貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第十九話 すっかり忘れていたこと

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「ギプスが随分と賑やかなことになってきたね」

 理学療法士の先生が私のギプスを見て笑った。あ、ちなみにこの先生も自衛官。そしてリハビリをする部屋は、厳ついお兄さん達がいっぱいだ。言うまでもなく、皆さんもれなく陸海空の自衛官。その中でも陸自の人は何となく、異彩を放っているというか何というか……それ、本当にリハビリ?みたいなことをしている人もいる。

「早く骨がくっつくようにっておまじないらしいです」

 ここに来て一週間、私のギプスは休みを利用してきてくれた江崎えざきさん達が、あれこれと寄せ書きをしてくれて大変なことになっている。ちなみに、うちの両親も嬉々として書いていった人間に含まれていて、そのお蔭か経過は順調、うまくいけば来週の週末には、駐屯地に戻れるかもしれないということだった。

「あまりにもたくさん書かれすぎて、耳なし芳一のお経に見えてきました」
「おや、レトロな昔話を知ってるね」

 そう言いながら足を曲げたり伸ばしたり、上げたり下げたり。二週間もジッとしていたら、あっという間に筋力は落ちてしまうから、一見何でもないような運動も大切なんだと教えてもらった。

「先生、私もあれがしたいです」

 そう言いながら指をさしたのは、こっちに背中を向けて、片手で金属製のダンベルを持って上げ下げをしているお兄さん。私がここに来る随分前に、訓練中に高い場所から落ちて肩の骨を折ってしまった陸自の隊員さんだ。最初は退官するか?とまで言われていたらしいんだけど、驚異の治癒力であそこまで回復した。あと一週間ほどで、原隊復帰なんだそうだ。

「だけど音無おとなし三曹は、腕のリハビリは関係ないだろ?」
「でも、普段は大きなお鍋をかき回しているんですよ? その仕事がないから、確実に腕の筋力が落ちてますもん」

 戻ってからヒーヒー言いながら大鍋をかき混ぜるなんて、考えるだけでも憂鬱ゆううつだ。

「うーん、だったらもう少し軽いのにしておこうか。あれはさすがに重すぎるから。あれはもう、リハビリの域を超えてるからね」
「えー、そうなんですか?」

 じゃあどうして止めないんだって話なんだけど、言っても聞かない人って何処にでもいるわけで、特にちょっと特殊な部隊に所属している隊員さん相手だと、なかなか止めにくいという事情もあるようだ。

「あまり負荷がかかりすぎるのも良くない。あとで重さを選んであげるから、今は足のリハビリに集中してください」
「絶対ですからね?」
「はいはい。じゃあまずは足を動かして」


+++


「音無、それは一体なんなんだ?」

 次の日、お見舞いに来てくれた二尉が、ベッドに座ってリハビリに励んでいる私を見て、怪訝けげんな顔をした。

「あ、これですか? ダンベルを病室に持ち込むのは問題だからって、理学療法士の先生が考えてくれたダンベルもどきですよ」
「いや言いたいのはそこじゃなくて、何でそんなものを病室に持ち込んでいるかって話なんだが」
「そりゃ、腕の筋力が落ちないようにするために決まってるじゃないですか」
「……」

 理学療法士のお兄さんが私に用意してくれたのは、ダンベルじゃなくてちょっと大きいペットボトルだった。

 病室にあの重たい金属の塊を持ち込むのは、さすがにいかがなものかとなって、考えた末に、ペットボトルにお兄さんが最適と判断した重さの水を入れたものになったのだ。最初はこんなの~と不満たらたらだったけど、これが意外と二の腕には効くのだから凄い。

「あ、別に二尉を殴るためじゃなくてですね、大鍋の中身をかき混ぜる時にだって、それなりに腕の力は必要なんですよ。つまりそういうことです」
「どういうことなんだ……」
「だからそういうことですよ。意外と効きますよ? やってみます?」
「いやいい」

