貴方と二人で臨む海

鏡野ゆう

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東京・横須賀編

第二十七話 色々と動いている模様

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 速報が流れてテレビ画面がそれまでの映画から報道スタジオに切り替わった。カメラの前に座っているアナウンサーさんが渡された原稿を読み上げ始める。いつもなら澱みなくニュースを伝えるアナウンサーさんも今日ばかりはぶっつけ本番での原稿読みのせいか随分と口調がたどたどしい。

 そしてその中で大使公邸では大使主催の新年互礼会が行われる予定だったということが伝えられた。つまり公邸には職員だけではなく現地の関係者や在留邦人の民間人もいる可能性があるということだ。そして気になるのはこの事件が起きた国の名前。

「篠塚さん、ここってお兄さんが赴任している国じゃ……?」
「ああ、そうみたいだな」

 落ち着いた口調で返事をしたけどその目は画面に釘づけになっている。

「今だとあっちはもうお昼近いですよね。電話して安否確認をした方が良いんじゃないですか? お兄さん、互礼会に呼ばれている可能性は無いんですか?」
「その辺の話は本社にいる親父でないと分からないな。それに迂闊に本人に電話するのはよくないと思う。万が一、公邸にいたらどうする? 電話の音が相手を刺激することになったら困った事態になるだろう」

 確かにそれはそうかもしれないけど……。

「でもやっぱり心配でしょ?」
「……親父にかけてみるか」

 そう言いながらスマホを手にすると何故か電話をかける前に私の頭をグリグリと撫でまわしてきた。

「?!」

 何をするんですか?!って顔をしながら見上げたら苦笑いしている篠塚さんと目が合った。

「もし俺が人質に含まれていたとしてもそこまで心配してくれるのか?」
「……篠塚さんの場合はきっとこんなことになる前に相手をのしちゃうだろうから心配することはないと思う」
「なんだそりゃ」

 笑いながらスマホの画面を見てお父さんに電話をかける。

「……もしもし? ああ、俺。今れいの南米の大使館のニュース見てるんだけど兄貴の安否は分かっているのか?」

 相手が何か話しているのが篠塚さんの耳元から微かに漏れてきた。そして篠塚さんはその話を聞いて何故か笑った。

「なるほど。そっちはそっちで大変だな。兄貴には申し訳ないが無事だと分かって安心したよ。ああ、そのうちそっちにも顔を出すから。じゃあ皆によろしく」

 あっさりと電話は終わった。その顔つきからしてお兄さんが無事なのは確定のようだ。

「お兄さん無事でした?」
「ああ。クリスマス休暇中に同僚に風邪をうつされたらしくてベッドで唸ってる最中なんだとさ。うっかり飛行機に乗って他の乗客にうつしでもしたら大変だから年末の休暇は帰国せずにあっちで大人しく養生することにしたって年が明ける前に電話してきたらしい」
「……なるほど。お気の毒ではありますけど事件に巻き込まれていないのが分かって安心しました」
「だろ?」

 こういうのを不幸中の幸いって言うんだろうなあ。お兄さん的には帰国したかっただろうけど風邪ひきさんなら仕方がないよね。でも大丈夫なのかな、あっちの病院ってどんな感じなんだろう。

「お兄さんはお一人であちらに?」
「昔に比べて随分と治安は良くなったという話だが小さい子供を連れて行くのは難しいだろうとここ数年は単身赴任であっちとこっちを往復しているよ。もう地球を何周したんだろうってぼやいていたな」

 商社の駐在員さんって本当に凄い。話を聞いていると並みの外交官よりも長い距離を飛び回っているのだから。その話を聞くだけであの人達は日本の目や耳として今も間違いなく活躍しているだなと尊敬してしまう。

「だけど家族に会えないのは寂しいですね」
「最近はパソコンで顔を見ながら話もできるからそれほどでもないだろ」
「それとお医者さんはどうされてるんですか? あっちは日本とは色々と違うんでしょ?」

