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二章 惑いと選択
12、ご無沙汰してます、叔母さん
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土曜日の昼頃、ひかりの実家がある街にゆめが辿りついたときには、空はどんよりと重たい雲に塗りつぶされていた。
(家の周りは晴れていたのに)
ヒアイに起こされた今朝のことを思い出していたゆめは、街を歩きながらも気が重い。ほんのすこし前まで祖母と暮らしていた街なのに、近すぎる思い出は懐かしさよりも喪失を際立たせるようだった。街を満たす空気までも重苦しいような気さえするのは、ゆめの心持ちのせいだろう。
行きたくない、けれどお別れはしたい。
ふたつの気持ちの間で揺れ動き、ためらった結果、ゆめが法要の行われる寺に着いたのは法事のはじまる寸前だった。
法要に参加したのはひかりとその両親、そしてゆめの四人だけ。
ゆめの生みの親もまた祖母の子どもであるのだが、呼ばなかったのか呼ばれても来なかったのか、ゆめにはわからない。
ただ、曇り空のした四人の間に読経の声が響くのを寂しい儀式だ、と思うばかりだった。
読経の余韻も消えないうちに、鉛色の空から冷たい雫が落ちはじめる。
手提げに入れていた折り畳み傘を広げて、ゆめは祖母を思う。
(雨の日は好きよ、って言ってたな)
傘の下でゆめちゃんとふたりになれるもの。そう言って笑った祖母の思い出をお供にゆめは墓所を後にしようとした。
「久しぶりね、ゆめちゃん」
「……はい、ご無沙汰してます、叔母さん」
そこへ声をかけたのは叔母だ。
ひかりは叔父の隣でちらちらとゆめへ視線を向けてはいたものの、何も言わずに立っている。
苦手な母親に近寄りたくないからか、ゆめが本当に出ていったことが悔しいせいか。不機嫌と不満を抱いていることから、きっと両方なのだろうとゆめは叔母に向き直った。
「聞いたわよ、ひかりのところを出て行ったんですってね。あの子がさつだから、我慢できなくても仕方ないわよねえ」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、ひかりちゃんもわたしがいると友だちが呼べないだろうし」
自分の娘を見くびった叔母の発言に、ゆめは建前を返す。
ひかりのことが嫌いなわけではない。ただお互いに合わなかっただけなのだ。
けれど叔母はゆめの真意に気づくどころか、自分の気になる箇所だけ取り上げて「そうなのよ!」と見当違いの相槌を打つ。
「それよ、あの子ったら友だちの趣味悪いじゃない? だからゆめちゃんがいればちょうどいいと思ったのに、だめねえ。今日だってゆめちゃんと帰ってくると思ってたから、ふたりぶんのお昼ご飯用意してたのにゆめちゃん、直接お寺にくるんだもの。お料理無駄になっちゃったじゃない」
勝手な話しを繰り広げ落胆を隠しもしない叔母を前に、ゆめは唇をかんだ。
(わたしが来るかどうか確認もしてないのは叔母さんでしょう。叔母さんの家に寄るって決めつけたのもあなたなのに。無駄になった料理のことは気にかけても、わたしやひかりちゃんの気持ちは気にかからないんだ)
昔からそうだった。
叔母はひかりに輪をかけてゆめの心を苛む。
嵐が過ぎ去るのを待つ心地で黙っていれば、叔母の抱く感情がころりと切り替わる。
落胆から歓喜へ。
ぞっとして表情を失くしたゆめに気づくことなく、叔母は浮き浮きと口を開いた。
「そうそう、おばあちゃんの家の跡地、売れたのよ! ちょうどあのあたりに土地を欲しがってるひとがいたみたいでね、亡くなってすぐ更地にして本当に良かったわあ!」
さも良いことをした、と言わんばかりの叔母の発言と、それを裏付ける彼女の歓喜を感じてゆめは拳をにぎりしめる。
祖母の家はもうない。