 そこでどうして溜め息をつくかな。

「ところで音無、今日ここにきたのは確認したいことがあったからだ。お前のことで、駐屯地がちょっとした騒ぎになっているんだが、一体どういうことだ?」

 そんな質問に首をかしげる。

「私のですか? もしかして食堂でメニューに不満大爆発とか?」
「そうじゃなくて上の方でだ。何故か東部方面隊の上の方から、うちの駐屯地に今回の事故で物言いがついて、名取なとり一佐が右往左往してるんだが。何か心当たりはあるのか?」
「東部方面隊からですか。あー……あ?」

 とんーたんに二尉の顔つきが不穏なものになった。

「心当たりがあるんだな? ちゃんと話せ、何を隠してる」
「いや特に隠すものなんてないですよ。それに心当たりに関しては、名取一佐も事情を御存知なんで」
「話せ」
「そんな怖い顔して聞くほどのことでもないんですが」
「いいから話せ」
「えー……」

 私が渋ると、二尉の顔がさらに不機嫌そうなものになる。

「音無、階級付で命令してほしいのか?」
「すでに命令してるじゃないですか」
「音無……」
「大したことじゃないんですよ」
「おーとーなーしー」
「……分かりましたよぅ、話せばいいんでしょ話せば!」

 事の発端は多分、私が入隊して最初の部隊配属先が決まった直後に起きた、ちょっとした出来事なんだと思う。


+++++


「……困ったことになったよ」
「どうされたんですか?」

 需品科の一員として練馬ねりまの補給中隊に配属されてまだ日が浅いある日、上官の青本あおもと三佐が溜め息まじりにやってきた。

「とある業務隊の糧食班に空きができたんだが、次のなり手がいなくてね、あれこれともめている」
「え、でも班員は駐屯地内の部隊で、人員を出し合っているんですよね?」

 だから、少なくとも作る人間がいなくなるなんてことは、駐屯地に隊員達がいる限りは、有り得ないことなんだけどな。どうしてそんなことに?

「そうなんだがねえ。それを現場で束ねる人間がいなくなってしまったんだよ」
「ですけど班長はいらっしゃるんですよね。ということは、その下で班員を束ねる曹長がいなくなってしまったということですか? またどうして?」
「うーん、理由を話すと長くて複雑なんだがね」

 私の質問に青本三佐は渋い顔をした。三佐がこういう顔をする時は、大抵いろんな事情が絡み合ったややこしい事態が起きた時だ。ってことは、あまりあれこれとほじくり返さない方が良かったのだろうか。

「馬鹿な私にも分かるように簡潔にお願いします」
「つまりは懲罰人事で行かされるようなところに、行きたくないって連中が多いってことだね」
「……なるほど」

 実のところ糧食班に派遣される班員の中には、懲罰人事で回されてくる隊員も少なからずいた。そのへんがキッチンポリスなんて有り難くない名前で呼ばれる理由だった。だけどそれがすべてじゃないし、糧食という任務にやりがいを感じて、毎日のご飯作りに励んでいる隊員がいるのも事実だ。私だって本当なら業務隊のそこに行きたかった。だけど現実には需品科に回されて、現在はこうやって補給中隊の一員として任務についている。

「いつまでも空白にしておくわけにもいかず、頭が痛いことだ」

 青本三佐は歩きながら大きな溜め息をついた。

「近くの駐屯地なんですか?」
「いや、ここからは少し離れた場所だ。うちの方面隊隷下れいかには違いないんだけどねえ」
「その話が何でまた、うちにまで?」
「前任者が、うちから放り出した隊員だったから」
「それはまた……」

 取り敢えずは人事権限で、無理やりにでも誰か行かせば済むのでは?という簡単な話でもない。本人が不本意な気持ちのままでその職務につくと、たいていの場合は何かしらの問題が起きるのだ。しかも隊員の口に入るものを調理する現場、隊員達に何か起きてからでは遅い。

