旦那様は秘書じゃない

鏡野ゆう

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本編

第十四話 結花先生の療養生活最終日

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 一週間の療養生活は、思っていたよりも退屈せずに過ごすことができた。

 夜は明け方近くまで霧島きりしまさんと心行くまで愛し合い、翌日は遅めの朝食兼昼食をベッドで食べてから、日常の細々としたことをお互いに分担しながら片づける。そして昼からは杉下すぎしたさんがそれぞれの先生から頂いたお見舞いの品を届けてくれるので、私はそれに対するお礼状を書いたりお返しの品を考えたりと、ちょっとした議員としての仕事をした。

 その間に、霧島さんは交代要員の警備担当を残して必要な物の買い出しに出掛け、杉下さんが帰ったら二人で夕食の準備をするといった具合だ。買い出しに関しては、別に彼が行かなくても取り寄せることは可能だったんだけれど、彼も気晴らしが必要だったし本人でないと買いにくいものがあったから、というのも理由の一つだった。

「なんだか仕事に戻るのが憂鬱ゆううつ

 愛し合った後の気怠い余韻に浸りながら、そんなことを呟いてしまった。今日は昼から病院で、抜糸をしてもらうことなっている。つまり私の療養生活もいよいよ終わりということだ。

「そうなのか?」

 私の肩を撫でていた霧島さんの手が止まる。

「きっと霧島さんのせいね」
「なんで俺の名前がここで出てくるんだ」
「だってこの一週間、私のことを甘やかしまくってくれたでしょ? 週明けからまたあの世界に戻るかと思うと、少しだけ気分がブルーになる」

 襲撃犯の背後関係については裏付け捜査をした結果、新たに何名かの人間が取り調べを受け、罪に問われることになった。それを最後に事件は一件落着ということで、私や父達の警護も解かれることになり、霧島さんも週明けから伊勢谷しせたに先生警護の任務に戻る予定だ。

 そして私も抜糸をしてもらって、主治医の許可が出たら仕事に復帰することになる。つまり月曜日からは、お互いに普段通りの生活に戻ると言うことだ。

「君はあそこで先生達とやりあっているのを、楽しんでいると思っていたんだがな」
「私もそう思ってた。だけどこういう生活に一週間も浸っていたら、抜け出すのに一苦労ね」

 そう言いながら、彼の胸の上に添えてた手を下へと滑らせていく。そして、さっきまで私の中にとどまり激しく攻め立てていた彼のものに指を這わせた。ビクッと脈打ったもののおとなしいものだ。

「それはつまり、俺とのベッドでのやり取りが思った以上に気に入ったということか」

 悪戯いたずらを続ける指を、彼の大きな手が包み込んできた。そして私の手ごと自分のものを握ると、ゆっくりと上下に動かし始める。

「貴方だって気に入っていると思ったんだけれど?」
「確かに。来週から君を毎晩抱けないと思うと辛いな」

 彼のものが私の手の中で硬さを取り戻していくのを感じながら、身を乗り出して唇を重ねた。そして顔を上げ、微笑みながら彼の顔を覗き込んだ。

「だけどこんな日がこれ以上続いたら貴方、干からびちゃうんじゃない?」
「君に搾り取られて?」
「そういうこと」

 霧島さんの口元に悪戯いたずらっぽい笑みが浮かんだ。

「さあどうかな? 君の方こそ、これ以上俺に抱かれ続けたら、足腰が立たなくなるんじゃないのか?」
「それこそどうかしら? 今のところそんな気配は無いけれど?」
「それは俺も同じだ」
「そうみたいね」

 手の中では彼のものがいつの間にか、硬さを取り戻している。

「さて、もう少し時間がある。もう一戦いかがかな、先生?」
「望むところ」

 私がそう答えると、彼はニッと笑って覆いかぶさってきた。


+++++


「ちょっとチクッとしますけど、我慢してくださいね」

 先生に言われてジッとしていると、傷がある辺りが引っ張られるような感じがして、糸を抜くたびにピリッピリッと小さな痛みが走った。

「どうかしら? 綺麗にふさがってます?」
「ええ、そりゃもう。こう見えても腕は確かなので御安心ください。しばらくすれば剃った髪もはえてきて、ほとんど分からなくなりますよ」

 先生はニッコリと微笑んで、糸の入ったトレーを看護師さんに渡す。

「良かった。名誉の負傷の傷跡だなんて、今どき流行はやりませんもの」
「ただ傷はふさがりましたが、シャンプーをする時には、あまり強くこすらないようにしてくださいね」
「分かりました」

