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第十七話 あなたは竜のお姫様

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 手に持った三枚のメダルをスロット台の投入口へと入れてレバーをコツンと叩きボタンを三回押す。それがお金になる、ただそれだけの事で同じ動作を一日で約10000回も繰り返すというのだから人の欲望とは計り知れないものである。祐介も今日だけでこれが何度目かも分からぬその行為をまた行うのであるが、明確なのはこれが今日最後の行為という事である。三枚のメダルを入れてレバーを叩く、そして回るリールをボタンを押して止めていく。残念ながらチャンスランプが光る事も無ければ子役が揃う事も無い。これで今日はお仕舞いという事だ、何故ならば先程入れた三枚のメダルが三人の最後のメダルだったからである。
「終わっちゃいましたねぇ……」
 マオが寂しそうに沁々と呟いた。
「仕方ないよ、この時間まで持ちメダルで粘れただけでも御の字さ。当初の目的だった二人の目押しも見れたし、スロットに関しての説明も出来たんだ。今日は負けを素直に受け入れて帰ろう」
 三人は朝に引いた祐介のビッグボーナスを皮切りにして矢継ぎ早にボーナスを引いていったが、それからはジリ貧といった状況で今しがた全てのメダルが台に飲まれた所であった。正確な時刻は分からないが、窓の外では太陽が見事な夕焼けを披露する辺りの時刻である。
「んー! 負けたけどスロットも結構面白かったな! だけどこれでメルちゃんもスロットをバシバシ打てるぜぇ! もうキチンと打てるから怖いものなんてないもんね!」
 立ち上がりながら空中にジャブを打つようにボタンを押す練習をするメルに祐介は「ところがそう簡単にはいかないんだ」と声を掛けた。
「ほへ? 祐介もメルちゃんのリプレイ外しを見ただろ? バッシバシのビッシビシだったじゃん? 何が問題なんだよ」
「スロットは台によって目押しの場所も頻度も変わるんだ。今回の三冠王は簡単な部類だったけど、数有るスロットの一部には通常ゲームから常に高度な目押しを要求される台もあるんだ。中には逆に全く目押しが必要無い機種もあるけどね」
「なんだよぉ……今日からメルちゃんはプロスロッターとしてこの店に君臨しようとしてたのによぉ!」
「君臨してどうするんだよ。それに最初に言った通りにパチンコで勝つのに重要なのが釘ならスロットなら設定だ。目押しが出来るのは基本中の基本、勝つためには更にそこから高設定を探さなきゃな」
 メルは「そういうのは頼れる祐介ちゃんがいるもーん」と言いながら軽やかにさっと身を翻して歩きだした。ご丁寧にペロリと舌も出して相変わらず身勝手な奴である。そのメルを憮然とした表情で見る祐介の裾をマオが引っ張っていた。
「あのぅ、少しいいですか? 結局僕達の打っていたこの三冠王の設定はいくつなんでしょうか?」
「正確な設定は店側が開示してくれないと分からないけど、1とか2……つまり低設定だろうな。高設定でも負ける時は負けるんだけど、俺達が打っていたこの三台は高設定っぽい挙動も無いし、負けるべくして負けたって感じだな」
「……何だかスロットって難しいんですねぇ」
「いやいや、この台だけでスロットを判断するのは勿体無いぜ。スロットの魅力はその幅広いゲーム性にあるんだ、きっとマオが夢中になれる台もそのうちに見付かるさ」
「祐介さんがそういうのなら……また一緒に打ちましょうね!」
「うん、次は頑張って勝とう! さ、メルを放っておくと何を言われるか分かんないからそろそろ追いかけようか」
 マオが頷くと手を差し出してきたので祐介は自然にそれを受け入れてその柔らかな手に自身の手を重ねた。このホールの廊下は二人が並んで歩いても邪魔にならないぐらいに広いのだ、負けた今日ぐらいは並んで帰るのを許して貰おう。
「おー、メル。待たせたな」
「お前らおせーよ! メルちゃんを一人にすんじゃ……ん……? ん!? ん!!」
