神絵師、青春を履修する

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 史郎を迎え入れた校舎内は、ひとのにぎわいに満ちていながら閑散としていた。玄関の靴箱にも廊下にもひとの姿は見当たらず、けれどがやがやとにぎやかな声は聞こえてくる。間もなくはじまるホームルームのため、生徒も教師もそれぞれの教室におさまっているのだろう。
 おかげで史郎が廊下を駆け抜けても注意する声はなく、ぶつかる相手のいない階段を一息に駆け上がることができる。
「はあ、はあっ」
 運動不足の身体をうらめしく思いながらも史郎は脚を止めず、自分の教室までたどり着いた。閉められた扉をガラリと開けると、たくさんの視線が史郎を捕える。けれど、彼が目指すのはそのなかでたったひとり。
「猿渡さん!」
「ひょえっ!」
 机の間を縫って駆け寄った猿渡に、史郎は感極まって抱き着いた。
「絵の仕事! 正式にお願いしますって! 俺の絵、ぜひ使いたいって!」
 DMの返事を見た瞬間、一番に猿渡に伝えたくて史郎は走ってきたのだ。描けなかったものが描けるようになった喜び、そして絵で認められて仕事をもらえた喜びが爆発した衝動が史郎を突き動かしていた。
「ありがとう、猿渡さんのおかげだよ! 猿渡さんが応援してくれたから」
 ぽん、と肩に手を置かれて史郎はふと声を途切れさせた。
 振り向けば、そこにいたのはギャル委員長ことユーリ。ただでさえ吊り気味の目を限界まで吊り上げた彼女の視線は、ひとと目を合わせられるようになったばかりの史郎の心臓を縮み上がらせる。
「上江ぇ、誰の許しをもらって抱き着いてんだ? あぁ!?」
「抱き……?」
 地を這うような声で言われて腕のなかを見下ろした史郎は、真っ赤になって身動きしない猿渡に気が付いた。そして、ようやく自分が猿渡を抱きしめていることを自覚した。
「えっ! あ!」
 驚き両手を高く上げ猿渡を解放した史郎は、クラスじゅうの視線を集めていたことをようやく認識して固まる。顔を赤くした史郎と猿渡を中心にして、担任までもが黙り込んだなか。
「上江、絵の仕事ってなんなの」
 不機嫌そうな顔のまま言ったのは、ユーリだった。
「えっ、あの、その」
 びくり、と肩を震わせた史郎は一気に青ざめる。
(クラス全員に聞かれた。俺が絵を描いてるってバレた……!)
 猿渡や王子は偶然、史郎が絵を描くことを肯定してくれた。けれどクラスメイト全員ともなれば、なかには過去に史郎を嫌った者たちと似た考えの生徒もいるだろう。絵を描くことを幼稚だと罵り、絵を描く者を見下す者が。
 そう思うと、史郎は教室のど真ん中で動けなくなる。
 腕組みしたユーリはそんな史郎の姿を見下ろして、ぐるりと周囲を見やった。
「ねえ、みんな」
 やけにゆっくりはっきりと言うユーリは、クラス全員の視線を集めるようにそこでことばを切る。意味深な沈黙に集まる視線。史郎は、この沈黙を知っていた。いつか、クラスメイトに聞こえるように史郎を嗤った誰かの姿が脳裏をよぎる。
(ああ、ギャル委員長はっぱり俺が嫌いだったんだ。今から俺のこと、みんなで笑い者にするんだな……)
 静かな絶望が史郎の胸に広がったそのとき。
「絵師ってどう思うよ。イラスト描く仕事してるひと」
 ユーリは問いかけた。顔を見合わせたクラスメイトたちは首をかしげ、やがてひとりが手をあげる。
「すげえって思う! だって絵、描けるんだぜ。俺なんてアンパンのヒーロー描いて幼稚園生泣かせたことあるのに!」
 どっと笑いが起こった教室のなかに明るい声が満ちる。
