母親が帰って来る、古い階段の音がした。
カラスはおれと一緒に窓際にいて、おれの左頬を優しく啄ばんでくれていた。
部屋のドアが開くと同時に、両羽を大きく開き、ケガをしていた左の羽はもう大丈夫と。名残り惜しそうにおれを見て、空へ飛んで行った。


1人の時、貧民街の空を見上げて口笛を吹くと、どこからともなくあのカラスが来てくれて、おれの頭上を旋回すると滑らかにおれの肩に止まってくれた。

空から、おれがこれから行く仕事場まで、見守ってついて来てくれたりした。


さよならの。
別れの。挨拶を、したかった。












途中から王子の宮の集いに来るようになったある教会の預かり子が、城を目指して走っていると街中の話題になっていた。
走る?
城まで?

バカなのか。
善良の斜め上を行く、とっても可哀想な子供なのか。



王子と同じ様な年頃の若い男女が集う。
王子の寵愛を獲得しようと、熾烈な争いが繰り広げられている。
くだらない。


おれも王子と似たような年だけど、その中に入れられるなんて。やめてくれ。



カルムにバレない様に、逃げる準備は少しづつはしていたけど早めよう。

その前に、城まで走る教会の預かり子が気になり、顔を見てやろうと想った。


カルムには正直に話した。
王子の宮の集いを欠席する。
預かり子の走る姿が見てみたいと。
カルムは飲んでいた高級な茶葉の紅茶を吹き出し。
大人の女性の側使いから、膝に掛かった紅茶を、優しく、より丁寧に拭いてもらっている。

おれがその様子をじっくり見ていると。

咳払いをしながら。
これ切りだと言い。
街の街道への許可が降りた。




曜花は、紫の色の花。
おれの髪の色だった。

古着に着替えて、くたびれた帽子を被り、おれは街の人達と並んで立っている。
カルムが後ろのどこかでおれを監視でもしているんだろう。


さっき通った、王国仕立ての2階もある馬車は、今さら、教会の預かり子を乗せられないのか、中に乗っている若者達のうめき声を、車輪が豪快な音で引き下ろしている様だった。



預かり子達は。
痩せていて気力がない優しい性格の子供か、元気過ぎて何でも欲しがる子供か、極端過ぎる程見事に分かれる。

裏で美味しそうな取り引きをしてるんだろうな。



城まで走れる預かり子は、どんな感じの子供なんだろう。
王子が気に入ったりするんだろうか。





街のゆるやかな坂道の下から、歓声が大きく上がって来る。
預かり子の姿も見えて来た。

生まれたてのヒヨコのような髪の色をしていた。
髪は頭の形が分かるほど短く、それが良く似合っている。
瞳は、透明だった。
どの色もついていなかった。
空の雲の色を移したかと想えば街の商店の看板を移す、預かり子の心のままに瞳は色を変えていった。

城の方向を真っ直ぐに見つめ、力強く街の石畳を裸足で踏みしめ走る姿は、一生懸命で、微笑ましく、街の人達が応援したくなるのが良くわかる。
見ているこちらが幸せな気持ちになる。



王子は預かり子を側に置くだろう。
、、、ずっと。









預かり子と、王子の宮の集いで会えなかったのは、いつもおれが我慢出来ずに先に帰ってしまうからだ。
退屈で。
最初は物珍しさもあったが、しだいに元ネタを理解すると次の展開も読めてしまい。
飽きて来た。
オリジナルで勝負しろよ。
お家の名誉がかかってんだろ。
貧民街の子供達の方が、まだ骨があった。


先週の王子の宮の集いを欠席し、預かり子の走る姿を見に行っていたおれは。
今週の預かり子が何をするのか気になり、最後まで観覧席にいた。

預かり子は、欠席していた。

もう、この集いには、来ないか。
残念だな。、、、、。

預かり子が何を披露していたのか。
カルムは知っているだろうか。

カルムに声をかけようとした時、おれの左頬を擦ったのは。
小型の細い剣で。
勢いのまま通り過ぎ。王子の宮の美しい白の色の壁に澄んだ音色で突き刺さる。

刀剣類は所持して良いが、人を傷付けるのは禁止されている。

カルムは側にいなかった。
何かあって離れたのか、おれにひと言もなく離れるなんて今までなかった。
カルムはおれを見限ったか。
やっとか。
ホッとした。
これでおれのやりたい様にできる。

