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見えたのは希望の光、それとも
たどり着いた町のなか
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意気込んで数歩歩いたところで、ぐううー、リッテルのおなかがなる。
―――そういえば、昨日のお昼からなにも食べてない。
昨夜はすでに陽が落ちていたこともあって、体をふき終わるとすぐに寝てしまった。昨日の昼ごろ、布袋に詰め込んできた干しきのこをしゃぶって、水を飲んだきりだ。
ライゼが怪我をしてからは、山の恵みを手に入れる機会も減って食事はとたんにわびしくなった。そう考えると、残してきたライゼの怪我が気にかかりはじめるリッテルだったが。
ぷうん、とただよってきた肉の焼ける匂いに、暗い思考は吹き飛んだ。
「焼きたて~、焼けたて~、串肉だよ。しっとりやわらかあふれる肉汁! 都に来たなら、食べなきゃ損。安くてうまくて精もつく、都名物串肉はいかが!」
流れるような口上に視線を向ければ、道の脇に小型のかまどを組んで火を燃やしており、その火のうえで肉のささった串をくるくると回す壮年の男性の姿があった。
道行くひとびともその香りにつられるのだろう、ちらりと覗き込むものや足を止めて買い求めるものがちらほらと見受けられた。
リッテルもまた、いい匂いをさせる煙に引き寄せられるように、ふらふらと男のそばへ歩いていく。人混みをかいくぐって近寄れば、じゅわじゅわと肉の焼ける音までがリッテルの腹を刺激する。
「お嬢ちゃん、一本どうだい? 安いよ、うまいよ」
「いくら、ですか?」
汗をかきながら勧めてくる男に問えば、思ったより安い値段が告げられた。
―――お祭りのときにもらうおこづかいくらいだ。だったら、いいよね。
誰にともなく許しを請うて、リッテルは肌着に手を差し入れた。からっぽになってしまったリッテルの家から持ち出した、ありったけのお金がそこにしまってあった。村では物々交換が主だったから、いざという時のために両親が貯めていたものだ。これがあったから宿に泊まることもできた。いま、食べ物を買うこともできる。
―――お父さん、お母さん、使わせてもらうね。
ちゃりん、と音を立てながら取り出した小銭と引き換えに、リッテルは串肉を手に入れた。名前のとおり、木を細く削った串にぶつ切りにされた肉が刺さった食べ物だ。焼きたてを渡してくれたため、肉の端がまだじうじうと音をたてていかにもうまそうだ。
「ありがとさん。またよろしく!」
男の明るい声に見送られて、リッテルは人の少ない場所を求めて歩き出す。いますぐかぶりついてしまいたいが、この人混みで立ち止まっていては邪魔になる。
―――まだ熱すぎるから、すこし待つべきなの。
ぐうぐう鳴る自分の腹に言い聞かせながら、リッテルはひとの多い通りをはずれて細い路地へと進んでいった。
にぎやかな気配がだんだん遠ざかり、すれ違うひとの数も減っていく。座れる場所を探して歩くうちにリッテルは、明るい日差しの下なのに、どこか陰の多い三方を壁に囲まれた袋小路にたどりついた。
ひとがぎりぎり行き違えるほどの狭い路地のさきに、すこしだけ広くなったその空間はあった。色あせた壁には古ぼけた木の板が立てかけられ、歪な岩や釘の飛び出た木箱もいくつか散らばっている。ひとの気配は薄く、使われているようなようすもなかった。
―――ここならゆっくりできそう。すこしほこりっぽいけど。
釘に気をつけながら木箱に腰掛けたリッテルは、背中の布袋を足元に置くが早いかさっそく串肉にかぶりついた。
「あふぃ!」
とたんにあふれ出た肉汁が口のなかに広がって、思わず叫んでしまう。けれど口は肉に食いついたまま、このうまさを逃してなるものかと熱気を吐き出しながらも咀嚼する。
かみしめるたび、塊の肉のうまみがじゅわじゅわと出てきては、強めに振られた塩と混ざり合って口のなかを幸せにしていく。ひとつ、ふたつ、みっつと串に刺さった肉を食べすすめるほど、食べ物としての満腹以外のなにかが腹のなかにぬくぬくとたまっていく。
肉に夢中になるあまり周囲に気を配ることを忘れていたリッテルは、最後の肉をごくりと飲み込んだときになってようやく、自分に向かって歩いてくるふたりの男の姿に気が付いた。
―――ここの木箱とかを置いたひとかな?