 メルは不満をぶつけようと声を荒らげるが、「ん?」と二人が手を繋いでいるのを見付けて「ん!?」と怒りを露にし「ん!!」と祐介に手を差し出した。祐介がその手をどうしたものかと見ていると「ん、ん!」と催促をする始末である。
「わかった、わかった。でも手を繋ぐのは外に出てからにしてくれ、店の中で三人も手を繋ぐのは流石に狭いし店の迷惑になるから」
「だったらさっさと出ようぜぇ! メルちゃんはこの店に居ると打ちたくて打ちたくて堪らねんだよぉ! やっぱり帰りしなに一発打ってくか?」
「パチンコなんて打ち始めたら一発じゃ済まないだろ! いいから帰ろうぜ、ほら……」
 祐介が差し出された手を握って歩き出すとメルは満足気に「ん!」と頷いた。しかし逆隣のマオは憮然として不満な表情を隠しもしない。
「メルさんってば僕の真似ばっかりですぅ! 何で直ぐに真似ばっかりするんですか、もう!」
 三人が店の外へ出るや否やマオがメルへと不満をぶちまけると、メルは意外にもしゅんと反省したかのように項垂れて「ごめんな……」と謝った。
「え……メルが素直に謝るなんて……変な物でも拾い食いしたのか?」
「メルちゃんだって悪いと思ったらちゃーんと謝るんだよ! アタシはマオみたいにいつも祐介に自分をアピール出来る訳じゃ無いからさ……出来ることはこうして真似したくなるんだよ……だから、ごめんな?」
「えぇ……? いつもアピールって……あ、家事ですか? メルさんは家事とかからっきしですもんね。僕は花嫁修行として一通りは修めてますから、特にお料理は頑張って覚えましたからね! 僕には食べて欲しい人がいましたから!」
「いや、家事じゃなくて貧乳とかさ、メルちゃんはどっちかって言うと豊乳組じゃん? だから祐介がペッタンコフェチとかだったらアピール出来ないじゃんって思うわけよ! 分かるだろ? な?」
「むっかぁ! おらぁーっ! マオパンチ! マオパンチ!」
 メルの言い様に腹を立てたマオは祐介と繋いでいない方の手を凄まじい速度で繰り出した。その拳は祐介の前を通り過ぎる度にピシュッと空気が裂ける音がする程の速度だったが、メルは事も無げに「よっ、あらよっ」とマオの拳を躱している。
「くっ、この! このっ! ずぼらエルフ! 大体その下着も二日目でしょ! そんなにずぼらだとそのうち祐介さんも愛想を尽かせるんですからね!」
「なーんでメルちゃんが昨日と同じ下着を着けてるって知ってんだよぉ! あれか、マオはメルちゃんファンクラブの一員か!?」
「そんなもんあって堪りますか! 僕が毎日お洗濯をしているんですから下着を変えなかった事ぐらい丸わかりなんですぅ! 女性として下着ぐらい毎日替えたらどうなんですか!」
「こ、こういうのはカレーと一緒で二日目の方が味わい深かったりすんだよ! 祐介が二日目の下着の方が好きだって言ったらどうすんだ! えぇ、祐介……ほら、マオに言ってやれ!」
「マオに何を言えっていうんだよ、下着ぐらい毎日替えてくれ! 俺に二日目の下着とかそういう性癖は無い、はいお仕舞い! さぁ二人とも喧嘩は止めろ! とにかく帰るぞ!」
 祐介がそう諌めると今度は二人とも顔を近付けて無言の睨み合いを始めた。祐介は呆れながら暫く放っておくかと二人から視線を外して前を見てみると違和感を覚えた。
「ん……? なぁ二人とも、何か前の方が変じゃないか?」
 三人が手を繋いで歩いているこの道は日本で言う所の歩行者天国に近い道であり、時折車が通るものの基本的には何処を歩くのも自由である。しかし前方では何故か人々が勢いよく道の両端へと走っているのが見えた。祐介は車でも通って来るのかと思ったが、どうもそれとは様子が違うのだ。聖書に書かれたモーセの海割りの様に誰かが此方に向かっているのである。その者が一歩進む度に人々は恐れおののき我が身かわいさに全力で道の端へと寄っている、それは異様な光景であった。
「誰かが歩いているようですけど、何ですかねぇ」
「……まさか大名でも歩いて来たりするのか? まぁいいか、俺達も端に行こう」