「泣かせるレベルはやばいよ。でもお金もらえるだけのもの描けるんだったら、たしかにすごいよね。だってお金出してでも欲しいってひとがいるってことでしょ」
「それな。漫画家とかでもたまに高校生でプロデビューとかいるけど、めちゃめちゃ努力してんでしょ。ぼくなんて部活の練習でいっぱいいっぱいだから尊敬するわー」
「一芸に秀でるってのもなかなか難しいもんだからなあ。お前らも、得意なことあるんなら伸ばしていけよー」
 あふれるのは好意的なことばと賛辞。教室のどこを探しても史郎が想像していたような冷たい空気はどこにもない。最後には担任までいっしょになってうなずいている。
「っていうか、上江、絵師なの? すっげえじゃん!」
「あ……」
 ばしん、と背中を叩いてきたクラスメイトの名前を史郎は知らない。けれど視線がぶつかった彼の目はことばのままに純粋に輝いて、史郎を映す。
「キモいって、思わない、の……?」
 唇を震わせて問う史郎に、彼は首をかしげた。
「なんで? むしろ俺自慢していい? クラスメイトに絵師いるんだって!」
「あたしもあたしも! 自慢したい! むしろ上江、うちの部入らない!? 漫研なんだけど、小説書く子もいるから表紙描いたりとか!」
「えー! だったら文芸部に入ってよ。表紙をいつも漫研か美術部に頼んでるんだよ。部誌を作るときだけ来てくれればいいから、部活っていうほど上江の時間もとらないからさ!」
 史郎の背を叩いた生徒を押しのけて、漫研の女子と文芸部の男子が史郎の左右に陣取った。両手をそれぞれ引っ張られた史郎はどうしていかわからず、おろおろとふたりを見るばかり。
「いやー、絵師だっていうならむしろ美術部でデッサン学んで腕を磨くべきでしょう。うちの先生は漫画もアニメも大好きだから、上江のことも大歓迎!」
 正面にやってきたのは美術部の女子生徒らしい。どこから出したのか、入部届を片手に史郎に迫る。
「え、ええっと」
「どうよ、上江。うちのクラスを甘くみるんじゃねえって言ったろ?」
 得意気なユーリに史郎は信じられない気持ちでうなずいた。
(受け入れて、くれるんだ……俺みたいなのがいても嫌がられない。それどころか部活に誘われるなんて……)
 胸に湧き上がるのは喜びの気持ちだ。
 お世辞でも気休めでもない勧誘がうれしい史郎だが、だからといって三つの部活を掛け持ちできるほど器用でもない。結果、誰の誘いにも答えられずに口ごもる。笑顔のクラスメイトたちに囲まれる経験などないことも相まって、史郎の目にうっかり涙がにじみそうになった、そのとき。
「ほらほらぁ、史郎が困ってるから離れてくださーい」
 後ろからぽん、と史郎の両肩に手を置いたのは王子だった。味方の登場に史郎がほっと息をつく間もなく、王子が続ける。
「部活の前に、史郎は楓花ちゃんに言うことあるんだから。ねえ、史郎?」
「えっ!」
 王子の笑顔は完璧で史郎に否定する隙を与えない。
「だって史郎ってば教室に入るなり楓花ちゃんに抱き着くなんて。それで『ただのクラスメイトです』ってのは、俺が許しても楓花ちゃんの保護者さんが許さないんじゃないかな~」
 王子が史郎の肩をつかんだままくるりと向きを変えると、そこには赤面したまま意識がもうろうとしている猿渡と、その横で史郎をにらみつけるユーリがいた。
「うっ」
 その眼光の鋭さにひるんでいるうちに、騒いでいたクラスメイトたちはぞろぞろと自分の席に戻っていった。気づけば、教室内に立っているのは史郎と猿渡、そしてそれぞれを援護する位置にいる王子とユーリだけになっていた。
 教壇に立っていたはずの担任は隅のパイプ椅子に腰かけている。
