貴方の腕に囚われて

鏡野ゆう

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本編

第二十一話 フラグをへし折る男

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 復帰してから初の最後の片づけは釜屋かまや陸士長がすることになっていたので、私が最後まで指導に残ることになった。指導と言っても、班長お手製の椅子に座って彼女を見守るだけなんだけど。

「あの、本当にもう大丈夫なんですか?」

 洗浄されたトレーを片づけ終わったところで、釜屋さんが私の方を見た。もしかして戻ってから初めて、私のことをまともに見たんじゃないだろうか。それまで何となく気まずそうに視線を背けていたし、私としゃべるのも極力避けているような感じだったし。

「お陰様でね。これまで真面目に訓練に参加していたおかげか、回復は普通よりも早いって、医官からほめてもらいましたよ」
「そうですか。良かった」

 私の言葉を聞いて心底ほっとした様子だ。うん、悪い子じゃないんだ。ほんと、悪い子じゃないんだけどね……。

音無おとなし三曹、片づけがすべて終わりました。確認をお願いします」
「はい」

 松葉杖を両脇に立ち上がると、彼女が立っている場所へとゆっくりと歩いていく。大鍋の横を通りすぎる時に足が痛んだ気がしたのは、きっとあの時のことを体が覚えているからだと思う。しばらくは、この鍋には近づかない方が良さそうだ。

「どうでしょうか」
「きちんと整理整頓もできてますね。大丈夫、合格です」

 そう言ってから、横に立っている釜屋さんの方を見る。

「念のために言っておくけど、こんな風にゆるいのはうちの班風だから、別の場所でもこうだとは思ないようにね」
「はい。それは他の班員の皆さんにも言われました。ここは蓮田はすだ班長と音無三曹が班員を自由にさせくれているけど、他の駐屯地でこうはいかないと」
「ここの班がゆるいのは、少しでも皆に楽しく仕事をしてほしいっていう、班長の配慮だから。隊内規則からは、かなり逸脱している部分も多いから要注意」
「はい!」

 釜屋さんがうなづいたと同時に、カウンターをコンコンと叩く音がした。

 ちょっと待て、どうしてその音が? 思いっ切り胡散臭うさんくさげな顔をしたものだから、釜屋さんが驚いて私の顔を見てから音がした方をうかがった。

「幹部の方みたいですけど……」
「分かってる。釜屋陸士長、トレーが全部返却されてなかった?」
「いえ。数は全てあったはずです。二回数えましたから」

 ゆっくりと振り返ると、カウンターの向こうには、どこぞの小隊長様らしき人影が立っている。

「今度は遅刻飯ですか? もうご飯ないですよ!」
「そうなのか?」

 体を屈めてこっちをのぞき込んできたのは、もちろん森永もりなが二尉だ。

「ちょっと、本当に夕飯を食べ損ねちゃったんですか?」
「いや、ちゃんと食べたぞ。今日は久しぶりに音無が調理室に立つと聞いて。ちゃんと音無の味だった」
「私の味ってなんですか」

 そんなことを言われて、こそばゆいやら嬉しいやら。思わず口元がゆるみそうになったので、慌てて引き締める。

「まあ一年も食べていると、何となく分かってくるものなんだよ。今夜の作業は終わったのか?」
「二尉が邪魔しなければ完了してましたよ。邪魔しないでください、私達は時間に融通のきかない寮生活なんですから。釜屋陸士長、最後の火元の確認をしてください」
「はい!」

 釜屋さんが火元の確認をしているのを見守りながら、カウンターの向こう側からこっちをのぞいている人に視線を向けた。

「じゃあ何でまだ残ってるんですか」
「残っていたらいけないのか?」
「いや、いけないこともないでしょうけど、色々と準備があるでしょ」
「なんの?」
「なんのって……来週からのアレとかソレとか」

 自分以外の人がいる状況で、レンジャー課程のことを口にして良いのか分からず、取り敢えずはいつもの「アレ」と言っておく。

「アレとかソレとは一体なんのことだ」
「鍋蓋でぶん殴って欲しいですか?」

 愉快そうな口調の二尉を軽くにらむ。

「それこそ勘弁してくれ。ここまできたら必要なのは、やる気と根性だな。あとは運も若干」
「そんなもんなんですかねえ。ま、私は心配してませんけどね」
「本当に?」
「あれだけの体力持ちなら、余程のことが無い限り大丈夫でしょ」
「あの、終わりました」

