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東京・横須賀編
第十四話 チーズ入りハンバーグ
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目が覚めると、体の上にはお布団がきちんとかけられていた。薬のせいかマッサージのせいか、痛みは随分とマシになったようで、起きる時も朝ほどの痛みを感じることなく、寝返りもうてる状態になっていた。
起きるとツンと湿布薬のにおいがする。篠塚さんが貼ってくれたものだ。篠塚さんのマッサージは容赦なくてかなり痛かったけど、湿布まで貼ってくれたということは、それなりに責任を感じていたのかもしれない。
「……?」
手元にメモ書きが置かれているのに気がついた。
『眠ってしまったようなのでこれで帰ります。鍵は玄関ドアの新聞受けに入れておきます。お大事に。次に薬を飲む時は何か食べてから薬を飲むように』
話す言葉は命令口調だったりぶっきらぼうな口調なのに、メモに書かれている文章がなんとなく丁寧なのがなんだか不思議な感じ。
「メールしておこうかな」
また死んでるかもしれないと思われても困るので、ショートメールを送っておくことにする。
『いま起きました。随分と痛みもマシです。ありがとうございました。痛みが引いたら、来週の日曜日も伺って良いでしょうか?』
送ってからしばらくして電話がかかってきた。どうやら篠塚さんは、メールよりも直接お話する方が好みらしい。
「はい?」
『そんな状態なのに、懲りずに次の日曜日も来るつもりでいるのか?』
ほら、メモ書きと全然口調が違う。
「ましになったらですけどね。迷惑ですか?」
もしかして、私がもうやめますとでも言うと思っていたのかな。
『迷惑とは言わないが、少なくとも筋トレを続ける以外は、特に今は何もすることが無いから、しばらくは俺達が教えたメニューを、自分のペースで続けた方が良いと思うがな』
「なるほど、だったらそうします」
『それを続けても筋肉痛が起きなくなれば大したもんだ』
「そんな日が来るとは思えないんですけどね……」
教えてもらったことをするたびに、筋肉痛で泣きそうになるんじゃないかって憂鬱になってきた。あれこれ教えてもらおうって決めた時には、こんなことになるなんて思ってもみなかったよ……。
『だから言ったろ。人を投げ飛ばすなんて口で言うのは簡単だが、実際にやるとなったら難しいって』
「前途多難です」
『一週間やそこらで、俺を投げ飛ばすようになる方がよほど怖い。それで飯は? そこにあった御立派な冷蔵庫の中に食い物は入っているのか? 真面目な話、かなりきつい薬だから、飲む前に腹に何か入れた方が良いぞ』
「それは分かってるんですけどね」
そう言いながら、何が入っていたかなと冷蔵庫の中を思い出してみる。牛乳と卵とバターが入っていることは分かっていた。あとはどうかな……。冷凍庫にパスタと冷凍食品をいくつか入れておいたような気はするけど、それはもう先週あたりに食べちゃったっけ?
『おい、大丈夫か? そのへんで倒れているんじゃないだろうな』
「聞いてますよ。冷蔵庫に何が入っていたか、思い出せないだけです」
『なんだか怪しげな雲行きだな。何か食べたいものはないのか?』
溜め息まじりに質問をされた。
「もしかして介抱ついでに、篠塚さんが作ってくれるとか?」
『自慢じゃないが俺の料理の腕はお粗末だ。もし何も食べるものが無いようなら、買って届けてやろうかと考えただけだ』
「じゃあミクルミ亭のハンバーグ弁当をお願いします」
『……』
急に電話の向こうが静かになる。あれ? どうしたのかな?