 祐介は実際にそれが誰か確認したわけでは無いが、いつもは誰が来ようと無頓着な人々をこれだけ慌てさせる人物が歩いているのである。まさか本当に大名行列な訳ではあるまいがトラブルに巻き込まれる前に自身も端に寄るべきだろう。祐介は二人の手を引っ張って端へと歩いて行く。
「……ん?」
 それは微かな違和感だったが、三人が端に向かっていくと確かな違和感へと変わっていく。始めは道の中央を進んでいた誰かが、文字通り人波を割りながら祐介達の方へと方向を変えたのである。いや、もしかすると始めから祐介達の方へと向かっていたのかもしれない、祐介が己に向かって割れていく人波にどうしたものかと考えていると人波を割って三人が姿を現した。
「……うげぇ! りゅ、竜人ですよ祐介さん! しかも三人!? 駄目! 目を合わせちゃ駄目です、どんな因縁を付けられるか分かりませんから! めっ!」
 マオは慌ててサッと祐介の視線を手で隠した。しかし視界が隠される寸前に見えた三人の中央に立っていたのは紛れもなく──。
「あわわ……し、しかも真ん中の竜人はまさか……七聖姫の一人──」
「──久し振りだな、祐介、メル」
「レイゼちゃんじゃーん! 随分遅かったけど、やっと帰ってこれたの?」
「あぁ、私の所は色々あるからな。ん? 祐介、何を遊んでいるんだ。久し振りなんだから私にちゃんと顔を見せてくれよ」
 レイゼは祐介の眼前に置かれたマオの手を片手で払うと祐介の顔を両手で大事そうに触れた。
「少し……痩せたか? 食事は毎食きちんと摂っているのか? メルのアホに振り回されていないか?」
 矢継ぎ早に放たれる問いに合わせてぐにぐにと頬を撫で回されるので祐介は困った様な表情をした。隣のマオも突然の状況に困惑していた。
「アホって……それはちょっと酷いんじゃないの? この……指輪持ちのメルちゃんに向かってさ!」
 ふふーんと息を吐きながらメルが己の指輪を見せ付けるとレイゼは「は……はぁっ!?」と驚嘆の声を上げてメルに詰めよった。
「おいメルッ! これはどういう事だ! お前は私の時にあれだけ……いや、それよりも……っ!」
 レイゼは祐介の右手をぐいっと捻るように持ち上げるとその小指と薬指に嵌められた指輪を見て眉間に皺を寄せた。
「ゆ、指輪が二つもあるだとぉ!!? 祐介ぇ、これは一体どういう事だぁ!」
 ズイッと詰め寄るレイゼを祐介は両手で必死に抑えながら隣に立っていたマオを紹介する。
「えーと、隣に居るのがインキュバスのマオだ。あれから色々あってさ、メルとマオの二人と結魂の契りを交わしたんだ。それでマオ、彼女がレイゼだ。俺達の部屋の隣に住んでいるのが彼女だよ」
「インキュバスって……えぇっ!? あ、あの、初めまして、マオですぅ! よろしくお願いしますぅ!」
「あ、あぁ……レイゼだ。よろしく……な……っ」
 レイゼは挨拶をしつつもふらっとよろけて後退ると、そこにメルが悪戯な笑みを浮かべながら割り込んできた。
「そしてアタシが祐介ちゃんのファーストレディ、ラブリーキュートなメルちゃんでーす! ぐしし……よろしくにゃんっ!」
 くるっと軽やかにターンを決めてポーズを決めるメルの胸倉をレイゼはガシッと掴んで引っ張っていく。
「……メル、てめーはちょっとこっちに来いっ!!」
「な、なしてぇぇーー……っ!?」
 ズルズルと物陰に連れていかれるメルを呆然と見送ってから祐介はマオに向き直した。レイゼにマオがインキュバスと紹介した時にマオ自身は言い淀んでいたのでマオの気持ちを考えると隠すべきだったのかも知れないと考えたからである。
「……マオ、さっきは変な紹介して悪かった」
「え? あ、いえ! 僕はきちんと結魂相手として紹介されて嬉しかったですよ?」
「いや、マオがインキュバスって事は余り知られたくないのかなと思ってさ。マオも口を濁していたし」
「いえいえ、大丈夫ですよぉ! 大事なのは僕と祐介さんを指輪が結んでいる……この事実だけなのですから!」
 マオは指輪を翳して上機嫌である。祐介は安心してそのまま気になっていた事を口にした。
「そう言えばマオがさっき七聖姫がどうのって言ってたけど、その七聖姫ってのは何なの?」
 マオは動きをピタリと止めて「そ、そうですよ!」と祐介に詰めよった。