ゆめが育ち、幸せを感じた一軒家は祖母の葬儀が終わった翌日に取り壊された。
ひとりで寂しいでしょう、とひかりの家に泊まった翌日、家があった場所が更地になっていたときの絶望はいまだゆめの胸に新しい。
「あんな古い家を遺されてもねえ、ゆめちゃんも困るでしょ。庭のお手入れだって大変なばっかりだもの。遺産は兄弟で分けなきゃいけないわけだし、ゆめちゃんが家を受け取ったらお金なんてほとんど残らないんだから。うちのひととゆめちゃんのお父さんとゆめちゃんと、三人が兄弟っていうのも変なものだけれどねえ」
ほほほ、と笑い飛ばす叔母に悪気はみじんもない。
長く暮らした家を無くす悲しみなど想像もせず、良かれと思えばためらいもなく行動に移す。
幼いころから叔母が悪意を抱くところをゆめは知らない。悪意などかけらも無いまま周囲を傷つけていく。
だからこそ、ゆめはこの叔母が恐ろしかった。
「明日は日曜日だもの、今夜は泊まっていくでしょう」
質問ではなく断定で話す叔母にゆめが「いいえ」と言いかけたところへ、叔母がことばを重ねる。
「家を解体する前に中の荷物を買取業者に引き上げてもらってたのよね。値がつかなかった物を受け取ってきたから、最後に見たいでしょ」
思わぬ話にゆめは目を大きく見開いた。
初耳だった。ゆめの私物を残して建物ごとすべて無くなったものだとばかり思っていたのだ。
(ぜんぶ、無くなっちゃったんじゃないの……? おばあちゃんの、おじいちゃんの思い出がまだ残ってるの?)
信じられない思いで叔母を見つめるゆめに、叔母がおかしそうに笑う。
「お金になるものなんて無いって言ったんだけどね、うちのひとが一回見てもらうだけでも、って言うものだから」
「家宝のひとつもあるかと思ったんだけどなあ。大したものは無かったよ、ははは」
傘の下でのほほんと笑うのは影が薄い叔父だ。
自分の生家のことも妻である叔母に任せきりで、実の母親が亡くなった葬儀でも「寂しくなるなあ」とつぶやいただけの叔父。
そんな叔父の存在をゆめがありがたいと思ったのは、これが初めてだった。
「行きます。おばあちゃんたちの遺したもの、見せてください」
(家の周りは晴れていたのに)
ヒアイに起こされた今朝のことを思い出していたゆめは、街を歩きながらも気が重い。ほんのすこし前まで祖母と暮らしていた街なのに、近すぎる思い出は懐かしさよりも喪失を際立たせるようだった。街を満たす空気までも重苦しいような気さえするのは、ゆめの心持ちのせいだろう。
行きたくない、けれどお別れはしたい。
ふたつの気持ちの間で揺れ動き、ためらった結果、ゆめが法要の行われる寺に着いたのは法事のはじまる寸前だった。
法要に参加したのはひかりとその両親、そしてゆめの四人だけ。
ゆめの生みの親もまた祖母の子どもであるのだが、呼ばなかったのか呼ばれても来なかったのか、ゆめにはわからない。
ただ、曇り空のした四人の間に読経の声が響くのを寂しい儀式だ、と思うばかりだった。
読経の余韻も消えないうちに、鉛色の空から冷たい雫が落ちはじめる。
手提げに入れていた折り畳み傘を広げて、ゆめは祖母を思う。
(雨の日は好きよ、って言ってたな)
傘の下でゆめちゃんとふたりになれるもの。そう言って笑った祖母の思い出をお供にゆめは墓所を後にしようとした。
「久しぶりね、ゆめちゃん」
「……はい、ご無沙汰してます、叔母さん」
そこへ声をかけたのは叔母だ。
ひかりは叔父の隣でちらちらとゆめへ視線を向けてはいたものの、何も言わずに立っている。
苦手な母親に近寄りたくないからか、ゆめが本当に出ていったことが悔しいせいか。不機嫌と不満を抱いていることから、きっと両方なのだろうとゆめは叔母に向き直った。
「聞いたわよ、ひかりのところを出て行ったんですってね。あの子がさつだから、我慢できなくても仕方ないわよねえ」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど、ひかりちゃんもわたしがいると友だちが呼べないだろうし」
