神のご加護はありません

ささの うゃ

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第一章

第四話 夢現つ

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 翌日、朝からヘドロは気張っていた。
「おはよう! 今日から、史織の邪魔しないように頑張るよ」
「あのな、そこまで意気込む必要はないだろ」
 これで少しマシになるならいいか、とも思ったが、そう一筋縄ではいかないようだった。ヘドロは、俺に話しかけはしないものの、こちらをずっと気にかけている。その気配と視線が、気になって仕方がなかった。俺が動くと視線は追ってきて、距離を保ちつつ寄ってくる。一瞬、何か試されてるのかと思ったが、単にヘドロが、邪魔にならないように振る舞うのが下手くそだったというわけだ。俺のことを気にしすぎだ。
 数時間ほど我慢していたが、俺の限界が来た。ヘドロに目を合わせる。何も考えてないような、ぽやんとした顔に少々苛ついた。呼吸を落ち着ける。
「ヘドロ。お前、近所を散歩でもしてきたら?」
「んえ!? 邪魔してる?」
「いや、まあ半分そうだけど。お前も落ち着かねえだろ。少し、歩いてこいよ」
「ええ~でもぉ」
「あーじゃあ、ちょっと買い物でも頼まれてくれ。駅前の商店街まで行けば、全部揃うから」
「う~ん、わかったあ」
 声に不満を滲ませながらも、俺が差し出したメモと財布を受け取り、出掛けていった。
「気をつけて行けよ」
 何回か振り向いて様子を見ているため、俺は追い払う仕草をして、早く行けと促す。歩く姿が見えなくなると、俺は伸びをして、意識的に気持ちを切り替えた。
「庭の掃除でもするか」
 ふと、植えてある植物を見ると、葉が萎れていたり、虫に喰われているのが目立っていた。今日は植え込みの手入れをしよう。
 黙々と、虫食った葉やはみ出した枝を切ったりしていると、いい意味で、空っぽになっていくのがわかる。心にかかったもやが消え、澄み渡って、混じり気のない、本当の自分と向き合うことができる。植物は何も言わず、寄り添ってくれる。
 葉の裏に巡らされた葉脈をなぞる。繊細なそれを指先で感じて、生命力を分けてもらう。思うより弱い俺の精神も、植物と触れ合い、対話することで回復する。対話と言っても本当に話すわけではない。触れ合うことで通じ合っている。ありもしない、不確かなものと言えば、そうなってしまうかもしれないが、俺には植物ほど確かなものは、他になかった。
 剪定を終え、植え込みは美しさを取り戻した。風が吹くと、生き生きと空に向いた葉を揺らす。葉擦れの音は、笑っているようだった。
 俺は息をついて、いつも手首に巻いている時計を確認する。まだヘドロが帰ってくる時間ではない。多めに買い物を頼んだため、あと三十分くらいはかかるはずだ。今のうちに一服しようと、裏口に回る。裾が地面につかないように整えながらしゃがみ込んで、ポケットに忍ばせていた煙草に火をつけた。自分の口から出て、空へ消えていく煙をぼんやり眺めていると、眠気で意識が自分の脳から離れる感覚がした。火をつけたままだとまずいので、携帯灰皿に吸い殻を押し付ける。しゃがんだまま腕を組んで、目を閉じた。意識が離れていって、肥大化しているようにも感じる。自分の意識に飲み込まれるようにして、俺は眠りに落ちた。

 風が頬を撫ぜて、ふ、と吐息が漏れてしまう。春の空気の心地よさを、全身で感じていた。宙に浮いた意識が少しずつ引き戻される。そこで、風ではない、実体のある何かに髪の毛を撫でられていることに気づく。片頬にぬくもりを感じて、誰かの膝に横になっている、と理解した。
「ん゛……?」
「あ、史織。起きたあ?」
 寝返りを打ち仰向けになると、黒い前髪のカーテンを垂らして、まあるい瞳が覗き込んできた。毛先が頬をくすぐるし、空の眩しさもあって、いっそう眉をしかめ俺は起き上がった。
「は? お前、なん……何してんの」
「史織、うずくまって寝てたから。体ね、痛くならないように横にしてあげた」
「あ、そう……」
 状況を飲み込むのに精一杯だ。働いていない頭で、ヘドロの膝枕の寝心地は、予想外に気持ちが良かったな、とか考える。起き上がるときに、惜しいと思ったのだ。寝起きのふわふわした状態から、段々と体が自分のものに戻ってきたような気がする。
「うわ、服、砂だらけだ」
「あっ、ごめん。大丈夫? 洗わなきゃだね」
「気にするな。夕方のミサもうすぐだし、着替えてくる」
 袖についた砂をはたこうと視線を落としたヘドロに笑いかけて、頭を軽く撫でた。ヘドロは、口角をぎこちなくあげて、んへ、と声を漏らした。