「七聖姫というのはですね、ざっくり言うと七つの種族のお姫様なんです! 七聖姫は種族の代表の直系の娘で構成されていて、あのレイゼさんは竜人族のお姫様になります! この世界は主に七つの種族が統治していますから、あのレイゼさんはですね……」
 マオの重い口振りに思わず祐介は「レイゼは……?」と続けた。
「関わったら超やべぇ奴ですよ! そもそも竜人は傲慢不遜、昂首闊歩を地で行く奴等の集まりですから、目も合わさずにさっさと逃げた方が絶対に良いんですぅ! メルさんが一人の気を引いてる間に逃げましょう、駆け落ちですぅ!」
 祐介の手を握って歩きだそうとするマオを抑えて祐介は苦笑いである。超やべぇ奴とは酷い言い種だが、もしかするとマオは過去に竜人と何かあったのかも知れない。
 祐介に逃げる気がないとすると二人はこのままメルとレイゼを待つことになるのだが、祐介達の前にはレイゼの後ろを着いてきていた二人が手持ち無沙汰に立っていた。角を二本ずつ生やした二人もまた竜人なのだろう、直線的な二本の角を生やした美形の男とメイド服に身を包み二本の小振りな角を覗かせているもう一人の竜人もまた美人である。祐介はじろじろと好奇の視線を二人から受けながらも、一歩前に踏み出して声を掛けようとする。レイゼが連れて来た二人である、此方から挨拶をしないのは失礼に当たるかもしれない。
「ゆ、祐介さん!? 竜人に関わっちゃ駄目です、本当にろくな目に合わないですよ!?」
 ぐいぐいと手を引っ張り祐介に耳打ちをするマオに「だけどレイゼの知り合いっぽいし、挨拶はしないと……」と小声で返し、意を決して二人の前に進んだ。
「初めまして、永瀬祐介といいます。レイゼさんとは──」
「──囀ずるな」
 祐介の言葉を遮り、男は一刀両断といった様子で一言に切り捨てた。そのお陰で祐介の差し出した手は宙を寄る辺なく漂ってしまう。
「ちょっと! 折角祐介さんから挨拶をしているのに何ですかその態度は!」
「……黙れ、淫魔風情が竜人であるこの俺に口を出すな。穢らわしい、耳が腐るわ!」
 マオの抗議も何処吹く風で男はバッサリと言葉で切り払う。これには温厚なマオも流石に頭にきたのか目を閉じてゆっくりと深呼吸をしながら「はぁー……こいつマジで暖まるわぁ……っ!」と今まで聞いたこともない低い声で呟いた。
「ま、まぁまぁ! マオも落ち着いてくれ、俺達は喧嘩をしにきた訳じゃない。竜人のお二方もそうだろう、仲良くしようじゃないか! な?」
 祐介は気を取り直して手を差し出した、レイゼの知り合いなのである。我慢、我慢が肝要なのだ。
「……ふ、いいだろう。貴様のその不躾な態度もレイゼの為なら我慢してやろう。おい、ルーナ」
 男が呼び掛けるとメイドの竜人が「はい、畏まりました」と前に出る、そして徐に鞄からスプレーを取り出すと祐介が差し出した手に何度か吹き掛けてからハンカチで拭いた。アルコール消毒でもしたのだろうか、その無礼な行為に祐介も込み上げるものがあったが我慢である。きっと相手は度を越えた潔癖性なのだ、此方から歩み寄る意志が必要なのである。
「くく……たかが一介のヒューマニーがこの竜人である俺と手を交わせるのだ、恐悦至極と末代まで語り継ぐがいい。ほれ」
 男は祐介が差し出した右手の人差し指を汚いものでも掴むかの様に指先で摘まんでひょいっと少し持ち上げる、この男はこれで手を交わしたつもりなのだろうか。しかし、成る程と祐介は思った。異世界に来てから暫く経つがこの世界でのヒューマニーの立ち位置はこの程度なのか、それともマオの言う通りに竜人が無礼不遜なだけなのか。祐介がそれでも怒りに身を任せずに「ご丁寧にどーも」と言葉を返せたのは隣に伺い見えたマオが恐ろしく冷めた目線でそれを見ていたからである。
 マオのそのただならぬ様子に祐介は慌てて「ちょっと失礼しますね!」と言葉を置いてからマオの手を引いて二人から無理矢理に距離を取った。その間にも右手の薬指に嵌められたマオとの結魂指輪が熱く脈動しているのが感じられる、これはつまりマオが相当に怒っている証拠であった。
「えーと、マオ? マオちゃん? あの、大丈夫か?」