「そんじゃ、ホームルームの時間をやろうじゃないか。若人の青春を応援するのは大人の勤めだからな~」
 担任が言って、クラスメイト全員が「やったー! 先生男まえ!」と賛同する。
「俺への賛辞はいくらでも受け付けるぞー。連絡事項は黒板に書いとくから、各自確認のこと。じゃあ、上江と猿渡は時間内に話をまとめろよー」
 覚悟などまったく決まらない史郎をよそに舞台が整っていく。
 真っ赤になったままふにゃふにゃしていた猿渡も、ユーリに「ほら、起きて。ぼやぼやしてるといろんな部に上江を取られるよ」と小突かれて飛び起きた。
「上江がみんなに取られちゃう! あたしが一番、上江のこと好きなのにっ」
 猿渡がアホ毛を震わせる。
(大声で言うことか! っていうか、猿渡は本当に俺のこと、す、好き、なのか? こんな、冴えない絵師の端くれみたいなやつを猿渡みたいなかわいい子が好きになるとか……あり得ないだろ……)
 恥ずかし気もない猿渡の宣言を聞いて惑う史郎の肩にずしりと重みがかかる。
「ね、史郎。周りからどう思われるかとかそういうの全部忘れて、楓花ちゃんに言われたことへの返事を考えてごらん」
「言われたこと……」
 気障に片目をつむってみせる王子に促されるまま、史郎は猿渡のことばを考える。
(好きへの返事……俺は猿渡のことをどう思ってるかってこと。猿渡の目がすごくきれいで、いっしょに居たら元気が出て、もっといっしょに居たいって思って、できればずっといっしょに……)
 そこまで考えて、史郎の顔に熱がのぼる。
「あ、史郎まっか」
 茶化す王子の声に反応する余裕もなく、せめて火照る顔を少しでも隠そうと史郎は手の甲をくちに押し当てた。
「さ、猿渡さん」
「ひゃい!」
 史郎は噛んで、猿渡は声を裏返らせる。
 静まり返った教室のなか、クラスメイト全員の視線が史郎と猿渡に向けられていた。たくさんの視線を感じながら震える史郎だけれど、その震えは自分を見つめる目への怯えではない。自分の思いを口にすることへの怖さをはらんだ震えだ。
(怖い。怖いけど、引くわけにはいかない)
 後ずさりそうになる史郎の背中を支えるように、王子の手が添えられている。優しくて、頼もしい手のひらを感じながら史郎は勇気を振り絞る。
「猿渡さん」
 名前を呼んだ史郎は不安げに揺れる猿渡の瞳とぶつかった。
(そんな目じゃなくて、満点の夜空みたいなあの目を見せてほしい)
 そのためにも、史郎は逃げられないと覚悟を決める。
「猿渡さん、さっきの答えだけど」
 ごくり、とのどを鳴らしたのは史郎だったのかそれともクラスの誰かだったのか。緊張した面持ちの猿渡につられるように、史郎の胸も痛いくらいはやく鼓動を打つ。けれどもうその胸に想いをとどめてはおけなくて、史郎はありったけの勇気を振り絞った。
「俺、猿渡さんと友だちになりたいんだ!」
 キーンコーンカーンコーン。
 静まり返った教室にチャイムが鳴り響く。ホームルームの終わりを告げるチャイムだ。
(言った)
 とうとう言ってしまった、という脱力と返事を待つ緊張感のせいで、チャイムの余韻が妙に耳につく。けれど教室のなかでは誰ひとりとして物音を立てないでいる。
 史郎にとってはひどく長い沈黙のあと、はじめに動いたのは猿渡だった。
 史郎が叫んだ瞬間の姿で固まっていた猿渡は、眉を寄せながらも口元は笑っているという器用な表情を見せて天を仰いだ。
「ひぃーん! 上江がかわいくてつらいいいい! そして実質、告白への返事が保留にされたけど、でも上江と友だちになれるの、うれしいいいい!」
 複雑な想いを叫ぶ猿渡を皮切りに、クラスじゅうがわっと騒ぎ出す。