そう考えたリッテルは慌てて腰かけていた木箱から立ち上がり、布袋を抱えあげて邪魔にならないよう袋小路の端に身を寄せた。男たちが立ち去ったら自分も出発しようと、男たちのほうを見るともなく眺める。
ふたりの男たちは、どちらもほこりにまみれた衣服を身に着けていた。土木工事か、大工仕事を生業にしているのだろうか。畑仕事や木こりをしていた村の人たちも、似たような擦り切れた服を着ていたことを思い出して、すこし懐かしくて胸が苦しくなる。
思い出に悲しみを覚えていたリッテルだったが、どんどん近づいてくる男たちを眺めているうちに、違和感を抱いた。
―――あのひとたち、笑ってる。あたしを見て、笑ってる? なんで、どうして……。
男たちはにやにやと笑っていた。けれど、談笑しているわけではない。どちらも視線をリッテルに向けたまま、ことばを交わすこともなくただにやにやと笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。
その笑顔の気味悪さに、リッテルは思わず後ずさる。背中の後ろには壁があるから袋小路の奥へ向かってじりじりと下がっていくが、それもすぐに行き止まりになってしまう。
どん、と背中が壁にぶつかったリッテルは、視線だけであたりをきょろきょろと見回した。右は壁、左も壁。背中の後ろにあるのも壁で、進めるのはふたりの男がいるほうだけ。すり抜けて通ろうにも道幅が狭く、並んで歩く男たちの肩が壁にこすれそうなほどで、すき間などない。
男たちがリッテルに何かしようとしても逃げられないことに気が付いて、リッテルは血の気が引いた。
「ふへへ」
きっと青ざめているだろうリッテルの顔を見て、男のひとりが笑う。無精ひげを生やした口がにやにやといやらしく歪んでいる。
リッテルと男たちの距離はずいぶん縮んで、もう彼らの服の染みを数えることさえできるほどだ。男たちの腰に下げられた小汚い短刀がぶらぶら揺れるのが、やけに目についた。
「そんなに怖がらなくても、大丈夫さ。ひどいことはしやしない」
げっそりとこけたほほをしたもうひとりの男が、やはりにやにやと笑いながら声をかけてくる。それを聞いて、無精ひげの男が大きくうなずく。
「そうさ。おれたちゃそんな、鬼畜じゃねえからな。ただちょっと、お嬢ちゃんの持ってるものを分けてもらおうと思っただけなんだよ。なあ?」
まったく悪びれもせずそう言うものだから、リッテルは布袋をぎゅうぎゅうと強く抱きしめた。形見の布袋を取り上げられると思ったのだ。
「こっ、これはお父さんの形見の袋なの! 大切なものだから、あげられないの!」
思わず叫んだリッテルを見て、男たちがおかしそうに笑う。
「いやいや、そのおおきな袋を取ろうっていうんじゃねえんだ。そんなひどいことするもんか」
「そうさ。用があるのは、その服のなかに隠してるもんだ。それともなにかい、その大切な袋のなかには、金よりいいもんが入ってるのかい? だったら、そいつもいただかねえとな」
それを聞いてようやくリッテルは、男たちが金目当てでリッテルを狙ったのだと気が付いた。とっさに布袋を金を隠してある腹の部分に押し付けるけれど、そのあいだにも男たちがじわじわと近づいてくる。
―――どうしよう、どうしよう、どうやったら逃げられる? お金を渡したら、逃がしてもらえる? どうしたらいいの。
「お、お金なんて、持ってない!」
混乱したリッテルがとっさに叫ぶけれど、男たちはげらげら笑うだけで足を止めない。
「うそはいけねえよ。ちゃんと聞いてたんだ、串肉屋の前でじゃらじゃら鳴ってたじゃねえか」