「……えぇ、全然平気ですけど? でも、祐介さんが許可を出してくれさえすれば僕があいつらをやっちゃいますけど!?」
「待て待て落ち着け、兎に角メルとレイゼを待とう。あの二人がレイゼにとってどんな関係なのかも分からないから出来るだけトラブルは避けたいんだ」
 マオは軽く首を振ってから祐介を睨むように見上げた。その瞳は金色に爛々と輝いている。
「駄目です、僕が貶められるのはまだ我慢が出来ます。ですが祐介さんがあんな扱いをされるのは我慢できません! さぁ祐介さん、あいつらをぶっ飛ばす許可を下さい!」
「相手は強そうな竜人なんだぞ? しかも二人もいるんだ、マオを危険な目に合わせるなんてそんな許可なんて出せない! それに俺ならどんな扱いをされても平気さ、気にしてないからね」
「竜人二人ぃ? 上等ですぅ、僕のドッ根性を見せてやりますよぉっ!」
 マオはさっとファイティングポーズを構えて見せるが、目の前の小柄で可愛い女の子、それに加えて淫魔であるマオと向こう側の立っているだけで周りを恐れさせる竜人相手では結果は火を見るより明らかだろう。祐介はマオを見て首を振った。
「ま、そんなに興奮せずにメル達を待とうよ。向こうも彼処から動かないってんならそのつもりなんだろ」
 祐介の言葉に膨れっ面で返すマオの頬を撫でながら祐介は二人を待つのであった。
 その一方、レイゼに胸倉を掴まれたまま路地裏の一角まで連れ込まれたメルは両手を頭に当てながら口笛を吹き余裕の表情であった。
「もー、レイゼちゃんったらこんな所まで連れて来て何なのー? あ! あれかなー、メルちゃんに愛の告白でもするのかな?」
「うるせぇ、ボケッ! てめー約束と全然違うじゃねーか! 焼き殺すぞ、アホメルッ!」
 ガルルルルッと噛み付きそうな剣幕で捲し立てるレイゼにメルはあくまでも涼しい顔で答えた。
「ぐしし……約束は守ってるじゃーん! 祐介を目の届く所に留めておく……メルちゃんはキチンと有言実行したもんね!」
「祐介に悪い虫を近付けないって約束はどうしたんだこらぁっ! ちっと目を離した隙に二匹も付いてるじゃねーかよ、このバカメルッ!」
 レイゼの言葉を受けてメルは自身の指を折って数え始める、1、2。そして1、2ともう一度数え直してから「うーん……」と頭を傾げる。
「……もしかしてその悪い虫ってメルちゃんも入ってる?」
「あたりめーだタコッ! お前が悪い虫じゃなかったら何なんだよ!」
「そうですねぇ、言うなればキュートなエルフ……ですけどぉ?」
「……ぶっ殺すっ!」
 手を振りかぶって襲い掛かりそうなレイゼをメルは両手で何とか抑えた。
「冗談だよぉ! ごめんって、そんなに怒ったら折角のレイゼちゃんの可愛いお顔が台無しですゾ!」
「うるせぇ! 大体なぁ、お前はあれだけ結魂はしないとか言ってたのに祐介とはあっさり結魂したのも気に食わねーんだよ! それにもう一人の結魂相手はインキュバスだぁ? イ、インキュバスってお前……棒のおまけ付きじゃねーかそんなのありかよ!? 夜とか……あ、あぁぁ……祐介が、穢れるぅ! 夜な夜なインキュバスと祐介とメルで悪夢のサンドイッチ大会でもしてんのかぁーーっ!?」
 レイゼが頭を抱えて振り乱したのでメルは慰める様にその背中を撫でて慰める。
「悪夢のサンドイッチって、レイゼちゃん……そんなに心配しなくてもだーいじょうぶだってぇ! アタシもマオも祐介とは一度もしてないからさ、マオがインキュバスだろうがこれは本当だよ! メルちゃんを信じて!」
「ほ、本当か……?」
 か細い声で不安そうに聞き返すレイゼにメルは大きく頷いた。事実メルと祐介が出会ってから一月までは経っていないが、その様な事には至っていなかった。尚、メルの考えではペロペロフェスティバルはその様な事には含まれていない。レイゼはメルの言葉に安心したかのようにホッと一息つくと顔を上げた。
「……いや、してないというのは嬉しい知らせだが、それならメルは結魂初夜に何をしていたんだ? 本当に何もしていないのならそれはそれで問題だろ! 結魂初夜なら自分で最高の一夜にしなきゃならんだろーが!」