 部屋で着替えている最中に気づいたが、俺は寝ぼけていた。先の行動を顧みると、気持ち悪いぐらい優しくヘドロに接していた。そりゃあ、あのような反応にもなる。俺が不気味だったのだから。自分がしたことを反芻し、いてもたってもいられぬような恥ずかしさを感じた。
 夕方のミサが終わった。ヘドロに声をかけようとすると、信者のご老人と話していた。
「君、いつも来ているね。熱心で素晴らしいよ」
「へへ。お掃除とか、手伝ってるんだあ」
「ほう、手伝いとは。働いてるのかね」
「ううん、ここが好きだから、お手伝いしてるの」
 ヘドロが、信者とまともに話しているところを初めて見た。あいつのことだから、すぐに他とも打ち解けるだろう。ここに来る人同士で仲良くなるのはいいことだが、なぜか、心に引っ掛かりがある。
 そういえばこの間、小学生が数人、訪ねてきたことがあった。ヘドロはいつの間にか、近所の子供と友達になっていた。その子達と遊んでいるヘドロは、心の底から楽しそうで、一回り以上も年下のちびっ子たちと、同じようにはしゃいでいた。その時も、形容し難い気持ちがあった。一体何なのか、分かりそうでわからない。
 ヘドロが話を終えて、こちらに気づいた。
「史織、どしたの」
 黒く輝く大きな瞳に見つめられ、眩しいような気がして目を細めた。
「いや、今日はもう帰るのか」
「へ? うん、そうだね」
「飯、食ってく?」
 瞬間、自分にぞっとした。帰ってほしくないと思ったのだ。ヘドロの相手は面倒で、疲れる。それを差し置いて、引き止めてしまった。何故だ? 自分がわからない。恐る恐るヘドロの方を見ると、予想外の提案に驚いた様子だった。
「や、買い物してきてもらったし、お礼……に」
 何を慌てて言い訳している。ヘドロは、それを聞いて嬉しそうに体を上下に揺らし始めた。
「ね、ごはん作るの、僕も手伝っていいっ?」
「……ん」
 教会の戸締りをした後、俺はヘドロを連れて、裏口から部屋への鉄階段を上がる。嬉しそうに後ろで跳ねる足音が、脳に響く。

「夕飯、何がいい。クリームシチューとか、カレーとか。そういう系なら作れそうだけど」
 俺は冷蔵庫を開け、中を確認した。牛乳、バターがあって、薄力粉もあるはずなので、シチューのためのホワイトソースは作れる。カレールウもある。肉は冷凍庫に鶏もも肉があった。ヘドロが買ってきてくれた野菜たちは、まだ袋に入って床に置いてある。
「クリームシチューがいい!」
「了解、じゃあ手伝ってくれ」
「は~い」
 ヘドロには、野菜の皮剥きを頼んだ。話すうちに、ヘドロは野菜が苦手だということを知ったが、シチューやカレーの、煮込んで柔らかくなったものなら食べられると胸を張っていた。威張るところではないだろう。生野菜のサラダでも出してやろうかと思った。
「んわ、いい匂い。シチューって、そうやって作るんだあ」
 俺がホワイトソースを作る様子を、横にぴったりくっついて眺めるヘドロは、成人男性であることが信じられないくらい、無邪気な笑顔をしていた。

 部屋には、クリームシチューの優しい香りが充満していた。二人でテーブルセットをして、席につく。ヘドロは前のめりでシチューを見つめる。
 俺は手を組み、食前の祈りを唱えた。ヘドロも、見よう見まねで祈るポーズをとっていた。
「冷めないうちに食べるぞ」
「うん! いただきます」
 スプーンでいっぱいにすくったシチューを、ヘドロはおおきな一口で食べた。
「はふ」
「はっ、頬張りすぎ」
 がっつき具合が面白い。美味しそうによく食べる。
「んん~! おいひい」
「そりゃよかった」
 嬉しかった。自分が作ったものを、こんなに喜んで食べてもらったのは久しぶりだ。前に勤務していた教会の司祭(俺の上司で、生活を共にしていたひと)は、さらっとした性格で、美味しいと言ってくれるが、あまり実感がなかった。大げさなくらいがちょうどいいのかもしれない。
 ヘドロの皿の中身は、もう空になっていた。手を合わせて小さく、ごちそうさま、と呟くと、俺をみてふにゃっと笑った。
「史織、元気になったね。よかった」
 俺は、感情や疲れなどの状態をあまり表に出さないよう、常に努めているが、やはり、ヘドロにはわかってしまうのか。出会ってすぐに感じていた、見透かされている居心地の悪さは、なぜか消えていた。
「お前には、お見通しだな」
 神様みたいだ。心の中でそう呟いたつもりだった。ヘドロは目を丸くして、息を呑んだ。
「なんで、なんでわかったの?」
 その一言で、部屋は不気味な静寂に包まれた。細く開けた窓からの涼しい風が、背筋をなぞる。
「あ……」
 ヘドロは、さっと青ざめた。失言をしたと理解して、怒られると思い怯えているようだ。しかし、対する俺は、ヘドロに関するまだ形の見えない何かを掴めそうな気がして、ほんのすこし、高揚していた。
「お前、神様なの?」
 本気で信じてはいないが、聞いてみる。職業柄いい気持ちもしないが、ヘドロに限って、神を軽視するような人間ではないと思った。
 縮こまっているヘドロに、努めて優しい口調で問いかける。
「怒ってねえから。自分を神様だと思う理由があるなら、教えてほしい」
「え、と。その、言っちゃダメ、だって……」
「誰かに言われたのか?」
 誰かに刷り込まれていたなら、合点がいく。
「えっ、いや、違う……よ。いや、だって」
 ヘドロの様子がおかしい。目が泳ぎ、別の人間と会話をしているみたいに見えた。
「ヘドロ? 大丈夫か?」
 ヘドロの肩に手を伸ばした瞬間だった。俺の手首をヘドロが反対の手でしっかり掴んだ。ヘドロは落ち着きを取り戻していて、俺の方を見ている。目つきがいつもと違う。丸く大きいのは変わりないが、いつもは感じない鋭さが、瞳の奥に見えた気がした。
 ヘドロは掴んだ俺の腕をそっと下ろして、ひとつ、息をついた。
「大丈夫だよ」
 一段階、低い声だった。別人だ。直感でそう思った。
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