「ああ、いい音だったからしっかり聞こえてたぜ。お嬢ちゃんの服の下にあるのはわかってるんだ。おとなしく出せば、それで済むんだ。なあ、いい子だから素直に出しな」
ことさらゆっくり歩いてきていた男たちが、リッテルの目の前で足を止めた。袋小路のさらに角に追い詰められたリッテルに向けて、ほほのこけた男が薄汚れた手のひらを差し出した。そこに金を乗せろということだろう。
「ほら、おれたちも暇じゃねえんだ。早くしてくれねえと、お嬢ちゃんの本当に大切なもんまでもらわなきゃいけなくなっちまう」
そう言って、無精ひげの男が腰の短刀を叩く。ぺちぺちと気の抜ける音のはずなのに、リッテルの体はがちがちと震えだす。そんなリッテルを見て手を引っ込めたほほのこけた男は、身をかがめてずいっと顔を近づけた。肌と肌が触れそうなほどの距離からねっとりとした声が告げる。
「さあ、いい子のお嬢ちゃんならわかるよな? 荷物と金をそこに置くんだ。それだけで、今日を生き延びられるんだから、いい話だろう?」
ことばと共に生臭い息を吹きかけられて、リッテルの背中を駆け上ったのは恐怖か嫌悪か、はたまた絶望か。
逃げなければ、そう思うほどに体が硬くなり身動きがとれなくなる。
身じろぎもせず声すら発せなくなったリッテルに、男たちはしびれを切らしたらしい。浮かべていたいやらしい笑顔さえも消えて、ぞっとするような冷たいひとみでリッテルを見下ろした。
「早くしろって言ってんのが、わかんねえのか」
怒気を含んだ声で吐き捨てるように言った無精ひげの男が、リッテルに手を伸ばしたそのとき。
だん、どだんっ!
三方を壁で囲まれた袋小路のせまい空でおおきな音がして、リッテルとふたりの男たちは思わずそろって空を見上げた。
その瞬間、黒い影が降ってきて空の青をさえぎったかと思うと、ずだんっと鈍い音をたてて目の前に落ちた。
目で追いきれなかったリッテルが視線を足元に落とすと、そこにはあおむけに倒れて目を回しているふたりの男。ついさっきまで立って脅してきていた無精ひげの男とほほのこけた男が、悲鳴もあげずに転がっていた。
そして、地面に伸びているそのふたりの頭のあたりに、誰かが立っている。履き古した靴、片足が裂けたずぼん。そこまで視線をあげたあたりで、その誰かは外套をひるがえして駆け去って行く。すこしだけ片足を引きずるように去っていくそのひとの顔は見えなかった。
けれど、リッテルはその背中に見覚えがあった。着古したあの外套もにも見覚えがあった。そしてなにより避けたずぼんのしたの脚にまかれた布は、汚れてしまっていたけれどあれは、リッテルが巻き付けた布だった。
「ライゼ……」
顔も見せずに駆けていった彼の姿は、すでに見えない。
都に入る前に別れを告げた彼は、どうしていまここに現れたのか。なぜリッテルの危機を救ったのか。そしてなぜ、なれなれしいほどの笑顔も胸をしめつけるような別れの顔も見せず、一言のことばさえなく去って行ったのか。
なにひとつわからなくて立ち尽くすリッテルだったが、足元に倒れた男がうめく声を聞いてはっと我に返った。
―――いまは逃げなくちゃ。
頭に浮かぶ疑問をいまは押しやって、布袋を抱えなおして駆け出した。
―――そういえば、昨日のお昼からなにも食べてない。
昨夜はすでに陽が落ちていたこともあって、体をふき終わるとすぐに寝てしまった。昨日の昼ごろ、布袋に詰め込んできた干しきのこをしゃぶって、水を飲んだきりだ。
ライゼが怪我をしてからは、山の恵みを手に入れる機会も減って食事はとたんにわびしくなった。そう考えると、残してきたライゼの怪我が気にかかりはじめるリッテルだったが。