「もしもしー?」
『いま宇宙語でも喋ったのか? みく、なんだって?』
「ミクルミ亭というお弁当屋さんのハンバーグ弁当です。あ、お給料入ったばかりだし、奮発してチーズ入りが良いかな。うちの最寄り駅の改札を出て、左の方へ高架沿いに五分ほど歩いたところにあるんですよ。そこのチーズ入りハンバーグ弁当が食べたいです」
話している内に、肉汁たっぷりのハンバーグの味が脳内に蘇ってくる。ああ、あそこのハンバーグは本当美味しいんだよ。口に出したらどうしても食べたくなってきた。
『それを俺に買ってこいと言ってるのか?』
「だって、食べたいものを届けてくれるって言ったじゃないですか。あ、二つでお願いします。チーズハンバーグ弁当は消費税込みで880円だったと思います。もちろんお代金はきちんとお支払いしますから、心配しないでください。えっとそれとお味噌汁は要らないです。冷蔵庫にお味噌とワカメはあったような気がしますから」
『……分かった、その何とかって弁当屋のハンバーグ弁当な』
「チーズ、ハンバーグですよ。それを二つ」
『分かった。チーズハンバーグ弁当を二つ』
その返事を聞きながら、篠塚さんが今どこにいるのか、分からないことに気がついた。
「ところで篠塚さん、今どこに?」
『俺の自宅の最寄り駅についたところ』
「え?! もっと近い場所にまだいると思ってました! チーズハンバーグのことは忘れてください! てきとうに食べますから、わざわざこっちに引き返してもらうことないです!」
『いや。希望を聞いたからには、何が何でも買って届ける。じゃあ』
「じゃあって、え、でも、あの?!」
問答無用で電話が切れた。慌ててもう一度電話を掛けると、即切りされてしまった。つまり私とこれ以上は、電話で論議する気が無いってことだ。
篠塚さんには申し訳ないと思いつつ、久し振りにミクルミ亭さんのチーズハンバーグが食べられるのは嬉しい。そうだ、お味噌汁だけでも作っておこう。薬のお蔭で、何とか歩いて台所までは行けそうだし。
「意外と私の体って単純なのかも」
お味噌汁の準備をしながら、さっきより痛くないのは薬が効いていることと、チーズ入りハンバーグが食べられると喜んでいるのかも、なんて考えた。意外と人間の体って単純なのかな……そんなことを考えながら、冷蔵庫からお味噌とワカメ、それからお麩を出した。
+++++
それから二時間ほどして、玄関のチャイムが鳴った。あ、チーズハンバーグ、じゃなくて篠塚さんだ。
「はーい」
急いで玄関にいくと鍵をあけた。ドアを開けたとたんに突き出されたのは、可愛いロゴマークの入ったレジ袋。そして美味しそうなハンバーグの匂い。その匂いにお腹が空腹を訴えだす。
「確かに届けたぞ」
「お代金を払いますからあがってください」
「いや、俺のおごりだ」
「それはありがたいんですけど、一つは篠塚さんのために買ってもらったものだから」
「は?」
「は?はいいですからどうぞ。今はお薬のお蔭でかなり楽ですけど、長く立っているのはやっぱり辛いので早く早く」
そう言いながら、お弁当を受け取らずに奥に戻った。そうすれば篠塚さんが、溜め息をつきながらもお弁当をこっちに運んでくるだろうと考えてのことだ。私だって少しは頭を使えるんですよ、三尉さん? 案の定、篠塚さんはブツブツ言いながら、お弁当を手に私の後ろについてきた。
「少しは警戒したらどうだ、これでも俺は男なんだがな」
「篠塚さんは、筋肉痛で苦しんでいる国民を襲うような自衛官には見えないから、警戒する必要はないでしょ?」
私がそう言うと、盛大に溜め息をつく。
「まったくあんたって人は……」
「せっかくだから一緒に食べましょうよ。お味噌汁だけは作ったんですよ。あ、私がこんな恰好なのは申し訳ないですけど、そこは勘弁してくださいね」
私の格好はパジャマの上にハンテンだ。しかも自分でもかなり湿布臭い。こんなんじゃいくら男の人でも、その気にもなれないんじゃないかなって思うんだけどな。そんなこと一度も経験したことないから分からないけど。
「まあ今の門真さんは病人のようなものだから、格好に関しては別に気にはしないが」
「お弁当はこっちのテーブルに。椅子じゃなくてちゃぶ台なのは御愛嬌ってやつで」