 傷口を綺麗に拭いて、もう一度消毒をして完了。

「来週からはお仕事に復帰されるんですよね?」
「ええ、そのつもりです。何か問題でも?」
「いえ。忙しくなれば診察に来るのも難しくなるでしょうから、まだ頭痛が続くようなら、今のうちにお薬を出しておこうかと思ったんですが。それと、万が一のための傷口の痒み止めと化膿止めと」
「お願いしておこうかしら。もうそれほど頭は痛くないけれど」
「分かりました」

 先生はカルテに幾つか書き留めると、それを看護師さんに渡す。先生に改めてお礼を言ってから診察室を出ると、霧島さんが立っていた。

「どうだった?」
「ちゃんと傷口はふさがっているし、もう仕事に戻っても大丈夫って」
「そうか、それは良かった」

 診察料を払って薬を受け取ると、病院の駐車場に向かう。

「待った。こっちに車が止めてある」

 来た時に車を止めた場所に向かおうとした私の腕を、霧島さんが掴んで引き止めた。

「え? 移動させたの?」
「いや。あれは警備用の車だったろ。こっちに俺の車が止めてあるんだ。さっきの車は同僚が回収してくれた」
「ああ、もう警護任務はとかれたんですものね」

 それほど深く考えることなくうなづくと、彼に促されるままそっちへと足を進める。そこに止めてあったのは、黒くて厳つい車ではなく濃紺色の四駆の車だった。

「貴方らしい車ね」
「そうか? ここしばらく乗る時間が無くて寂しい思いをさせている。せっかくなんだ、少し足をのばさないか?」
「ドライブ?」
「俺の方は許可を貰っているし、君の方もちゃんと杉下さんに連絡はしておいた」
「そう。何処へ連れて行ってくれるの?」
「それは秘密。どうぞ、先生」

 後部シートのドアではなく、助手席のドアを開けてくれた。私が座ってシートベルトを締めるのを待ってから、ドアを閉めて運転席側に回り込む。

「ねえ、ヒントだけでも無いの?」
「無い。気分が悪くなったら言ってくれ」
「長距離なのよね? だったら途中で何か買っていかない? せっかくなんだもの、お菓子とかジュースとか」
「君が?」

 どうしてそんな胡散臭うさんくさそうな顔をするのか理解できない。私だっていつもいつも、紅茶やケーキで優雅にお茶をしているわけじゃない。ポテトチップスやチョコレートを片手にテレビだって見るし、炭酸飲料だって飲むし、怪我をしていたせいで最近はアルコールは避けていたけれど、お風呂上りにビールだって飲む。

「見つかったら大騒ぎだぞ? 一応はまだ療養中なんだからな」
「こうすればすぐにはバレないと思うんだけど」

 そう言って、霧島さんがかけていた銀縁の眼鏡を奪い取る。

「おい」
「どうかしら?」

 眼鏡をかけてから彼の方を見つめた。

「……なるほど。それでいこう」

 そういう訳で、途中でコンビニに寄ってお菓子とジュース、お茶を買い込んだ。レジに立っていたお兄さんは、不思議そうな顔をして私のことを見つめていたけれど、最後まで私が誰かというのは分からなかったようだ。

「すごいわね、この眼鏡。次から何処か行く時はこれをかけようかしら」
「俺の眼鏡だ、返せ」

 ハンドルを握った霧島さんが顔をしかめる。

「ダテ眼鏡なんだもの、かけてなくても困らないでしょ?」
「困らなくても、それが無いと落ち着かない」
「今日は私に貸しておいて。途中であれこれ言われるようなことがあった困るから」

 やれやれと言った具合に彼は溜め息をつくと、仕方ないといった感じでうなづいた。

 そして車は高速に乗った。ナビでニュースとワイドショーをチェックしながらお菓子を食べ、時々思い出したように彼の口に小さなシュークリームを放り込んであげる。

「ねえ、ワイドショーっていつの間に、政治家までターゲットにするようになったのかしら」

 総理である渡瀬わたせ先生が、昨日の晩に訪れた料亭の一品のお値段がどうのこうのと、面白おかしく伝えている番組を見ながら首をかしげた。

「さあ。の御両親が婚約した時にも一騒動あったと聞いているから、今に始まったことじゃあないんだろうな」

 そう言えば、父親と母親が婚約した時はそれはもう大変な騒ぎで、母は随分とマスコミ関係者に追い回されたと言っていたっけ。まったく何年経っても変わらないものは変わらないのねと、呆れながら溜め息をつく。