「そこで友だちかよー! 楓花ちゃん、攻めたりないってよー!」
「上江ー! 俺も上江と友だちになりたーい!」
 口々に騒ぎ出したクラスメイトに、史郎はどうしていいかわからない。頼みの王子は「そこで友だち! あっはっはあ!」と腹を抱えて笑っていて役に立たない。
(いやいやいや、無理だろ。こんな大勢に見られながら告白とかどんな恋愛漫画ですか! 無理無理無理! 今のが俺の限界ですっ)
 赤面したまま史郎が悶絶していると、担任が立ち上がり手を叩いた。
「はいはい、話はひとまずまとまった(?)しチャイムも鳴ったから、お前ら一限の準備しろよー。連絡事項もちゃんと確認することー」
「はーい」
「あ、やべえ、宿題わすれてた!」
 担任が言い置いて教室を出たことで、クラスメイトたちは授業の準備のためにそれぞれ動き出す。けれど史郎に興味を無くしたわけでないようで、ときおり史郎に顔を向けて「よかったね」「まずは第一歩だよな、地道に行こうぜ」などと声をかける。
「史郎、がんばったね」
「ん」
 ようやく笑いの渦から回復した王子に肩を叩かれて、史郎は恥ずかしい気持ちでいっぱいになりながらもうなずいた。
 高校生にもなって幼児のように友だちになりたいと叫んだこと、恥ずかしくはあるけれど後悔はしていなかった。
「上江」
 史郎が口元を緩ませているところへ降ってきたのはギャル委員長の声だ。史郎だけでなく、王子まで反射的に後ずさってしまうほど低い声だった。
「お友だちからはじめようってのは、いい心掛けだ」
「「へっ」」
 史郎と猿渡の声がかぶる。
 王子は「あはっ、ユーリちゃんてばまるっきり保護者じゃん」と肩を震わせて他人事だ。そもそもユーリも猿渡と仲が良いとはいえ、血縁関係にはない。
「でもな」
 困惑する史郎にユーリが迫り、鋭い目をさらに尖らせて史郎を射抜く。
「次に楓花に返事をするときは、よーーーーーっく考えろ。理不尽に泣かせやがったら……わかってるよな?」
「んっ!」
 凄まれて、史郎は息が止まった。
(返事ってあれだよな、猿渡のこと好きかどうかってやつ。もし、もしも俺も好きとか答えたら、お、お、おおおお付き合いとか、そういうことになるわけ、だよなっ!?)
 遅れて顔に熱がのぼる。縁のないこととして考えたこともなかったけれど、史郎は気づけば青春のただなかにいた。甘酸っぱい恋愛という二次元にしか存在しないと思っていたものが史郎の身近に迫っている、らしい。
(あ……むり。ちょっと意味がわからない。やっぱり俺は引きこもって絵師したほうが世のためになるんじゃあ……?)
 混乱のあまり引きこもり計画を思い出した史郎の肩を叩いたのは王子だった。
「ほらほら、あんまり史郎を追い詰めないでやってよ。お友だちからはじめて長い目で見れば良いでしょ。末永ぁーいお付き合いになるかもなんだから、ね?」
 面白がるような王子のことばに猿渡が目を輝かせて飛びつく。
「長い付き合い大歓迎だよっ。末長く幸せになりたい!」
 アホ毛が元気に揺れている。なぜ猿渡はこんなに恥ずかしげもなく好意をあらわにして、望みをくちにできるのか、史郎にはわからない。
(わからないけど、そんな猿渡がきれいだって思って……)
 続く思考を史郎は慌てて打ち消した。
 にこにこ笑う猿渡に見つめられ、さわやかな笑顔を浮かべる王子に見守られ、探るようなギャル委員長の視線を感じながら、史郎は真っ赤な顔をして胸のなかでさけぶ。
(は、はやく二次元に帰りたい!)
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