「……何か手伝うことは?」
「無いです」
「即答かよ」
だって本当に無いんだもの、しかたがないじゃない。
「お弁当を出してもらうと助かります。お味噌汁を温め直しますね。まだ作り立てだから、すぐに温まるから座って待っててください」
考えてみたら、こんな風に自分の家で誰かとご飯を食べるなんて、久しぶりのことだ。お母さんに言われたとおり、お椀とかお箸とかお客さん用のものを揃えておいて良かった。
温まったお味噌汁をお椀にいれていたら、篠塚さんが横に来てさっさと二つとも持っていってしまう。どうやら私が無いと言ったものだから、自分で勝手に手伝うことを見つけることにしたみたい。
「そんなことしなくても良いのに」
「またその辺でけつまづいて、味噌汁をぶちまけでもしたら目も当てられないからな。どうせそうなったら、きっと俺が掃除するハメになるんだから」
「そんなことないですよ、自分で掃除します」
「いいや。絶対に俺がさせられるに決まってる」
お味噌汁を取り上げられたので、せめてお茶だけでもとポットのお湯を急須に煎れていたら、それもさっさと持って行かれてしまった。
「どっちが家の主か分からないじゃないですか」
「病人にあれこれしてもらうほど無神経じゃないんだよ、俺だって」
「でも偉そう」
「なんだって?」
「いいえ! お心遣いいたみいります」
ちゃぶ台に向かい合って座ると、いただきますをしてお弁当の蓋をあけた。篠塚さんは、現れたハンバーグを見て目を丸くしている。
「重さからして、けっこうな大きさがあるだろうとは思っていたが……でかいな」
「でしょ? お値段がそれなりだから、ここに引っ越してきた時に買うの迷ったんですよ。でも中身を見て納得したんです。もちろん味も美味しいですよ。お店の御主人、元は有名ホテルのコックさんだったんですって」
「へえ。そう言えばけっこう買っていく客も多かった」
「この辺りでは、評判のお弁当屋さんなんですよ」
しばらく二人で黙々とハンバーグを口に運ぶ。会話はほとんど無くて、つけておいたテレビの音声が流れる程度。でも会話が無くてもあまり気にならないのは、きっと篠塚さんだからかな。
「しかしミクルミって、一体どんな意味なんだ?」
割りばしの袋のロゴを見ていた篠塚さんが首をかしげた。
「ああ、それですか。奥さんがルミさんなんです。で、娘さんがミクさんとクルミさん。それを併せてミクルミ亭」
「そういうことなのか。最初は何を言ってるんだって思った」
「御主人の家族愛の象徴なんですよ、お店の名前」
「なるほど」
そして再びお食事再開。テレビはその日にやっているドラマのオープニングが始まった。
「今は薬が効いているから平気なようだが、痛いのが続くようなら医者に行けよ?」
「どのぐらい続いたらって目安はあるんですか?」
「大抵は三日程度で痛みはなくなるはずだ。一週間以上続くようなら整形外科案件」
「この痛さが三日も……」
「筋肉の繊維が、めったにしない運動で傷ついて痛むんだからな。それと毎日しても意味がないってのは、近江が話したか」
詳しいことは省くけどと言いながら、筋トレしたら二日間は冷却期間でお休みをして、三日目に再開、そして再び二日お休み、と近江さんが説明をしてくれた。がむしゃらにしても、効果は大してないからねってことだった。
「あとは筋トレの後にはバナナ食べろ、でしたっけ?」
「ああ」
「でも篠塚さん達は、入隊した時にこんな呑気なペースでやってたわけじゃないでしょ?」
「入隊してからの訓練と、門真さんの筋トレとはまた違うからな。俺達と同じようなことをしていたら、恐らく次の日から、それこそ一週間ぐらいは熱出して寝込むんじゃないのか?」
なんだか聞けば聞くほど恐ろしい世界だ。警察官になっても似たような訓練があったんだとしたら、きっと私、一週間もしないうちに、脱落していたかもしれない。やっぱり頭脳労働を選んで良かった。
それからお椀を片づけてお弁当の容器をレジ袋に詰めてゴミ箱に入れると、篠塚さんは長居は無用だとばかりに脱いだジャケットを手に取った。
「ごちそうさまでしたって言うのも変な話だよな。俺が買ってきたんだから」
「あ、お金は払いますから」
「いや。今回は本当におごりだから気にするな」