ぷうん、とただよってきた肉の焼ける匂いに、暗い思考は吹き飛んだ。
「焼きたて~、焼けたて~、串肉だよ。しっとりやわらかあふれる肉汁! 都に来たなら、食べなきゃ損。安くてうまくて精もつく、都名物串肉はいかが!」
流れるような口上に視線を向ければ、道の脇に小型のかまどを組んで火を燃やしており、その火のうえで肉のささった串をくるくると回す壮年の男性の姿があった。
道行くひとびともその香りにつられるのだろう、ちらりと覗き込むものや足を止めて買い求めるものがちらほらと見受けられた。
リッテルもまた、いい匂いをさせる煙に引き寄せられるように、ふらふらと男のそばへ歩いていく。人混みをかいくぐって近寄れば、じゅわじゅわと肉の焼ける音までがリッテルの腹を刺激する。
「お嬢ちゃん、一本どうだい? 安いよ、うまいよ」
「いくら、ですか?」
汗をかきながら勧めてくる男に問えば、思ったより安い値段が告げられた。
―――お祭りのときにもらうおこづかいくらいだ。だったら、いいよね。
誰にともなく許しを請うて、リッテルは肌着に手を差し入れた。からっぽになってしまったリッテルの家から持ち出した、ありったけのお金がそこにしまってあった。村では物々交換が主だったから、いざという時のために両親が貯めていたものだ。これがあったから宿に泊まることもできた。いま、食べ物を買うこともできる。
―――お父さん、お母さん、使わせてもらうね。
ちゃりん、と音を立てながら取り出した小銭と引き換えに、リッテルは串肉を手に入れた。名前のとおり、木を細く削った串にぶつ切りにされた肉が刺さった食べ物だ。焼きたてを渡してくれたため、肉の端がまだじうじうと音をたてていかにもうまそうだ。
「ありがとさん。またよろしく!」
男の明るい声に見送られて、リッテルは人の少ない場所を求めて歩き出す。いますぐかぶりついてしまいたいが、この人混みで立ち止まっていては邪魔になる。
―――まだ熱すぎるから、すこし待つべきなの。
ぐうぐう鳴る自分の腹に言い聞かせながら、リッテルはひとの多い通りをはずれて細い路地へと進んでいった。
にぎやかな気配がだんだん遠ざかり、すれ違うひとの数も減っていく。座れる場所を探して歩くうちにリッテルは、明るい日差しの下なのに、どこか陰の多い三方を壁に囲まれた袋小路にたどりついた。
ひとがぎりぎり行き違えるほどの狭い路地のさきに、すこしだけ広くなったその空間はあった。色あせた壁には古ぼけた木の板が立てかけられ、歪な岩や釘の飛び出た木箱もいくつか散らばっている。ひとの気配は薄く、使われているようなようすもなかった。
―――ここならゆっくりできそう。すこしほこりっぽいけど。
釘に気をつけながら木箱に腰掛けたリッテルは、背中の布袋を足元に置くが早いかさっそく串肉にかぶりついた。
「あふぃ!」
とたんにあふれ出た肉汁が口のなかに広がって、思わず叫んでしまう。けれど口は肉に食いついたまま、このうまさを逃してなるものかと熱気を吐き出しながらも咀嚼する。
かみしめるたび、塊の肉のうまみがじゅわじゅわと出てきては、強めに振られた塩と混ざり合って口のなかを幸せにしていく。ひとつ、ふたつ、みっつと串に刺さった肉を食べすすめるほど、食べ物としての満腹以外のなにかが腹のなかにぬくぬくとたまっていく。
肉に夢中になるあまり周囲に気を配ることを忘れていたリッテルは、最後の肉をごくりと飲み込んだときになってようやく、自分に向かって歩いてくるふたりの男の姿に気が付いた。
―――ここの木箱とかを置いたひとかな?