「あの」
「ん?」
「私が行きましょうか?」
「んんん?!」
「もともと行きたいと思っていた職種です。私は特に懲罰人事どうとかこうとか、気になりませんし」

 青本三佐は驚いた顔をして立ち止まった。

「もしかして、日の浅い自分では駄目でしょうか?」
「いや、駄目と言うか、大まかなことは班長の蓮田はすだ一尉が仕切っているから問題は無いんだが……音無陸士長、君は本当に糧食班に行きたいのか?」

 念押しするように尋ねてくる三佐。

「行きたいです」
「懲罰で行かされたという噂が立つかもしれないんだぞ?」
「懲罰なんですか?」
「とんでもない。君は、そんなものを受けるようなことはしでかしていないだろ」

 と言うか、そんなことになるヒマも無いぐらいに、自衛官になってまだ日が浅い。

「でしたら問題はありません。どうしても人員が見つからないのでしたら、私が行きます」
「本当に?」
「はい」
「こっちにはいつ戻れるか分からないんだぞ?」
「別に戻れなくても問題ありません。隊員達の食事を作り続けることができるのでしたら、逆に光栄なことです」

 もちろん戦う料理人に憧れているんです!なんてことは口が裂けても言えない。

「本当にかまわないのかね?」
「はい」
「……そうか。君がそこまで言うなら上と話をしてみよう」

 そういうわけで話はあれよあれよと決まっていき、私は現在の駐屯地の業務隊に配属されることになった。

 ただ、それまでいた方面隊からは「臨時の人事救済措置で派遣するのであって、音無陸士長はあくまでも、業務隊ではなくうちの方面隊の人間だから!」的な妙なお墨付きを何故かいただいた。だから詳しく調べていくと、私の現在の肩書きは実にややこしい状態になっているんだと思う。

 今まですっかり忘れていたけど。


+++++


「……待て」
「はい?」
「ってことはアレか?」
「アレとは?」

 私がアレアレ言うと笑うくせに。

「もしかして音無、お前もしかして、東部方面隊の後方支援隊にいたのか?」
「短い間でしたけど、練馬で需品管理してました。せっかく戦う料理人になりたいと張り切って入隊したのに、相手は無機質な物品ばかりで、振り返ってみれば随分と寂しい職場でしたよ。なので今の糧食班が天国です。皆さんがおいしそうに食べているのを眺めるのって、実に良いですよね、どの辺が来るのがイヤな職場なのか、私にはさっぱり分からない……あれ、どうしました?」

 何故か二尉が私の足元でひれ伏している、じゃなくてガックリしているのかな?

「なんでそういう大事なことを俺に話さなかったんだ!」
「だってもう三年近く前のことですもん、普通に転属扱いでしたし、二尉に言われるまで自分がどういう経緯でここに来たか、すっかり忘れてましたよ。でもどうしてそんなに大騒ぎしてるんでしょうね。隊員が怪我をするなんてこと、ここでは珍しくないのに」

 ああ、鍋蓋で骨折なんて珍しいかな?

「よく聞け。音無が元々いた後方支援隊長と、鍋蓋を落とした陸士長の何とかってやつの父親がだな」
「ああ、もしかしてお知り合いだったんですか?」
「それどころか犬猿の仲らしい。お前の怪我を巡っての二人のやり合いが、うちの駐屯地司令にまで飛び火してとんでもないことになってるぞ」
「あらー……釜屋かまや陸士長とそんなところでつながりがあったなんて、世間って狭い……」
「感心している場合じゃない。音無、お前、元の場所に戻らなきゃいけなくなるかもしれないぞ」
「え?! いやですよ、私、今の場所が気に入ってますから」

 せっかく来ることができた糧食班なのに、どうして離れなきゃいけないのか。希望者がいないなら、私がずっとここにとどまっても問題ないはずじゃ?

「私、糧食班から離れたくありません、何とかしてください」
「知るか。これ以上の騒ぎにならないように祈っとけ」

 自衛隊と言っても実力主義だけな世界じゃなくて、上に行けば行く程そういう政治的な駆け引きやら争いごともあるわけで、その時はまさか、なあなあで済まされることなくきちんと職務中の事故として処理された鍋蓋事故が、そこまで大きな話になるなんて思いもしなかった私だった。
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