「……じゃあ元気になったら何か御馳走しますよ。そうですね、私が篠塚さんを投げることができたお祝いにでも」
「こりゃまた当分先になりそうだな。期待せずに楽しみにしている」
それって何気に私に失礼じゃ? そりゃあ今は筋肉痛でひーひーいってるから、とてもそこまで辿り着けるようには見えないかもしれないけど。
「投げられて泣かないようにしてくださいよね」
「せいぜい受け身の練習でもしておくことにするよ」
その顔はまあ無理だろうなって言いたげだ。玄関までお見送りをすると、篠塚さんは真面目な顔をしてこっちを見下ろした。
「改めて言うまでもないと思ったが、門真さんのことだから忘れるといけないのでもう一度言っておく。痛みがある時はあまり無理をしないように。長引くようなら医者へ。筋力がつく前に体を壊したらなんにもならないからな」
「分かってますよ。私だって痛いのに無理するほどマゾじゃないです」
そこでどうして、どうだかなって顔をするのかな。
「まあ日曜日に関してはこっちは予定をあけておくが、それも門真さんの体調しだいでということにしておこう。了解したか?」
「はい、教官殿!」
そう言って敬礼をすると、篠塚さんは少しだけ驚いたような顔をしてから微笑むと、手をのばしてきて私の敬礼の角度を直してくれた。
「これが海自の敬礼の正しい角度だ。ちゃんと覚えろよ? じゃあまた」
そう言うと玄関から出ると、自分も敬礼しながらドアを閉めた。それから台所に戻ってお薬を飲みながらあれ?と思った。
「……そう言えば、あんな笑い方をしたのって初めてかも」
あんな笑い方もできるんだ……ちょっと意外だったかも。
起きるとツンと湿布薬のにおいがする。篠塚さんが貼ってくれたものだ。篠塚さんのマッサージは容赦なくてかなり痛かったけど、湿布まで貼ってくれたということは、それなりに責任を感じていたのかもしれない。
「……?」
手元にメモ書きが置かれているのに気がついた。
『眠ってしまったようなのでこれで帰ります。鍵は玄関ドアの新聞受けに入れておきます。お大事に。次に薬を飲む時は何か食べてから薬を飲むように』
話す言葉は命令口調だったりぶっきらぼうな口調なのに、メモに書かれている文章がなんとなく丁寧なのがなんだか不思議な感じ。
「メールしておこうかな」
また死んでるかもしれないと思われても困るので、ショートメールを送っておくことにする。
『いま起きました。随分と痛みもマシです。ありがとうございました。痛みが引いたら、来週の日曜日も伺って良いでしょうか?』
送ってからしばらくして電話がかかってきた。どうやら篠塚さんは、メールよりも直接お話する方が好みらしい。
「はい?」
『そんな状態なのに、懲りずに次の日曜日も来るつもりでいるのか?』
ほら、メモ書きと全然口調が違う。
「ましになったらですけどね。迷惑ですか?」
もしかして、私がもうやめますとでも言うと思っていたのかな。
『迷惑とは言わないが、少なくとも筋トレを続ける以外は、特に今は何もすることが無いから、しばらくは俺達が教えたメニューを、自分のペースで続けた方が良いと思うがな』
「なるほど、だったらそうします」
『それを続けても筋肉痛が起きなくなれば大したもんだ』
「そんな日が来るとは思えないんですけどね……」
教えてもらったことをするたびに、筋肉痛で泣きそうになるんじゃないかって憂鬱になってきた。あれこれ教えてもらおうって決めた時には、こんなことになるなんて思ってもみなかったよ……。
『だから言ったろ。人を投げ飛ばすなんて口で言うのは簡単だが、実際にやるとなったら難しいって』
「前途多難です」
『一週間やそこらで、俺を投げ飛ばすようになる方がよほど怖い。それで飯は? そこにあった御立派な冷蔵庫の中に食い物は入っているのか? 真面目な話、かなりきつい薬だから、飲む前に腹に何か入れた方が良いぞ』
「それは分かってるんですけどね」
そう言いながら、何が入っていたかなと冷蔵庫の中を思い出してみる。牛乳と卵とバターが入っていることは分かっていた。あとはどうかな……。冷凍庫にパスタと冷凍食品をいくつか入れておいたような気はするけど、それはもう先週あたりに食べちゃったっけ?