そう考えたリッテルは慌てて腰かけていた木箱から立ち上がり、布袋を抱えあげて邪魔にならないよう袋小路の端に身を寄せた。男たちが立ち去ったら自分も出発しようと、男たちのほうを見るともなく眺める。
ふたりの男たちは、どちらもほこりにまみれた衣服を身に着けていた。土木工事か、大工仕事を生業にしているのだろうか。畑仕事や木こりをしていた村の人たちも、似たような擦り切れた服を着ていたことを思い出して、すこし懐かしくて胸が苦しくなる。
思い出に悲しみを覚えていたリッテルだったが、どんどん近づいてくる男たちを眺めているうちに、違和感を抱いた。
―――あのひとたち、笑ってる。あたしを見て、笑ってる? なんで、どうして……。
男たちはにやにやと笑っていた。けれど、談笑しているわけではない。どちらも視線をリッテルに向けたまま、ことばを交わすこともなくただにやにやと笑いながら、ゆっくりと近づいてくる。
その笑顔の気味悪さに、リッテルは思わず後ずさる。背中の後ろには壁があるから袋小路の奥へ向かってじりじりと下がっていくが、それもすぐに行き止まりになってしまう。
どん、と背中が壁にぶつかったリッテルは、視線だけであたりをきょろきょろと見回した。右は壁、左も壁。背中の後ろにあるのも壁で、進めるのはふたりの男がいるほうだけ。すり抜けて通ろうにも道幅が狭く、並んで歩く男たちの肩が壁にこすれそうなほどで、すき間などない。
男たちがリッテルに何かしようとしても逃げられないことに気が付いて、リッテルは血の気が引いた。
「ふへへ」
きっと青ざめているだろうリッテルの顔を見て、男のひとりが笑う。無精ひげを生やした口がにやにやといやらしく歪んでいる。
リッテルと男たちの距離はずいぶん縮んで、もう彼らの服の染みを数えることさえできるほどだ。男たちの腰に下げられた小汚い短刀がぶらぶら揺れるのが、やけに目についた。
「そんなに怖がらなくても、大丈夫さ。ひどいことはしやしない」
げっそりとこけたほほをしたもうひとりの男が、やはりにやにやと笑いながら声をかけてくる。それを聞いて、無精ひげの男が大きくうなずく。
「そうさ。おれたちゃそんな、鬼畜じゃねえからな。ただちょっと、お嬢ちゃんの持ってるものを分けてもらおうと思っただけなんだよ。なあ?」
まったく悪びれもせずそう言うものだから、リッテルは布袋をぎゅうぎゅうと強く抱きしめた。形見の布袋を取り上げられると思ったのだ。
「こっ、これはお父さんの形見の袋なの! 大切なものだから、あげられないの!」
思わず叫んだリッテルを見て、男たちがおかしそうに笑う。
「いやいや、そのおおきな袋を取ろうっていうんじゃねえんだ。そんなひどいことするもんか」
「そうさ。用があるのは、その服のなかに隠してるもんだ。それともなにかい、その大切な袋のなかには、金よりいいもんが入ってるのかい? だったら、そいつもいただかねえとな」
それを聞いてようやくリッテルは、男たちが金目当てでリッテルを狙ったのだと気が付いた。とっさに布袋を金を隠してある腹の部分に押し付けるけれど、そのあいだにも男たちがじわじわと近づいてくる。
―――どうしよう、どうしよう、どうやったら逃げられる? お金を渡したら、逃がしてもらえる? どうしたらいいの。
「お、お金なんて、持ってない!」
混乱したリッテルがとっさに叫ぶけれど、男たちはげらげら笑うだけで足を止めない。