 遠い異国の地で一人。病気になったら心細いだろうなと思う。お隣や近隣の国だったら何とか帰国することも出来るだろうけどお兄さんがいる場所は地球の裏側だもの。

「それも大丈夫だって聞いている。確かあそこの大使夫人が医師でいつも大使の大赴任先の病院で勤務して在留邦人の面倒を見ているって話だから」
「へえ。大使館の奥さんがお医者さんだったら安心ですね。何かあっても外務省がバックアップしてくれるだろうから急病になっても心配なさそう」
「うーん、頼りになるのは夫人なだけで外務省は関係ないんじゃないか?」
「万が一の時ですよ。海外で困ったことがあったら大使館に駆け込めって言うじゃないですか」
「そりゃそうだが」 

 その後は特に新しい情報が入ることもなく続報があれば改めてということで中断していた映画が再開された。ここに来る途中で買ってきたプリンを二人で一緒に食べながら映画を観ていると今度は私のスマホが鳴る。かけてきた相手は高島さんだった。

「はい、門真です」
『高島よ。テレビで流れたニュースは見たかしら?』
「はい、速報が出たのをちょうど見てました」

 篠塚さんに口パクで高島さんだと知らせるとテレビを消して立ち上がってベッドのあるお部屋へと行ってしまった。こっちの話を聞かないようにと気をきかせてくれたみたいだ。

『お正月休みでここのスタッフが軒並み遠くに帰省しちゃっているのよ。どんなに頑張って帰ってきてくれるとしても戻ってくるのは明日のお昼が最速みたい。門真さん、申し訳ないけれどそれまでの繋ぎとして本部に出てきてくれないかしら?』
「分かりました。……っていうか今からですよね?」
『ええ、今から。電車が無いようならタクシーでも飛んでこいって上からのお達しよ。いま何処に?』
「篠塚さんちにおせち届けに来たところですよ」

 いつもならここでからかいの言葉が少なからず高島さんの口から飛び出すところだけど今日は事情が違う。

『そう。そこからならまだ電車もまだあるから大丈夫ね。直ぐにこっちに向かってちょうだい。別に最短時間をレコードしろとまでは言わないからタクシーで飛ばししてこなくても大丈夫だからね。それと今日は帰れないと覚悟しておいて』
「分かりました」

 電話を切ったところで篠塚さんが戻ってきた。手には私のバッグとコート、それから自分のジャンパーと車のキー。

「車で送っていく」
「そんなことしなくても。ここから電車に乗れば直ぐですし時間がかかりそうだったらタクシーを捕まえますから」
「送っていくと言ってるんだ。早く支度したくしろ」

 有無を言わさぬ口調だ。こういう時は何を言っても聞き入れてもらえないのは分かっていたから時間を無駄にしない為にも大人しく送ってもらうことにする。

「……安全運転でお願いしますね。高島さんもそこまで急げとは言ってないので」
「ってことは人は足りてないが必要最小限の人員は確保できているってことだな。だが出来るだけ早く合流した方が良いだろ、しなきゃならないことは情報収集だけじゃないだろうし」

 そう。こういう時の私達の仕事は現地の情報を収集するだけでは終わらない。その国の軍隊、更には米軍との連絡調整など様々なことが同時進行で行われるのだ。

「事件が一段落するまでは連絡が途切れがちになると思いますけど」

 昔こんなふうに外国にある日本大使館が武装勢力に占拠されたことがあった。あの時は事件発生から軍隊が突入して人質となった人達を救出するまでに四ヶ月という時間がかかったと聞いている。

 そして人質救出に軍隊が突入した時、軍隊側にも人質側にも怪我をした人や亡くなった人も出たという話だ。そんな事態にならなければ良いんだけれど。

「気にするな。そんなことは分かっているから。それにこっちも忙しくなるだろうからお互い様だ」
「どういうことですか?」
「これが日本人を狙ったテロリスト集団なら国内で何かやらかす可能性もある。市街地に関しては警察の担当になるが自衛隊施設の警備も同様に厳戒態勢になる。こっちでも休みを切り上げて戻ってくる連中もいるだろう」
「なるほど。ってことはお隣の米軍施設も同様?」
「そうだな。同盟国だしそういう可能性も捨てきれない」