『おい、大丈夫か? そのへんで倒れているんじゃないだろうな』
「聞いてますよ。冷蔵庫に何が入っていたか、思い出せないだけです」
『なんだか怪しげな雲行きだな。何か食べたいものはないのか?』
溜め息まじりに質問をされた。
「もしかして介抱ついでに、篠塚さんが作ってくれるとか?」
『自慢じゃないが俺の料理の腕はお粗末だ。もし何も食べるものが無いようなら、買って届けてやろうかと考えただけだ』
「じゃあミクルミ亭のハンバーグ弁当をお願いします」
『……』
急に電話の向こうが静かになる。あれ? どうしたのかな?
「もしもしー?」
『いま宇宙語でも喋ったのか? みく、なんだって?』
「ミクルミ亭というお弁当屋さんのハンバーグ弁当です。あ、お給料入ったばかりだし、奮発してチーズ入りが良いかな。うちの最寄り駅の改札を出て、左の方へ高架沿いに五分ほど歩いたところにあるんですよ。そこのチーズ入りハンバーグ弁当が食べたいです」
話している内に、肉汁たっぷりのハンバーグの味が脳内に蘇ってくる。ああ、あそこのハンバーグは本当美味しいんだよ。口に出したらどうしても食べたくなってきた。
『それを俺に買ってこいと言ってるのか?』
「だって、食べたいものを届けてくれるって言ったじゃないですか。あ、二つでお願いします。チーズハンバーグ弁当は消費税込みで880円だったと思います。もちろんお代金はきちんとお支払いしますから、心配しないでください。えっとそれとお味噌汁は要らないです。冷蔵庫にお味噌とワカメはあったような気がしますから」
『……分かった、その何とかって弁当屋のハンバーグ弁当な』
「チーズ、ハンバーグですよ。それを二つ」
『分かった。チーズハンバーグ弁当を二つ』
その返事を聞きながら、篠塚さんが今どこにいるのか、分からないことに気がついた。
「ところで篠塚さん、今どこに?」
『俺の自宅の最寄り駅についたところ』
「え?! もっと近い場所にまだいると思ってました! チーズハンバーグのことは忘れてください! てきとうに食べますから、わざわざこっちに引き返してもらうことないです!」
『いや。希望を聞いたからには、何が何でも買って届ける。じゃあ』
「じゃあって、え、でも、あの?!」
問答無用で電話が切れた。慌ててもう一度電話を掛けると、即切りされてしまった。つまり私とこれ以上は、電話で論議する気が無いってことだ。
篠塚さんには申し訳ないと思いつつ、久し振りにミクルミ亭さんのチーズハンバーグが食べられるのは嬉しい。そうだ、お味噌汁だけでも作っておこう。薬のお蔭で、何とか歩いて台所までは行けそうだし。
「意外と私の体って単純なのかも」
お味噌汁の準備をしながら、さっきより痛くないのは薬が効いていることと、チーズ入りハンバーグが食べられると喜んでいるのかも、なんて考えた。意外と人間の体って単純なのかな……そんなことを考えながら、冷蔵庫からお味噌とワカメ、それからお麩を出した。
+++++
それから二時間ほどして、玄関のチャイムが鳴った。あ、チーズハンバーグ、じゃなくて篠塚さんだ。
「はーい」
急いで玄関にいくと鍵をあけた。ドアを開けたとたんに突き出されたのは、可愛いロゴマークの入ったレジ袋。そして美味しそうなハンバーグの匂い。その匂いにお腹が空腹を訴えだす。
「確かに届けたぞ」
「お代金を払いますからあがってください」
「いや、俺のおごりだ」
「それはありがたいんですけど、一つは篠塚さんのために買ってもらったものだから」
「は?」
