【現代もの】鏡野ゆう短編集

鏡野ゆう

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眠れる森のミイラ男

第三話 すっかり人間くさくなりました

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珠子たまこさん、霧吹きを持ち歩くのは、いい加減にやめませんか?」

 それまで、私が自分に向けて霧吹きをシュッシュッとするのを黙っていたダイさんが、ある日そんなことを言った。

 遺跡からダイさんを掘り出してから、もうそろそろ一年が経とうとしている。ゆるキャラ神に会いに日本にやってきたダイさんは、実は日本には八百万もの神がいると知って驚嘆し、是非ともすべての神に会いたい!!と無茶な目標をかかげ、この一年間を日本の神々に会うために費やしてきた。

 その彼について、休みのたびに日本全国を回っていた私は、お陰様で考古学だけではなく、民俗学に対しても造詣が深まる一年であった。ちなみに今日は、ここ最近老眼気味なダイさんのために、眼鏡の神様のところに行く予定だ。

「だって、今日は空気が乾燥しているから火元に注意しましょうって、今朝の天気予報でも言っていたじゃないですか。ダイさんは人並み以上に、乾燥に気を配らないといけません」
「お言葉ですが、珠子さん。私は別に、あっという間に干からびるわけじゃなんですよ」

 そう言われても、一年間続けてきた習慣は、そう簡単にやめられそうにない。

 そんなにやめてほしいなら、最初に言ってくれれば良かったのにと思ったが、恐らくダイさん自身も始めのうちは、放っておいたら自分は乾燥してミイラに逆戻りしてしまうのではないかと、心配していたのだと思う。

「油断大敵ですよ。気がついたらミイラに戻っていたなんてことになったら、一大事です。その老眼だって、テレビとパソコンの見すぎもありますけど、目が乾いたせいかもしれないじゃないですか」
「乾燥と老眼は関係ないでしょう」

 知識だけは豊富なダイさんは、そんな言葉には騙されませんよとばかりに、顔をしかめた。そんなしぐさも本当に人間臭くて(間違いなくダイさんは人間なんだけれど)、とても出会った時が干からびたミイラだったとは、思えなくなっていた。

「そんなことないですよ。老眼は加齢によって、目の焦点を合わせる筋肉が硬くなって起きる症状です。つまりは潤いが失われている、イコール乾燥しているってことです」
「何かが違うような気がしますねえ……」
「そんなことありません。とにかく乾燥危険、霧吹き必須」

 そう言い切ると、念のためにともう一回シュッシュッと、水をダイさんに吹きかけた。暑い砂漠の地で、何日もかけて人間の姿に戻したのだ。今さら乾燥ミイラに戻ってもらっては困る。

「まったく、珠子さんときたら」

 こうやって改めて眺めてみると、人間に戻ったダイさんはなかなかの男前だ。黒い頭髪と瞳、そしてペラペラと澱みなく日本語を喋るせいで、パッと見、ちょっと顔の濃すぎる日本人と思われることもある。

 だがしかし、男前ではあるものの、いかんせん初対面時の姿がミイラだったせいか、何故か我が家に押し掛けてきて、なし崩しに同居(同棲ではない念のため)が始まってからも、周囲が騒いで羨むほど心が躍らない自分の境遇が、非常に恨めしい。

 しかもこの同居は、地味にお財布に優しくないのだ。一緒に暮らし始めたせいで、ダイさんの乾燥具合が常に気になって、最近では天気予報だけではなく湿度までチェックするようになっていた。その結果、この冬にはとうとう湿度計だけでなく、加湿器なんてものを買って、よけいな出費をしまった。相手は数千年も年上の男性なのに、我ながらつくづく過保護だと思う。

「ところで、眼鏡の神様のところに行ったら、私の老眼は良くなるのでしょうかね?」
「それをお願いするなら、目の神様のところに行くべきでは? 今から行くのは目ではなく、眼鏡の神様ですから」
「なるほど。家に帰ったら、目の神様のことを調べてみましょう」

 真剣に老眼のことを悩んでいるダイさんには申し訳ないが、眼鏡をかけている姿もなかなか素敵だと、女子学生の間では評判だ。だからそのまま眼鏡男子でいていただきたいというのが、恐らく我が大学の女子学生の総意だと思われる。