自分の娘を見くびった叔母の発言に、ゆめは建前を返す。
ひかりのことが嫌いなわけではない。ただお互いに合わなかっただけなのだ。
けれど叔母はゆめの真意に気づくどころか、自分の気になる箇所だけ取り上げて「そうなのよ!」と見当違いの相槌を打つ。
「それよ、あの子ったら友だちの趣味悪いじゃない? だからゆめちゃんがいればちょうどいいと思ったのに、だめねえ。今日だってゆめちゃんと帰ってくると思ってたから、ふたりぶんのお昼ご飯用意してたのにゆめちゃん、直接お寺にくるんだもの。お料理無駄になっちゃったじゃない」
勝手な話しを繰り広げ落胆を隠しもしない叔母を前に、ゆめは唇をかんだ。
(わたしが来るかどうか確認もしてないのは叔母さんでしょう。叔母さんの家に寄るって決めつけたのもあなたなのに。無駄になった料理のことは気にかけても、わたしやひかりちゃんの気持ちは気にかからないんだ)
昔からそうだった。
叔母はひかりに輪をかけてゆめの心を苛む。
嵐が過ぎ去るのを待つ心地で黙っていれば、叔母の抱く感情がころりと切り替わる。
落胆から歓喜へ。
ぞっとして表情を失くしたゆめに気づくことなく、叔母は浮き浮きと口を開いた。
「そうそう、おばあちゃんの家の跡地、売れたのよ! ちょうどあのあたりに土地を欲しがってるひとがいたみたいでね、亡くなってすぐ更地にして本当に良かったわあ!」
さも良いことをした、と言わんばかりの叔母の発言と、それを裏付ける彼女の歓喜を感じてゆめは拳をにぎりしめる。
祖母の家はもうない。
ゆめが育ち、幸せを感じた一軒家は祖母の葬儀が終わった翌日に取り壊された。
ひとりで寂しいでしょう、とひかりの家に泊まった翌日、家があった場所が更地になっていたときの絶望はいまだゆめの胸に新しい。
「あんな古い家を遺されてもねえ、ゆめちゃんも困るでしょ。庭のお手入れだって大変なばっかりだもの。遺産は兄弟で分けなきゃいけないわけだし、ゆめちゃんが家を受け取ったらお金なんてほとんど残らないんだから。うちのひととゆめちゃんのお父さんとゆめちゃんと、三人が兄弟っていうのも変なものだけれどねえ」
ほほほ、と笑い飛ばす叔母に悪気はみじんもない。
長く暮らした家を無くす悲しみなど想像もせず、良かれと思えばためらいもなく行動に移す。
幼いころから叔母が悪意を抱くところをゆめは知らない。悪意などかけらも無いまま周囲を傷つけていく。
だからこそ、ゆめはこの叔母が恐ろしかった。
「明日は日曜日だもの、今夜は泊まっていくでしょう」
質問ではなく断定で話す叔母にゆめが「いいえ」と言いかけたところへ、叔母がことばを重ねる。
「家を解体する前に中の荷物を買取業者に引き上げてもらってたのよね。値がつかなかった物を受け取ってきたから、最後に見たいでしょ」
思わぬ話にゆめは目を大きく見開いた。
初耳だった。ゆめの私物を残して建物ごとすべて無くなったものだとばかり思っていたのだ。
(ぜんぶ、無くなっちゃったんじゃないの……? おばあちゃんの、おじいちゃんの思い出がまだ残ってるの?)
信じられない思いで叔母を見つめるゆめに、叔母がおかしそうに笑う。
「お金になるものなんて無いって言ったんだけどね、うちのひとが一回見てもらうだけでも、って言うものだから」
「家宝のひとつもあるかと思ったんだけどなあ。大したものは無かったよ、ははは」
傘の下でのほほんと笑うのは影が薄い叔父だ。
自分の生家のことも妻である叔母に任せきりで、実の母親が亡くなった葬儀でも「寂しくなるなあ」とつぶやいただけの叔父。
そんな叔父の存在をゆめがありがたいと思ったのは、これが初めてだった。
「行きます。おばあちゃんたちの遺したもの、見せてください」
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