カルムの言い付けを守ってそれをやると必ずおれは、そいつらから嫌な顔をされる。
おれにそれをやらせてるのは、カルムなんだけどな。
文句があるなら、カルムに言ってくれよ。


教会の預かり子のくせに生意気だ、と富豪商会の令息の、取り巻きらしい子供達が喚いている。
甲高く響く声がうるさい。

仰せの通りです。
間違いではございません。
まごう事なく貧民街の出自です。
何の問題が?
お城からご招待されたから、ここにいるのですが。
ご招待状を疑うのなら、そちらの商会の息がかかっていない。公平な正教会の者をこそ、ここに呼びましょう。
彼らは神のごとく公平です。
身分など神の前では無意味です。
この王国を豊かに導いて下さったのが2神様なのです。
王子様の宮に正教会は出入りしておりませんが、王様の宮に正教会の者がおりますから、その者らをここに呼び寄せましょう。
ご心配には及びません。
この頬の傷の治療費は、王国の国庫から出して頂きます。
若き王子様の宮で起こってしまった事ですので。
ご多忙な王様ですが、王子様に関係する事なら、何を置いてもすぐこちらに駆けつけて下さるでしょう。
お優しい王様ですから、分け隔てなく処分をして下さる。もちろん自分にも罪があると分かっております。貧民街の卑しい出自の者が、頭も皆様より良く、顔も皆様より品が良いものだから、自分よりお高い身分の方々が嫉妬してしまうお気持ちを分からず。知らず知らずのうちにこの上なく失礼な振る舞いをして、軟らかいお心を今だにお持ち続けていらっしゃる皆々様を殊更に傷付けてしまっていたのですね。
お赦し下さいますよう。


おれは。
頭を深く深く深く下げ。
王様にしかしてはならない、最高級の礼節作法を、取り巻きの子供達に、もの凄くわざとらしくご披露してやった。
おまえ達が望んだのは、こういう事なんだろ。
王国で1番エライ王様と言う人間になりたいんだろ。
おれは、夜の神様を裏切った。加護なしだ。
罪人に崇められて喜ぶおまえ達。
気は確かか?


サリティス様!