 ああ、そうそう。

 ダイさんは舞戸まいと教授の口添えもあって、今年の春から、我が大学の講師として西洋史を教えている。本人いわく、私のアパートで「ヒモ状態」でいるのは心苦しいからというのもあるらしいが、私は密かに、現代の若者の観察をしたかったに違いないと思っている。しかし「ヒモ」なんて言葉を一体どこで覚えたのやら。そろそろ、ネットであちらこちら徘徊はいかいすることを、やめさせるべきかもしれない。

「とにかく、ダイさんは乾燥厳禁ですからね。特に乾燥注意報が頻繁ひんぱんに出る冬場は要注意!!」
「はいはい」

 気のない返事にムッとなる。

「最近のダイさんは、舞戸先生と喋り方まで似てきましたよ……」
「それは他の人にも言われますね。私は舞戸教授の隠し子ではないかと、その筋では噂されているようですよ」

 典型的な日本人で、最近では頭の毛が若干寂しくなってきた舞戸教授と、毛がフサフサで、日本人にしては濃すぎる顔をしたダイさんが親子に見えるなんて、有り得ない。だけど、最近の二人のシンクロするしぐさを見ていると、妙に納得できるようにも思う。もしかしたら、この二人、前世では親子とか双子だったのではないだろうか。あ、まさか舞戸教授はダイさんの、ひいお爺さんの生まれ変わりとか?

「重ね重ね言いますが、油断大敵、乾燥厳禁ですよ」
「珠子さんは本当に心配性ですねえ」
「そりゃあ、私にはダイさんを見つけて、掘り出しちゃった責任もありますから。サーリムさんからも、くれぐれもよろしくお願いしますよって、言われましたからね」
「ああ、なるほど。じゃあ、最後まで面倒をみてもらわないといけないですねえ」
「頑張ります」

 真面目な顔をしてうなづく私の横で、ダイさんがおかしそうに笑った。後にこの時の会話を友達にしたところ、「珠子の鈍感ぶりには、ダイさんぐらい心の広い人でないと無理だったかもね」と、憐れむような口調で言われることとなったのだが、それはまだ別の話だ。

「じゃあ、頑張る手始めに今夜はもつ鍋を作りますよ。コラーゲンたっぷりで、ダイさんのお肌にも良いですからね」
「みそ味のアレですね。あれは私も大好きです」

 実のところ、ダイさんが乾燥することを気にかけて、あれやこれやと対策を取ることが、自分のお肌にとっても良いことだと気がついたのは、しばらくしてからのことだった。「最近の珠子のお肌は綺麗だね~女性ホルモンがダダ漏れなのは、誰のお蔭かな~」などと友達にはニヤニヤしながら言われたが、それは間違いなくダイさんの保湿対策の結果であって、断じて女性ホルモンがどうとかこうとかということではないのだ。

「そう言えば、コラーゲンたっぷりの鍋なら、スッポン鍋を食べるべきだと教授に言われましたが、珠子さんはどうですか、スッポン」
「却下です」
「なるほど。ではスッポンは、舞戸先生と二人で食べに行ってきます」
「お酒を飲むのは止めませんけど、水分はこまめに」
「分かっていますよ。舞戸先生も、水分とコラーゲンに関しては、珠子さん以上にうるさいですからね」

 そう言われてみれば、頭髪の方は寂しくなってきた舞戸教授だが、お肌はツルツルでプルプル状態だ。もしかしたらゼミの誰よりも、お肌が若々しいかもしれない。それも、ダイさん効果といったところだろうか。

「分かっているなら結構です」
「あ、そう言えば珠子さん。クリスマスプレゼントは何が良いですか? 今年は私も働いているので、何かプレゼントができると思いますよ」

 始めの頃は驚いていたダイさんも、この一年で、バレンタインにお盆にハロウィンやクリスマス、古今東西ここんとうざいのありとあらゆる習慣が混在している日本の生活に、すっかり適応してしまったようだ。

「たしか、欲しい蔵書があるから貯金しているって、言っていませんでしたか?」
「それとこれとは別物ですよ。何かありますか?」
「そうですね~~……」



 というわけで、私は元ミイラ男のダイさんと、こんな感じで平穏に暮らしている。
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