「は?はいいですからどうぞ。今はお薬のお蔭でかなり楽ですけど、長く立っているのはやっぱり辛いので早く早く」
そう言いながら、お弁当を受け取らずに奥に戻った。そうすれば篠塚さんが、溜め息をつきながらもお弁当をこっちに運んでくるだろうと考えてのことだ。私だって少しは頭を使えるんですよ、三尉さん? 案の定、篠塚さんはブツブツ言いながら、お弁当を手に私の後ろについてきた。
「少しは警戒したらどうだ、これでも俺は男なんだがな」
「篠塚さんは、筋肉痛で苦しんでいる国民を襲うような自衛官には見えないから、警戒する必要はないでしょ?」
私がそう言うと、盛大に溜め息をつく。
「まったくあんたって人は……」
「せっかくだから一緒に食べましょうよ。お味噌汁だけは作ったんですよ。あ、私がこんな恰好なのは申し訳ないですけど、そこは勘弁してくださいね」
私の格好はパジャマの上にハンテンだ。しかも自分でもかなり湿布臭い。こんなんじゃいくら男の人でも、その気にもなれないんじゃないかなって思うんだけどな。そんなこと一度も経験したことないから分からないけど。
「まあ今の門真さんは病人のようなものだから、格好に関しては別に気にはしないが」
「お弁当はこっちのテーブルに。椅子じゃなくてちゃぶ台なのは御愛嬌ってやつで」
「……何か手伝うことは?」
「無いです」
「即答かよ」
だって本当に無いんだもの、しかたがないじゃない。
「お弁当を出してもらうと助かります。お味噌汁を温め直しますね。まだ作り立てだから、すぐに温まるから座って待っててください」
考えてみたら、こんな風に自分の家で誰かとご飯を食べるなんて、久しぶりのことだ。お母さんに言われたとおり、お椀とかお箸とかお客さん用のものを揃えておいて良かった。
温まったお味噌汁をお椀にいれていたら、篠塚さんが横に来てさっさと二つとも持っていってしまう。どうやら私が無いと言ったものだから、自分で勝手に手伝うことを見つけることにしたみたい。
「そんなことしなくても良いのに」
「またその辺でけつまづいて、味噌汁をぶちまけでもしたら目も当てられないからな。どうせそうなったら、きっと俺が掃除するハメになるんだから」
「そんなことないですよ、自分で掃除します」
「いいや。絶対に俺がさせられるに決まってる」
お味噌汁を取り上げられたので、せめてお茶だけでもとポットのお湯を急須に煎れていたら、それもさっさと持って行かれてしまった。
「どっちが家の主か分からないじゃないですか」
「病人にあれこれしてもらうほど無神経じゃないんだよ、俺だって」
「でも偉そう」
「なんだって?」
「いいえ! お心遣いいたみいります」
ちゃぶ台に向かい合って座ると、いただきますをしてお弁当の蓋をあけた。篠塚さんは、現れたハンバーグを見て目を丸くしている。
「重さからして、けっこうな大きさがあるだろうとは思っていたが……でかいな」
「でしょ? お値段がそれなりだから、ここに引っ越してきた時に買うの迷ったんですよ。でも中身を見て納得したんです。もちろん味も美味しいですよ。お店の御主人、元は有名ホテルのコックさんだったんですって」
「へえ。そう言えばけっこう買っていく客も多かった」
「この辺りでは、評判のお弁当屋さんなんですよ」
しばらく二人で黙々とハンバーグを口に運ぶ。会話はほとんど無くて、つけておいたテレビの音声が流れる程度。でも会話が無くてもあまり気にならないのは、きっと篠塚さんだからかな。
「しかしミクルミって、一体どんな意味なんだ?」
割りばしの袋のロゴを見ていた篠塚さんが首をかしげた。