「あれ……これってまたメルちゃんが恥を晒す流れ……? もうこの流れはマオの時に一度やったんですけどぉーーーーっ!?」
 メルの慟哭に似た叫びが路地裏に響く、彼女は思い出したくもない結魂初夜の失敗を今一度レイゼに話さなければならないのである。結魂の契りを交わした言葉、飽くなき乾杯、溢れ出る寝ゲロ……そして祐介が心配そうに覗き込むあの顔。それから時を暫くしてレイゼの爆笑する声が路地裏に響くのも仕方のない事であった。
「……もー、これでもメルちゃんだって失敗したって思ってんだよぉ! 笑うなよぉー!!」
「くくく……悪い悪い……でもさ、メルは大して酒に強くもないのに飲み過ぎなんだよ。寝ゲロ吐くまで飲まなくても……ぷぷっ、寝ゲロのメルだって。あのメルがね、くくく……っ!」
「うぉーーい! もう止めてよぉ! 不名誉な通り名みたいなのを付けんでよもー!」
 レイゼはお腹を抱えて一頻り笑うと「はぁー、久し振りにこんなに笑った……」と一呼吸した。
「メル、とりあえず祐介の所へ戻るか。悪い虫云々は置いといてやっとこっちに戻ってこれたんだ、ゆっくり再開でも祝おうじゃないか。な?」
 レイゼが慰める様にメルの肩を抱くとしゅんとしたまま「お酒は?」とメルがチラリと視線を送る。
「あぁ、飲め飲め。今日は潰れるぐらい飲んでもいいぞ、だけど寝ゲロは片付けるのが面倒だから吐くまでは飲むなよ」
「もうそこまでは飲まないよぉ! でもぉ……浴びる程には飲みまーす!」
 メルは手を上げて跳び跳ねると「あ、そういえば」とレイゼに向き直る。
「レイゼちゃんの後ろに居た二人は誰なの? あれも竜人でしょ? あんな偉そうな奴ってレイゼちゃんの里にいたっけ?」
「んー、あぁ、メルが竜人の里に来た時は私の屋敷まで一直線だったからな、知らなくてもしょうがないか。あれでもあいつは古竜の血筋でな、里でもかなりの実力者だよ」
「そんな奴を何で連れてきたの? まさか……こっちで一緒に住むの!?」
「馬鹿を言うんじゃねぇ! 私の話を通した時にお祖父様がせめて里の誰かに祐介の顔を確認してこいって指示を出したんだよ、そしたらあいつらが来る事になってさ。来るなって言っても無駄だし、私は祐介達に一々お前らを紹介なんてしないから顔を見たらとっとと帰れって言ってある。だからあいつらもいい加減にもう帰ったんじゃないか?」
「へぇー、そういうことね。レイゼちゃんの里って如何にも面倒そうだもん、さもありなんって感じ!」
「メルの里だって似たようなもんだろうに、お前だってそんな勝手に祐介と結魂なんてしていいのかよ?」
「あー、いいのいいの! メルちゃんはこれでいいんだよ!」
 メルは手をひらひらと振ってレイゼから視線を外して空を仰いだ。
「最近は凄く楽しいんだよ、皆で同じ部屋で暮らしながらパチンコを打ったりしてるんだー。えへへ、これでもメルちゃんも一緒に一生懸命家事をやってるんだぜ? 嘘みたいだろー。エルフの森から自分で行方を眩ましてから何年も経つけど……いつまでもこうして楽しいまま過ごせないかなぁ……」
「メル……」
 メルの寂しげなその背中にレイゼも唯々声を掛けるばかりであった。祐介やマオとは違いレイゼはメルが何故あのボロいアパートの一室で暮らしているのかを知っているのである、なればこそ容易に慰める事も出来ずにいるのだ。
「なんか暗くしちゃったね……ごめん」
「いや、今は二人きりなんだから……たまにはいいさ。しおらしいメルってのも今となっては貴重だしな」
「ぐしし……おセンチメルちゃん!」
「……あのな、お前は言葉が古いんだよ。長生きだからって適当に暮らしていると世間から直ぐに置いてかれるぞ? さ、兎に角戻ろうぜ」
 二人は連れ立って路地裏から歩き出した。元居た場所へと戻って祐介達と合流した後はセンベロ屋にでも行って飲み明かそう、マスターの店に行って適当に料理を作って貰うのもいいだろう。そんな事を話しながら向かった先では竜人二人が未だに留まっており、祐介達と一触即発の雰囲気でお互いに睨み合っていることなど知るよしも無かった。
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