「一般市民との距離が近づきすぎるのも考えものね。親しみを持ってもらえると言えば聞こえは良いけれど、その実こういったワイドショーのかっこうの標的なんだもの」

 そう言いながらあくびを噛み殺す。

「寝ていても良いぞ。着いたら起こすから」
「せっかくの貴方とのドライブなんだもの、寝ちゃうのは勿体ないわ」

 そう言っていたのに十分も経たないうちに瞼が重たくなってきて、そのまま眠ってしまった。


+++


 肩を揺すられて目を開けると、そこは普段はお目にかかることが無いような田園風景だった。風に揺れているのは青々とした稲で所々で、水面がお日様の光でキラキラと輝いている。

「綺麗ね……ここ、どこ?」
甲府こうふ
「甲府? 甲府ってあの甲府? そんなに走ってたの?」
「君が眠ってしまってから一時間ってところか」

 車はいつの間にか止まっていた。

「見渡す限り緑の海って感じね」
「収穫間際の稲穂も綺麗なんだが、俺はこの時期が一番好きなんだ」

 しばらく黙ったまま見惚れていると、霧島さんが車から降りてこっちに回ってきてドアを開けた。

「少し足を延ばした方が良いんじゃないのか?」
「そうね。ずっと座りっぱなしでお尻が痛いかも」

 車から降りて思いっ切りのびをする。

「あそこの家」

 霧島さんが指さしたほうに目を向けると、立派な門構えのお宅がある。ちょっとした武家屋敷みたいだ。

「随分と御立派なお宅ね。どちらのお宅?」
「俺の実家だ」
「え? 霧島さんの?」

 奈緒なおさんから、実家は甲府で戦前は一帯を治める地主だったとは聞いていたけれど、まさかあんな旧家然としたお宅だったなんて。

「じゃあこの田んぼも御実家のものなの?」
「いや、農業の方は親戚が引き継いでくれて、うちはそっちからは一切手を引いている」

 そう言って彼は私を見下ろした。

「俺の両親に会う覚悟はある?」
「え?」
「俺は君の御両親に紹介してもらったが、俺の両親に君のことは紹介してないからな」
「え、今?! でも困るわ、こんな格好だし、その、髪だってボサボサだし……」

 最低限のメイクはしているし、まったくの普段着という訳ではないけれど、重光しげみつ結花ゆいかとして活動するような服装ではないし、髪も怪我をしてからこっちブローするのを避けていたので、真っ直ぐの伸びっ放しの状態を軽く結んでいるだけだ。とても交際相手の御両親に挨拶できるような状態ではない。

「どうしてそれを先に言ってくれなかったの? 聞いていればもう少しおしゃれをしてきたのに!」
「言ったら君は重光議員として武装するだろ? 俺が両親に紹介したいのは重光結花議員じゃなくて、ただの重光結花だからな」
「だからと言って、こんな不意打ちは卑怯よ。そりゃ、貴方の生まれ育った場所を見ることができたのは嬉しいけれど」
「そうか……なら仕方がないな、改めて紹介しに連れてくることにする。それでOK?」

 私がうなづくと、霧島さんはポケットからスマホを出して何処かに電話をかけた。

「ああ、俺です。いま家の前に着いたんだけど、やっぱり彼女からOKはもらえなかった。……そう、その通りだった。次はちゃんとお袋の忠告に従って、前もって断りを入れてから連れてくるよ。ああ、親父にもよろしく」

 電話を切って、笑いながら私を見下ろす。

「君をビックリさせるにもほどがあるって、お袋に叱られたよ。女には女の準備ってものがあるんだからって」
「お母様の言っていることは正しいです」
「今でも十分に君は綺麗なのに」

 そう言って、私の頬を指の背で撫でる。だけどそれとこれとは別問題だ。

「それは男の論理。女には女の事情っていうものがあるのよ。今度はちゃんとお母様の忠告に従ってちょうだい」
「やれやれ、俺の先生はお怒りだな」
「ここに連れて来てもらったことは感謝しているのよ?」
「じゃあ怒ってない?」

 珍しく霧島さんが下手したてに出た。ちょっと気分が良くなって、高飛車な物言いになったのは仕方がないかもしれない。

「そうね、何か地元ならではの美味しいものを御馳走してくれるなら、チャラにしてあげても良いわよ? この眼鏡のお蔭で、私だってバレることはなさそうだし」
「お安い御用だ、先生」


 私の療養生活はどちらからもSOSが発信されることもなく、最終日にちょっとしたハプニングはあったものの、こうして無事に終わることとなった。
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