「ああ、それですか。奥さんがルミさんなんです。で、娘さんがミクさんとクルミさん。それを併せてミクルミ亭」
「そういうことなのか。最初は何を言ってるんだって思った」
「御主人の家族愛の象徴なんですよ、お店の名前」
「なるほど」
そして再びお食事再開。テレビはその日にやっているドラマのオープニングが始まった。
「今は薬が効いているから平気なようだが、痛いのが続くようなら医者に行けよ?」
「どのぐらい続いたらって目安はあるんですか?」
「大抵は三日程度で痛みはなくなるはずだ。一週間以上続くようなら整形外科案件」
「この痛さが三日も……」
「筋肉の繊維が、めったにしない運動で傷ついて痛むんだからな。それと毎日しても意味がないってのは、近江が話したか」
詳しいことは省くけどと言いながら、筋トレしたら二日間は冷却期間でお休みをして、三日目に再開、そして再び二日お休み、と近江さんが説明をしてくれた。がむしゃらにしても、効果は大してないからねってことだった。
「あとは筋トレの後にはバナナ食べろ、でしたっけ?」
「ああ」
「でも篠塚さん達は、入隊した時にこんな呑気なペースでやってたわけじゃないでしょ?」
「入隊してからの訓練と、門真さんの筋トレとはまた違うからな。俺達と同じようなことをしていたら、恐らく次の日から、それこそ一週間ぐらいは熱出して寝込むんじゃないのか?」
なんだか聞けば聞くほど恐ろしい世界だ。警察官になっても似たような訓練があったんだとしたら、きっと私、一週間もしないうちに、脱落していたかもしれない。やっぱり頭脳労働を選んで良かった。
それからお椀を片づけてお弁当の容器をレジ袋に詰めてゴミ箱に入れると、篠塚さんは長居は無用だとばかりに脱いだジャケットを手に取った。
「ごちそうさまでしたって言うのも変な話だよな。俺が買ってきたんだから」
「あ、お金は払いますから」
「いや。今回は本当におごりだから気にするな」
「……じゃあ元気になったら何か御馳走しますよ。そうですね、私が篠塚さんを投げることができたお祝いにでも」
「こりゃまた当分先になりそうだな。期待せずに楽しみにしている」
それって何気に私に失礼じゃ? そりゃあ今は筋肉痛でひーひーいってるから、とてもそこまで辿り着けるようには見えないかもしれないけど。
「投げられて泣かないようにしてくださいよね」
「せいぜい受け身の練習でもしておくことにするよ」
その顔はまあ無理だろうなって言いたげだ。玄関までお見送りをすると、篠塚さんは真面目な顔をしてこっちを見下ろした。
「改めて言うまでもないと思ったが、門真さんのことだから忘れるといけないのでもう一度言っておく。痛みがある時はあまり無理をしないように。長引くようなら医者へ。筋力がつく前に体を壊したらなんにもならないからな」
「分かってますよ。私だって痛いのに無理するほどマゾじゃないです」
そこでどうして、どうだかなって顔をするのかな。
「まあ日曜日に関してはこっちは予定をあけておくが、それも門真さんの体調しだいでということにしておこう。了解したか?」
「はい、教官殿!」
そう言って敬礼をすると、篠塚さんは少しだけ驚いたような顔をしてから微笑むと、手をのばしてきて私の敬礼の角度を直してくれた。
「これが海自の敬礼の正しい角度だ。ちゃんと覚えろよ? じゃあまた」
そう言うと玄関から出ると、自分も敬礼しながらドアを閉めた。それから台所に戻ってお薬を飲みながらあれ?と思った。
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