 釜屋さんがおずおずといった感じで報告をしてきた。あまりにも無遠慮な私の物言いに、大丈夫なのかと心配しているようだ。

「お疲れ様。もう寮に戻っても良いよ」
「はい。お疲れ様でした」

 釜屋さんは敬礼をすると、調理室の裏のある出入口へと向かう。そしてその途中で急に立ち止まって振り返った。

 その視線は、何故か二尉の方へと向けられている。ああ、この目はアレだよね、アレ。ちょっと乙女チックな気持ちが混じっているアレだ。私もこんな乙女チックな気持ちを二尉に対して持てたら、それなりに幸せなんだろうけど……無理だ、どう考えても無理。私達の間には体力真剣勝負しか有り得ない。

「あの私、頑張って音無三曹みたいに、おいしいご飯を作れるようになりますから!」
「人の恋人に怪我をさせたんだ、その分を取り戻すつもりで最善を尽くせよ」
「はい! え……こ、恋人?!」

 敬礼してから釜屋さんが、目を丸くして私を見た。あああ、まったくどうしてこの人は!!

「ちょっと二尉、なんでそこでそういうことを口にしますかね?」
「事実だから。なにか不都合でも?」

 口調からして面白がってるよ、この人。なんて言うか、もう少し女心ってものを理解してあげて欲しい。いや、別にもてあそべと言っているわけじゃなくて、もう少しこう、なんて言うか……とにかくアレだアレ!!

「あの、音無三曹は……?」
「俺の恋人だよ。だからこうやって様子を見にきているんだ。釜屋陸士長」
「は、はい!」
「もう帰って良し。寮に戻れ、音無は俺が寮の前まで連れて行く」
「あ、はい、では失礼します」

 なんとも微妙な顔をした釜屋さんは、もう一度敬礼して調理室から出ていった。その後ろ姿が寂しげに見えるのは、気のせいじゃないと思う。

「……二尉」
「なんだ」
「乙女心をそんないきなり、ハンマーで木端微塵こっぱみじんにするような真似をしなくても良いでしょう」
「なんのことだ」
「その口調で丸分かりですよ!」

 カウンターにもたれかかってこっちを眺めている二尉をにらむ。

「変な期待を持たせるのも良くないだろ。俺は音無と付き合っているんだから」
「それはそうですけどね、もうちょっとこう……言いようがないですか?」
「ない」
「ないのか……」

 はあと大きな溜め息をつくと、電気を消して調理室から出る。

「疲れてないか?」
「今のでどっと疲れましたよ!」
「それは申し訳ないことをした」

 二尉はそう言って私のあごをつまんで上を向かせると、唇を重ねてきた。それと同時に甘いモノが口の中に滑り込んでくる。

「むむ?」

 顔を上げた二尉はニヤッと笑った。

「疲れているなら、甘い物が食べたいんじゃないかと思って」
「だからってどうして口移し」

 滑り込んできたのはイチゴミルク味のキャンディーだった。

「音無の両手は松葉杖で塞がっているんだから、セロハンをむく手間を省く親切のつもりだったんだがな」
「いったいどの辺が」
「飴が無用なら返してもらうが?」

 そう言いながらもう一度、あごをつまんできた。待て、口移しで返してもらうって、一体どんなプレー?!

「舐めかけのじゃなくて、ちゃんとしたのもくれるんですよね?」
「もちろん」

 そう言いながら、私のズボンのポケットに飴を何個か入れてくれる。

「見つかるなよ」
「……これ見つかったら懲罰ですか、あ、ちょっと飴返してくださいよ!」
「そういう悪巧みをする悪い子には飴は渡さないからな」

 あっという間に、ポケットの飴はすべて没収されてしまった。

「言ってみただけじゃないですか、私の飴ぇ……」
「俺が買ってきたんだから所有権は俺にある。今の半分は本気だったろ? そんなに残りたいのか?」

 ブーブーと文句を言う私を食堂から連れ出すと、そのまま廊下をゆっくりと歩く。さすがにここでは他の隊員の目もあるので、飴のことは口にできない。

「残りたいって言うより、糧食班の仕事を続けたいんですよ。ご飯作りが続けられるなら、別に何処でも良いんです。それこそ何もない離島の基地でも」
「どんだけ気に入ったんだ、この職種を」
「だってもともとは、それが目標ですから」
「ああ、戦う料理人ね」
「そうですよ。あっちに行ったら絶対にできないんですよ、民間業者に外注してましたし」