「うそはいけねえよ。ちゃんと聞いてたんだ、串肉屋の前でじゃらじゃら鳴ってたじゃねえか」
「ああ、いい音だったからしっかり聞こえてたぜ。お嬢ちゃんの服の下にあるのはわかってるんだ。おとなしく出せば、それで済むんだ。なあ、いい子だから素直に出しな」
ことさらゆっくり歩いてきていた男たちが、リッテルの目の前で足を止めた。袋小路のさらに角に追い詰められたリッテルに向けて、ほほのこけた男が薄汚れた手のひらを差し出した。そこに金を乗せろということだろう。
「ほら、おれたちも暇じゃねえんだ。早くしてくれねえと、お嬢ちゃんの本当に大切なもんまでもらわなきゃいけなくなっちまう」
そう言って、無精ひげの男が腰の短刀を叩く。ぺちぺちと気の抜ける音のはずなのに、リッテルの体はがちがちと震えだす。そんなリッテルを見て手を引っ込めたほほのこけた男は、身をかがめてずいっと顔を近づけた。肌と肌が触れそうなほどの距離からねっとりとした声が告げる。
「さあ、いい子のお嬢ちゃんならわかるよな? 荷物と金をそこに置くんだ。それだけで、今日を生き延びられるんだから、いい話だろう?」
ことばと共に生臭い息を吹きかけられて、リッテルの背中を駆け上ったのは恐怖か嫌悪か、はたまた絶望か。
逃げなければ、そう思うほどに体が硬くなり身動きがとれなくなる。
身じろぎもせず声すら発せなくなったリッテルに、男たちはしびれを切らしたらしい。浮かべていたいやらしい笑顔さえも消えて、ぞっとするような冷たいひとみでリッテルを見下ろした。
「早くしろって言ってんのが、わかんねえのか」
怒気を含んだ声で吐き捨てるように言った無精ひげの男が、リッテルに手を伸ばしたそのとき。
だん、どだんっ!
三方を壁で囲まれた袋小路のせまい空でおおきな音がして、リッテルとふたりの男たちは思わずそろって空を見上げた。
その瞬間、黒い影が降ってきて空の青をさえぎったかと思うと、ずだんっと鈍い音をたてて目の前に落ちた。
目で追いきれなかったリッテルが視線を足元に落とすと、そこにはあおむけに倒れて目を回しているふたりの男。ついさっきまで立って脅してきていた無精ひげの男とほほのこけた男が、悲鳴もあげずに転がっていた。
そして、地面に伸びているそのふたりの頭のあたりに、誰かが立っている。履き古した靴、片足が裂けたずぼん。そこまで視線をあげたあたりで、その誰かは外套をひるがえして駆け去って行く。すこしだけ片足を引きずるように去っていくそのひとの顔は見えなかった。
けれど、リッテルはその背中に見覚えがあった。着古したあの外套もにも見覚えがあった。そしてなにより避けたずぼんのしたの脚にまかれた布は、汚れてしまっていたけれどあれは、リッテルが巻き付けた布だった。
「ライゼ……」
顔も見せずに駆けていった彼の姿は、すでに見えない。
都に入る前に別れを告げた彼は、どうしていまここに現れたのか。なぜリッテルの危機を救ったのか。そしてなぜ、なれなれしいほどの笑顔も胸をしめつけるような別れの顔も見せず、一言のことばさえなく去って行ったのか。
なにひとつわからなくて立ち尽くすリッテルだったが、足元に倒れた男がうめく声を聞いてはっと我に返った。
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