 新年早々とんでもない事態になったものだと篠塚さんは呟いた。

 急いで出る支度をして篠塚さんの車に乗せてもらって出発する。こんな時でなかったら初めて乗せてもらう車にあれこれ質問をするところだけど今はそんな気分じゃなかった。ナビもニュース番組になった某半国営テレビにチャンネルを合わせ信号で止まるたびに篠塚さんと二人で見る。ちらりと横に止まったタクシーに視線を向ければそこのナビにも同じ番組が映っていた。

「まだ何も流せるようなことはないみたいですね」

 さっきからテレビ局が同じ映像と同じことを繰り返しているのを見ているうちに防衛省に到着した。

 篠塚さんは建物から少し離れた場所に車を止めた。これ以上近くで止めると警備の人がもしもしどちらさまですか?とやって来るからだ。

「情報本部には報道されている以上の情報が既に集まっているだろう。焦らず慌てず自分の任務を果たせよ」
「分かってますよ。大丈夫です、運動神経には自信がないけど頭脳労働にはそれなりに自信がありますから。じゃあ、ありがとうございました」

 そう言って車から降りようとドアに手をかけたところで引き留められる。

「二人で過ごす休日が潰れちまったんだ、せめてこれぐらいはさせてくれ」

 悪戯っぽい笑みを浮かべると私のことを引き寄せてキスをした。誰かに見られたらどうするの?!と焦る間もなくあっという間に唇が離れる。

「行ってこい」
「……はい。行ってきます」

 絶対に顔が赤くなっているよねと心の中でぼやきながら車を降りて車が走り去るのを見送ってから本省へと急いだ。


+++++


 こういうことがあれば関係省庁では大勢の職員が登庁してきてザワザワするのは当然のことだけど今回は少しばかり異様な空気が流れている。

 というのも外務省に出向し、在外公館警備対策官として現地に赴任している山崎一等陸尉の安否が確認できない状態だからだ。つまりはここにいる自衛官達にとっては自分の家族も同然の存在。そのせいもあって事件が発生してから情報本部の中はピリピリした空気がずっと流れている。

 そんな中で幸いだったのは事件が起きたのがまだまだ早い時間だったせいで南山大使主催の新年互例会に招待された人達は集まってはいなかったってことだ。人質となっているのは大使館の日本人職員と現地スタッフが殆どらしい。

 民間人が含まれていなかったことは幸いなことではあったけれど、肝心の大使夫妻も人質に含まれているということであっちとこっちの権限のある連絡要員がまったくいないという困った状況でもあった。政府は外務副大臣を現地に派遣することを決定し、既に副大臣を含めて何名かの関係省庁の職員達が羽田空港に向かったということだ。

「警備をしていた地元の警備会社の人はどうなったんでしょうね……」
「それも全く分からないみたいね。大使館を占拠した武装集団もまだなにも言ってきていないみたいよ」

 廊下を硬い表情をした陸海空それぞれの制服を着た人達が歩いていく。官邸に設置された緊急対策本部とは別にこちらにも対策室が設置されているのでそこへ向かう人達だろう。

「航空自衛隊の制服を着た人もいましたね」
「そうね」

 日本の自衛隊にも特殊部隊に相当する部隊は存在する。海上自衛隊には篠塚さんが行くのを断った特別警備隊、そして陸上自衛隊には特殊作戦群。そういう人達を派遣する計画は実行に移されていないだけで外国で現地邦人が巻き込まれた事件が起きるたびに立てられていた。

「空自が出てきたってことはもしかして現地に自衛隊としてそれなりの人数を送り込む計画なんじゃ……?」

 それこそ人質救出部隊とか……?

「門真さん、私達がするのは情報の収集と分析。その手のことには迂闊に口にはしないのよ。目の前の任務に集中して」
「あ、はい、すみません」

 高島さんの言葉に慌ててアメリカから送られてきた武装勢力関連の資料の翻訳作業に戻った。
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