 なんだか次の年度を迎えるのが非常に憂鬱ゆううつだ。

「ほんと、油断したなあ、鍋蓋ごときでこんなことになるなんて……」
「戦う料理人様も、鍋蓋の重さには勝てなかったか」

 この時だけは二尉も、本気で気の毒がってくれているようだった。


+++


 建物を出ると寮へと向かう。営内にある女性隊員用の寮は、当然のことながら男性隊員が立ち入ることは許されない。常に玄関ホールに誰か立っているというわけではないけど、玄関はオートロックで暗証番号とセキュリティカードが必要で、さらには監視カメラがこっちを向いていた。

「音無」

 寮の玄関が見えてきたところで、二尉が立ち止まった。

「なんです?」
「週末は病院に行くんだよな?」
「はい、レントゲン撮影でしばらくは週一で通院です。うちからあっち方面に行く車が出るんで、乗せていってもらえる手筈になってるんですよ」

 通院する人数が多ければ、それなりの運搬手段が確立されるんだけど、今のところこの駐屯地で病院に通っているのは私一人だけ。なので、病院の近くに出向く車に、同乗させてもらうことになっていた。帰りもその車に拾ってもらう予定だ。

「今回は俺が送り迎えしてやるから、そっちに乗らなくても良いぞ」
「え?!」

 とたんに不機嫌そうな顔になった。

「なんだ、なにか不都合でも?」
「いやいや、そうじゃなくて。だって来週から行くんでしょ? 呑気に私を送り迎えする時間なんてあるんですか?」

 真面目な話、あまりにも二尉が普段通りだから心配になってきている。もしかして皆こんな感じなんだろうか。

「あのな、普段通りにしていた方が良いんだよ。変に気合を入れると逆効果だ。それに」
「それに?」
「当分は音無に会えないだろ? 通院を兼ねたデートぐらいしても良いじゃないか」
「普段通りじゃないじゃないですか」
「普段通りだろ。まあ本当なら抱き潰して行きたいぐらいなんだが、怪我人だからそこは我慢する」

 なにか不穏なことを言ってるよ、この人。

「あの、病院に行ってレントゲン撮って帰ってくる、それだけですからね?」
「門限までに帰れば良いんだろ?」
「……イヤな予感しかしない」
「気のせいだ」

 こういう時の二尉は、まったく表情が読めないから厄介だ。

「……まあ仕方ありませんね。課程に向けてのやる気が削がれちゃったら困りますから、付き合ってあげても良いですよ?」

 ちょっと恩着せがましく言ってみる。

 まあ本音を言えば、これから三ヶ月は二尉と会えないわけだから、私としてもデートの内容はともかく、デート自体は嬉しいことなのだ。そんなことを言うとつけ上がるので、絶対に口には出さないけど。

「なら決まりだな」

 そう言って二尉は、ちょっとだけ嬉しそうな笑みを浮かべた。

「さてと、本当ならここでお休みのキスでもして寮に送り届けたいんだが、やめておいた方が良さそうだ」
「はい?」

 二尉が指を指した方に目を向けると、寮の二階に人影がいくつか。私が気がついたことが分かったのか、にぎやかにジャンプしながら手を振っているのが見えた。なんというギャラリー、隠れる気なんて微塵みじんも感じられない。

「わあ……」
「監視カメラの撮影範囲外でも、ここでは油断できないってことだな。じゃあ俺はここで退散するよ。女性隊員達に、フルボッコにされるわけにはいかないから」
「あー……」
「ん?」
「送っていただいてありがとうございました」

 私の言葉にうなづくと、二尉は私のポケットに飴を押し込んでから、敬礼をしてそのまま引き返していった。何やら寮の方から不満げな声があがったような気がしたけど、それは空耳だと思っておこう。

 そして私は寮内に戻ったとたん、どうしてお休みのキスをしないのかと問いつめられた。普段は厳しい訓練を受け規律重視の生活をしている自衛官も、こういう時ばかりは、普通の女の子なんだなって思ったしだいなのだ。
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