想わず振り向いてしまった。
カルムが笑顔でおれに近づいて来る。
見限ったんじゃなかったのか。
おまけに拍手もしている。

この集いで1番面白い出し物だったぞ。

と、小声で言い。
白く光る床からおれを立ち上がらせた。
腕に両手を差し込むのはやめてくれよ、1人で立てる。


おれが買ってやったケンカは。
茶番とされ、誰も処罰をされず。
おれの左頬に擦り傷をつけた短剣は、消えていた。












夢を、見るんだ。
おれは、カルムの肩に縋って謝っている。
何度も、謝っている。
泣いて、許して欲しいと。
泣いても、カルムは許してくれず。

おれ、カルムに、何か悪いことを、してしまったんだろうか。
だったら、すぐに謝らないと。
ごめんなさいって言わないと。

ごめんなさいと言っても、カルムは。


夜の神様を、裏切ったみたいに。
おれは、誰かを裏切ってしまうのだろうか。

そんなの、おれはしたくない。
、、、、。




人間は、何かを犠牲にして生きている。
人間は、何かを犠牲にしなければ生きてられない。

おれは、今まで、母親が犠牲になってくれたから、貧民街で生きて来れた。

おれの首を絞めていた母親は。

好きな大人が出来て、おれが邪魔になったから、殺そうとしたんじゃない。

ただ、ただ、毎日のように襲う、その日の空腹にはとうとう耐えられず。

食べ物を、自分の口に入れたい為。
食べ物を、自分も手にしたい為。
おれが、母親からもらった今日で最後の食べ物は。

おれが、仕事を見つけられない日が何日も続き。
それは、おれが大人と寝てお金をもらっていれば、すべて解決できた事。

逃げて。
ごめんなさい。

おれは、夜の神様から、穢れた子供と、蔑まれたくなかった。

ずっと。夜の神様の。
良い子供で。
ありたかった。
おれの、我がままが、おれを殺そうとしただけ。

おれが、生きていく為に。
犠牲にしてきたのが、母親。
母親を娼婦に堕とした。
母親の体の病気を、深く考えようとしなかった。
犠牲者、に母親を選んだ。


おれは、母親の死体の上で生き。
母親の、死体の腐敗を食べて成長する。

母親がどんな花が好きだったのかさえ覚えていない。

死後の世界。地の国に入れられたら。
どんな償いが待っているんだろう。

せめて母親の好きな花に身をかえたい。
地の国に根を張り、母親への償いとして。
終わることなく咲き続け、
狂うんだ。





















当てがわれている贅沢な寝室の、夜の窓際に腰かけている。

正教会から怒られると想っていた。
けれど。
王子の宮での寸劇の報告に、正教会のエライ人達が気を良くした。
と、カルムが言う。

それは、どのあたりを指すのか。
、、、。


おれは正教会の今後の発展の為の、欠かせない次代の幹部候補生、の、1人として。

カルムが、推薦して。

勝手に入会の手続きもして来たと言う。

おれ自身がサインをしなくても受け付けるのか?


とってもいい笑顔になって、とっても嬉しそうに。
さも得意げに。
話すカルムの足を、おれはおもいっきり踏ん付けてやった。
少しは痛がれ!







屋敷の、大人の女性の側使いが。
まだ続けられている王子の宮の集いに。
陰鬱な顔を隠そうともせず、入城ではなく、地の国へ、煌びやかな装飾達に纏わり付かれているままの衣装で直行しそうな素振りのおれを見て。

お母様は生きておりますよ。

と、言った。

カルム様に、もう少しお優しくして下さいな。
カルム様は、サリティス様に褒めてもらいたいんですよ。

と。
驚いて顔を上げてしまったおれは。
時間を告げに衣裳部屋に入って来たカルムを見ると、想わず睨み付けていた。
大人の側使いの女性は、確認し終わったはずの衣裳をまた確認しようとおれの後ろにまわっていた。




母親を連れ去り、代わりに置いていった古着には、カルムの、微かな匂いがついているのを、最近になって知った。

いま着ているこの古着も。
屋敷住まいが決まった時、貧民街のあの部屋から持って来ていた。

カルムが、まだおれくらいの時に着ていた服なのだろうか。
サイズが少し大きいのが、気に食わない。


あの薬やお金は、正教会からではなく、カルム個人からだったのか。

おれを、貧民街のどこで見かけていたのだろう。

ありがとう。
を、まだ、言えないでいる。







窓から見る街の夜空は綺麗だけど。
おれは穢れているから、ただの夜景だ。
穢れる前だったら、もっと素晴らしく感じ取れる。
夜の空気は、あれから、おれには何も囁やかない。
おれは感じ取れなくなってしまった。


寝室のドアをノックしてカルムが入って来た。
おれがカルムの古着を着ているのを見て。
何も言葉をかけてこない。
無言でおれを見る、夜の色の瞳は。
おれを映してはおらず、別の誰かを悲しげに追っている様だった。



貧民街に戻るよ。
そこからこの屋敷に通いで来てもいいだろ。
時給でいくらになるんだ?
お金の詳しい話しは明日にしよう。
この時間は辻馬車も走ってないから歩いて戻るけど。
夜の散歩をしたい気分なんだ。
カルも一緒に来るか?
あの部屋、処分したのなら貧民街の汚い路上で寝るけど。カルに路上生活は耐えられないか。
天上人の生活に慣れてしまって、もう戻れないだろうから、ムリしておれに付き合ってくれなくてもいいけど。
雨が降らなくて良かったよ。
あ、それと。おれは正教会に入会したくてカルに声をかけたわけじゃないから。
退会の手続き、してくれるんだよね?


おれにはまだやりたい事が残っていた。
貧民街の、いつしか誰も住まなくなった区域。
路地裏迷宮の、攻略だ。
おれだけでは絶対無理な地下通路の入り口への扉を見つけるにはカルが必要だ。
どうやってカルを口説き落とそうか。

正教会に消されても。
カルになら、殺されてもいい。
おれはカルなら、幸せな夢を見ているように受け入れられる。
おれを飢えから救ってくれた、夜の色の瞳のカル。
ありがとうって、おれはいつ、言えるのか。

朝になったら、貧民街の空にあのカラスの姿を探そう。
おれを忘れてるだろうけど、おれはあのカラスなら見分けられる自信はある。
名前を早くつけてあげれば良かった。
気にいった名前がなかなか出てこなくて。
名前で呼んであげれなかった。




路上で寝るには、もう少し厚手の物が必要か。
、、、カルでいいか。
雨や風の他にも色々なのを防いでくれそうだ。



おれはカルの左手を取り、言った。

おれの友達になってくれないか。
1人はもう、いやなんだ。



カルは、おれの額に、くちづけをくれた。










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